2023-05-30 47:53

公務員リスキリングラジオ|大橋志帆さん「“支える人”から“実践する人”へ」

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・「長く働きたい」という思いから公務員の道へ
・運命的なものを感じた初めての異動
・部署をまたいで会計の仕事を渡り歩く
・窓口業務を通じて募った“働く”を支えたい思い
・念願だった「支えることを実践する」立場に

▼プロフィール
大橋志帆(おおはし・しほ)
1993年太田市役所入庁。財政課、水道総務課、国民健康保険課、介護サービス課、工業振興課、沢野行政センターを経て、現在は産業政策課にて障がい者雇用創出事業担当。雇用環境整備士(育児者雇用・障害者雇用・エイジレス雇用)の資格を持つ。公務外では、地域に飛び出す公務員を応援する首長連合事務局、(公財)日本女性学習財団キャリア支援デザイナー、自主研究会テレワーク・カフェ代表などで活動。2014年度(公財)日本女性学習財団賞選考委員特別賞受賞。第24期上毛新聞オピニオン委員。『飛び出す!公務員 時代を切り拓く98人の実践』(学芸出版社)、『クイズde地方自治』(公職研)に執筆。


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【公務員リスキリングラジオ – 学びなおしによるキャリア形成のススメ】

新しい仕事に必要となる知識やスキルを身につける「リスキリング」が注目を集めています。国はリスキリングの支援に今後5年間で1兆円を投じる方針を示すなど、これからのキャリアを考える人にとってホットワードとなりつつあります。 もちろんそれは、民間企業で働く人だけではなく、公務員にとって例外ではありません。

むしろ異動が多い公務員こそ、リスキリングへの挑戦が求められているといってもよいでしょう。

このラジオでは、そんなチャレンジの後押しになることをめざして制作された書籍『公務員なら挑戦したい資格ガイドブック』著者で、加賀市役所職員の庄田秀人さんをホストに迎え、ユニークな働き方の開拓を続ける公務員の方を毎回ゲストにお招きします。

公務員という肩書きを持ちつつ、その枠やこれまでの常識にとらわれない仕事へと一歩踏み出すためのヒントを詰まったお話を、ぜひスキマ時間のおともにお聴きください。

https://book.gakugei-pub.co.jp/movie/koumuin-re-skilling-radio/
▼出演
ホスト:庄田秀人(しょうだ・ひでと)
加賀市役所職員。1978年生まれ。横浜国立大学を卒業後、加賀市役所に入庁。人事担当課、障がい担当課、DX推進担当課などを歴任し現在に至る。人事担当課ではメンタルヘルス予防体制構築、新規採用職員指導制度策定、障がい者専用部署立ち上げ。障がい担当課では虐待対応体制構築。DX推進担当課では全国初となる市内生活圏全域を高精度3Dマップ化、ARを活用した観光プロジェクトを推進。資格取得を通して人生の幅を広げ、公務員の仕事の楽しさを知ってほしいと考えている。取得資格は、社会保険労務士、FP2 級、法学検定スタンダード、年金アドバイザー3級、ふるさと検定上級、第一種衛生管理者など。2021年より加賀市内資格取得活用アドバイザー講師。2022年修士号を取得。

アシスタント:松本優真(まつもと・ゆうま)
株式会社学芸出版社 企画・編集部
公務員リスキリングと番組紹介
こんにちは、ホストの翔太秀人です。加賀市役所に勤めています。
こんにちは、アシスタントで学芸出版社編集部の松本祐真です。
公務員リスキリングラジオは、仕事で必要な新しい知識やスキルを身につけることを指すトレンドワード
リスキリングをテーマに、全国で活躍されている公務員の方々をゲストにお招きし、キャリアや働き方についてお話を伺いする番組です。
はい、それでは早速、今日のゲストをご紹介します。
ゲストは、群馬県大田市職員の大橋志穂さんです。
大橋さん、こんにちは。
こんにちは。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ではまず簡単に、大橋さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
大橋志穂さんは、1993年に大田市役所に入庁されました。
財政課、水道総務課、国民健康保険課、介護サービス課、工業振興課、沢野行政センターを経て
現在は産業政策課にて障害者雇用創出業を担当していらっしゃいます。
雇用環境整備士の資格を持っていらっしゃいまして、
公務外では地域に飛び出す公務員を応援する首相連合事務局、
日本女性学習財団キャリア支援デザイナー、自主研究会、テレワークカフェ代表などで活動されています。
2014年には、日本女性学習財団賞の専攻委員特別賞を受賞されました。
協助賞として学芸出版社の飛び出す公務員や公職権のクイズで地方自治に執筆参加されていらっしゃいます。
障害者雇用創出業の仕事内容と市役所の役割
【佐藤】沢野さん、年度新しく始まりましたが、異動などはあったんですかね?
