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劇団雌猫の悪友ミッドナイト。こんにちは、劇団雌猫のユッケです。 カンです。このポッドキャストは、平成元年生まれのオタク4人組が、好きなエンタメや日々の生活のことなど、ワイワイお話しする番組です。
深夜のファミレスで、横の席のおしゃべりに利き耳を立てる感覚で、バッタリ聞いてみてください。 はい、先週に引き続き、ユッケとカンの回でございます。
実家の引っ越しの決定
先週は、アイドルのCDの話をしてたんですけど、ちょっとまたガラリと変えて、こないだ、ポッドキャストの公開収録を、劇団雌猫4人でやって、その時もちょっと、カンが話してたんだけど、実家の引っ越しをしたみたいな話をしてたじゃないですか。
今、前回はさ、先週は、物を増やす話だったけど、CDを積む話だったけど、今回は、物を減らすという話で、私たち今、35歳?34歳?5歳? 5歳。
だとしたら、親が60代とか。
そうね。
だとしたら、さらにおばあちゃん、お母さんのお母さんだと、80代なわけよね。
なんか、もう全然死ぬぐらいの歳とか、もう亡くなってる方もたくさんいると思うし、牢牢介護を親がしてたりとか、そういう世代だと思うのよ。
で、なんか私、30代入ってからずっともやもやしてたことが、やっぱり私、実家が関西で、おばあちゃんもお母さんも関西だから、なんかあった時に、例えばお母さんもおばあちゃんも、なんか一気に連続で死んじゃったとかなったら、めっちゃ片付け大変そうって思ったのよね。
そうだね。遺品整理とかね。
そうそうそう。で、自信ないなって思って、それがすごいずっともやもやしてて。
あと、おばあちゃんが80代に突入してから、すごいやっぱ怪我とか増えて、おじいちゃん亡くなってから1人だった時に、うちのおばあちゃん、宝塚の山奥に住んでたんよ。
住んでたっていうのは、もう引っ越したからないけど。
で、お母さんは宝塚市の近くの、また別の兵庫県のとこに住んでて、宝塚までその半球で1本とかやけど、やっぱ山の上やからドアトゥードアで1時間ぐらいかかってて、
結構遠いね。
そう。だからお母さんも働いてるから、仕事しながら怪我してるおばあちゃんの世話とか、まじで大変そうだったのね。
で、私、めちゃくちゃお母さんのこと好きだから、ちょっともうお母さんの心とか体とか壊れたら嫌だし、私、そんな状態になったら、本当に心配で東京を捨てて帰っちゃうと思って。
それって、また私が自分の人生をちょっと犠牲にしてるみたいな雰囲気も出るじゃない。
うんうん。
なんかもう、全部嫌だと思って。
なので、できるだけお母さんに負担がかからずに、お母さんが自分のお母さんを満足いくまで世話したりとか、自分も楽しんだりできるようにするにはどうしたらいいのかなって思って、結構ね、1、2年がかりでお母さんを説得したよね。
そうなんだ。そんなに前から考えてたことだったのね。
うん、30入ってからやから。だから、この5年ぐらいの私のプロジェクトで。
なんか、断るごとにお母さんとかおばあちゃんに、「一緒に住んだら?」とか。
うん。
なんかもう、死ぬまで10年もないかもしれんから、最後一緒に住むのもいいんじゃないの?みたいな話とか。
うん。
で、おばあちゃんもし本当に怪我したら、お母さん大変やから、私のお母さんがね、大変やから、困ると思うし、もうよくない?みたいな話とか、なんかこう、ちょこまかしてて。
で、ことが起きたのは、なんかおばあちゃんが、バスから滑ってこけたかなんかで、結構な大怪我をしたんよ、骨をって。
女の人ってコツと症状とかね、多いじゃない。
でも、いい加減今だろってことで。
なるほど。
もう、やるよと。
説得のチャンスがやってきたわけですね。
でも、それってもうちのお母さんも渋ってて、うーんみたいな。
家が、いい家がないかな。やっぱなんか人って本当に、背中を押されないとできないことってやっぱあるから。
そうね、CDよりもめちゃめちゃ高い買い物だしね、家なんて。
家買ったわけじゃないよ、賃貸だよ。
あ、そっか、賃貸なのか。でもさ、引っ越しにかかる費用とかも、CD1枚買うのとはさ、全然手間が違うしね。
本当にそう。片付けてめんどいしね。
だから私も、スーモで、めぼしい物件をマジでめっちゃ送った、お母さんに。
へー。
そう、こことかめっちゃ良くない?みたいな。
なんか部屋個室もあって。
うんうん。
管理人さんもいて良くない?とかなんかすごい色々送ったら、だんだんお母さんもなんか不動産屋とか行ってくれるようになって。
遠隔で操縦して、お母さんを。
かっこよってくるだろ。
そう、でもおばあちゃんにももういい加減観念してもらって、引っ越しましたっていう話なんよ、これは。
なるほどね。約5年がかりの壮大なプロジェクトが。
それはさ、引っ越す家、特に結構時間がかかってたわけだけど、実際に家決まって引っ越すぞってなってからは、割と早かったの?
