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2021-08-12 14:43

#402 どうしようもないもの、どうしようもなくないもの

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何がどうしようもなくて、何がどうしようもなくないのか。/秘密結社S.A.B主催【第9回 仮面読書会】https://note.com/sauna_art_book/n/n8efc3039f78a /雑談Podcast【ゆるい言語活動のすゝめ】https://note.com/y_uemizu/n/nba3c93f7c514 /エッセイを書いています。【脳内議事録】 https://note.com/y_uemizu /うえみずゆうきのTwitterはこちら【@y_uemizu】  https://twitter.com/y_uemizu
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、どうしようもないもの、どうしようもなくないもの、という話をしたいと思っています。
まずはお知らせなんですけども、8月22日日曜日に仮面読書会というですね、仮面をつけてズームで読書会をするというイベントがありますので、ぜひ
お越しいただけると嬉しいです。秘密結社サブというですね、自己を再定義するという目的で活動している秘密結社をやってるんですけども、その活動の一環として仮面をつけてですね、読書会というのをやってますので、
興味のある方はぜひ概要欄の方からチェックしてみてください。 それとですね、実は別でですね、ゆるい言語活動の勧めというポッドキャストを僕はやっています。
友人と2人でやっている雑談ラジオなんですけども、特徴としてはですね、基本僕は雑談しないんですけども、そんな僕は雑談しているという、そういう意味においてのみのですね、レアさのある番組かなというふうに思いますので、僕は雑談しているラジオをぜひ聞いてみてください。こちらも概要欄の方に貼っておきます。
さて、本題に入っていきたいんですけども、どうしようもないものがどうしようもなくないようになっていく。少なからず社会というのはそういう方向に変化しているよねと、不公平だったものが公平に機会が与えられていく方向に進んでいるよねという意味です。
結論から言うと、どうしようもなくないことが増えた社会って、不公平が公平になっていいじゃないかと、公平さが高まるってことは素晴らしいじゃないかと思う一方で、何の反論もしづらい不平等が増えていくと、それはそれで地獄かもねみたいなお話を今日はしたいなというふうに思っています。
どうしようもないものからどうしようもなくないものへの変化っていうのは、ちょっと例題を出さないと分かりづらい部分があるからと思うんですけども、例えばですね、出産みたいなものですね、出産育児みたいな話になってくると、特に出産の方っていうのは男にはできないですよね。妊娠しようにもできないけども、やっぱり女性が妊娠をして女性が産むという、これはもう生物学的にどうしようもない状況ですよね。
例えば、今後テクノロジーとそして倫理が、倫理観が変わって、どっかのカプセルに産んでもらう、胎外受精してカプセルで育てて産むみたいになれば違うんでしょうけども、現状ですね、母親の母体の中で子供を育てて、そして産むみたいな話だと思うんですが、だとすると、全く同じように男女全く同じように妊娠中も働けっていうのはちょっと不公平ですよね。
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実際、この辺は1911年の明治の時代の公情法という法律の時点で産休っていうのはあったらしいですね。もちろんちょっと厳しい。産む前に休めない。産んだ後にちょっと5週間休めるとかね。だんだん改正されて産前から休めるとか、なんとかかんとかっていう感じでね。労働基準法だとか、なんとかかんとかってなっていって、産休だとか育休だとかっていうその法整備はされてきたよということで、これも一つ大変さがあるからそこは考慮しましょうということかしないといけないんじゃないでしょうか。
システムとしても整備されてきたよねって話ですね。ところが現状を見ても、いまだにその女性が育休を取って、産休はそれで女性が取らないといけないけども、育休も女性が取るものみたいになっている。そして育休を取った後に、フルコミットでまた仕事をするのはちょっと難しいということで、女性は離職するみたいな構図。で、女性が家庭に入ってパートタイマーになるみたいな構図になっている。これってどうなのと。
ちょっと待ってくれよと。なんで女性が育児する前提になっているんだと。なぜいまだに女性に家事育児が偏っているんだという話になるんですが、結局認識がですね、桃太郎の時代ですね。おじいさんが山に芝刈りに行って、おばあさんが川に洗濯に行くみたいな認識からアップデートされてないっていうのが前提としてあるでしょうし、そこからアップデートされている方がいたとしても、システムがまだ桃太郎の状態になっていたりするということですね。
