1. こじらせシアター
  2. #58 個性について①我をそぎ落..
2025-11-06 43:08

#58 個性について①我をそぎ落とし、○○せずにはいられない!そしてドラえもん構造・・・?小松大介編

いろんな意味でこじらせた表現者3人が、それぞれの知見から現代社会にも通じる気づきを求めて、あーだこーだ物事を深堀していきます。小松大介トークテーマ担当回

サマリー

このエピソードでは、俳優たちが自己の個性について探求し、現代社会における自己認識や表現の難しさについて話します。特に、個性の定義や日常生活における個性の重要性、劇作におけるキャラクター設定について考察が行われます。彼らは個性の本質について探求し、職人技がどのように反映されるかや、模倣が個性の形成にどのように寄与するのかを議論します。また、ドラえもんを通じてキャラクターの個性や構造について語り、個性が人間の行動や環境にどのように影響するかを考察します。このエピソードでは、個性や役割についての考察も行われ、特にドラマや演技におけるキャラクター設定の重要性が強調されます。個性は環境によって規定され、演じる際には役に応じた具体的なアウトラインが必要とされています。さらに、ドラえもんやこち亀のようなロングラン作品に見られる構造と個性についても言及され、作品がどのようにパターンを利用して成功するか、特撮や怪獣作品の例を交えながら考察されています。

自己の探求
アートの片隅でこじらせシアター
この番組は、いろんな意味でこじらせてしまった表現に関わる3人が、様々な問いを持ち寄り、あらだこうだ言いながら、現代社会にも通じる気づきを照らし出せたらいいな、という番組です。
パーソナリティの俳優、小松大介です。
オラー、船原貴道です。
こんにちは、俳優の中井遥子です。
はい、どうもこんにちは。
オラー。
オラー、あの、ポルトガル語にしてみました。
ブラジルの人がね、聞いてるってことで。
オラのコップクンカーって言うんじゃなかったの?
ちょっとチキリました。
ちょっとびっくりしてたから、笑いそうになっちゃった。
そういう合戦が、やりあいが。
やりとりがね、自分の中でね。
なるほどね、はい。
あの、はるさんがね、ふい、この間まで、ちょっと急で、急遽、労働劇に出るんだって。
お疲れさまでした。
大阪でやってきました。
大阪だね、わざわざ。
はい。
お疲れさまでした。
ありがとうございます。
無事に終わりました?
一日、2回公演で、あの、やって帰ってきまして。
はい。
個性の定義
お疲れさまでした。
ありがとうございます。
どうでした?楽しかった?
楽しかったですね。すっごい楽しかったですね。
何食べたの?
何も食べられなかったです。大阪らしいもの。
嘘でしょ?たこ焼きとかさ。
食べられなかったです。もうそれどころじゃなくて、ほんとに。
ほんとに?
そう。弥生県と仲羽。
どっちも美味しいけど。
そう。美味しかったです。ありがとうございます。
そうですか。なるほどね。
そうなんです。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
お疲れさまでした。
楽しかったです。ありがとうございます。
俺、この間さ、あの、けらさんの舞台の最後のドン・キホーテ見てきて。
やってましたね。
はい。
これが素晴らしくて。
え?見たかったね。
本当に見たかったんですよ。
あの、地方公演があるんで。
あ、そうですよね。
遠征して見ることもできますよと。
確かに。
まだ間に合うんですか?
まだ間に合うよ。
まだ間に合う。
こっから、たぶん、まだ。
鳥山が今やってるんですか?
こないだ終わったのかな?
はいはい。
で、福岡があって。
福岡があって。
あ、福岡。
で、大阪があるからね。
あ、そっか。
大阪地域ずれてたらよかったね、じゃあ仲羽ちゃん。
3円とかないの?そのロード空域。
ちょうど、それに合わせて。
それに合わせて、また大阪まで。
ね。行けたらいいよね。
いや、素晴らしかったよ。
いや、素晴らしかったですか?
ほんと素晴らしかった。
いや、だろうな。
いや、ケラさんすごいですよね。
すごいよね。
ほんとに。
これ話し出すと、ほんとにこれだけでいい。
1本撮れちゃう。
1本というか、90分を4回ぐらい撮れるから。
めちゃくちゃ撮れる。
90分を4回?