うん、でもそれもなんか2段階あって、まずお母さんが引っ越すじゃない?お母さんは賃貸と賃貸なわけよ。
はいはいはいはい。
で、それ私手伝った一緒に。
で、次に、おばあちゃんじゃあ持ち家なのね。
うん。
だから、持ち家を売らなきゃいけないわけよ。
そうかそうか、確かに。
そう。で、おばあちゃんの引っ越しは、もうそれが一番えげつなかったけど、ほんとに長年ね、人が住んでたり住んでなかったりしたような家だからさ。
そこはほんとにお母さんすごい頑張ってくれたんやけど、まあおばあちゃんが。
だから結局ね、おばあちゃん入院して、もう家戻らずに新しい家来たね。
へー、そっか。じゃあお母さんが古い家はいろいろ整理整頓頑張って。
そう、私も一緒にして。
実家の物の整理
でも、おばあちゃんは別に寝たきりとかじゃないけどね。
全然リハビリとかもやってるけど。
うんうん。
で、家を売るのは、やっぱすごい一緒に頑張ったかな。
へー。
人生。
人生や。いや、すごいよね。
なんかさ、私はさ、地元が九州なんだけど、おじいちゃんおばあちゃんも私の実家の近くに住んでて、で、うちも持ち家で九州に家があって、
で、いとことかおじさんおばさんとかも、だいたいみんなその九州に住んでるわけよ。
だから、弟もまだうち実家に住んでるし、だから東京に一人出てきてる私のほうがちょっと何かいたんじというか。
うんうん。
なんていうの、親戚のさ、集まりとかさ、いろいろあるじゃん。年に1、2回ぐらい。
それの予定とか、なんか私の知らないところで勝手に遂行されてて。
私は正月に年1で帰るぐらいしかしないから、実家に帰っておじいちゃんおばあちゃん家に1日ぐらい寄ってご挨拶してっていうので、ここ数年はずっとそれで終わりだから、
なんか感がそこまでさ、実家にめちゃくちゃ入れ込んでさ、いろいろとやりとりしてるのがすごい私的に新鮮だった。
でもさ、ユッケさん長女やんな。
そう。
なんかうち弟も、弟がめっちゃ自由な人で、ずっと京都に住んでるんやけど、とはいえ京都って兵庫にすぐ行けるっちゃ行けるから、東京よりは行けるから、
お母さんの近くに弟がいてくれてるのはすごい私的には安心な部分もあったわけ。
うんうん。
でも、これ全然また別件なんやけど、先週うちの弟、東京引っ越してきたんよ。
そうなの?知らなかった。
知らなかった。
真事実発覚。
今っていうタイミングなんやけど、しかも同じところ、めっちゃ近所やね。
えー。
偶然よ、これ偶然。
あ、そうなんや。
で、お母さんに、なんかその弟が東京行って、お母さん周りにね、子供おらんくなって、ちょっと不安みたいな、心配みたいなこと聞いたら、
え、全然逆って言われて、
え、どういうこと?って思ったら、弟のそばに私がいることがめっちゃ安心みたいな。
あー、なるほどね。かんと弟が近くなったことが。
うんうんうん。
なんかあったら、お姉ちゃん助けてくれるみたいな。
確かに。
え、なんか私さ、前もこの話したと思うけど、やっぱかまどたんじろうの気持ちすげーわかるんよな。
長男だから我慢できたってやつ?
