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2021-04-17 07:49

#338 私の世界平和

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世界平和について考えた。/「シュウの放すラジオ」に出演させていただきました。ぜひお聞きください。https://open.spotify.com/show/1ErpgoqO1s5OxuksB8NiAi?si=aAbb8m4-SLKN1hmLdn-1tA/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら  https://forms.gle/cDFpZtHra1dAkPR66 /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、私の世界平和というお話をしたいと思っています。
先日、シューさんという知人から、シューの話すラジオというポッドキャストに呼んでいただきまして、お話をしました。
まだ配信はされていないので、収録しましたとしか言えないんですけども、
その中でですね、世界平和みたいな話をちらっとしまして、改めてですね、
今日一人で、僕にとっての世界平和みたいなお話をしていきたいなと思っています。
シューの話すラジオについてはですね、概要欄の方に貼っておきますので、気になる方はぜひ聞いてみてください。
そしてですね、僕の回が配信されたらそちらも聞いていただけると嬉しいなと思います。
世界平和、世界がみんなが平和な感じになる、争いがない世界になると僕は思っていません。
無理だと思っています。
それは人類が共通の何か目的を共有して、その目的にフルコミットした時に達成され得ることかなと思っているんですけども、
共通の目的をまず設定することが難しいし、それにどこまでコミットするかという度合いも人それぞれあると。
そこに全員が全員フルコミットできるんだったら、それは果たしてなかなか難しいですよね。
個人が思想の自由が担保された時に、唯一の目的というか究極の目的をみんなが共有してやっていくというのは難しいんじゃないかなというふうに思うんですね。
人権という概念でさえ危ういですよね。
自分は人権というものをとても大事にしているしありがたいんだけども、
人権というものを別に大事にしなくてもいいんじゃないかって考える人がいてもおかしくないし、
そういう国家というのは今もなおあるわけですから、
そういう人たちに民主化を図るというか、人権を大事にしようぜとか言っても、
なかなかそのメリットがない人もいるわけで、難しいところがありますよね。
そういうちょっと小難しい話はさせておき、とにかくみんなが一つの目的を共有し、
そこに全員がフルコミットしないと争いが起こらない、争いがない平和な世界というのは訪れないと僕は思っています。
もっと言うと、例えばちょっと適当な数字を言いますけども、
もし100億人の人口になったとして、100億人の99億9千人まで同じ目的を共有しても、
例えば3人、4人、5人とその目的を共有できていない人がいたときに、
その3人、4人、5人というのは軽蔑の対象にならないでしょうかと。
その3人、4人、5人というのは非国民とか野蛮人とか、そういう扱いを受けないでしょうかと。
つまり99億人以上の人たちからの這いた差別を受けるのではないでしょうかと。
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結局100億人、100%に達する手前で少数派が虐げられるのではないでしょうかと思うわけですね。
つまりその100億人がいたとして、100億人が全員同じ目的を持ってフルコミットしたときに世界平和が訪れるんだけども、
そこに向かっていく過程でどんどん少数派になっていく人々がいて、
その少数派の人々は虐げられないでしょうかということを言いたい。
それはつまり世界平和でもなんでもなくて、暴力以外の何者でもないよねと思ってしまうから、
やっぱり一つの目的に足並みを揃えようというプロセス自体が暴力になり得るというふうに僕は思うので、
世界平和を目指すプロセスそのものが暴力的であるというふうに考えてしまうんですね。
僕が思う世界平和、今言ったのは全世界が平和になるというのは無理だよねという話なんだけども、
じゃあ争いが起こっていいとか、戦争が起こっていいと思っているかといったらそんなことはない。
できれば争いが起こってほしくないし、できれば戦争が起こってほしくないと僕も思っていますと。
単純に構造的に避けられないよねという話をしているだけです。
僕個人の希望としては何に越したことはないよねと思っています。
ここが難しいところですよね。
世界平和を願う気持ちはあるけれども、世界平和が実現するとは思っていないという感じですかね。
僕が思う世界平和というのは自分の身の回りで、
争いが行き過ぎない状態、暴力的でない状態というのが僕の中では平和ですね。
そういうと自分さえ良ければいいんですかという言われ方をするんですけども、
自分さえ良ければいいというのもまたちょっと違うというか、
自分と関わるみんながハッピーであってほしいとは思うんですね。
自分が見える範囲で世界平和であってほしいみたいな。
それが僕の世界平和という感じですね。
自分が見える範囲の外で何かが起こっていてもいいのかというと、
いいとは思わないけれども仕方ないとは思うかもしれないという感じですかね。
仕方ないという思考が僕にはあるかもしれない。
ただ自分さえ良ければよくて、自分以外の全員を踏み台にしてとかは思っていません。
自分と関わる人たちはハッピーであってほしいし、平和であってほしいし、
安全であってほしいなというふうには思うので。
そういった意味では、中規模なというか、小規模かもしれない。規模がどれくらいかわからない。
全世界ではない規模での平和というのは、
具体的にそれが達成されるように貢献したいというふうに思っていますし、
という感じですかね。
全世界の平和を実現するためのアクションを起こす気には到底なれないけれども、
自分が思う範囲の、自分が思いを馳せることのできる範囲の
人々に対する世界平和の実現のために何か貢献しようという気持ちはありますという感じです。
この微妙なというか、この違いがわかっていただけると嬉しいなと思います。
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全世界でもなければ、私個人という話でもなくて、
もうちょっと中規模な、自分と関わる人々が平和であってほしいという願いでございます。
そのためにですね、やっぱり具体的に何なのかというと、
今、秘密結社サブという活動をしていますから、その秘密結社に関わるみんなにはハッピーであってほしいし、
自分は会社に所属していますから、その会社で働くみんな、その会社に関わる皆さんには、
そのお客様も含めてですね、みんなにはハッピーになってほしいしという感じで、
自分が関わる範囲、自分の目の届く範囲に関してはですね、
ハッピーであってほしいなと、平和であってほしいなというふうに思うわけでございます。
それがね、何でしょう、その範囲がやっぱりその人を表すとも言えるのかなと思いますね。
自分さえおければと言っている人は、やっぱりちょっと癒やしい感じがするし、
自分の家族がっていうのに構成している人はですね、ちょっとなんかすごくファミリーに寄っているなと思いますし、
その範囲によってですね、その人の人格とか、その人の活動の在り方というか、
その人の生き方みたいなものが現れてくるんじゃないかなと。
逆に世界平和を目指している方は、世界平和を目指すような生き方になるんでしょうから、
すごくね、そのどの中小度のというか、どの範囲の世界平和を持っているか、
どの範囲の平和を願っているかで変わってくるよねって結構面白いなというふうに思います。
皆さんはどんなレベルで、どんな規模でですね、世界平和を願っていますか、
まあ願っていますかじゃないね、どの規模の世界平和に貢献したいと思っていますか、
ぜひ考えてみてください。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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