1. すぽきゃすTV
  2. 第80回 よしもと1のテニス芸人..

芸人として生きていく覚悟には時として笑いだけではなく、厳しい判断や別れがあった。
そんな苦い経験を積み重ねながら全てを『お笑い』というセンスに変えていく。
現在テニスイベントには欠かせないキャラクターを確立し、ひっぱりだこの存在に。
見た目の面白さだけではなく、テニスが大好きな芸人であるからこそ、
テニスに関わる全ての人に愛されるバモスのユーモアと人望も感じるお話。





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五代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。この番組は、スポーツを通じて、人々の健康生活の実現を目指す、五代グループの提供でお届けいたします。
はい、すぽきゃす第80回目。とうとう80回目になりました。皆さんのおかげで、これだけ続けさせてもらっています。
なんとこの記念すべき80回目、まさかのですね、とうとう芸能人が僕の前に来てもらいました。僕も超今日嬉しいです。
テニス芸人のバモス渡辺さんです。よろしくお願いします。
バモス渡辺です。バモス!
いやもうめちゃくちゃ今日僕テンションちょっと上がってて。
実は今日先ほどありがとうございました。五代スポーツアカデミーの学生と練習に混ざってもらったり。
逆に僕も急遽打たせていただいてありがとうございます。
いやこちらこそもうありがとうございます。もうあのー、五代博楽にこうやってふーっと現れた時のこの今ね、皆さん写真で見ていただければね。
もう知ってる方はね、ご存知のね、ヴィオンボルグ。ヴィオンボルグ。
ヴィオンボルグなのか、ヴィオンボルグなのかっていうところの。
ヴィオンボルグとしてやっておりますけどね。
この腕たちがあそこに現れた瞬間に来たなっていうところで、うちの学生もなんかざわついてて言ってなかったんで。
なんかみんなこうやってチラチラ見てるっていうので、僕も気づいたんですよ。なんかみんなチラチラ見てるなみたいな感じのところで。
今日あのあれですか、この格好で電車乗ったわけじゃないですよね。
この格好であのー、スポールしながらおりまちからやってきました。
嘘でしょ。
本当です。もうこの格好で着替えずに。
あのこれポッドキャストなんで多分聞いてるだけだと分かんないと思うんですけど。
あのー、ラジオ収録なのにあのー、全身衣装で着てる。
全身衣装で着てる。
これはちゃんとあのー、動画でも写真でも載せるのを掲載するんで。
ありがとうございます。
これはもうほんとね。
でもあのー、もうすでにこのポッドキャストを聞いてくださってる方とですね、
テニスが好きなまたちょっと後代に今カニさんの興味ある方って、
バウスさんのこと見てる人知ってる人も結構僕多くなってきてると思ってて。
本当ですか?
いや多いと思うんですよ。
だって、でも今あのー、イベント結構やってますよね。
そうですね。もうありがたいことに、あのー、まあコロナもちょっと落ち着いてきて、
でその緊急事態宣言も明けて、からもう東京行って、神奈川行って、千葉行って、静岡行って、新潟行って、で昨日まで大阪。
すごい。
で今日ちょっと博楽にお邪魔させていただいて、で今週土日にまた沖縄行って、
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でその翌週には次は和歌山に行かせていただくっていう形で、
もう今全国つつつうらうらいろんなテニスイベントにお邪魔させていただいております。
やばいっすね。もうバモスフィーバーっすね。
バモスフィーバーだと嬉しいんですよ。こうやってもう僕つつうらうらイベント呼ばれて、
でかつ僕この芸風がもうイタリアにつき始めて2年くらい経ったんですけど、
でもまだ2年ですか?
そうなんですよ。
いやもう結構ちょっとやってる感じが個人的にはするけど、
そうなんですよ2年。
でしかもこの2年の間に僕テレビ6本出てるんですね。
それなのに全然まだブレイクしてないっていう。
そうなんすよ。意外と僕テレビにも6本出てて、
で実はまだここでは言えないんですけど7本目も決まってて、
ちょっと近々発表するんですけど、
もうそれだけイベントも呼ばれてテレビにも、
普通芸人ってなかなかテレビ出れないものなんですよ。
10年経っても出れない。人は出れないし。
そんな甘い世界じゃない。
甘い世界じゃないのに僕がこの芸風にしてから2年の間に6本出る。
持ってるんですね。ピン芸人として。
なんですけどまだブレイクしきれてないという。
何が原因でしょう?
