1. 芸術・デザインをひもとく芸大ラジオmymy
  2. 【9-1】青幻舎と赤々舎、青と..
2025-12-23 20:38

【9-1】青幻舎と赤々舎、青と赤。アート系出版社との出会いとか。

京都を代表する美術系出版社「青幻舎」の編集者・広報マンの話。マイペースな男のマイペースな話の根底に見える、自我を超越したなんとも不思議で幸せな生き方。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。

関連URL

青幻舎

https://www.seigensha.com/

青幻舎 創立30周年記念特設サイト

https://www.seigensha.com/feature/30th/

赤々舎

http://www.akaaka.com/

木村伊兵衛写真賞(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E4%BC%8A%E5%85%B5%E8%A1%9B%E5%86%99%E7%9C%9F%E8%B3%9E

ASP学科(アートプロデュース学科 Department of Art Studies and Cultural Production/2025年度入学生からはアートプロデュースコース)

https://artproduce-kua.com/
https://www.kyoto-art.ac.jp/department/artstudies/

後藤繁雄

https://www.gotonewdirection.com/profile

葛西薫(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E8%96%AB

サマリー

このエピソードでは、制限者とアカアカ社というアート系出版社の話を通じて、編集や出版のプロセスが掘り下げられます。特に、アカアカ社の独特な出版スタイルやその経緯、さらに新城誠司さんのキャリアに焦点が当てられています。また、青幻舎と赤々舎というアート系出版社の設立過程や、関係者の思いが語られています。クリエイティブな仕事を求める中での独立や関係構築の重要性が強調されています。

