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毎度黙れ!ヤドロクでございます。お疲れさんでございます。
元気か?元気やったええねんで。言うて言うとりますけども、お疲れさんでございましてね。
本日はもう分かりやすいことでございますよ。
話題ね、昨日、昨日言うても同じ日に撮ってんねんけど、
「ゆるラクゴのつくりかた」という番組に呼んでいただいてというか、無理やり出に行っておしゃべりしてきたということでございます。
テンションが高くしゃべっておるわけでございますけども、
ありがたいこっちゃなーって呼んでいただけるということはね、楽しいことやなというふうに、
もうね、気分がぐわっとこう上がってしゃべっております。あることないこといっぱい言うておりますけども、
やっぱりね、ゆるラクゴのつくりかたという番組、
普段はね、またどんなゲストの方が来られたりとか、お手紙、お便りからゆるラクゴを作るということでやってて、
まあもう過去にね、私もこの番組の意義というかね、面白いところとか、
何せこの、今続けてるというようなことも含めてね、お話しさせてもらったことあるんですよ。
そうやけどまあ、言うてもどんな人物や言ったら、
そのお二人が大学の知見の時からのお知り合いでというようなこととかね、
今もまあ、たまにイベントやってますとか、
言うようなこと、Xなんかのポストでね、こんなやりますよ、よう知らせ来たりとか、
美濃健君が島崎若子さんのファンであるとか、
家元は冷静な方やとか、
みなさんいろんなイメージあると思うんですけどね、
今回ね、出た後なんですけども、出る前からもちょっと見とったんですけども、
美濃健君のXのポスト、Xのアカウントですか、
あそこ行きますと、一番目にピン止めしてある雨風呂の記事というのがありまして、
それ読んでいただいたらね、美濃健君がここに至る、
揺る落後に至るまでのお話がちょこっと書いてあるわけでございます。
これ読みますと、彼が今自分が自分として生きるために、
抗うのではなくてね、コツを見つけようとしているという様、というんですかね。
こういうのがよくわかるわけでございます。私、人が見えるの好きだね。
家元のとこ行きますとね、家元にはノートのやつが貼ってありましてね、
これ文章読むのは私苦手なんですけども、見てみますとね、
揺る落後の休止前のものとかも多いんですけど、
ご夫婦でハワイに行かれている様子とかね、生活の様子ですが、
結局その、どういう人物かという部分をね、出してるんですよ。
ただね、このお二人でも控えめな人なのは間違いない。
表だってこうじゃああじゃ、こんなやってます、あんなやってます、
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ってそんなに宣伝するわけじゃない。
でも人が見えるものっていうのは僕好きです。
基本的にはね、どんな人なんやろうなぁと。
やけど、やっぱり人間、どんな人やろうなと思ったら追いかけるなのですよね。
見える部分、見えへん部分、感じる部分、感じへん部分、あると思うんですよ。
もちろん美濃賢君のその記事を読んだ時っていうのは、
ああそうかというふうに思うんですけど、
こうやって読んでいただいて、おしゃべりさせていただいて、
今ここにこうやって反応してくれてる、しゃべってくれてることっていうのが、
いかに彼にとって、言うたら大きいことなのかとか、
言うこととかね、言うのがよくわかる。
もちろん慣れた家元としゃべることっていうのはそこまでいかんことであっても、
全然知らん人ですわな。
それが電話みたいなものであったとしても、
彼がそこに使ってる神経っていうのは、
私の何倍も使ってるんやなというのがわかりながらしゃべる。
それから一生懸命しゃべらなあかんと思うんですよ。
別に彼らのためにというわけはないけどね、
彼が一生懸命頑張ってる、何もしてないように見える、
島崎若子さんの話だけしてるように見えるけどね、
彼は彼の中で生きるコツを見つけようとしてるな、
というようなことがよくわかる。
あれ見たらね、
皆さんね、私の番組これどこまで聞かれるかわからへんけどね、
ゆるラク語の作り方。
自分、私は表面的なことで褒めてるんですよ。
ラク語というものが伝統文化のものであると、
私なんかも別にラク語化したことあるわけないんですよ。
ラク語化みたいなしゃべり方してますけど。
そうなんです。
ちょこっと好きなラク語家さんおるぐらいのレベルのもんですわ。
だけど彼らはちゃんと、
おうち県というラク語研究会というところで、
今もなお学校出て、
後もラク語会開いたりとか、
こうやってゆるラク語というようなものを作ったりとか、
美濃堅くんが劇団に入ってたりとか、
人の前に立つということをね、
彼らは苦行のように続けてる。
生きるコツを見つけるために続けてる。
それにまた、
家元も嫌がらず付き合ってる部分がある。
もちろん、
家元は家元で、
コテンラク語をやったりとか、
やっぱ好きなんでしょうな。
そういう部分もちゃんと持ってるというようなことね。
何やろうな人が見える部分というのが、
ちゃんとしっかり、
彼ら二人は出してるんです。
実はね。
なかなかゆるラク語の作り方の中では、
それは出てきませんが、
もうちょこっと島崎若子さんの話したら、
