1. オトコの子育てよももやまばなし
  2. #27 子育てのフォトストレージ..
2024-10-30 54:14

#27 子育てのフォトストレージ問題 with ImageCast

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ImageCast あずまさんと鉄塔さんがゲストです/ポッドキャスターのナンパスポット・東中野雑談/哲学的問題としてのフォトストレージ/googleに首根っこ掴まれてる/写真を撮りまくる時代/タダほど怖いものはない/AIは自分専用のコンシェルジュかつクリエイター/家族向けSNS「みてね」の話/一秒動画の魔力/権限が自分にない/100年で57万円/ミクシーがやめたらどうなっちゃうの?/安くなる要素ひとつもない/「みてね」のストレージは自分セレクト/フォトストレージが自分の人生を上書きしてくる/一年前の今日、ってやつ/振り返る機会が増えている/人生を編集する大きな力/エモ依存社会/エモい思い出を取りにいく/泣いてるところを撮るかどうか問題/子のことだとエモも受け入れちゃう/ワイちゃん30歳/苦しい=不幸という図式/不幸になる自由を奪われている/メディア特性/クリエイターは家庭の話をしない/日記を歌にしてもらうというセラピー/「米が5キロで3000円する」/勝手に味付けするな/エモやノスタルジーを技術で増幅している/みんなエモには気をつけろ!/ 


ImageCast #171 哲学的問題としてのフォトストレージ

https://open.spotify.com/episode/7BdwTA24sS6nKK0RaUhUe5?si=HymdXWulRV6z_DcR9JLJeg

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あずま「米が5キロで3000円する」-YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=ESXhhvViS18

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親番組 桃山商事

https://open.spotify.com/show/4CFYwK1OjR5LwVVvHQecer?si=WoqkWhORT4K1mqGx792HxQ

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おたよりフォーム

https://forms.gle/hmigU5fUTFtQ5qQV7

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00:10
みなさん、こんにちは。オトコの子育てよももやまばなし。この番組は、現在4歳の双子を育てる清田と、
1歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
はい。あれだね。初めて直接会って収録してるね。
確かに。
この番組。
ほんとそうだね。
そう。なんかいつもと違うなって言ったら。
確かにそうだね。
リモートで撮ってるんだけれど、今日は直接ね、同じ場に集って収録をしているわけですけれど、
というのも、初めてのこの番組でゲストをちょっとお迎えすることになってまして、
すごいね、思いつきで始めた小さな番組。ももやま商事のね、本放送の方ではゲストをお呼びしたり、
トークイベントをやってるってことはあったけど、この番組では初めてのゲストということで、まずはご紹介しちゃってよろしいですかね。
はい、今日のゲストはですね、ポッドキャスト番組イメージキャストという番組をやられている鉄頭さんとあずまさんのお二人です。
こんにちは。
こんにちは。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか元気に入ってきてる。
いや、もう元気だけでやっていってると。
割と平日の朝。
夕休をね、午前休をとってきてますね。
なんかすごいね、なんかラッシュみたいな、電車の、久しぶりに乗って。
すみません、どうぞ。
いやいやいや、来ましたけれどね、偏偏のところに。
というわけで初めてのゲストなんですけれど、じゃあちょっと簡単に番組やそれぞれの自己紹介などお願いしてよろしいでしょうか。
イメージキャストというですね、技術、デザイン、表現、あとなんとやら、何でしたっけ。
制作に関係があるようなないような。
そうそうそうそう。
ちょっとね、僕も毎回メモを読みながら紹介してるんであれなんですけど、ざっくりそんなようなテーマを中心に、そういうテーマに近づいたり離れたりとかしながら、ゆるく雑談するっていうイメージキャストっていうポッドキャストをやっております。
アズマと申します。
僕は鉄頭と言います。
普段エンジニアやっていて物を作ってるんですけど、その物を作ってる話をしたりしなかったりしています。
僕らも2人集まって撮ることほとんどなくて。
ないですね、リモートですね。
基本リモートで家で撮ってるんで、そわそわ感をすごいこっちまで伝染した気がしてます。
ちょっと新鮮な感じでやっていきたいですけど、まずはね、お二人の子育ての。
うちは子供が男の子が1人2歳ですね。
うちは女の子が1人4歳で、仮にアイちゃんという名前で今回は紹介しようかなと思います。
03:06
うちの子供、息子は坊ちゃん。
坊ちゃん、アイちゃんということで。
私の子供はワイちゃん。
キヨタの子供が双子で花丸。
ワイちゃんが1歳、坊ちゃん2歳ですね。
アイちゃんが4歳。
花丸さんはもうすぐ5歳になる年なんで。
綺麗にぼらけてるね。
1学年ずつ違うんですよね。
そんなことあるんですね。
そんな4人で今日はちょっと子育ての話をしていくわけですけど、
まずね、なぜこうお迎えすることになったかっていう。
僕らまだ分かってない、なんで呼ばれたの。
なぜここに。
そうですね、実は僕が仕事でちょっとお二人にお世話になってですね、
その時はオンラインで取材をさせてもらったんですけれども、
その取材の時にちょっと桃山の話とかもしたら、
今度じゃあ飲みに行きましょうっていうことで東中野の雑談に行きましたね。
飲みに行ったっていう。
飲みに行ったっていうかナンパしてる。
そうそうそう。
ナンパだよね。
ナンパだよね。
引っ掛けられちゃった。
聞いてると。
雑談はね、ほんと便利な、ああいう時。
あれすごい良い場所ですよね、あれ。
そうですね。
ポッドキャストナンパするのに、雑談行きましょうって。
聞いたことない。
ポッドキャストでナンパって。
すごいね。
そうそう、それでその時に、僕イメージキャストすごく好きで。
ありがとうございます。
特にシャープ171の哲学的問題としてのフォトストレージっていうあの回が本当に好きで。
であの回の話をしたんですよね、ちょっとその時に。
そうですね。
雑談でして、それでこのフォトストレージ問題とか、あるいは僕も使っている見てねっていうアプリの話を我々とお二人で話したら、なんかすごい盛り上がりそうだなというふうに思ってお呼びしたという。
そういう経緯です。
なるほど。
ありがとうございます。
ナンパキックかけて。
ナンパキックかけて。
ポッドキャスターの聖地みたいな場所で。
そう。
そこに誘って。
すごいね。
ホイホイね。
ホイホイ。
来ちゃいましたね。
ありがとうございます。
流れが綺麗すぎるんですけど。
ちょっと怖いね逆に。
全部が出来上がってるじゃなくて、興味を持った人ポッドキャスターを雑談に呼びかけて。
手慣れてますよね。
手慣れてるね。
うちマイクあるけど来るみたいな感じで。
そういう感じですよね。
ちょっと真似していきましょう。
あそこはいろんな出会いがある場なので、ポッドキャスターの皆さんもぜひぜひと思います。
宣伝?