そう。長女だからこんな頑張ってるんやと思う。
いや、えらいよ、それほんとに。
ほんまにえらくない?
ほんとにえらい。だって私も長女だけど、かまどたんじろうに全然感情移入できないもん。
私はもう自分一人で自由にいきたいっていう気持ちだけで、ここまで生活してきてるから。
そうだよねー。だから私東京出てくるときもさ、かなり抵抗した。
えー。え、抵抗っていうのは、自分の中で葛藤があったってこと?
違う違う、なんか私、聞かれてる方知ってるかわかんないですけど、私学生のときに結婚してんのね。
うんうんうん。
で、その結婚した相手が東京で仕事することになって、東京行かなあかんや、みたいになったんやけど、
お母さんが困らないように働いたりとか、結構人生をお母さんに捧げる覚悟があったのね。
なるほど。
そう、お母さんが私が子供の頃に離婚して苦労してるの知ってたから。
うんうんうん。
大人になってから思うと、そんなこと子供が考えなくていいんだよって思うけど、当時はそう思ってたのよ。
だから、お母さんを置いて東京に行くなんて、みたいな葛藤があった。
なるほどね。すごい。家族を大事にしている。
いやー、家族は大事にしてないと思うけど、どうなんだろう、なんかちょっともう洗脳じゃない?洗脳。
まあね、いろんな事情がありますからね。
家族との関係
ごめん、全然話変わるんだけどさ、一瞬だけ、私ずっと小学生、中学生ぐらいの時から実家にいる自分っていうのがすごい違和感があって、
なんか私の中二病みたいな、その頃はたぶん中二病的なひねくれた気持ちもあったんだけど、
私がいるべき場所はここじゃないっていうのをずっと思い続けてきてたの。18年間、降参までね。
で、大学から東京出てこれることになって、よっしゃ一人暮らしだってなって、
なんかそっからすごい自分の人生の第二章が始まったぐらいの気持ちでいたんですよ。
で、なんかそれこそ30歳ぐらいになった時に、私占いが好きで、知り合い捨てに紹介してもらった占い師に自分の運勢を占ってもらったら、
もうおもろいんやけど。
あのさ、転中札、大作戒とかいろんな言い方があるけど、要は人生の中でちょっと停滞してる時期みたいなのって人によってあるじゃないですか。
で、それが私0歳から18歳までが大作戒だった。
ちょうどまるまる実家にいた期間で、しかもなんか私の星回り的に、家族とベタベタしすぎると自分に良くないことが起こるみたいな。
だから家族の季節が距離をとった方がいい星ですよ、みたいなことを占い師の人に言われて。
大作戒、18歳までの大作戒と自分の星の巡りっていうのを占いの方向からさ、言われたことにより、
他に対して思い入れがない自分っていうのにすごい罪悪感があったんだけど、
でも私ってもうそういう星のもとの人間だからいいんだ、みたいな気持ちになって。
めっちゃいいじゃん。
いいよいいよいいよ。ますます実家と適度な距離でお付き合いしてるんだけど。
いいじゃないですか。その占い師紹介して。
いやでもそれがさ、この占い師さんさ、話を戻して、
そう、だから私はその実家に対して割と距離を置いてるタイプだったんだけど、
でもその勘の話を聞いて、確かにうちも実家ってお父さんが子供の時からおじいちゃんも一緒に住んでたところだったから、
なんかめちゃくちゃ物が多いのよ、我が家は。
だよね。
引っ越しして物減らしてみたいなのって、その実家のやつを今私がやれって言われたら、
多分絶対一人じゃできないから、それは何かコツが、じゃあこれは捨てるとかさ、これは引っ越し先に持ってくとかさ、
見極めるのも時間がかかったのか、なんか何かしらの基準があって、サクサク引っ越しをしたのか。
いや確かに、お母さんがさ、死んでからの生理だったら、もう私が残したいかどうかでしかないじゃない?