撮れる。
すごいよ。
すごい。
でもね、やっぱり出てる方がね、
わかりやすいところで言うと、主役が大倉幸二さんで、
あとね、山西さんとか、犬山猪子さん。
いいですね。
ニャースもね。
ニャースですね。
とか、小川さん、玉城さん。
玉城さん、はい。
かなり個性的な俳優さんが出られてて。
いや、行きたかったな。
個性的なお芝居をされてて。
ということでね、今回のテーマなんですけども、
個性について。
個性について。
はい。
ということで、前回もね、お話ししてたんですけど、
どうでした?お二人、このテーマについて。
自分はその個性についてのテーマを発表されたとき、
めちゃくちゃしゃべりたいことがパーンと出てきまして、
今週の回じゃない、来週の回、自分の回なんですけど、
ちょっと、しゃべりたいこと、ほんともう、
90分が4回ぐらいしゃべれると思います。
それこそ。
結構出てきたんだね。
でも、ぎゅっとまとめて、
30分ぐらいにはしようかなとは思ってます。
はるさんどうでした?
私はなんか、ずっと悩んでたことでしたね。
個性について。
自分の個性って何だろうっていうのを、
結構小さい頃から考えてたような気がして。
でもそういう人多いよね、個性について。
そうですね。
現代病というか、現代的な悩みとして、
自分って何だろう、自分探しみたいなことって。
そうですね。で、俳優になりたいって思ってから特に、
個性を目に見えて人に伝えなきゃいけないっていう風に思ってるのか、
結構悩んでることなので、
あまりこれだっていうのが見つかりはしてないんですけど、
でも話したいことは。
模索って感じですかね。
そうですね。
僕の回なんですけど、今回は。
考えて、2つ大きく分かれてるなと思って、
1つは日常においての個性。
これは今、はるさんが言ったような、
俺って何だろうみたいな。
俺の個性とか、この人の個性みたいなことを考える方向性として1つあって、
もう1つは、劇作におけるキャラクター設定としての個性。
この役の個性って何だろうとか、
この役の個性とか設定とか、
キャラクター付けみたいなことの意味合いとしての個性を考えてるなっていうのが、
身体性の重要性
大きくこの2つ考えてきたんですよね。
なんですけど、さっきにこの日常においての個性って何だろうって考えて、
1つ確実に言えるのは、
画を削ぎ落としたものが個性だなと。
画と個性は違うっていう。
エゴとね。
なるほど。
っていう感じがあって。
これはちょっと僕がね、これもう忘れちゃったんだけど、
1つ古事があって、昔の昔話があって、
ちょっと出典がわかんなくて、探しても出てこないんですよね。
これが中国だったか日本の古い話だったかわかんないし、
細かいところ、ディテールが違うと思うんだけど、
ある男が子について悩んでいたと。
で、孔明な人、これがお寺の、あれだったかわかんないんだけど、
孔明な人に、師匠、子って何でしょうかって聞きに行ったと。
そしたら、この書を書物を書き写しなさい。
一編も違わずに。
勘コピしてみ、社教みたいな感じで。
で、男はその勘コピを書面のね、その完璧にコピーするっていうのを頑張ってやって。
で、他の人が見たら、完璧にコピーできてんじゃん。見えるんだけど。
いや、ここが違う。俺にはこことここが違って見える。
で、それを師匠、師のところに持って行ったら、
師匠、どうしてもここが真似できません。ここは他の人と同じになりません。
師匠がね。
で、それを師匠が見て、それが個性じゃねって言ったっていう話があって、
いつの話だか、どこの話だかわかんないんだけど、
いつなさんで知ってる人教えてほしいんですけど、
だからやっぱりそうだよね、そぎ落としてって、
がとかエゴを全部そぎ落としてって、それでも失われないものが個性じゃねっていう話。
だからそれはすごく身体性とか、骨格とか、人種とか、DNAとか、
そのレベルの話になってくるよね、と俺は思っていて、
それは揺るがないことじゃないって感じがするわけ。
そうですね。
それが一つの個であるだろうと、いうのは考えたら。
なんかありそうですね、確かになんだろう、ことわざとかにありそうですね、中国のことわざに。
個人性エゴになっちゃいないんだけど、なんかそういうのがあって、それは僕は強烈に覚えていて、
そうだなと思ったんだよね、深く。
若い頃見た何かだったんですね。
でもね、結構10年くらい前かな。
そういうのはあって、それは強烈に覚えてるっていう感じ。
そうだよねって。
我々こうね、なんかいろんな役、例えばその同じ役を、古典のね、シェイクスペアの何か役をやるって、
じゃああの人と変えなきゃとか、あの人よりもっととか、以前の人より現代的にリブートされたものじゃなきゃみたいな感じだけど、
でもそれもおごりじゃないみたいな。
そうですね。
あなたがやれば、それはあなたの役になるし、みたいなこともあって、
だからそれはまあ、エンターテイメントとしては当然、そう盛ることはあるんだけど、
だから、ふなちゃんとかダンスやってわかるからあれだけど、古典のバレエとかさ、あれするともうね、身体制だけみたいな。
そんなだから、日本のバレエダンサーとかはめちゃくちゃ個性があるって感じではないですからね。
それこそ筋肉のつき方とか柔軟性とか、骨格とかになってきますね。
バレエなんて骨格でね、なれるかなれないか決まっちゃうじゃない?
