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人生の後半戦、毎日の暮らしにワクワク・チクチク・シクシクと刺激をくれる存在。そんなポッドキャストを配信していく意味についてボソボソ語っています。

配信者:ビッチィ(イキテク翼)



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はい、国際ポッドキャストでディレイ配信をお聞きの皆さん、 深夜3時にこんばんは。
ここからはですね、私、ビッチがお届けする 生きてく翼の時間となります。
先ほどまでね、配信されていた最終便に間に合った 0時ちょい前のゲイのフォトさん。
本当にお疲れ様でした。
これね、聞かれている方はほぼほぼが初めての方だと思いますので、
私の簡単な自己紹介から始めていきたいと思います。 私はね、
ポッドキャストネームというか、配信名はビッチという名前でね、 なかなかせめた名前で頑張っておりますが、
大阪在住の43歳のゲイです。
今回はポッドキャストデーということで、 僕とポッドキャストの関係とかね、
普段どんなことを考えているかについても ちょっと触れてみたいんですが、
ビッチの生きてく翼という番組、 実はまだ配信開始から2ヶ月も経っておりませんでして、
2022年の8月の初旬から始めたばかりの番組であります。
番組としてはですね、問題解決型ポッドキャストと銘打ちまして、 僕自身が本業はデザイナーなんですが、
普段お仕事っていうのは結構皆さんのお悩み事をね、 デザイン思考力を使ってですね、
いろいろ問題解決していくっていうのが仕事なんですが、 このポッドキャストの番組の中でもですね、
聞いていただいている皆さんと一緒に、 僕自身のこともそうだし、聞いていらっしゃる方のお悩みだったり問題とか、
未来とかをね、一緒に問題解決しながら作っていこうみたいな、 そんなことで番組を発信しています。
ただですね、ポッドキャスターの自分自身の歴史としてはもう少し長くて、 実は2011年の春ぐらいからですかね、
もうすでに11年半ほどポッドキャスターとしては活動しています。 以前はですね、明日もゲイという友人たちと
日常会話をね、しながら
配信するような番組の一員として活動していたんですが、 その番組をですね、
夏前ぐらいに卒業して自分で番組を立ち上げています。 なので結構ね、僕の30代、
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初旬から今40代、中頃に差し掛かってますが、 この人生のですね、割とこう変化の多い時期を
ポッドキャスターとともに歩んできたような気がします。
思い返すとですね、ポッドキャスターを始めたきっかけっていうのは、 その前の番組の中心に配信をしている方の誘いで、
2011年の大震災の後にですね、 何かちょっと自分たちの生きた証みたいなものを残せないかなっていう言葉をきっかけに、
何でも良かったのかもしれないんですが、その時選んだ配信の手段がポッドキャストでした。
ただですね、11年前ってね、ポッドキャストってまだまだ 日本ではマイナーなメディアで、僕自身もあんまりよくわからないまま、
ただこう友人たちと集まっては、あのだ話をして、それがこうなんとなく後日配信されるっていうね。 それになんとなくこう皆さんが反応いただいている
らしいぐらいの、 そんな感じで数年を過ごしてました。
当時の僕自身は、ゲイっていうことを世の中にも公表していないし、 いわゆるサラリーマンでしたので、
自分が何者かっていうことを表現するというよりは、 どこにでもいる一人のゲイとして何を考えて生きているかっていうことを、
ただ、 その時その時にですね、瞬発的にお話できたらいいかなーぐらいで考えてたんですけど、
その後、2013年ぐらいから、 自分で個人事業主として独立したあたりから、少しまた自分としては発信したいことが変わってきたかなっていう、
少し社会の中での自分みたいなことを意識しだしたのはその時期かなと思いますね。 なので2013年の頃の番組とかを聞き直してみると、
やっぱり少し社会的な問題とかに対して、わりと熱く自分の意見を伸べるみたいなことが増えてきたような気がしますね。
で、そこから個人で活動している後にですね、私が40歳になったタイミングで、実はですね、
