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  2. #253 何のために
2021-01-22 09:44

#253 何のために

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そもそもの出発点となる思想が育っていない人間が、一体何を為すのだろう。昼休みのサッカーは、そこに意味や目的のない「楽しい、以上」の数十分だった。しかし、社会とは昼休みのサッカーなのだろうか。そうとも言えるし、そうとは言えないかもしれない。勝てばよい、楽しければよい。確かに、個人としては正しい気もするけれど、やっぱり何か空虚だなぁ。/サイコパスのラジオは、サイコパスうえみずゆうきがサイコパスな視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。うえみずゆうきが、ほぼ毎日更新中のnoteマガジン【脳内議事録】もぜひご購読ください! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、何のために、というお話をしたいと思っています。 最近寒くてですね、あの
鼻が悪い、まあもともとマンセンビエールなんですけども、特に寒くてね、その鼻の調子が悪くて で、一回ね、鼻の中を切っちゃって、こう
鼻の中の血液はね、かさぶたができて、鼻の中のその鼻くそじゃないですけども、固まってね、かさぶたがめっちゃこう、何だろうな、鼻に突っかえて
で、それをちょっとまた取り出すと、また流血して、っていうのを延々と繰り返してですね、すごい鼻が調子悪い
今日この頃でございます。何の話だって感じですけども、何のために、というお話をしたいと思っています。
小学校の頃ですね、昼休みといえばサッカーをしていました。 で、サッカーしてたんですけども
小学校のそのみんながね、サッカーの細かいルールって理解できてないんですよ。ゴールにね、ボールを蹴り入れるっていうことは分かっているけども
オフサイドって何だっけ?みたいな感じで、オフサイドのルールを知ってる人と知らない人とかいるから、いちいち説明するのもめんどくさい
オフサイドを正確にジャッジできる審判がね、いるわけでもないので、オフサイドなしのサッカーっていうのが小学校の頃は行われていました。
そうなるとですね、通常のサッカーと違って、攻撃のね、フォアドの人がね、敵のディフェンスラインの最終ラインまで戻ってこないといけないんですけども
通常ね、オフサイドがないから敵のゴール前に立ってたらチャンスなんですよね
だから敵のゴール前にとりあえずロングパス出せば、味方がそこにいるから、味方とゴールキーパーのね、相手の1対1みたいな感じになるんで
もう1人待機させておくっていうのが有効な戦略として機能してました。何の話かっていうと、ゲームのルールを理解すると有効な戦略っていうのは見えてくるよねってことです。
通常のサッカーだったら通用しないルールなんだけども、そのサッカー、そこで昼休みを行ってたサッカーのルール上を適切な戦略を取っていたってことになるんですね。
っていう感じで、自分がプレイしているゲームがまず何なのかってことを理解するってこと、そしてそのゲームのルールをよく理解するということ、その上で初めて有効な戦略っていうのは立てれるよねっていう話です。
ところがですね、世の中の多くの人がわかんないお金持ちになりたいとか言ってる人限りで、じゃあどうしたらお金持ちになれるかっていう、そのお金持ちがなんだろうな、どういうお金持ちになりたいかっていろんなルートあると思うんですけども、
投資家的なお金持ちになり方もあれば、企業家的なお金持ちになり方もあれば、なんていうのかな、ちょっと専門職みたいな形でお金持ちと言ってもわかんないけども、そこそこ安定したお金を稼ぎるようになりたいとか、
いろんなパターンあると思うんですよね、インフルエンサーになりたいとかあると思うんですけども、それはどういうビジネスモデルかみたいなこともわかってない人とかがたまにいて、なんか有名になりたい、なんかお金持ちになりたいとか言ってる人、これはまずゲームのルールを理解してないからどうしようもないですよね。
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さっき言ったサッカーもゲームのルールを理解してるからこそ敵のゴール前で待ってたらいいんだけども、普通のサッカーでそれをやったら普通にオフサイドなので意味ないんですよね。
だからゲームによっては通用するし、ゲームによっては通用しないということがたくさんあると。まずその無駄な、よくわからない戦略みたいなことをやらないように、ゲームのルールを理解するということですね。
何のゲームに参加してるのか、そしてそのゲームはどういうルールなのかっていうのを理解する。その上でどう戦うのが最も効率的であるか、効果的であるかっていうことを考えるのが戦略であるというふうに言えるわけですけども、それだけなんですが、僕が今日一番言いたいことは、
世の中ね、何のためにそれをやってるのって人結構いるんですよね。ゲームのルールをよく理解して、そして戦略も素晴らしい。だからこのゲーム勝てるよねって人結構いっぱいいるんですよね。で、勝ってるねって人もいるんですよね。
で、そういう人に、何のためにそのゲームを戦ってるんですかって聞くと、よくわからない、なんかそれっぽいことを言うんだけども、そのそれっぽいことを、じゃあそれは何のためなんですかとか、なんか原体験があるんですかとか言っても、
全部それっぽいことを言って、全然ね、あなたはやらなくてもよくないみたいな状態になっちゃう人がいるんですよね。つまり、なんかわかんないけども褒められたいとか、不安だから、生きていけないのは不安だからお金を稼ぎたいとか、そういうなんかよくわからない証人欲求とか生存欲求で走った結果そうなってますみたいな人結構いるんですよね。