いやこれはまだね世の中が気づいてないんでしょうね。
気づいてない?
気づいてないです。まだね。
僕なんかの一番最初に見たのは、
初めましてってどこでお会いしましたっけ?
いや多分初めてお会いしたのはあれですよ。
スポルができた時だと思うんですよね。
ペラ落としとかそういった時に、
イベントでお会いしてるとか。
その間に増田健太郎さんのところの年末にやる
ヒートジャパンとかでもお会いしてるんですけど、
お会いしてるのはそこが一番最初だな。
2年前ですね。
そういったところだと思うんですよね。
でも僕その前に有明で会場にいた時ありません?
それ毎年なんですよ僕実は。
楽天ジャパンオープンは1週間この衣装で練り歩くっていうのをやってまして。
その練り歩いてるのをその前に見てる記憶があるんですよね。
だから。
厳密には年の終わりくらいに言ったらこれをスタートしたんで。
実践3年目にはなるんですけど、ほぼ1年目って
ほぼ無償で京都に行ったりとか岩手に行ったりとか。
06:01
とりあえず自分のこと知ってもらわないと何も始まらないと思って。
こういうゲフ始めました。興味ある方一緒にテニスやりましょうって最初言って。
声かけてくれたところに全部無償で行って。
言ったら営業ですよね。こういうのやり始めてるんでぜひ使ってくださいっていうので。
1年目は本当に何の仕事もなくて。
2年目の時ぐらいにスマッシュさんだとか。
あとは僕高校テニスの副応援団長っていうのをやってまして。
いわゆるちょっとしたマスコットキャラやらせていただいてまして。
その仕事が入ってきたりとかして。そこから急に露出がバーって増えて。
そこからですね。1年目は本当にもう衣装で有明歩いてても
あの人何?みたいな感じだったんですけど。
日本ってね。たぶんバモスさんがグランドスラムの会場歩いてたら
たぶんすげーみんな寄ってくると思う。
ありがたいことに。僕今グランドスラムの4つ中3つ行ってるんですね。
何?
3つ行ってるんですよ。っていうのもボルグ本人を見つけ出して
モノマネの公認をもらおうっていう。自分の中で何の仕事でもない悪ノリなんですけど
で、僕行ってました。あとはウィンブルトンだけ行ってないんですけど
ウィンブルトンって難しいでしょ。
そうなんですよ。チケットがまず難しい。
並ばないと。
なんですけど、過去の中で僕例えばローランギャルス。ボルグが6勝してるんですよ。
行った時はスターが帰ってきたっていう風にもう初日入って1時間以内に
9本もう現地メディアとか撮影とかされて1時間くらいで
俺もう売れたーと思うんだけど
俺拠点パレに移そうかなくらいの勢いでもう
本当に気持ちのいいくらい
もう1個の多分どっかのインタビュー受けてる時にもう次のが待ってるんですよ。
僕のインタビューするために。何このレッコキムみたいな。
で、もうその時にはテレ東さんとか日本のメディアとかも僕に取材してくださって
もうただやっぱりボルグ帰ってきたけど太って帰ってきたみたいな感じで
外国の方ってやっぱ僕みたいなみたいなすごい面白がってくれるんで
ボルグなんで太って帰ってきてんだよみたいな感じで
すんごい盛り上がって
あとウィンブルドンだけ行けば一応グランドスラム
で、あと僕オリンピックの2020年のチケットも2回当たってるんですよ
テニスの?
