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2025-10-14 18:42

【6-3】なぜ大工を目指したのか、丁稚奉公(でっちぼうこう)、流しそうめん、娘。【大工さん_Guest:串畑文彦(三角屋・大工)】

サスティナブルで自然と共にある日本建築が世界から注目されているにも関わらず、それを作り上げる大工は減っている。本格大工から聞く大工の仕事とプライド。

“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。


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裏千家(裏千家 今日庵との出会いが進路を決める)

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横内敏人建築設計事務所

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サマリー

このエピソードでは、串畑文彦さんが学生時代や修行時代について語ります。特に、父親の影響で大工を志したことや、京都での美術大学生活に触れます。また、娘の串畑聖奈さんも登場し、父の影響を受けたエピソードを共有します。串畑文彦さんは流しそうめんを通じて地域の人々と交流し、娘も芸術大学での経験を通じて父の仕事に感動している様子が伝わります。親子の絆と日本建築への理解が深まる内容です。

学生時代の選択
こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口七葉と)先生です。よろしくお願いします。
前回に引き続き、株式会社三角屋大工の串畑文彦さんをゲストにお招きしてお届けします。
前回は串畑さんが実際に大工として行っていることをお聞きしました。
今回は串畑さんの学生時代と修行時代の話を伺ってきます。よろしくお願いします。
確か、すごい、うちの大学の二期生というふうにさっき聞きました。
二期生ってやばいよね。
想像できない。
どんだけ昔やね。たぶん白黒写真しかなかったよね。
そんなことないと思う。
そんな時の学生数が何人?
今は一学年で1000人ほどいるので、当時は一学年で100人。
めっちゃ少ないよね。
そんな100人の時代の卒業生、本当に貴重な感じなんです。
の学生時代。
聞いていきます。
まず京都芸術大学を選んだ決め手って当時だと。
決め手はですね、うちの父親が大工だったんですけども、公務店やってたんですけども、
僕がちっちゃい頃に事故で亡くなりまして、父親の影響で大工には絶対になろうと思ってたんですけども、
美術好きだったんで、学校の美術の授業以外にも美術教室とか行ってて、
そういうのはうちの母親がどう感じたかわかんないんですけど、
高校出てすぐ大工やるよりは、京都ってやっぱり古い神社仏閣が多いので、
一回京都に出てみたらみたいな感じでふんわり言われたんですけど、
でも何もつても何もない中で、どうやって出ようかなと思ってたら、やっぱり美術をずっとやってたので、
まず芸大にちょっと大工になるにはちょっと遠回りかも、回り道するかもしれないんですけど、
毎回その美術の大学に行ってからでも、この時代もそういう高卒とか中卒ですぐ大工になる時代でもないし、
美術大学行ったらどうやみたいなこともアドバイスしてもらって選んで。
そうなんですね。それの選択は間違ってなかったと思います。
そうですね。さすが自分の母親ですけど、さすがだなと。
学生時代の話に続けて、全てのゲストの方に聞いていることがあるんですけど、
修行時代の経験
今の若い世代の人って自己肯定感という言葉を使っているんですけど、その言葉はご存知ですか?
どういう意味ですか?
自分が人と比べずに誇らしいとか、どう思います?
自分を肯定する力?失敗した時でも、よくやった時でもいいから、私いいなみたいな。
自分のこと好きとか、そういう力なのかな?
今の若い世代の人ってちょっとなんとなくない雰囲気がありまして、
学生とか若い人に対してメッセージというか、そんなこと気にしなくていいよとかでもいいんですけど。
全然いいんじゃないですか。気にしなくたって。
失敗するのがやっぱり学生さんから就職して、失敗の連続ですよね。
それが普通だと思うんで、そんなに怒られるとか失敗したって思うのは全然思わなくたっていいですよね。
それが必ず次に繋がりますから。
自己肯定感は串田さんは高いんですか?
考えたこともないです。そんなこと。
それが一番ですよね。そんなこと考えたこともない。
それでいこう。考えなくていいと思います。
俺も正直言うとそれです。
学生時代の話は聞きたいのよ。100人やった時代のうちの大学ってどんなんやったのかな?みたいな。
バスケはやってましたか?
ずっとやってましたね。ずっとやってました。
ずっとやってたってどういうことですか?
1回生から4回生まで。
そういうことか。朝から晩までじゃない?
それ何やってんだよ。
