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シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、テーマとしてはコミュニケーションに対する抵抗感をなくそうと、そのままなんですが
あの、なんていうんですかね、話しかけるコストみたいなのがあると思ってまして
コストというとですね、計算ができたり、わかりやすい数値にできそうなんですが
そこまでね、厳格に数値化できて、可視化できるものではないんですが、ちょっとこの考え方について少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、コミュニケーションに対する抵抗感をなくそう
コミュニケーションですね、皆さん知ってますか?あなたは、実際のあなたはどうですか?と、まあしてるんですよね、たぶんね。全くしてない。
特にですね、コミュニケーションって何かというね、この定義まで行くと、なかなかね、大変なんで、ちょっと簡単に端折りますけど、まあ話したりね、伝えたりということというね、定義というか考え方ですと、いったんね。
でですね、このコミュニケーションに対するコストが実は高い。 要はですね、コストが高いというよりですね、時間がかかるとか、もしくはその苦手とかなので
1週間あっても、なかなかコミュニケーションする回数が少ない、みたいなね。どうですかね、得意な人の方が少ないんですかね。もしくは苦手な人の方が少ないんですかね。ちょっとわからないんですけども、
ジャンルとかね、興味とかね、それこそトキメックですよね。心が動くかどうかとかね。
によって変わりそうだとは思うんですが、いずれにせよですね、このコミュニケーションに対するそのコスト感、要は億劫だったり苦手だったり高い、もしくは
あの 呼吸のようにと言うと大げさですが、そこまでね、深く考えずに
どうですかと言えると。まずはどうですかとね、言うと。 そんなにどうですかって思ってなくてもね、わかんないですけど、そういうですね、その
カジュアルにね、しれっと聞ける人もいらっしゃるのかなと思います。 じゃあこのコミュニケーションに対する抵抗感って何だろうなと思ったときに、結局ですね、この
サンクコストってよく言われるのかな。 沈むですね。サンク
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沈んだコスト。要はですね、 何かですね、勉強したり、仕事もそうですよね。長年やってきて
例えば20年くらいやるじゃないですか。ちょっとあの今のね、その20代とかの人は信じられない世界ですけど、
40代以降、45くらい以降かなぁ、わかんないですけど、まあそういう
世界観で生きてきている人も多いので、それをね、否定するわけじゃないんですけど、その20年間同じ会社に行った時に、同じような仕事をやってきたとするじゃないですか。
なかなか変えられなくないですか。もしくは自分はこういうものなんだみたいなふうに思っちゃわないですか。
そのその故に、なかなかね、スイッチというかその他のことをやりたくないとか、
取り戻そうとするというかね、もったいないと思う。 どちらかというとサンクコストというその文脈というか使われ方は、
なんかお金を通したから、それはあのなんだろうな、そんなに自分は向いていないと思うんだけど、
時間をかけたからやらなきゃいけないなっていうね、ちょっとネガティブな文脈で使われがちだと思うんですが、別にそういう時だけでもないかなと思ったりします。
あの自分のね得意なことっていうのをね、
考えているときにコストを使っていたものがいいかもしれないと思うからですね。だからこのサンクコストの捉え方がちょっと変わるんですが、
もしですね、コミュニケーションが苦手な方がいたらですね、実は逆なんだろうなと思ってるんですよね。
要は、あのこれはわかんないです。はい、なんかコミュニケーションしたり、何か話したり伝える場がありました、機会がありました。
何でもいいですよね。別にそのプライベートでも全然よくて、でその時になんかちょっと伝えるのめんどくさいなって思うんじゃないですか。
例えばね、これなんかあの伝えづらいなとか、じゃあまあ後にしようとかね。
って思ったらそうじゃないですか。そうすると、そのじゃあ後っていつみたいになってきて、結局伝えなかったみたいなね。
まあこのケースでいうと恋愛とか話はちょっと置いておくんですけど、あとじゃあ逆で、えーと、なんか話す機会があって、そのプレゼントかねそんなしないんだけど、
発表すると、そんなに得意じゃないんだけどやったら、結構好評だったからまたやりたいなと思ったみたいなね。
それはこれどういうことかというと、要はですね、プレゼンという機会があって伝えてみて、何か得意だって思うのは、例えばちょっと得意な、コミュニケーションが得意な人。
もしくはさっきの逆のパターンで、伝えたいことがあるんだけど伝えられなかったから、今はやりづらいから後にしようと思って放置気味になった、これはですね苦手な人。
まあこんな乱暴に分けられるわけじゃないんですけど、この差ですよね。同じことに対して、同じようなことに対して、その伝えようとすることが手間だった。もしくはまあやってみようかなと思った。
この紙一重の美さ誤差みたいなのがあって、本当に小さな差じゃないですか。一個一個見たら。
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例えばですね、コーヒーを飲んでて、それ美味しそうだねって言われたから、これですよって軽く返すみたいなね、伝わりますかね。その軽いコミュニケーションみたいなのが、面倒くさがらないかどうかみたいなのがあるんじゃないかなと思っているんですよね。
ここで仮説なんですけど、コミュニケーションが得意な人っていうのは、その一個一個のコミュニケーションに対してコストをほぼ払ってない、もしくはコストだと思ってないんですよね、きっと。逆ですよね。
苦手とか、ちょっとあんまりやりたくないなっていう人は、一個一個が面倒くさくて、できればしたくないと思っている。