09:00
全部メダルが空の日に
なんでそれも行ければゴールデンスラム達成っていう
それはぜひ叶えてもらいたいですよね
テニス好きのご主人たちいっぱいアカシアさんマさんとかいらっしゃいますけど
サンマさんですら成し遂げてないと思いますゴールデンスラム達成というのは
なんで芸人史上初のゴールデンスラム達成まであと一歩っていうところまで
もう来ているから
さすがここまで来たらやるしかない
ここまでキャラクターを作り上げてきて
もう本当にそういった足を運んで
いわゆるVタイ業もしっかりやって
巡業みたいな気持ちで
今それでこのシニカルな国日本がもともと冷ややかな目で
何あの人みたいな感じで見る
日本ってちょっとそうじゃないですか
喜んでくれる人もいるけど海外から比べると
海外はみんなわーみたいな感じで受け入れてくれたりっていうのがね
僕も海外のそういった雰囲気をグランドスラム見てたりするとあるんですけど
なんか僕は今日本でもその雰囲気が
結構バウンスさんに来てるなっていう感じが
本当ですか
やりすぎるんですよ
やっぱりみんな見てて信用ができててやり続けてるっていう
そういったものが積み重なってるなって個人的に客観的に
僕はそういった世界は正直素人なんで分かんないですけど
客観的に見ててみんなが見てて
おなじみのっていうのが安心感が出てきてるんじゃないかなっていう
驚いたグランドスラムって驚いたのが
向こうはジュニアたちがわーボログルとか
言ってくれるんですよ
なるほど
でもやっぱ日本だとジュニアって僕本当に認知度
認知されてないです僕ジュニアたちから
誰なんだろうってなっちゃうんですよ
僕のファン層って基本40代より上の人たちなんですね
なるほど
会場とかで練り歩いててよくおじちゃんたちから話しかけて
君渋い格好してるねみたいな
もしかしてボログルみたいな感じで
会話が盛り上がるのって基本その年代の方たちで
なるほど
ジュニアたちはよくイベントで変な太っちょが来たけど
みんなで力合わせてバウンスを倒そうみたいな感じで
盛り上がったりはするんですけど
ボログルのモノマネしてる芸人が来たから盛り上がるっていうのは
ちょっとまだ日本だとちょっとまだまだかなって感じが
やっぱりしちゃってて
なるほど
じゃあでもその今バウンス渡辺という存在が
いわゆるボヨンボルグっていうビヨンボルグを
フォースさせる姿で
歩くことによって
ジュニアたちがビヨンボルグっていう人を知るきっかけになりますよね
そうですよ
12:01
僕が結構考え深かったことがあって
楽天でやり歩いてた時に
多分息子さんとおじいちゃんが一緒に観戦に来てて
地方から来たとおっしゃってたんですけど
おじいちゃんは懐かしがってくれたし
僕のシルエットを見て
君よくどね持ってるねみたいな
で男の子は
これテニスのラケットなの?みたいなことを言ってて
ドラケットは多分見たことなかった
それでおじいちゃんが息子さんに
昔はねって言って
僕のラケットどねを説明してて
おじいちゃんたちがこうやって木のラケットでね
こういうショートパンツ履いてねやってて
すごい楽しそうに息子さんに話してる
その絵を見て
なんかただ僕はお笑いとしてやってるけど
なんて言うんですかね
ちょっと言葉に表せづらいですけど
なんかおじいちゃんもすごい嬉しそうに
昔のことを思い出しながら
息子さんに伝えてて
息子さんも昔こんなんでやってたんだみたいな感じで
おじいちゃんちょっと変な格好でやってて
おじいちゃんちょっと変な格好でやってたんだねみたいな感じで
キャッキャッキャやってて
もっと頑張ろうってそこで思いました
元々のそういった形で
喜んでもらおうとか楽しんでもらおう
笑ってもらおうっていう
そういったところに
いわゆる副産物というか
そういったものがついてきてるっていう
気づいたりとかっていうのがあるわけですよね
やっててやりながら
その方達の登場ってね
もう本当に練り歩きとか
いろんなところに行って
からやっぱり
このキャラやっててよかったなって
やっぱ思うことの方が多いですね
2年こうやってやり続けて
3年目に突入して
っていうところで
これからのっていうところはあると思うんですけど
これからのっていうところ
未来のっていうところも
後でどんどん聞いていきたいな
とは思うんですよ
でも僕も本当に今日
まず最初に聞きたかったのは
バモス渡邊が
なぜテニスっていう芸人の道を選んだのか
そこをまずなんかね
ここだけに引っ張っちゃったんだけど
僕マジでぽっとでなんで
急に出てきた感がすごかったと思うんですよ
当時っていうか2年前にした
元々僕東京吉本の15期生
15期生なんですか
同期がすごい売れてるやつばっかりで
15期生って誰?