【沢野】異動はありませんでした。
【佐藤】異動なかったということで、継続ということで。
【沢野】はい、そうですね。
【佐藤】今はどんな、ありがとうございます。どんなお仕事をされてますか?
【沢野】今現在ですか?
【沢野】はい、そうですね。
【佐藤】今現在ですね、昨年度に引き続いて障害者雇用創出事業を担当しています。
【沢野】雇用創出事業担当ということで、具体的にはどんな仕事内容になるんですかね?
【佐藤】はい、これは私が残業政策課に移動してきてから新しく立ち上げた事業になるんですけれども、
例えばですね、大田市内の企業さんに向けて障害者雇用を啓発する事業ですね。
例えば啓発セミナーを開催したり、
あとはハローワークさんや群馬県庁の担当の方と一緒に企業さんを訪問して、障害者雇用の進め方をお話ししたり、
その中で企業さんの方から質問などが出た時にはそれにお答えしたりしています。
【沢野】市役所の仕事の中でも、あまり聞かない県の職員とか、あとは国の職員と一緒に仕事をされているということを今お聞きしましたが、
その中で市の職員の役割というのは具体的にどんな役割になっているんですかね?
【上杉】そうですね。県やハローワークさんは、もちろん専門的に障害者雇用を進めるにあたっての支援機関でなっているわけなんですけれども、
市役所は身近な行政機関ですので、
県やハローワーク、もともと存在している支援機関だけでは足りない部分というのが、企業さんを訪問してみると出てくるんですね。
そういったところを補ったりしています。
【佐藤】現在の産業政策課に移られるまで、結構様々な部署を点々とされてきたと思うんですけれども、
まずそもそも公務員の仕事に疲れようと思ったきっかけというところあたり、振り返って教えていただけますか?
【上杉】職業として公務員を選んだ理由なんですけれども、
まず一つ目が、できるだけ長く働いていたいという気持ちがありました。
それは私の両親が共働きだということもありまして、男女関係なく働くのが当たり前だというふうに思いながら育ってきましたので、
そういった2人とも働いている家で育ったので、
まずはできるだけ長く仕事を続けられる環境にあるのは公務員かなというふうに自分なりに考えて選びました。
あとはもう一つは、民間企業と公務員というのを比べたときに、自分としては公共的な仕事っていうんでしょうかね。
そういった仕事の方が自分には合っているのではないかなと思って選びました。
【佐藤】最初に着任されたのがこれが財政課ということで、
さっき申し上げたご経歴の中でそうなってますけれども、最初のお仕事が財政課だったんでしょうか?
【上杉】そうですね、最初が財政課でした。
【佐藤】着任されて財政課、具体的にどういうお仕事に従事されたんでしょうか?
【上杉】そうですね、財政課というところで大きく言うと市の予算編成ですね。
【佐藤】最初のお仕事としてはいかがでしたか?
【上杉】財政課というのは、この予算を通して市役所の事業のいろんなことを知ることができますので、とても良かったと思います。
広く浅くなるんですけれども、予算の事業の名称を通して、市はこんなことをやってるんだなということを幅広く理解することができたなと思っています。
【佐藤】この財政課には何年ぐらいいらっしゃったんですか?
【上杉】財政課には4年間いました。
【佐藤】なるほど。その後、水道総務課、国民健康保険課ってずっと行かれましたけれども、このあたり、キャリアの編成の中で印象に残っているお仕事とか、この間では結構大変なお仕事が多かったな、みたいな思い出って何かあったりしますか?
