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2020-11-28 09:49

#198 嫌いは相手、苦手は自分

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嫌いと苦手は本来分けて考えるべきである。「嫌い」というのは相手側に問題をなすりつける表現である。「ピーマンが嫌い」と言うとき、「私のせいで、ピーマンが嫌い」というよりは「ピーマンのせいで、ピーマンが嫌い」というニュアンスが強く含まれている。情動が発火し理性を失い、勝手に敵認定してしまっている。一方、「苦手」は自分の問題としてとらえた表現である。「ゴーヤが苦手」と言うとき、「ゴーヤのせいで、ゴーヤが苦手」というよりは「私のせいで、ゴーヤが苦手」というニュアンスが強く含まれている。ただの私のとらえ方の問題かと言われると、決してそんなことはない。国語辞典を引いてもらえば分かるが、「嫌い」は情動的反応であり、「苦手」は自分にとって扱いにくかったり不得手であるという解釈の話である。/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/番組の感想や質問は、ハッシュタグ「#サイコパスのラジオ」をつけて、ぜひTwitterでつぶやいていただけると嬉しいです!今後の番組の参考にさせていただきます。/パーソナリティ:うえみずゆうき https://note.com/y_uemizu/
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、嫌いは相手、苦手は自分、という話をしたいと思っています。
世の中ですね、なんだろうな、眺めてると、すごくね、人が人を攻撃しているというか、
人を嫌っているというふうに見えるんですね。
なんかその、負のエネルギーみたいなものにエネルギーを消耗したり、
そのエネルギーをね、ネガティブなエネルギーをネガティブな形でぶつけていくっていうのは、
全然精査性がないというか、人生がつまらないことに埋め尽くされてしまっているんじゃないかというふうにですね、
ちょっと心配になるレベルというか、関わりたくないなというレベルなんですけども、
えーとですね、ここですね、このポーズキャストにもいろいろ言ってきましたが、
僕はですね、嫌いな人というのはいないんですよね。
この人嫌いだなーって人がいません。
これは別にキレイ事でもないし、そういう感情がない、なんか、感情確かに薄いですけども、サイコパスですからね、薄いですけども、
ないわけでもなく、感情もありますと。
じゃあ、そういう人をみんな愛する成人君子なんですかって言われると、そういうことでもないと。
嫌いではないが、苦手であることはたくさんあるんですね。
この嫌いと苦手っていう言葉はですね、同一詞というか、同じように使われる方がいらっしゃると思うんですが、
これで全然別物であるというふうに僕は解釈しています。
で、嫌いっていうのは、単純に言うと感情なんですね。嫌いだという気持ちの話なんですよ。
ピーマンが嫌いですっていう時、自分のせいでピーマンが嫌いなんだよねって話にはならないじゃないですか。
だいたいピーマンがこうだからピーマン嫌いだってことで、ピーマンが悪いみたいになってるという感じがすると思いませんか。
で、一方でですね、苦手っていう言葉はちょっと違うんですよ。
ピーマンが苦手ですっていう時、ピーマンが苦いから苦手ですって思っていても、
でも苦いからピーマンがダメではないわけじゃなくて、苦いのが苦手な自分がいるからピーマンが苦手なんだということになるわけですよ。
つまり、ピーマンのせいじゃなくて、自分が苦手だからピーマンは苦手ですと。
自分のせいでピーマンのことが好きにならない自分がいますということなので、
結構ですねあの矢印が全然違うんですよね 嫌いっていう感情は外側に向いて相手のせいにしてしまってるけども
苦手っていうのは相手のこういう特徴はあるんだけども自分がこうこういう特徴とか こういうことがあるからまあ相入れない部分がありますという話なので
矢印は自分に向いてくるってことなんですね でまぁ実際国語辞典を見てみてもそうで嫌いっていうのはやっぱりその
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浄土のついて述べられているし浄土的な感じで述べられているし 苦手に関してはですね要は自分にとって扱いにくいとか
不得手であるというまあいわゆるその自分がそれの対象をどう解釈するかというお話 なんですよね
なので決してその浄土の話じゃなくて実際に自分と対象の関係性の中でそれはやりにくいとか まあちょっと苦手あの不得手であるということを苦手と言っているわけであって
感情の話じゃないんですよね でももう少し丁寧に説明していくと
嫌いっていうのは今言っても感情なので感情っていうのは良いも悪いもないじゃないですか 今悪いもないというか
論理的に自分がなぜ好きだというその気持ちが起こったかみたいなことっていうのは 分析しづらいんですよね
ただ怒ったかというかその反応が起こった原因は外側に見つけることができるんだけども 自分自身がこうだから
そういう気持ちが起こったっていうそのなんていうのかな 嫌いって気持ちを内省して分析することが難しいと嫌いっていう時に説明しようと
すればするほど対象について説明することなんですよね さっきの例でいけばですねピーマンが嫌いだといった時に苦いとか
2回くらいしか思いつかないな ちがう例にしましょうか誰々さんのことが嫌いだっていう時に
優しくないから嫌いです すごいナルシストだから嫌いです ちょっと人を馬鹿にしたような態度をとるから嫌いです
