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2021-03-27 08:14

#317 人が集まるということ

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人が集まると大変。組織化されていなくても、やはり愚人、賢人、狂人に分かれるのである。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら  https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人が集まるということ、という話をしたいと思っています。
昨日おとといとですね、 組織という法人という括りでですね、人が集まって法人というある種人格をね、なす。
例えとしてスイミーみたいなね、魚が集まって一つの大きな魚を作り上げるみたいな、そういうふうな例え方で、組織というのは有機体なんだよ、ということを前編後編ということでお話ししてきました。
それにはね、理念とか組織図、責任権限の明文化ね、とか業務、それらがしっかりと明文化されてて、かつ一貫性があるということはとても大事なんですよ、と。
で、それらを実際に動かしていくというか、運用していく上で、人がそれを運用していきますよね、と。
その人には3種類あって、愚人、賢人、強人という分類をさせていただきました。
愚人、賢人、強人、それぞれね、愚人は組織のルールを、とか文字で書かれたことを、とか言葉を知らない人たちだと。
賢人はそういう言葉にはむちゃくちゃ長けているけれども、新しいものは生み出せないよと、なかなか生み出すのが苦手だよと。
強人の方はルールを作り変えると新しいことを生み出すんだけども、ちょっとドラスティックにやりすぎて、なかなか賢人とか強人にも理解されない、賢人のごく一部にしか理解されないところがあるよというお話をしました。
それはあくまで組織と法人みたいなところの話であって、そこの中における愚人、賢人、強人だったんですけども、
そうなると、ある組織の中にいる時間が長かったり、それを人生のほとんどだと思っている人もいるかもしれないので、そうなってしまうと、
愚人は愚人になり続ける、賢人は賢人になり続ける、強人は強人になり続ける、みたいな印象を受けてしまうかもしれないんですが、決してそんなことはないなと思っています。
もう一回一言で、愚人、賢人、強人を表すならば、愚人はルールを知らず、賢人はルールを熟知し、強人はルールを作り変える、愚人はルールを知らず、賢人はルールを熟知し、強人はルールを作り変える、というような言葉で僕は表現しているんですけども、
組織の中でと言われると、確かにその組織の中にいる限りは、その愚人、賢人、強人というのはある程度は固定されてくると思うんですけども、
今日は一方、ちょっと抽象度を上げて、組織とかじゃなくて、人が集まる全般って考えると、愚人とか強人とか賢人というのが、また同じ人でも入れ替わる可能性があるんですよね。
例えば、僕がある組織の中で賢人のように振る舞っていても、別の組織では強人のように振る舞うことがあるし、また別のコミュニティに参加するときには愚人のように振る舞うことがあると。
それは今言ったみたいに、ルールですね。ルールという言葉が意味の捉え違いが起こるかもしれないですけども、いわゆるそこで求められる正しい振る舞いとか、そこで求められるやってはいけない振る舞いとかがあると思うんですよね。
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それを熟知していない、理解していない人のことを愚人と呼んでいると。それを熟知している人のことを賢人と呼んでいると。
そこのルールというか、正しい振る舞いみたいなものを定義する人のことを強人と呼ぶというふうに理解していただけると、いかに人が集まるということが無茶振りかということなんですよね。
何をしても人が集まったときには、愚人と賢人と強人が集まると。
最初の最初の最初、何かプロジェクトを始めるときに、例えば2人3人で始めたときに、全員が強人であるというパターンもあるかもしれないし、全員が賢人であるというパターンもあるかもしれないんだけども、
だいたいそういうチームというのはうまくいかないですよね。いかないですよねっておかしいね。うまくいかないパターンが多いんですよね。
全員賢人だったら、確かに合理的にいろんなことは知ってるんだけども、新しいアイデアが出てこないから既存の結局、これって自分たちでやる意味あるっけってことになっちゃうと。
だったらすでに何かあるところに入り込んでいくというか、すでにあるパワーの中に取り入っていくみたいなところが重要になってくるという感じで、
賢人だけが集まっても、そういうタイプのすでにパワーがあるところに取り入っていくみたいな入り方のビジネスとかプロジェクトしかできないんだろうなというふうに思いますね。
強人が集まった場合は全員がルールを作り変えようとするから、たぶんチームとして成立しないし、全員偶人だったら当然ながらプロジェクトというよりは無法地帯みたいな感覚だけになっちゃう。
感情と感覚だけになっちゃうから原始時代みたいになっちゃうところはあるのかなと思いますね。
なのでチームというか、コミュニティでもいいですよ、そういう人が集まるという時に偶人、賢人、強人が入り混じっている、もしくは偏っているということが起こっている。
ここをしっかり見極める必要があるのかなと思っていますね。
それはある種、偶人、賢人、強人という分断を生む、差別主義者だというふうに思われるかもしれないですけども、先ほども言いましたように、
ある場面において自分は偶人だけども、ある場面とかあるコミュニティにおいては自分は賢人であり、あるコミュニティにおいては強人であるということで、
人間は多面的であるから一つの側面だけではないと。別に固定的にこの人は永遠にただの偶人だとかいうことを言いたいわけではなくて、
あるコミュニティとかある閉じた集団の中での偶人の中での賢人という感じで、場によって自分も分類が変わってくるということが言えるのではないかと思いますね。
集団の中で賢人とか偶人とか強人のパーセンテージというのがあるなと思っていて、
それが効果的に機能するバランスというのが何体何体何なんだろうなということをすごく最近は考えていますね。
それで言うと組織みたいなものは採用活動とかありますよね。
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この人を入れる、この人を入れないとか、この人をどこどこに配置するみたいなことを多少コントロールできるところがあるかなと思いますので、
組織の方がまだですね、何体何体何ぐらいがいいかもなという実験というか調整がしやすいと。
一方でコミュニティみたいなね、このコンセプトに興味ある方は是非ウェルカムですという感じで歓迎すると、
その比率、偶人と賢人と強人の比率みたいなものまではさすがにコントロールできないというふうに思うんですよね。
そうなってきたときにバランスが崩れてしまう。
多くの場合、そのコミュニティにおける賢人のバランスが多くなったり、強人のバランスが多くなったり、偶人のバランスが多くなったりというところで、
そのコミュニティの保たれていた絶妙なバランスが崩れるということだと思うんですよね。
だから意外と男の人が増えたからとか女の人が増えたからとかちょっと年配の方が増えたからとか若い人が増えちゃったからとかという
ジェネレーション的なものとかジェンダー的なものではなく、意外とこの特性としてのというか、
ルールをしっかりと理解できるタイプかできないタイプかとか、ルールを作るタイプか作らないタイプかとか、
そういったところのバランスな気が最近はしているんですよね。
男とか女とか年取ってるとか若いとか、あんまりそこじゃないなって最近は思っています。
この何でしょう、偶人と賢人と強人が集まって何かをするということ、そこで絶妙に何かいい感じになるバランス、
それもね多分組織とかそのプロジェクトによって多分その比率、適切な比率も多分違うと思うんですよね。
だから人が集まるっていうのは相当むちゃくちゃなことやってるんだろうなというふうに思いますね。
無理があるなと最近は思います。
組織ってこう作ったらいいよみたいなことを昨日一昨日言ってきましたけれども、
あくまでセオリーを言ってるだけであって、人間っていうのはそんな単純な挙動をしないので、
とても難しいなと思う今日この頃でございます。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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