みんなの声を届けよう!ひぐち塾
シュウの放すラジオは、誰でもポッドキャストを始められたらいいという思いのもとに集まった、ひぐち塾の一員として配信しています。
前回からの続き
単純に仲がいいから楽しみだよねって言ってしまえばそれまでなんですけどね。
なんなんでしょうね。なんか、これ本当にね、なんか飯食わないと人間死んでしまう。当たり前ですけど、人間じゃなくても死んじゃうけど。
なんかそういう意味での、物理的なものじゃないけど、そういう意味では体を構成する、じゃなくて心を構成するのに必要なものがあるじゃないですか。
なんでしょうね、これは承認欲求とかいう形で言えるかもしれないし、愛情不足とかいう形でも表現されるかもしれないし、それは後からどんな名前をつけるかということだと思うので、なんかこう一口で、一言で、なんかこう一言で言ってしまえないみたいな感じがあるんですけど、
そういう、まあこれはだから3人が3人ともお互いに補充しあえてるっていう、補充って言うと本当言葉良くないな。自分が言ってて気持ち悪いから補充じゃない言葉に変えたいけど、うまく変えられるかな。
でもそう補い合ってる。一緒だな、補充と一緒かな。
うーん、でも補充でいいのかな。補充の方は補うでしょ。充は何だっけ。
ん?補充の充が思い出せない。あ、充填か、満たすか。じゃあだから別にそんなに悪い言葉でもないのか。
なんかガソリンとか燃料とかで補充みたいな言葉を使うから、うーん、本当はそれも、だから僕が普段言ってることからすると悪いことでもないのかな。
まあ良い悪いってなんだよっていう言葉もありますけど、僕は人間じゃなくてもというか生物じゃなくてもそれぞれが構成する最小単位っていうか、うーん、素粒子みたいなものみたいなアバウトな言い方ですけどね。
最小単位って本当はもう最小すらないんじゃないか。その、なんか、突き詰めてこれが一番小さいみたいに言い切ってしまえるものがなくってエンドレスなんじゃないかみたいにも思ってるから最小とも言い切れないけど、
まあでもそういう素粒子みたいなもののレベルで言うと、石とかも自分たちを構成している細胞の元になっている素粒子とかもあんまり違いがないんじゃないかっていう風なことを僕よく言ってるんで、
そういう意味では、ガソリンとか機械を動かすためのものであってもその機械自身に関してもそんなに差がないって考えてるっていう意味からすると補充って言葉も別に悪い言葉じゃないよな、とか、今ちょっと強制的にメタ認知というかフラクタル的な考え方をしてそういう風に持っていきましたけど、
そういう風に仕合える関係性の中で大事な何かを補充しあえている3人っていう感じがしてるっていうことかな、今日は同じような話をクルクルしてるだけっていう感じがしないでもないですけど、
でもそういうある意味自分を構成するために必要な補充先というか、循環の宛先、宛先でもあり循環元でもありみたいな、そういう循環を仕合える相手っていうのが大事なんだろうなって思うんですよね。
それってさっき言った言い方で言うと、食べ物を食べて生き延びるみたいな、それも循環だし、精神的な意味での循環も何か肉体的な循環と同じぐらい大事。
当たり前の話だけど、なんかここを改めて意識することがいる気がして、今一生懸命喋ろうとしてる気がしてますね。
僕、幸せは相対的なものでしかないみたいな表現をいつもの最後のところで言いますけど、これも相対的なものと言いつつ、ただ物が浮き沈み、物っていうのは難しいな。
幸せは相対的なものでしかないって言った時のその意味で言うと、気持ちが浮き沈みみたいなイメージをしながら喋ってるんですよね。
だから、その気持ちっていうのも、ただのグラフの上下みたいなもんじゃなくて、なんか自分がそれこそ補充の銃でいいかな、満たされたっていう風に感じる時の安心感みたいな、そういうものが増えてきた時みたいなイメージかな。
そういう意味での幸せ感を定期的に上がり下がり、上がり下がりじゃない、だから上げ下げさせてもらえる。これは自発的にそうなってるとも限んないから、言いながらめちゃくちゃ難しいな、本当に表現が。
そういうのが得られるっていう風にどっかで思ってるから、道場の収録楽しみにしている面もあるんだよな。
なんか話が、道場の話からなかなか抜け出ていかないけど、全体的な話として、この幸せって何かっていうものを、僕は最後の文章で相対的なものでしかないみたいな表現でしか言えてないけど、もっとなんか言葉で言えない何かを今回出したがっている自分がいる気がしますね。
そういうのだけで十分なんじゃないかみたいに思っている、その大事な一端を担っているってことを言いたいんですよね。これはだから本当に言語化が難しいですね。