【上杉】そうですね、それぞれの部署で移動してきた部署のそれぞれで、いろんな経験と思い出がありまして、
水道総務課では公益業会計の財務っていうんでしょうかね、それを中心に担当しました。
そういったものは全く初めての経験で、福祉武器っていうんでしょうかね、それを初めてそこで実践したんですけれども、
移動していった時は、そんな福祉武器なんて知らないし、仕分けっていうのも自分で考えたりとかできるんだろうかということで、非常に不安ではあったんですけれども、毎日毎日やってるうちにできるようになってきまして、
むしろこの6年経つ頃には、ずっとこの仕事したいなって思って楽しかったですね。
水道総務課の中では、官の名称としては水道総務ってついてますけど、実質的には結構会計的なお仕事が多かったっていうことですか。
そうですね。水道総務課の中に財務係というのがありまして、そこの所属配置だったので、本当に経理、財務処理ですね。それを本当にずっとやってました。
なるほど。私も今までディスクリーニングラジオのゲストの方のいろんなキャリアの変遷は伺ってきたんですけど、この移動が決まる時っていうのは、例えば今おっしゃった会計の仕事につくっていうのは、
移動のきっかけ
その前の課である財政課でつかれていたっていうご経験が踏まえての着任みたいな、そういう移動の判断っていうことになってるんですか。それと全く実は関係なかったりするんですか。
実際のところどこだったのかは何ともわからないんですけれども、ただ偶然なのか何なのか、私が財政課4年目の時、最後の年に、ちょっと古い話なんですけど、消費税が3%から5%に上がるタイミング、これから上がるよっていう時だったんですね。
それで当時の上司が、これから消費税が引き上げになるから、いろいろ議会でもそういった関連の質問が出るんじゃないかということで、あなたはぜひ消費税のことを調べて資料を作りなさいって言われたんですね。
それで一生懸命いろんな資料を見たりしながら、自分なりに消費税の定義から何から取引ですかね、課税、非課税、不課税とか、そういったことを自分なりに体系的に資料にまとめる機会をもらったんですね。
それで消費税引き上げ関係の議会質問が出たときには、私が専門で答弁書を書くっていう機会をいただきまして、そうしていたところ、次の初めての移動先が水道局ということになって、公益業界って消費税のことを抜きにしては経営できないんですよね。
必ず消費税の経理が発生するので、基本的な知識がある状態で移動することができたんです。
だから移動が決まったときには、私の上司はもしかして移動するのを探っていて、私にこの資料を作らせたのか、勉強の機会をくれたのかななんて、思ってしまうくらいぴったりハマったような偶然かもしれないんですけども、なんとなく運命的なものを受けながら、初めての移動を迎えましたね。
その次とか、国民健康保険課とか介護サービス課への移動に当たってはいかがでしたか。
これもなんとなく縁がありまして、在籍4年目のときにですね、それぞれ職員が担当する予算を持ってるんですけれども、私は在籍4年目に国民健康保険の予算を担当していたんですね。
それで次の年度の都市予算編成をするんですけど、ちょっと思うような予算措置ができないという部分がありまして、なんとなくそれが自分の中で引っかかっていて、心残りだったんですね。
何か機会があったら、また国民健康保険のことに関われるといいななんて思っていまして、
移動の総務課で6年目経って、そもそも移動かなっていうときに、次の移動先が国民健康保険課っていう内地があってですね、あれ、縁があるのかと思って、なんとなく自分の中では思いましたね。
この国民健康保険課に移動して、最初の1年、2年、3年目くらいは窓口中心で担当業務を持っていたんですけど、その後からが国民健康保険特別会計の財務なんですが、
その担当になりまして、国民健康保険特別会計を主にやることになりまして、財政課で市の会計、一般会計を中心に担当し、次の水道総務課で公営企業会計を担当し、国民健康保険課に移動して、途中から国民健康保険特別会計を担当して、さらにその次の介護サービス課も介護保険特別会計を担当するんですけど、
だんだんと、特別会計とかそういった部分で特化したようなキャリアに、偶然なのか、関連がそのようになっていったのか、ちょっとわからないところがあるんですけれども、そんな感じになりましたね。
4年、6年、9年、4年なので、通算で23年、そこまであるんですけど、ほとんどの年数を、予算編成だとか特別会計の経理を担当してきたっていうところですね。
なるほど。後々のお話の先取りになってしまうかもしれないんですけど、お持ちの資格として、さっきのご経歴で挙げられてたのは雇用環境整備士だけであったんですけれども、その経理とか会計関係は特にそういう具体的な資格とかっていうのは、特に取得せずに業務の中で経験を積んで、乗り切ってきたというか、こなしてこられたっていう感じなんでしょうか。