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Facebook上で、当時フォロワーというかつながっていた方が2000名弱ぐらいだと思うんですが、
Facebook上で、僕はゲイですっていうことをオープンにカミングアウトしたんですね。
で、そのFacebook上には、私の家族ですね、母親とか兄とかいとことかね、幼馴染とか、大学とか大学院の同級生とかいっぱいつながったりとか、
取引先の方とかいっぱいつながっている中で、一気にカミングアウトするっていうね、なかなかの傍聴に出たわけですが、
それが私にとってはね、一つのターニングポイントになりまして、
幸いなことに、そのカミングアウトをおきに、僕が何かの不利益を負うというような悲しい出来事は起こらなかったんですが、
逆に僕の中での変化としては、ある一人のゲイっていうところから、
僕自身がもっと自分をオープンにして、ゲイ当事者として社会に対して発信していきたいっていう、
そういう欲っていうかな、なんかそういうものがどんどん大きくなっていったのが、
約4年ほど前の、僕のカミングアウトのきっかけに起こったことでした。
そこから数年っていうのは、少しずつ僕自身の中で別々にしていた自分のいろんな顔っていうものを、
一つ一つですね、オープンにというか、繋ぎ合わせていきながら、
一つの自分の形っていうものに統合してきたような期間だったと思うんですね。
例えばですけど、本名も明かさない、あるゲイとしての自分、生きてきた20年ほどゲイとして、
活動してきた自分とか、あとね、以前に番組でも紹介したんですが、女装家としてね、
ドラッグクイーンとかとして活動していた自分とかね、意外とそういうのもあんまりオープンにしてなかったところもあったんですが、
そういう自分だったりとか、あと自分のそのギーとか、そういうセクシャリティと関係ない面での、
自分のデザイナーとしての生きてきた面だったりとか、
そういう別々に走っていた自分っていうものを、もう一本にしてしまおうっていう風に、
それをポッドキャストの番組を通して徐々に情報を開示していたっていうのが、
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この数年、3、4年の期間だったように思いますね。
で、いよいよ自分としても別々だったものが一つになってきて、
その10年以上続けていった番組っていうのは、どこかちょっと自分にとってはこう、
いびつな自分っていうものがキャラクターとして存在していて、
そこにちょっと乖離したものを感じてしまっていたんですよね。
それを解消するために、僕は一旦その番組の方を卒業して、
また一からですね、統合された自分を開示していく場として、
この生きてく翼っていう番組を始めました。
なのでね、このポッドキャストを始めてからのこの11年半っていうのは、
僕にとっては自分と向き合いですね、
社会における自分の存在を確かめつつ、
そしてまたですね、僕っていうものが何を考えどうしていきたいのか、
そして皆さんとどういう価値を作っていきたいかっていうことを、
社会に対して投げかけていくっていうね、
一つのメディアなんですが、
僕にとっての役割っていうのがどんどん変遷してきたというかね、
変化してきたっていうのがポッドキャストの存在です。
なので、とても遠遠いと思ってた開始当初の感覚よりは、
今はとても僕の体の一部という感覚が芽生えてきていて、
特にやっぱりこの2ヶ月ほど一人で配信してみて、
それはつくづくよりポッドキャストというものが
肉体的に一致してきているというか、
一体になってきているなっていう実感を覚えています。
じゃあ今の僕にとってのポッドキャストってどういうものかっていうと、
実はこの2ヶ月って本当に自分が立ち上げたこの番組によって、
僕はとっても苦しめられてきた。とても悩ましい。
私って一体何なんだろう。どう生きたいんだろう。
誰にどう思われたいと思っているんだろう。
そもそも誰かに何かを思われたいのか、評価されたいのか。
そんなことをね、とにかくあれこれ考える。
考えさせられる2ヶ月だったんですよ。
それは何でそんなことになっているかというと、
やっぱり複数人で配信していた時っていうのは、
やっぱりその数人で作り上げていった、
