2023-11-11 44:01

#20 ペットとの対話

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人間には言葉というものがあるために嘘をつけるという話からスタートし、逆に非言語コミュニケーションが重要であるという話。日本語で考える、英語で考える、という話も。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一    
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)      
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

ペットとの対話について考える際、言語と非言語のコミュニケーションの違いや重要性について話し合われています。小学生のいじめとその対応について話し、いじめの進化とコミュニケーションの重要性について考えています。そして言語による思考回路の違いを示唆しつつ、デュアルモデルの存在と非言語の変化についても触れています。日本で育ちながらアメリカで英語を使用する機会が増えた経験から、言語によって自分の性格や表現方法が変わることを感じました。また、アメリカの文化では言葉で明確に表現することが求められる傾向があり、性格や表現にも影響を与えることに気づきました。犬と猫に向き合っても、やはり非言語の違いがありますね。多重人格になると、どの言語や考え方で話すのか、自分の気持ちや言い方が変わることによって、柔軟性が高まり、人格が意識されるようになります。

言語と非言語の違い
中川 浩孝
コミュニケーション力を究める ゴールデン・トライアングル
仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションの修羅場を人生のチャンスと思い込んでいる田中愼一 です。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職してはや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
えーとですね、今日はですね、ペットとの対話というのをですね、ちょっと考えてみようかなと。
中川 浩孝
ついに、人間を超えてペットにも手を出したんですね。
田中 愼一
そう、いよいよ人間卒業というか、ペットのほうがなんか純粋だなって気がします。
人間がいかに正直じゃないかっていうのがですね、実感される今日この頃で。
そういう中で見ると、やっぱりペット飼ってる人っていうのは、そういうところにやっぱりペットの価値を求めてるのかなと。
嘘はつかないんですよね、ペット。
まあ別に言語を駆使してね、私は嘘をつきませんなんて言わないんだけど。
でもやっぱり基本嘘をつかないっていうね。
人間はなんでこんなに嘘をつくのかっていうと、やっぱり言語というものを発明しちゃって、
言葉って相手にメッセージを伝えるんだけど、心の中で違ったことを考えててもですね、
基本的には言葉にすると、それとはまるっきり違ったことを言葉で表現できる。
中川 浩孝
言えますね、確かに。
田中 愼一
だから基本的に自分の心はね、この相手嫌だなーって思ってるんだけど、
言葉で相手にメールやるとね、いやいつもお世話になってます、とととっていうね。
で、これは明らかに素直じゃないですよね。
自分が心を持ったことを相手に伝えるっていう素直さが全然ないじゃないですか。
だから言語っていうのを、やっぱり人間が開発したおかげで、
のためにね、おかげでって言ってもいいのかな。
基本的には人間は嘘をつくことができるようになった。
だから、それがやっぱりある意味言語っていうのは便利な道具で、
自分の心がそこになくてもちゃんと表現できるっていうこともあるんだけど、
一方で嘘というものもつけるようになる。
で、これが例えばですね、どっかでバレるとですね、
どえらい話になるわけですよ。
だから結局、この前のジャニーズの件だって、
みんな記者会見フェアで行きましょう、フェアでっていう言葉で言ってるんだけど、
でも心の中はそうじゃなくてNGリスト作るわけでしょ。
だから結局、やっぱり人間っていうのは言葉を見つけてから、
やっぱりそういう嘘をつく傾向っていうかできる能力っていうのを身につけちゃったんで、
だから我々としてはやっぱりコミュニケーションっていうことを考えるときに、
言語っていうのは非常に重要な役割を果たすわけで、
それが持っている特性とか危険とかリスクっていうのはやっぱり考えなきゃいけないのかなと。
言語コミュニケーションの傾向と危険性
田中 愼一
で、そう考えていったら一方でじゃあ非言語が多いよねと、
我々結局非言語の世界で生きてるわけで、
人間の社会でも言葉はあるけどやっぱり非言語の方が大きいわけですよ。
要するにコミュニケーションというかメッセージが伝わる比率っていうのがあって、
言語で伝うのは35%しか伝わらないと言われている。
残りの65%は非言語で伝わるんですね。
だから一番重要なのは言語から伝わってくるメッセージと、
非言語から伝わってくるメッセージを一致させることが信頼関係につながる。
結構多くの人がそれ不一致なんですね。
口で言っていることとお前の態度違うじゃんっていう感じで。
だからよく言うじゃないですか。
あいつはあんなこと言ってるけど、あの目つき見ると怪しいで。
田中 愼一
だから人間は非言語の方を信用するんですよ。
だから基本的にはそういう世界で我々日々コミュニケーションとか対話を行っている中で、
やっぱりそういう非言語コミュニケーションの違いとか一致させなきゃいけないとか、
さらには言語は嘘はつけるっていうか素直じゃないっていうか、
ここあたりの環境の中でどうコミュニケーションを取るかっていうのはすごく重要で、
そうなるとやっぱり非言語を無視してコミュニケーションを語るべきあるわけですよね。
そうすると非言語コミュニケーションっていうのは一体どういう能力が求められてくるのかっていうことを考えたときに、
2つの能力が必要だったんですね、はっきり言うと。
1つはやっぱりあらゆる非言語表現っていうのが自分の周りにたくさんあるわけですよね。
その非言語表現の中からどういうメッセージを受け取るのか受け取らないのかっていう能力ですね。
だからいろんな非言語表現は自分の周りに日々あるんだけど、そこから何を読み取るかっていう能力ですね。
それから2つ目が逆で、自分の表現、自分の持っている非言語表現をどう駆使してこちらのメッセージを伝えきる能力があるか。
だから非言語表現をどう読み取るか、非言語表現をどう駆使して表現するのか。
ここが基本的には非言語力、非言語コミュニケーション力の要、2つの能力だと思うんですけども、
これをどう鍛えていくかっていうのは結構我々コミュニケーションを考える人間にとっては重要な課題だと思うんですね。
中川 浩孝
でもこれ難しいと思うのは、さっき言ったように言葉だと嘘がつけるというか嘘がつきやすいということとともに、
さっき言った言動を一致させる、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションを一致させるという話をして、
しかも非言語コミュニケーションの部分を鍛えるって考えると、嘘のつき方を非言語コミュニケーションをうまく使うと、
さらに嘘がうまくなるっていうふうにも捉えられるんですけど、それでいいですか?