一個一個はね。そんなもんだと思ってもらって、じゃあコミュニケーションに対する抵抗感をなくして、どうしたらいいんだってことになってくるんですけど、あまりノウハウでもないですけど、面倒くさいなと思うんだけど、やってみるんですよね、一回ね。
そうすると、多分やってよかった部分があると思うんですよ。もし何もないなら、やめざるを得ないですけど、何かいいことがあったらそれをまたやってみる。
ここが面白いところだと思うんですけど、コミュニケーションの試行数とか回数が多い人は、確かに1回1回面倒くさいという部分を取り上げると、この回数分で10回分だったら10回面倒くさいことが起きたってことになるんですけど、逆もあると思っていて、10回分ちょっといいことがあったっていうふうに捉えるわけですね。
これ別にポジティブシンキングでも何でもないと思うんですけど、そうなると、じゃあ1回ぐらいしかコミュニケーションが回数がなかった人と、10回何度もいろんなことをやった人と、どちらの方がコミュニケーションが、抵抗感がなくなるかって言ったら、明らかに10回やった方じゃないですかって話なんですよね。
要は優れたやり方とか伝え方とかそういうことではなく、まず数を増やしてみませんかっていうことなんですよね。
抵抗感をなくすっていうのも、抵抗感が消えるとかなくなるとか、そういうことを目的とするよりも、数をこなさないがゆえに抵抗感がどんどん高まっていって、自分の中でどんどん苦手になっていくって感じですね。
逆に普段やってる人は抵抗感も何もなくて、いろいろやっていくから、数として体験として試験として溜まっていくんで、それは失敗の数も多いと思うんですが、得意になっていくっていう感じがします。
だから慎重にやろうとか丁寧にやろうというのは悪くないんですけど、数が多くなせないという意味での慎重さとか丁寧さというのは、結局体験を詰めないんで、結構後手になるというか悪手とは言わないんですけど、
抵抗感がなくならずに、結局考えすぎとかやりすぎみたいなふうになっちゃうんじゃないかなと思ったっていう話ですよね。
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なのでコミュニケーションって正解も答えも全くなくて、極端な話すると2人がいて別々のこと話してても、別々のことというか違うこと話してて違う理解でも会話が進んでったらそれでOKで、
仕事であったらその成果物としてちゃんと着地すれば、単なる娯楽というか雑談とかになっていくんじゃないかなって思ってまして、
そう考えると、していって悪いことではないよなというか、むしろ相手を分かるとか文化を知るとかっていう意味でしていかないと、むしろ何も分からない、
もしくは閉ざして相手に対する偏見を助長するとかってなるんで、よく外交とかで言われませんか、コミュニケーション対話を通じると、どこまでやれるか置いといて、
それって実際はどうかを置いといて非常に大事なことなんじゃないのかなっていう話もあります。
でもそれは外交とか政治の話でしょっていうふうに思うかもしれないんですが、普段の生活においても、もしくは不審者とかあるじゃないですか、そういうニュースとかもあるんですけど、
それこそ友人とか話していく中で出てくるのって、やっぱり僕の中で挨拶運動みたいな話で、
知らない人にネコリハゴリ聞くっていうのは地方とか田舎っぽいのがあると思うし、誰誰がどこ行ったみたいなところがねちっこいみたいなのがあるかもしれませんが、
そういうネガティブなやつは置いといても、都会においても挨拶して答える、要は不審者じゃないっていうのも日本の漢字でもやっぱり必要になっていくんじゃないかなって思うし、
今さら言っても遅そうな感じもするんですけど、遅くないんで、こんにちはとかね、挨拶するっていう、だけといえばだけだし、挨拶する仲というよりはそれは仲なのかっていうね、
ツッコミをする人もいるかもしれないんですけど、そこでですね、抵抗感を持つというよりも、なんていうんだろうな、そこまで重くせずやる。
それがね、分かりますよ、苦手な人っていうのは、いや、それが大変なんだよってことになるんですけど、そこの紙、結局今僕が話したように紙一重の話になるんで、そこをちょっと乗り越えてやってみる、もしくはやってみるね。
やってみるとしか言ってないんですけど、なってくるのかなと思いました。
だから、その微差・誤差がコミュニケーションの得意・不得意というのを吐けるのであれば、何だろうな、トレーニングプログラムとかがあるとは思わないんですけど、
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普段からコミュニケーションをするっていうことを別に厭わない、もしくはちょっとやってみようかっていう、ちょっとのものね。
それでですね、そんなに悪い人いなくて、そうですね、ありがとうございますとか、そうしますっていうふうに、そこまで問題にならないし伝わるしみたいなふうに僕は見てるんですよね。
それはね、いやあなたが、小笠さんがね、コミュニケーションが得意なんじゃないですかっていうふうに思われるかもしれないですけど、いやあ別に得意っていうことまではね、僕も思ってないので、
とはいえ苦手とも思ってなくて、ただですね、これ最後に仕事づくりのほうに戻しちゃうんですけど、やっぱりコミュニケーションしていかないと伝わらないし伝えられないんで、
やっぱりですね、コミュニケーションって最後には必要になるんかなと思うんで、特に若い方であればあるほどどんどん、特に何だろうな、その上の世代とか知らない人とか関わる機会があればどんどんやっていったほうがいいんだろうな、それがマイナスになることはないかなと思います。
はい。というわけでですね、以上コミュニケーションの対する抵抗感をなくすにはどうすればいいかじゃないんですが、そのことについて少し考えてみました。少しでも参考になる点があれば幸いです。
以上となります。食事ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。