なぜよりも先に突き詰めて理解したいこと
みなさん、こんばんは。上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。さて、今日は
なぜよりも先に突き詰めて理解しておきたいこと、というお話をしたいと思います。
本題に入る前に告知させてください。 週に1回ですね、公園にレジャーシートを敷くというね、
活動をしています。 ご自由にお立ち寄りください、というね、感じで公園にいますよ、というね、活動なんですけれども
大体ね、福岡にいることが多いんで、福岡市中央区天神にある、天神のど真ん中にあるですね、天神中央公園でやっていることが多いんですけれども
5月26日日曜日にですね、大阪であります。 ちょっと大阪に行く用事があるので、
それに合わせてですね、ついでにやろうかなと思っています。 5月26日日曜日お昼の2時から5時まで、14時から17時までですね
天王寺公園の中にある天芝っていうね、芝生エリアがあるみたいなんですけども そちらで開催します。大阪府大阪市天王寺区茶薄山町
5-55ですね、天王寺公園の中にある天芝というね、場所でレジャーシートを敷いていますので
めったに大阪に行くことないんでですね、大阪近辺の方、お会いできたらぜひお会いしましょう。
雨天中止ですけども、晴れたらいますんでぜひお越しください。 当日開催するかどうか、その天気が怪しい時はですね、僕のXを見ていただけたらですね
開催のオムは発信しようと思いますので、Xも合わせてフォローしてください。 ぜひお会いできたら嬉しいです。
というわけで本題に入りたいと思います。 なぜよりも先に突き詰めて理解しておきたいことについてですね
結論から言うとですね 僕たちはそのそもそも何をしているのかっていうことをほとんど
理解していない。何をしているのか分かってもいないのに、なぜみたいなことを聞くことによって
何か分かったような気になってしまうということってあるよねと。 それはとても危険だよっていうお話ですね。
例えばですけども、新しい人と出会った時に この人は何をやってる人なんだろうなと
まあ当然思うわけですよね。 その時に何をされている方なんですかと直接聞くかどうかはさておき
何をやってる人なんだろうなって気になって、何らかそれを尋ねると。 そうすると例えば相手が営業マンなんですよとか
中学校の先生、国語の先生してますとか、看護師ですとか、分かんないですけども、何かやってることを言うわけですよね。
で、なるほど営業マンだと。どういう会社の営業マンなんですかと。何の業界の何とかかんとかの、こういう営業をしてます。
例えばなると。で、そこからですね、その人、まあ結局それがわかったところでよくわからんから、じゃあなんでそういう仕事をしてるんだろうみたいな感じで、そこからですね、なぜの方に移行しがちだなって思うんですよね。
で、なぜを知ることによってその人、まあ背景みたいなものが見えるから、その人みたいなものが見えてくるよねって思いがちですけども、まあ確かに見えてくると思うんですけども
これにはですね、2つの問題というか危険性があるなというふうに思ってます。
一つ目がですね、何なのかそもそもよくわかってないのに、それがなぜみたいな話をしても、何に対してのなぜなのかがよくわからないっていうか、まあ例えば営業マンですって言って、その何の営業なのかっていうことがよくわからないとか、
まあその売ってるものじゃなくにしても、その営業マンの方がどのような営業マンなのかって意味での、もうちょっと質的に何なのかっていうことがわかってないのに、なぜの方に移行しても、なんかわかったような気になってしまう危うさがあるよねってことなんですね。
それは2つ目の理由につながるんですけども、なぜっていうのはね、結構チョロまかせるんですよ。例えば現体験みたいなね、過去にこういう経験がきっかけになってみたいなことってよく、そのなぜを語るときとかに現体験は何ですかみたいな聞き方とかね、とか語り方ってすると思うんですけども、あれってチョロまかせるんですよね。
何とでも言えるというか、過去こういうことがあったことが今のこれにつながってますと。まあ確かにつながってるんだと思うけど、それだけじゃないよねっていうこといっぱいあるんですよね。例えば僕の活動、ここ最近よくね、いろいろ自分のやりたいことみたいなことで、こういうコンセプトでこういう活動してみたいなことを語ってますけども、そのときに、例えば20代のときの自分がいろんなイベントを企画したときのコミュニティみたいになったのがすごく心地よかったからやってるんですみたいになっちゃう。
それが現体験でみたいに語っちゃうと、もちろんそれは唯一自分の中で心地よかったコミュニティの体験だったみたいな、現体験みたいなものなのかもしれないですけども、それが理由で今の活動してるとも言い切れないというか、それも一つの要素だけど、いろいろあって今に至る。
例えばだけど、僕が存在としての講演とかで言って、コミュニティみたいなことを意識してるのって、自分がしっくりくるコミュニティがなくて作っていきたいみたいな文脈で前々回とか前回語ったと思うんですけども、それだけじゃなくて、例えば今度その過去じゃなくて未来のほうにも理由があったりするんですね。
例えば、これから実際に社会がどうなるかっていうのは、なってみないとわかんないんだけども、僕が考える社会の姿として、会社にたくさんの人が勤めてるのが当たり前じゃない世界になるだろうなと思っていて、会社に所属してるのが当たり前だったよねみたいな社会ではなくなってくると。
仕事ってものの在り方みたいなのがどんどん変わってくるだろうなと想像したときに、ものすごい能力的な強者とか経済的な強者を除けば、基本的には人と人で助け合っていくしかないだろうと思ってるんですね。
だから、今までみたいに専門スキルがあるからどうだとか、ドコドコ大学出てるからどうだとか、こういう経歴だからもう安泰だとかいうことはないと思っていて、よほどトップ1%、数%みたいな人だけが安全に暮らせるみたいな状態になってしまうので、それ以外の人たちが生き残る術としては、コミュニティを自分たちで作っていくしかない、小さな部族みたいなものを作っていくしかないだろうというのが一つ僕が思っている生存戦略で、