と思いますが、今モニターが言った子育てのとフォトストレージの問題っていうのが一応今回のテーマになります。
すごい渋いテーマですよね。
渋いですね確かに。
写真の容量みたいな。
06:01
クラウドに自分のスマホやメモリ容量とクラウドにどのくらい置いとけるかみたいな。
クラウドの容量もパンパンになると課金して容量を増やすみたいな。
言われてみれば確かに僕も増やしてたなと思って。
この子育てをしてると写真をバシャバシャ撮ると。
だから必然的にどんどん増えていって、確かにいつの間にかストレージに金払ってるとかありえるみたいなことは思ったし、
そのストレージがいつまで続くのか、どこまで増やし続ければいいのか、データとは何なのかとか。
そういう放送ではね。
深淵な。
深淵なテーマになってたよね。
これは結構まだあの時に話した話でもまだちょっと考え切れてなかったなみたいなところもまだあって、
ちょっと今回もっと掘り下げて子育てっていう話と絡めてって感じですかね。
そうですね。
哲学、今の話は哲学って大げさだろうみたいな思ってる人も多いと思うんですけど、
写真ってどうしても溜まっていく一方で消すっていう選択肢が基本的にないっていうことで、
そこから逃げられないみたいな要素と、
あとその写真とか記録が自分の人生そのもののように錯覚してしまうっていう性質がなんだかんだあるっていう、
その辺りの性質とビジネスでそれを絡め取られているんじゃないかみたいな、
そういう側面がちょっと意思いて言えば哲学かなと思っているところですかね。
そうですよね。ちょっとだけその時の議論を簡単に振り返っていただくとどんな、
今お話しいただいた、だいたいそういう話?
もともとはGoogleのフォトストレージに対する行き通りみたいなのがありましたよね。
ありましたね。
それがきっかけだったというふうに記憶してますね。
要はフォトストレージっていう機能を使っていて、
そっちが容量パンパンになるとGメールも使えなくなるみたいな。
そう、そういうことしてきますよね。
確かにそれは知らなかったですよね。
その構造どうなのっていう、
アズマさんが言ってたのが水道代払ってなかったらガス止められるみたいな。
いい例えですよね。
いい例えですよね。
無料プランだと15GBくらい容量があって、
そこにGメールのメールもフォトストレージの写真のデータとかビデオとかも突っ込まれていくんだけど、
写真の方が絶対容量がでかいじゃないですか。
メールなんかより。
メールは普通に生きていく上でとか仕事していく上で使わないといけないんだけど、
写真の方がバカすぎて溜まってきて、
それがいっぱいになるとメールの方まで止められてしまうっていうことに対する、
なんだこれどうなってるんだって。
そう、わざとだろって感じですね。
分けとけよって思うんですけどね。
だから本当ですよね、首根っこ掴まれてると評価してますからね。
そうですね。
09:02
そう思うとやっぱり行きどおりを思い出してきたけど。
だんだんムカついてきましたね。
だんだんムカついてくるね。
でも一方で保管しておいてくれるっていう見方もあるじゃないですか。
それを個人でやろうとしたらすごく大変なことだっていうのもテッドさんお話しされてましたよね。
そうですね、昔だと結構写真って、
なんか口を酸っぱくしていろんな人にバックアップはとっといた方がいいよって言ってたんですよ。
それで。
啓蒙してたんです。
そう啓蒙してたし、しかもパソコンが怖いって写真が全部消えたから助けてみたいな人を何回もこう、
なんていうか、助けるかなだめるかどっちかするっていうことが結構あったんです。
なるほど。
で、その状況がクラウド化されて、ほとんど写真が消える人がいなくなったこと自体はすごい良いなと。
世の進歩ですよね。
そうそうそうそう。
良いけど、なんかそれで最終的にクラウドストレージに金を払い続ける人生に、
気づけばそうなってくる。
そうそうそう、後戻りできなくなっていることをどうかなっていうのは、
年をとってね、年金でクラウドストレージに月1万円払ってるみたいなことが。
あり得るな。
そうそう、それいいのかなみたいなっていうのを今ちょっと思っていることですかね。
これ結構なんかここ10年20年ぐらいから発生した問題な気がしますね。
そうですね。
それまでは写真ってね、別に普段生活する中でこんなにバシャバシャバシャバシャ撮りまくるようなものでもなかったし、
なんかしらイベントごとがあったときにこうフィルムカメラで、
例えば昔だったら撮ってそれをアルバムに焼いたやつをアルバムにして、
でそれをこうなんか家族の本棚の奥にしまってみたいなので、
そんななんかそれが本棚を全部圧迫してみたいなことにはまあなかっただろうなと思いますけど、
スマホの普及とかでむちゃくちゃ写真を撮るようになりましたよ。
撮るっていう行為も多分変わってきてるし、
あと動画っていうファクターもあるじゃないですか。
動画を撮るようになったみたいなこともあって、
それとその他の話っていうのが両面ありますよね。
そうですね。
っていう話をしてましたよね。
そうですね。
動画で撮るっていうのは今のやつだけど、
もっとなんかさらに記録の次元が高いフォーマットが現れるんじゃないかみたいな、
空間を丸ごと記録してみたいなとか、
情報って多ければ多いほど後から再生するのに都合がいいじゃないですか。
そうですね。
音とか、今だったらその二次元の音と映像ですけど、
そこなんか空間のなんか空気の流れとか匂いとか、
あるかもね。
光の向きとかそういうのも全部記録しておいた方がいいに越したことはないってことは、
多分将来的にそういう方向に行くはずで、
そうなってくるとその溜まっていくデータの量ってものすごい量になっていく。
どこにあるんですか?
