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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
いきなり余談ですけども、週に2回ほどこのラジオを撮って、まとめ撮り、何本かずつですね、3本とか4本とかをまとめ撮りしてるんですが、
毎回1本目を撮るときにですね、ちょっと緊張するというか、気乗りしないんですが、
それがこの1本目ですね。2本、3本と撮っていくうちにリズムに乗ってきてですね、
全然いいんですけど、最初の何事もエンジンをかけるというかね、最初の初速が大変だなというふうに思ったりするわけでございます。
はい、余談でした。本日のテーマはですね、言わないとわからないという人に限って言ったら傷つくことについてお話ししたいと思っています。
言ってほしいとかね、言わないとわからないってね、結構最近はよく聞くというか、何だろうな、その価値観が多様化していて、昔みたいにね、
きっとそうだろうという思い込みで、何だろうな、決めつけることは良くないよと、だから相手にちゃんと確認してねとか、もしくは
理解単純できないから確認しないと理解できないっていう感じで、言わないとわからないよっていうことでですね、言葉にするっていうことがかなり
求められている時代なのかなというふうに思うわけでございます。雰囲気で伝えるのに限界があるというかですね、
例えば、よく例でいたしますけども、手でご飯を食べている文化の人が、何だろうな、それは僕たちは知識として知っているというか、もちろん映像としても知っているんだけども、
それを何も、何だろうな、その文化的なものを理解しないまま、ただそれだけを見ると、ちょっと驚いてしまうってなると思うんですね。
例えば、手で食べるとか大したことないですね。例えば僕なんかで言うと、虫が嫌いなんですが、アフリカの原住民が、何だろう、部族が森の中でね、カブトムシの幼虫とかを食べているとかを見るとね、あれはもうちょっとどんびきしちゃうわけですよ。
それをね、何だろうな、例えば聞くとね、何だろうな、貴重なタンパク源でどたらこたらでとかって言われると、
自分はちょっと食べれないけども、彼らが食べている理由とかもわかるなって感じで、言語化してもらえることによって理解が促進されるってことは当然あるかなと思いますので、
その言葉にするってすごい重要なことかなというふうに思ってはいるところでございます。
ただですね、相手側に言葉にしてもらえませんかっていうときに、何だろうな、カジュアルなやつとそうでないやつがあるなと思っていて、
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今みたいにカブトムシの幼虫を食べている理由を聞くっていうのは、ある種相手の文化に興味を持って知りたいなっていうことで、どうしてそれを食べるんですかって聞けるんだけども、
例えば、僕とあなたの関係でみたいなときに、例えば僕があなたにちょっと僕に対して正直言ってほしいと、言葉にしてほしいと言ったときに、結構困ると思うんですよね。
何を言葉にするかにもよりますけども、困ると思うんですよね。要は本音を言ってくれっていうのってすごく困るんですよね。
なんでかっていうと、言いたければ言ってるからなんですよね。
だいたい言葉にしてないことっていうのは、おおよそ言いにくいか、もしくは言葉にするまでもないどうでもいいことだから言葉にしてないと、だいたいこの2つに分類されると思っていて、そうでないことは伝えたければ言葉にするっていうのが普通なのかなというふうに思います。
もちろん、相手が話す隙もないぐらい一方的にワーって話してたら、確かに相手に質問を送って、相手のターンにとかってあるかもしれないですけど、まあおおよそキャッチボールをしてるにもかかわらず、相手が言わないことっていうのは言わなくていいって思ったり、言いたくないって思ってることだったりすると思うんですよね。
なので、それで無理やり正直に言ってくれって言わせたところで出てくる言葉っていうのは、正直に言ってもらったらどうでもいいなとか、正直に言ってもらって傷ついたらみたいなことばっかりだったりすると思うんですよね。
それがタイトルで言うところの、言わないとわからないという人に限って言ったら傷つくことに繋がるわけですが、要は言いにくいことを言うわけですから、傷つくよねっていうことなんですね。
で、それっていうのは言いにくいなとかっていうこととか、どうでもいいなっていうこととかっていうのは、これまたね、もちろん文化圏が違うともうちょっとどうしようもない、どうしようもないというか、見ただけじゃわからなかったりするんですが、
およそですね、日本人の多くの人に対しては、なんかわかるんですよね。雰囲気で言いにくいんだろうなとか、別に言うまでもない、言うに値しないと思ってるんだろうなってことは、なんとなくわかるわけですよね。
その、刺すとかっていうことがどこかで、時代遅れみたいなちょっと言われ方というか、捉えられ方をする一面あると思うんですが、意外とそうでもないと思っていて、やっぱり言葉にするっていう部分と合わせて言葉にしなかった部分を読み取るっていうのも大事なことかなと思いますんで、
こういう時代だから言葉にしようねだけじゃなくて、言葉にもするし、相手の雰囲気を読み取るってことも合わせて重要だと思いますんで、結局ちょっと今日は正直に言ってくれみたいな話にはなってますけども、
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そういう限らずね、これいう時代だからこっちは正しいって、何かを切り捨てて何かが正しいってするのは、およそね、いつかの回で二言論が良くないみたいな話をしたと思うんですが、そこに通ずるなと思います。例えば、今デジタル化だからもうDX、デジタルトランスフォーメーションしていきましょうよって言ったときに、じゃあアナログが悪みたいになっちゃうのは良くなくて、
アナログはアナログで良いと思うし、デジタル化すべきことはすれば良いしっていうことで使い分ければ良いと思いますんで、正直に言ってくれないと分からないっていうのは、言葉にする一択になってるっていう証拠だと思いますんで、言葉にすることは言葉にする、言葉にしない、
行間を読むというかですね、読み取るっていうのも合わせてどっちも大事だよねっていうふうに私は思うので、そこら辺はですね、結構なんだろうな、どっちかに偏りがちな方とかはですね、今日のお話参考にしていただいて、ついつい言わないと分からないよとか正直に言ってよとか言っちゃうタイプの人は、少し読み取る練習もした方が良いと思いますし、逆に読み取ってばかりで全然言葉にしない人は、言葉にする練習をした方が良いのかなというふうに思いますんで、
その辺はバランスかなと思いますんで、ご自身に合ったバランス感覚でやっていくと良いんじゃないかなと思います。本日は以上でございます。またお会いしましょう。さようなら。