例えばおかずクラブとか
横沢夏子
最近だと鬼声トマホークっていう
喧嘩して止めるっていうクラブの
15:00
だとかM-1と
キング・オブ・コントのファイナリストのニューヨークとか
あとマテンロー
アントニーっていうハーフ芸人の
あとはサックスを吹く西村ひろちょっていう
ピン芸人がいたり
もう鼻の15期って呼ばれるぐらい
同期が大活躍してる
当たり年みたいな感じなんですけど
僕も実は元々7年間コンビで
そうなんですよ
劇場のピラミッドライブに出ては
ネタを磨くみたいな形で
ずっとやってて
関西とかのちっちゃな
コンテストとかだったら
300組中15組に残ったり
決勝まで行ったりとかってのがあったんですけど
何回か
でも入賞はできないみたいなのが
最後4年ぐらい続いて
コンビは限界だなって感じたりして
解散しようかってなってから
今でも覚えてるんですけど
ベローチェっていうカフェで
相方と2人で
今日お互いに解散話が出るなって
お互い分かってお互い集合してるんですよ
そのカフェに
そしたらアンドジョー解散話が出て
そうだよねってなって
解散になりますって決まったときに
相方がプッと
テニス好きだから
テニス活かした芸人になればいいんじゃないみたいな
ってノリで言ってきたんですよ
実際に先輩とかと一緒に
昔テニスやってて
今はやってなくてもいいから
一緒にテニスできる後輩とかいたらやろうよって
島蔵絶さんっていう
先輩いらっしゃってて
島蔵さんがテニスできる芸人探してるって聞いたんで
僕高校時代テニスやってたし
もしかしたら
練習相手になるかもしれないと思って
島蔵さんにつなげてもらってから
島蔵さんテニスっていうのに
お遊びで呼んでもらってて
そういったのもあったんで
その相方が
テニス活かした芸人でもやればみたいな
って感じでテニスかーって
確かにテニス芸人って言ってる芸人はいなかったんで
確かに新しいジャンルっちゃジャンルかなみたいな
感じで
でもやるんだったら
誰かのテニスっぽい格好してやったほうが
テニス芸人って言いやすいだろうなって思って
その解散が決まった相方が
どんなのがいいと思うみたいな感じで
島蔵さんとかの写真も見つつ
島蔵さんが言ってた言葉がスッポッと思い出して
18:01
島蔵さんテニスの西小里圭君のモノマネされてるんですけど
圭君がウエアとかシューズが変わるたびに
島蔵さんも毎回変えてたんですよ
ラケット変えたらラケット買う
お金がついていかないよみたいなすごい言い方を
ふと思い出して
なるほどねと
現役選手のモノマネをすると
ラケットとかが変わるたびに
自分も変えなきゃいけないから
なるほど
じゃあ現役は辞めるかってなって
テニス往年って調べたら
真っ先にボルグが出てきたんですよ
この人なんか特徴男でロンゲでバンドしてて
モノマネしやすそうだから
この人やってみようかなみたいな
ノリで始めたのがボルグだった
そうなんですね
なるほど
レジェンド一回やっちゃえば
衣装一回揃えれば
変わることがないからなくできると思って
調べた
一番上に出てきたのがビヨンボルグ
ビヨンボルグ
面白いっすね
その
たまんないのが
解散するっていう
いわゆるある意味
カップルの別れじゃないですか
そうなんですよね
そこで一緒に
俺次何がいいかなって
次だから
言ったら彼女と別れて
元彼女の前で
次の彼女ってどういう彼女がいいと思う
みたいな話をしてるくらいの
感覚っすよね
相方さんも
前向きっすね
そうっすね
僕の良さを活かしきれないっていうのは
ずっと言ってくれてて
すごいコンビ合っすね
だからずっと
くすぶってるっていうのは
周りからも言われてて
なんで売れないんだろうねとか
ほんといろんな
売れてる超レコだったり
例えば井上マーさんとかに
ネタを見てもらって
いろんなネタライブに
かけたりとかして磨いて
ずっとやってたんですけど
なかなか目が出なくて
あの時はお互い何も言わずに
今日解散ってなるなっていうのが
分かって集まって
案の定解散だったんで
そっからですね
でもやっぱりそういった
いろいろと聞くと
いろんなドラマがあって
やっぱり
いろんなドラマがあって
このポッドキャストですね
スポキャストもいろんな方達のですね
バックボーンなんかを
聞かせてもらってて
まさにその
高校生の時にテニス
言われたじゃないですか
それは高校の部活で
テニスやってたんですか?
