祖母との思い出
黙れ!ヤドロクでございます。お疲れさんでございます。お題ですよということでございまして、
しゃべり足りない分、まいこうさんからいただいておりますお題です。
印象に残っている配信というようなことでございまして、これは多分自分の中でもそうやし、
聞いてみて、どこか誰かの配信で印象に残っているのありますかという、
どっちの意味もあるんやろうなというようなことでございますけどね。
自分の配信で言いますと、どこで語っているか忘れているんですよ。
容器あるんですよね。前の番組も合わせますと。
そうやけどやっぱり、今サブスクもやっておりますから、
その中で語っている中でもっと詳しく語ってたりとかということを考えますとですね、
やっぱりね、印象にというか、しゃべる時に自分が一番どうしても感情が出てくるのは祖母の話でしょうな。
思い出というか、申し訳なさみたいなものとか、
そういう感情があふれてしまうというかね、スイッチが入ってしまうというかね、
何かあるんですよね。時折忘れたらあかんという形で語るというようなところがあります。
50になる前からですけど、初老という年齢になった時に、
自分の父方の祖母ですけど、祖母のことを考える。
亡くなった時のことを思い出すというのとか、
亡くなる1年前にね、1ヶ月ほど、それこそ私は九州の方に行って、
祖母と共に過ごしてるんですけど、その時に聞かせてもらったお話というのがベースになってたりもありますし、
それがベースかな。また自分が幼い頃から祖母と共に暮らした時間というのはそんなに長くないんですよね。
多分11年とかそんなもんやと思うんですよ。自分が物心ついてて考えますともっと短いですわな。
3つ4つぐらいになるまで物心つかんわけですから、それで言いますともう7年8年ぐらいの感じやと思うんですよね。
だからその中で自分の人生に多大な影響を及ぼしていますけども、
なかなかそんなに自分が祖母の求めた孫になってるのかというよりは、別に求めてへんやるけどね。
そういうことをよく思い出すというかね、よく言われたなというような言葉とか、
なんでそれを言ったんやろうということとかが年行くにつれ分かるというようなことですね。
その祖母の話をした回というのはだいたい印象にあるというか、毎回同じ話するんでね。
印象というよりはそれが一番自分の肝としている実はね。
多分後世に伝えたいというのは自分の子孫であったりとか子供孫ひまごに伝えたいとできればですけどね。
思ってることっていうのは一番そこなんやと思うんですよね。
いっぱい喋ってる雑多な話の中に、私が大事にしてる部分というんですかね。
いやしてるんじゃないな、できてないな、したいところというんですかね。
理想みたいな部分というのが祖母との話の中に含まれてるような気がしまうのはできへんことばっかりなんですよね。
自分が歳いってみたらそれできたかと言われたら全くこれはできへんなと。
私の記憶はあんのっていうのは7つの時に歓励の祝いしてるということは50代、53、45ぐらいからの祖母ということになるわけで、私は今51だんで。
そう考えますと、自分がその時の祖母のやってたこととかに近づけるのかと。
もうめっそうもないと、到底そんなことできへんという状況というんですかね。
ということもありまして、そのたびに身につまされるというんですか、考えさせられるというようなことでしょうね。
それがやっぱり印象に残ってるというよりは残したいと思ってますね。
自分が生きていくのに必要なもの、この先もっと必要なものという意味合いで語ってる場合が多いと思いますね。
ポッドキャストの意義
内容はそんなことになってないかもわかりませんけどね。ただただ思い出してグッと感情が込み上げるというようなことになってるかもわかりませんけども。
そして他の人の配信で言いますと、話題でこの番組の中でダゲナに恋してと言ってね、ダイダイダゲナ時間というポッドキャスト番組を取り上げることが多かったんですけども。
もちろん仲いい番組さんも何件もあるんですけどね。やっぱり多大なるリスペクトを込めてて。
もう今は番組が終わってしまったんですよね。もちろんアーカイブっていうのはそのときにサブスクに登録してた人しかたぶん聞けない状態だと思うんですけど。
その中で柴山健さんと岡代さんという方がパーソナリティで約10年、9年半くらいですかね。やられてた番組の中で第254やったかな、53やったか。
そのうちの3回くらい使って岡代はこうして生きているという、岡行きという回があるんです。
その回をポッドキャストで聞いたときにポッドキャストっていうのに意味があるなと思ったんですよね。
自分が配信とかしてきてそこにそんなにマネタイズがあるわけじゃなかったし、意味があるとかっていうよりは自分の趣味とか楽しみみたいなぐらいの感覚で配信に対して思ってたのが、
ポッドキャストをやる意味、本当の意味でデジタルタトゥーとかっていうことを自分が言い出したのもそこやと思うんですけども、
なぜポッドキャストをやり始めたかという大きな理由がそこにいろんなものが関わってて、
どこの誰かもわからへんしお二人の顔なんかも出てない番組なんですけど、
リアルイベントもやったりとかの活発にね。
全然ポッドキャストがまだ知られてない頃にリアルイベント何回もやって成功してあるというか、
そんなのもあるんですけどそれはあくまで表面というかね。
本当はどこの誰かわからん顔もわからん年齢もわからん状態で、
せやけど人生をさらけ出してるという、約9年半の間自分たちの人生をさらけ出してる番組っていうのは、
長く続けるからこそ出てくるものももちろんあるんだと出すしかないというかね、
出てしまうというか、それがよくわかる番組というんですかね。
だからこそその岡井はこうして生きている岡井貴という回は、