経験の活かし方
そうですね、そちらの資格は特に取らなかったですね。
同期を取ってみようかなって思ったこともあったんですけど、なかなか時間も取れずに、資格を取るには至らなかったです。
毎日毎日、特に水道総務官のときは、最初の1年が水道局の収入支出の電費を全部私が作るっていう、そんな感じだったので、毎日毎日電費を作って、ピンパンチャーみたいにもやってたんですよね。
それをやっていたら、不思議な仕分けも自分で考えられるようになって、
国民健康研究会や介護サービス課でも、日々の業務をする中で、何かわからないことがあると自分で調べて、
資料も自分で、いろんな計算方法とかいろんなものも自分で解読しながら資料を作ったり、いろんなデータを自分で取ってガタグ作ったりとか、業務に迫られてやってたので、
それを夢中で毎日毎日やっていったら、身に着いたというか、できたというところかなと思います。
これってやっぱり最初に財政担当課になった経歴っていうのがすごい生きてきてるのかなと思ってて、
一般的に市役所って財政担当課ってすごいハードな部署だと思うんですよ。
それを最初の4年間で、当たり前みたいな形で身に染みて身に着けたものが、それが他の部署に行っても身に着けた体制があるから、自分で調べたりっていう習慣がついたのかなと思うんですけど、
財政課ってやっぱり大変だったんじゃないですか。
そうですね。とにかく残業が多い職場で有名ですから。
今は少しね、私がいたときよりは残業も全体的に減ったかもしれないんですけど、
自分がいた当時は、予算の要求書の金額の入力だとか、そういうのみんな財政課の職員がやっていて、とにかくアナログの作業がとっても多かったんですね、今と比べると。
はい、そうですね。
いろんな県とかからも調査もたくさん来ますし、
とにかく、何も分からない1年目からそういうとこだったんですけど、
自分はすごい恵まれていたなと思うのが、前の先輩や上司がすごいできる人たちばっかりですね。
とても人の成長っていうのを後押ししてくれる人たちばっかりだったんですね。
だからそういういろんな経験を積むっていう機会をたくさんくれました。
そういうのもとても大きくて、いろんな経験がそこで詰めたり、
私がいた当時は、まだまだ女性職員の仕事っていうのを限られていたんですけど、
今では考えられないような感じですが、一人で執著に行くってこともなかったんですよ。
私の場合は、もうこういう予算編成とかにも関わるんだから、どんどん行きなさいっていうふうに上司も言ってくれましたし、
先輩たちもどんどん行って行ってっていう、そういう雰囲気だったんで、
すごい先輩たちの背中を見ながら、普段の行動の、他の部署とのやり取りの様子なんかを近くで学ばせてもらいながら、
公務員の転勤経験
自分も真似してやってみたり、そんなことをしながら、だんだんと経験を積むことができたなっていうふうに思ってます。
その後の、工業振興課と沢野行政センターっていうところ、この辺りは逆に言うと会計のお仕事からはまた離れたことになったんでしょうか。
それともここでも会計のお仕事中心になったんでしょうか。
これは会計の仕事とはもうほとんど離れてますね。
だから逆に、工業振興課に同様が決まった時に、私の今までそれまでの経歴を知る人は、会計の仕事から離れちゃっていいの?みたいに言われたこともありましたね。
そういうものが得意分野みたいな感じで、周りから見られるようになっていたりもしたので、本当にいいの?とか言われたりとか。
ただ、工業振興課に移動した時は、私自身はやりたいことがあったので、もちろん会計の処理とか財務関係も大好きだったんですけど、
それとは別に就職支援だとかっていう部分をやりたいなという気持ちが強くなってきていた時期だったので、それがたまたま希望がかなっての移動だったので。
特別会計だとかそういったところから離れちゃうのは寂しい部分もあったんですけど、ずっとそればっかりやってても、どうなのかなっていう部分も自分らにありましたので、会計の仕事からは離れましたね。
行政センターの方でも、どっちかと言えば障害学習授業っていうんでしょうかね。講座を組んだりとか、そういうことを主にやってました。
この辺りから今に繋がるようなお仕事になってきていると思うんですけど、さっきおっしゃった働き方に関わりたいみたいなことっていう思いは、どういうきっかけで膨らんできたんでしょうか。
これは先ほどお話をしたように、両親が共働きだったので、働くっていうことの意味っていうのを、中学生、高校生ぐらいからそこでなんとなく考えていって、市役所に入って、
一番今の仕事に深く関わっているのは、国民健康研会での9年間なんですけど、この中で窓口対応などしながら、いろんな背景を持った方々の対応をしました。
