1. GIFT
  2. 【001-3】42歳、急性大動脈解..
2025-12-22 13:32

【001-3】42歳、急性大動脈解離からの生還。死の淵で悟った「自分がいなくても回る会社」の真髄|田畑俊介 × 立石麻由子

#001-3 手術台で気づいた「地位も金も無意味」。事業を手放す究極の経営論

M&Aのプロ田畑俊介さんの人生最大の分岐点は、事業拡大の最中、42歳で襲った「急性大動脈解離」でした。3週間の意識不明、手術台で感じた「地位も金もあの世には持っていけない」という真理。しかし、その不在が皮肉にも「自分がいなくても回る組織」への進化を証明することになります。20代の実力主義、30代の異業種転身を経て辿り着いた、「事業は自分のものだが、自分のものではない」という経営哲学に迫ります。

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

以下のリンクから立石麻由子のLINE公式アカウントにご登録ください。

番組の感想のシェアや、立石麻由子への質問をメッセージでお送りください。 登録いただくことでコミュニケーション診断も受けられます。

\今すぐLINEに登録する/ ▶️https://lin.ee/p8SKzK3

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

🎧今週のハイライト🎧

  • 20代は完全実力主義の会社で洗礼
  • 年功序列なし、成果が全ての環境
  • 30代は異業種へ「キャリアチェンジ」
  • マネジメントを学ぶための転職戦略
  • 42歳で急性大動脈解離を発症し倒れる
  • 3週間意識不明、手術直前の悟り
  • 死ぬ間際、売上や社員数は無意味
  • 感謝されることだけが人生の軸
  • 自分がいなくても回る仕組みの勝利
  • 父の脱サラ起業が与えた無意識の影響

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

Chapters

  1. オープニング:人生の分岐点
  2. 20代の分岐点:完全実力主義での学び
  3. 30代の分岐点:異業種キャリアチェンジ
  4. 最大の分岐点:42歳、急性大動脈解離
  5. 手術台で気づいた「地位や金」の無意味さ
  6. 不在でも回った会社と「仕組み化」の成果
  7. 事業は「自分のものだが自分のではない」
  8. 父の脱サラ起業を見ていた高校時代
  9. エンディング:次回は後世へのギフト

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

👥 コミュニケーション 👥

Discordに参加する

Lifebloom.funが運営するDiscordへのご参加お待ちしております。 番組リスナーだけのチャンネルを覗いてみてください!

▶️https://discord.gg/c7eDuJcesE

❷お便り募集

番組へのお便りは以下のお便りフォームまたは、gift@lifebloom.funまでメールにてお寄せください。

✏️https://gift.lifebloom.fun/contact/

❸レビューとコメント

お聴きのPODCASTアプリで、番組の評価やコメントをお願いいたします。 あなたの評価やコメントで、より良い番組へと育って参ります。 お気軽に思いのままの評価をいただきましたら幸いです。

\ Spotifyでのレビューの書き方解説を見る / ▶️https://lifebloom.fun/spotify-reviews/

❹番組のシェア

あなたのご家族や友人、同僚や先輩後輩など、番組に共感をいただけそうな方に向けて、番組のシェアをお願いいたします。 SNSで「#人生の分岐点 #立石麻由子 #経営者のリアル」をつけての投稿もお待ちしております。

\ 以下のリンクもシェア / ▶️https://gift.lifebloom.fun/

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

今回も最後までお聴きいただきありがとうございました。 この番組は、人生に花を咲かせるPODCAST番組をお届けするLifebloom.funの制作でお送りいたしました。

 

サマリー

このエピソードでは、田畑俊介氏が急性大動脈解離から生還したことを通じて得た人生の教訓や、彼が経営する会社のあり方についてお話しします。特に、会社は自分がいなくても運営されるべきであるというメッセージが強調されています。42歳で急性大動脈解離を経験した田畑氏は、自身の体験を通じて「自分がいなくても回る会社」の重要性に気づくまでの過程を語ります。彼はまた、身近な人々の影響や自らの人生の分岐点について振り返ります。