そうですそうです
僕小中と小学校の時に
ソフトボールをしながら
ラグビーを習ってたんですよ
ラグビーをしながらラグビー
21:01
小中で?
それは小学校の時
小学校の時が
クラブでソフトボールとラグビー
そのままラグビーの推薦で
中学
ちょっといい所に入れそうだったんですけど
僕タックルがすごい嫌で
ラグビーやってて
痛いんですよタックルって
嫌だって思って
ラグビーやめたいって
ずっと言いながらラグビー活かされてて
そのラグビーは?
僕やっぱり固いが良かったんで
もともと
すんごい他の仲間たちが
パース回されてるんですよね
渡辺に
あいつタックルすごいするから
それは自分は嫌だったんですよ
中学に行ってまで
ラグビー嫌だってなって
その推薦みたいなのを蹴って
中学に入ってバレーボールを
始めまして
バレーなんだ
ドハマりして
Vリーグ見に行ったりとか
全日本の試合は全部見たりとか
山から世代
結構
ハマりやすい性格
そうですね
超熱しやすく超冷めやすい
ここでバレーボールで
そこまでも見に行く
ハマるっていうところで
ここで
ネットを挟むスポーツには
興味を持ってる
バレーボールも
この時の顧問の先生が
今でも覚えてるんですけど
渡辺くんが入らなかったら
うち配分になる
すんごい言われたの覚えてる
5人しかまだ
新入生が集まってないらしくて
このままもう1人入らないと
配分になっちゃうから
渡辺くんが入っちゃう
それがしぶしぶ通ってるうちに
バレーが好きになっちゃった
っていうのはすごい覚えてます
なるほど
そこのバレーの
やったら楽しくてっていう
そうですね
きっかけは頼まれたっていう
そこからバレーがすごいこうなって
3年間ハマって
ハマりましたね
でもそこまでハマって
さっきは冷めやすいって言ってましたけど
高校になったら
バレーはテニスになったと
そうそう
でもこれにもちゃんと理由があって
高校に行ってもバレーはしたかったんですよ
実は
なんですけど僕が行った高校っていうのが
女子バレーはあったんですけど
男子バレーがなかったんですよ
なるほど
でも高校時代は
部活やっとかないと
就活とかに響くからみたいなのを
最初ふわっと
同級生同士で話してるのを聞いて
高校ってやっぱり部活はマストで
やってた方がいいんだなみたいな
24:01
じゃあどうするよと
でもやりたいバレーもないし
だったらなんか所属してるだけで
楽そうな部にしようみたいな
友達と言うたら悪ノリというか
でパッていろんな部を見て回った時に
テニス部だけ
2人しかいなかったんですよ
3年生1人2年生1人
でしかもその2年生も
結構なんかヒョロヒョロとして
大人しそうなもの静かそうな人で
絶対テニス部楽じゃんみたいな
テニス部入ろうぜみたいな
当時部活やる気がなくなっちゃってたんで
バレーがなかったんで
テニス部楽そうじゃねみたいな
って言って入っとれば
テニス部だったんですよ
楽だから
楽だしテニス部って言っとくだけで
部活行かなくて良さそうじゃね
あの先輩だったらみたいな
結構アホ高校に僕行ってたんで
これ絶対楽っしょみたいな
じゃあそれで雰囲気で
そういうだから
部活に所属しておかないとと
でも男子バレー部ないし
女子だけだから
とりあえずテニス部になったと
でなんで
それで
続けテニスって
ちゃんとみんな
先輩が2人しかいなくて
友達と悪ノリになって
ラケット握ったことがまさに
でどういう3年間を送ったんですか
そこで実はいろんな
自分の中の成長というか
まず
僕今まで
ソフトボール、ラグビー、バレーボール
チームスポーツしかやったことなかったんですよ