生活が苦しいとかに始まり、自分の体調が悪くなって仕事を辞めざるを得なかったとか、出産を機に仕事を辞めたとか、育休の制度はあるんだけれども、今までの仕事の仕方だと育児と両立ができないから転職を考えてますとか、
転職しましたとか、とにかくいろんな事情のある方々の対応を窓口で受けまして、この中で、例えば育休の制度があったとしても、会社を辞めてしまってということは残念だなっていう、私は話を聞くとそう思うんですけれども、
何かですね、その人が仕事を辞め、会社を辞めずに住む方法ってなかったのかなっていうのを漠然と考えるようになってきたんですね。
そういうところで、働き方であったりとか、今コロナの影響でだいぶ広がったテレワークだとか、そういった今までとは違う働き方ができていたら、その人はもしかしたら仕事を辞めずに住んだのではないかなっていうふうに、
何とこの窓口業務を通して考えるようになりましたね。
国保の後の介護サービス課でも窓口対応していると、親御さんの介護の手続きのために会社を休んで手続きにいらっしゃる方々がいるんですね。
親御さんの体の状態などを聞くと、日々のいろんな悩み事とかも合わせてお話をされていくので、これはもう親の介護となったら仕事との両立っていうのもなかなか厳しいものがあるなっていうふうに思うようになって、
ますます働き方や雇用環境っていうのは大事なんだなっていうのをだんだんと意識するようになりました。
大橋さんのお仕事の範囲で変えられるようなことと、やっぱりどうしてももっと国レベルとかの支援が必要なところってすごく難しい問題だと思うんですけれども、
やっぱり大橋さんのお仕事の中で変えられるところっていうのはたくさんあるなっていうふうに思われますか。そういう実感って今お仕事されてて終わりですかね。
そうですね、まだ新しく立ち上げた事業なので、まだ手探りでやっているような感じではあるんですけれども、昨年度は市内の企業さんに向けた啓発セミナーを2回開催しました。
オンラインなんですけれども開催しまして、その中でやっぱり参加してくださった企業さんからはアンケートの結果の中から見ると、免許になりましたとか、障害者雇用に対して意識が変わったとか、そういった意見もいただいていますし、
もともと県ですとかハードワークとか障害者雇用に関する事業って当然やってはいるんですけれども、雇用側の企業さんって悩みがとっても多いんですよね。
昨年度のさらに一つ前の年、最初の年に市内の企業に対象にしたアンケート調査を行いました。とにかくいろんな意見を吸い上げたいなと思ったので、たくさん質問項目を作ったんですけれども、その中でもとにかくいろんな悩みが挙がってきますね。
まずは、障害者雇用を全く考えていないわけじゃないんだけれども、何から始めていいのかわからないとか、交談も独自さえもどこに行ったらいいかわからないとか、そういうところからも悩みがありますし、
実際に雇用したらしたで、なかなか本人との対応の仕方がどうしたらいいのかわからないとか、人事サイドはいいと思って配置したんだけれども、現場で一緒に働く社員さん、従業員さんたちがどうやって対応したらいいかわからないとか、そういう悩みもたくさんありますし、何ヶ月かしていくうちにうまくいかなくなって、来なくなってしまった、辞めてしまった、どうしようとか、
それがトラウマになって、障害者雇用に二の足を踏んでしまうなと、ためらっちゃうなというお声もいただきましたし、いろんな悩みが上がってきたので、そういう悩みに全部答えられるわけではないんですけれども、少しでもそういった悩みを解消できるように、
こういったところに相談したらいいんじゃないですかとか、こんな事例がありますよとかっていうのを紹介できるだけでもだいぶ違うかなっていうふうに思います。
私自身も初めてその事業を立ち上げたので、障害者雇用に関しての知識がそんなにあったわけじゃないんで、自分も研修を受けたんですよね。
なので、そういったところで自分自身も知識を少し得ながら、その学んだことを、医療訪問の時に補足的にお話をさせていただくと、そういう視点があるんだというふうに言っていただけたりして、
だんだんとなんですけれども、間に入ることによって少しでも障害者雇用が進んでいくといいなというふうに思って取り組んでいます。
なるほど。雇用環境整備士の資格はどのタイミングで取られたんでしょう。この産業政策課に移動されてからのことでしょうか。
雇用環境整備士資格の取得
この資格を取ったのは、沢野行政センターに移動してからなんですけれども、そういう資格があるよっていうことを知ったのは、工業振興課にいた年のことだったんですね。
工業振興課というのは、今の産業政策課の前身の名称で、組織変更があって産業政策課という名前になっているんですけれども、