そこなんだよね。
どこにあるっていう感覚が結構大事だなっていうふうに思って、
12:04
要は物理的なサーバーっていうものをみんなそんなに意識してないじゃないですか。
でもよく考えるとクラウドだって物理的なサーバーなわけですよね。
そうですね。電気を毎日使って維持されているものではあるっていう。
その概念は若干頭の中消えちゃって、
クラウドとか言うからなんか上の方にあるのかなみたいな。
後悔あるなって思いますね。
それを無料で使っていることの恩恵もあるし、
そのことの恐ろしさよっていうのもありますよね。
その入り口の簡単さのハードルの低さの恐ろしさよっていうのもありますよね。
ありますね。ただほど怖いものはないって昔から言いますけどね。
共依存関係みたいな感じになってますよね。
いつの間にかそれなしでは生きていけないようにしといて、
その後にちょっとずつお金をあげていくみたいなことですもんね。
ベジネスって感じですね。
しかもちょっと今なんだこれから起きそうだなと思っているのは、
写真を全部保存してそれでいくらっていう、今それだけだったりすると思うんですけど、
徐々に1年前のあなたとか勝手にアルバム化したりするようになってきてるじゃないですか。
それが進んでいくと、あなたのことをすべて知っていることによって、
あなたのための最高のコンシェルジュになりますとか、
あなたのための最高のクリエイターになりますみたいなサービスができたら、
そのデータを保存してかつサービスがつくことによって、
また抜け出しにくくかつ値段も高いっていう。
で、歳をとるとそういうコンテンツに依存しないと、
もうなんか人生楽しくないみたいな錯覚さえ植え付けられるっていう状況があるんじゃないかなと思って。
自分専用のマネージャーでありクリエイターでありみたいな。
しかもそこに自分の税もあり記憶や情報が円立っている。やばいですね。
ちょっとそれで今フォトストレージ全体の話になってるんですけど、
今のテッドさんの話を受けて、見てねの話ちょっとしたいなっていう。
それを子育ての文脈でもこういう問題はめちゃめちゃあるよねっていうのが今日のテーマで。
見てねっていうのはミクシーが運営しているメディア。
メディアっていうかSNSか。クローズドな家族向けSNS。
テッドさんとアズマさんは使ってないっていうことなんですけど、結構使用している人が多くて、
アップするんですよね。写真と動画をアップしてこんな感じで。
使ってます。
素晴らしいサービスですね。
そうなんですよ。
特に多いのはやっぱり自分の子供にとってのおじいちゃんおばあちゃんと共有できるっていうことですよね。
うちなんかは僕の姉とか妹も見てるんですけど、それでアップしていくっていう、
15:02
そういう感じのサービスですね。
ログイン時間見えるやつでしょ。
昔のミクシーでいう足跡ですよね。
何時間前にログイン。
もうおじいちゃんおばあちゃんまた見てるみたいな。
アップしてないけどみたいな。
なんか急かされてんのかなみたいな。1分前とかログインしてて。
そういうのがわかるからみたいなのか。
怖いんでしょこれだから。なんかこっちもアップしなきゃみたいな気持ちになる。
そうですね。今ちょっと見てねを見ていただいたんですけれども。
見てねを見てね。
我々の見てねを2人に見ていただいたんですけれども。
こんなの見ちゃっていいのかっていうゾワゾワした気持ちで悪いことしてるわけですね。
完全なプライベート。
確かにね。
動画率が結構僕の見てねを見て高いというふうにテッドさんがおっしゃったんですけど、
本当その通りで。
使いだした時は写真の方が多かったんですけれども、
だんだん振り返るときにやっぱり動画の方が楽しいなとか伝わるなっていう感覚があるのと、
僕は有料会員なので1ヶ月ごとにこの1秒動画っていうまとめ動画が送られてくるんですよね。
それがやっぱり良くてエモい音楽とともにまとめられた動画なんですけれども。
1秒ずつ動画として保存されたものが1秒ずつ切り出されて、
それがもうくっついてこの1ヶ月分みたいな感じ。
日付ごとに。
で、そこに写真も組み込まれるんですけど、
写真はただこう写真がワーってなるだけなんですけど、
やっぱり動画あった方が1秒動画的にも良いので、
それで動画をたくさん撮るようになってるっていうのもあるんですよね。
ストレージがまた。
自分のこの記録を残すっていう行動に結構影響を与えてるなとか。
操作されてますね。
動画撮るの上手くなってるなみたいなのも感じるんですよ。
結構ちゃんと構図考えてこっちからこうやってこうかなみたいなのまで、
写真より動画を好むようになってきて。
なってきてるんですよね。っていうような話。
そうだね。
どうですか。
無料会員なんで3ヶ月に1回なんですよ。今度1秒動画は。
だから季節ごとに来たなみたいな感じで、
もちろん同じようなエモい音楽とっていう編集のとことかは無料会員でも一緒なんで、
ティージバーバーがもうそれを見てむせび泣いてるらしいですよ。
いや泣きますよ。
泣いたなみたいな感じで何回も見てるらしいんですけど、
ただこの今の話はね、
見てねーをこれをあるから余計普段日頃から動画を撮るようになった。
ここにはストレージの問題ってあるの?
ないんですよ。ないから怖いなっていうふうに思うんですよ。
僕はよくわからないなと思って。
確かにここにあげた写真はどうなってるの?