田中 愼一
そう、まさにその通りです。それで結構でございますね。逆に言うと、非言語のコミュニケーションを抑えられたら、これ結構鬼にかなおう。
だからコミュニケーションっていうのは、まだ世界ではコミュニケーションっていうのを、生前説で捉えてるんですね。
でもコミュニケーションっていうのは、生前説も制約説もないんですよ。一つの力学っていうふうに考えなきゃいけなくて、
人間が、つまり受信して発送して発信するっていう、この行為ですね。この行為がコミュニケーションなわけで、いいも悪いもないんですよ。
だから悪く使えば、だって物理学にいい悪いないじゃないですか。
ところがコミュニケーションはなぜか物理学と同じぐらいの力学なんだけども、いい、コミュニケーションは素晴らしいことだって一変となっちゃってて。
だからそうじゃなくて、やっぱりコミュニケーションってのは、悪い人間が使ったら悪く使われるわけですよ。
いい人間が使えばよく使われるわけですよ。
両方とも、よく使おうが悪く使おうが、原理原則は同じなんですよ。
だから、その一つの原理原則は、非言語コミュニケーションを極めたら、これはとてつもない怪物になるか、悪魔になるか、あるいはとてつもない神様になるかのどっちかになるわけですよ。
だから、いずれにしても、皆さんはね、やっぱり一応、いい人でいたいというふうに、少ないところ、何人のメンバーは思っていると思うんで、
やっぱりそういうときは、じゃあいい人でいたいってことは、そのコミュニケーション力を使っていいことをしたいって思うんであれば、
逆にコミュニケーションの原理原則を使うと何が悪いことを起こせてしまうのかっていうのを知っとかないと、
我々自身の免疫性を上げとかないとね、コミュニケーションの原理原則、ここは僕重要だと思いますね。
非言語コミュニケーションの重要性
高木 恵子
なんか私も子供の頃からすごい思ってたのは、自分がされて嫌なことは、だからやっぱりしない。
っていうのって、なんか無意識のうちに、だからやられたことは自分がやらないっていうのは、イコールそれが自分の表現力になりますよね。
田中 愼一
そうですね。
高木 恵子
こういうのは嫌だなっていっぱい、私なんかも子供の頃、結構、ひとりっ子とかいろいろいじめられた経験、いじめられた、
昔はね、今よりももっと大成りそうだり、なんか結構みんな子供たちでいじめとかあったけど、
だから受けたことで嫌だなって思ったことは自分がやらないっていう風になると、それが自分の表現力としてどんどん増えてきますよね。
嫌なことはやらない。
だから自分は逆に、嫌な表現をしない、こういうことが嫌だったからやらないっていうのがどんどんどんどん増えていくっていうのはありますよね。
だからコミュニケーションも、ジャニーズの記者会見の一件はあまりにも明らかな例になっちゃうけど、やっぱりやらない方がいいことはやらないっていうコミュニケーションを学ぶしかないですよね。
田中 愼一
そうですね、多分今けいこさんが言った、人からやられて嫌だと思ったものを人にはやらないっていうのは、これなかなかの知見で、
普通の人はね、嫌なことをやられたら相手に同じような嫌なことをやり返すっていうのがね、多分普通の人じゃないかなと思うんで。
高木 恵子
そうですかね。
田中 愼一
そこが、前から言ってるけいこさんの持ってる冷感のところ、冷静というかね、なんかが多分そういう反応を導くんでしょうね。
そうですかね。
それ今聞いたときに誰を思い出したかって、本田総一郎さんを思い出したんですよ。
へー。
あの人は、まあこの場でもいくつか話したことありますけども、即相手の視点に立つっていうかね、相手の立場に立つっていうか、自分を相手の身に置くんですよ。
で、すぐ考える。で、あの人はものすごい苦労してきてるんですね。
小学校しか出なくて、その後デッチ防校に出たり、いろいろなとこで実はかなり、一言で言うといじめ抜かれた。
こうなんていうのかな、経験っていうのを積み重ねがあるように、まあいろいろ慣れたら本人はすごい元気なんだけども、多分そういう経験を積み重ねてきて、
で、それはそういう人がなんでね、本当にね、上下関係もなければね、すぐこう相手の立場に立ってものを感じてくれるっていう人で、
つまりそれは今言った慶子さんモデルなんですよ。相手からやられた、嫌だと思ってやられたことは絶対相手にはやらない。
これ積み重ねでいくと、だんだんだんだん何が起こるかというと、絶えず相手から、相手の視点に立って考える修正というかができるんじゃないですか。
これ結構ね、すごくいい話だと思いますよ、今の。
高木 恵子
ほう、ほう、素晴らしい。
田中 愼一
何にしろコミュニケーションっていうのは相手を100%知れば相手を100%動かせるっていう風に、ある意味原理なんですけども、その相手を100%知るってことはほぼ不可能なんですよ。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
自分が邪魔してね、自分の思い込みとかね、でも今の話を要するにやられたことはもう絶対相手にはやらないっていう発想でそれを積み重ねていくと、
多分ね、相手を知るって相手の立場に立つっていうことがよりやりやすい。
なんかね、そういうメカニズムが出てきてるんじゃないかなと思うから、今の発想すごく面白いなと思いました。
高木 恵子
ほうほうほうほう。
田中 愼一
なるほど、さすが霊感師。
中川 浩孝
霊感情報みたいに言わないでください。
田中 愼一
霊感コミュニケーションっていうのは良いんですかね?
