日本建築士講義のご紹介
それでは、日本建築史講義を書いた経緯ですとか、あるいは日本建築士というとなかなか難しいと思われる方も多いと思いますので、
そもそも建築士というものがどういう考えでできている学問なのか、あるいは、この本で紹介をする内容というのが、どのような建築を見ながらお話を進めていっているのか、
そういったところについて少しお話をしたいと思います。
この本を書く契機になったんですけれども、これは東京大学でやっている都市建築士概論という学部の2年生向けの講義のごく一部と、
3年生で行っている日本建築士、そして4年生の日本住宅建築士という3つの講義を再構成したものになっています。
全部の講義を合わせると全27回ということなんですけれども、この本ではその抜粋をした20項というものについて、
その講義の内容を録音録画をして、それを文字起こしをしながらかなり圧縮をしたダイジェスト版ということになっています。
そもそも建築士というところなんですけれども、まず歴史というものについてお話をしたいと思います。
歴史というと、中学や高校生の頃に年号を覚えなきゃいけないだとか、あるいは人の名前を覚えなきゃいけない、
そういったような記憶をしなきゃいけない、そういったようなイメージを持っている人も多いかと思います。
ただ、大学の歴史というのは日本史だとか考古学だとかそういったところでも大きく違うんですけれども、建築に関して言うと特に人の生活というところと大きな関係があります。
さらに言えば建築というのは建てる時にどの場所に建てるのか、あるいはどういった材料を使うのか、そういったところとも大きく関わってくるわけです。
こういったところは地形ですとか気候ですとか、そういったところとも大きく関わってきます。
さらに言えばそこで作られる社会あるいは文化というものとも大きく関わってきます。
一概には2文では分けられませんけれども、例えば東アジア、日本というのは木の文化というのに対して西洋は石の文化というように象徴的に言われることはあります。
もちろん石の文化と言いつつもノートルダムの屋根が木であったように木は使っていて同じように混在はしてるんですけども、象徴的に言えば文化の違いというものが建築の違いにも現れてきているわけです。
あるいは社会体制みたいなものも大きな関係があります。
皆さん21世紀に生きていらっしゃると思いますけれども、例えば明治の頃ですと社会体制が大きく変わる、西洋と接触をするという中で社会として全体を西洋化していく、そういったことが重要にしされる時代でした。
そういった中で建築の形も大きく変わった、そういったこともあるわけです。こういった建築をもとにしながら考えていくというのが建築史というものになります。
例えば文献詩というものがよくありますけれども、こういったものも我々も参考にしています。
ただ文字資料というものはそこで書いているものが必ずしも本当にそうだったということを示しているわけじゃないことがあるということもしておかなければなりません。
これは一つの例ですけれども、例えば泥棒をしたら罰を与えるという法律がありました。
じゃあ泥棒はいなかったというふうに考えるんでしょうか。それとも泥棒がいたから罰を与えるために法律が必要だったと考えるんでしょうか。
この2つというのは同じ一つの法律を見ていても歴史的にどうであったかということを考えると全く逆のことが考えられるわけです。
これをきちんと分析をしていく。そういったことが歴史を捉える上では必要なわけです。
さらに言えば歴史というのは基本的には勝ったものという生き残ったものというのが中心となって書かれることが多いですから、負けた人のことは比較的悪く書かれることが多い。
そういったバイアスがかかったものというのもありますので、これは建築に関していても残っている建築だけではなくて残っていない建築というのも大事なんだ。
そういったこともめぐばせをする必要があります。
ただこの建築士というものも今残っている建築という話をしましたけれども、残っているものというのが比較的高級な建築に限られてしまう。
そういったことがあるわけです。これは歴史でも一緒で、例えば天皇だとか貴族だとかあるいは将軍、そういった社会の支配的な地位にある人のことがたくさん書かれていて、なかなか一般庶民のことはわからない。
それは建築でも一緒で、お城なんか残っていますけれども、一般庶民の住宅みたいなものになってくると古いところというのはなかなかわからないというような状態があります。
このあたりは歴史、日本史であっても建築史であっても同じような問題があるということになってきます。
そういう意味でいうと、歴史というものの中に建築士というのが置かれている。これが少し考えておかなきゃいけないということになります。
もちろん建築という分野、例えば衣装設計ですとか計画ですとか、あるいは環境や構造といった建築学の中の一部として建築士はあるんですけれども、一方で建築士というのは大きく歴史学というものの中にも入ってきます。