18:02
僕480円払ってるんですけど、
それは毎月1秒動画が送られてくるっていうことの良さもあるんだけど、
なんかおっかなすぎて無料で使うのが。
俺無料だもん今。
なんでこのサービスを無料で使えるのかがよくわからない。
それはストレージとしてもそうだし、
このサービスを使うっていうことに気持ち悪さみたいなのがあって月額払ってるっていうのもありますね。
お金を払ってるからこんなサービスが受けられるんだっていうことにしてる。
でも実際には消すかずっとそのサービスを続けるかっていう権限がこっちにはないっていうことが恐ろしいというか、
自分の結構大事なものをそこに委ねちゃっているんだなみたいなのは何使ってても結構そう思いますね。
自分だけならいいんですよ。
これってどっちかっていうと子供であるワイちゃんの記録なので、
この後ワイちゃんどうするんだろうっていう、
例えばワイちゃんが大人になった時にこれをどういうふうに扱うのかなとか、
一生これ480円ずつ払い続けるのかなとか、
このアカウントをお前に委ねるっていう。
情とする。
相続じゃない。
それもらったらやめられないよな。
すげービジネスだなっていう感じがしますね。
年とかよりもっとなんかさ、っていうのは思ってるんですよね。
なんかてつやさん今手元で計算してますけど、掛け算してますね。
480円×12ヶ月×100歳、イコール57万6千円。
これは物価の上昇率を考慮せずにこの金額ですね。
まあいいか。
一生100年で。
そうですね。ただこれはその何歳かまでの記録だけでそれなので、
それ以降撮った写真のことも考えると加速度的に金額は膨れていくことは間違いないですね。
サーバーの維持費みたいなことを真っ当に考えると、
その月日が経てば経つほど維持しないといけないデータの量は大きくなっていくはずだから、
普通に考えるとこれ以上データを保存してる人は月1000円とか2000円とか、
あなたはもう50年保存してるんで、大量にあるんで5000円ですみたいなことが起こってもおかしくはない。
多く保存してる人ほど高くなる可能性もある。
物理的にそうなのが正しいというか、当然そうなり得るという感じですよね。
しかもちょっと厄介なのがストレージがなんだろう、だんだんコストが下がっている傾向はあるけど、
サービスの品質が上がることによって値段が高くなるってことも同時に起きていて、
多分下がるっていう方向にはいかせないと思うんですよね、世の中的に値段が。
だから結局その単価も上がるし、量も増えるし、人生ももしかしたら100歳ぐらい普通に生きるようになるかもしれないみたいな。
21:04
安くなる要素が一つもない。
ビジネスであることを考えれば安くする。
競争が発生するぐらいしかないですもんね、安くする意味っていう。
でもこれ単純に疑問なんですけど、ミクシーが運営しているとすると、ミクシーがもう辞めたとか、
そうなんだよ。
どうなっちゃうんですか、そういうミクシーがもう無理だわ、続けられないとか、
他の会社がミクシー買って、もうこんなのは再三取れない、辞めるみたいになったらどうなっちゃうんですかね、こういうのって。
どうなんですかね、規約次第。
サービス終了のお知らせみたいなのがある日届いて、一応エクスポートする機能みたいなのはおそらく提供されるから、
何月何日までにデータを全部ダウンロードしておいてくださいみたいな感じで、
数十ギガのもしかしたらデータがダウンロードできるようになってるんでこれ落としておいてねみたいな感じで言われて、
それを一時的には保存できるけど、今度はそれを絶対に消えないように守る義務がこちらに発生するって感じですかね。
すごいね、そう考えると。
見てねって一個面白いなっていうふうに思ってるのが、
例えば自分のフォトストレージは自分のフォトストレージであるじゃないですか、
そこからセレクトしてアップロードしてるんですよね。
選抜された。
そこの価値っていうのもあるなっていうふうに思っていて。
選び抜かれることによって発生する価値が。
そう、この見てねのストレージ自体、自分にとっての見てねのストレージの価値って、
その編集したものを上げてるっていう、セレクトしたものを上げてるっていうことの価値もあるなっていうふうに思ってるんですよね。
ありますね。
じゃあ結構その見てねにアップされてるものは良質なアルバムっていう感覚になった。
だからイメージキャスト聞いてて、やっぱり紙に印刷した方がいいのかなっていうふうに。
それをさらに。
なんかちょっと思って。
確かに。
そうすると、選抜したものの中からさらに選抜できるから、でもやってない、まだ。
大変ですよね。
大変ですよね。
大変だし、それを代わりにやってくれてる見てねとか、Googleフォトもいろいろまとめ動画とか作ってくれるし、
iCloudもやってくれるし、忙しいところを肩代わりしてくれるところで価値が発生してしまっている悔しさというか。
確かに。
あるな。
うちは見てねじゃなくてGoogleフォトを使ってるんですけど、Googleフォトの場合は自分で選ぶとかじゃなくて、勝手にAIが選抜してくれてて。
自分で撮った写真の中。
そうですね。中から良い写真をまとめてくれてて。
勝手にこれ良いっていう。
顔上が良く出てるとか顔が大きく出てるとか。
価値判断をしてくれる。
で、その中にこう、フォーユーみたいな感じの機能で。
これもまた同じくいい感じの短い動画と写真でまとめてくれてるっていう。
24:07
同じですね、ほぼね。
こういうのが何も頼まなくても勝手にお膳立てされてやってくれるっていう。
そうですよね。
でも写真とか動画だと勝手に。
そこに編集する時にこっちのこだわりや意図や労力とはかかってない分、出来上がったものも。
時々この文章、例えば書く仕事なんか僕してると、
チャットGPDみたいなやつはちょっとお願いしますみたいなこと言うと、それっぽい文章書いてくれるじゃないですか。
そうですね。
で、だいぶいい感じじゃんみたいな時もあるんですよ。
その文章と自分が一行一行書いた文章が出来上がりに似てても、
もちろん個人の思い入れとしてはこっちの方が一文一句、自分の思考が通ってるしとか思うけど、
出来上がりに似てるとするじゃないですか。