残念ながらね、今聴きに行きたいと言っても聴きに行けないんですよ。
アーカイブは聴ける人っていうのはごくわずかだろうし、
たぶんやめて柴山もう一回入るということはできない形だと思うんですけど、
その回を聴いたときに結構僕、あんまり精神をやむことってないんですけど、
結構落ち込んでたときとかにこの代々だけな時間という番組を毎日、
3000回というアーカイブがあるので毎日定期的に聴くということで持ち直すというような、
これは日課があるということとか、毎日誰かの状態の話を聴くとか、
極端なこだわりであったりとか軽いこだわりであったりとか好きなものであったりとかっていうのを
日常的に聴き続けるというリズムみたいなもので持ち直したときがあって、
すごく感謝してたりとかしますね。
それがやっぱり印象に残っている配信。
配信の考察
配信やってる中でいろいろYouTubeとかツイキャストとか、
もうはたまた昔はUNEXTとかニコ生とか、
ニコ生はやったことないかな、ニコニコ動画のやつとかあるのかな一回。
なんかいろいろ配信を経てポッドキャストをやり始めて、
初めてかな、配信っていうものに意味があるなと思ったのはその間を聞いた。
これは人それぞれやっぱり聞いた感想って違うと思うんですけど、
僕の中ではたまたまタイミングも踏まえて、
だいだいだけな時間という番組が、
自分のものの考え方とか配信に対する考え方をもう一回考えさせられたというのもそうやし、
それが良いもんだという考え方に酔ったというかね、それのおかげでと。
だから僕もこの番組も大した内容がいつもないって皆さんに言うんですけど、
大した内容があるからじゃあいいのかとか、内容が濃いものだから全ていいのかってそういうことではなく、
特に雑談系なんかはトータルそんなに利益のあるというようなものではないと思うんですけど、
その中で感じ方というんですかね、受け取り手の感じ方が重要なんだとか、
その時のその人の精神状態だったり状態ですよね、現状とかっていうことが大にして関わるからこそ、
どんなものでもあげておくと誰かがどっかで助かったりとか、
内容的に人を傷つけるものっていうのはちょっと別かも分からないですけど、
なんかそういうふうに感じてもらえる?それによって勇気が出ましたとか、それによって元気になりましたとかっていうのを、
自分でやっぱり体現しないと、そんなんて言うたらおべんちゃらで書いてるだけですやんと、
言えてしまうというか僕もそれはよく言うんですけど、
それはやっぱり自分は体現してるんですけど、それをじゃあ誰かに与えられてるかって言うたら与えられてないから、
いつか誰かに与えられるまではやらなあかんのかなとかっていうのもありますよね。
だから黙れヤドロクを聴いててなんとなく勇気が出たんですっていう言葉も本気でそう思ってもらえるとか、
こうやって人の配信の中で印象に残ったのは黙れヤドロクのなんとかっていう回聴いてとかって言われるまでやりたいなんて、
僕諦め悪いんで音楽もね、ファン一人もいてへんのに30年以上続けた人間ですから、
まあいいか悪いか別として、
ただそう考えますと、そういう何千回とある中でそのたった何回がものすごく人に与える、
長期継続の意義
人生に与える影響を持つものを持ってるっていうことへのリスペクトっていうのがありますね。
内容は省きますけどもちろん今までにもちょっと説明してたりもいう回もあるのでね、
だから皆さんがだいたいだけな時間という番組を知らん方も多いとは思うんですけど、
そういう素敵な番組が約9年半、ほぼ10年ですよね、続いてたということを知ってほしかったりとか、
皆さんだいたいポッドキャスターさんが多いので、約10年続けるってどうだろうっていうことを考えてほしかったり、
10年続けようと思ったら特にこの雑談系というものとか、いわゆる何でもないテーマトークをするようなものでも10年続けるってそんな簡単じゃないですよね。
特に複数お二人以上でやってる番組、僕みたいに一人でやってるとね、案外やれそうな気もしますけども、
勝手にやって勝手にっていうことがあるんでね、そうやけどやっぱお二人以上でやるっていうことの大変さというんですかね、
そんなんも含めて今やり始めた方ですね、今何年かやってる方とかがそれを大事にしてほしいなと思ったりとか、
そういうことを思う時があって、今そのすごく楽しそうな感覚を覚えておいてほしいなとかと知った時に、
それをものすごくいい思い出になることもあるでしょうし、それは自分たちだけの思い出なんでしょうけど、
でもそれを聞いてて、あの時面白かったな楽しかったなと思ってくれたリスナーさんが、
あんなやりたいなと思ってくれたりとかっていうことの良さというんですかね、
大したことじゃないのかもしれないですよ人生の中で、そうやけどちょっとしたことでしょ、きっかけなんて、
ちょっとしたきっかけで元気になったり、ちょっとしたきっかけで落ち込んだりって考えると、
本当にポッドキャストのたかが15分30分小一時間っていうぐらいの話題の中でめちゃくちゃ元気になるっていうことはあるんやろうなと思うし、
実際僕が長い時間のお話を聞いた時とかに本当に意味がある、意味があるっていう意味があるんやねってちょっと叫びたくなるような感覚にとらわれたというのがあったりとか、
ちょうど僕が仕事中にそれを聞いたんですけど、肉体労働中やったと思うんですけど、結構泣いたような気がしますね、ちょうど機械に乗ってたと思うんですけどね、
ボロボロ泣いたような記憶はありますね、そこが入ってきてしまったというか、
そんな感じの印象に残った回というのは自分の祖母の話および代々だけの時間おかゆはこうして生きているというのが、
一番ポッドキャストを今も続けている理由かもわかりませんね。
まいこさん、これでよろしいでしょうか。