芸術とデザインの紹介
皆さんこんにちは、芸大ラジオmymyです。芸大ラジオmymyは、京都芸術大学の人気先生である坂井先生と、舞台芸術を学ぶ学生の谷口七葉がお送りする芸術・デザインのラジオです。
様々な領域で活躍する人たちや先生をお招きしておしゃべりをします。
未だに芸術・デザインは、絵が上手いこととか、あるいは自分とは関係ない遠い物事と感じておられる方が多いと思うのですが、
すごく身近で生活のそばにあるものなので、その辺の誤解も解いていけたらと思います。
改めまして、七葉です。そして、京都芸術大学の先生で、本業はデザイナーの坂井です。よろしくお願いします。
本日もこの2人でゲストを招きしたいと思います。
前回は、詩人NPO法人ココルーム代表理事の植枝かなよさんに来ていただきました。
私はすごい印象に残った回だったんですが。
そうなの?坂井の人と比べて?
まずい。でもすごい感動したっていうか、しませんでした?
した。私は、私って誰やねん。坂井は、本当にあの時熱でそうなぐらい、結構この収録に集中してて。
そうですね。
引き込まれたわ。
私もです。
何に引き込まれたかっていうと、やっぱり俺は別に見ないようにしてたわけじゃないけど、
見ないように、なぜか生きてきたような地域とかに関して、彼女が見てくれた情報、そこのリアルな話を聞けて、
なんか普通にぼーっと生きてたらやっぱダメかもしれんなと。僕ら勉強しないとダメだと。
本当に?
携帯とかでね、SNSとか見てても、まあこう表層的な情報ばっかり流れてくるじゃない?
でも自分から勉強しに行かないと、自分にとって本当に熱が出る情報ってのは得られないから、っていうのも思ったし、
そこでね、そこを整えるっていうよりは、なんかその人たちとできることあるんじゃないかっていうので、いろいろ試行錯誤してる姿が大変美しかったなと。
本当にそうです。
良かったね。
良かったです。
そんな前置きをされるとさ、今日のゲストはなんかこう、俺は大丈夫かってなるな。これ俺やったらもう結構やりづらいな。
そうですね。
ナノハちゃんのせいです。
びっくりした。ところで坂井さん、今回のゲストは、坂井さんのつながりでお声掛けをいただいたっていうことなんですけど、どういう方ですか?
僕の学生の時の同級生なんですよ。
そうなんですか。へえ。
制限者っていう出版社の偉い人です。なので今日もまた編集系の話なんですけど、ちょっと前にやったのは雑誌の編集とかフリーのライターなんですけど、
今日のゲストの方は出版社なんで本作ってるんですよね。
そして編集っていうのは本作ることだけじゃ多分ないんで、その辺の編集って何?みたいな話とかしてくれるのかなと。
はい、気になります。
思います。
はい、では早速お招きしましょう。
プレッシャーかかってます。
新城誠司さんどうぞよろしくお願いします。
お願いします。
暗いな。
すごい夢を与える話っていうのがプレッシャー。
そんなこと言ってないやんけ。
感動した話。
前回はね、前回ちょっとヘビー級やったんで。
今日はだから軽めに。
軽めを期待しています。
いろんな人がいていいじゃないですか。
確かに。
幅を。
卒業生の幅を見せてやろうと思ってる。
新城誠司のキャリア
早速ですが、新城さん自己紹介を簡単にお願いしてもよろしいでしょうか。
制弦社というアート系の専門出版社で、もともと編集と広報っていう仕事をやってたんですけど、
今少し広報寄りのことをやってたりするので、いろいろやってる。
小さな専門出版社でいろいろやってる新城と申します。
制弦社は一応京都の出版社?
そうですね。本社が京都で、今年で30周年なんですけど、私は東京支社の勤務ではあるんですけど。
今日は東京から来てくれました。
俺先週東京行ったで。
今週か。
珍しくないでしょ。
めちゃくちゃ珍しいです。
久しぶりに行ったんです。
何をしに。
ちょっと1個だけ喋っていい?
どうぞ。
エグザイルっていうあるじゃない?
舞台の人たち。
あの事務所に打ち合わせに行ったんですよ。
ラブドリームハピネス。
ラブドリームハピネス。
そうそう。
中目黒っていうところにあって。
入れないじゃん。ああいう芸能の時のところって。
なので電話かけて前で待ってるときに、俺水筒のお茶を飲んだのよ。
そしたら異物が口の中に入ってきて、ペッて出したのよ。
これ何だ?ペッて道に出したら、それが動いたんですよ。
何?って思ってよく見たら、
めっちゃちっちゃいかたつむりだった。
気持ち悪い。
気持ち悪いだろ?けどかたつむりやね。
なめくじじゃないね。
かたつむりって絶滅危惧種や。
だから俺東京のアスファルトでこうやってあかんと思って、ちゃんとつまんで草むらいに投げたんですよ。
えらい。
えらいっていう話と、かたつむりはどっから来たんだと。
かたつむり皆さん口に含んだことありますか?
ないです。
そんなことなるかなと思って信じられへんと思いながら。
それもともと入ってたんじゃない?
いや、もともと入ってたんか、俺が飲んだ瞬間に落ちてきたんかなとかなんか。
だって入ってたとしたら、俺家から新幹線の中もずっと入ったそれを飲んでたってことになるんで。
でもめっちゃちっちゃいんですよ。
だからもうすっごいこんなことあるんやと思って。
俺の東京話。
以上。
ありがとうございます。
これ使われんの?
これ使われると思う。