高木 恵子
いやー。
田中 愼一
でも別にこれはダメなんですね。
高木 恵子
霊感、でも霊感じゃないですよ。
中川 浩孝
霊感とは違いますね。
高木 恵子
違いますよね、霊感じゃない。
田中 愼一
そうかな、じゃあ感度ですかね。
中川 浩孝
感度が高い。
田中 愼一
感じ方ですよね。
僕でもそういうふうに感じる、
けいこさんみたいに、自分がやりたくないことを相手にしないっていう発想はすごく面白い発想と同時に、
どっちかというと少数派ですよね。
わかんない。
中川 浩孝
そうですか。
田中 愼一
そうじゃないのかな。
中川 浩孝
え、私どうだろう。
田中 愼一
あ、そうか、俺だけかな、ひねくれて。
高木 恵子
そんなにいじめられてないんじゃないんですか。
結構私いじめ、子供の頃とか何回いじめられてたかな。
田中 愼一
僕いじめられましたよ、随分。
なぜかというとダブルいじめを受けてね。
何が起こったかというと、まず初めローデシアっていうところに行って、
何とかなったんだけど、初めはひどかったですよ。
人種差別のいじめで。
で、えーって言ってそこをやっと乗り越えて、いよいよ日本に戻って帰国子女ね。
僕なんかは初期の帰国子女なんですね。
初期モデルはみんなつらい思いしてるんですよ、日本に帰ってくると。
なぜかというと日本に帰ってくると逆に英語がうまくなってるから、
日本語が下手になってるんですよ。
そうすると、戻ってくると、日本語がちょっと変だと、
小学生のいじめと反発
田中 愼一
その当時のですね、小学生っていうか中学生も含めて非常にね、いじめるんですよ。
だから海外に行っていじめられ、日本に戻ってきたらまたいじめられっていう、ダブルいじめですね。
中川 浩孝
その中で田中さんは逆にどういうふうに思ったんですか、そういう人たちに対して。
田中 愼一
いやそれはやり返してやろうって。
やり返してやろうって気持ちが普通じゃないですか、でも。
高木 恵子
あー、そっか。
田中 愼一
だからね、相手の下駄箱に相手の手を入れてそこを踏んづけるとかね。
高木 恵子
すごいな。
田中 愼一
で、足は速かったんでサッと逃げるんですよ。追いついてこれない。
中川 浩孝
そんなのやったらさらにいじめられるって思わなかったんですか。
田中 愼一
いや、そうでしたね、結果的にね。
中川 浩孝
そうか。
田中 愼一
だから確かに、でもそういうあれがあるからなんだろうな、多分。
やっぱり普通の感情だと反発しません?