そうですね。
そういうのを考えるとね、もう古典にはそこがもう突き詰められている感じがする。
そうですね。
もう定まった形をやれば、お前の芸になるみたいな。
そうですね。
そこになんかエゴとかを入れるんじゃない?みたいな感じはなんとなくあるよね。
そこにエゴとかを入れてきたら、またそれがモダンバレエとか、なんかポストモダンとか、なんかそのだんだんダンスではそういうふうに発展していったんでしょうけど、
そういうことですよね。やっぱクラシック、その古典っていうものがあってからの個性を出していって、いろいろ発展していくってことですもんね。
そうそうそう。
今これ、それはこれがいいんじゃないかっていう、この価値判断みたいなのが入ってくるんだけど、
これを個性っていうことだけに絞ると、同じことをやっても、その人がやればその人の芸になるっていうのは。
それはその人にしかできないでしょっていうのはね。同じ骨格の人っていないんだからみたいな。
そうですね。
レベルの話。
で、考えていいのかなっていう感じは。一つのね、捉え方として思うのでした。
確かに。これがまた声優さんとかダンサーさんとか、いろんな人、いろんな職業の人が考えると全然違うでしょうね。
そうなんだよね。だからその声だってね、似てる声とかたくさんあるし、例えばモノマネしてそっちに行く、寄せていくことはできるんだけど、
根本、もうね、その周波数レベルで言うと、もちろん同じ人もいるんだけど、結果的に。
じゃあ何十年もそれでできるかっていうのは違いが出てくるだろうなーとか思ったり。
個性の形成と職人技
そっかそうですよね。だからもう大工さん、例えば宮大工さんとかも、あれももう絶対固定じゃないですか。
もう習ったものに沿ってやらなきゃいけないだろうから、あれでも個性がある人は絶対いるでしょうしね。
じゃあなんか例えばカンナを一つかけるだけでも、その体重ってその人によって違うんだから、それによってあの薄いさ、0.0何ミリみたいなピシッて引くの技術だって、
あれだって結局その人によって違うわけじゃないですか。だからそれはもう自分で見つけるしかないよね。
そうですよね。
形としてはこういうのが形でやるんだ、削るんだんだけど、その手のさ、荷重のかけ方とか、抜き方とかは、もう本人がやるしかないじゃん。
それはもう教えらんないじゃん。
一人一人職人さんによってもね、違うところだからさ。
そこはもう教えらんないから自分で見つけるしかないよね。
それはもう形という、古典芸能で言えばもう型の中にあるから、あとは自分で突き詰めていきなさいみたいな感じだもんね。
社教を書いて、真似して真似して、結果俺はこんな感じの職人になったってことですもんね。
宮田彦さんとかも結局は。
これ以上はもう無理。寄せらんないっていうところまで行くと、それはこうですよね。
そうですよね。だから陶芸家さんとかも、画家とかもそうなってくるんでしょうね。
絶対模写とかから始まってるでしょうからね。
芸事とか学ぶイコール真似部から来てるみたいな。真似事からやっぱり我々入るから、それは大事だから。
どんなに真似してもいけないところがあって、みたいなところがきっと出てきて、それが子であって、そこは尊重すべきものだったり、時には邪魔だったりするけれどね。
それは例えば、世に出すときにどういう求められ方をするかによって異なってくるんだな、完璧なコピーはできんっていう話で。
そうですね。それがコピーできたらもう機械ですからね。
そうそうそうそう。
個性がなくなってくるわけですよね、機械を見ると。
もう一つは、中身はどうなのかっていう話です。今、ふなちゃんが言ったみたいに、全く同じ、例えばクローン人間ができましたと。SFじゃないんだけど。
いう場合に、じゃあ物は同じだけど何が違うんだっていうと、多分環境とかによってくるよねっていう話。
これは多分後でも話すんだけど、やっぱり行動って環境によって規定されるから、場面場面とか、何をしてきたかで変わっちゃうよねと。
そうですね。