00:00
綺麗事じゃない人生のリアル。 ゲストの生き様と未来に残したいGIFTを紐解きインタビュー番組。
立石麻由子が、本音の対話をお届けします。
はい、それでは田畑さん、3つ目よろしくお願い致します。
はい、お願いします。
ありがとうございます。
人生の分岐点
今回のお題は分岐点ということで、人生の分岐点をいろいろ聞いていこうと思うんですけれども、
分岐点というと、いろんなタイミングが人それぞれあると思うんですが、
若い時の分岐点というか、人生を背中押してくれたなとか、逆にこっちに引っ張られたなとか、
そんなエピソードってございますか?20代、30代。
20代、30代。僕が初めて社会に出た時に入った会社が、皆さんも知っているような会社だったんですよ。
はい。
ここでの経験が、やっぱりかなりその後の人生にも影響しているので、分岐点なのかなと思って、
要は年功序列とかがあまりないところで、やればやった分だけ評価に跳ね返るよみたいなのを当時からやっている会社だった。
そうなんですね。
はい。なので、僕もそこでプロモートを昇進していく中で、自分より年も上で、
その会社のキャリアも上だけど、自分の部下みたいな、年上の部下みたいなのが普通にいるような環境を当時味わっていたんですよね。
これはすごく僕にとっては衝撃でもあり、やっぱりちゃんとやらなきゃダメなんだなっていうのを知らされたというか、
学校と違ってやっぱりやれることを示した人間にある程度評価をされるんだなっていうのを感じたのは、20代の大きな分岐点かもしれないですね。
そこでもしそうじゃなくて、なあなあでいくようなところでいい環境だったら、今こうはなっていないかもしれません。
なるほどです。でもその経験がやっぱりあるから挑戦をしつつ、30代半ばで副業をチョイスするって流れになると思うんですけれども、そこは背中を押されたきっかけがあったんですか?
背中を押されたきっかけは、最初にいた会社でいろんなご縁もあって機会もあって、少し海外に行く機会があったんですね。
そこでやっぱりいろんなものを見るわけですよ。いろんな人に会っていろんな話を聞いていろんなものを外から見るみたいなことになって、
そこが僕の中で一つ価値観が変わったというか、おぼろげな小さい頃からそれこそ会社の社長っていうのはなんとなく興味があったんです。
当時の言葉でエグゼクティブっていう単語にすごく惹かれていたのが20代の後半ぐらいだったんですね。
30代の頭ぐらいから少し海外に行く機会があったので、そこでやっぱりそういったものをまた意識することになっちゃったんですよ。
エグゼクティブというかマネジメントってなんだろう、なんていうのがおぼろげに思ったのは30代の頭半ばぐらいですね。
そのきっかけで、きっと私のイメージで言うと田畑さんは行動もしてると思うんですけど、目の前の人の信頼度ってすごい大事だと思うような方な気がしてて、
たくさん学びに時間も費やしてたんじゃないですか。
僕は机に向かって勉強ってほとんどした覚えがなくて、どっちかというととにかく行動をしたというか、仕事でもそうですけど、やっぱり動くこと。
あとはチャレンジすることですよね。なので私、転職の経験何回かあるんですけど、実は同じ業界を2度以上やってないっていう、全部違う業界。
キャリアアップじゃなくてチェンジをずっとされてるってことですか。
もちろんポジションも変わっていくんですけど、基本はキャリアチェンジで、目的はマネジメントに近づきたいっていう目的があって、
そうすると僕の中では、マネジメントってそもそもどんな商材を売ってるかっていうよりも、組織をどうマネージするかがメインなので、別に業種はいいだろうと。
ということで、いろんな業種にお世話になったっていうのもあって、その意味ではやっぱり行動というか勉強というか、どうしたのかもしれません。
なるほどです。そんな中、会社も今お2つ経営されてて、会社が大きくなりにつれてのきっと分岐点あったと思うんですけれども。
分岐点か。
はい、ございますか。
出会った教訓
1つは美容の授業を始めたっていうのは大きな分岐点でもありますし、1番は僕が倒れたっていうのが本当の分岐点で、
6年前、もう7年前か、正月に倒れて3週間くらい意識がないみたいなことがあったんですね。
はいはい。
2018年か、9年の正月に、急性大動脈回離っていう名前の病気に42歳かなで発症しまして。
そちらがこのタイミングだったんですね。
そうなんです。それがちょうどエステの授業を始めて2年目くらいの一番忙しいタイミングだったんですよ。
そこで自分がしばらく戦線離脱し、それをうまくリカバリしたんですけど、
2年前かな、将来的なリスクを下げるための手術を受けることになって。
その時は本当に歩いて手術室まで行ったりとか、結構わきわきとやってたんですけど、
麻酔かけられる直前にふと思ったのが、結局ここに寝っ転がっちゃったらお金とか何にも関係ないんだなと思って。
どれだけ大きくしても。
自分がどれだけ会社を大きくしようが、社員が何人いようが、売上がいくらあるほうが、
それってここに乗っかった瞬間何も関係なくて。
ってなると、これってやっぱり人にどれだけ感謝されるかっていうところを軸にしないと、
先々何もできないんだろうなって。
っていうのがちょうど2年くらい前ですかね。
本当の分岐点はそこかもしれないです。
田畑さん出会った時に、僕の体はね、みたいな話をしていただいたことがありますね。
