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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、属人性は悩ましいというお話をしたいと思っています。 まあこのね、地球に生きている
人類みたいな観点でいけば、属人性の塊というか、120%属人性でいいと思うんですけども、
その地球の中にね、社会というシステムを作って、その中にね、何だろう、まあね、国家だとか、
なんだかんだとシステムがあるわけじゃないですか。そうなってくると、システムの中にいる以上は、システムの異常値にならないというか、システムの範囲内で上手に振る舞わないといけなくなっちゃうということなんですよね。
で、その中でもですね、一つの企業に勤めるとすると、まあ一つの会社もまたシステムなわけですよ。
で、その会社というシステムが機能するためには、一般的にはですね、仕事を属人化させるなと、
仕組み化して誰でもできるようにしろっていうのは、これは王道だったんですね。王道だったんです。だって、僕がやることと、
AさんがやることとBさんがやることのアウトプットの質が違うと、サービス成立しないじゃないですか。
なので、なるべく同じクオリティの誤差、ビビタルもので済むような、なるべく同じサービスを提供しようということになってくるわけですけども、
そう簡単にいけませんよね。属人性が高いと、弊害としては結局その組織、会社として一貫したサービスが提供できないという、同じクオリティでできないというクオリティコントロールの問題もあるし、
今度、もうちょっと大きな観点から見ると、組織全体から見ると、例えば組織って法人って言いますよね。だから一人の人間だと会社を取られるとすると、
右手とか左手とかって部門が分かれてるわけですよね。営業部とか企画部とかね、あるわけじゃないですか。それか右腕左腕左足とか心臓とか腎臓とかって、
本来機能が分かれてる。なんかこれ組織図だったりするんですけども、属人的になってくるとその組織図が機能しなくなってくるんですよね。
例えば日本の企業の、特に中小企業の多くは、仕事に人を当てるんじゃなくて、人に仕事を当てかってるんですよね。
分かりやすい例で言うと、仕事できる人ってめっちゃ仕事を抱えてると、仕事できない人はできないなりのできる分だけしか抱えてないということで、
仕事量の差が同じ部署の同期なのに差があったりとか、でも評価制度にはそこまで如実に反映されずに、給料的には変わらないし、役職的には同期とあんま変わらないみたいなことが起こったりするんですよね。
つまり、ルール上は同期で同じ部署なんだから同じ仕事量でとかっていう感じに名文化されてるのに、実態としては暗黙の了解で仕事できる人が仕事をしまくって、仕事できない人は仕事をしない。
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けど、名文化されてるルールで言うと同じってことになってるから、評価としてはほとんど同じになっちゃうという感じで、簡単に言うと頑張れば頑張るだけ損するような組織の構造になっちゃうんですね、人に仕事をあてがうと。
もう一つは、人に仕事をあてがうと、その人が辞めるとか、その人が移動するときにその人の仕事を引き継ぐってのはめちゃくちゃ大変なんですよ。
例えば営業部にいるのに、実は企画部の業務とかも若干やってるし、何か分かんないけど工場のことも結構この人詳しくて、工場の業務も一部やってたなとなると、そんな引き継ぎできないんですよね。
工場の知識と企画の知識と営業の知識を持っててとかという人はいなくて、本来営業部の営業マンだったらその営業マンとしての業務を引き継がないといけないんだけども、
なんかちょっと違うことで責任を持っちゃってると、それ誰に引き継げばいいんだろうみたいな問題が起こっちゃうんですよね。
しかもその業務自体が人についてたものを人に渡していくので、どんどんどんどん歪になっていくという、組織としてはあるまじき状態になっていくっていうことなんですよね。
だから本来組織図っていうのは、情報の流れとか、あとはこことここが分かれてるよっていうことをちゃんと記しているものなので、
またがる場合は本来、兼任で名前をそれぞれ書かないといけない。兼任しないといけないのに、営業部にしか名前が書かれてないのに工場に何かやってたりすると、もうちょっと意味わかんない状態になっちゃうんですね。
その意味わかんない状態が、ここで喋ってるとそんな意味わかんないよって思うかもしれないですけども、結構当たり前のように部署またがりの業務をやったりとかしてたりする業務というか何だろうな、
その責任の範囲を超えて、権限の範囲を超えて、何か他部署のことをやってたりとかする場合って意外とあるなと思ってるんですね。
