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2025-02-12 27:56

#55「見える範囲が狭くなる、それが老眼」

「老いとは、ピークを越えてしばらく経ってから『あのときがピークだったのか』と気づくこと」と語るいしだま。(体感覚と表現力が豊かで怖いよ!)老いと共にできないことが増えていくけれど、削ぎ落とされて残ったものの中に自分を見出すのかもしれない。 (※老いにまつわる話はまだまだありそうです) 【お知らせ】 3月16日(日)、いしだまが所属する朗読ユニット「テクテクハニカム」の新作朗読劇「宮沢賢治とめぐるひととせ-春夏秋冬-」が上演されます。お申し込みは、春日市ふれあい文化センターのWEBサイトをチェック! https://ticket.kxdfs.co.jp/kasuga-fureai-s/showList \お便り募集/ SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。 https://studiohiccho.com/

サマリー

このエピソードでは、老眼の影響とそれに伴う感覚の変化について話されています。特に、友人の老眼体験や自身の年齢に伴う身体の変化についての理解を深め、時間の経過と共に感じる老いの実感が共有されています。老眼の進行を通じて、衰えの影響やそれに対する考え方についての議論が展開されています。また、身体的な変化がメンタルに与える影響や、周囲との関係の変化についても触れられ、老いることの面白さや試練について深く考察されています。

老眼の実感
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
では、もう2月も半ばですが。
ね、なんかあっという間ですよね。
はい。
もう2月が半ばってことは、9分の1ぐらい終わったってこと?
1年のね。
うん。
早いですね。
早いね。
でも私、2月って学校でいう三学期なんで、結構のんびりしてる気持ちなんですよね。
あー、そっか。
1年終わるなーみたいな。もう終わりだなーみたいな。
面白いね。
なんかやっぱさ、ほんとに、もうめっちゃ面白い。
なんか、やっぱさ、どんな経験も時間軸の中でさ、していくことはできるじゃん。
でも、やっぱ最初に放流された場所で身につけた習慣とか枠組みみたいなのって、その後ずーっと影響を与え続けるよね。自分に。
だから、1年の4分の3、気合い入れてるかも。
あー。
4月から12月をメインに頑張って、1,2,3月をちょっとゆったり過ごしっていうリズムかも。
面白い。できちゃったんだね、そういうリズムが。
そう。4月から頑張ろうみたいな。4月に向けて何を仕込もうかみたいな感じかもしれない。1,2,3月。
へー、おもろー。
そう。
そういうの全然なかったな、私。もう案件でって感じだから。もっとショートスパンだよね、基本はね。
しかもほら、あんまり長生きする気がなかったからさ、人生における長い目標みたいなのとか全然持ってなかったから、本当に。
へー、でもさ、人生における長い目標とか全然なかったとかって言ってるけどさ、やっぱ生きてるとさ、時間は経つじゃん。で、時間が経つと何が起こるかっていう話ですよ。追いるんです。
ちょっと待って、追いの話の前に、今2月半ばだから来月の案内忘れずにしておきます。
そうだね、それやっとこう。
やっとこう。
1ヶ月後ですか、もう。
もう1ヶ月後ですね。
3月16日といえば。
3月16日といえば、みなさんテクテクハニカムという石玉がやっているはみ出す漏読というコンセプトの漏読ユニットの上演がございます。
どんどんパフパフパフパフ。
午前中10時半からと14時からということで開場する上演でございます。
宮沢賢治のお話でね、1年をみんなで巡るよと。
共に過ごそうじゃないか。
同じ舞台の上でということで、演者と同じステージの上でみんなが宮沢賢治の世界を私たちと一緒に見たり感じたりしながら1年を過ごすということができる漏読でございます。
もちろん石玉も歌います。
人生に目標がなくてもホールを借りて上演会をする日が来るという不思議なことですね。
なるほど。そういう捉え方をするとこれは、それはそれですごく一ついいな。
いないですよ。ホールを借りて自分が舞台に立って何か上演したことがある人。
なかなかいないよね。確かにね。
でもそういうなかなかないかもしれないことが、人生に長期的な目標とか、なんか早々に死ぬ気がするなみたいな。