本当に声質だったり文脈だったり、僕がそう繰り返し言ってしまっていることだったり、そういうことでしか伝わらない何かみたいな、そういうものの中に幸せがあるから、本当にお金を稼いでそれが積み上がっていくからとか、
仕事が安定していて安心だからとか、そういうことではない何かに僕は常時目を向けていこうとしているんですよね。
何でそういうふうに僕が目を向けがちかって、やっぱり人口自体加速度的に増えているしって最後の方で僕言いますけど、人が生き延びたいっていう欲求は当たり前のもんだし、
それができるってことは喜ばしいことって思ってるんですけど、それが維持されるために必要なことっていうのが、なんかこう、パッと目の前にあることだけでは判断しづらいなって思っていて、
その意味では直感的な何かも大事なんだけど、直感的な何かだけじゃなくて、頭をこねくり回して、僕みたいになんか哲学じゃないけど、考えて考えて考えてっていうふうにやっていったときにも、なんか少なからず整合性が取れてるみたいになってるんだっていうことを僕は表現したいんだと思うんですよね。
うーん、なんか、欲望を満たす満たさないのときに人口自体も増えていってる中で、だからそれが増え続けることは僕は問題だとは思ってるんですけど、仮に一定になったとしても今の状態で一定になったとして、
一人あたりが叶えられる肉体的な欲求っていうのは、今よりも低くなるかもしれないって思っていて、低くならないとバランスが取れないみたいな直感があるっていうことなのかもしれんのですよね。
なんか一人一人が本当にその場であんまり目先のことしか見えない状態でっていうふうに言ってしまいますけど、これちょいちょい手法で言ったりツイートしたりもしますけど、文字がなかったら人は本来3までしか数えられないとか、本当に目先のことしか考えられない、そもそもの脳っていうのはそういう作りになってると思うんですよね。
そういう意味では他の動物と機能としては本当はそんなめちゃくちゃな大差があるわけじゃなくって、ちょっとした差なんだけど、そこから文字とかが使えるようになったり道具が使えるようになったことでできることが増えていっただけで、
脳の処理能力はもちろんだいぶ上なんだけど、今僕らが自分たちができるっていうふうに思い込んでいる何かよりはだいぶ機能として劣っているかもしれないって思っていて、
そう考えたら、考え尽くした上で欲求っていうのも決めていかないとバランスとしては取れない状態にあるんじゃないかって思ってるっていうことなんですよね。
目先、ちょっと先、数手先、将棋で言うと数手先しか読めていない状況でこれがやりたいっていう欲求が全部叶えられるとしたら、人口はもっと増えていってしまう、その人の欲求が増えて死なずに済むみたいな、死なずに済むのはちょっと極端なんだけど、まあまあそれの積み重ねっていうのはイメージですよね。
そういうふうに浮き沈みしながら、もちろん浮き沈みしながらの話ではあるけど、基本的に目先の欲求が大体の人において叶えられる状態っていうのをイメージしたら、少なくとも物理的な欲求っていうのはもっと今より叶えられない。
これは日本だけじゃなくて世界全体を考えたら、まんべんない状態に、ある程度まんべんない状態になった方がいいって僕は思ってるんで、そうなったとした時の話ですけど、一人一人の叶えられる状態っていうのは今よりだいぶ低くなるようなのが直感としてあって、
でも、その状態でも本来は心の平穏っていうのが得られるんじゃないかなーって思っていて、僕は今この暮らしをしているもんで、そんな暮らしの中でじゃあ幸せって、何を幸せっていうふうに感じてるの?ってなった時に、
さっき道場の話でしたみたいな、人と会って話ができること、気が合う仲間と会って、1ヶ月に1回かもしれないけど、たまには昼であっても飲んでしまったりしながら、ただこれ本当にオンラインのズーム上で会って喋ってるだけですからね。
でも、それが本当に僕の暮らしの中で貴重な時間になってるっていうところが、これはシューの話すラジオの観点からしても大事なんじゃないかなって思うんですよね。
本当に最初は予想もしなかったけど、ポッドキャストを始めるっていう時には僕はまだ正義感みたいなのを持ってたし、今話してることと文章としては同じようなことになるかもしれないんですけどね。
なんか音声にして載せた時に、多分聞き手が感じられる何かっていうのがだいぶ変わってるんじゃないかなっていうぐらいに、本当にコテンコミュニティに入った直後に比べると、もう段違いに幸せになってるんですよ、僕自身が。
道場もそうだし、道場以外のところでもそうですね。
なんかツイッター上でテキストで絡むだけでもそうだし、スペースで喋ったりもそうだし、ありがたいことにシューの話すラジオで相方欲しいなーって一人語りでぼやいてた時期がある。