これだと結局その組織図とか、自分の役割ですよね。いわゆるジョブディスクリプションとか、今言いますけども、そういうものが理解されてない状態、何ならそれが作られていない状態なのかなというふうに思いますね。
なので組織なんだけども、組織的に動けてないっていうのが現状としてあるのかなと。
次にですね、業務のクオリティコントロールですね。これは多分どちらかと言うと、最終的なアウトプットは法人としてという話になるんですけども、意外とこの一個一個のアウトプットというのは個人単位でやってたりしますよね。
例えば携帯ショップで接客する人って人一人じゃないですか。全員で接客しないので、その人一人の接客で違いが出てきてしまうよね、クオリティが一緒ってことはあり得ないよねということなんですね。
工場とかだったら機械がしっかりと安定して動いてくれるわけだから、その操作をマニュアル通りちゃんとやってねという感じで、機械を軸にしているのでクオリティを均一にしやすいですよね。
どちらかと言うと人がエラーを出しても、それは人がエラーを出しているのであってというイレギュラーがわかりやすいですよね。ところがサービス業的になってきた瞬間、一気にもう俗人性が高まります。
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例えば俗人性低そうな仕事、例えば宅配便とかですね、A地点から荷物を扱ってB地点に届けるってすごいシンプルじゃないですか。
だからそこにもちろんサービスみたいな観点を入れなければ、トラックの運転手みたいなハードボイルドな感じの人がぶっきらぼうにやってもいいんだろうけど、
宅配便になるとサービス業の要素が出てくるじゃないですか。これ面白いなと思うのが、AからBに運ぶだけなんだけども、
例えば配達のスピードって人によって全然違うし、今度は荷物の扱いの丁寧さとかね、仕事の丁寧さも人によって違うし、
最後届ける時のコミュニケーションみたいなところでも人によって違うじゃないですか。だからAからBに運ぶだけなんだけども、サービス的な要素を入れた瞬間、むちゃくちゃ俗人性が高まると。
僕自身20代の頃ですね、結構長くバンドマン時代、宅急便のバイトしてたんですけども、まさに配達スピードってもう全然人によって違うんですよ。
なんでかっていうと、エリアは決められているんだけども、毎日同じ荷物が来るわけじゃないじゃないですか。毎日荷物違うから、
エリアは一緒でも、その回り方みたいなのは日々考えないと非効率になっちゃうんですよね。
例えばある日、すごい山のような書類が一社にガツンと来てると、本当はそこって流れ作業の中の中間地点ぐらいで回るところだったんだけども、
大量にそこに荷物が来るのに、流れの中でそこで回れないなとか、そういうイレギュラーが日々発生するんですよね。
なので、毎日ルートを組み直すっていうのが、ある種仕事ができる人なんですけども、見ていた限りですね、無能な人はですね、何の荷物が来てもですね、毎回同じ順番で配るから、荷物の内容によって早い日と遅い日のばらつきが半端じゃないっていうね、
という感じで、全く予測もつかないので、チームで動けないしっていう感じで、その俗人性がですね、サービスの質をかなりね、左右してたなと思います。
で、そのスピードが遅くなると何が起こるかというと、なんだろう、午前中の指定なのに午前中間に合わないとかなって、焦りますよね。
焦ると荷物の扱いが雑になりますよね。荷物の扱いが雑になると荷物が壊れるということで、大変なことになりますよね。
AからBに荷物を運ぶ仕事なのにね、Aで扱った荷物を破壊するというね、最悪の状態になりますよね。
という感じで、スピードと連動するんですけども、その丁寧さみたいなところが俗人的だよねって思います。
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で、さらにその荷物を届けてお客様のところに行くときにね、すごい爽やかなイケメンでね、コミュニケーションも爽やかで、なんか気持ちいいけども、
すごい汚らしい格好をしてぶっきらぼうな人が荷物を運んできたら、なんか嫌な気持ちになるみたいな。
結局AからBに荷物を運んだだけなんだけども、相手に不快感とともに配達するのか、心地よさとともに配達するのかって違いますよね、クオリティが。
で、このクオリティの違いって、簡単に見出し並みとか、挨拶は何とか半とかでとかって研修で教えることができても、最後はやっぱり自分自身じゃないですか。
その人が、なんだろうな、どこまでその清潔感を保てるか、どこまで爽やかなコミュニケーションができるかとかね、結局俗人的なんですよ。
なので、あの、むずいですよね。で、その卓球部にさえそれだから、教師とかカウンセラーとか、何だろう、もっと言うとクリエイティブ系のね、あの制作会社とかもそうだけども、
そういうクリエイティブなものっていうのは、かなり俗人性の塊ですよね。なんか人間の要素が大きすぎて、結局クオリティにばらつきが出てきてしまうと。