中川 浩孝
いや、それはね、強い人の考え方だと思いますよ、基本的には。
高木 恵子
そうそう、そうですよね。だって喧嘩になるじゃないですか、やり返そうと思うと。
田中 愼一
いや、僕は喧嘩にしないですよ、逃げるから。
中川 浩孝
喧嘩して、なんか相手を攻撃して逃げるってことですね。
田中 愼一
そう、逃げるっていう。
中川 浩孝
え、でもそしたら次会った時にまたなんかやらないと。
田中 愼一
いや、だからそういう時はね。でも小学生って案外忘れるんですよね。
中川 浩孝
いやー、今のいじめはもっと陰険なんですよ、きっと。
田中 愼一
今陰険なんですか。じゃあいじめのレベルも高まってるんですね。
中川 浩孝
そう、多分ね、いじめのレベルはだいぶ違うと思いますよ。
この50年くらいでずいぶん進化しちゃったと思いますよ。
いじめの進化とコミュニケーション
中川 浩孝
だってそれこそLINEとかでね、1人だけ入ってないグループ作っていじめとかする世界じゃないですか。
田中 愼一
あれはひどいよね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
だから逆に言うと、あれもコミュニケーションなんですね。
中川 浩孝
まさにそうですよね。
田中 愼一
だからコミュニケーションっていうのは、素晴らしいもんだけっていう風に考えずに、
やっぱりね、いじめでもあれコミュニケーションだと思いますよ。
コミュニケーションの力の作用だと思います。
中川 浩孝
いや、本当に良くも悪くも使えるっていうのは本当にその通りですよね。
田中 愼一
だからいじめっていうのはやっぱりあれもコミュニケーションの問題で、
やっぱりしっかりとコミュニケーションをね、小学生あたりから、あるいはもっとね、低学年からどういうものかっていうのを。
田中 愼一
で、そういう意味では今恵子さんが言った教え、いいですよね。
人からやられて自分がね、嫌だと思うことは絶対相手にやるなっていうのは一つ。
田中 愼一
これはだって、幼稚園のあたりからそういうのをコツコツ教えていけば、
僕は相手の立場に立って考える感度っていうのができると思いますよ。
小学生って結構やっぱりまだオープンな、特に3年ぐらいまでは。
3年、4年ぐらいまで。6年になると生意気になってくるけど。
そこあたりにやっぱりちゃんとそういう教えをするっていうのは重要だと思うんですよね。
中川 浩孝
確かにそうですよね。
まあでもなんか人間と、人間だけなんですかね、嘘つくのって本当に。
なんかそこって私は、誰にもわからないじゃないですか、実際。
田中 愼一
それはね、結構面白い話ですよね。
中川 浩孝
だってなんか騙し討ちとかなんかわかんないですけど、それこそだって、
まあなんて言うんですかね、暴力的なことって別に動物の世界では当たり前なわけじゃないですか。
それこそね、まあ別に種が違えばお互い食べちゃったりするわけですから。
高木 恵子
生存競争ですね。
中川 浩孝
生存競争じゃないですか。
田中 愼一
まあね、確かにね。ただね、多分人間の騙すっていうのは、何て言うのかな。
動物でもいますよね、確か。
だって何だっけ、騙して食っちゃうのが植物にもいるじゃないですか。
こうパカーって入ってて綺麗で。
あれもある意味、騙して。
中川 浩孝
まあそうですね、擬態とかも全部そうですよね、そういう意味では。
田中 愼一
だからそれはあくまで逆に言うと、生存の中での本能の一部であって。
人間の場合はその本能とは関係なく、自分の意識の中で嘘をつくっていうか。
で、結構小さな嘘ってみんなつくでしょ。
本当に人間環境をまろやかにするためにとか。
中川 浩孝
まあね、それはありますね。
田中 愼一
そういう嘘から、本当にペテン師みたいな嘘つきとか。
高木 恵子
ペテン師、なんか懐かしい言葉だな。
ペテン師。
田中 愼一
つい口を、まあやっぱり年ですかね。
だって、非言語って面白いのは、これいつ?
昨日かな?話をしてて。
帰国子女っていうのは3種類くらいいて。
一人の帰国子女っていうのは、僕みたいな初期の帰国子女。
初期モデルと言われているもう旧型の帰国子女なんですけども。
基本は日本語なんですよ、ものを考える。言語って思考回路じゃないですか。
僕の場合は日本語で全て考えて。
昔はね、英語で考えてた時期もあったんですよ。
でもそれがやっぱり日本に戻ってきちゃって、完全に元に戻って日本語で考えるっていうのと。
家の中で、家族の中では日本語で話してたんで。
でもね、人によってはね、家族の中でも英語を話すっていうのがいたんですね。
で、いずれにしても日本語で話すっていうのは、
英語を話すっていうのがいたんですね。
で、いずれにしても僕みたいな初期モデルってのはどっちかというと、
日本語で考えて英語を発音とかはなんとかなるっていう。
で、もう一つのモデルっていうのはですね、逆で、
英語でもう全て思考しちゃって、日本語はすごく上手いっていう。
だから、日本語を喋ってると上手いな、普通の日本人かなと思うんだけども、
なんか違うんですよ。
で、そこは言葉も上手い。日本人と同じ言葉なんだけど。
上手いし、顔も日本人だし。
だから、当然日本人っていう風に見ていると、
あのね、非言語が違うんですね。
非言語が。
言語と非言語の違い
田中 愼一
で、なんか違和感があるなって思って、
みっと本人は英語で考えてるんです。
高木 恵子
なるほどね。
田中 愼一