あの編集者がカットせんといてほしいな。
俺結構この話気に入ってるから。
エグザイル全く関係なかった。
どうでもいいや。
だってそれどうでもいいじゃないですか。
でもエグザイルの人、エグザイルの人に会ったわけじゃないの。
会社の人。
そう、会社の。
言いました、その人に。
喋ってない喋ってない。
なんか衝撃すぎて。
だから打ち合わせ中もずっとそれのこと考えた。
ダメですよ。
でもちょっとまあまあトラウマではあるちょっと。
トラウマ話をありがとうございます。
東京から来て、今日は来てくれました。
京都芸術大学の映像舞台芸術。
そうですね。
映像舞台芸術学科の映像コース1期生。
何年に卒業されましたか。
2004年。
2004年。
私は2005年に生まれました。
恐ろしい。
恐ろしいな。
恐ろしいね。
今回はそんな新城さんをお招きしてお話ししていこうと思います。
第1話では新城さんが以前勤められていたアカアカ社と現在の仕事の制限者について伺っていきたいと思います。
それではよろしくお願いします。
お願いします。
アカアカ社ってどういった会社なんですか。
制限者もなんですけど、アートジャンルのビジュアルブックをメインに出版している出版社で。
制限者っていうのはアート系の本の中でも幅広く写真集もあれば展覧会ズロックみたいなものをやったり、
アーティストの作品集みたいなものとか、あるいは色の本とか、美術の歴史の本とか、アートっていうジャンルの中でも幅が広いんですけど、
出版業界の詳細
アカアカ社っていうのはもともと制限者の編集長されてた姫野紀美さんという方が独立して作られた出版社なんですけど、
制限者がやっていることをよりギュッとニッチにして、出版物の8割以上は写真集で、特に写真にこだわっておられる、結果的にそうなっている。
写真界の芥川賞って言われる木村英章っていう賞があるんですけど、その賞を何度も、自分が所属していた時も4年連続とかだったのかな、3年連続か。
直近今年の木村英章もアカアカ社から本を出している方が取られていたり。
その賞は写真っていうか写真の本に対して出るってこと?
本だったり活動、例えば展覧会、本はまだ出してないですっていう人が展覧会で評価されることもあるので、必ずしも本の賞ではないんですけど、本が対象になることが多いというか、分かりやすい基準になっているというか。
アカアカ社にはどういう経緯で入られたんですか?
ちょっと過去の話にもなるんですけど、2004年に大学を卒業して、2年ぐらいフラフラしていた時期があるんですね。
当時みんなじゃないと思いますけど、僕の周りの同級生とかは結構就活とかしない人たちも多くて、大きい夢があったりとかでかいことしてやろうってことっていうよりかは、就活みたいなのはちょっと違うかなみたいな人が多くて。
自分も課外活動というか、大学の時もどっちかというと学生としては真面目な方ではなかったと思うんで、ただそういう課外活動とかは真剣にやっていて、その課外活動の延長でなんちゃってデザイナーというか。
一応友人とかから、例えば友達のお店のショップカード作ってとか、名刺作ってとかっていうのを相談されてデザインするみたいな。ちょっとだけお金もらうみたいな。
名刺んじょうが?
一応映像舞台でも基礎はやるのよね。イラストレーターとかフォトショップの基礎の授業はあったから、そういう基礎の所有はあって、自分が課外活動をやっている時にそういうグラフィックデザインに興味を持ってデザイナー的なことをするようになった延長で卒業後もそういうことをちょっとやっていて。
それこそASP学科って今あるのかな?
あります。
後藤修生さんという先生がおられる頃とかに、特別講義みたいなのを定期的に外部から先生呼んでやったりされてて、それを縦看板みたいな、それこそ人間間の柱に縦看板をかけて宣伝というか、誰々来ますよみたいなやってたんだけど、その看板デザインさせてもらったりとか。
で、ちょっとお金もらったりみたいな。
あとギャラリー楽で展示する展示のチラシデザインさせてもらったりとか、そういうことを学校でさせてもらったり、学外でさせてもらったりっていう活動の中で、ジャイロトニック、ジャイロキネシスっていうボディーワークのメソッドがあるんですけど、ご存知ですか?
私は知らなかったです。
俺も知らない。
で、それの京都のスタジオがあったんですよ。
自分が卒業したタイミングで、できてすぐみたいなタイミングで、そこのスタジオのチラシとか、ホームページとかウェブサイトとかをデザイン、知り合いに頼まれてしてたんだよね。
で、そのスタジオに姫野さんが通ってたんだ。
なるほど。
出版社の設立経緯
当時は制限者の編集長の姫野さんで、そういうボディワークとかって先生と生徒の距離も近いから、いろんな相談をする心の開かれた状態で、その中で私、そろそろ独立しようと思うのみたいな話をして、姫野さんとしては本は一人で作れると。
で、コアなことをやりたいから、小さい方がいいじゃない。規模としては。
ただ、一人でできないこともあるから、何でもやってくれるスタッフが一人必要だなと思ってたと。
で、そういう人いないっていうのをその先生に相談して。
なるほど。
心開いてるからね。
心情君とかどうかなって思ってくれて、紹介してくれたっていうのがきっかけなんですよね。
心情もいいなって、新しい世界に行くなみたいな気持ちで。