もうそれはどうでもいいですという、
ノリがあったりとか、
長いこと聞いてると面白いノリというのはあるものでございますけども、
ありがたいことに、
ちょっと喋らせていただくと、
この人どんな人かなというような興味が湧いてくるというわけでございまして、
もちろんね、
ゆるラク語の作り方を見てる人というのは、
当たり前にその記事も読んで、
分かった上で聞いてくれてる方がほとんどだと思うんですけど、
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改めて、
美濃賢くんが、
そうですね、こうですねって言ってることが、
ただただ面白い兄ちゃんやなというわけではなくてね、
彼の中では一生懸命これに応えてるんやなというようなことを聞きますと、
私たちはもうこの歳でしたやろ。
ちょっとうるっとくるんですよ。
で、そのうるっとくるのをね、
あのー、
ぐっと抑えるとやっぱテンション高なる。
勢いで喋らな、こんなもんは。
ゆっくり考えたら、
ちょっと泣けてくるなと思うときあるわけですよ。
でもそれはそれで、
それを相当話したらあかんのですよね。
彼はあくまで彼の人生の中で起こってる出来事やし、
家元は家元の人生の中で起こってる出来事やから、
そこに入り込んで、
ああなこうな言うことはないわけでございますね。
もちろん、
若い時の話題やったらそれも言うてるかも分かりまへんけど、
今となってはね、楽しんでやってくれよと、
言うようなこと、しんどいこともあるやろけどなと、
言うことね、
人生っていうのはまだまだ彼らにとっては長いですわな。
私たちにとってもまだまだありますね。
あるけどね、
えー、なんやろ、
やっぱりそこにドラマがあるやんかと、
言わしてくれる番組やということですわな。
うーん、私それが好きだ。
こうやってね、
まことにそこを見ながら、
ゆるラク語の作り方を聞かれるのは嫌やと思うんですよ。
そういうわけで、
私たちには結構必要な要素やなというふうに思ってね、
見させてもらう、
読ませてもらうということがあるわけでございます。
もちろん、
ゆるラク語、
ラク語というのは伝統文化、伝統芸能でございますけども、
時代時代とともに進化してきた新作ラク語というのがあるぐらいですから、
いろんな形態、いろんな表現、
もちろん古典ラク語の表現の仕方も、
センサー番別やる人によって、
違うわけでございますからね、
究極なこと言うたらどないやってもええんですよ。
で、
下げ、いわゆる落ちですな、
こんなもん、どんな表現あってもええんですよ。
だからゆるラク語を言うてますけどね、
別にラク語や言うたってええんですよ。
これがラク語やがなって言うてしもたら、
もうそれでいいわけですからね、
別に誰になんと言われることはないんで、
プロもアマも関係はないんですよ。
もうそれだったら公演ね、
どっか借りて、
彼らは寄せを売ってるわけですからね、
興行を売ってるわけですから、
これはプロや言うても、
間違いないんですよね。
何もどうだとか、
ここの誰ぞの師匠の人についたから、
ラク語がですとか、
親打ちになったからどうですとか、
そんなんもう関係はないんですよ。
聞いてる人が、
三野健君や家元のやってるのがおもろいな、
もうそれで興行中は成立してるわけでございますから。
私はいつも言うてんのは、
音楽のライブであろうが、
ポッドキャストであろうが、
どこで喋ろうが、
人の前に立って、
何かことを成すということをすれば、
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これはもうエンターテイメントですと、
プロもアマもないんですと、
板の上に立ってるということですと、
いうのが持論でございますわな。
プライドっていうのはね、
必要のないプライドには
要件を持つんですよ。
長いこと生きてると、
それで失敗することも多くありますわけだけどね、
持たなあかんところで
プライド持ってないのはあかんということですよね。
もちろん、
ゆるラク語の作り方というものを
初めて聞いたときっていうのは、
おもしろいことしてるな、
という意味があるな、
新しいものにチャレンジするやっぱり、
こういう人がおらなあかんなというふうに
もちろん、ほかにもそれを
やったはる方おられるわけでございます。
古典、芸能、
古いものを大事にして、
それをずっと脈々と続けるということも、
まことに大事なことやと思います。
じゃけど、新しいものを発掘していくとか、
作っていくとか、
こういうことないと、
飽きてまうやろうと、
いうようなことなんですよ。
もちろんね、
能や狂言というような
舞台表現がある中から
出てきてるものやと思うんです。
落語というようなものもそうやと思うんですね。
一般市民が
その辺の小屋で楽しめるようにと、
出てきたもんやと思うんです。もちろん。
社会別に新しいもの、
新しいものは次々出てくる。
落語やある中から
講談、漫談やったりね、
ああいう形のものも出てきてる。
落語がさっきかどか、
どちらでもええんですけど、そこから漫才が出てきた。
漫才があったら、
お芝居と融合したようなコントがあると。
喜劇というやつから
出てくるコントというようなものでしょうね。
いろんな桁あるやないかと。
気づいたら。
思いますね。