そうですね
ソフトもラグビーもバレーボールも
初めての個人の
ソフトもラグビーもバレーボールも
初めての個人スポーツがテニスだったんですよ
僕にとって
しかも僕らの世代で
一気に14、15人入ってきて
中学時代にソフトテニスやってたみたいな
経験者いわゆる
が5、6人いたんですね
言うたら僕やる気ないくば
悪ノリでテニス部入ってるんで
いざ練習始まりますよってなった時に
ソフトテニス経験者が決めてくるわけですよ
思いっきりパコーンって
それが悔しくて悔しくて
しかも言うたら
初の個人スポーツだったんで
ミスったりポイント取られたら
全部自分のせいじゃないですか
なんだこの悔しさだと
ってなって
めちゃくちゃ火がついちゃったんですよこれで
こいつら見返してやろうみたいな
感じで
個人スポーツってこんな面白いのかなと
ポイント取っても自分のもの
自分が作り出したポイントだし
こんな気持ちいいことあるみたいな
今まではバレーだったら
自分がどんだけ調子よくて
ボール拾っても
27:01
スパイカーが決めてくれなかったら
チーム負けるしみたいなあったけど
個人スポーツって
自分が頑張ったら頑張った分
勝てるみたいな
っていうのを気づいて
部活がだいたい
お昼10時から夕方まで
とかだったんですけど
始発で土日や学校に行って
ずっとサーブ練して
部活が始まるまでの間
で、あとは部活が終わって
帰ったらもう
アルバイト
新聞配達とかもして
いいラケットが使いたいみたいな
いいシューズ履いて
テンションやりたいとか
熱がすごくことになっちゃって
もうテニス出しても
当時4試出てて
全部買って
好きな選手の特集とかは
もうそのハサミで切り抜いて
ホッチキスで止めて
それを部活に持って行って
見ながらやるとかしてて
もう止まんなくなっちゃいました
テニスがその時
それで部には
先生やコーチっていう存在は
教えてくれました?
素人の先生を2人
テニス始めましてみたいな
始めました
じゃあ別に先生も
テニスを教えてくれるわけでもなく
先生もひたすらボール出しだけしか
できないような
感じの先生
すごくいい人であったんですけど
でも僕の中で
結構テニスって
感覚なスポーツあるじゃないですか
なんでも100分は
一見にしかずと思って
先輩がどんだけフォームはこうだとか
ボレーはこうだって言われたら
もう僕がさっき言った
その切り取りのホッチキスの
毎教科書
プロの写真見て
いや先輩はそう言ってるけど
プロはやってないからやらないみたいな
もうプロのマネをひたすらして
みたいな感じで
ドハマリしました
鈴木孝夫プロと
ティム・ヘンマン
この2人が大好きで
間違いないですよね
その2人はね
ボレーとか
サーブって前に走って
ボレーで格好良く決めるっていうのが
テニス超かっけえ
みたいななって自分の中で
そっからですけど
ボルグとはまた
プレースタイルが違う
憧れは違うプレースタイル
なんで
しかもソフトボール
バレーボールって
肩回すじゃないですか
そういうのを始めたんですけど
めちゃくちゃサーブが速い
って言われたんです当時
初めて知る
渡辺ってサーブめっちゃ速くね
みたいになって
サーブ打てばポイントが取れちゃう
みたいな感じになって
そっからもう
ソフトテニス経験してた奴らも
倒せるようになって
ひたすら磨いたボレーで
30:01
強烈なサーブからのボレー
みたいな
倒せるようになってから
やっぱり
序盤だけなりました
30:33

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