そう思うとやっぱり行きどおりを思い出してきたけど。
だんだんムカついてきましたね。
だんだんムカついてくるね。
でも一方で保管しておいてくれるっていう見方もあるじゃないですか。
それを個人でやろうとしたらすごく大変なことだっていうのもテッドさんお話しされてましたよね。
そうですね、昔だと結構写真って、
なんか口を酸っぱくしていろんな人にバックアップはとっといた方がいいよって言ってたんですよ。
それで。
啓蒙してたんです。
そう啓蒙してたし、しかもパソコンが怖いって写真が全部消えたから助けてみたいな人を何回もこう、
なんていうか、助けるかなだめるかどっちかするっていうことが結構あったんです。
なるほど。
で、その状況がクラウド化されて、ほとんど写真が消える人がいなくなったこと自体はすごい良いなと。
世の進歩ですよね。
そうそうそうそう。
良いけど、なんかそれで最終的にクラウドストレージに金を払い続ける人生に、
気づけばそうなってくる。
そうそうそう、後戻りできなくなっていることをどうかなっていうのは、
年をとってね、年金でクラウドストレージに月1万円払ってるみたいなことが。
あり得るな。
そうそう、それいいのかなみたいなっていうのを今ちょっと思っていることですかね。
これ結構なんかここ10年20年ぐらいから発生した問題な気がしますね。
そうですね。
それまでは写真ってね、別に普段生活する中でこんなにバシャバシャバシャバシャ撮りまくるようなものでもなかったし、
なんかしらイベントごとがあったときにこうフィルムカメラで、
例えば昔だったら撮ってそれをアルバムに焼いたやつをアルバムにして、
でそれをこうなんか家族の本棚の奥にしまってみたいなので、
そんななんかそれが本棚を全部圧迫してみたいなことにはまあなかっただろうなと思いますけど、
スマホの普及とかでむちゃくちゃ写真を撮るようになりましたよ。
撮るっていう行為も多分変わってきてるし、
あと動画っていうファクターもあるじゃないですか。
動画を撮るようになったみたいなこともあって、
それとその他の話っていうのが両面ありますよね。
そうですね。
っていう話をしてましたよね。
そうですね。
動画で撮るっていうのは今のやつだけど、
もっとなんかさらに記録の次元が高いフォーマットが現れるんじゃないかみたいな、
空間を丸ごと記録してみたいなとか、
情報って多ければ多いほど後から再生するのに都合がいいじゃないですか。
そうですね。
音とか、今だったらその二次元の音と映像ですけど、
そこなんか空間のなんか空気の流れとか匂いとか、
あるかもね。
光の向きとかそういうのも全部記録しておいた方がいいに越したことはないってことは、
多分将来的にそういう方向に行くはずで、
そうなってくるとその溜まっていくデータの量ってものすごい量になっていく。
どこにあるんですか?