自分にとっては全然違うものでも、パッと見そんな変わんねえみたいなものがあるとして、
作り手としてはこっちの方が進化通ったものだみたいなのに思いたいけど、
でも別にはほぼほぼ一緒じゃんみたいな。
その時になんか自分としては価値はこっちの方が置いてるけど、
まあでもこういうのでいいのかなみたいなさ、思ってだんだん。
だからこの勝手に編集してセレクトしてくれたものも、そこに別にこっちの何か入ってないから、
まあこんなのは機械でやってくれたものだろうみたいなさって思うけど、
でも実際いい感じに出来てんじゃんみたいなことを考えるとね、もうなんか。
そもそも撮ったのは自分だしね、これの場合は写真のこの場合は。
あと編集自分で出来るかって言われるとそんな時間がないってことを認めざるを得ないので。
確かにそうですね。僕も紙のアルバムにしようって思ってもう1年以上経ってるんですよ。
してない。してないですよね。
なんかその育児って別に楽しいばっかじゃないじゃないですか。
結構僕の場合はしんどいことの方がここの2年育てて多かったなっていう。
っていうのが僕の生の感触というか、今のところ覚えている感じなんですけど、
いろいろ夜寝れないとか、休みがないとか、そういうのがいろいろあって結構しんどかったなっていうのが僕の感想ではあるんですけど、
その感想がそのフォトストレージによって上書きされてしまうなっていう怖さがあって。
いい感じに上書きされちゃう。
フォトストレージが提供してくれるなんかすごいいい感じにまとめられた写真って、
あたかも自分の人生がそのめちゃめちゃいい楽しいことしかなかったかのように上書きしてくるんですよ。
写真ってなんかもともとそういう性質あるのかもしれないですけど、
アルバムにして読み返してみると、たぶん自分の人生がそんなにいい人生じゃなかったとしても、
27:04
読み返してみると結構いい人生だったなっていうふうに思わされてくる力みたいなのが結構あるなと思って。
それはもちろんいい時しか写真ってあんま撮らないじゃないですか。
もう最悪みたいな時って写真に残そうってあんまならないから。
残ったとこだけ見るとなんかいい人生かのような感じに錯覚するんだけど、
自分が感覚値として思っている人生こうだったなっていう感じって、
その時の主観でしかないしどんどん薄れていくものなんですけど、
その残っている客観的な写真として提供されるものって後もずっと残るじゃないですか。
そうするとなんか、たぶんそっちの方が勝つんですよね。
それってそのGoogleに人生を上書きされてしまっていることになるんじゃないかなと。
それでいいのかみたいな。
意味付けとかなんかトーンとかを与えられちゃいますもんね。
そうですね。そこが僕のそのフォトストレージの抱えているっていう通学的問題だなと思って。
なるほど。面白い。ほんとだ。
人生の、自分の人生っていうか自分が生きているかどうかって、
自分の今までの記憶が残っているかどうかで決まるのかなと思ってて、
その記憶が自分に生の実感を提供してくれるみたいなところがあると思うんですけど、
それってすごい曖昧なもんじゃないですか。あやふやなんだけど、
でも一方でそのフォトストレージが提供してくれる、
その生の実感みたいなやつの方が全然その力があるというか強力なんですよね。
確かにね。
そうなってくると、結構なんかいい人生だったねってことになると思うんですよ。
そうなんです。
毎日ぐらいのペースで1年前のあなたみたいなとか、
出てきますよね。
そうとか、どこどこに行ったあなたとか家族の思い出みたいな感じで写真で送られて、
写真というかいい感じにまとめられた動画が送られてくるじゃないですか。
毎日のようにあなたの人生はいい人生でしたねみたいな感じのメッセージが脳に送り込まれてきてて、
すごいディストピアSF的な感じの怖さを僕は感じてるんですよ。
だから頑張って、いやそんないい人生じゃなかったぞって自分に対して思おうとしてるみたいなところがあって。
確かにね。写真だとなんかね、除菌をめぐってね、夫婦で嫌な感じで対立した時間とか残んないですもんね。
しかもなんか最近iPadで見てみれるんですよ、家で。
それを花丸さんたちがすっごい見てるんですよ。
なんかもう2年前の今日とかも撮れてくるんで、なんか懐かしいねとか言ってて。
弱いしごさいでなんだその懐かしいわみたいな風に。
でもやっぱそこに写ってるのはなんかお出かけした時の写真とか動画とか、
ここ行ったねとか、やっぱいい感じの世界観が残ってるんですよ。
だけど2人で奪い合ったりしてるんですよ。
そっちばっか見てずるいとか。
30:01
こういう時間残んないですもんね。見にくい争いしてんなーみたいな思うんですけど。
撮っときましょう、そういうの。
なんかそうなんですよ、見てねも必ずこの一番上のところに、
必ず1年前の今日とか2年前の今日みたいなのが出てくるんですよね、セットで。
それ無料会員は3個しか見れない。
いい距離の撮り方なんじゃないですか、無料会員。
だから振り返る機会が多くなったなっていう感じがしますよね。
ここ10年で人間ってこんなに過去を振り返らされたことないだろうかっていう。
そうなんですよね。
そんなことって普段ないじゃないですか。
なんかすごい檻に触れて年一ぐらいで昔のアルバムとかこんなのあったなみたいな感じで開いて、
こんなのあったなみたいな感じの懐かしさを感じるっていうイベントはあったけど、
こんな日々、自分が生きてる間ずっと今までの過去を良いように編集されたものを見せ続けられるっていうことはなかったと思うんですよね。
それはそこになんというか見てねとかがエモい音楽つけてきてるっていうのもなんかすごくありましたよね。
力っていうのは権力とか魅力とか財力とか、
そういうの全部人をある方向に方向づける力として存在すると思うんですけど、
その中にあると思うんですね。人生の編集力みたいなので、
その力って常になんとなくポジティブなというかなんとなくホワッとエモく良いような感じに編集する方向に働き続けてると思って、
写真もなんか撮ったら自動的に良いような感じに編集されるじゃないですか。
加工ね。
加工が入って、なんかちょっと光の感じが良い感じに彩られて。