で、最近はですね、男性も育休が取れるようにしようよっていうことで盛り上がってたりとかしますし、もうちょっと前で言うと働き方改革とかやってですね、残業が少し減ってね、家に帰りやすくなったりとかしてますよね。
あとは制度だけではなくて、サービスとしてですね、昔だったらお金持ちがお手伝いさんを丸々雇用するという感じで家事をお願いしてたと思うんですけども、今だったらね、ベビーシッターとか家事代行のプラットフォームとかで時間で頼めるようになったりとかっていう感じで、だいぶ選択肢として増えてきた、フレキシブルになってきたってところがあると思うんです。
なのでどうしようもないもの扱いされていた、いわゆる出産育児というのはもう仕方がないこと、それはもう女性がやってくださいねってなってたものが少しずつ少しずつ分散していったりとか社会の制度でカバーしていったりとか、あとは倫理観とか認識が追いついてくることによって少しずつ平等に近づいている。平等というか公平ですね。公平に近づいてきているというふうには思うわけです。
じゃあそれで全然今の状態で足りているかって言ったらまた別の話ですよ。全然そこのジェンダーギャップみたいなものはあると思うんですが、少しずつ少しずつですが良い方向に進んでいるというふうに個人的には思っています。どうしようもないものからどうしようもなくないものへと変化していっているというふうに思うんですね。
ちょっとこの辺の話は複雑な話になってしまうのでもう少しシンプルな話をしたいと思うんです。例題を出したいと思うんですけども、下半身太いで車椅子の人がいると、そういった方が仕事をするときにどうしても移動を伴わない仕事というかオフィスで企画をしたりとか経理をしたりとかって感じでパソコンの前でできる仕事に従事するっていうのは結構見かける光景だったりするんですが、
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営業マンとしてバリバリ移動しまくりながら車椅子で働いている人っていうのはほとんど見かけないんですよね。というのも容易に想像できるんですが、客先に行ってお客さんの建物が3階で階段でしか行けないってなったときに、物理的にちょっと難しいですよね。
新規営業で自分車椅子で行くんで3階まで上げてくださいっていうのは商談が不利になりすぎるような感じがします。なのでどうしても営業マンで車椅子の方っていうのはあまり見かけない、どうしようもない部分があったんじゃないかって思うんです。
ところがですね、去年からコロナでですね営業活動もビデオ通話でできるようになってきたと、いわゆる認識がアップデートされてない人々もビデオ通話でもう十分じゃねってなってきている。もしくはビデオ通話じゃないとどうしようもなくないってなって、
ズームで商談させてもらえる機会というのは結構増えているんですね。僕自身はずっとわざわざ行くのめんどくさくねって思ってたんですけど、コロナのある種おかげでという言い方はどうかと思いますが、おかげでズームで商談ができるなんてすごく僕自身も働きやすくなったということがあると。
実際それを考えるとクルーマーエースの方でも営業ができるんですよね。ズームで商談だったら別に家でできるじゃないですか。なので今まで営業職につきたくてもつけなかったクルーマーエースの方が、もしかするとうちはズームとかビデオ通話でしか営業活動、セールス活動しないのでクルーマーエースでも関係ありませんよということで営業職につけるかもしれない。
今まではどうしようもなかったものがどうしようもなくない方向になってきている。これは結構わかりやすい例だと思うんですよね。自由に働けるようになってくるっていうのはとてもいいことだな。なってるかどうかは別にそういう方向に進んでいるということはとてもいいことだなと僕は思っています。
ただ本題はここからなんですけどもどうしようもないことがどうしようもなくないことになっていく。そしてそれが加速してどうしようもなくない社会だよと公平に機会が与えられた社会。これは僕は大賛成なんですけどもやっぱりそれは地獄かもしれないということです。
男とか女とか関係ない。足が長いとか短いとか関係ない。肌の色なんか関係ない。学歴なんか関係ない。ってなった時に何が関係するかっていうとその相手に貢献できるかどうかっていう話になってくると思うんですね。
それは仕事に貢献できるか会社に貢献できるか社会に貢献できるか所属するコミュニティに貢献できるか家族に貢献できるかみたいな話になってくる。
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そしてその貢献っていうのはざっくり2種類あって、実力で成果を出して貢献するっていうパターンと、存在そのものを愛されるということで存在で貢献するというパターンがあるなと。