卒業できてないですよね。
サイクルでしたか?
そうですね。
その時は今の理事長先生、徳山先生が顧問だったんですよ。
そうなんですか?
一緒にバスケしてたんですよ。
今の理事長ってバスケできるんですか?
やってましたよ。一緒に。
うまい?
そうなんですか?結構性高いもんね。
そうですね。一緒にやってました。そんな時代です。
串谷さんのこと知ってる?
覚えておられますかね。
ひょっとしたら覚え…。
串かみたいな感じで。
串っていうワードを出せば、ひょっとしたら覚えてもらってるかもしれないですね。
このラジオ聞いてもらいます。
いいですね。
いいやつでしたか?理事長。
え?
いやもう最高です。
最高。
可愛がってもらいました。
顧問やから。
顧問でしたね。4年間ではなかったですけど、
最初の僕が1回、2回ぐらいは練習も見に来てくれたり、一緒にやってた時期がありましたよね。
バスケを置いといて、どんな勉強をしてたんですかね?授業行ってたんですか?
まずそこですよね。
授業は行ってましたよ。
ちゃんと?
ちゃんと行ってました。
遅刻もせずに?
遅刻もしてなかったと思います。
授業終わった後はバスケばっかでしたけど、授業はちゃんと出てましたよ。
そうですか。
課題も一応やれるだけはやってました。
学んだ?
そうですね。いろいろその当時は、今もかもわかんないですけど、結構いろんなお寺連れて行ってもらったり、課外授業っていうのが結構たくさんあったんで。
その時からお寺とかも。
僕なんかは学生の頃お寺なんか連れてかれても、なんやのこれみたいな感じなんですけど。
そうそう。それでお茶室が専門の公務店に主要に入ったんですけど、そのきっかけもその課外授業で浦仙家さんのコンニチアンっていうところに見学で連れて行ってもらって。
そこでわーっと思って、こんな建築があるんやみたいなのを本当に間近で見せてもらったんで。
そこですね。大きく心が動いたのが。
大工だったらこういうものを作りたいなっていうのがきっかけなんで、すごい大きかったと思いますね。その課外授業というか。
今、串田さんの先生やった人たちってもうみんないないんですかね。
そうですね。横内先生にすごくお世話になって。
横内先生。
横内先生に公務店を紹介していただいて。
なので先生にはすごい感謝しかないですよね。
先生との関係は密だったんですか。
そこまで密ではなかったですけども、4回戦の時に串田就職どうすんだって軽い質問を。
ちょっと似てましたよね。横内先生が出てきた俺の中で。
結構ここだけの話よくみんなで真似してたんで。
僕、大工になりたいんで京都で公務店探してるんですけど、なかなか飛び込みで行ったとこは何個かあったんですけど。
そういうお茶室とか作る公務店って誰かの紹介がないと入れなかったんですよ。
そういうことも先生に相談したらいいとこ紹介してやるよっていう。
ここをちょっと紹介してやるし行ってみたらみたいな感じで履歴書を書いて面接してもらって。
かっこいい。
なんか先生がかっこいいね。
そうですね。しかも本当に日本を代表するぐらいの公務店を紹介していただいたんで。
今もありますか。
今もあります。
そこで修行を経て。
そうですね。5年間でっちぼうこうって言って。
親方の家。家じゃないんですが家の離れみたいな寮があるんですけど。
そこへ5年間修行させてもらって。
住み込みですね。
なので7時から親方の家とか親方の家の周りを掃除して。
7時半に工場に行って工場の掃除を30分ぐらい8時までして。
8時から現場とか材料出しに行ったり。
そういう生活を5年間。
で弟子の際も横内先生の紹介とはいえ。
一応履歴書で当たるも発計当たらぬも発計ってあるじゃないですか。
占いで弟子を決めておられたんですね。
公務店の親方が。
親方は明治時代の明治生まれの親方で。
占い?
くじ引きみたいなもんですね。
そうですね。
それで実際ダメな人もいたみたいで。
僕はなんとかギリギリ政府か。
政府でしたけども。
やっぱ建築ってそういう吉日大安とか浄土式は大安にしないといけないとか。
地震災も大安にしないといけないとか。
そういうのは昔からの気にしてやってますんで。
多分そういうことだろうなと思いますけど。
修行時代のお話に差し掛かり始めたところなんですけど。
娘との関わり
今回特別に在学生の方の串畑さんが来てくださっていますよね。
そうですね。串畑さん2人います。
串畑さんの娘の串畑聖奈さんをお招きしようと思います。
お願いします。よろしくお願いします。
娘です。
娘が今ね、実はうちの空間演出デザイン学科の4年生で。
僕が面倒見てるんですけど。
それで僕はこの娘から父が大工で三角屋っていうところでやっててみたいな話をちょこちょこ聞いて。
ある時課題でお父さんと一緒に作ったジュエリーみたいなものを出してきて。
写真とか見せてもらったらなんかすげーぞみたいな。
三角屋って変な名前やけど。
なんかすげーなみたいな。面白いってなって。
流しそうめんをしたの。
いつですか。
流しそうめんの楽しさ
去年の夏かな。夏やった。
夏終わりぐらい。
