こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口七葉と、京都芸術大学の先生の坂井です。
お願いします。今回も前回に引き続き、詩人ココルーム代表理事の上田さんをお招きしております。
前回は、上田さんが兄弟に浸っていた学生時代、現在に至るまでの大阪でのエピソードなどを伺いました。
毎回心に狂う。心に狂う何かが必ずある。
だから今回もまた狂うんちゃうかと思って、覚悟しているんですけど、最終回ですよね。今日4回目。
今回は、上田さんの今後の展望とか、今興味があることについて伺いたいなと思っております。
上田さん、ちなみにこの芸大ラジオmymyの裏テーマみたいなものは、自然です。
ワイルドライフの方の自然に、僕興味あるんで、もしも今考えておられる、今後の展望の中に自然的要素を入れられるんだったら、勝手に入れてください。
あるある。
ある?よしよし。そういうことを入れていきましょう。
わかりました。
お願いします。
はい。じゃあ早速、そっちの話しようかな。庭があるんですよ。うちちょっと広めの。
その敷地内に、その庭で木いっぱい生えてるんですけど、それでなるべくお茶作ったりとか、食べれるもの食べたりとか。
食べれるもの。
果物、いろいろ果物。
果物とかも納豆。
いっぱいなってて、クワとか桃とか、ぶどうとか、イチジクとか、キイチゴとか。
そんなにいっぱいある。いいですね。
いいでしょう。サクランボとか、ほとんど鳥に食べられるけどね。
そうか。
鳥に食べられるのか。
サクランボはね。
で、食事毎日してるから、その野菜くずとかコンポストにしたりとかしながら、自然な、なんとか大阪のコンクリートジャングルの中で、そうした土の匂いと。
で、自分たちの作れるものは作るっていうのもやってるんだけど、でももちろんこれだけでは足りなくて、本当に便利な場所にあるのね。心のある場所。
新幹線まで地下鉄で20分だとか、韓国まで40分とか、そんな場所なの。
だからゲストもいっぱい来るんだけど、でもここはやっぱりかなり消費の場所だから、実は本当にその生産しているような自然のある場所。
海とか山とか、農業してるとことか、そうした地域って人が少なくて困ってたりもするでしょ。
なので、そこに交流をするような連携をもってですね、海外ゲストとかでも、本当に単に観光したいだけの人じゃなくて、もっと何かやりたい人って結構遠回りに来てて、
これまでも実は一緒に山に行って作業一緒にしたりとか、お茶積みに行ってみたりとか、ゲストと一緒に私も行ってるんだけど、
そういう人たちいるので、海外のゲストをそうした場所に泊める、滞在するようにコーディネートしたりとか、
もっと言えばうちで働くスタッフも都市でずっと暮らすんじゃなくて、一年のうち例えば何か月かとかでも地方で暮らしてみる、そこで働いてみるとか、
地方の人たちも、例えば子どもたちが都会を体験するときにうちに泊まりに来ればいいわけじゃない。
長めの修学旅行だね。
そうそう、そんなふうにして、地方と都市を結ぶことができたらいいなっていうのはちょっと思ってて、もちろんそのためには体力が必要で、スタッフが何ヶ月かいなくても回るようにしなきゃいけないわけだし、
なので本当にまだ事業計画としてもまだ立ってないけど、そんなふうに消費するだけじゃない生き方を一緒に探せるようにしていく事業を考えたいなとは思ってはいます。
すみません、今さらなんですけど、まずスタッフいるんですね、その法人には。
スタッフ、すみません。
これ何人いるんですか?
今6人ぐらいいるかな。
それ普通に給料払って?
給料払ってです。
すごいね。
だって増していかないと。
大変ですよね。
経営者大変なの。
大変ですよね。
大変、本当に大変なの。
っていうのと、あとここまで話を聞いてきて、なんでこの人今日着物できたんやろっていうのを僕は思ってたんですよ。
ああ、着物。
だって何も関係ない、着物と今のところの話。
今日はたまたま着物やったんですか?
いや、毎日なの。
え、でもいやいや、ここの写真集では私服でやっとったでしょ、井戸掘り。
井戸掘りは着物、で、できひん、今のは。
あ、そうか。
すっごいレアなの、その。
あ、ほら、いつも着物なの。
毎日着物なの。
なんでなんですか?
えっと、仕事にしようと思ったって言ったよね。
うん、言った。
修行課。
はい。
あんなもん、仕事来るわけないわけよ。
だから、いつ朗読してって言われても様になる格好。
着物なんや。
うん。
特別感あるでしょ?