で、もう一つ根源的なところは、性格、人間的な性格の個性で言うと、一番大きいのは、何々せずにはいられないとか、いてもたってもいられないことが、性格的な個性が現れるところだよねって思ってる。
これをやらずにはいられないっていう習慣があるっていう。
そうそう。それは人によって違うじゃない。これは頑張らずにはいられないとか、この人を、例えばこの子を守らずにはいられないとか、この子のために何だってするみたいな。
だから恋愛とかだったら、この人のために考えずにはいられないとかね。この人のことを考えずにはいられないっていうのは恋愛状態になるし、その人のために何かせずにはいられないとか、災害があった時に助けに行かずにはいられないみたいなこと。
努力の方向性とかもね。別にやんなくてもいいんだけど、このアイディアをちょっと見せたくてしょうがないみたいな。
別に頼む。我々で言うと、別にこれを演出家からやれとか要求があったわけでもないんだけれど、このアイディアを見せたくてしょうがないから、こっそり練習して。
やるそれ。
それは我々の。
温めてね。
これ絶対面白いから最終稽古にやろうみたいな。
それやらずにはいられない。
それが個性ですよねっていうキャラクターとして、性格としての個性としてはそれかな。
それはやっぱり本当に人によって違って、何にエネルギーが出るかみたいなことは人によって違うよね。
そうですね、確かに。
ドラえもんに見るキャラクターの個性
だって中井ちゃんもね、学生の頃は砲丸投げをやってたわけでしょ。
そうですね。
砲丸投げを投げたくてしょうがなかったわけだもんね。投げざるを得ない。
そうですね。毎日投げたくて仕方がなくて。
絶対投げたくないもん。
絶対投げたい。めっちゃ楽しいですよ。
だからそれが個性なんだって。
そうですね。
万人が砲丸を投げたくてしょうがないわけじゃない。
そうですよね。
そっかー。
万人が42.1区を走りたいわけじゃない。
走りたくないですもんね。
でも走らずにはいらないわけじゃない。
いらないわけですもんね。
そこにエネルギーが出せる人は。
それはだから知らずにエネルギーを湧いて、そこに行くことを惜しみなくしちゃうみたいなことが、
性格上の個性の強さですよね。
それが仕事とか趣味で見つかってると、すごくハッピーなライフだし、クオリティーオブライフが高いやつじゃないですかね。
確かに。
忠実してる人だっていう感じがする。
そうですね。仕事でも趣味でも。
お仕方とかもあるし。
それがないからみんな自分探しとかさ。
なんか、よそに求めるけど、外部に求めるけど、中にあるんじゃん。
そうですね。
だからいろんなことやってみって言われんじゃんみたいなのは、こういうことを考えると、そうかなと思う。
そうですね。内部に確かにありますね。
そうそうそうそう。
そこはものすごくその瞬間に、一日にエネルギーがバーンと出るんじゃなくて、
これは別にすごい好きなわけじゃないんだけど、他の人は毎日したくないって言うけど、私には毎日できるみたいなことも個性ですよね。
そうですね。
毎日少しずつエネルギーを出せるみたいなことも個性なんで。
個性ですね。
ちょっとずつ何かができるっていうのは。
すごいですよね。
週間からもあるかもんでしょうけど、毎日掃除なんて絶対できないですもんね。
そうそうそうそう。
お母さんとか毎日やりますもんね。
そうそうそうそう。
確かに。
すごいよね。
だから、それはなんか家族を守らなきゃいけないっていう何かから来てるんだろうけど。
この子のためだったらとかね、家族のためだったらみたいなことを。
家族のためにとか、料理を毎日作ってあげたいっていうのもあるわけだもんね。
そうそうそうそう。
だからそれは、これはこのせずにはいられないこととか、
いてもたってもいられないことって過変なんだよね。
環境とか状況によって変わってくるし、年齢によっても変わってくるものだから。
趣味だってね、どんどん変わってっていいし。
っていうことはあって。
それは個性と言えるよなーとか思いながら。
そうですね。
才能とも言えるけどね。
その部分は才能として割と取り沙汰されることが多いよね。
自分の得意なことはこれですみたいなことよく言われるけど、それに近いかなーって感じがする。