私たちの世代でいくとノストラダムスでどうせみんな死ぬんだから別に明日勉強しなくてよくないみたいなこと言ってたことが結構いたんだけど、
そういうメンタリティーのままある意味大人にずっと長生きする気しないしみたいな感じのところがあって、
なっちゃったような人でもそういうこと起きるってことですね。
なぜかステージの上でスポットライト浴びるっていう、マイクを持ってるっていう。
本当ですね。
そう考えるとやっぱ世界ってすごいですね。こんなことも起こしちゃうんですね。
そうですよ。目標はなくてもね。
起きちゃうことがある。
じゃああれだ、今日例えば私もそうだけど、今日たった今なんか、なんだか先行きが見えないっていうような気持ちの人も、なんか突然ね、ラップやってたりとか。
本当何が起こるかわかんないですから。
ね、あるね。そうか、いいね今の考え方。そういう感じでもこういうことは起きるっていう一つの具体的な展開。
よし、なんかちょっと元気が出てきた。
というわけで皆さん3月16日朗読劇行きたい方は、笠ヶ市のふれあい文化センターのウェブサイトから申し込みできるそうなのでチェックしてみてください。
宮沢賢治の物語で巡る人と世ということで、人と世っていうのは1年って意味なんですけど、春夏秋冬を、しかも意外とみんな聞いたことないなみたいな宮沢賢治のお話の中から厳選してですね、季節を。
もうめちゃくちゃ読んだ、宮沢賢治。お話選ぶときに。
詳しくなりました。
詳しくなったかもね、それまでに比べると。
で、こんな良いお話あったんだと思ったのをみんなと一緒に1年を過ごせるのでちょっとワクワクしてます。
で、やっぱ1年が経つってことはですよ。1年分老いるっていうことなんですけど。
これは全ての人に起きてますからね。
そう、もう私たちがね、生きてる限り逃れることができない。
全員老いてます。
老いの影響
そうやって今の年に至るまで生きてきて、最近本当に老いをいろんなところで実感したり聞いてて、すごいもうすぐそこまでやってきてるな、老いって思うことが増えてきたんですよ。
これ40代半ばってこういうことなんだなって思うんですけど。
今私にすごく身近な話として、ひたひたとすぐそこまで忍び寄ってきている足音がずっと聞こえているみたいな老いが老眼ですね。
目。
目。
友人連中がついに老眼になりましてみたいなことを言ったりとか、メガネかけてて、メガネだよ珍しいねとかって言ったら、いやー必要になっちゃってさみたいな。
あれですよね、遠くは見えるけど手元が見づらいってこと?違う?
しかもなってみた人たちの話を総合してると、目悪い人は遠くも見えないまんまらしいの。でも近くも見えないから。
なんも見えない。
見えるっていうスイートスポット、見えてる、この辺は見えてる、この辺からは見えないっていうところがめっちゃ狭くなってってる現象が老眼らしい。
近すぎず遠すぎずのところのみがちょっとだけ見えてるんだ。
見えるっていうエリアがもうどんどん薄くっていう感じみたい。どんどん地球の温暖化で溶けていっている北極の氷みたいな感じに見えるのが、薄く見えるエリアが狭くなっていくのがどうやら老眼のようです。
それが身の回りで来た人と近づいている。
あちこちからそういう話聞くから、ほんの4、5年前と比べて明らかに老眼っていうものに対しての情報解像度が張り上がってるの、私。
たぶん私はありがたいことにまだギリギリ来てないんじゃないかなと思ってて、だからすごい焦って本いっぱい読んでるんだけど今。
だからお火みたいなものっていうのが実感を伴って結構ね、なんか徹夜すると2、3日ちょっとあんまり使い物にならなくなるとか。
昔は全然ね、徹夜ぐらい1日とか大丈夫やったのになーみたいな。
私子供の時だから無理だからな。徹夜。
全然大丈夫っつってるけど全然大丈夫じゃないんだよ本当は。
そうですよね。
けど今に比べると全然大丈夫だったなって思う。
そんなことだったりとか、あとやっぱりその年を取るっていうことが自分の感覚に及ぼすことであったりとか、なんかそういうのがね、なんか分かってきた。
あーなるほど。
そう。
老いによって自分に与える影響ってことですね。
そうそうそう。老いていくことで、なんか私はもう石玉ちゃんっていう生き物なのは変わらないじゃん。
若い時も小さな時も今も。なんだけど石玉ちゃんっていう同じ入れ物の中に入ってるはずの石玉ちゃんが、やっぱり同じではなくなっていくのはね、分かる。
どういう時に感じるんですか?どういう時にっていうか何を?