でもお母さん生きてるから、で、お母さんが何を大切にしてて何を大切にしてないかとか、分かんないじゃない?感覚的なことが。
そう、だから一個ずつ聞かなきゃいけなくて。
そうだよね。
そう、それは本当に大変だったのと、あと何か私が思いもしないようなものを全然余裕で捨てたりするわけ、お母さんが。
これめっちゃいいやつやけど、ほんまに捨てていいの?みたいな。
うんうんうん。
うん、そうそう。何か私の子供の頃から家にあった、すごい一番いいと思ってた木製の家具みたいな豪華なやつとかを、
何かこれはもうちょっと大きくていらないみたいなのとかあって、そういうのはもうびっくりして慌てて私が家に引き取ったりとか。
あ、缶のリビングに置いてあるやつ、シルバニアが入ってるやつ。
そう、あのさ、マジで実家ってめっちゃ皿ない?皿とか。
え、めっちゃ、分かる分かる。皿とコップが無限にある、本当に。
そう、でもさ、東京の家そんな皿とコップないやん。私たちの家、一人暮らしとか。
そうだね、そうだね。
家、だからその水屋を、水屋って関西弁かな?その、なに?あれなに?食器棚?
うんうん。水屋って言うんだ、初めて知った。
実家の整理と食器棚
水屋っていう、その大きい食器棚をお母さんのとこから引き取ってきて、お母さんは結構パンパンやったわけ、それ。
へー。
なんやけど、こっち引き取ってきたら何も入れるものなくて、で、一緒に実家から引き取ってきたシルバニアファミリー並べて入れてる。
なるほどね。
そういう事情で。
そう。めっちゃかわいいエピね、これは。
かわいいエピ。
これ、アイドルがラジオとかで言ったらめっちゃかわいいってなるやつだよ。
実家の整理してて食器棚実家からもらってくるアイドルって、なかなか貫禄あるけどね。
なるほどね、そっか。
だから、やっぱほんまに親といえど他人だなってすごい思って。
そうね。
もう全然感性違うっていうか。
でもこれは残すんやみたいな。
でもじゃあそこは基本お母さんの意向を聞いて、聞いて、でもなんか背中を押すのはやっぱり必要で、
これほんまにいる?いらんやろ?みたいなのとか。
でもいつか使うかもしれんしとか、なんかそういうのは結構捨ててもらったかな。
あとなんか、おじいちゃんの、もう亡くなったおじいちゃんの遺品整理の方が大変で。
遺品整理と物の捨て方
昭和のね、おじいちゃんだから、マジでめちゃくちゃ紙の本とか、謎のさ、なんで実家にはあんな百貨辞典があるんだろうか。
わかる?
