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毎度、黙れ!ヤドロクでございます。お疲れさんでございます。元気?元気やったらええねんでって、いつも言うとおりますけども、今回のお題ですけども、やけいちゃんさん、お疲れ様でございます。お気に入りです。
お題ですけど、面白いなぁと思う人の共通点はありますか?というね、これはまた難しいお題でございますなぁ。
ふとね、ここ1日2日考えとったんですけども、私が面白いと思う人とか、リスペクトできるなぁと思う人っていうのはね、生体模写、形態模写の上手な方というのが、一応の今のところの面白いと感じる一つの要因ね、全てではないですよ。
中の一つが明確にはっきりしたのは、モノマネ芸人さんと言ってありますけど、基本的には人の特徴を捉えて、それを模倣できる人というのが技術というものもあるんでしょうけど、面白いなぁという、これはね、ただただ模倣するだけじゃないんですよ。
そこからデフォルメが入ったりとか、変化があるという、この変化をつけるっていうとこまでがセットで面白いんやと思うんですよね。ただただ模倣というのではダメなんではないかなという特徴を誇張するというようなところのセンスみたいなもんですかね。
これはね、昨今の関東のコントグループのね、上手な方が多いというのがね、近年、やっぱり例えば一般のサラリーマンであったりとか、何かの職業についている人の模倣が上手、いてそうやなというようなとこ、そしてまたそれを大げさに表現できる技術というのが、やっぱり面白いなというふうに見ている、明確に面白いなと見ていることが多いんですよね。
モノマネというのは、それの集大成みたいなもの。同じように誇張してモノマネしたとしても、全然笑われへんようなものも中にはやっぱりあるんですよ。いや、上手いんやけどな。ここで止まるようでは面白いまでいかないっていうのが、最近ちょっと一個はっきりしてきたことって、ただただこの面白いという人の共通点に関しては、
コントやってる人であろうが、一般人であろうが、モノマネの上手な方、そしてその誇張が上手な方っていうのは、面白い方というふうなことが言えるのではないかなというふうにちょっと思います。もちろんこの質問をくださった八景ちゃんさんのモノマネも、面白い状態でやっていただけるというようなことが多いんですよ。
どこでそのネタを出すというポイントというものも、これはセンスというようなことでしょうね。格子玉として置いてるモノマネがあったりとかするわけですからね。まだ皆さん、ティアンレホリデーなんかではその辺の片鱗は見えてないんでしょうけども、八景ちゃんさんのいろんな技もっとありますよというようなことでございます。
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今はね、年末のゆる落語フェスに向けて頑張って落語をやってはるということでございますからね。で、このお題では好きな落語というものも、まず師匠の模倣から始まります。芸というのも技術というのも、もしかしたら仕事の中でも模倣というところから始まる。で、仕事の場合はこれを誇張せずにやる。同じようにやるということはとても大事なことですな。
これだから誰でもやるんですよ。やらなあかんことなんですね、仕事の中では。だけどそれをふざけた形にデフォルメできるか、もっと進化させて効率よくするかというのが仕事と芸の差というのですかね。芸ももちろんお金稼げば仕事になるわけですけども。
この辺が一般的な仕事と芸事の違い、特に笑いをとるような芸事の違いかもわかりませんね。それをもっと技術的にすごいと言わしめるような方に行くと伝統芸能の方に行ったりとかということですな。落語欄が一人何役もやりますからもちろんこの当時いるかいないかわからへんけどデフォルメされたキャラクターというのを模倣していく。
ましてはもっと自分のカラーで色をつけてその模倣にプラスアルファーしていくという技術。面白いなと思うわけですよね。もちろん技術、お話の中、オチですね。奇象転結、物語で面白いと思いますというのはこれまた別の技術が存在するんやと思うんですよね。
同じような話でも普通に本読むように朗読でやれば面白いかといったそれを読んで文字で見ても面白いと思うものも存在するんやと思います。これが小説であったりとかねあのご本になっていくんやと思うんですよね。文字だけでそれを表現できてしまうというこれは模倣ではないですがそこにデフォルメ模倣が入っていって一つのお芝居を一人で完結させるのが落語一人コントですわな。