そっか、なるほどね。深いですねそれは。
日常生活における個性としてはこんなことを考えてて。
劇作におけるキャラクター設定としての個性。
これはさ、我々お芝居をする上で役を演じるってなると、
その役の人生の断片を演じるみたいなことよく言うじゃない。
その一生分考えたりするけど、見せるのは断片だから。
そうですね。
1時間とか2時間とか3時間とか4時間とか、5、6ね、7時間とか。
断片ですよねっていう感じだから、そこに要約されたり表現しないものはあんまり求められないんだけど、
作品の上で何をしたいキャラなのかっていうのが、端的には一番大きいかなっていう感じがしますね。
この人これが欲しいからこうしてるよね。
そうですね、演出家とか作家さんが求めてる。
基本的には台本上、この役はこのためにいるみたいなことってお客さんには分からないんだけど、
基本的にはそのために、これあんまりね、理解されないんだけど、ドラえもんあるじゃないですか。
僕、平成版というか新しいバージョンのアニメは見てないんだけどあんまり。
あれってギャグ漫画なんですよね。
はいはい、そうですね。
コロコロコミックから読んでるけど、ギャグ漫画で、要はのび太というコンプレックスの塊が、
ジャイアンという暴力性とか、学校とかいう社会的な抑圧とか、
スネ夫とかいう資本主義で上位の人間とかの抑圧に対して、
ドラえもんの秘密道具というズルをして勝とうとするのを失敗しているのを笑うギャグ漫画なんですよ。
そうですね。
だいたいそうなってるんですよ。だから最後助けてドラえもんってなるわけですよ。
あ、のび太君はやっぱりこうなんだな、みたいなことになるじゃないですか。
あれはズルをすると失敗するよっていうギャグのオチになってるんだけど、
唯一、自分で頑張るとハッピーエンドになるんですけど。
とかおばあちゃんとかあって、立ち直るとハッピーエンドになるっていう構成なんですけど。
その作りとしてはそうで、じゃあジャイアンは何でいるかっていうと、
ゴーダたけしとかなんとか商店の息子とかいろいろあるんだけど、
要は不条理な暴力性を表現してるんだよね。
そうですね。
あっていきなりむしゃくしゃするから殴られるみたいな。
ありますよね。そんなシーンありましたよね。
たくさんありますよね。
スネ夫は資本主義の上位にいる、要は金持ちであるっていうのを、
自分が手に入らないものを持っているみたいなことを不条理に押し付けてくるよね。
学校もそうだよ、社会性もっと勉強しなさいって抑圧してくると。
お前は点数が低い。
だからそのために存在してるわけですよね。
そのキャラクターなんだけど、
それを伸びたに与えるために構造上存在してるから、
なんで伸びたにこんな不条理を俺は与えなきゃいけないんだとか、
別に考えないほうがいい。
それは要約されてるから。
とにかくあってむしゃくしゃするから殴らせろって。
なんでこの人はこんな人生を歩んできたんだろう。
あんまり考えないほうがいいわけだよ、そこに関しては。
そうですね。幼少期何があったんだろう。
そうそうそうそう。
それはあんまり考えないほうがいいわけですよ。
構造上。
そうですね。
なんでスネ夫あんな嫌な奴なんだろうみたいなことは、
考えてもいいんだけど、必要とはされないから。
それは劇作上個性として、
不条理な暴力を与える存在としていなきゃいけないっていう個性なんだよね。
なるほど。
そうしないと限られたページの中で終わんねえから。
そうですね。
個性とキャラクター設定の重要性
たかだか8ページくらいで表現しなきゃいけない。
小学生にそれ説明してもしょうがないから。
それは省かれてるわけ。
書こうと思えば書けるよ、藤子先生は。
そうでしょうね。
書けるんだけど、その不条理性がなぜ生まれるみたいなことっていくらでも書けるんだけど、
それはその対象が違うよね。
時と場所とあれが違うよねっていうことで書かれてないんだけど。
そうするとその個性としては社会的な抑圧を与える、
嫌な存在として存在、個性がなきゃいけないみたいな感じ。