やっぱりすごい分かりやすいのは、これぐらいで疲れちゃうんだなーみたいなのとかが出てきたりとか、やっぱり老いを感じるっていうことを別の言葉で言い換えると、いつの間にかピークを超えていたっていうことに気づくことって言える気がするんですよ私。
だから気づいていないうちは、多少ピークを超えた後だったとしてもまだイケてる時期なんですよ。
でもそのまだイケてるピークを超えて下がってるんだけどっていうセルフィイメージがもうピークの時のセルフィイメージと下がり始めてて、でもまだイメージとそこまでずれてないから大丈夫っていう時期からもう外れて、
明らかに違うんだなっていうのに気づくぐらい変化してしまった後っていうのが確実に自分で分かる老いだなと思います。
それは時間差でやってくるわけですね。ピークを過ぎた時じゃなくて、過ぎてしばらく経って来るんだ。自覚が。
そうなんですよ。始めのうちって多分人間の思い込みって本当に強くて、自分が明らかに変わってしまったっていうのを自覚するまでの間ってなんか今日調子が悪いなとか、その時の群れの中にそれを入れちゃったりとか
身体の変化に気づく
なんかこう、なんていうのかな、セルフイメージの方は変わらず、なんかイメージと違う自分はなんか今日はそういう群れみたいな特別な群れみたいな感じの処理しちゃったりすることが多いんだけど、それが時間を経過していく中でもう特別な群れじゃなくて結構ずっとこんな感じのことの方が多いっていう
当たり前の感覚の方がそっちになってきちゃったら、認めざるを得なくなっていくみたいな。これが多いなのかーみたいなのを今私は実感していて、へー多いるってこういう感覚なのかおもろって思ってる。
なんか私まだ会社員しててリモートワークだった時に、なんか毎日一日パソコンの前にいるのがしんどかったんですよね。なのにそれこそ夜遅くまでとか仕事したらもう本当にしんどい、体がしんどいってなって、上司がその時60歳だったんですよ。で、こうだこうだこうだと体しんどくないですかって言ったら、いや俺は常にしんどいから分かんないって言ったんですよ。
そうなんだって。いっつもしんどいのに当たり前にそれを日々生きてるんだと思って、びっくりしたのはなんか、当たり前なんだよ。これこれしたら次の日が辛いとか、こういうことすると辛いとかじゃないんだと思って。びっくりしたのを思い出しながら聞いてましたね。
本当にそういうとこあると思う。で、その上司の方の話聞いてひょっとするとすごいかもって思ったんだよね、今私。いつもしんどいって言えてるってことは、たぶんいつかとの自分の差のその差分のことをきちんと認識できてらっしゃる方で、だから今の自分にとっての当たり前の感覚っていうのももちろんあるはずなんだけど、その当たり前がいつかの段階に比べてもずっとしんどいの点になってるなっていうことを
結構俯瞰で感じてらっしゃる気がすると。
自覚してること結構あるんだと思います。
面白いね。やっぱ賢い人なんだろうな、きっと。本当そんな感じになっていくんだろうなーっていうのを自分がこうやって今、経ていってる変化のベクトルの変化が起きてる方向性がずっと伸びていってそっちの方向性が伸びていくんだろうなーっていうのは感じてます。
ちなみにピークって言われたらいつなど同じ状態だと思いますか?今振り返ると。
単純に楽器としてなってる自分とか、なんかあと他にも何個か基準があるから、その基準ごとにピークの場所多分違うんだけど。
だからあんまり寝なくても無理が利くとかのピークは20代前半にあったなって思います。24ぐらいだった気がする。
リアル24。完全差別っていうかこれ大丈夫かな放送して。大丈夫かわかんないんですけど、私23の時かな。教師になったばっかりの時に、多分40歳くらいの体育の女の先生がちょこちょこちょこって近づいてきて、なんか女はクリスマスケーキっていうの知ってる?って。
何?何?みたいな。知らないですって言ったら、なんか24、クリスマスイブの日がクリスマスケーキって一番売れるんだけど、25日になった日から割引みたいな。何割引って言ってどんどん割引されていくのよみたいな。24がピークなのよって言われて、怖って思ったんですけど、
世間的なものとは別に体力的なのがそれはそれで存在しているってことですよね。
あると思う。多少もちろん個人差はあると思うんだけど、私24と26に1回、そういう自分の感覚と実際の自分、自分のセルフイメージと実際の自分がズレが出たなって感じた時期があって。お酒飲める量とか。