そこなんだよね。
どこにあるっていう感覚が結構大事だなっていうふうに思って、
要は物理的なサーバーっていうものをみんなそんなに意識してないじゃないですか。
でもよく考えるとクラウドだって物理的なサーバーなわけですよね。
そうですね。電気を毎日使って維持されているものではあるっていう。
その概念は若干頭の中消えちゃって、
クラウドとか言うからなんか上の方にあるのかなみたいな。
後悔あるなって思いますね。
それを無料で使っていることの恩恵もあるし、
そのことの恐ろしさよっていうのもありますよね。
その入り口の簡単さのハードルの低さの恐ろしさよっていうのもありますよね。
ありますね。ただほど怖いものはないって昔から言いますけどね。
共依存関係みたいな感じになってますよね。
いつの間にかそれなしでは生きていけないようにしといて、
その後にちょっとずつお金をあげていくみたいなことですもんね。
ベジネスって感じですね。
しかもちょっと今なんだこれから起きそうだなと思っているのは、
写真を全部保存してそれでいくらっていう、今それだけだったりすると思うんですけど、
徐々に1年前のあなたとか勝手にアルバム化したりするようになってきてるじゃないですか。
それが進んでいくと、あなたのことをすべて知っていることによって、
あなたのための最高のコンシェルジュになりますとか、
あなたのための最高のクリエイターになりますみたいなサービスができたら、
そのデータを保存してかつサービスがつくことによって、
また抜け出しにくくかつ値段も高いっていう。
で、歳をとるとそういうコンテンツに依存しないと、
もうなんか人生楽しくないみたいな錯覚さえ植え付けられるっていう状況があるんじゃないかなと思って。
自分専用のマネージャーでありクリエイターでありみたいな。
しかもそこに自分の税もあり記憶や情報が円立っている。やばいですね。
ちょっとそれで今フォトストレージ全体の話になってるんですけど、
今のテッドさんの話を受けて、見てねの話ちょっとしたいなっていう。
それを子育ての文脈でもこういう問題はめちゃめちゃあるよねっていうのが今日のテーマで。
見てねっていうのはミクシーが運営しているメディア。
メディアっていうかSNSか。クローズドな家族向けSNS。
テッドさんとアズマさんは使ってないっていうことなんですけど、結構使用している人が多くて、
アップするんですよね。写真と動画をアップしてこんな感じで。
使ってます。
素晴らしいサービスですね。
そうなんですよ。
特に多いのはやっぱり自分の子供にとってのおじいちゃんおばあちゃんと共有できるっていうことですよね。
うちなんかは僕の姉とか妹も見てるんですけど、それでアップしていくっていう、
僕480円払ってるんですけど、
それは毎月1秒動画が送られてくるっていうことの良さもあるんだけど、
なんかおっかなすぎて無料で使うのが。
俺無料だもん今。
なんでこのサービスを無料で使えるのかがよくわからない。
それはストレージとしてもそうだし、
このサービスを使うっていうことに気持ち悪さみたいなのがあって月額払ってるっていうのもありますね。
お金を払ってるからこんなサービスが受けられるんだっていうことにしてる。
でも実際には消すかずっとそのサービスを続けるかっていう権限がこっちにはないっていうことが恐ろしいというか、
自分の結構大事なものをそこに委ねちゃっているんだなみたいなのは何使ってても結構そう思いますね。
自分だけならいいんですよ。
これってどっちかっていうと子供であるワイちゃんの記録なので、
この後ワイちゃんどうするんだろうっていう、
例えばワイちゃんが大人になった時にこれをどういうふうに扱うのかなとか、
一生これ480円ずつ払い続けるのかなとか、
このアカウントをお前に委ねるっていう。
情とする。
相続じゃない。
それもらったらやめられないよな。
すげービジネスだなっていう感じがしますね。
年とかよりもっとなんかさ、っていうのは思ってるんですよね。
なんかてつやさん今手元で計算してますけど、掛け算してますね。
480円×12ヶ月×100歳、イコール57万6千円。
これは物価の上昇率を考慮せずにこの金額ですね。
まあいいか。
一生100年で。
そうですね。ただこれはその何歳かまでの記録だけでそれなので、
それ以降撮った写真のことも考えると加速度的に金額は膨れていくことは間違いないですね。
サーバーの維持費みたいなことを真っ当に考えると、
その月日が経てば経つほど維持しないといけないデータの量は大きくなっていくはずだから、