そして端的に言うとそういう捉え方をする、劇作上は。
それが一番だよね。それがなかったらドラマ動かないんだから。
そうですね。
まずそれが明確にあることっていう感じ。
たしかに役割をちゃんとやらないといけないなとは本当思うんですよね。
そうそう。
だって野球だったら一番バッターは一番バッターの仕事をやんなきゃいけないし、
一番バッターは一番バッターだし、ピッチャーピッチャーだしとか。
犠牲フライとかさ。
そうですね。
送りバントやる人はちゃんと送りバントしなきゃいけないっていう感じ。
それがキャラ立ちじゃん。
それ分からずね、みんな一番バッターやったりするから。
そうそう。
大変なことになってくる。
それはめんどくさいじゃんっていうか、それはドラマにならないわけですよね。
みんなが大谷翔平になろうとしちゃうと。
それは、我々その本人をね、小松大介で出てるわけじゃないんだから、
その役を演じる時にはその役が何をやらなきゃいけないのかっていうことを劇作上ね、
まずは考えるのが一つ大きなポイントかなっていうのは。
ですね。
その後肉付けとしてどこまで表現するかとか何を表現するかっていうのは、
大相談って感じでやってるかな。
やっぱバックボーンとかって考えます?
その台本に書かれてないバックボーンってあるじゃないですか。
そこでなんか表現しなくていいこともいっぱいあるじゃないですか。
あれはやっぱ皆さん考えてます?
議題とかそれは。
個性だからね。考える考える。
やっぱそうですよね。
それが、例えば共有する必要があるかどうか。
その他の役とね。
例えば兄弟の役だったらめっちゃ共有しなきゃいけないじゃん。
家族の役だったらいつ生まれてどんな生活をしてたんだろうね。
とかどこに住んでたんだろうね。
っていうのは共有しておいたほうがいいよねっていうことはあるから。
そうですよね。
それはね、なんかじゃあ一つの村とかだと、
それでも共通認識がないといけないんでっていうことがあるから、
それはすごく考える必要があるよね。
そうですね。家族ものとかやっぱそうなってきますよね。
特にほら、僕らはその役を演じることが多いわけだけど、
ドラマを作る側、作家さんとかだと、
例えば新木博彦さんだと、
その完全な履歴書を作るわけですよね。
役の履歴書ってことですか。
ちょっと待ってね。多分あるんだよね。
すごい。
新編調査書っていうのを全部。
キャラクターの。
作り方が書いてあるかな。
すごい。
本当に細かいですね。
そういうのあるんですね。
趣味・娯楽・好き・嫌い・異色獣・習慣。すごい。
なるほどね。
これは書かれているのは、キラ・ヨシカゲ・大文化の新編調査書に書き込まれているやつが、
新木博彦の新漫画術・悪役の作り方っていう本に載ってるんですけど。
悪役なんですね。
今回は2作目。この本がね。2作目だからフォーカスが悪役にいってるんだけど、
そういう新編調査書って書いて、そうするとよくキャラクターが勝手に動き出すみたいなことになってくるらしいんだわ。
これはある程度共有しなきゃいけないですよね。
そうですよね。
こういうふうになって、このキャラクターは動いちゃうんだ。
さっき言ってた、動かざるを得ない。
得ないやつですよね。
せずにはいられない。だからキラ・ヨシカゲだと殺さずにはいられない。
それはどういう動機かわかんないんだけど、台本をもらった時には。
なんとかイメージに近づくためにはそういうことを埋めていくみたいな。
はあ、すごいなあらき先生。
一応台本上とか劇作上はラスボスとして、街を恐怖に陥れる殺人鬼としていなきゃいけないんだけど、
肉づけ、それは当然最初にあるわけじゃないですか。ラスボスの設定として。
その後、じゃあどうしてこの人はこういうふうになったんだろうっていうことを、あらき先生は全部埋めていくと。
それはだから、その後そのキャラクターの行動にかかってくるからってことだよね。
ひずかやって演じる時に我々もそういうことをある程度共有してなきゃいけないよねっていうことになってくるよね。
っていうので、ふなちゃんが言ってた、役の深掘りみたいなことは、する必要があることが多いって感じは。