そんな時から考えられないぐらい、今は月曜から日曜まで毎回僕の配信ができるぐらいな状態、考えられないぐらい幸せな状態になってるんですよね。
なんでもう本当にこれだけでいいやっていうふうに日々思いながら過ごしてるんですけど、もうねこれ、今日本の多くの方々がやられてるみたいな仕事に毎日行きますよね。
それと同じような感じで、僕は毎日ポッドキャストの収録か配信のどちらかをかなり多くの時間費やしてるんですよね。
もうこれは、今この月曜から日曜まで配信してるペースでいくと、完全に仕事ですね。
なんというか、ペースとしても仕事になってるし、意識としても仕事になってます。
これはでも、インプットが先な形じゃなくてでもそれでも仕事になってるっていうのは、こんなにありがたいことはないですよね。
だから、いわゆる、これはインプットが先な、今の日本の社会の中でも言われることですけど、好きなことを仕事にできる人はごく一部で、そういう人は幸せだみたいな表現されますけど、
それも本当にそうなのかみたいな賛否両論は置いといてですね。
そう言われることがあるっていう、その状態に僕は少なくともなってるなっていうふうには思いますね。
なんで本当にありがたい状況なんですけど、ただ、この状態で今もバランスが取れきってしまっていて、安泰かっていうとそんなことはないんですよ。
まあこの辺でちょっとお気づきの方もいらっしゃるかもしれないですけど、僕は勝手に一人で空気椅子的にやっているからですね。
まだ成り立っているわけではないっていうのはそういうところなんですね。
うーん、なんで、まあその貯蓄がどんどん減っていっている状態っていうのがメインで、わかりやすい話としてはそれ、その形として現れているんですけど、
僕は幸せっていうものは相対的なものでしかないっていう風にも考えてて、
人との比較って意味じゃなくて、自分個人の単位で見たときに沈んだ状態からちょっとマシになって浮かび上がってくる、
そんな風に幸せっていうのは心の状態が相対的に変わったときに感じられるって意味なんですね。
それだったらどこのどの位置にいても変わらないんじゃないかなーって僕は思ってるんですけど、
だから原始人であっても、超貧困国の人であっても全く変わらなくて、お金がないと幸せにならないとかそんなことは全くないし、
最低限生き延びられるっていうところで満足する人が増えれば余剰も出やすい。
で、その余剰分は補足分けみたいな形で回していけるみたいなのが僕のアウトプットが先のイメージです。
そのために自分自身の才能みたいなものを無条件にアウトプットとして先に出すみたいな動きが大事だと僕は思ってるので、
こんなビビリの僕に一番向いたこととしてこの意識をポッドキャストで発信してるんですね。
だから2022年以降、いわゆる雇われをやめて現金収入がないっていうような状況で勝手に一人で空気石的にアウトプットが先な動きを始めてるつもりなんですけど、
まあ世の中っていうのはそんな簡単に変わるもんじゃないので、僕の貯蓄が尽きるのが早いか、
そんなアウトプットが先な循環の社会が来るのが早いか、みたいな状況になってますけど、
そんな僕が最低限の支出で暮らしながらアウトプットが先なこの動きを続けるために、
シューフォーインプッターっていう名前でスポンサーの権利の販売を始めました。
1ヶ月に100円以上の定期購入の形式ですけど、シューフォーインプッターになってくれた方は、初回はシューフォー内で僕が宣伝させていただいた上で公式サイト内に掲載します。
加えて1ヶ月に数回程度ですが、番組の最後にラジオネームの読み上げをさせていただきます。
僕は数年前からなるべくお金を使わない生活を徐々に徐々に進めてきたんですけど、今の僕の1ヶ月の支出額は約5万円です。
それに対して今は44人の方からシューフォーインプッターとして毎月サブスクでいただいている形になってまして、その合計月額は9777円になってます。
皆さん本当にいつもありがとうございます。
そんなシューフォーインプッターの入り口は概要欄にありますので、もし本当に心から購入したいというふうに思われる方がいらっしゃいましたら、ぜひよろしくお願いします。
ただ、僕としてはそんなアウトプットが先で循環する社会が来ることの方が大事だと思ってますので、これももしよかったら、
週の話すラジオをSNS等で投稿とか、拡散とか、あとはポッドキャストで喋ったりとか、そんな風にしていただけたらなーって思ってるんですけど、
週の話すラジオを聞いた方が、自分なりの深いレイヤーからメタ認知して、自分の生き方を見直すみたいな機会が少しでも増えたら、僕にとってそれが一番嬉しいです。
ということで、週の話すラジオをいつも聞いてくださっている方、今日初めて来てくださった方、本当に感謝してます。ありがとうございます。
ではまた。