1年だけいた工業振興課のときに、そういう資格があるという情報を知って、その在籍していた1年間の中では取得する機会がちょっとなかったんですが、
自分でも気になっていた資格だったので、移動してからなんですが取りました。いつかまた就職支援とか雇用対策とかの仕事に戻りたいなという気持ちもあったので、
別の部署に移動した後だったんですけれども、学んでおきたいなと思って資格を取りました。
この資格の勉強とか、そこで学んだこととかっていうのは、具体的にどういうふうに、本の中にはたくさん書いていただいたと思うんですけれども、改めてどういうふうに生きていますか。
そうですね、雇用環境整備士って種類がいくつかありまして、私が持っているのは、1種と2種と3種、3つあります。今は種類は5つあって、その中の3つ持っているんですけれども、
第1種が育児者雇用と言って、子育てしながら仕事をしている方の雇用の部分ですね。第2種というのが障害者雇用で、第3種というのがエイジレス雇用という名前なんですけれども、年齢を問わない、どちらかというと高齢者雇用のようなイメージになりますかね。
それぞれ学んだことによって、育児している方、また障害のある方と一緒に働くとか、あとは今も定年延長とかも今年度から入ってきますので、一旦退職して再雇用になる方とか、そういった方と一緒に働く場面で、何も知らないよりは、知識がある程度あった方が、
やりやすいのかなというふうに自分では思います。
なるほど。じゃあ公務外の、さっきご経歴ご紹介したときに、いろいろご紹介させていただいたんですけれども、たくさん肩書きというか、ご活動されている内容があると思うんですけれども、
ぜひかいつまんで、それぞれの団体とかご活動についてちょっとご紹介いただければと思うんですけれども、まずこの地域に飛び出す公務員を応援する市長連合事務局というのは具体的にどういう団体になるんでしょうか。
はい、これはですね、公務界の活動、いろんなのあると思うんですけれども、それをまとめて地域活動という言い方をしていまして、
公務員が仕事以外の時間を使って、社会貢献や地域貢献、いろんな特技を活かして何か活動するとか、そういったことを推奨しましょうと応援していきましょうという、
首長さん、県知事や市町村長さんですね、そういった方々の有志の集まり団体が地域に飛び出す公務員を応援する首長連合というんですけれども、
首長さんたちが事務を直接やるわけではないので、事務局が必要だということで事務局がありまして、その事務局っていうのが、これもまた公務員の有志で作ってるんですよね。
これも全く公務外の活動なので、どこかから選抜されてとかいうわけでもなく、自分の意思で入っているものなんですが、ちょっといろいろと話が長くなってしまうのであれですけれども、
首長連合事務局に入る前に地域に飛び出す公務員ネットワークっていうメーリングリストがあるんですね。そのメーリングリストがあるっていうのを知って、そこに登録をしましたら、いろんな全国各地から公務員有志のいろんな活動している方々から歓迎のメッセージをいただいてですね。
いろんな情報交換をするようになったんですね。そうやっていくうちに、地域に飛び出す公務員を応援する首長連合サミットっていうのがあるよというご案内をいただきまして、来てみないかいって言われたんですね。
どんなものか全くわからなかったんですけれども、公務員の地域活動を応援する首長さんたちが一堂に会して、いろいろ議論を進められるということで、ちょっと試しに来てみたらみたいに言われて、それたまたま行くのが千葉県での開催だったんですけど、同じ関東地方なので、ギリギリ日帰りもできるし、ちょっと行ってみようかなと思って行ったところですね。
ちょっと事務局のメンバーを募集してるから入らないかって言われてですね、いきなりその場でお誘いを受けまして、冗談で言ってるのかなって最初思ったんですけど、事務局のメンバーの方々が、もうこの人入らしいよみたいな感じでどんどん話が出来上がっていってですね。
なんか私が帰る頃にはもう事務局に入るのがほぼ確定みたいなぐらいの流れになっていて、なんでこんな話になったかなと思ったんですけれども、自分が所属する市役所の企業を超えて、他の自治体の方々と一緒に活動する機会って必要だなと思ったので、やってみようかなという気持ちになって、
じゃあせっかくそうやって誘っていただいたので、事務局じゃあ私も入りますって言ってですね。
本当に日本全国各地の自分の意思で事務局のスタッフやってる方々ばっかりなんですよ。
仕事でやってるっていうのはもうほとんどいなくてですね。
本当に仕事終わった時間土日とか、今だとオンラインでミーティングとかして、いろいろ打ち合わせしてるんですけどね。
そういうもの。
そのサミットに初めて行った時にですね、関東地方ではあったんですけど、群馬県から参加してるの私だけだったんですよ。