まあ、ちょっと変わっている感じはするよ。
ね。
うん。
やっぱそれが必要やったんや、ファッションとしては。
そうそうそう。で、さらに実は毎日着物を着てたらみんなくれるのよ。
あ、これきんからって。
そうそうそう。で、もう衣装代いらないのよ。
めっちゃあるんや。
めっちゃもらえるの。もう、あの、片身もいただくし、本当に思い出と一緒にいただくし、たくさん着物をいただいてて、そういうスタイルをしたことで、ワークショップとか私よく呼んでもらうんだけど、
ちっちゃい子供さんとか、高齢者の方とかのところに行くんだけど、やっぱ着物で行くと喜んでもらえたりとか、綺麗ねって言ってもらえたりとかするのよね。
で、あとやっぱり、釜ヶ崎で私、町案内とかもするんだけれども、あの、若い女性がよ、この町に何の、なんていうのかな、働いたわけでもないのが、町を案内してたときに、やっぱり怒られるんですよ。
なんて言えばいいのかな、おじさんたち、ここで暮らしてた、いろんなことを経験された人たちがいるのに、私が何人も連れて町案内するっていうのは、やっぱりいいもんじゃないわけよね。
でも、そう、喫茶店の不利をしてても、やっぱりいいもんじゃない。
で、そこに着物を着た私っていうのが、なんか、ある種、もう異化されるんだよね。もうなんか、あの、宇宙人みたいな。
アイツか、みたいな。
そうして、いわゆるステレオタイプの日本人、若い女性みたいなのをやめないと、なかなかこの町でやっていけなかったっていうことも確かにあるかなと思う。もう変やから、みたいな。
なるほど。
もういろんなことが組み合わさって、着物なんですよ。
これがユニフォームになった。
話を戻す。
戻して、はい、戻して。
戻して。
今、興味があることとかも。
今、興味あることね。そう、私、ワークショップたくさんしているんです。
で、私自身は、その詩を私が書くだけではなくて、言葉を人生の味方にっていうキャッチフレーズを持っていてね。
みんながそんな風に言葉を味方につけてね、生きていければいいんじゃないかなと思ってるわけ。
で、言葉をと言葉にならないものを大事にすることによって、言葉っていうのがくっきりして、そこでやっぱり生きてるっていう感じがすると思うので、そういうことをみんなに知ってもらうのに、ワークショップっていう手法を使って、いろんなところで一緒に作りましょうってやってるんですね。
で、小さい人とか高齢者とか障がいを持っていらっしゃる方とか、企業とか学生さんとかいろんなところでやってるんだけど、刑務所とか少年院にワークショップをさせてもらうことがあって、10年前からそれを始めて、で、この去年と今年で3回少年院にワークショップに行って、本当に一番大変な少年院に行ったんだけど。
そこで、少年たちとワークショップして、本当に彼らの思いが表されたものに立ち会って、びっくりしたのね。
で、私のワークショップの手法は一人で書かないのよ。二人でペアになって、お互いインタビューし合って、聞いたことを詩にするっていうものなのね。
相手から聞いたことを詩にするってこと?
そうそう。で、名前は心の種としてって名付けてるの。相手の人の心の種を受け取ってっていうようなイメージなのね。
で、私は少年とペアを組んで、少年の話を聞いて詩を書いたんだけど、その少年が本当に壮絶な人生を生きてたの。よくぞ生き抜いてくれたと。
よく生きてたと。
で、話してくれたことが、すっごい暴力的な内容なわけ。で、それを私はそのまま詩にしたのね。
で、たぶんおしゃべりとしてその話聞いたら、本当に返答もできないぐらい大変な話なんだけど、詩の形にするっていうことならばできたのよ。応答することができて。
で、彼のその壮絶な、本当に痛々しい話をですね、詩の形にして彼に朗読して送ったわけよね。
その場でね。
その場でね。彼も私のために詩を作ってくれたんだけど。
そっちを見たいけどね。彼の詩を。
そうそう、私の話を聞いてくれてね。
で、その男の子が生まれて初めてこの話を人にしたって言ったの。私にしてくれてたの。
で、その話を私は本当になんていうか、詩の形にならば答えられたっていうのは、
私ずっとこれまでいろんな経験をしてきて、ワークショップをしてきて、本当に良かったと思って。私にその技術があったっていうことが嬉しくって。
何のためにやってきてたっていうの?このためにやったんやわっていうぐらい嬉しくって。
で、こうしたプログラムがやっぱりまだ届いてない人たちのところでできたらいいなって思って。
少年院とか刑務所とか、いろんなそうした場所に持っていきたいなと思って。