確かにね。
でもそれって自分自身の体感した生の人生と違うじゃないですか。
でも違うものがどんどんこう流れ込んできてて、
そのエモく編集された人生に上書きされていくっていうことに対して、
僕はなんかそれでいいのかっていう気持ちを強く持ってるっていう。
全体的な流れとしてやっぱり社会の流れとして、
社会の流れとしてエモみっていうのが、
そのエモっていう言葉の流行りしたりとかそういうことは超えて、
なんかあると思うんですね。
エモ依存みたいなところ。
あると思うんです。
例えば2分の1成人式とか、
ああいうカルチャー。
子供の。
要は10歳で。
2分の1成人式。
成人式的なことをやったりするんですよね。
振り返ったりとか、
それいい感じにエモみを出していくっていうか、
子供も今の子供とか若い人って、
エモい思い出を作りたがるっていうのはあるんですよね。
多分カルチャーとして。
自分たちの時よりもっといい思い出作りに行こうぜっていう感覚が、
なんとなく強い気がしていて、
それって思い出って本来結果じゃないですか。
33:01
結果として思い出がいい思い出になって、
それを振り返って良かったなっていうふうに思うんだけど、
最初から取りに行ってるんですね。
ゲットしに行ってるんですよね。
エモい思い出を。
2分の1成人式とかまさに本当そういうもので、
それは大人が仕向けたりしてるんだけど、
構造的にエモを摂取させようっていう力学が働いてるなっていう感じはしますよね。
テクノロジーがそれを方向づけてるという側面があるっていうのは、
あんまり今まで考えたことなかったんですけど、
でも確かにそういうのもあるし、
それが世の中の全体的な空気も、
ネガティブなものを嫌うとか、
もちろん人に暴力的な組み込みとか、
越境しないとか、
そういうのがもちろん時代的にはどんどん進んでいくことは良いことだと思いつつ、
綺麗なもの、許されるもの、エモいものだけが残りやすく。
でもそれを考えると子供たちだって、
この可愛いなーって写真残すシーンは見てねには乗るけど、
なんかあるじゃん。正直あるんですよ。
例えば大ムツにうんちして、
ものすごい範囲にお尻にうんちがついてた時とか、
ちょっとウケると思って、
撮りたくなるんですけど、
さすがにそれはね、もちろんお尻取っちゃまずいしとか思うんですけど、
でも日常でいっぱい笑ったりしてるじゃないですか、
うんち、おしっこ漏れちゃったり、
子供たちうんちおしっこ大好きだし、
でもやっぱそれ残せないですもんね、
ビジュアルとしては。
そうですね、赤ちゃんの時に泣いてるのが可愛いみたいになってるけど、
本人は苦しんでるみたいな状況の時に、
確かに。
なんかなんだろうな、
ちょっと残しておきたいなと思って撮ったりするんですよ。
撮って良かったのかなみたいなすごいモヤモヤする時があって、
確かに。
だんだんそういうの撮りにくくなっちゃって、
結局本人は捉えたいかどうかみたいな観点で見ちゃうと、
やっぱりポジティブな瞬間以外は撮れなくなっていくっていうのは自然に起きちゃいますよね。
で、アルバムも最終的には子供のものになるっていうことで、
自分にとってのアルバムっていう側面以上のものが出てしまうと、
余計撮りにくいとか出しにくいってものは出てくるなって思いますね。
最近年も近いじゃないですか、
この許可制、だんだん撮ってとか撮らないでとか言うようになってきてて、
今までだったら自由にバシバシやったね、正直撮っちゃってたんですけど。
いや良くないなと思うのが、撮ってってポーズを決められた時に、
36:02
写真はポーズを決めて撮るものじゃないと僕は思ってるんですけど、
なんかポーズを撮るものだっていう刷り込みがいつの間にかどこかで刷り込まれてたりするんですよ。
それで、だから何かしてるところを普通に撮りたいのに、
ポーズを撮られてしまって、
なんかフィルターがいつもそこで急にこうバンってかまされて、
いやちょっとそのフィルターじゃなくて普通に撮りたいなみたいな。
それが何かいつの間にか学んでたりするんですよね。
写真撮るってすごい社会的な行為というか、
なんだなっていうのはさっき話聞いて思った。
何を撮るべきか撮らないかみたいな、撮らないべきかみたいな。
それが結構社会的に規定されてるし、
今まで見てきた中で撮って撮らないでみたいなとか、
ポーズ撮るみたいなとかも、
すごい社会的なフィルタリングの中で成立してるみたいなものがあると思うんで、
それがあるっていうこと自体は別に悪いことじゃないと思うんですけど、
社会的にフィルタリングされたものが自分の人生を編集してしまうみたいな、
世の中になってくると結構怖いなみたいな気はしますね。
本当ですよね。結婚式の動画みたいなのあるじゃないですか。
いい感じの。全部ああいう感じになっちゃうんだよ。
でも子供のことだと、ちょっとそれも受け入れちゃう自分がいるっていうか、
1秒動画とかも、なんか受け入れちゃうんですよね。
自分をあんな風に編集されたら多分嫌だと思うんですよ。
嫌だよね。桃山翔二のメンバーがポッドキャストの収録とかなんか撮ってさ、
いい感じの音楽でさ、ちょっとエモい感じで、
うわーっとするじゃん多分。
そういうつもりでやってなかった。
でも子供だからっていうのがなんか1個ありますね。
そしてあといつまでやんだろうと思う?
やりますね。
減ってくんですよね。0歳、1歳、2歳、3歳、だんだん4歳、
今月少ねえなみたいになっていくのよ。
多分時間の間隔の刻み方だと思うんですけど、
今1歳2歳ってやっぱり1ヶ月2ヶ月色々変化していくじゃないですか。
今も後から振り返ればすごい変化してるんだと思うんですけど、
なんかだんだんその瞬間の価値みたいなのを鈍くなってるのかもしれないですよ自分が。
なんかだんだん撮る枚数とか減ってて、
今月なんか見てねえのアップちょっと減ってんなみたいな。
そしたらやっぱジージバーバのログインの何分前みたいなところから圧を感じて、
今日はいっぱい撮ろうってなるんですけど。
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でも緩やかに減ってはいるんですけど、じゃあいったいいつまで?