百貨辞典とか。
百貨辞典はユッケの実家にはなかったけど、でも確かに本はいっぱいある。
あとさ、ピカソとかマックスとかの、なんかこう、画集みたいなのとか。
文化的な。
昭和に流行ったんよと思うのよ、ディエゴスティーニ的なさ、一斉に買うやつ。
そうそうそうそう。
そういうのってマジで見えひんから、なんかすごい豪華な本で捨てるのとかももったいなくて。
頑張ってブックオフ読んだんやけど、全然1円とか5円とかでも、はーって感じの。
へー。
しゃーないね、それは。
私たちも将来さ、誰かに遺品整理される、子供おらんから誰もしてもらわれへんっていう。
されるようなことあったらさ、なんでこんなおばあちゃんはこんな同じCDをいっぱい持って、
取れか取れか、こんな謎の紙いっぱい持ってみたいになると思うから。
そうだね。
やっぱちょっと定期的に断捨離せんといかんよ。
いやほんとだね、ずっとやっぱ地層みたいにさ、どんどん荷物ってたまっていくじゃん。
基本的に家をどんなに綺麗に片付けてたとしても、やっぱり荷物って下から上に積み上がっていくものだから、
なんか1年に1回とか物を捨てるとか決めないと、もう古い物って永久に残り続けるんだよね。
そうね、ユッケさんってさ物多い人なの?そもそも。
ユッケは基本スタイル物めちゃくちゃ多い人なんですよ。
実家の自分の部屋とかにもめっちゃ自分の18年の蓄積の物が大量に残ってて。
そうなんや。
それはもともとはお母さんが物捨てるのがあんまり得意じゃなくて、
お母さんもすっごい綺麗に整理整頓するんだけど、めっちゃ物の量多いみたいなタイプの人なのね。
私もその性質が抜けないから、東京に出てきて1人で暮らすようになってからは、
基本的に2年に1回引っ越しをするようにしてて、引っ越しするとさ、絶対に持ち物の見直しするじゃん。
新居に持って行ったほうがいいかなとか、もう古くなったから捨てようかなとかあるから、
無理やり引っ越しをすることで物を一定量から増やさないっていうのを、東京に出てきてから続けてる。
でも、今回の私のお母さんの家の試みはそれに近いかも。
引っ越しでもないと物捨てる機会がなかったから。
うん、そうだよね。
特におばあちゃんの家とかは?
おばあちゃんの家に行くたびに、亡くなったおじいちゃんの部屋とか、
うわ、すごいものだなって思ったけど、よし、じゃあ片付けていきましょうみたいにならないよね。
しかもね、正月1日2日、夜ぐらいだったら、他人の生活に干渉するのもなみたいな。
言えなかったね、引っ越しでもないと。
そうだよね、確かに。
さっきユッケさんが、かんがそんなに家族のためにって話はあったけど、
思い返すと、冷静に考えると、自分がいざという時に行かなきゃいけない。
実家に家族が他にいるわけでもないから。
いざという時に行かなきゃいけないってなると、それが一種のかむばきだったらどうなの?みたいな。
空組公園中だったらどうなの?みたいな話。
すごい何かを、仕事とかも含めて。
絶対何かを犠牲にしなきゃいけなくなるじゃない?
確かに。
それでさらに整理もされてなかったら、めっちゃしんどいと思ったから。
そっちに時間取られちゃうしね。
結局未来の自分のためという感じかもしれない。感覚的には。
やばいね。かっこよすぎない?
未来の自分を思って行動できる人って、本当に尊敬するのよ、私。
ねえ、それ貯金できない人の発言だね。
ごめんなさい。
あ、でも本当にこれ、言ったかわからない。
言ったな。この前のイベントでも言ったけど、
一生浪費するためのお金の話っていう本、私たちは数年前に出したわけですよ。
はいはい。
あの時にお金の先生と出会って、
あの本に書いてある通りのことを、私、数年前の私が始めてたわけね。
あれ、5年前とかかな?
そうだね。ちょうど5年前ぐらいかな。
で、その5年間、コロナとかオリンピックとかを経て、
順調に私の知らないところで運用されていたお金が、
ある程度、100万とか200万とかまとまってあったわけ。
で、それがあったから、私、決断できたかも、今回。
え、どういうこと?
頭金、引っ越しのお金を貸したの。
あー、そういうことか。はいはいはい。
その、運用してたお金があるから、
自分がお金を貸してもOKやと。
すごくない?