ですので文献師ですとか考古学、あるいは美術士、民俗学、歴史地理学といった、こういった分野の人々たちと共同で研究をすることというのが多くあります。
ですのでやはり建築というのは人が作るものですから、ここらへんと深く関わりを考えながら歴史を見ていくということが大事になってくるわけです。
建築とスケール
その上で社会というところと都市、あるいは建築というところについて考えていくと、いくつかのスケールで物事を考えていかなきゃいけないということがあります。
例えば建築というスケールで言えば100分の1とか200分の1とか、そういったスケールで物事を考えられて、人と建築というところの関係が密接に考えられるのではないかと思います。
それが人が集まってくる、集落として集まってくるともうちょっと大きなスケール、例えば500分の1ぐらいのスケール、さらにそれがもっと大きなスケールになってくれば1000分の1、
さらにいわゆる都市と言われるものになってくれば1000分の1のスケールでなかなか集落しきれないということも出てくるかと思います。
それらの住む場所ですとか、あるいは都市といったようなものも、もちろんもともとあった地形、例えば山のてっぺんに都市を作ろうと思っても大変なわけですね。
例えば水利のいいような水辺の近く、川辺の近く、あるいは開けた部屋部、あるいは大地の上、こういった場所というのを住む場所として選ぶということはよくなされているわけです。
この都市ということ、あるいは人が住んでいる建てられた建築という場所、そういったものを考える上で、もともとそこにある地形ですとか、あるいはその周辺環境、こういったことまで目配させて考えていく必要があるというところなわけですね。
そういう意味では人とものが集積して人間は生きてきていて、そこに建築が作られている、そういったところが重要になってくるわけです。
そういった意味で、建築と街並みをどのように見ていくかというところについて言えば、まず社会においてどういう位置づけであったかと、そういったことを理解する必要があります。
極端な話を言えば、江戸時代に関してお金があっても最高級の建築を作ることができない、こういった時代もあったわけです。
すなわち庶民、商人であれば立派な建築、豪華な建築を建てるということ自体が規制をされてしまう、そういった時代もあったわけです。
そうなってくると、お金がなかったからあまりいい建物を建てられなかったという理解ではなくて、社会的な体制の現れとして建築が出ているんだ、そういった理解をしていかなければいけないということになってきます。
もう一つが、新しい建築の形というものと、あるいは復古的にあえて古い形を取る、こういった形が対立的に出てくる、こういったことも日本の建築の大きな特徴です。
古墳時代から寺院へ
例えば神社の建築とお寺の建築というところでは大きな違いがあって、神社の建築の最初の頃というのはお寺の建築というのを意識しながら、あえて古い形を意識して気につくるような形が取られていますし、
お寺の中でも新しい宗派と、そうではなくて元々ある流れというところで、それぞれ新しい宗派の方では比較的新しい形を使おうというのに対して、
古いお寺に関しては伝統の形をそのまま使い続ける、建築し続ける、こういったことも行われています。
さらにこういったところ、建築の違いというのは細部にも現れてきますので、こういった建築の細部を紐解いていくと建築の社会まで、全体まで見えてくる、こういったところがあるわけです。
実際にお寺以外、建築、個別のものではなくて街並みみたいなものを考えていたときには、建築が特殊なものではなくて、
並という言葉があるように多くのものと調和をしているということが見て取れるかと思います。この調和というのも非常に大事な要素で、
この街並みというのは建築単体で作られるものではないですから、同じような連続的な街並み、あるいはある時代に作られたものを見合わせながら使っていく、こういったことが重要になってくるわけです。
一方で、そういった街並みの中でうだつが上がるというような表現にあるように、一つ特殊な形を持ってくる、そういったところが次の差を示すような表現として現れてくる。
そこにも建築の小さな差というものが実際の街並みの差に現れてくる、表情を与える材料になってきたりするわけです。これは一例ですけれども、建築の細部を見ながら都市や社会、そういったものを見据えていく、こういったところが建築史というところの醍醐味じゃないかと思います。
そういった意味ではランドマークというのは一番わかりやすい存在ですよね。現在の東京でも、例えばスカイツリーのようなものはかなり遠くの部分からランドマークとして見えると思いますけれども、同じような話で言えば東京駅みたいなものも非常に象徴的な顔として存在しているわけです。
それは古く下っていけば五重塔ですとか、あるいは大仏殿のようなもの、あるいは宮殿の建築ですとか、そういったものももちろんランドマークとして重要であったわけですね。こういったランドマーク象徴性という意味で都市の中で建築を捉えている、こういったところも一つの見方ではないかなと思います。