前もちょっと荒らしたかもしれないね。
なんかその花丸さん18歳とか、それ見てねえ何歳とか出るんですけど、
18歳までやってんのかなみたいな。
確かに。
親が撮るっていう行為がなくなるもんね。
よく考えたら。中学校ぐらいになったら。
女性ぐらいからもうあんましないんじゃないですかね。
全然わかんないですね。
撮るのかな?
その後どうなんだろう。
有料会員であり続けるのかな。
ワイちゃん30歳とか。
原理的にはなるじゃん。
そうだね。
確かに。
見てると開いたらワイちゃん30歳出てくる。
30年前の今日とか出てくる。
インターフェースもそれ用にだんだん変わってくるじゃないですか。
それにふさわしくなってくる。
なるほど。
そうやってガシッと掴んだものは離さないと思うんで。
そっか。
確かにな。
今のままじゃないんですね。
なんか、上書きされてしまうことの怖さがどこにあるのかなっていうのが、
なかなか言語化って難しいと思うけど、
一個あるなと思うのは、苦労とか辛い瞬間っていうのが、
に対してすごく嫌いすぎている懸念があると思うんですけど、
その裏にあるのが、
なんだろう、苦しいイコール不幸みたいな図式って、
なんかちょっとあると思うんですよ。
でも、なんか実際には不幸みたいな概念と、
今苦しいかとか大変とかっていうのって、
ちょっと分離したほうがいいと思うんですけど、
なんかその苦しいとか大変辛い疲れたとかいうのが、
全部まとめて隠蔽されることによって、
それが良くないことだったことになってしまうっていう、
なんか苦労を美化する必要はないと思うんですけど、
美化するのの逆も良くないというか、
なんかそれが発生しているのも一つあるなっていうのは思うな。
どう?どう?
いや、そうですよね。
そうですね。
抽象的な話になっていくんですけど、
僕はどっちかというと、
自由を奪われたくないっていう気持ちが強くて、
今のフォトストレージによって、
不幸になる自由を奪われているような感じの感覚があるんですよね。
それかもしれないですね。
確かにね。
別に不幸になるのって、
嫌だけど、
でもそうなる、
自分をそういうふうに思う自由は奪われたくないみたいなのがあるんですよね。
そう考えると、言葉のメディアは結構それを出せるじゃないですか。
そうだね。
本当は自分の話ばっかり書いてるんで、
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夜泣きがうるせえとか、
蒸気の巡る嫌な争いとか、
無限に食べ物を、
こぜり合いとかあるじゃないですか。
夫婦と子供とかも、
見てて見てると、本当かわいいって思うけど、
毎日の時間の鬱陶しいとかそういう感情はさ。
メディア特性みたいなのはやっぱりあるような気がしますね。
内緒に向いてるメディアか、
表層を切り取るメディアかっていうのはやっぱりあるじゃないですか。
確かに確かに。
文字メディアっていうのはやっぱりね、内緒に向いてる。
逆に文字メディアっていい感じのエモって表現しにくいというか、
ボットキャストとかみたいなのは言葉のメディアだとすれば、
失敗談とか東方本の話とか、
そういうのは載せやすいけど、
マジックアワーみたいなさ、
マジックアワーって言葉よく我々の番組に出てくるから。
いい感じのエモな思い出とかってあんまり載せにくいから、
メディアの特性ってあんのかな。
ちょっと話がずれるんですけど、
ポッドキャストであずまさんあんまり子育ての話しないっていうのと、
そういう部分もあるんですかね。
ネガなものが出ちゃうなっていう感じとか、
ちょっとあるのかなと思ったんですけど。
そうだしね。どうなんだろう。
さっきイメージキャストで子育ての話全然してないみたいなのを収録の前に出ましたけど、
なんかしづらいんですよね。
しづらいっていうか、
クリエイターは家庭の話をしないみたいな感じというか。
なんとなくそういうのあるじゃないですか。
そういうのをこういう場だからできるだけ解放したいなっていうのは自分の中にありつつ、
まだロックが解除できてないみたいなのもあるかもしれないですね。
Zさんどうですか、そういう。
そうですね。
僕はそこまで明確に喋らないとは思ってなかったので、
僕の方が多分出てると思うんですよ。
で、なんか子供がこうだからこういうの作ったみたいなこともなくはないし、
とはいえそのクリエイターは家庭の話をしないっていうのは、
なんか言われて初めて自分にもその脳の針っていうか、
そういう思い込みみたいなものはあったなっていうのを、
今ちょっと初めて気づいたっていうか。
特になんか男性だからみたいなのある気がするんですよね。
男性でそういう恥ずかしいですけど、
クリエイターめいたことをやってる人は、
あんまり子供の話とかをするのかっこ悪いみたいな価値観が、
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なんとなくうっすらあって、
それに従ってる感じする。
いやーなんか難しいな。
それもあるし、子供と向き合っていることがかっこいいという、
そっちの思い込みも両方あって、
2つの方向で引っ張られている感じがする。
難しいね。
なんか僕とかはそのもう、
結構一時期その子育てっていうかもう家庭全体でも参ってる時期があって、
その時期から幸運剤とか飲み始めて今に至るみたいな感じなんですけど、
そういうのがフォトストレージの写真から出てこない。
全部そういうのって上書きされちゃうものだから。
なんかそうですね。
別に出力先を探してるってわけではないんですよ。
そうですね。
そういうのも全部自分の過去はそういうのでも日記の中に書いていって、
そんなに出さないみたいなとこあるかもしれないですね。
日記つけてるんですか?
日記は書いてますね。
最近はそれが一番メンタルの維持に役立つという感じで書いてますけど。
日記を読み返したりもするんですか?