つながってるね。
そう。だから、それがあったから、生活とは別の、生活とは関係のないお金があったから、
今、私も健康だし、まとまったお金が今すぐ必要なわけでもないから、
ここで、未来の自分を助けると思って、
お母さんにお金を貸して。
確かにね。
そう。思い切って引っ越してもらって、ってやって、
で、結局、そのおばあちゃんの家、何ヶ月か後に頑張ってお母さんが売ってくれて、
貸したお金は帰ってきたから、また運用に突っ込んでるんやけど、
よかったよ。すごい。
未来のために頑張る気持ち
私、これまでの人生、30歳になるぐらいまでは、その日暮らしでも楽しく生きれてたのよ。
かも。
その日のことしか本当に考えなくてよくて、
でもやっぱ、35ぐらいになると、本当に去年から今年ぐらいになって、
いきなり、私の人生って残り結構短いなって、ふと気づいて。
うん。
だってさ、ちゃんと自分の足で立って、ちゃんと仕事とかして、
ちゃんと健康な人間として生きられるぐらいの年齢って、
普通の人間だったら、たぶんもう35なんて折り返し地点じゃない?結構。
うん。
で、思ったときに、私このまま一生、残りの35年もその日暮らしで生きてたら、
たぶん35年より前に死ぬなと思って、
なんか病気とかしてたこと?
とかもそうだし、本当になんかわかんないけど、
ある日いきなりその大病患って、大菌が必要になったりとかしたときに、
あーねー。
そう。え、そんなお金ないよとかさ、
なんかいきなり何かのトラブルで引っ越さなきゃいけなくなったときに、
うん。
あ、家がないとか。
わかるわかる。
そう、何かあるかもしれないじゃん。
って思って、なんかふと最近、未来の自分に向けて、今もっと頑張ろうっていう気持ちを作りたい。
まだ全然作れてないけど。
やば。出てきたって話かと思った。
うん。なんもしてないけど。
今の、今の熱弁に対応する語尾ではなかった。
シリスボミカン。
えぐかった、本当に。
作りたい。
作りたい。
作りたい。
まる。
そう、でもそれもなんかまた占いの話になるんだけど、
なんかこないだ、こないだ別の占い師に占ってもらったの。
何人の占い師を抱えてるのよ。
いやでも、あれだよ、取引があるのはその2人ぐらいですけど、
定期的な取引をしたいと思ってる人はね。
で、なんかその、また別の占い師さんに、
なんか私、その人はなんかマヤ歴、古代マヤ文明とかの時に使われてたカレンダーのマヤ歴っていうのを用いて占うみたいなジャンルの人で。
で、そのマヤ歴によると、
私の人生って、35歳で1回区切りが終わって、
1つの時代が終わって、36歳からまた、
36歳からの13年間がまた別のそのタームに入るみたいなことを言われて。
今からやん。
そう、だから35歳の今年残り半年くらいで、
これまでの人生の生産をした方がいいみたいなことをすごい言われたわけ。
え、それ実家の引っ越しじゃない?
え?
確かに。
確かに。そうかも。実家レベルに遡って。
だってさ、ユッケさんさ、ユッケさんなんだかんだ地元への執着があるからさ。
え、そうなのかな?私、あるのかな?コンプレックスなんだけど。
あ、そうそうそう、なんかその、平野がどうとかよく言ってるやんか。
うん、言ってる。佐賀平野にね。佐賀平野で囲まれて育ったから。
だから、ユッケさん、確かにそんなに実家帰ってるイメージないけど、
地元っていうか実家の話はよく聞く。意外と。
いや、そう、でも、私の言動力ではあるのよね。
そうだよね。
そう、地元が嫌すぎて、だからこそ東京に出てこようと思ったし、
その感じはすごいあるから、
だから、今、ユッケさんからその前歴の案件の話を聞いて、
35にこれまでの人生をユッケが生産するとしたら、
マジで佐賀しかないと思う。
いや、でも確かにな。
自分の、そうだよね、これまでの新しい私に、スマイレージの曲みたいなこと言うけど、
新しい私になるためには、
スマイレージってやばいから。
現アンジュルム。
現アンジュルムの。
いや、そう、これまでの人生の生産をして、
来年から新しいユッケとして、ニューユッケとして、生きなきゃいけないのかもしれない。
でも、なんか、私ね、一番段差利的な意味でつらかったのって、
高校生のときに、それこそ親が離婚して家を出ていくみたいなときに、
普通の学校の平日のね、学校の日に引っ越しだったのね。
で、自分の部屋って、ほんとに小さい頃から自分なりに育ててきた自分の部屋を捨てなきゃいけないのが、
めちゃめちゃ悲しくて、そのときの子供の私にとって。
で、今でも覚えてんねんけどさ、モーニング娘。のアルバムかなんかで、
なっちとかごまきの顔の周りに花があるみたいな。
私も今、同じのを思い浮かべてた。
何だ?プッチベスト?何だ?