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自分っていう存在は一つの断片でしかなかったところから、
一人で配信していると、やっぱり私のありのままっていうものが
全て配信に出るわけですよね。
それが波のように、皆さんのリスナーさんの下に
引き潮のようにスーッと届いた後に、
またあなたは一体どう生きていくんだっていうような
次の波が僕に押し寄せてくる感じがあるんですよね。
配信すればするほど、その波っていうのは
とても大きくなっているような気がして、
僕は本当に自分が生み出したこの番組で
日々綴っているエピソードというかね、
番組の回を重ねれば重ねるほどですね、
お前はどうしたいんだ、お前は何者なんだっていう
自問自答の波に飲み込まれそうな
そんな毎日を過ごしています。
そういうとちょっとネガティブに聞こえてしまうかもしれないんですが、
でも実はその毎日によって僕はこの2ヶ月で
さらにさらに充実してきたっていう感覚が今はありますね。
実はもう体としてはヘトヘトですよ。
仕事もなかなか忙しいっていうところに
なかなかハードな配信スケジュールを一人でこなし、
しかも波が毎夜毎夜私に打ち寄せてくるっていうことをね、
それを全て一人で受け止めているうちにですね、
もうぐったりするくらい体は疲れているんですが、
僕の心はですね、またまた元気になっているというか
変なアドレナリンが出まくっているんですが、
たまたまね、昨日の夜ツイッターのスペースで
僕の人生の半分くらい年齢の大学生の方と
一対一でおしゃべりしているときに
ちょっと自分で話してた話題として、
年代、年を重ねるごとにだんだんこう
時が過ぎるのが早く感じるみたいなんでね、
それはよく耳にされると思うんですが、
やっぱり今43歳、まもなく44歳なんですが、
その年代の僕としてもやっぱりそれはすごく
毎日強く感じてますね。
それ何なんだろうと思ったときに、
そのスペースでお話ししながら僕がしゃべったことは、
やっぱり何て言うんだろう、
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10年前とか20年前には、
自分にとってはとても大きな刺激だと思っていた出来事とか、
他者からの言葉だったりとか、見える景色とか、
そういう刺激だったものが次第に日常化していくというか、
自分にとっては何も感じない単なる一つの情報に
変わっていくというのが日常に起こっているわけですね。
それはなぜかというと、
年を重ねて刺激が起こったものに対して、
それを自分なりに分析、分解していくとですね、
ある種の刺激だったものが、
次からもっと数回同じことが起こっていくうちに、
それは日常の中の一つの出来事でしかないというふうに、
平常心でしか捉えられなくなっていくわけですね。
それは良いことも悪いことも、どんな刺激に対しても、
やっぱり人というのは体制がついていくので、
ということはですね、ちょっとやそっとのことでは、
自分の心が動かないということが、
やっぱり日々起こっているんだと思うんですね、年を重ねるごとに。
ということはですね、同じ1日24時間を生きていても、
刺激を感じないということは、
ほぼ無意識感の中で時間が進んでいくというか、
刺激が自分にピンと刺激を受けたという、
そのタイミングでようやく人というのは、
意識的にそれを捉えようとすると思うんですが、
それを感じられなくなっていくということは、
日々がほぼ無意識感の中で、
ただやり過ごしているということが多くなると思うんですね。
なので、たぶん時間が過ぎるのが早く感じるということは、
あまり自分自身の人生を意識的に捉えていない時間が、
長くなっているということだと僕は考えましたね。
ということはですね、
これからますます時間が過ぎるのが、
早く感じていくようになるわけですよね。
そう考えたときに、
実はこの2ヶ月前から始めた、
この新しい生きてく翼っていう番組は、
僕に毎日ですね、
どんどんと新しい刺激やワクワクを与えてくれる、
刺激自然発生マシンになっているんじゃないかということに、
ここ数日ね、感じていまして、
ただですね、とってもこう、
身体はしんどいというか、
やっぱり刺激を大きく受けて、僕の心もウォーサーをしているので、
