京都芸術大学情報デザイン学科ではどんなことを学んでいましたか?
そうですね。ま、けど情報デザイン学科、今ね多分学科のコースの編成とか多分変わってると思うんですけど、
その時は情報デザインコースっていうとこにいて、さらに僕は最終的には、いわゆるビジュアルデザインらしい王道のところにいたんですけど、
要はポスターのデザインをしたりとか、そういうのを勉強するようなところ。
だからま、いわゆるそのイラストレーターの使い方みたいなところから、なんかタイポグラフィーの基礎知識とか、
あとはま、なんか割とプレゼン力とかコミュニケーション能力とかをすごく歌う学科だったんで、
ま、そういうコミュニケーションデザインみたいなこととかをやってましたね。
どんな学生だったかって分かりますか?
彼女は?
彼女、彼女、彼女いましたよ。
何人くらいいたんですか?
何人ってどういうことですか?
1年から4年までの間に。
いや、そんな。
1人?2人?
ま、1人2人じゃないですかね。
ま、健全だな。
そんなはちゃめちゃな学生時代を送ってなかったと思います。
どんな学生だったのかなっていうのは。
まず授業はちゃんと行ってた、行くタイプの学生なんですか?
ま、そうですね。
でもなんか、うーんと、たぶん大学内にあんまりけどいなかったかなって思ってます。
だから授業行ってへんってことなのか。
授業だけ行ってた感じですね。
授業行ってもすぐもう外に出て行くタイプ。
なんかこの京都芸術大学って、それこそウルトラファクトリーとかリアルワークとか、
なんかいっぱいプロジェクトがあって、ずっといれるじゃないですか。
むしろそういうふうに使わないともったいないぐらいの大学ですけど、
あんまそういうことせずに外の活動を作ってやってました。
そこさっきちょっとお話しした、ただ本屋っていうフリーペーパー屋さんみたいなことをやってたりとか、
あとはちょっと恥ずかしいんですけど、なんか歩く雑貨屋さんっていう、
家みたいな重機を背中に背負って、
家みたいな。
その家みたいなやつをパカって開くと中が雑貨屋さんになってるんですけど、
みたいな行商活動みたいなのをやったりとか、
なんかそういう自主プロジェクトみたいな遊びをいっぱいやってました。
それは一人じゃないんですよね。
ただ本屋は6人とかで立ち上げしてるんで、複数でやって。
それをうちの大学の学生とじゃなくて、他の大学の同級生とか同世代の人とやってたってことですよね。
そうです。
その繋がりってどうやってできるんですか?出会い系サイト?
出会い系サイト。
マッチングアプリとかですかね。
嘘です、嘘です。
マッチングアプリが新しい使い方だと思いました。
もともとパートナーっていう美大生向けのフリーペーパーがあったんです。
それの関西支部長みたいなのを僕が学生の時やってて、
そうなんよ。
それをやってた関係で、いろんな学生フリーペーパー界隈の人たちと一緒にイベントやったりとか繋がる機会が多くて、
フリーペーパーをせっかく作ってるけど、それがまとまって見れる場所もないし、
東京だとフリーペーパーの祭典みたいなイベントがあったりするんですけど、関西ではそういうのないから、なんかやりたいよねみたいな話をしてて、
最初はイベントやるつもりで、場所をどこを押さえようみたいな話をしてたけど、
そこにひょろっとパートナーの運営元の会社にいらっしゃった山田さんっていう、
今福山物産展っていうアート活動とかされてる方なんですけど、話に入ってくれて、
今僕ら場所を持ってるからここの玄関先使ってお店にすればみたいな話をもらって、
でも山田さんも一緒にチームになって、ただ本屋っていう店の形を取って、
フリーペーパー屋さんを始めるみたいなことをやってます。
そういうこと、じゃあ結構本当に外に出てったんよね。
そうですね。だから大学ないよりも外の方が友達も多かったかもですね。
じゃあ彼女も外の人なんですか?
彼女も外の人です。
いいですね。
いいんかどうか知らんけどいいですね。
なんか軽いんですよね。
そうですね。
現役生としては。
そうだよね、なんかクラスの中におるっていうより、なんかそれと喧嘩したらややこしいしね。
外にいる方がいいかもしれない。
大学、デザインへの向き合い方なんですけど、
大学時代と今の水坂さんで変わったこととか、逆に変わらなかったところとかってあるんですか?