だから、その時の心持ちで言うと、もちろん美大で学んでるし、デザインとかも好きだし、クリエイティビティのある仕事をやりたいなって漠然と思ってたときに、逆に言うと出版社とか、そういうイメージがあったわけでは全くなくて。
たまたまそういう機会があって、いいなっていうか、これは面白そうだなっていう。単純だからスタッフ一人でバイトで入ったんだけど。
1回だけ食事しましょうかって言って、先生とひめのさんと3人で食事に行って。
どこに?
スペインバルみたいなとこだったよね。
へえ。
テラモチ二条らへんの。
それでひめのさんって、そういう独特の面白い人なんて、就活とかじゃないわけよ。会って喋っただけで、じゃあ君やろうみたいな感じで。
4年半から5年弱ぐらい働くことになるんですけど。
そこから制限者へ移られたっていう感じですね。
そうですね。今の経緯とその流れですけど、もともと赤赤社のひめのさんは制限者にいて。
三条からすま、三条東のといんらへんに制限者って当時あったんですけど、その制限者から独立するってことは京都で働くっていう感覚だったんですよね。
制限者からほど近い何軒か先のマンションの一室で立ち上がったんですよ。
マンションに三条が通ってた。
そうそう。そのマンションの一室に。
赤赤社っていうのはその時に名前つけたわけじゃないですか。ひめのさんが。
青だから赤にしたのかな。
制限者、青で働いたから赤にしたいっていうのはあったみたい。赤という色を入れたいっていうのが。
でも赤赤社って名付けたのはグラフィックデザイナーの笠井薫さんで。
そうなんや。
ひめのさんがお仕事されてる時に独立今準備を進めててっていう。
北海道か何かに仕事で行った飛行機か何かでそういう話になって、笠井さんがぽろっと赤赤はみたいな感じで言ったと聞いています。
いうふうに伝えられている。
伝え聞いております。
なるほど。
制限者に移った理由とかって。
心情がね。
言っても大丈夫ですか。
そうですね。当時からそういう距離感だったし。
例えば資材が足りないとかダンボールないとかだったら制限者に借りに行くようなすごく近い関係性だったんですよね。
ファミリーみたいな感じで。
当時から今の先輩とかも可愛がってもらってたし、自分も慕ってたような人たちがいて。
その関係性がずっと赤々紗で働きながらも定期的になったりとかっていう。
制限者の社長さんもひめのさんの下だから、孫って言ったら大げさだけど可愛がってくれてたっていうのがあって。
3年ぐらい2人だったんですよね。
京都にいたのは2006年の3月ぐらいに立ち上がって、2007年の6月ぐらいに東京に移るんですよ。
それまで毎週ぐらい出張に。
やっぱり作家さんとかデザイナーさんっていうのは大体東京なので、ひめのさんが行くっていう。
さすがに毎週毎週行ってたら効率悪いなってなって東京に移るんですけど。
東京に移ってからもそれこそ京都に、制限者の京都にいた先輩が制限者の東京事務所に行ったりとかみたいなこともあったりで、
結構近い距離間でやられてたってこともあって。
東京に事務所移転してもダンボール借りに行ってたんや。
ダンボールじゃなかったかもしれないけど、そういういろんな相談ができたりとかする。
それで言うと難しいんですけど、やっぱりひめのさんってすごく個性的な人と2人みたいな距離間でやってて、結構自分もやり切ったっていうか。
ひめのさんのとこでやれるっていうのは、僕はすごいマイペースなんですよ。
そのマイペースさみたいなのがあるから、そういう人ともやれるっていうところがあって。
そのマイペースさに対するストレスとかもあったりするっていう。
お互いがそろそろ限界感みたいになって。
その辺うまく言えないですけど。
ありますよね。
そうなんです。
バンド解散みたいな感じに近いと思うんですけど。
それでちょっと環境変えようか、変えましょう。
話し合ったりしながら。
来た時に制限者行ったらいいじゃないっていうようなことをひめのさんも言ってくれたり。
もともと社長ともつながりがあったし、社長にも私から推薦するしっていうような。
そこで本当にファミリーの中で移動したみたいな感じなんですよね。
だからそこは結構面白い話ではないかもしれない。
編集の仕事について
しんじょうの話長いな。
長い人現れたね。
このラジオ初めてです。
今までやってきましたけど、非常に長い。
一個一個が。
これ何とかしていかなきゃ。
リズナーの皆さん一緒に頑張っていきましょう。
というわけで第1回目は終わりです。
分かりました。
今回は赤々社と制限者で活動された。
全然何も聞けんかったね。
東京の話ですよ。
違うよ。
俺の東京の話は面白かったよ。
しんじょうの話は長いんだよ。
とにかく。
俺じゃないよ。
次週は。
第1話も全然何も聞けてない。
分かりました。
第2話からすでに崩れていきますけど。
例えば赤々社でどんな仕事してたとか。
どんな仕事したかっていうのを聞きたいんじゃないかな。
俺も聞きたいし。
編集の話。
編集の話をね。
たぶんしんじょうくんの人生。
たったの3年分くらいをなんか長く聞かされたんで。
次回反省してもらってやります。
すいません。
では来週もよろしくお願いします。
しんじょうさんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
20:38

コメント

スクロール