普通に考えるとこれ以上データを保存してる人は月1000円とか2000円とか、
あなたはもう50年保存してるんで、大量にあるんで5000円ですみたいなことが起こってもおかしくはない。
多く保存してる人ほど高くなる可能性もある。
物理的にそうなのが正しいというか、当然そうなり得るという感じですよね。
しかもちょっと厄介なのがストレージがなんだろう、だんだんコストが下がっている傾向はあるけど、
サービスの品質が上がることによって値段が高くなるってことも同時に起きていて、
多分下がるっていう方向にはいかせないと思うんですよね、世の中的に値段が。
だから結局その単価も上がるし、量も増えるし、人生ももしかしたら100歳ぐらい普通に生きるようになるかもしれないみたいな。
安くなる要素が一つもない。
ビジネスであることを考えれば安くする。
競争が発生するぐらいしかないですもんね、安くする意味っていう。
でもこれ単純に疑問なんですけど、ミクシーが運営しているとすると、ミクシーがもう辞めたとか、
そうなんだよ。
どうなっちゃうんですか、そういうミクシーがもう無理だわ、続けられないとか、
他の会社がミクシー買って、もうこんなのは再三取れない、辞めるみたいになったらどうなっちゃうんですかね、こういうのって。
どうなんですかね、規約次第。
サービス終了のお知らせみたいなのがある日届いて、一応エクスポートする機能みたいなのはおそらく提供されるから、
何月何日までにデータを全部ダウンロードしておいてくださいみたいな感じで、
数十ギガのもしかしたらデータがダウンロードできるようになってるんでこれ落としておいてねみたいな感じで言われて、
それを一時的には保存できるけど、今度はそれを絶対に消えないように守る義務がこちらに発生するって感じですかね。
すごいね、そう考えると。
見てねって一個面白いなっていうふうに思ってるのが、
例えば自分のフォトストレージは自分のフォトストレージであるじゃないですか、
そこからセレクトしてアップロードしてるんですよね。
選抜された。
そこの価値っていうのもあるなっていうふうに思っていて。
選び抜かれることによって発生する価値が。
そう、この見てねのストレージ自体、自分にとっての見てねのストレージの価値って、
その編集したものを上げてるっていう、セレクトしたものを上げてるっていうことの価値もあるなっていうふうに思ってるんですよね。
ありますね。
じゃあ結構その見てねにアップされてるものは良質なアルバムっていう感覚になった。
だからイメージキャスト聞いてて、やっぱり紙に印刷した方がいいのかなっていうふうに。
それをさらに。
なんかちょっと思って。
確かに。
そうすると、選抜したものの中からさらに選抜できるから、でもやってない、まだ。
大変ですよね。
大変ですよね。
大変だし、それを代わりにやってくれてる見てねとか、Googleフォトもいろいろまとめ動画とか作ってくれるし、
iCloudもやってくれるし、忙しいところを肩代わりしてくれるところで価値が発生してしまっている悔しさというか。
確かに。
あるな。
うちは見てねじゃなくてGoogleフォトを使ってるんですけど、Googleフォトの場合は自分で選ぶとかじゃなくて、勝手にAIが選抜してくれてて。
自分で撮った写真の中。
そうですね。中から良い写真をまとめてくれてて。
勝手にこれ良いっていう。
顔上が良く出てるとか顔が大きく出てるとか。
価値判断をしてくれる。
で、その中にこう、フォーユーみたいな感じの機能で。
これもまた同じくいい感じの短い動画と写真でまとめてくれてるっていう。
同じですね、ほぼね。
こういうのが何も頼まなくても勝手にお膳立てされてやってくれるっていう。
そうですよね。
でも写真とか動画だと勝手に。
そこに編集する時にこっちのこだわりや意図や労力とはかかってない分、出来上がったものも。
時々この文章、例えば書く仕事なんか僕してると、
チャットGPDみたいなやつはちょっとお願いしますみたいなこと言うと、それっぽい文章書いてくれるじゃないですか。
そうですね。
で、だいぶいい感じじゃんみたいな時もあるんですよ。
その文章と自分が一行一行書いた文章が出来上がりに似てても、
もちろん個人の思い入れとしてはこっちの方が一文一句、自分の思考が通ってるしとか思うけど、
出来上がりに似てるとするじゃないですか。
自分にとっては全然違うものでも、パッと見そんな変わんねえみたいなものがあるとして、