でも、じゃあそのためにはどうやったら継続的なプログラムができるか。お金の問題とか、そういうアーティストを派遣する、そういう仕組み。
もちろんそうしたことのできるアーティストも必要だし、先生も必要だしっていうような、これってどうやったらこの仕組み作っていけるのかなっていうのが。
今ね、気になってなんとかならんかしらと思っていること。
素晴らしいね、そういうプロジェクトは。そういう人らにこそ必要だと思うし、ワークショップだったり、デザインとか美術の視点によるアプローチあるいは詩だったり、詩も芸術だと思いますけど。
僕もちなみに金沢21世紀美術館で、椿先生という先生と15年ぐらい中学生にワークショップやってて、毎年夏5回ぐらいやってたりとか、うちの大学の中にワークショップの授業あるんですけど、それも10年ぐらいやってたりとかして、
あと今はオンラインで京都の職人さんを一般の人とつないでやるワークショップもやってたりして、僕ワークショップのプロなんですよ。で、論文も書いてるんですよ。
ワークショップのついて。
だから今の少年院とかのワークショップの話とか、すごい実は興味津々で、今聞いてたのは聞いてた。
でもワークショップって答えないし、僕は先生じゃないし、そしてお客さんはお客さんでいちゃダメだし、もっと前のめりで関わってこないとワークショップ面白くなっていかないっていうようなことがあって、
だからこっちとしてはこれ俺やってる意味あるんかなとかって思う。自分がワークショップをわざわざやって、でも例えば中学生とかやと何考えてるかわからないし、
面白いと思ってるんかなとか、すぐ不安になることも多くて、わかりにくいんですよ。だからすっげー楽しそうにしてるわけじゃない。
でも2ヶ月後ぐらいにアンケートみたいなので、僕が手で書いて、ワークショップって何?っていう質問とか、大人って何?っていう質問とかを送るとびっくりするぐらいすごい答えが返ってきたりとか、
え、これはワークショップってそうなんや。こいつらにはそう感じさせれたんや。そんなふうに思ってるような顔してなかったやろお前らみたいな答えとかすぐ返ってきたりとか。
あるいはこの間うちの学生からいきなり僕の最近スラックとかいうわけのアプリがあって、それにDMが来てたんです。
昔、神奈川の二席美術館でワークショップを受けて、こんな世界があるんやっててうちの大学に入ったんですっていうそういうメッセージが来てたりとかして、えーみたいな意味あるんやなーって時々思えるぐらいなんですよ。
だからそうやってその場ですごい感じれたことってあんまりないんだよ。
でも私も坂井さんと一緒で、ワークショップのその場っていうのがそこで全部決まるって思ってなくて、その後の時間だとも思ってるんだよね。
だからそこ差し込まれたしおりみたいなもんで、その後のページがまた続いていくからわかんないよね。
本当に。でもそれがなんかいいね。
そうね。だから人生、出会いやもんってつい言っちゃうんだよね。
そういう意味で私が場を開いてる時に、出会いがやっぱりそこでよく起こるの。
このね。
ココルームの場で。
ココルームでね。
とかワークショップの場とかでね。そういう場に立ち会えてるのって本当に喜びね。
そうやね。
上田さんの声のかけ方とかもすごい人を動かす力があるっていうか、前回の3話で言ってた安藤さんだったり、少年院の子だったり、すごい人の心をつかむ。
声のかけ方じゃないで。
なんだろう。
そんなテクニカルなもんじゃないよ。
何ですか何ですか。
絶対誰にも真似できないもん。
絶対誰にも真似できないもん。その人がここにいるっていう姿勢とか態度。
いや本当にすごいなと思って。
いや偉い人やでこの人。
いやでも今回もまた来たやんな。4回全部グッと来るわ。
グッと来ました。
本当に?
いや本当。
聞いてくれて。
言い逃したことはない?もうすぐ終わりますよ。
もうすぐ終わるね。
私はここでも事業生計をずっと考えてるんですよ。
こうしたまだ勝ちづいてないもの。世の中に勝ちづいてないものを実験として、社会実験としてやってるわけなんだけど、今で22年。
私は55歳。どうでしょう。これってまだ続くんかなっていうところで興味があって。
とりあえず私からあなたへっていう渡し方じゃないんだろうなと思っていて。
それは第三者の人たちがいろいろ聞いてくれてたりとか、かかってくれてたりとかっていうことで、もしかしたら続くのかなと思って。
事業生計のことを語る場を作ってるんですね。
年に2回釜芸の講座として立ち上げてて、そこでいろんな人に立ち会ってもらったり。