そういうことなんやと思うんですよね。コントっていうのはここの派生でできてる。一人でやってるけど一人でやったら大変や二人でやったらええやないかいう端がいわゆる今のコントの形態なんかちゃうかなというふうに思うわけでございます。創作落語を作ってるのとそれに変わらんわけです。オチもつけなあかんわけですからね。コントっていうのは。だから一人でやる落語を二人でやってる。三人でやってるというのが今のコントというものやと。
そう思えばね。これは今やってるお笑いなんですがもう全部伝統芸能の中のことですよね。漫才っていうのは落語でいうところの枕の話を枕ばっかりやってるのが漫才やというようなことなのかもしれんしね。物語一個聞かせてくれる時間はない。短い時間の間でくすって笑うようなこと何個か入れてくれというふうなとこで漫談。二人でやれば漫才というようなことなんかなというふうにね。
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これは調べてないからわかりませんよ。だけどだいたいそんなとこじゃないかなというのは歴史がそんなに長くないという点で言うたら漫才もコントもやはり落語漫談浪曲ね。いろんなものありますよ。講談そこから派生してできてるものなんじゃないかなと。
もとはお芝居であったりとかね。民間の人間が見れるように。それも寺船があんまりかからんようにということでしょうな。十人も二十人も出演者が出てきて小屋の中で寺船払ってお芝居を見るということにお金がかかる。あれ一人で話したらどないなんでやるんだ。そうやったらあれの三分の一の金額で俺が喋ったんでというような人間が出てきたらこれは落語になるんじゃないかと思うわけでございますね。なかなかうまいことできてるなと。
だから成り立ちなんや考えてますと面白いと思えるようなこともありますよね。話そのものが面白いとか面白ないとかということももちろんあるんですけども。こういうふうに喋るから面白い。こういうふうにやるから面白い。面白いって何でしょうな。難しいんですけど。
そう思う人の共通点は皆さんね。いわゆるフィクションお芝居が上手な方っていうのを共通点として私は面白いなと思うんですよね。これはどんな形でもということですね。お芝居ができる人。お芝居ができる人って何ですやろな。自分以外の人になれる人。自分以外の人を観察できる人。自分以外の人に関心がある人。人が好きな人というようになってくるわけでございますからね。
もしかしたら面白いなと思う人の共通点っていうのは人が好きな人なのかもわかりませんな。人が嫌いやとなかなか人のことを見ようとは思えませんもんね。この辺が決着点なんかなというふうに思うわけでございますけど。
この辺はねティアンディホリデーのお二人にもちょっと見解をお聞きしたいなというようなふうに思いますな。難しいですよね。人それぞれ育ってきた環境も状況も今の現況違いますわな。生活に行き詰まってるのにみんなおもろいでギラギラテレビ見て笑ってるけど俺は何にも笑われへんっていう状況というのもありますからね。
なかなかそんなふうに共通点を見つけれるかというとは難しいかもわかりませんが。そんな状態やけども見てておもろいと思うものもありますね。これは普段の生活から考えたらとんでもなく考えられへん不条理。
条理があれば不条理がある。今現実問題生きてることが大変ならばそれが条理。それも関係ないというふうにもうアホみたいなことをやるのが不条理であるならば、突然その不条理が爆発したような大声で叫ばれたらやっぱりおもしろいんですよね。
ちょっと気楽になったなというふうになるときがあるわけでございます。誰をお礼にあげたらわかりやすいんですかね。この辺融合したのはハリウッド雑魚師匠なんてその辺のものを融合してるんじゃないですか。
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もう無法とか虚構とかそんなものは関係ない勢いで大声でうわーっとやるというのでこれはもう突発から条理から外れるんですよね。うわーって言われたらもうおもしろいんですよ。これは一発芸やらはる方で売れた方には多いと思います。
出てきた瞬間うわーって言ったらまあまあ言わんわな普通の人はというようなことでちょっとくすっと笑てまうというようなことあるんじゃないですかね。条理と不条理というのはやっぱりあるんでしょうね。まとめやなと思うことから逸脱するこの逸脱加減というのがおもしろいということは常識外れた方はちょっとおもしろいというふうに捉えてしまうというんですかね。
実その人が一緒に生活するなんて難儀なんですね。これ大丈夫かな。これちょっと無理かもしれないなというふうに考えるんですけどただただこの人がおもしろい人やと見るだけなら全然害がないというようなことですね。それを正直にすればお笑い芸人ということになるんでしょうけどどうなんでしょうね。