変わったことは単純に経験値が増えたって感じですね。
あの時は本当に何も分かってなかったけど、早く外に出たいし、早く自分のワークスみたいなものを作りたいしみたいな感じで、
分からないなりにすごい安いお金ですけど、お仕事みたいな形でデザインのことやってみたりとかやってましたけど、
今思うとすごい無責任な形で仕事を受けたりとかしてて、
そこからいくと単純に成長したなっていうのはありますけど、スタンス変わんないんですよね。
その時から面白いことに借りたいし、ずっとブランディングっていうことに興味があったので、
フライヤー一個作るっていうよりかは、どっちかっていうとロゴ作ったりとかそういう上流のデザインのことの方が興味があったし、
人と喋るのが好きで、そこから仕事の話が生まれたりみたいなそこのプロセス自体に興味があったって感じです。
あの人見知りとかはしない?しなかった? しないですね。
ええいいなあ本当にね。人と話すの好きそうやもんね。 好きですね。
ええ何が楽しいの?人と喋るの。すげえ嫌なんだけど知らない人と喋るの。
なるほど。 これはねラジオっていう形があるから楽しく喋ってますよ今俺はね。
だけど社会で出会った場合は全然喋りたくない。誰とも喋りたくないから。
自分以外の人もみんなも自分と同じかそれ以上に同じだけ人生その人のストーリーがあるんだっていうことがもうすでにやばいなって思ってて。
だから本が好きな人が世の中にある本全部読みたいみたいなそれはかなわないみたいな感覚と同じで僕が知らないあなたのこと聞きたいみたいな気持ちがもともとあると思います。
本当水って感じですね。 でもあんまりそういうことできないよね普通の人って。
なんか自分じゃない何者かになってやっぱり生きていかないとやっていかれないっていうような社会な気はするからなんかずるいですよね。
ずるいよく言われます。言われます。なんかねあのいい人だよねみたいなのはありますね。
自分で表現したいの話もそうだけどなんか世の中に対して何かやってやりたいとかなんかその自分の意見を押し通したいとかなんかそういう
反骨精神みたいな。 反骨精神とかなんかその。欲望。 そう欲望そう欲求みたいなのがすごい低いんですよ。
だからなんかそういう自分のやりたいことができなくてもやもやしたりとか葛藤したりとかなんかそういう壁にぶち当たりづらいっていうところはあって
まあけどなんかまあそれは良い部分でもあり悪い部分でもあってなんかうん
そうもっとなんか自分を磨こうみたいななんかそういう成長しようみたいなモチベーションはそんなに高くないから結構
まあそれもわかってなんかあの人がやりたいことに自分が乗っかるみたいななんか生き方を自分が身につけたんだなっていうのはなんとなく自分を観察してて思います。
向井 卒業政策の話してもいいですか。どういった卒業政策をされたんでしょうか。
もしかしたらもしかしたらというか多分その坂井さんのチマスキーの活動と結構なんというか考え方近いというか近接しそうだなともう学生時代から思ってたんですけど
フェノメノンっていう漂流物漂流物を使ってジュエリーを作るジュエリーブランドを作るっていうのをやってて
いわゆるこういうシーグラスとか呼ばれるものの中でもちょっと個人的にはこういうボトルに印字されているものとかがそのまま残ってたりとか形がめっちゃ綺麗とか
そういうものを意図的に選択しながらこれをフェノメノンという野望をつけてジュエリーのブランドを作るっていうのを大学の卒業政策で発表しました。
あったかもね。なんか俺そう思った気がするわ。
本当ですか?
これなんかチマスキーのやつと一緒やんけって思った気がするけど。あれでもこんな箱あった?
こういうのも作ってました。
情報デザイナーもね。だから見てると思うんだよね。やっぱり卒業政策。でちゃんとそうやって写真に残してやってるんやね。当時から。
アイディアはどこから来たんですかね?
これもなんか僕はやっぱその自然の現象みたいなことはすごく好きで、中医者も完全に僕の中では通じてるんですけど、漂流物ってもともと人工物だったものが、
波の作用によって削れていって、海岸とかに打ち上がってるものを見ると一見宝石か何かと勘違いするというか、自然の鉱物みたいな状態に近づいている。
その様が、人間の手仕事というかその工業みたいなことと、自然物の淡いみたいな存在でめちゃくちゃ尊いなって思っていて。
言ってなかったですけど、僕は滋賀県出身で、琵琶湖がすぐ近くだったんで、結構幼い頃からこういうものに触れる機会が多くて。
大学時代にも琵琶湖に行って、漂流物集めるみたいな遊びを個人的にやってて、これめっちゃ綺麗だからいつか何かにしたいなと思ってて、それをブランドにしたっていう感じなんですけど。
自然物の話もあるし、あとはこれはただ本屋とかに共通する部分なんですけど、こんなに素敵なものがあるのに、これがただなんて、それが価値化されてないなんて、みたいなことに対するそれに価値をつけてあげたいっていう思いはすごいあるんですよ。
なので、これも見る人にとってはゴミになっちゃうものですけど、見る人が見たらめっちゃ可愛いとか綺麗と思うもので、それをもともと0円だったものをいかにアップセルして売れるかみたいなことを学生ながらにトライしてやってました。
この発業政策の経験って今の仕事にどう影響してるんですか?
そうですね、今言ったような価値がないものに価値をつけて、実際にそれが何千円何万円で売れるみたいな現体験としては、僕はやっぱりすごいやってよかったし、一個の成功体験だったので、これが。
なので、ちゃんとその伝え方を設計して、ビジュアル的にも整えてあげて、やれば正しい価値がつくんだっていうことが分かったので、今もそれをただやってるっていう感じですね。
水坂さんの活動を物語を紡ぎ直すデザインって表現されてると思うんですけど、そういうことになりますか?
そうですね、あんまりめっちゃ表だっていっぱいその言い方をしてるわけでもないんですけど、感覚としてはそんな感じですね。
僕の仕事はすごく翻訳者的だなと思ってて、すでに表現したいことはお客さんが持ってて、それをただどう表現すればいいか彼らは分かってないので、
それを自分ごととして聞いてあげて、それをどういうふうな伝え方をしたら世の中により鋭くさせるかみたいなことを、翻訳者として物語を紡ぎ直す、編集し直して伝え方を考えるっていう仕事。
結構やってることはシンプルだなってずっと思ってるので、物語の部分を大事にしてるっていうのはそうかなと思います。