で、今すごいのは、デュアルモデルって呼んでますね。
中川 浩孝
デュアルモデル。
田中 愼一
まあ、ハイブリッドや、ちょっと、
ハイブリッドが今言った、あのね、英語で考えて日本語上手いって人なんだけど、
ハイブリッドって、ハイブリッドっていうかね、
このね、デュアルモデルっていうのは完全にですね、
両方で考えられる人間なんだよね。
中川 浩孝
それはすごい。
田中 愼一
で、それ、場合によってね、考えてる節がある。状況によって。
どっちがより有効なのかね、
例えば、ロジカルな議論してるときは英語の選ぶんですよ。
で、もっと、なんていうのかな、わけの分かんない、こう、
えっと、なんていうのかね、
まあ、あうんの呼吸でとか、
そういう世界に入っていくと日本語で考える。
デュアルモデル。
最近ね、このデュアルモデルが増えてる。
中川 浩孝
すごい。その能力欲しいです。そういう能力。
田中 愼一
いや、だからね、たぶん、
このデュアルモデルからもっとすごく、
例えばね、
3種類の言語、4種類の言語、5種類の言語っていうのをデュアルで、
デュアルってか、同時にね、
同時多発的に使えるような能力の人間が出てきたら、
たぶんね、
まず、非言語が変わると思うんですよね。
高木 恵子
ああ。
田中 愼一
もう、全然、こう、うわーって、
非言語が変わると思うんですよね。
で、そっちはどの言語にギアチェンするかっていうぐらいになるし、
だからね、
昔、英語で考えていたっていう経験があるんで、
その時のイメージっていうのがあるんで、
それが、こう、
本当に、両方いろんな言語で日本語、英語で切り替えられてたら、
たぶん、だいぶ違う、何というか、
物の見方、感じ方が出てくるんだろうなっていう。
中川 浩孝
へー。
田中 愼一
そういう線はありますね。
中川 浩孝
面白い。
田中 愼一
だから、それが、もう即、
だから、言語の思考回路をどっち作ってるかによって、
非言語が変わってくるっていうのを発見しました。
高木 恵子
なんか、でも、
私は、あの、生粋の東京生まれの東京育ちなんで、
日本語で言うと、
私の個人的な考えだと、
私は超標準語のはずなんです。
東京弁というか、
本当に、あの、
訛りのない、
あの、標準語だと思うんですね。
で、
ただ、なんか、こう、関西に行って、
関西の、こう、人たちが周りにいると、
なんか、イントネーションが関西弁になるとか、
そう、九州に行って、お友達と、
で、九州、福岡とか、こう、まあ、その博多、ね、
あたりで、こう、行って、
耳から博多弁とかが入ってくると、
なんか、そのイントネーションにつられて、
自分のしゃべり方も九州弁になるとかね。
あと、イントネーションが、
自分のしゃべり方も九州弁になるとかね。
あと、英語も同じで、
なんか、ヨーロッパとか、
もちろん、UKに行くと、
もう、当然、イントネーション的に、
なんか、ブリティッシュイングリッシュになり、
アメリカに行くと、
やっぱり、アメリカに戻るっていうのは、
なんか、ありますよね。
田中 愼一
ありますね、完全に。
あの、あります。
一応、僕、基本はブリティッシュイングリッシュだったのが、
アメリカに行ってから、完全に、
スポイルされて、
あ、いい加減な。
中川 浩孝
そういう、悪くなったみたいな言い方はやめてください。
上下はないんです、上下はないんです。
田中 愼一
上下はないんですか、そうですか。
すいません。なんかね、
キングズイングリッシュ、
クイーンズイングリッシュ、
今、キングズイングリッシュだよな。
キングズイングリッシュの場合っていうのは、
なんとなく、なんていうんだろう、
なんか、品がないですか。
なんつったら、怒られちゃうな
すいません、今のは却下です
高木 恵子
また差別用語。
田中 愼一
うちはアメリカの企業なのにね。
高木 恵子
そうですよ、そうですよ。
田中 愼一
そんなこと言ったら、もう。
中川 浩孝
え、でもなんか、アメリカの、
英語で考えるときって、
どういう風になってるのか、私は、
私もアメリカにそれなりに長く住んでますが、
あの、やっぱりもう、
30くらいまでは日本にいたので、
そういう発想にはならないので、
田中 愼一
多分ね。
中川 浩孝
どういう感じなのかなっていうのは、
すごいなんか、体験したいっていうか、
自分の中に取り入れてみたいんですけど。
田中 愼一
6、6歳っていうか、
7歳、8歳、9歳、
ぐらいまでは、
英語で考えてたんじゃないかなと。
高木 恵子
うーん。
田中 愼一
で、その後、日本に戻ってきて、
教育を受けて、
どんどん英語を忘れていくんですよね。
高木 恵子
あ、はいはい。
田中 愼一
僕はすぐ、あの子供の時代って、
習得も早いけど、忘れるのも早い。
中川 浩孝
ほんとそうですよね。
田中 愼一
だから、どんどん忘れていくわけですよ。
で、初期モデルの特徴って、
みんなそうなんです。
わーっとこう、
英語に入り込んでいくんだけど、
その後、日本に戻ってきて、
年ね、
小学生あたりで、
あるいは中学生ぐらいで戻ってきた子っていうのは、
忘れるんですね、どんどん。
ただ、中学生だと、
まだ英語の教授が始まるけど、
小学校だと英語がないでしょ、
あの当時は、今は。
中川 浩孝
確かにそうですね。
田中 愼一
だから、忘れる速度が高くて、
で、どこでリマインドされるか、
どんどんやるんだけど、
でも、中学のその当時の教育って、
もう全然ダメでしょ?