意外とですね、私だけでですね、誰かいるかなと思ったらいなかったんですね。
そこにいらっしゃった、某市の市長さんとお話を直接させてもらった時に、ここに来たら群馬県の人がいるかと思ったんですけど、私一人だけでした。
そんな話をしたら、その方がそんなこと言ったらもったいないよって言われてですね。
せっかくこうやってね、わざと休みの日に全国からこんだけ人が公務員に集まってるんだから、寂しいとかっていうよりも、
あなたが群馬県の代表だっていうつもりでここに来たというふうに考えて、そんな人とつながりを持った方がいいんじゃないのって言ってくれたんですね。
自分のところの市長から言われたわけじゃない話なんですけど、
自分の任命権者からではない首長さんが、全然えもゆかりもなかった市公務員に、そんな言葉をかけてくれると感激しまして、
こういう場ってすごいなって思った。それでそれ以来事務局の方が続けています。
時系列的に言うと、どのかにおられたときに。
公務員のお仕事について
事務局に入ったのは介護サービス課ですね。
なるほど、じゃあ結構まだまだバリバリ、どちらかというと、対外的なお仕事っていうよりも町内でのお仕事が大半だった時期だったんですよね、この頃って。
そうですね、ただ介護サービス課に移動してから、公務外の活動を始めているので、
その移り変わりというか、本当に仕事だけだった時期から、そうではなくなったときの、その間の時期なんですね。
この辺りで、日本女性学習財団のキャリア支援デザイナーとか、そういう活動も始められたっていうことなんですね。
そうですね、仕事をずっと、仕事に本当に専念してやってきたんですけれども、
この介護サービス課に移動したちょうどそのタイミングぐらいで、ずっと自分の自治体の中だけで仕事をしていて、
なんだか自分が視野が狭くなっているんじゃないかなって、なんとなく思った時期がありまして、
他のところの人と話がしたいなとか、そんなことをなんとなく思い始めていたんですね。
それでそのサミットに行ってみたら、そんなお誘いも受けましたし、
ちょうどその介護サービス課に移動したタイミングぐらいが、市役所に入って20年目を経過した時だったんですよ。
それで20年経ったんだなっていう、ひとつ節目を迎えたっていう、自分で思って、
何かこの20年間のこの足跡を何か記録に残せるといいなと思って、
いろいろこのネットで探していたら、日本女性学習財団っていうところで、
レポートを募集していると。そのレポートっていうのは、何かの研究論文とかそういうことじゃなくて、
自分の今までの歩みだとかを書いて、これからどんなふうにしていきたいかとか、
そういったところを書けばいいというものだったんですね。ちょうど20年経ったところだったので、
じゃあこの20年を振り返って、何か書いてみようかなと思ったんですよ。
だからその書いた内容のほとんどは、国民健康保険課までの約20年間のほとんどの仕事をメインにやってきた部分ではあるんですけれども、
いろんな部署の中で、悩みもありながらいろいろ乗り越えてきたこととか、こんなことをやってきたよっていうものを書いてみたんですね。
そうしたところ、それが先行委員特別賞というのをいただけることになって、びっくりしましたね。
自分はレポートを提出したところでも満足してしまって、出したことも、その後の結果はあまり考えなかったんですけど、
特別賞を送ることになりましたって連絡が来まして、大変驚きとともにありがたい話だなと思ってですね。
それで表彰式に出席したんですね。東京の財団なんですが、その日本女性学習財団の雰囲気がとっても温かくて、
もう少しこの財団と関わってみたいなって思いました。その財団は男女共同参画だとか、
子ども事業の柱として持っている財団なので、キャリア支援とかっていうテーマで、
働くこととか仕事を続けるっていうことに、自分自身が子どもの頃から意味があるんじゃないかなと思ってきたことと、
財団の事業内容っていうのがリンクするような感じもありましたので、もうちょっと関わってみたいなと思っていたところ、
キャリア支援デザイナーっていうのは、養成講座がありますよっていう案内がその直後ぐらいにありまして、
じゃあこれに参加してみると、もう少しいろんな女性のキャリア支援だとか、そういったところにも学ぶことができるのかなっていう風に思って、
その養成講座を受けて、それからキャリア支援デザイナーっていう、登録制なんですけど、そういった活動も始めました。
そろそろお時間なので、ぜひ最後に、そのレポートで書いた内容っていうのがすごく気になるんですけれども、
それからも受賞されてからもう9年ぐらい、8年9年ぐらい経っておられると思うんですが、
キャリア支援デザイナー活動の始まり
その後の8年9年も含めて、改めて公務員としてのキャリアを振り返って、
ぜひ改めて公務員の魅力とか、公務員として今回のテーマであるリスキリング、学び直しているんでしょうか。