ああ、そうですよね。
子供向けのキャラクターのなんとかちゃんをさ、深掘れないじゃん。
そうですね、確かに。深掘れない役もあります。
ただ明るくて人気者とかさ。
深掘んだところでってね。
深掘れはするけど。
表現はできないよねみたいな。
それは必要ない。
必要ない表現ですかね。
構造上それを演じるしかないって感じが個性だし、それを求められる方がそういう感じだからっていう感じですかね。
だからあとは、そういうのはあって、特に我々が演じる時って基本的にはドラマだから、
そのドラマ上でいる役っていうのは、ドラマって基本的に要約されたものだから。
だから要約して協調された部分があって、それは例えばアニメとかだと誇張されていくよねみたいな。
役に基づく演技と環境
使い分けみたいなことが日常淡々バージョンもあるし、めっちゃドラマチックに叫ぶやつも。
そんな叫ぶやついないだろうってなるんだけど、でもドラゴンボールだったら叫ばなきゃいけないじゃん。
技目言って技出さなきゃいけないですからね。
それはもうマストですもんね。
協調であり、誇張であり、アニメ的な漫画的な誇張が必要になってくる場合もあるよねっていうのはあるかな。
そういうのは、そうですね。
深いですね。
深いですね。
あと考えたら、古典ラジオでよく言われてるのもあって、これは劇作とはあまり関係ないんだけど、
行動って環境によって規定されるよね。
つまり俗人的に、人間が優しいからこういう動きをするとか、
残酷な人間だから人をあんなに殺すんだっていうことって、戦国時代なんだからやるだろうっていう話とか、
家康信長秀吉、自分もおかしいけど、ほらホトドギスの話あるけど、
それは信長が残酷な人間だから殺すわけではなく、家康が優しいから待ってるんじゃなくて、
その場で、その状況だったらそうするしかない、みたいなことだからそういうことをしてるんであって、
俗人的なキャラクターとしてやってることってそんな多くないでしょ。
だって、我々だって実生活で、例えば年齢が上がってきたら先輩風にしなきゃいけないわけだし、
厳しいこと言わなきゃいけない時だったら厳しいこと言うけど、そこだけ切り取ってみたら厳しい人になっちゃうけど、
とかね、子供と遊んでる時だったら子供に優しい人になっちゃうけど、そこだけ切り取ったらそうだけど、
いや、それはだって子供といたらそうなるじゃんっていうだけのことであって、
そこにその人が特別優しいからとか、そういうキャラクターが入っての話じゃないじゃん。
でもドラマとかではそういうふうに、さっき言った、ドラマを動かすためにそういう役を、役図形をされてる、キャラクター設定をされてるから、
そういうふうにされてるし、そういうほうが分かりやすいからそうしてるだけであって、
別に、お客さん、レストランとかでさ、お客さんと定員だったら、定員だったら丁寧に接するじゃん。
それは別に、はるさんが丁寧な人間じゃないとは言わないよ。
はるさん 丁寧な人間じゃないのかもしれないですね、私は。
じゃあ、家ではそういう丁寧な接客をするかとか、別にしないじゃん。
そうですね。
そうですね。
いらっしゃいませとかは言わないし、
母とか父とかに、こちらどうぞとかも言わないし。
言わないよね。
でも、あの人は丁寧な接客をする人だって言って、丁寧な人っていう断片を我々は認識してるじゃん。
そうですね。
横暴な客とかあるけど、それは横暴な客っていう断片を見てやってるけれど、
それはその人の断片であってっていうのは。
ドラマ上はその断片を演じることが多いから、そういう人間であるっていうふうに思われやすいけど、
っていうことは。
それ以上のことは基本的には求められないんでっていうことだよね。
そうですね。
だから行動は環境によって規定されるんで、
二面性みたいなこと言われるけど、いやいやいや。
だから行動、環境によって変わるだけでしょっていうのが、
個性の捉え方としてはフラットなんじゃないかなっていう感じですね。
エンターテイメントの視点
なるほどね。
そういう感じかな。
すごいですね。
すごかない?すごかない?