中川 浩孝
そうですよね。
先生の発音がぐちゃぐちゃだったみたいな。
田中 愼一
まず先生の発音がダメ。
で、あと文法とか、
なんかわけのわからないね、
話す力が全然つかない。
せいぜい読む力ぐらいで、
書く力もつかない。
ひどいですよね。
で、それで、
どんどんどんどん落ちていくわけですよ。
で、ただ少なくても、
そういうことで、
単語とかそういうのはあって、
言語と性格の変化
田中 愼一
あと発音は保てるんですね。
発音はね。
でも、話すってことがどんどん落ちて、
で、それで大学に入ったりしてると、
そこで、なんか海外のね、
サークルとか、
いわゆる、僕の場合は、
交換留学を仕切ってた、
サークルに入ってたんだけど、
で、それで交換留学とか、
あるいは向こうから来たりして、
そこで英語を話す機会があって、
で、徐々に英語に目覚めてくんだけど、
完全に忘れ去りますよね、
小学校の時の。
一番英語の発想できるようにするっていうのは、
やっぱり、幼稚園か小学生の、
小学年で向こうに行って、
そこでずっとしばらく、
高校までいれば、
多分、
デュアルに近いんじゃないですかね。
そうなんですね。
小学校、中学校、高校っていうのが、
やっぱりでかいですよね。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
そうなると、完全にもう、
そうですね、
あとは、家族の方針で、
家族でいる時は、
日本語を話すっていうことをするのかもしれない。
これ本当、家族によって分かれるんですよね。
中川 浩孝
でも、デュアルモデルになるには、
どうすればいいんですかね。
何が違ったんですかね。
田中 愼一
なるっていうもんじゃない、
結果としてなってるっていうことだと
思いますよ。
高木 恵子
なんかでも、やっぱり環境に、
環境ってすごい左右されますよね。
環境が。
だから、なんかデュアルでいられる環境に
自分がいると、
やっぱり簡単にデュアルモードになるんじゃないのかなって思いますけどね。
田中 愼一
だから、英語で考えないと歯が立たないっていうか、
日本語で考えないと歯が立たないかっていう、
その経験が積み重ねると、
徐々に、この時は英語で考えよう、
この時は日本語で考えようっていう話になってるんですよ。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
そうですよね。
中川 浩孝
面白い。
高木 恵子
私も1年ちょっとでしたけど、
イタリアに住んでいて、
それは大人になってからいたんですけど、
で、ほとんどイタリア語がわからないで、
イタリアに行って、
イタリアに行って、
とにかく生活しなきゃいけないから、
イタリア語を学んだんですけど、
その、
イタリア語という、
その語学が分かり始めると、
どんどん逆に、
イタリア人と喧嘩をばっかりしてたんですよ。
田中 愼一
なるほどね。
高木 恵子
喧嘩っていうのは、
自分の意見とか、
自分がこうしたいっていう意思を言わないと、
何も自分が変わらない、
自分がやりたいことができない、
っていう環境に気づいて、
これはだから、
自分で言わないと、
自分が例えば、
こっちに行きたいとか、
これが欲しいとか、
とにかくちっちゃなことでも、
ちゃんと言わないと、
それが達成できない、
っていうことが、
別に言語だけじゃなくて、
言語がうまく使えたとしても、
もうそのタイミング、
そのタイミングですよね。
この時にばって言わないと、
もうそこで、
自分がもう通じなくなっちゃう、
みたいな、
だから言葉だけじゃなくて、
そういうモードでずっとイタリアに住んでたら、
逆に私だから疲れちゃったんですよ。
で、
あ、私やっぱり日本人だって。
田中 愼一
日本人だって。
高木 恵子
すごいなんか、
もちろん英語圏でも、
住んではいなかったですけど、
いろいろ仕事で定期的に行ってた時とか、
あるんですけど、
いやー、もうイタリアで生活するの大変だな、
ちょっともう疲れるなと思って、
やっぱり日本に帰ってきちゃいましたね。
学校が終わって。
田中 愼一
なるほど。
でも、確かにね、
例えばアメリカにいるときに、
家族同士の付き合いがあると、
向こうの家に行って、
あるいは向こうの家に来たり、
それで行くとですね、
向こうの小さい子、アメリカ人のね、
小さい子が駄々こねたりなんかしたりするときに、
母親がですね、
質問するんですよ。
こと細かく。
なんで泣いているの?と、
何が欲しいの?と、
何が一体あなた気に食わないの?
そこをね、言うんですよ、いろいろと。
それがね、
本当に言葉で、
明確に言うんですよ。
日本人のお母さんって、
逆にもう言葉なく、
行動が先に出てきてね、
何やってんの?パンパンパンって、
こういう感じがあるんだけど、
アメリカのね、家族、
その家族が特別ってわけじゃないと思うんだけども、
お母さんがですね、
言葉でね、
正すんですよ。
何がやりたいの?なぜ泣くの?
どうして欲しいの?
何なの?っていうのをね、
言葉でね、相手の顔をじっと見てね。
だから子供の方も、
威圧されて、
それでも反発する子もいるけど、
でも威圧して、
で、
つまり表現させようとするわけですよ。
高木 恵子
はいはいはい。
田中 愼一
これはね、結構、
日本との違いっていうのは、
高木 恵子
そうですね、そうですね。
田中 愼一
あるから、だから、
表現をとにかくしなさいとね、
わわ泣いてるだけじゃなくて、
だだこねてるだけじゃなくて、
言葉の重要性と表現方法
田中 愼一
あなたは一体何でだだこねてんの?