なるほどね。
24、26ぐらいにちょっとあったな、その変化が。今振り返ると思ってて。だから寝なくても無理が利くとかのピークは24ぐらいだったなって今も。
私基本ローテンションで生きてきてるんで、なんかそれこそ夜更かしもしないし、お酒もいっぱい飲まないし、なんか仕事、体怖さまで仕事頑張んないし、ローテンションできてるから、その差を感じづらいかもしれない。
あー、おもろ。
そうか、やっぱあなたは健やかだね。
どうなんだろう。
いや、なんかさ、こう、そうだね。
これから気づくのかもしれない。
あるかもしれないけど、ちゃんとそういう日々を暮らしてることで、あの、下り坂をゆっくり迫るんじゃないですか。
緩やかに行きたい、ほんと。
それ、なんかいいね。
でもこれはもうその暮らし方なのか、身体的にそういう部分がたまたまあんまり起きにくい、なだらかな波の人なのかとかもあるかもしれないからね。
一概にこれをやってれば大丈夫みたいな話じゃない可能性もあるけど。
なんだろうね。
老眼と自己認識の変化
なんか吉竹信介さんが、絵本描いてる吉竹信介さんが、なんかコミュニティを最近立ち上げたってyoutubeで言ってて、
それはこう言ったら、悩みを話せる場所みたいな、安心できる場所みたいなのを作りたいってことだったんですけど、
なんでそのコミュニティを作ろうと思ったのかっていう話をしてて、自分はもともとネガティブだったと。
すごいネガティブだったんだけど、それは実はまだ若くて体力があったから、そのネガティブに体が耐えれてた。
でも体が衰えてくるとネガティブに対応できなくなってきて、だからもうこれは何か対策を打とうって思ったって言ってたんですよね。
だからそのパワーでなんとかしてた部分がパワーでどうにかならなくなったっていう話が、なるほどなーみたいな。
でもできなくなったからこそ、別の方法を探し始めるっていう動きに、吉竹信介さんはなってましたけどね。
吉田 とってもわかります。
気がついたら朝、いろいろなことを考えていたら、みたいなこと、もうほぼないですもん。
昔すごく若い頃とかに、例えば今この感覚ってっていうのとかずっと考えながら文章ちょっとパソコンでペチペチ書いたりとかして、
もっとこういう感じとかって文章をずっと書きながら自分の感覚をずっとそこの文章に、そうそうこういう感じっていうのを書いていったりとかして、
もうちょっと違う、もうちょっとあったかくて柔らかいけど、プスッと空気が抜けちゃったりしそうな感じの言葉でとかって言って、
自分の感覚にそういう言葉とかをずっと見ながら取ってくる。で、ああ違うなもうちょっとこうずっと繰り返しながら、
ああこの感覚書き終わったわーみたいなのになったら夜明けを見てるみたいなこととかがあったんですけど、
もうそういうことの回数激減してますからね。
老いと人間関係の影響
でもまだあるんですね、減ってるだけで。
似たようなことがある。
なんかその、ピントが合ってる状態の時ってその時掴まないと二度とそこに行けないみたいなことがよくあるんですよ。
だからそのピントが合ってる時にピントが合ってるものをじーっと見るっていうことをやってると、やっぱなんか集中してるからか、
それを見つめて、ああこういうことだなって言って自分の気が済む。気が済んであー寝よとか、
あーふんふんってなって気が緩んだら寝てるとかみたいな状況になるまでやってしまうというか、
それをしないとせっかく見えてるその感覚みたいなのが逃げちゃうみたいなのはある、今でも確かに。
でも回数は激減してますよ。
でもあることがすごいなって思って聞いてるわ。
そうだよね。 すぐ寝ますからね。 十時に寝たいんだもんね今年はね。
そういう感覚もだし、友達とか周りから聞こえるようになってきたのが、自分が老いてるってことは要するに自分を取り巻く世界全体が老いていってるんだよね。
だからその自分を取り巻く世界全体が老いていってるってことで、やっぱりその自分の大切な人がちょっとこの世に存在することができるかできないかみたいなこと柄が起きたりとか、
あとやっぱりその人がその人だよっていう人格自体をその体の中に保っておくのが難しいみたいな状況になってきて、でもやっぱり自分にとってはかけがえのない人じゃん。
だからそういうこととかと、新しく同じ人に違うように向き合っていかないといけないっていう直面してる人とかが増えてきたりとか、なんかね、あ、そうか私たちもある程度長く生きて、だから周りも同じように時間を重ねてそういう風になってきたんだなぁみたいなことをすごくね感じます。