いや、なんかちょっと、俺のやつ全然。
やっぱ違いますね、個性。
個性についてたからね。個性とは何かの話じゃなくて、個性についてたから。
いろいろルートが違うわけよ、派生の仕方が。
そうですね。
俺はなんとなくこういうことを考えて、
実生活とか、劇作に取り組んでるかなっていう感じが、
を軽くまとめたって感じだけどね。
すごいな。
じゃあそれがね、うまく表現できるかどうかっていうのはまた別の話なんだけど、
中間人です。
はい。
いや、勉強になりましたね。
勉強にはならないと思う。
ドラえもんの読み方一つ違ってくるかもしれない。
それはさ、友達に話したらさ、
いや、こまちゃん、それはつまんないよって言われたことがあって。
そうなんですか。
そういうものの見方は、だからエンターテイメントとして作る側の話であって、
見てる側はそういうこと気にして見てないから。
まあ、そっか、そうですね。
いや、しょうがないじゃん、それは。職業柄ねって感じですね。
そこはね、ちゃんと丁寧に作らないと、お客さんもね、
そんな雑なものを見せるってね、面白いもんじゃないから。
でもドラえもんの話は我ながら分かりやすいし、
作品の構造と成功の秘訣
そこを分かりやすく作ってる藤子先生がすごいと思うんだけど。
基本的にはそういう作りになっていますぜ。
あの、ロングランになる作品って割とそういうの多いよね。
例えばこち亀もそうだよね。
あー、そうですね。こち亀もそうですね。
りょうさんが人間場内した能力で新しいことをやって、
1回成功するんだけど、その後1コマぐらいで調子に乗って、
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃになって、最後は後始末をぐしゃーってやって、
大原部長が、りょうさんの場がどこだ!って出て、
中川さんが、どこどこ行きました!って。
で、最後大コマで終わるじゃん。
あれが1つ基本パターンであるよね。
そうですね。
でも、りょうさんが人情で動くと、最後いい話になって終わるんだよね。
ですね、はい。
そうだそうだ。
で、寅さんも同じじゃん。
そうですね。寅さんもそうですよ。
うん。
りょうさんみたいなもんですからね。
そうそう、結局1回帰ってきて、
寅桜、調子はどうだい!みたいなことを言って、
一通りの下りがあって、
バカだね!って言われて、
それ一応おしまいよ!って言って出て行って、
また風雷の旅に出て、そこで綺麗な女性と出会って、
そうですよ。
で、終わり。
失恋して終わり。
そのパターン。
そのパターンだね。
でもそれは、例えば特撮の戦隊ものとかさ、
もう全部そうなわけじゃん。
必ず敵を倒さなきゃいけないんだからね。
それはパターン化として、
これをやんなきゃいけなくて、
じゃあなんでその怪獣が現れるか、
日本に、東京に現れるんだ!みたいなことを問い直したら、
めんどくさいわけじゃん。
キリがないですね。
キリがない。
そこを突っ込むと別の角度の作品になるじゃない。
そこを補完するにはやっぱこうだよな、みたいなことで、
新ウルトラマンとか出てくるわけじゃない。
そうですね。
新ウルトラマンができるためには、やっぱりその前にウルトラマンがあって、
そこには何の理由もなく、
日本に怪獣が来るみたいな。
ゴジラが来るみたいな。
その前提があった上で、
新ができるっていう。
そういうことだよね。
怪獣はとりあえず何か壊さなきゃいけないっていう個性がある。
ぶちゃくちゃにしなきゃいけない。
それはそこに劇作上与えられた個性があるっていうことですよね。
ウルトラマンはそれを止めなきゃいけない。
ウルトラマンはそれを止めなきゃいけないっていう存在。
という個性。
みたいなことが劇作上あって。
そうですね。
捉え方するとちょっと見方がね。
そういうのがすごく、
ヒット作品なんかには、
そのパターンでロングランできる。
そういうのに関しては、そういうのがうまくバランスが取れられているということだと思う。
そういうことですね。
だってドラゴンボールだってワンピースだって、
僕はあんまりワンピースはしっかり読んでないんだけど、
基本的にはパターン同じじゃない?
戦って仲間になって。
っていうパターンがあって、
それを我々満足して見てるわけだから。
そのパターンを明確にやってると、
気持ちよく読めるのかなって。
そこはあやふやじゃいかんのだろうなっていう感じ。
そうでしょうね。
するっていうのは、
その個性というか役割とか構造を、
そういう目線で見ると、
作品はそういう方向でも見れるって感じかな。
という話でした。
特撮と怪獣の個性
ということで、今回私の話は終わりたいと思います。
じゃあ次回は津田原さんですかね。
はい。お願いします。
今回こんな感じで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
43:08

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