作り手としてはこっちの方が進化通ったものだみたいなのに思いたいけど、
でも別にはほぼほぼ一緒じゃんみたいな。
その時になんか自分としては価値はこっちの方が置いてるけど、
まあでもこういうのでいいのかなみたいなさ、思ってだんだん。
だからこの勝手に編集してセレクトしてくれたものも、そこに別にこっちの何か入ってないから、
まあこんなのは機械でやってくれたものだろうみたいなさって思うけど、
でも実際いい感じに出来てんじゃんみたいなことを考えるとね、もうなんか。
そもそも撮ったのは自分だしね、これの場合は写真のこの場合は。
あと編集自分で出来るかって言われるとそんな時間がないってことを認めざるを得ないので。
確かにそうですね。僕も紙のアルバムにしようって思ってもう1年以上経ってるんですよ。
してない。してないですよね。
なんかその育児って別に楽しいばっかじゃないじゃないですか。
結構僕の場合はしんどいことの方がここの2年育てて多かったなっていう。
っていうのが僕の生の感触というか、今のところ覚えている感じなんですけど、
いろいろ夜寝れないとか、休みがないとか、そういうのがいろいろあって結構しんどかったなっていうのが僕の感想ではあるんですけど、
その感想がそのフォトストレージによって上書きされてしまうなっていう怖さがあって。
いい感じに上書きされちゃう。
フォトストレージが提供してくれるなんかすごいいい感じにまとめられた写真って、
あたかも自分の人生がそのめちゃめちゃいい楽しいことしかなかったかのように上書きしてくるんですよ。
写真ってなんかもともとそういう性質あるのかもしれないですけど、
アルバムにして読み返してみると、たぶん自分の人生がそんなにいい人生じゃなかったとしても、
読み返してみると結構いい人生だったなっていうふうに思わされてくる力みたいなのが結構あるなと思って。
それはもちろんいい時しか写真ってあんま撮らないじゃないですか。
もう最悪みたいな時って写真に残そうってあんまならないから。
残ったとこだけ見るとなんかいい人生かのような感じに錯覚するんだけど、
自分が感覚値として思っている人生こうだったなっていう感じって、
その時の主観でしかないしどんどん薄れていくものなんですけど、
その残っている客観的な写真として提供されるものって後もずっと残るじゃないですか。
そうするとなんか、たぶんそっちの方が勝つんですよね。
それってそのGoogleに人生を上書きされてしまっていることになるんじゃないかなと。
それでいいのかみたいな。
意味付けとかなんかトーンとかを与えられちゃいますもんね。
そうですね。そこが僕のそのフォトストレージの抱えているっていう通学的問題だなと思って。
なるほど。面白い。ほんとだ。
人生の、自分の人生っていうか自分が生きているかどうかって、
自分の今までの記憶が残っているかどうかで決まるのかなと思ってて、
その記憶が自分に生の実感を提供してくれるみたいなところがあると思うんですけど、
それってすごい曖昧なもんじゃないですか。あやふやなんだけど、
でも一方でそのフォトストレージが提供してくれる、
その生の実感みたいなやつの方が全然その力があるというか強力なんですよね。
確かにね。
そうなってくると、結構なんかいい人生だったねってことになると思うんですよ。
そうなんです。
毎日ぐらいのペースで1年前のあなたみたいなとか、
出てきますよね。
そうとか、どこどこに行ったあなたとか家族の思い出みたいな感じで写真で送られて、
写真というかいい感じにまとめられた動画が送られてくるじゃないですか。
毎日のようにあなたの人生はいい人生でしたねみたいな感じのメッセージが脳に送り込まれてきてて、
すごいディストピアSF的な感じの怖さを僕は感じてるんですよ。
だから頑張って、いやそんないい人生じゃなかったぞって自分に対して思おうとしてるみたいなところがあって。
確かにね。写真だとなんかね、除菌をめぐってね、夫婦で嫌な感じで対立した時間とか残んないですもんね。
しかもなんか最近iPadで見てみれるんですよ、家で。
それを花丸さんたちがすっごい見てるんですよ。
なんかもう2年前の今日とかも撮れてくるんで、なんか懐かしいねとか言ってて。
弱いしごさいでなんだその懐かしいわみたいな風に。
でもやっぱそこに写ってるのはなんかお出かけした時の写真とか動画とか、
ここ行ったねとか、やっぱいい感じの世界観が残ってるんですよ。
だけど2人で奪い合ったりしてるんですよ。
そっちばっか見てずるいとか。