だから老いっていうのはすごく面白いなと思うのは、己っていうこの身体の中で起きてる老いの感覚が老いたなって思わせる部分もあるし、自分を取り巻いてる環境自体も一緒に自分が年取っていくのと同じように時間を重ねて老いていくことで起きていくことが知らせる老いもあるなぁみたいなのがあって、
なんかやっぱ、何だろうね、なってみないと本当にわかんないことばっかり。だから老いは、まあそのパワーが減るとかさ、そのあの頃あんなことできてたのにできないみたいな感じの、なんかそのセルフイメージとずれていくことだから、
捉え方によってはなくしていくこととかともすごく近いんだけど、まあやっぱ状況が変わっていくっていうただの事実として捉えたときに、何て言うんだろう、それこそさっき言ってくれた吉武鑫介さんのさ、コミュニティーの話とかで言ってた、その何だろう、ネガティブをし続けるパワーがもうないから、だったらちょっと考え方とかやり方変えなきゃなみたいなこととかが、
すごくその自分の人生に新しくやってくる、何だろう、新しい局面の部分もやっぱりあって、だからやっぱこう、面白くもあるよね。知らない自分と出会ったり、こういう部分が世界にはあったのかっていう世界の一面をまざまざと理解するみたいなところとかね、あって。
なんか面白いし、大変だけど、まあやっぱ本当に面白きこともなきよう、面白くみたいな感じしかやりようってないんだなみたいなのを実感したりもします。
そう、昨日石玉さんと会ったときに、あるコーヒー屋さんに行って、そこで大人たち5人ぐらいで喋ってたときに、なんかこう人に会わせられないなみたいな話をしてたら、確か50代半ばの方が、いいんですよ、もう会わせなくてみたいな。で、その方とも55歳とかかな。
55になったら時間がないんだよって言ってて、なんかその言葉って本当に思ってるんだろうなと思って、時間がないから例えば誰かに会わせてる暇はないとか我慢してる暇はないとか、なんかそれはそれですごいそぎ落とされて、何を大事にするかとかどこに時間を使うかとか何を断るかっていうのが、なんかはっきりする部分もありそうだなと思って、その言葉を聞きましたね。
本当にそうだね。
老いの受容と新たな視点
なんか、もう本当に選べないんだよね、老いたくないって言ったところで老いるから。
だからその、起こってしまうことを避けられない事柄をもう受け入れるしか本当の意味では私たちの人生ってできることなくて、受け入れた先に見えてくるものとまた新しい付き合い方作っていくとかみたいなことしか本当にできないんだよね、なんかね。
なんか、それが新しく自分に教えることが面白いなって思う部分もやっぱりあるし。
なんか、生きてるって面白いね。
なんかどんなおばあちゃんになりたいですかって聞こうかと思ったら25分喋ってた。
聞いてる場合じゃなかった。
かずねがどんなおばあちゃんになりたいか聞きたい。
私は駄菓子屋さんしたいですね、おばあちゃんになったら。
駄菓子屋さん!?
駄菓子屋のおばあちゃんになりたいですね。
ついこの間、私は別に場を作る感じのことに興味ないなみたいなこと言ってたじゃん。
なんかいいじゃないですか、駄菓子屋のおばあちゃんって。
駄菓子屋はバリバリ場じゃん。
はい、そっか。
面白い。
ちょっと待って、この話今度また考えようよ。
ひょっとすると意外と場。
なのかな。
ということで。
お菓子屋みんな好きなんでね。
ちっちゃい子たちがしかもいっぱい来るからさ。
駄菓子屋ってなんかちょっと、結構面白い場だよね。
そういうなんか、もん構えは駄菓子屋なんだけど実はみたいな、いろんなことが起こるのいいじゃないですか。
いいかもね、面白そう。
そう。
というわけで、老いの話でしたけども、ぜひ皆さんも思うところがあれば、
この番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイト、番組へのお便りはこちらへお寄せください。
なんか老いの話を聞いて、改めて自分の中に見つけた若さとかの話とか、そんなのとかも聞いてみたい気もする。
ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉と和音でした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
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