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なかなか大変ではあるんですが、
これはなかなか40代半ばの僕にとっては、
いい刺激を受けているなというふうに感じていますね。
とはいえですね、ここからまたその番組の配信に慣れていってね、
まんねり化していってしまうと、
きっとまた、なんていうんだろう、
ただ時間が早く過ぎていってしまう日々に、
またなってしまうのかなと思うので、
やっぱり番組の配信を続けていく以上は、
どんどん変化をしたりとか、
新しいチャレンジをしていくということが重要なんだなということを、
やっぱりこの2ヶ月配信してみて感じているところです。
なのでね、僕にとってポッドキャストというのは、
やっぱりちょっとラジオっぽい形式というか、
そういうものに自分も頭が引っ張られがちなんですが、
もうちょっとそういうものとは違うものにしていく必要があるのかなと思っていて、
僕自身がそれをどういうふうにしていくかって、
今考えている方向性でいうと、
僕が日常活動しているデザイナーとして抱えているプロジェクトみたいなものが、
いろんなことが同時進行しているんですが、
そういうところでもうちょっとリアルに皆さんが体験していただけることとか、
僕と実際にリアルにご一緒していただける場所とか場面を増やしながら、
その間をこういう音声配信で埋めたりとか、
逆に音声配信の間をリアルな場で埋めていくみたいな、
そういうメディアとリアルを行ったり来たりすることで、
より質感のある番組になるというか、
僕と暮らしの一部を共有しているような感覚が作れるんじゃないかなというふうに考えたりしています。
それがどういう形でリアルに実際に実行していけるか、実現できるかというのは、
ちょっと僕もまだ考えあぐねているところではあるんですが、
そういう形を模索するという途中を皆さんにも見ていただくことも、
ポッドキャストならではなのかなというふうに思ったりしていますね。
あと全然話は変わるんですけどね、
ここ数日僕がすごく感じているのは、考えていることっていうのは、
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都会で生きることって何なんだろうとかね、
家族って何なんだろうとか、
なんかそんなことをちょっと考えたりしています。
ごめんなさい、めっちゃ話変わってます。
実はちょっと1週間ほど前に、
おじいが亡くなりまして、
僕の母親の弟になる方で、
本当は今週僕が収録している、
今週の末にお別れのセレモニーがあるんですよ。
僕は住んでいるのは大阪なんですが、
そのセレモニーは関東で行われるんですよ。
実はこの週末、僕は仕事で関東にいるので、
普通に考えるとその仕事を合間を縫ってというか、
都合をつけてそのセレモニーに出席すべきなんでしょうけど、
僕が結論付けたのは、
そのお別れのセレモニーは行かないって決めて、
母親にそう伝えたんですね。
母親からするととても悲しげというか、
長年会えてないおじいの死の最後に立ち会わないのかっていう、
そういう寂しさだったりとか、
やっぱりなかなか会えない親戚がみんなで会えるっていうところに、
なぜ行かないんだとかね。
あとやっぱりその節目節目みたいなものに、
そこに行ったか行ってないかって結構すごいみんな、
母親世代の方はすごく気にするんでしょうね。
だからやっぱりその行ったという規制事実を作るためにも、
行くべきなんじゃないかみたいな。
直接的にはそうではないけど、
そういうニュアンスのやり取りをしたんですね。
僕はそこからもずいぶんといろいろ思いあぐねたんですが、
どうしてもやっぱり僕は、
僕が東京でやるべき仕事を優先したいっていうふうに伝えたんですよね。
そこで僕、どういう気持ちでこんなに強い気持ちで、
このセレモニーに行かないことを決めたのかっていうと、
やっぱり僕にとっての、なんていうんだろうな、
大阪も一つの都会だと思うんですが、
都会暮らしをしていると、
血のつながりの家族っていうよりも、
むしろ多くの時間を一緒に過ごしている他人にこそ、
家族に近い感覚を持っているんだなっていうふうに思ったんですね。
よりローカルに生きているほうが、
もう少し形式的な家族っていう価値観に、
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もしかしたら、僕がもし住んでいたとしても、