赤ちゃんなんかは実力があるわけではなくてその存在そのものが愛されるということで愛によって存在によって貢献できているパターンもあるし、
営業マンの話になれば売上を上げてくるという成果を出すから会社に貢献しているから必要とされているみたいなところがありますよね。
逆を言うと貢献できないとまずいということなんです。
例えば仕事で報告書を書くと、でも文章が苦手ですってなったら報告書がまともに書けてないっていうことになると。
でも機械としては義務教育が与えられていたとか、入社したときに研修で報告書の書き方を学んだとか、そしてその後1年間現場で経験を積んだとか、
そういった公平に機械が与えられていたにもかかわらず日本語がろくに書けない、報告書がろくに書けないってなったときにもう言い訳ができないっていうことなんですよね。
データ分析だったらそう、データを見て分析してそこから洞察を得るみたいな。
ちょっとこの分析しょぼすぎないって言われたときに、マニュアルとしては分かっている、やり方としては分かっているけれどもアウトプットの質が低い。
これはどうすればいいんでしょうかっていうことなんですよね。
機械を与えられてきた、公平に機械を与えられてきたので、本来ならできて当たり前なこと、できて当たり前ということが求められているということですね。
という場においてできないっていうのはどうしようもなくないのかどうしようもないのかちょっと分からないですよね。
つまり公平な社会、公平な機械みたいなものが実現してもその先にあるのは激しい不平等であると。
報告書を書くのがむちゃくちゃ得意な人とむちゃくちゃ苦手な人がいる。企画を作るのがむちゃくちゃ得意な人とむちゃくちゃ苦手な人がいる。
同じ教育を同じ機械を得てもその差は開いてしまう。
もっと言うと今ではAIみたいなものがその労働の一部を担うようになったときにそことも競争にさらされる。
これはどうしようもないのかどうしようもなくないのか。いわゆる機械を揃えたところで不平等っていうのは広がっていくばかりだというふうに思うんですね。
もっと言うならそれは才能によって住み分けがされる社会だと思うんですね。
自分の才能を生かせるポジショニングが取れるかどうかで人生がもう決まってしまうと。
自分の才能が発揮されるポジショニングができればある種英雄にもなれるし、自分が才能のないところ、もう全く無能なところにポジションを取ったら
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重りをつけて働くようなもの。ハンディキャップを背負って働くようなものだからそれは不利だよねって感じなんですよね。
じゃあどうすればいいかって言ったら自分の才能を生かして働こうみたいな話になると思うんですけども。
人それぞれ何か才能を持っていると。じゃあその持っている才能がもしもAIと丸かぶりだったら
AIに勝てないですよ。24時間365日働かれるんだから勝てないよねとか。もしくはそもそも自分の才能を見極めるだけの
自分を見つめるとか、もしくはその解像度ですよね。見つめている解像度の高さとか。
あとはそもそも自分の才能に興味を持つとか。それ自体が才能ですって言われたら
やっぱりもうどうしようもないですよね。どうしようもないことをどうしようもなくないようにしていこうってことで
どんどんどんどん公平にしていった結果、自分が自分の才能を見極めるだけで
どんどんどんどん公平にしていった結果、現れるのはとんでもない不平等であり、その不平等は
公平なのか不公平なのかっていうことのジャッジがものすごく難しいものになっていくと
いうふうに僕は思うんですね。僕としても答えはまだ出てないんだけども
やっぱり不公平っていうものは機械が不公平であるということはとても良くない。公平に持っていこう
という流れ自体とても良いなと思ってるんですけども、一方で公平にすればするほど
違うレベルの解像度での不公平と公平が生じると。全部を公平にしていこうとしたら
究極の平等みたいなものを目指さないといけなくなってしまって、なんかよくわからない社会になるなと思うんですね。
本当この辺はですね、僕自身答えが出ていないので、公平とか平等とかっていう話、そしてどうしようもないもの
そしてどうしようもなくないものって何なの?そのラインってどこにあるの?みたいなことはですね
これからも熟考していきたいテーマだなというふうに思っています。皆さんはいかがお考えでしょうか。
ぜひですね、ハッシュタグサイコパスのラジオなどをつけてですね、ツイッターでつぶやいていただけると
ご意見参考にさせていただきたいなというふうに思っています。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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