ちょっと難しい言葉を使うから嫌いです ちょっとなんか圧迫感がある感じが嫌いです
そもそもおじさん嫌いですとか顔もちょっと嫌いですとかいう感じで 全部相手のことじゃないですか相手の要素を何か上げて自分の気持ちが反応した
そこに何か気持ちが反応しましたってことを言ってるだけで じゃあなんでその気持ちが反応してるかってことは一つも述べられてないんですよ
ところが苦手ですって言う時には そこの自分の話もできるわけですどういうことかって言うと
まあちょっとまあそうですねじゃあ今度は食べ物をしましょう ゴーヤが苦手ですって時に例えばゴーヤ苦いから嫌いだと
もう一つあってみたいな これは僕の話なんですよねゴーヤ苦手なんですよ
一つは苦いから苦手その味がね苦手ですもう一つは えっとそのゴーヤってあの切った状態があのなんですかね
芋虫みたいなビジュアルじゃないですか あの僕虫がちょっと苦手なので
その芋虫っぽいビジュアルがちょっと苦手ですっていう感じになるわけです 今ちょっと若干触れてしまいましたけども
えーっとなんでしょうね 苦いっていうこととビジュアルが芋虫みたいであること自体が
ゴーヤの悪いところではないじゃないですか 僕がえーっと例えばそのゴーヤの苦さが苦手であるからという僕の問題だし
えっと芋虫みたいなみたいなのも別にえっと僕が虫が苦手なんですよね そのストーリーもあるんですけどもそれはちょっと置いといて
僕は虫は苦手で芋虫系の虫が特に苦手で だからそのそういうビジュアルのものにちょっと反応してしまう自分がいるってことで
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ゴーヤが悪いわけじゃなくて自分に原因を見つけることができてますよね こんな感じでえっと一見似たような言葉なんですけども
苦手って言った瞬間自分のその内側にもっと原因を探ることができるし 嫌いって言った瞬間相手側に原因を求めることになると
この違いは本当に大きいですね なんでかっていうとゴーヤが苦手ですという時に僕がね言った時にじゃあその
ゴーヤのちょっとその苦味をちょっとが出ないような調理方法であるとか もしくはその芋虫っぽい切り方をしなかったら
ビジュアルじゃなかったら食べれるんじゃないとか言われたら確かに食べるかもしれないなと思うわけですよ ところが
僕がですよゴーヤが嫌いだって言ってるといやいやちょっと調理方を変えてとか なんかこう芋虫っぽくない感じにしてとか言っても嫌いなもの嫌いだからって
突っ跳ねちゃうんですよね全然それってえっとなんていうのかな あの課題が解決されないというか
結局嫌いっていうか苦手っていうかって別に対象相手自体は何も変わってないんだけども 自分の捉え方が変わるんですよね
嫌いって言った瞬間その問題を永遠に残し続けることになるけれども 苦手って言った瞬間それはとても分析的な論理的な思考が働くので
もしかするとその苦手っていうのは付き合い方を考えたりもしくは工夫によって 解決することができるかもしれないですね
多くの人々は嫌いだっていう言い方をするのでということは一生その相手との関係は 相手が変わらない限り解決されないんですね
相手はだいたい変わらないので あなたが嫌いだと思ったところで例えば僕がね
これを聞かれている方がまぁ聞いている方は僕のこと嫌いで聞いているかちょっと分からないですけど もし僕がね嫌いだって言った時に
別に僕からしたら嫌いでもどうでもいいので関係ないじゃないですか この人に嫌われたくないから僕は変わるっていう理由はないので
別に嫌われてもいいと思ってるから変わる気はないですよねこっち側は ってことは嫌いだって思ってる人はずっと嫌いだって思い続けることになると
でももし僕のこと苦手だと思っている人は何がどう苦手かって考える時にそれはご自身の中に僕のなんか要素が苦手だと感じる
原体験があったりなんかいろんな理由があるはずなんですよね そことを向けた時にまぁ僕との付き合い方が見えてきたりもしくは僕と付き合わない
ということもできたりとかって感じでいろんなね対策って打つことができるんですよ なので皆さんはサイコパスじゃないと思いますのでどうしてもね気持ちが
こう起こってしまうってことはまぁ わかるというかまぁまぁ気持ちでわからないけど頭ではわかるんですよ僕もそのまあそこで
感情が反応するので大変だろうなぁと思うんですけどもその時に 感情で反応するなぁとかってのは無理じゃないですかねその生まれ持った
あのなんだろうな要素もあるわけだからとか育ってきたねその社会的な要因とかある だろうから
サイコパスじゃない人にサイコパス的なことを言ってもどうしようもないと思いますので感情反応 すること自体はしょうがないとでもその時に嫌いだっていう言語じゃなくて
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苦手だっていう言葉を使ってほしいですね 苦手だって言えばなぜならっていうのが多分自分側に矢印が向いてくるので
ちゃんとその苦手な相手との付き合い方とかを論理的に考えていくことができますよ というお話でございました
なので感情が起こることはしょうがないんだけどもその時に感情に身を任せてね 嫌いだっていう言葉を使うんじゃなくて
苦手だって言葉を使うここをね今日ちょっとあの ぜひ覚えていただいて何か自分がもうこの人嫌だなと思う時には
苦手だというふうに捉えてみてはいかがでしょうかというお話でございました 本日は以上でございますまたお会いしましょうさようなら
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