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2024-06-21 09:53

012 長い物には巻かれ…

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価値観の交換!討論カフェ/弁護士さんと討論カフェ/残したい日本の慣習、無くしたい日本慣習/長い物には巻かれろ/「ろ」がいかん/

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園のコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
先日、弁護士の方々と討論カフェをしてきました。
討論カフェというのは、私が株式会社現象とは別に、もう一社働いている、株式会社ビッグトリーというところがあるんですけども、
その株式会社ビッグトリーの野積さんという社長がいるんですけども、野積さんがずっとやっているイベントですね。
価値観の交換という対話の場なんですけども、その討論カフェという対話の場に、野積さんのお友達で弁護士の方がいらっしゃって、
弁護士もいろいろ価値観を交換してほしいんだということで、その方が3名かな、弁護士さんを3名集めてくださったので、
その方含めると4名の弁護士さんと、僕と野積さんという6人で討論カフェをしました。
討論カフェというのはですね、ポッドキャストもやってますんで、概要欄の方に貼っておきます。
ぜひ、よかったら聞いてみていただけたら、こんな雰囲気で対話したんだなみたいなのがわかるかなと思いますんで、よかったら聞いてみてください。
で、その6人で討論カフェをするんですけれども、イベントの方はですね、テーマが1個あって、そのテーマで喋るというよりは、
テーマがですね、4つとか5つぐらいあって、その中からその場で、これ話したいみたいな感じでテーマが決まるという感じで、選択式でテーマが決まります。
で、今回、頭がいいとはみたいな、頭がいいとはどういうことかみたいな問いが1個と、もう1個は、なんだったかな、ちょっと正確な文章忘れましたけども、
あなたが残したい日本ならではの慣習は、また、なくしたい日本ならではの慣習は、みたいな問いだったと思います。
で、今日はその校舎の問いですね、日本の慣習、残したいもの、なくしたいもの、みたいなところで話したところがすごい印象に残ったんで、
そういうお話をしたいなと思ってるんですけども、さらでね、なくしたい慣習は、残したい慣習はって話すのちょっとね、どっかかりがないので、
で、またね、自分が読み取る側だったら、そういう文化というか慣習は残ってほしいなと思うけれども、相手に教養するとなると、ちょっと違うよね、そういう時代でもないよね、とかいう話があったりとか、
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自分が読み取る側だったら、そういう文化というか慣習は残ってほしいなと思うけれども、相手に教養するとなると、ちょっと違うよね、そういう時代でもないよね、
とかいう話があったりとか、自分が読み取る側だったら、そういう文化というか慣習は残ってほしいなと思うけれども、相手に教養するとなると、ちょっと違うよね、そういう時代でもないよね、とかいう話があったりとか、
建前みたいなところで、少しこう、何ていうのかな、無駄な衝突を避けるみたいなことは重要だよね、と。だから本音と繋がることは重要だよね、みたいな話とかね。そういった話がいろいろありました。
中でも和ですね、平和の和、調和の和ですね。そして、調和されるような和みたいなのは、何ていうのかな、今時、価値観が多様化している今時はですね、少し硬さがありますよね、身動き取れない感じがありますよね。
でも、その場で出たのは、ちゃんとコミュニケーションを取って、確認し合って、まあ時にはぶつかり合って、その中で結果としてちょうどいい距離感に落ち着く、そういう調和の仕方ってあるよね、みたいな話が出て。
だからコミュニケーションってやっぱ大事だよね、と。コミュニケーションを経て、いい距離感に着地する、そういう和ってあるよね、みたいな話になって。で、それを聞いて僕がですね、ちょっと言ったのが、長いものにはまかれろ、みたいな、これはなくさないとコミュニケーションって結局、その対等なコミュニケーションって起こらないんじゃないか、みたいな話をしたんですね。
そうすると、のぞみさんはですね、長いものに対してですね、すごく批判的なコメントをし、もうまかれてはいけないというようなね、スタンスで語っており、またとある弁護士さんは、そうやって長いものを否定してるけど、長いものを否定して、新しい長いものになってしまうんじゃないか、みたいな問題で提起をされたりとか。
それに対してのぞみさんが、気づいたと。長いものを否定してたんじゃなくて、私にまかれろと。私にまかれろということだった、みたいなことに気づいたと。自分が長いものになろうとしていた、みたいなことに気づきました、みたいな話があったりとか。
最後はね、みんながね、みんながって言ったらちょっと語弊があるな。いろんな人が長いものになっていけば、長いものの多様性が担保されるので、結果極端な独裁みたいなことが起こりにくくなるから、長いものがいっぱいあったらいいよね、みたいな話で追ったんですね。
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僕自身、長いものにまかれろっていうところに対してですね、すごい問題意識があるというか。長いものにまかれることが問題なんではなくて、まかれとけばいいよね、みたいな。なんならまかれていこうよ、みたいな言葉に感じるんですね。まかれろって言っちゃってるからですね。このろがいかんなと思っているわけです。
いろんな場面にですね、規範みたいなものがあって、それに従うというか、長いものにまかれとこうというか、あとは強い人がいたときにわざわざ逆らう必要もなくて、強い人に従っておこうとか、そういうことってね、往々にしてはあると思うし、僕自身も長いものにまかれる場面っていうのが多分ほとんどだと思うんですよね。生活の中でいちいち長いからといって立てつく必要もないからですね。
まかれている部分ってたくさんあると思うんですけども、まかれてはいけない場面っていうのもあると思うんですよね。自分の価値基準に沿わないとか、自分の道徳心みたいなところ、自分は持ってるね、道徳心みたいなところに反するとかね、自分の美学に反するとか、とにかく自分がそれに従うのは違うよなって思っていることって中にはあると思うんですよ。
でも、何でも長いものにはまかれておかないとねっていう感じで言っちゃうと、そういったね、ありたくない姿になってしまうみたいなことが簡単に起こってしまうと。
で、この長いものにまかれろマインドみたいなものがベースになっちゃうと、そのいざという、まかれたくない時に準備ができてないんですよね。
瞬発的に、そこでまかれないっていう選択が取れないと、違和感あるなーとか、違うなーって本当は思ってるんだけどなーと思いながらそのままなんとなく流されてまかれていくみたいなことが起こっちゃうんで、やっぱりこのね、長いものにはまかれろっていう言葉、マインドみたいなものはなくしていったほうがいいんじゃないかなと個人的には思ってます。
長いものにまかれることを否定しているわけではなくて、まかれとけばいいよね、まかれていこうよみたいなスタンスが、このいざという時にですね、不本意な形で自分の望まないものに加担していくということになってしまうかなというふうに思いますので、僕はですね、長いものにはまかれろという日本の慣習に少し意を唱えたいなというふうに思っております。
皆さんもですね、ぜひ残したい日本の慣習、また、なくなったほうがいいんじゃないかと思う日本の慣習みたいなことですね、考えてみて、ぜひね、コメントいただけると嬉しいです。本日は以上です。
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