表現しなさいというのを、
今のね、
恵子さんのイタリアでの経験の話を聞きながら、
ちょっとイメージしましたね。
高木 恵子
そうですよね。
日本のお母さんって、
怒るか、ほっとくかですよね。
そうそうそうそう。
子供が泣いちゃったりすると、
怒るか、ほっとくんですよね。
ほっとくかね。
で、何で泣いてるの?っていう感じで、
あんまり、そういう風にね、
されてる、もちろんお母様とか、
いっぱいいると思うけど、
なんか、そうだな。
田中 愼一
で、多分アメリカなんかで、
そういうシーンを見ると、
本当に質問してるというより、
質問してね、
それを知りたいというよりも、
子供に表現させるっていう意味合いが、
実はすごくあるんじゃないかなと。
高木 恵子
なるほど。
中川 浩孝
でもそれによって、
多分落ち着くんじゃないですかね。
結局、うわーって感情的になってしまっている、
頭を理性的な方にさせるっていう。
田中 愼一
それはそうかもしれない。
やっぱり言葉で表現しようとなると、
やっぱり言語の世界になってくるから、
当然だから感情では、
どうにも説明がつかない。
だからそういう形で出てくるんでしょうね、
言語で。
中川 浩孝
正しい、だから、
感情を抑えるために正しい方法。
田中 愼一
正しい方法。
だからそういう意味では、
確かに感情を抑えるっていう意味での
効果はあるのかもしれないですよね。
だからそうなると、
子供の方もね、
そこをしっかりと表現しないと、
痛い目に遭うというかね。
結局、自分の思った通りにならないっていうのを、
原体験として、
その年に経験していくと、
徐々に自分はちゃんと表現しないと、
逆に自分にとっては不利だっていうのを、
自然に身につけるんですからね。
中川 浩孝
面白い、面白いですね。
なんか私の場合は、
これちょっとなんか、
個人的な例すぎるかもしれないんですけど、
私は日本育ちで、
でもアメリカの会社に入って、
こう仕事で、
英語を使う機会がすごく多くてっていうところで、
英語を使うことが増えたんですけど、
日本語とやっぱり、
英語の発想も違いますし、
話の展開も違うし、
それこそ、
ちゃんとポイントをはっきりさせて、
最初の方に結論言うとか、
そういうポイントを絞ってとか、
っていうのって、
英語的な話し方だと思うんですけど、
そういう意味では、
私、性格が変わるんですよね。
日本語で喋るときと、英語で喋るときと
日本語とは引っ込み思案
な感じになるんですけど、
英語の場合はやっぱり前に出ないと、
誰も聞いてくれないし、
何言ってんだかこいつ何言ってんだって感じになっちゃうので、
もう私が言いたいことはこれですっていうのを、
すごいはっきりさせないと、
聞いてくれないし、
理解されない。
で、そう思ってずっと英語でも、
言語とコミュニケーション
中川 浩孝
そういう話し方をしてきたつもりなんです。
で、仕事ではそれでよかったんですけど、
こっちに住むことになった時に、
私のこれは個人的感想かもしれませんが、
カリフォルニアの人って、
意外とこうね、
あのー、
強く言わないんですよ。
なんかね、
結構表面上でみんな仲良くしたりとか、
あんまり喧嘩したくないなっていう感じが伝わってくるんですよ。
田中 愼一
なるほどね。
それはわかる。
中川 浩孝
表面上でうまく付き合いたいと思っているので、
あんまりこう、
うわーって感じにならないんですよ。
で、
仕事上でずっと使っていたので、
それでも大丈夫だったんだけど、
住むようになって、
仕事で使う環境になった時には、
そういう感じでうわーって言うとは、
なんかこの人うわーって言ってるなみたいな感じに、
ちょっとなんなっちゃうというか、
っていうことをすごい感じたので、
またそこでこう、
一回こうステップバックして、
またちょっと日本人的なというか、
うまくやりましょうみたいな感じに、
ステップバックしたっていうのが、
私の中ではすごいあるんですよ。
高木 恵子
へー。
中川 浩孝
なので、仕事の英語と、
普通の一般会話の英語も全然違うっていうのを、
すごい私は学びましたね。
田中 愼一
仕事はね、はっきりと格闘技ですよ。
英語は。
で、基本的には、
地元というか、
周りのね、プライベートの空間ではもう、
なんて言えばいいのかな、
表現が分からないけど、会話ですよね。
どっちかで対話じゃなくてね。
向き合って対話するっていうんじゃなくて、
みんなでこう、会話するっていう、
そういう雰囲気が、
アメリカに僕も住んでた時は、
確かにそこはあったですね。
中川 浩孝
うん。
田中 愼一
それはあったな。
中川 浩孝
それだけの問題じゃないんだなっていうのも、
すごい感じたんですよね。
田中 愼一
でもね、性格が変わるっていうのは、
非言語表現ですよ。
中川 浩孝
そうですね。
高木 恵子
確かに、確かに。
田中 愼一
だから、自分の性格が、
うわーって出てきちゃうわけですよ。
周りが、あいつ性格変わったなっていうか、
結構非言語になるわけです。
だから、性格が変わるっていうのが、
すごくいい表現で、
そう、英語でやってる時と、
日本語でやってる時は、
確かに性格は変わる、
そうか、言えるか。
中川 浩孝
やっぱり変わるんですけど。
高木 恵子
でも、やっぱりだから、
言葉ってコミュニケーションのツールだから、
その、
こうしないと伝わらないって分かれば、
そういう話し方、
そういう、なんていうんだろう、
口から出る言葉とかって、
そうなりますよね、結局ね。