では日本建築史について大まかな流れを全体として説明をしていきたいと思います。日本建築史の中でも建築がたくさん行われた時代というものと、そうではなくて比較的定調だった時代と、こういったものが何回か繰り返されています。
これを中心に考えていきたいと思います。古くは集落が発展していく、農耕を始めるといったところで人々が少し豊かになってきて、社会体制として確立してくる、そういった時代が出てきます。
そうしてくるとお墓として古墳のようなものを作ってくる。権力者が死後のための古墳というのをたくさん作るということになってくると、この古墳の築造のラッシュというのが一つ行われてきます。
これはあまり建築では語られることは少ないんですけれども、よくよく考えると古墳を作るためにも多くの人の労働力が必要で、その人たちがある意味農耕をしなくても生活ができる。
さらに言えばその間にどこか外敵が攻めてきたら、それを作っている場合ではないわけですね。そういった状況を考えるとかなり社会が安定して成熟している。
そしてそれらの食料の供給もできる。そういった状況でないとこういった巨大建築をたくさん作るといったことが難しいわけです。
こういった素地というのは古墳時代というところでも日本の中には、列島の中にあったということがわかるわけですね。
こういった状態も大陸から仏教が入ってくると大きく変革してきます。
それまでは古墳というものが大事な要素として使われていたんですけれども、それが対象としてお寺を作るというものに変わってきます。
お寺と神社
そうするといわゆる士族、有力な人たちというのが古墳ではなくて今度はお寺をたくさん作るようになってくる。
そうすると建築らしとしては寺院というのが対象として出てくるわけです。
ただこの寺院というのはその当時の和の人、日本の人たちにとっては見たこともないような建築でしたから、そんなにすぐ簡単にホイホイと作れるものでありません。
その時に重要になってくるのは都内系の人たちです。
すなわち朝鮮半島ですとかあるいは中国大陸から渡ってきた人たちによって古代の建築の技術というのは持ち込まれていって成熟をしてくる。
こういった時代があるわけです。
こういった寺院が作られていくと仏教に対して既存の宗教である神道系の宗教というのはどうしたらいいか。
建築というものを形を必ずしも必要としない原始的な信仰が強かったものに対しても遮伝というものが整えられていくというのが神社でも起こってきます。
そうするとお寺と対比的な形として神社というのが生まれてくる。こういった流れが出てくるわけです。
さらにその後国風文化ですとかあるいは剣道士の停止ですとかそういったことを経てくるんですけれどもこの古代の寺院というのは
いわゆる兵家のなんと焼き討ちというものによって一旦開神に帰してしまいます。
そこから復興を始めるというのが建築でいう中世にあたるんですけれどもこの時には大仏様ですとかあるいは禅宗様というのは新しい技術というものが持ち込まれて各地に広まっていきます。
この大仏様というのは奈良ですとかあるいは一部の巨大建築を中心に使われた程度でそこまで大きく展開はしないんですけれどもこの禅宗様というものは
衣装的にも華やかでしたので中世あるいは近世まで大きく展開をしていきます。
特に近世なんかだと霊廟なんかの建築では華やかな建築の形としてよく用いられていきます。
ただこの中世という時代は比較的混沌とした時代特に諸町に入って以降になってきますと戦乱も続いてきますのでかなり
寺院建築なり建築をたくさん作るということが難しい時代になってくるわけですね。そういった意味で言うと建築のラッシュというのはこれらが安定になってくる。
職法政権と言われるような豊臣ですとかあるいは江戸初期の徳川政権そういった時代になってきて比較的安定した時代までラッシュというのは遅れてきます。
この時代には寺院建築だけではなくてお城ですとか城下町ですか町の発展といったところでも建築のラッシュというのは起こってきたのでここが大きな活気として作られたわけですね。
その後江戸時代というのは先ほどの家作制限のようなものもあったりですとかあるいは民衆が作る寺院の展開だとかそういったものは多くなされていったんですけれども
大きな次の変革としては先ほどお話ししたような西洋建築あるいは西洋の文化との接触によって日本という国を西洋化していくんだとそういった時期になってくるというところまで遅れてきます。
すなわちこの時になってくると今度は西洋の建築技術というのを持ち込もうとするとここになってくるともう一つまた造営の活気というのが出てくるわけですね。
このようにざっくりとですけれどもある時期建築の技術的な発展ですとかあるいはたくさん建築を作るということがなされた時期とそうじゃなくて
少し安定的に発展してきている時期とこういったものを繰り返しながら日本の建築というのは展開をしてきたわけです。