どんなもんがあっても、一発逆だって
十分舞台の上でやりゃ、
それはやっぱり芸能なんですよね。
お金をいただくこと
っていうのが芸能。
縦川弾師匠が
なんかお弟子さんに言うた言葉でね、
芸能と芸術、
どっちに振るか
自分で要決めというような言葉
お弟子さんに与えてたという話
聞いたことありますね。
芸能というのはお金、
いただいてやるもんやと。
芸術というのは金が関係ないもんやと。
自分が身の振り方考えたときに
どっちに寄るもんやというのを
考えてやれよというようなことを
お弟子さんに言うたらしいですけども、
これは正確な言い方じゃないですよ。
確かになと思うんですよね。
で、私ら今このポッドキャストという
もの中のお金になってない方が
ほとんどですわな。
お金じゃないねん。
芸術なんですよね。
これに少なからず
サブスクライブやったりとか、
広告収入やったりとか、
いろんなこと絡んできたり、
ちょっとしたお金いただくようなことになってくると
とたんこれが芸能になるということ。
だからお金いただいたら
なんかそんなん金もう出やんのは
というような
言うてるけどね、
芸術から芸能に変わっただけで
文句言うことはないんですよ。
あれは芸能なんやなと考えれば、
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なんかちょっとしたお金で
とかね、
もうカテゴリーが違うんですよと
いうようなことなんですよね。
一緒くたにして話してる方が多いですな。
お金がかかわったらもう
ポッドキャストとかもうおもんなくなるでしょう
とかね、言うてる方もおられますけど、
もう元来別物ですわ。
ポッドキャストという枠の中に
あるだけで、芸術と芸能は
別物だぜと
僕らはそこを考えてやってありますか
というようなことになるわけでございますね。
もちろんそれも一つの表現の方法
というだけのことですから、
どっちでやったっていいわけですけども、
今、彼らがやってる
ゆるらくご、
現状ポッドキャストでお金になってないのならば
芸術です。
しかし、彼らが
工業を売ってる、イベントをやる、
そこでいくらかのお金を
いただければ、これは芸能ですと。
彼らはどっちもやってるわけ
ですよね。
どっちもやってるからこそ生まれてくるものがある
ということですよね。
ゆるらくも、もしかしたらこの先
マネタイズすることがあって
芸能になる可能性が
あってあるわけです。どっちでもいいわけですよ。
聞く方が
それでその価値があると思えば
いいだけのことです。
価値をつけるのも聞いてる人の
価値ですよね。それもね。
聞く人がおもろいように聞けば
おもろくなる。おもろないなと思ったら
おもろなくなるもんですよな。
これは感性の部分ですわ。
だから
私は単純にこのゆるらく
を見つけて聞かせていただいたときに
ええなと思ったわけです。
ただただ
ええなと。
自分よりもちろん若い人が
楽しそうにやってるなと。
しかもそれが
芸術につながってるなというような
ところ。もちろん
これが芸能になったっておもろい
と思うんですよ。
新しい形なんか
模索しようとしてるなというのが
いいんですよね。それが
どんな人間がやってるのやと言ったときに
ああいう風にブログに書いてくれる
ことやったりとかね。
ちょっと私生活を見せてくれること
というのの中でまたそこにやっと
ドラマがあって深みが出てくる
というようなことですね。これは
逆さなあきまえんで。
興味持たなあきまえんな。
誰もみんな
興味ないわな。
興味ないことが多くなると思うんです。
そこまで入り込まへん。どんな人やと。
どんな人がやってんや。
これは大事なことやと思うんですね。
で、私今
スタンドウェーブMでサブスクやってますけど
そこに来てあるメンバーなんちな
こいつどんなおっさんやねん
って言うて興味持って
入ってくれた方です。
ありがたいことですな。今この時代に
人に興味を持って
どんな人間や言うて探ったら
知って
もう一つこの人が言うてることに
深みを持たそうと自分から突っ込んでくる
こんな方らは感性の
豊かな方やと私は思いますね。
今、人に興味
持たん時代です。持ったらあかん時代
になってしまってますな。
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そうやけどやっぱりちょっと
人に興味持ちたいね。
持ったら変態や言われたりする
時代だっせ。
寂しい時代やなと思うわけでございますけど
少なからず極少数で
いいですから
人に興味を持っていただいて
芸能芸術を見ていただくというのは
面白いんちゃうかなと。
昔のね、芸者さん、芸妓さん
芸能人、
芸能の方、お笑いの方
色物と言われる方
みんなそれぞれにドラマがあって
そんな昔話を私はよく聞かせていただくこと
ありますけど
こういうのがおもろいなと。
これは芸能人も同じでしょう。映画スター、銀幕スター
ですね。そんな方の
楽しいでしょう。面白いですよね。
そういうのと全く同じ
ドラマが
ゆるらくご、みのけん、いえもと
このお二人にはあるなと思うわけです。
もちろんこれは
興味を持って寄っていくからこそ
見えてくることあると思います。
これはどんなポッドキャスターさんにも実は
あることです。教えてもらえるか
もらえへんかはアンさん次第ですな。