なんか、ベストアルバム?
ベストアルバムかな。なんか、メンバーが花みたいになって、顔だけいっぱい浮かんでるみたいなやつでしょ。
そう。村上隆の花の顔がごまきみたいな。
やっぱニュージーンズ、そう思うとニュージーンズとモーニング娘。ってやっぱりさ、
繰り返して20年に1回の村上隆の流れが来てる。
本当だよ。
いや、待ってください。10年前にAKBもありましたから。
AKBの村上隆コラボもありましたから。
それで、ごまきがさ、花になってるアルバムのジャケットを手に持ってさ。
ベストアルバムですね。
うん。それを持ってさ、中学生か高校生か忘れたけど、
私がううううってなってたの。すごい覚えてるの。
なるほどね。
で、あの時に私、やっぱ1回生産した感覚はあって。
はいはいはいはい。そうね。これまで住んできた。
子供部屋ね。
うんうんうん。
そう。子供部屋って、あの時にさよなら1回してて、
だから、それ以降結構、断捨離が得意になったっていうか、
あれがすごい悲しかったから、荷物を増やしすぎたくないみたいな感覚はずっとあるかもね。
へー。面白いな。
ユッケさんがさっきさ、
うん。
そのー、18年間の思いが詰まった部屋がまだあるみたいなことをさっきおっしゃってたので、
それを片付けに行くとかね。
それはあるね。いや、そう私もね、なんかあのー、
多分親が結構見て見ぬふりしてるんだけど、
それこそ中二病の時とかにさ、小学生の時とかにさ、
あのー、大学ノートにさ、なんか闇の深い絵とかを描いたりしてたわけですよ。
で、それをさ、ちょっと、親に捨てたいって言って、
ゴミ捨て、学生の時はさ、親がその家の中のゴミとかまとめて、
お母さんがゴミ捨てしてたから、
なんか私がこのノート捨てたいって言って親に渡すと、絶対に中身を見られると思って、
クローゼットの一番奥深く、クローゼットにあるタンスの、
実家の整理と感謝する努力
タンスの一番下の段に、その闇深いノートを全部隠してた。
で、多分それはまだ実家で捨てられてなくて、残り続けてるから、
確かにあの辺を全部捨てたら、私の心はだいぶすっきりする気がする。
そうよね。
その闇深ノートの一部さ、
今当たり前のように言ったけど、私もあんのね、そういうノートって。
よかった、私だけじゃなくて。
みんなあるじゃん、きっと。
なんだかの闇深ノートが。
闇深ノートね。
で、この部屋がもうないから、私。
確かね、一部その、同じ理由で、
普通に捨てたら見られると思って、
未だに持ってきてるやつあんのよね。
そうなんだ、東京に。
そう、でもそれも夫に見られたら恥ずかしいってか、死ぬから。
そうだね。
なんどの、絶対に使わないような古いトランクの中に、たぶんあんのよね。
いやー、こわいね。
開けてないわけでしょ、それ何年も。
開けてないよ。
だから、私が兵庫から結婚して、東京に出てくるときだから、
10何年前とかに、そのままちょっと慌てて詰めて出てきたのが、そのままあるわけ。
いやー、やばいね。
ユッケ、やっぱやみふかなおと捨てにいくの巻じゃない?