人造人間ですってそう。
別です。
一人一人の人生の中で、精神に関わることとかってあったりするじゃないですか。
田畑さんにとって、手術とかっていうのも含めてだと思うんですけれども、
会社と自分って重なっているところがありつつ、分裂して育てるとか、いろんな感覚あるじゃないですか。
分岐点で今エピソードをお聞きしたんですけど、これきっかけに会社を見る目が変わったとか、
自分の中で何か事業に携わる感覚が変わったとか、そういうのはあるんですか。
会社の新しい視点
ありますあります。結局自分がいなくても回らなきゃダメだよねっていうのを我が事で感じるっていうのが一番大きかったかな。
人に向けて標準化とか、マニュアル化なんて言ってたんですけど、
実際僕が最初に倒れた時も、1ヶ月何もしなくてもちゃんと動いてたんですよ。
なるほど。
店舗は売り上げの記録まで取ってくれてたと思うので、しっかり売ってくれてたんです。
だから気がついたら銀行口座お金増えてたんですよ。
なるほど。すごいです。
すごいなって。
当たり前じゃない。
それがあって1回目ですよね。
2回目の手術する時もやっぱりふと思ったのが、もちろんいろんなリスクがあるので、もし現場に復帰できなかったらとか考えるわけですよね。
って考えた時に本当に会社を見る目が自分のものであるけど自分のものじゃないみたいな。
あしたりでも誰かに渡せる状態にしておくことってやっぱり大事なのかな。
なるほどです。
というふうに強く感じましたね。そこから本当に見方が変わって。
分岐点の体験
美容の授業ってうちの中で売り上げも高いので、もともとがっつりやってたんですけど、私今月に2時間ぐらいしかもうやらなくなりました。
そうなんですね。
もううちの家内がもともと役員で会社に入ってはくれているので、もう彼女に美容の授業ほぼ全て任せている状態。まだまだですけどね。
なんですけども現場周りのことは私はほとんど何もせず。
そんな風に見方が変わりましたね。自分のものだけど自分のものじゃないっていう感じです。
これがきっと今ボッド教室に来ていただいている皆さんでも、自分のお仕事をすごい向き合っている方がいる中で、自分が動いているから提供できることがある素晴らしい範囲があるからこそ、自分が触れなくても人の幸せに携われるものを残していく。
これが仕事の可能性だけではなくて、田畑さんの人生の経験があるから、より今までを伝えていくっていうところにはつながっているんだなって今すごく伝わりました。
自分のものでずっと抱えておいてもいつか手放さなきゃいけないんで、その日は突然来るんですよね。
なるほど。
僕は突然来かけた人なんで、42歳なんて病気なんて無縁じゃないですか。
まだ全然関係ないよっていう。
朝まで酒飲んじゃうみたいな人もいるわけじゃないですか。僕はタバコも吸わず運動もしてたのになったんで全く意味がわからなかったんですよ。
なるほど。
それでもある日突然来るわけですよね。
その数時間前までアルコール飲んだお食事もしてたのに、たった数時間後に発症したりするわけですよ。
本当に何が起こるかわからないんで、っていうのを自分の体験で本当に嫌ということを知りました。
なるほどです。すごい分岐点。
もう一つ最後このコーナーでお聞きしたいなというふうに思うんですけれども、
自分の体験で得る分岐点もあれば、身近な方が何か起きて感じるものっていうのもあるかなっていうのを思うんですけれども、
身近な方の体験を真横で見てみたいなことがあったりしますか。
それでいうと、本当僕子供の頃の話に戻っちゃうんですけど、身近な体験って。
私の父親はもともとシステムエンジニアだったんですよ。
エンジニアさん、はい。
身近な存在の影響
今でいうIT系ですよね。
はい、もう今は無くても難しい。
そうなんですよ。
で、突然僕は高校3年生、この何かの時に会社を辞めて会社を作ったんですよ。
それを真横で見てたんです。
20数年勤めた会社員を辞めて、いきなり俺会社辞めたから自分でやればっていうのを横で見てたんで、
それって今の話で思い出したんですけど、
僕にとって誰かの経験とかやってたものをまじまじと見たら自分の親なんですよね。
なるほど。
だから血は争えないってことですね。
お父様が身近で見せてくれていた。
はい、すげー苦労してましたけど。
その姿を見てても自分でやるっていうことを選択してる田畑さんって感じですね。
そう、見てたからできるんじゃないってどっかにあったんでしょうね。
それは、その当時は全然分岐点でもなんでもなかったですけど、今のとおりそれを見てたからこそやるかもしれないって思えたんでしょうね。
身近な存在って後々これが繋がるなってことが多いですよね。
ほんとそういう感じです。
ありがとうございます。
では、今回のお題の分岐点については取らせていただきますが、次のコーナーで最後でコンセで残したい思い、ギフト、そんな話を聞かせていただこうと思います。
ありがとうございました。
今日の物語の中にあなたへのギフトはありましたか?
その言葉が明日を自分らしく生きるための小さな勇気になりますように。
次回はタペイシマニコがゲルトのコンセで残したい思い、ギフトについて掘り下げます。
ぜひこのまま次の物語もお聞きください。
番組へのご意見を概要欄のLINE公式アカウントへお送りください。
あなたのメッセージをお待ちしております。
この番組は株式会社ルボンモンドの提供でお送りいたしました。
13:32

コメント

スクロール