そういう価値観にちょっととらわれたのかもしれないなっていうふうに思いました。
僕自身がこれからの人生の中で表現したいことも、
実はそこが僕にとってはとても本質的に大事だなっていうことを、
ここ数日で感じたんですね。
家族っていうものは、
血のつながりによって生まれるものではなくて、
もっと日常の中での、
いろんな価値観とか時間とか、
あといろんな感情とかね、
それをどう共有して助け合ったりとか、
関わり合えるかのほうが、
とても家族的だなっていうふうに考えていて、
だから僕はそういう、
疑似家族的なものを持って、
僕の前世の後半っていうのは、
生きていきたいんだなっていうことをすごく感じたんですね。
で、それがなぜその主語と優先することにつながったかというと、
東京というか関東に行ってのイベントっていうのは、
僕にとってとても大切な人たちと、
いっぺんに会える機会なんですね。
日常的にいろんな価値を共有し合ったりとか、
している方とリアルに会える場所で、
僕からするととても何て言うんだろうな、
一人一人が家族に近い感覚を持っている皆さんなんですよね。
そういう方たちと会うことを差し置いてまで、
形式的な家族っていうものとの、
しかも形式的なセレモニーっていうものを優先するっていうことは、
僕にとっての人生においては、
そういう価値を持っていないんだなということに気づいてこの数日。
実はそういう変化が僕の中で起こっていたことへの気づきに対して、
自分自身もショックを受けたし、
多分母親自身もそこにびっくりをしたんだと思うんですね。
だけど結局やっぱりその次の日に母親から、
でもやっぱりあなたが考える、
亡き人に対する弔いの考え方だったりとか、
そのスタンスっていうのはやっぱり尊重されるべきだし、
やっぱり形にこだわりすぎていた私の考えとかっていうものは、
少し違っていたのかもしれないねっていうラインメールが来て、
そういうふうにすぐさま一晩で考えて送ってきた母親も、
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なかなかすごいなとも思ったし、
こんな時くらいは親の感情に寄り添ってあげるのも大切なのになと思ったり、
この数日はそんなことを考えながら、
やっぱり都会で暮らす自分と片田舎でずっと生まれ育った町で、
どうしても不思議でちょっと形式ばった感じかを持った実の親との間には、
少し価値観の違いが生まれたんだなと思いながら、
ただでもその先には一瞬にしてそれを読み取ってくれたというかね、
しっかりと封には落ちていないかもしれないけども、
受け入れてくれた母親に対する感謝っていうのはすごく思ったし。
それと亡くなった叔父自体は、
実は僕の父が昔亡くなった時にはお葬式には来れなかったんですよね。
とても仕事が忙しかった方でね。
だから僕はやっぱりその叔父の生き様は、僕がそれはやっぱり引き継ぐというか、
自分にとって瞬間瞬間何が大切かっていうのは、
やっぱり自分の責任を持って決断すべきだし、
その決断に対しては自分が責任を持って生きていくことっていうのが大事だしね。
だから人の死とかに対する弔いの形っていうのも、
やっぱり自分が決めて、自分の中できちんと完結していくべきなんだなってことを、
この数日で学びました。
はい。
何の話してるんでしょうね、私ね。
ディレイ配信だって言ってんだよね。
まあでもね、そういう大切なことを感じて、
こうやってまたポッドキャストでね、
独り言のようにボソボソと配信しながら、
でも聞いた方の中にはね、
なんか何言ってんだよとかね、
いやそうじゃないだろうとか、
いやいやわかるよとかね、
なんかそういう皆さんの心の中にまた新しい気づきだったりとか、
感情とか刺激みたいなものが生まれていってくれると嬉しいなと思いつつ、
まあそんな感じでダラダラと喋ってきた30分でしたが、
皆さんねいかがでしたでしょうか。
こんなね、真夜中ですが、
まだまだとても素敵な番組はこの後もどんどん続いていきますので、
引き続きこのね、ディレイ配信を楽しんでください。
はい、ということで、
私、ビッチがお届けした生きてく翼でした。
またどこかでお会いしましょう。
ではでは。
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