寺院建築と神社の建築
ですのでもちろん建築史というと建築の歴史というのを追っかけてはいるんですけれどもそれはあくまで社会というもの
そういったものと全く関係がないわけではなくてむしろそことの関係性を維持しながら
むしろ密接に関係をしながら展開をしているというところがあるわけです。
それを見ていくということはすなわち建築を通して日本の歴史を見ていくんだとそういったことを
捉えてもらえるといいんじゃないかなと思います。
ではどういった建築を扱うのかという話なんですけれども
皆さんよくご存知の法隆寺の近道という世界最古の木造建築と言われる建築が残っていますが
同じように古い建築が神社ですとかあるいは民家、お城、宮殿こういったものが残っているかというと決して残っているわけじゃないんですね。
どうしても建築としてよく残っているのは寺院というものに限られてきます。
そうなってくると建築士の基本的な全体の流れを通してみるというときにはやはり寺院建築というのが中心になってこざるを得ません。
もう一つ寺院と並んで古くから残っているものとしては神社の建築というものがあります。
これは平安の時代から残っているものがありますのでこの寺院と神社この2つというのが中心的になって
木造建築の展開技術的な展開を伺う一つの資料になってくる。
それに対して民家住宅城郭みたいなものになってくると室町あるいは金星以降というものになってきてしまいますので
日本建築士の技術的なメインストリーム
ここら辺のところというのは古いところでどういう状態だったかというのは考古学的な資料などから考えていくしかないわけです。
残念ながら考古学の資料ではなかなか建物の上部柱とか屋根とかそういったところまでわかることは少ないので
どうしても時代が下ったものが中心になってくるということになるわけです。
一番上に挙げている宮殿これに関してはちょっと日本の建築は特殊なところがあって
他の国で言えばやはり宗教建築と並び立つ宮殿というのは権力者が税を凝らして技術を凝らして作る建築ということですので
建築士を考える上ではすごく大事な要素になってくるんですね。
ただ日本の場合には古代の宮殿特に奈良時代あるいは平安の初期ぐらいまでの宮殿というのは
博数調査などあるいは文献資料などからよくわかっているんですけれども
それよりも後になってくると日本の社会体制自体がいわゆる天皇を中心あるいは実質的な権力を天皇が握り続けるというところとは少し変わってくるという事情があって
研究の対象としては少し外れてくるというところがあります。
ただこれも現存するものとしては今の京都五省これは幕末の再建ですけれどもその頃に建てられたものとして復興的ではありますけれども
現存するかつての宮殿というものも残っているわけです。
こういった現存する建築の状況ですが最初に理解する上で木造建築というのはどういうふうに出来上がっているのかというのを理解しないと
なかなか技術的な展開というのは理解しにくいところがありますのでこの本でも冒頭に紹介しているこの特殊建築士概論という2年生の最初の講義の時にやるもので
木造建築の基本的な基礎知識というのを学びます。
その上で3年生の時に行う寺院建築を中心とするあるいは神社建築を中心とする日本建築士というもの。
これがこの赤で書いている部分ですけれどもここら辺でいわゆる日本建築士の技術的なメインストリームのところについてお話をする。
もう一つここで上に宮殿のところにちょこっと書いてますけれども
博物調査あるいは土壌と言われるような都市に関するところに関してはやはり古代の部分というのは非常に博物調査による成果というのは大きいですし
博物調査というのは寺院建築の技術を考える上でも非常に有効な手法ですので
ここら辺について3年生の時にお話をするというところになります。
このあたりはこの本の中でも前半部を中心に展開をしているところになります。
4年生で話をするこの緑色の4年生の前期の日本住宅建築士というところでは
この住宅というのが書いてますようにいわゆる神殿作りですとか書院作りですとかこういった住宅建築を中心にお話をしていきます。
ただこの緑のところにも書いてますよ。古代の宮殿というのも実は宮殿というのは天皇の居所であってある意味最高級の住宅ですから
ここについてももう一度おさらいをしつつ深掘りをしていくというところになってきます。
東京大学・海野聡先生の講義
ちなみにこの日本住宅建築士は2021年度の東京大学の工学部のベストティーチングアワードというのを受賞したものですので
これを見ていただけるとどんな講義をしているのかなというのがわかるのではないかなと思います。
全体の流れはこの20回分というところなんですけれどもやはりかなり圧縮をしている部分がありますので
もっともっと勉強したいという人には他に類書というのはたくさんありますので
これを基にしながらあるいはここをきっかけとしてさらに他の書籍に手を伸ばしていただければなと思います。