田中 愼一
そうね、はい。
高木 恵子
だからやっぱりツールだから、
そうしなきゃいけないっていうので、
自動的に、
やっぱり変わるというか、
変えてるんでしょうね、きっとね。
田中 愼一
変えるでしょうね。
確かにそうだな。
日本人に対するのと、
アメリカ人に対する、
非言語、全然違うもんな。
高木 恵子
うん。
中川 浩孝
で、犬と猫にもまた違うんですよね。
田中 愼一
違うんですね。
人と向き合うのと、
犬と猫で向き合う
田中 愼一
犬と猫で向き合うのも、
やっぱり非言語違うんでしょうね。
だから、多様な非言語の選択肢を持ってるっていうのは、
重要だな。
中川 浩孝
確かにそうかもしれないですね。
田中 愼一
ある意味、多重人格じゃないですか。
多分ここでやったけど、多重人格。
多重人格っていうのは、
多重な性格があるってことですよね。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
人間は自分の中に、
いろいろな多重な性格を持ってて、
で、それがどの言語で話すのか、
考えるのかとか、
自分の気持ちとか、
相手次第とか、
いろいろなところで、
自分の人格っていうのは変わるんでしょうね。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だから、やっぱり多重人格なんですよ、人間は。
中川 浩孝
前の回答がここでやっと出ました。
田中 愼一
やっと出ましたよね。
やっぱり、だから、
そこを取りもっているのが、
非言語コミュニケーションになりましたよね。
中川 浩孝
うん。
田中 愼一
だから、もっと言い方変えると、
自分の多重人格の一つ一つをですね、
しっかりと作り込んどくと、
明確に、
怪人20面相になれるということですよね。
高木 恵子
ああ。
田中 愼一
相手次第で、言語次第で、
自分の性格、
変わった自分の性格を出せるっていう。
中川 浩孝
そうですね。
もっと言うと、だから言語の中でも違う、
人によって違うのかもしれませんよね。
田中 愼一
まあ、そりゃそうですね。
人によって違うんでしょうね。
だから、絶えず自分の違った面というのを、
自分自身が理解しておく、
っていうのを意識するって結構実は重要なのかもしれない。
だから自分の多重人格性を意識する。
これね、
実は結構鍵かも。
いや、僕ね、多分そこあたりが結構、
重要かなと思いますね。
自分の人格を演出するっていうか、
出すのか出さないのか。
で、それをするためには、
自分がどれだけの人格を持っているのか、
整理整頓しておかないといけない。
中川 浩孝
そうですね、確かに。
田中 愼一
で、人格ですから、
もう思いの方は固まっているわけですよ。
それを演じるとかなりきるじゃなくていいんですよ、
人格だから。
人格だと自然にもう非言語が、
一致してくるわけですよ。
多重人格と柔軟性
高木 恵子
うんうん、そうですね。
田中 愼一
だからいかにそういう多重人格を自分の中に持つか。
そうすると、そういう多重人格を持つとですね、
たぶん何がね、
高まっていくかというと、
柔軟性が高まっていくんだと思うんですよ。
高木 恵子
なんかわかります、それ。
田中 愼一
フレキシビリティ。
高木 恵子
うんうん、確かに。
田中 愼一
これは言えると思うな。
柔軟性が高まる。
柔軟性が高まるっていうことはですね、
変なとらわれとか思い込みとか、
好き嫌いとか偏見とか、
そういうものから少し自由になれる。
だから、
気分的には楽になる。
もっと言うなら、
楽になるところからだんだん楽しくなる。
楽しくなるところから
だんだん快感になる。
そうすると、
24時間365日、いつでも快感です。
いかがですか、そういうの。
高木 恵子
快感になるかどうかはわからないけど、
楽に毎日が過ごせるかもしれませんよね。
あんまり怒ったり、
イライラしたり、
あんまり感情が浮き沈みがないかもしれない。
中川 浩孝
そういうモードが変わるというか、
自分の中で今日は怒ってるけど、
これは怒ってるモードの自分だからとかって考えれば、
気が楽になるかもしれないですね、確かに。
田中 愼一
そうそう、そういう感じですよ。
要は自分を客観視する。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
これはね、結構面白いかも。
高木 恵子
うん、
面白いかも。
田中 愼一
あの、結構これいいかもしれないですね。
多重人格の勧めって本でも書きません、みんなで。
だって本当にね、自分を客観視するってすごく重要なんですよね。
高木 恵子
そうですね、それは確かに。
田中 愼一
自分を客観視することがある意味あれですよね、
自分自身が楽になる。
主観だとつらい。
中川 浩孝
それはそうですね。
高木 恵子
それはよくわかる、それはよくわかる。
田中 愼一
まあね、そうですね。
自分が直接傷つくような感じになりますから。
高木 恵子
ああ。
田中 愼一
主観でいくと。
だからいかに客観に持っていくことが、逆に言うと、
心の悩みとか辛さとか、そういうものをするっていうことなんでしょうね。
そのためにやっぱり自分の中にいる性格っていうものを
やっぱりしっかりと意識していくっていうのが
実は自分を客観視する一つのステップってことでしょうね。
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