で、じゃあその制作会社とかがね、じゃあその俗人性が出ないために仕組み化しようとかマニュアルとかテンプレーとかってバリバリね、非人間化を測って定型化を測ってみても、
今度はですね、個性のないものを生み出してしまうと、全然そういうクリエイティブじゃないじゃんみたいなことになっちゃって、粗悪品を今度ね、アウトプットすることになる。クオリティは保たれているけれども、クオリティが低いっていうね、ことがなっちゃうと。
これはね、とても本末戦闘というか、クオリティをコントロールした結果クオリティが下がるっていうね、どうしようもない感じかなと思います。
で、個人の場合は俗人性がある意味避けて通れないんだけども、じゃあその俗人性のクオリティをコントロールするっていうことは、今までの会社ではあんまりなかったんじゃないかなみたいな。
なんか営業マンとかいろんな人が見てても、ザ営業マンみたいな喋り方とかするけど、僕からしたらその人らしさがないから気持ち悪かったりするんですけど、それはやっぱり今の時代性かなと。
なんかお前はどうなんだと。個人が問われているので、ぼつ個性的に営業されても、お前は誰なんだということになってしまうので、結構厳しいなと思いますね。
それは個人が働く上でも厳しいんだけども、組織自体が、じゃあそういう10人営業部員がいます。じゃあその10人をどんなふうにマネジメントしていくと、その人らしさを発揮しつつも結果が出せるのかということで、今までは俗人性を排除して均質で良いものを提供するみたいなことがすごい大事だったんだけども、今は別に
均質で良いものは変わらないにしても、俗人性を持ちつつ、ある一定のクオリティ以上のものを提供するみたいな感じで、組織があるべき姿みたいなのが変わってきているのかなと思っています。
それをどう実現するかってすごく難しいなと思っていて、いわゆるマニュアルでどうこうなるものじゃないので、結局そこに向かない人をどんどん排除していくみたいな、極端な配達的な方法というのは実は理にかなっているんじゃないかなと思ったりするわけです。
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ネットフリックスっていうのはね、いわゆる凡庸の社員、普通レベルの社員とかはもう切ると。次に有能だけど問題児、仕事はできるんだけども周りにちょっと被害が及ぶような、例えば怠けていたりとかね、あとは嫌なやつだったりとか、あとは悲観的な人、ネガティブな人とか、仕事はできるんだけどもネガティブ、仕事はできるんだけども嫌なやつ、
仕事はできるんだけどちょっと群がる、怠けるやつっていうのは切ると。本当に有心な人だけ残していくという感じで、いわゆる人の出し入れで完全にそこの仕組みで管理して働く方は自由だよみたいな感じでさせていくっていうような、そういう組織のあり方みたいな、入り口と出口の管理がものすごく厳しくなるみたいな、そういう感じにちょっとどんどん会社がなっていくのかな、だからネットフリックスの会社風土みたいなのは、
そこそこ極端でハイター的に今は見えるけども、むしろこれからのスタンダードになっていくんじゃないか、そうじゃないとね、俗人性を保ちながらある一定のクオリティ以上のものを提供するってことが難しいんじゃないか、そんなふうに思うんですね、はい。
で、仕事とも言えないし、組織とも言えないと思うんですが、オンラインサロンなんかね、まさにその傾向にあるなと思っていて、結構仕事的なこととかプロジェクト的なこととかオンラインサロンでやったりとかするじゃないですか、あれって結局名分化されてないけども、サロンに合わないなって人はなんか疎外感を感じて自然と辞めていくっていう感じになりますよね、居場所がないみたいな感じでね、結局それ無言でハイターしてるので、いわゆるネットフリックスみたいに、
こういう社員は出て行ってもらいますっていう、言語化されてるからちょっとなんかやばいみたいなふうに見えるかもしれないですけども、結局オンラインサロンでやってることも無言でハイターして、結果そこに会う人だけが残っていくみたいな、日本人の村社会カルチャーとして成立してると思いますんで、
そういう意味では完全にネットフリックスという一つの企業とオンラインサロンの風土みたいなところを考えても、ハイター性でですね、俗人性を担保しながらクオリティを保つっていうような時代にどんどんなっていくのかなというふうに思っているところでございます。
仕事における俗人性というのはすごい悩ましいなぁと、会社を経営に携わりながらちょっと思っているところでございます。皆さんもね、ちょっとなんかそういう働くっていう側でも、経営するっていう側でもいいんですけども、そういった観点を持ってですね、ちょっと考えてみると面白いんじゃないかなと思います。本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。