自分なりに知識を改めてつけ直していって、自分のキャリアを切り開いていくみたいなことについて、
ぜひ聞いている方にメッセージというか、改めてそういうところを振り返りながら、最後まとめていただけると嬉しいんですけれども。
はい、わかりました。
そうですね、私の場合は色々、仕事を取り組みながら、今度はその内容を深掘りしていったり、
さらに足りないところがあれば、自分で勉強をしたり、資料を集めたり、ネットで調べたり、色んなことをしながら、
学びを深めてきたかなというふうに、自分では思います。
次はこれが必要なんじゃないかなって、自分で何か思ったことは、先取りして勉強するように、特に最近なんですが、しています。
そうすると、何となくそれに関わるタイミングがやってくるんですよね。
本当にそういう運命的な感じでも感じてまして、
なので、なるべく自分としては、これ嫌だなというふうに思わないで、何でもやってみるというスタンスでいましたし、これからもそういうふうにしていこうかなと思います。
いろんなことを経験して、前向きに考えて取り組んでいくと、
これが直接役に立たなかったとしても、別なことでも応用がきくようになるなというふうに自分では実感しているので、
これ初めてだからできないとかどうしようじゃなくて、あの時の経験がもしかしたらこれ活かせるかもっていうふうに、なるべく考え方を
前向きに捉えるように自分はしています。
そんなふうにやっていくと、だんだんと自分のキャリアも次に次にと繋がっていくのかなというふうに思います。
最初はそんなことは全然考えずに無我夢中でやってきた年数の方が多かったなと思うんですけれども、だんだんとこうして振り返ってみると、
過去にやったこと、経験したことが次に繋がって、それでまたそこでやっていくと、次にまたそれが繋がっていくっていうふうに、
なんとなくそんな風な流れが自分らに見えてきたかなっていうふうに思います。
特に今やっている担当している障害者雇用に関しては、
私の親戚のおじさん、おじがですね、障害を持ってたっていうこともありまして、
障害のあるなしに関わらず、やっぱり生きがいややりがいを持って仕事をしたり生きていくっていうふうな社会がいいなというふうに思っているので、
なんとなくこの今までのこの、
仕事の経験、地域活動の経験を通して、そういうことをこの仕事としてできるようなタイミングに自分がなってきたのかなというふうに実感をしています。
この4月からですね、私の職場に障害のある方が採用になりまして、一緒に仕事をする機会ができたんですね。
公務員から福祉現場の仕事に転身するまでの経緯
これも私が去年のうちからも実はすごい願ってたことで、
やっぱり市内の企業さんを訪問してお話を与度していくわけですけれども、
学んだ知識を言うだけよりも、一緒に働いた経験があると、より実感を持ったことをお話しできるので、
本当に一緒にね、その障害のある方と働くことを通して、自分自身のスキルが上がって知識が蓄積されて、
今までよりも悩みを持った企業の方々に参考になるお話ができるようになるんじゃないかなというふうに思ってですね、
日々の仕事を頑張りたいなと思います。
はい、ありがとうございます。すごいですね。複線回収みたいな最後のジョークやりましたけど、
でも本当、支援するイベントではなくて、当事者にもなってみるという機会は意外と少ないのかもしれないですよね。
やっぱりいろいろサポートとかする、支援とかするっていう機会はたくさんあっても、
自分がそういう側になるみたいな機会って意外とそんなに多くなかったりするのかもしれないなと思って、
今のはすごく刺激的なお話じゃないかなと思いました。昭和さん、最後いかがでしょう。
はい、ありがとうございます。
そうですね、公務員だからこそ関われるっていうような方だったり、関われる仕事があったりということで、
そういう機会を逃さずに、大橋さんはいろいろなことに挑戦しているというところですごいなと思いましたし、
これからもそのような機会を逃さない大橋さんであってほしいなということで、
私も見習って自分の業務にも人生にも活かしていきたいなと思いました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
お時間になりましたので、今日のトークはここまでとさせていただきます。
障がい者の就労支援に取り組む大橋さんの取り組み
本日のゲスト、大橋志穂さん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
よろしくお願いいたします。
次回も素敵なゲストをお招きしますので、お楽しみに。
それではさようなら。
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