確かに、そうかも。
ごめん、捨てにいくのダウン。
ニータマランタロウスタイルって言ってくれてありがとう。
いやー、でもそうなんか、かんの実家整理、引っ越しの話を聞いてて、
私もなんかその実家の荷物とかを、確かにそのユッケ家はすごい物が多いから、
いつか早めに減らしとかないと、未来のユッケが困るのかなって思ったんだけど、
確かになんかその、親の荷物とか家族の荷物とかの前に、
あのユッケの18年が詰まってる子供部屋の物をめちゃくちゃなくすっていうのは、
大事なことですね。
これが真っ先にやるべきことですね。
大事だよ。それはそうだわ。
こっちに持ってきたいなって思うさ、物もあるかもしれん。
あ、そうそうそう、それはでも、そういうのはね、実家に帰省したときにね、
ちょいちょいこれずっと持ってたいなみたいなのは、ちょいちょい持って帰ってきてるんだけど、
あ、かんまりの。
かんまり。かんまりの。
ときめきの、片付けの。
そうそうそう、でもそうじゃないやつを残し続けてるから、
確かにちょっともう一回、全部の物と向き合う必要はあるね。
え、子供の頃からアイドル好きだった?
好きだった。
じゃあさ、超お宝の雑誌とかありそうなの?
いやでも、それこそ私、ナッチのファースト写真集とか持ってるもん。
これ、ナッチの?
子供の頃から写真集が好きだったからさ、
CDとかはあんまりレンタルしてきて、カセットとかMDとかに入れてたから、
あんまりそのCDの現物とかは持ってないんだけど、
写真集とか雑誌とかがすごい昔から好きで、
だから部屋の中にある物はほとんど紙物が多いから、
いざ本当に全部捨てるって覚悟して向き合うと、
これまで持って帰ってなかった物とかも、
さすがにこれは持って帰ろうって思ったりする物とかもあると思ってて、
私にとってシルバニアの中のベッドとか、
一部のお風呂とか、それだけはどうしても捨てられなくて、
とかはあったかな。
次帰省した時は、じゃあそれだな。
ユッケの部屋と向き合う。
確かに、30歳の時はあんまり思わなかったけど、
やっぱり35になると思うみたいな感じかな。
いや、そうなのよ。
過去生産界ね。
過去生産ね。
しなきゃいけない。
なので、実家の引っ越しの話ではあるんだけど、
自分が身軽になるためにやったという側面は、結構私は大きかったですね。
ごめん、先週に引き続き、1個だけINIの話をさせて欲しいんだけどさ、
INIのメンバーで、ニチプで11位でギリギリ、
一番最後の順位でINIのメンバーになった後藤武君という子がいて、
武君はすごいストイックな人で、ニチプ中もめちゃくちゃ、
5分休憩する時間があるなら、5分ダンスの練習できるじゃん、
みたいなことを言うタイプの人だったんですけど、
ニチプの最終回で11位で名前を呼ばれた時にさ、
その司会者が、その時は99だったんだけど、
司会者がその人のこれまでの頑張りとかをアナウンスしてくれるじゃん、
その時に泣きながら歩く武君越しに、
その99の矢渕が、今やってる自分の努力に未来の自分が感謝する、
お、慎重に彼は頑張ってきました、みたいなことを言ってて、
だから、今努力するのは未来の自分のためであるっていうことを胸に、
後藤君はニチプ期間中練習を続けてきました、ということを言っていて、
やっぱ未来の自分のために頑張ることこそが美しい人間の在り方なんだと、
今日のかんの話を聞いて、さらに私は気持ちを新たにした。
かんも11位でデビューできるから。
いや、できるよ、できる。
私はちょっとデビューまだできないからさ、泣きながらね、
部屋の片付けと自分の成長
11位かんって言われるかもしれない。
かん。
ためてかんって言われるかもしれない。
今日の自分の努力が、なんやっけ?
今日の自分の努力に、未来の自分が感謝する。
あー、おもしろいわ。
ユッケがほんとに、佐賀に行ってさ、
自分の部屋を整理する、あるいは、整理がどうしてもめんどくさくて、
一族グループラインから退出する、などの、
何らかの精算があったら、また続報会をやりましょう。
そうね、今年の年末年始にも、確実に帰ると思うんで、
ちょっとその時に、精算したいと思います。
それでは、今日はこのへんで、お便りも募集しておりますので、概要欄をチェックしてください。
劇団メス猫の悪夕ミッドナイトは、毎週金曜日の朝に配信予定です。
バイバーイ。