別にそれが悪いとは言わないんですが、生きるため以上のことをやっているっていうことが、目的があればその副作用も含めてね、自分の目的のために走っている、いわゆる犠牲も含めてね、突っ走るってことでいいんだけども、目的もなく必要以上の成功をするってことは何が起こっているかっていうと、目的もなく誰かを、犠牲者を出してしまっているってことなんですよね。
経済っていうのは面白くてですね、誰かの所得っていうのは誰かの不採なんですよね。誰かが負けているからこそ誰かが勝っているわけなんですよ。だから目的がない人っていうのは必要以上に勝つべきではないと僕は思っているんですよね。目的がない人間が勝ちすぎるってことは目的もないところにお金が集まってしまっているってことなんで、せめて目的がないんだったらその目的のないお金を誰かに渡し上げないと、自分、目的のない人間がお金をたくさん持っていると意味がないんですよね。
何かこういうことをしたいっていう人にお金を渡していって、そういう人たちがお金を使って、目的のためにお金を使うっていうふうにしていく社会っていうのがいいんじゃないかなって僕は思っているんですよね。
何かよく分からないけども、戦略を立てるのが上手な人ほど目的が曖昧だったりするというか、曖昧ではないにしてもでっち上げたような目的、本当にそれやりたいですか、死ぬ気でそれやりたいですかっていう時に、別にやらなくてもいいやみたいなことをのためにやっている人がいると。
何でそんなことが起こるんだろうなーって考えてみたら、目的がある人ほど戦略さえ選んでしまいがちなんですよね。なので、戦略を立てるのがちょっと難しかったりする。そのやり方はちょっと嫌だなとかっていうことで、方法論には結構ね、アレルギーを示したりとかしやすいというところで目的がある人、つまり思想を持っている人ですよね。思想がないと目的って持てないから、自分から。
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ということで、思想を持っている人ほど戦略に対してもアレルギーが出やすいということで、戦略を立てるのがちょっと下手だったりすると。戦略を立てるのが上手な人っていうのは思想がない人が多かったりするので、だからこそ有効な戦略に、より合理的な選択肢にかけることができると。思想もクソもないからね。
ということで、戦略を立てる人の方が、ゲームに勝っている人の方が思想がなかったりするので、この辺は皮肉だなというふうに思います。別に思想がない人が勝ってしまったこと自体はしょうがないと思うんですけども、ゲームのルール上しょうがないんですけども、さっき言ったみたいに、でもその持っているお金とか、持っている名声とかっていうのを、結局何かの目的のために使わないと、宝の持ち腐れなんですよね。
誰かの所得というのは誰かの負債、誰かが負けてから自分が勝っているということなので、そういう意味では勝ってしまった責任というのは僕はあると思っているので、勝ってしまった人間というのは、やっぱり何かの目的のために、もしくは目的がないのであれば何か目的を持っている人のために、そのお金を投じる、その影響力を投じる、名声を投じるということで、社会と関わっていく必要があるんじゃないかなというのが僕の考えでございます。
おだしょー なので、ゲームのルールをよく理解して戦略を立てて、そうすると勝てるよというのは一つ。それはゲーム、それは別に資本主義社会というゲームも一つそうだし、オセロというゲームもそうかもしれないし、いろんなゲームがそのルールを理解して、そこに適した戦略の立て方というのがあるよねということなんですけども、それとは別に何のためにそのゲームに参加しているのか、何のためにそのゲームで勝ちたいのか、そういうのを明確にして、勝つってどういうことなのかというのもあるんですけども、
とにかくすごく哲学的なところに結局は行き着いて、自分がどうありたいか、どういうことを成したいのか、そういうことを明確にして初めてそのゲームで勝つ意味というのが出てくると思うんですよね。
それ以外の人はですね、自分の命が保てているとか、わかんない、自分の身近な人と一緒に平穏な日々を暮らせるための最低限の収入があるとかという、その最低ラインの話だったらよくわかるんですけども、
プラスアルファーのところでね、なんか欲しい欲しいになっている人たちっていうのは、ちょっと僕からするとね、意味がわからないと。戦略ばっかり立てるのが上手になって、ゲームには勝っているんだけども、勝ってどうするのっていうのがいまいちない人っていうのがないというか、ないことにさえ気づいていない人みたいな人もたくさんいるんだけども、その辺はね、僕はすごく課題感を感じていますね。
なんか昼休みのサッカーのノリですよね。昼休みのサッカーのノリなんだけど、昼休みのサッカーは、ただその瞬間サッカーをして楽しかった終わりでいいんだけども、やっぱりこの経済とかそういったゾーンまで入ってくると、やっぱり誰かが負けている。そのね、素晴らしいサッカーをしたがゆえに負けている人たちがいるのでね、そういう意味では何か意味のあることにお金を投じている、自分の影響力を投じる、実績を投じる、人命を使うということはやってみたらいいんじゃないかなというふうに思います。
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社会貢献とか、そういう美しいことを言いたいわけではなくて、目的のために資源、手段というのはあると僕は思っていますので、ゲームに勝った人はですね、勝ったからこそできることをやってみればいいんじゃないかなというのが僕の考えでございます。
何のためにやっているのか、それをね、もう一回問い直して、意味のある人生を歩んでいけたらいいんじゃないかなというふうに思います。本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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