心地よいコミュニティを作ってみたいという部分もあるけども、一方でそのような危機管理という側面もあってやろうとしていると。
だから、なんで自分の活動をやってるんですかって語ろうと思えば、いかようにも語れるんですよね。
ていうか、いかようにも語れるというか、いろんな要素があるんですよね。
だから、現体験がこうだったんで、こうなんですとかって、言おうと思えば言えちゃうんで、あんまりそれを聞いて、だからか、だから営業マンなのかみたいな感じで、
納得しちゃうっていうのは結構危ないなと思うと。いろいろあるよねっていうことを、もっと考えないといけなくて。
なぜによる誤解
だから、なぜから入るのは、わかったような気になってしまう、結構危ない方法だなと思ってるんですね。
だから、僕が思うに、なぜっていうことを理解するよりも、前に何っていうことを深く、深くというか、結構解答度高く理解していく必要があるのかなと思います。
聞くのが早いですけど、あなたにとって、じゃあ営業っていう仕事は何ですか?とか聞くのが早いかもしれないけど、別に面接じゃないから、相手も答えようとしてくれないかもしれないし、
答えようとしても答えられるほど考えていなかったり、自分の中で掘り下げられてなかったりとかってこともあって、聞いたからといって、それらしく理解できる答えが返ってくるとも限らないんですよね。
だから、あの手この手でいろんな話をしながら、営業マンって言ってるけど、この人にとっての営業って何なのかな?とか、営業っていう仕事は何なのかな?みたいなことを、
安易になぜ?で理解するのではなく、理解しようとするみたいなことが、とても重要なのかな?というふうに思ってます。
難しいんですけどね。難しいんだけども、もっと直接的になぜ?を聞くことによって答えを得たみたいにしない形で、何なのかな?この人にとっての営業って何なのかな?みたいなことを分かろうとするっていうことですね。
究極的には、分かるとか、何ということが分かる?何をしているかが分かっているなんてことはありえないんですけども、例えば、僕が僕の活動のことを分かっているかっていったら、分かってないんですよね。
分かろうとして、こういうことなんじゃないかって自分で理解しようとして、自分なりに分かったつもりになっていることを一生懸命説明しているんだけども、
つまり、究極的には自分が何をするかって誰も分かっていないと思うんだけども、その中でもやっぱり掘り下げて何なのかって分かろうとするみたいな意味合いでここでは言ってますね。
ちょっと複雑になるから、分かるというふうに言いますけども、何を分かることがとても重要かな?というふうに思います。
繰り返しになりますけども、何か分かろうとするときに、その背景にあるものは何なのか?その背景にあるものは何ですか?とか、なぜ?とか聞けば背景が分かったような気になるんだけども、
背景が分かったところで、それが分かっていないから、何なのかが分かっていないから、背景が分かっても何も分かりませんよっていう話をさせていただきました。
もちろん、何?っていうのを掘り下げた後に、解像度を高めた後になぜ?を知ることによって、より立体的に理解ができる。
誤読を避けるための姿勢
どこから来たのか?そして、どこへ行くのか?みたいなことは、より解像度が高く理解できる。それを知ることにできると思うんですけども、そもそも何なのか?みたいなことは、
やっぱり、分かった気になっちゃうんですよね。看護師やってますって言ったら、看護師さんなんだ、どうしてですか?とかなっちゃうけど、じゃなくて、看護師っていろいろあるし、
その人にとって看護師とはどういう職業なのか?とか、看護師という職業を通じて何をしているとその人が思っているのか?とかいうことは、
なぜ?の中には含まれないこともあったりするんで、そこを理解する。何をしている人なのか?看護師ですっていう看護像で、解像度じゃまずいと思うなと。
そこで分かった気になったことによって、目の前にあることをどんどん誤読してしまうというか、誤読をしてしまって、誤読をしたことによって、
その誤読をベースにした説明とか、発信をしちゃうってことがよくあるよねっていう。ツイッターとかでもそうですよね。
その人が言ってあることの背景が、みたいなことって言うけど、背景以前のとこですね、みたいな。その人が何を言っているかもう分かってないよね、とかね、あるから。
何を言っているかがまず分かる。文章が読める。その読んだけども、その人がどういう背景があるのか?っていうことが分かる。なぜこういうことを言っているのかが分かるみたいな感じで、
何が分からないと、なぜも分からない。何が分からない中、なぜをかんぐっても、それは創作なんで、妄想ですよね。
勝手にその人の背景みたいなものと何を結びつけてしまうことになっちゃうので、やっぱりそもそも何なのかっていうことを解像度を高めようとする姿勢みたいなことが重要なことなんじゃないかなと思います。
だから、僕の活動も、なんていうのかな、一般的に見て、どう考えてもよく分からない類の活動をしているので、例えば看護師ですとか、学校の先生です、みたいなやったら、皆さんが学校の先生なんですねとか、看護師なんですねっていうふうに理解してもらえないことをやっているという自覚はあるので、
より一層というか、人以上に自分がやっていることは何なのかっていうことを、少なくともこの番組を通じてできるだけ言語化して伝わるよう努力していきたいと思ってますし、さっきも言ったとおり、究極的には自分自身が何をやっているかなんて誰にも分からないことなので、僕自身もその言語化する、何なのかっていうことを考えて伝えようとする中で、現象の活動っていうのが何なのかっていう理解を深めていきたいなというふうに思っています。
ちょっと何言ってるか分からないって感じかもしれませんけども、分かった人がいると嬉しいです。引き続き何卒よろしくお願いします。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。