そうですね。
日記を読み返したら、すごい過去の自分ってこんな真面目だったんだみたいな。
こんな真剣に将来のことを考えてたんだ。
一方その頃、今の俺はみたいな感じで。
逆に落ち込んだりとかしますけどね。
なんか曲にしてるじゃないですか、最近。
日記をAIで音楽にして。
めっちゃおもろかったですね。
あれ普通に見てました、俺。
本当ですか?
それで今日、これやった人なの?
こいつや。
最高でしたよね。
あれも最初セラピー的な感じで始めたところがあって、表に出してるやつじゃなくて、
その前の日に作ってたのは、すごい最近自分の人生に制裁を書いてる気がするみたいなくらい。
その内容を歌にしておしゃれに歌い上げてもらうみたいな感じのことをしました。
それもある種、上書きっちゃ上書きですよね。
自分から上書きしにいってるみたいな感じですけど。
逆方向に動かそうとしてるのかな、ホットストージ側とは。
日記的な暗い内容を書いて、それを歌詞にして歌わせることで、
なんかエモい方向に方向づけて、何とか楽しく生きようとしてるみたいな。
でも自分で楽しもうとしてやってる感じと、
勝手にやられちゃうっていうのは全然違いますよね。
確かに問題の素材が違うか。
だから自分でやるのはすごくいいなと思うんですよ。
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自分で味付けするのはどんどんしたい派なんですけど、勝手に味付けすんなっていう。
そうですね。勝手に甘くするなみたいな。
でもやっぱりそうじゃない?
我々は結構人のエピソードを扱うことが多いんですよ。
いろんな人が聞いた自分のエピソード等々。
やっぱりそのエピソードは、その人がそれを体験したときに捉えていた、
まずその意味とか、ちゃんとそこにのっとって、
この人はこういう体験をして、こういうふうにそれを捉えていた。
っていうのはちゃんと押さえた上で、自分たちが紹介する文脈にちょっと載せて、
こういう解釈もできるかもしれないっていうのは大事なプロセスだと思うんですけど、
だからそこをさ、この人が体験した出来事を、
ちょっとその人の目線を抜いて勝手にこっちで料理しちゃったり、
味付けしちゃったりすると多分本人燃やるじゃん。
ある種の暴力ですよ。
暴力ですよ。若干それに近いことをもしかしたらね、知っているかもしれないですよね。
ストレージのいい感じにしちゃうっていうのはさ。
意味付けかな、だからエモい音楽つけて見ている場合は。
でも本当にそれ、後から見るとそう見えてくるから嫌だよね。
そう。
本当になんかホロホロ。
いい日だったかのような。
この日楽しかったなとか思うんですけど、
多分その日朝嫌な時間があったりもするかもしれないし、
どん詰まってたまたまたその公演に行って、
ヘトヘトになって疲れて適当に遊ばせて撮った映像がさ、
めちゃくちゃいい日の映像になっているからね。
実感を奪われている感じがする。
本当ですよね。
一方で昔の動画とか自分が撮った思い出の動画って、
全部そもそもそうなんじゃないかなっていう感じもするんですよ。
そもそもかエモいものっていうか、
いいもの?自分にとっていいものとか、
人のものでもそうですよね。
例えばなんか僕バービーっていう映画見て一昨年かな。
見たね。
あそこに登場人物の子供の頃の動画がちょっと出てくるんですよ。
それで文脈と全然関係ないあれなんだけど、
それ見ただけで泣いちゃって。
ワイちゃんの子さんと重ねちゃって。
だからなんかそういう力っていうのがあるような気がするんですよね。
そもそもが持っている。
その編集っていうものももちろんあるけれども、
そういうものを動画に撮って残すっていうその行為自体に何か。
大きな意味での方向性みたいなものがあるような気がする。
8ミリビデオみたいな昔の絵のものは。
ノスタルジーって人間が抵抗できない力ですかね。
そうですね。
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懐かしいもの見せられると人間もヘヤヘヤになっちゃうから。
しかもそこにフィルターっていうかちょっと荒くしたり、
アナログ味を足してその感じが増幅するように本当にできてますもんね。
もともとあったものを技術で増幅してるっていうことですかね。
結局は。
その力に対してあんまり自覚的じゃないような感じがして、今まだ。
確かに。
どうなっていくんですかね。
今日はお二人の話を聞いてて、
例えば街の環境とかもどんどんきれいになって過ごしやすくなって便利になっていくじゃないですか。
昔から比べれば。
そこではちょっと汚いものとか見たくないものとか知らぬ間にいなくなってるみたいな。
昔は良かったみたいな感じで上書きされる。
その感じと似てるっていう。
別にそれが必ずしも悪いことではないけど、でも本当にいいんだろうかみたいな。
一末の何かが残り続けるみたいな。
こういう感じはちょっとこのフォトストレージ問題からの哲学ですね。
明確にこれは悪だとは言い切れないんだけど、これって善なの?みたいなのがずっと残ってるって感じですね。
そうですね。
お時間はだいぶ。
そろそろ。
お二人が番組でテーマにしていたフォトストレージの問題、技術的な問題から哲学的な問題までお話しされたことをちょっと子育ての文脈でさらに広げていき、
特有のね、こういう見てねみたいなサービスの話とか。
でもやっぱりそこの最終的な人間の本質的なものと技術の問題、経済の問題等々が合わさって、私たちはどうしたらいいかわからない。
どうしたらいいかわからない。
今は終わったよ。
絶対に出ないですよね、結論なんて。
答え出ない。
ただこういう問題は本当に多くの人が意識してないレベルで巻き込まれてますよね。
そうそう、大きな力がずっと働いてるっていう感じですね。
そうですね。
なのでね、そんな深遠な問題を考えるきっかけ、一旦になったら。
エモに気をつけろって。
エモにはね、ちょっと抵抗する力も自分たちでね、なんかやってった方がいいのかななんてふうに思いました。
自覚はしたいですね、確かに。
そうですね、最低限。
というわけで、ここまでお聞きいただきありがとうございました。
大山翔二の清田でした。
森田でした。
イメージキャストのあずまでした。
鉄頭でした。
それではみなさんまた次回。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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