夏終わりに流しそうめんをしたいと。
また串畑さんの1個目の先輩の子がいて。
今はうちのスタジオでデザイナーとして働いてくれてるんですけど。
その子が流しそうめん流しそうめんってなんかずっと言ってて。
もうじゃあやろうみたいな。
2年ぐらいかけてずっと流しそうめんって言葉を俺に吹き込んできて。
そうめん流すだけやんけって思ったんですけど。
どうせやるならちゃんとやりたいねと。
プラスチックのじゃなくて竹を切ってやったほうが絶対いいぞって。
で、その時に串畑さんみたいな。
なんかお父さんのあそこでちょっとやってもらえへんの?みたいな。
お金払うからみたいな。
そしたらその日行ったら竹を割って。
ちゃんと竹を支えるものとかも全部作ってくれて。
つゆを入れる器も竹で人数分ずらっと用意されてまして。
その後工房も行かしてもらって。
うわ、すげえなみたいな。
そういうことで僕が文彦串畑さんと知り合うことができた。
そしたら卒業生であって、ラジオに来たと。
こういう流れが実は。
またやるんですよね流しそうめん。
今年も。
今年はもうバージョンアップさせようと思って。
バージョンアップで。
バージョンアップしなくても十分素晴らしかったですけど。
想像上でも素晴らしそう。
流しそうめんって楽しいなって思ったね。
めちゃくちゃ楽しかったですね。
私も本格的なのが初めてだったんで。
しかも大人数来てもらって。
みんなで流して竹を囲んで竹で食べるっていう。
めちゃくちゃ楽しかったです。
素敵ですね。
いいそうめんも用意したしね。
美味しかったです。
吟味されてました。
あの後流しそうめんは三角屋でもやったんですか。
いやーやりたいなと思って一応残してるんですよ。
残してるんだったら今年もやっぱりできますね。
でもやっぱ青竹の綺麗な感じがいいしまた竹切ってやりましょう。
バージョンアップで。
串田さんの娘どうですかお父さんのこれまで結構話聞いてきましたけど。
親子の絆と影響
なんかその小さい頃はその私にとってお父さんっていう感じでしか見てこなかったんですけど
やっぱりなんか同じ芸術大学に入って自分もその何かを作ったりする立場になった時に
改めて工場見せてもらったり今回みたいに話を聞かせてもらうと
なんかあの恥ずかしくて全然言ったことはないんですけど。
結婚式のスピーチみたいになりますよね。
めっちゃちょっと緊張するんですけど何回話を聞いたり工場見に行ってもなんかそのすごいなっていうかなんか感動するんですよ。
それも同じ年齢の人たちにも普段は知ることないけど絶対行ったらかっこいいなって思うやろうなっていうなんか確信がすごい最近あって。
なので自分も日本建築のことももうちょっと学んだり知ったりして
すごくいい話。
ここに揃ってるからね親子が。
いやそんな思えるって幸せなことがありました。
日本建築のことももうちょっと学んだり知ったりしながら
自分のジュエリーを作ったりとかデザインをしていけたらいいなっていう思いが今あります
めちゃくちゃ人としますね
いいね
いい話
ここに揃ってるからね親子が
いやーそんな思えるって幸せなことだと思うよ
よかったね
あのお父さんちょっと恥ずかしいですよね
何も言えないですよね
ちょっと何も言えない
何も言えねえって感じですよね
私も恥ずかしい
でも串浅さんって娘の方は結構お父さんに似てるねやっぱり
それは
例えばお父さん意外と遅刻してなかったし欠席もしてなかった
串浅さんも絶対しないやん
娘もしないやん
娘風邪もひかないですよね
ひかない
本当にひかない
コロナなんかならないみたいな
なったことないです
感じで
雰囲気もすごい似てて
確かに
お父さんみたいになろうね
はい
かっこいい大人になりたいですね
なってほしいなと思います
さてたくさん今回もお伺いしましたが
娘の登場
3話のエンディングのお時間となりました
今回は娘の串浅さんにもお越しいただいて
京都芸術大学のリアルな年代の幅を本当に目の当たりにしたっていう感じで
だからよく京都芸術大学に娘入れたよなと思うよね
結構気に入ってたんですよね
割とこの大学を気に入ってたってことですよね
そうですね
娘にお勧めしたってことやもんね
なんでか聞いたときに
自分が卒業してこうなってるから安心やみたいな
そういう確信みたいな
自己肯定感が割高い
割高いです
割高いな
割高い傾向を受けて
私も
そんなこと言った?
俺がこうなってんやから
こんなに俺が素晴らしいんだからこの大学や
大丈夫やみたいな
大学にしたら嬉しいことやね
そんな風に思ってもらえる卒業生がいるっていう
そんなこと言ってた?
はい
実は
娘も安心して入ってきたってことやね
そうです
楽しんでますね
ありがとうございます
次回は串畑さん自身の展望と建築の未来のお話など
難しいですね
最終回ですよね
楽しみにしたいと思います
よろしくお願いします
今回もありがとうございました
ありがとうございました
18:42

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