皆さんの見解お聞きしたいですね。皆さんが面白いと思っているのは何がおもろいと思っているのかなという時はあります。悲しい悲劇を見ても面白いなという方はおられます。この場合の面白いというのは自分が表も見なかった意外性というものも含まれているのかなと。
だいたい自分はいろんな本を読んでいるいろんな映画を見ているいろんな漫画を読んでいる。そしたらだいたいこうなるんちゃうかと読んでいたり見ていたりしていたらはっ裏切られたおもしろいなというようなことじゃないですか。大体私みたいにいろんなものを見ていますというような方おられますよ。私はこれは本も読むわ映画も見るわお笑いも好きだねいろんなパターン見てきているからちょっとやそっとじゃ驚きませんでと言うて。
見てたらもう自分が思うような答えは全然返ってきない方ともう全然想像のつかん言葉が返ってきたこれは面白いと思うのかもわかりませんね。だからまだ見ぬものという未知のものこれも不条理に入るんやと思うんですよね。
だからこれができる方出せる方自分のだいたい身の回りに居る方では出てけえへんなというものをやる方は自分にとっては面白い人というようなことでしょうな。なかなか難しいんですよ定義定番という風に決められへんというのは自分の中にしかないもんですわな。
なんで私これおもろい思うのやろうとかなんであの人はあれをおもんない言うのやろうとかわからへんなここがものすごい面白いやんか言うてもその人からしたらその元がわからへんから何もおもんないこれは漫画のネタやったりとかいろんな小説のネタやったりを題材に出されますとね元の条理がわからんだから不条理がわからんおもんないということですね。
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何弁も話題も番組の中で言わせてもらってますけど人が面白いと思うにはどんなにしたらいいかというと物知るしかないんですよ物知りになるしかない様々なことを勉強して知識として入れとく状況を把握しとくそれによってそこから逸脱したものはみんなちょっとおもろいと思えるようになってくるということですね。
だから面白い人っていうのは逸脱できる人ですから難しいんですよわかって逸脱する人とわからないまますでにすでに逸脱してる人といるわけですよこれが天然かそうでないかという違いですねもちろん天然もおもろいわけですよもともと知らんわけですからそのここから取ったらそれが常識やだから普通の顔してるわけですよこっちからしたらその普通の顔がおもろいわけですよねそうか思ったら計算で物知ってるからこそ
常理から外れましたよとこの最たるものって言う方は上岡隆太郎市長みたいな方でしょうな物分かってて言うというようなことですねあんだけ物知ってる人が奈良県の人はみんなぬすっとや言うて大炎上したんで昔ねまだネットのない時代ですよもう局に電話があって大変なことになったってあんだけ物分かってる人間が奈良県の人間なんかみんなぬすっとやって言うたら大事や言うてねあったけど
だからこそですよなりゃこそあの人はお笑い芸人ですマンガトリオから上岡隆太郎市長賢い人ですみんなご存知や意気込み鍵盤と言われてもおかしないようなもう立場の大市長ですよその人がパペポテレビというやつですね鶴部市長とやってた番組の中で奈良県の人間なんかみんなあれぬすっとやって言うたことってここに意味があるわけですよね
わかって言うてるわけですよこれを一般人が見ててなんでそんなこと言われなんねんって怒るわけですよ物を知らんわけですね歴史ひも解いたりしてて大雑把に言うても面白いんやろというようなことなんですよねそんなわけないわけですよどう考えたって奈良県民が全部ぬすっとなんわけないわけですよ
そういうわけでそれをなぜあえて言うてんのかというところに面白みがあるわけじゃないですかなんでって言うたらその前段階の話があるわけですよねその流れから来る奈良県の人間がみんなぬすっとやからっていうこの表現大爆笑の表現なんですよでも奈良県の人からしたらこれは大失礼やと言うて言うてしまう物知らんなというようなことでしょうな
これはもう面白いことですよそれにやっぱり言われたがちょっと腹立つということは気持ちはわからんでもないんですよ
そういうわけでやっぱりあの天下の上岡龍太郎が言うてんにはおもろいがなと言うてやる余裕がないとあかんということで面白いということを知るというのも誠に難しいですね共通点は模倣
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ラッキーちゃんさんこれでよろしかちょっと言葉足らずかな