【佐藤】沢野さん、年度新しく始まりましたが、異動などはあったんですかね?
【沢野】異動はありませんでした。
【佐藤】異動なかったということで、継続ということで。
【沢野】はい、そうですね。
【佐藤】今はどんな、ありがとうございます。どんなお仕事をされてますか?
【沢野】今現在ですか?
【沢野】はい、そうですね。
【佐藤】今現在ですね、昨年度に引き続いて障害者雇用創出事業を担当しています。
【沢野】雇用創出事業担当ということで、具体的にはどんな仕事内容になるんですかね?
【佐藤】はい、これは私が残業政策課に移動してきてから新しく立ち上げた事業になるんですけれども、
例えばですね、大田市内の企業さんに向けて障害者雇用を啓発する事業ですね。
例えば啓発セミナーを開催したり、
あとはハローワークさんや群馬県庁の担当の方と一緒に企業さんを訪問して、障害者雇用の進め方をお話ししたり、
その中で企業さんの方から質問などが出た時にはそれにお答えしたりしています。
【沢野】市役所の仕事の中でも、あまり聞かない県の職員とか、あとは国の職員と一緒に仕事をされているということを今お聞きしましたが、
その中で市の職員の役割というのは具体的にどんな役割になっているんですかね?
【上杉】そうですね。県やハローワークさんは、もちろん専門的に障害者雇用を進めるにあたっての支援機関でなっているわけなんですけれども、
市役所は身近な行政機関ですので、
県やハローワーク、もともと存在している支援機関だけでは足りない部分というのが、企業さんを訪問してみると出てくるんですね。
そういったところを補ったりしています。
【佐藤】現在の産業政策課に移られるまで、結構様々な部署を点々とされてきたと思うんですけれども、
まずそもそも公務員の仕事に疲れようと思ったきっかけというところあたり、振り返って教えていただけますか?
【上杉】職業として公務員を選んだ理由なんですけれども、
まず一つ目が、できるだけ長く働いていたいという気持ちがありました。
それは私の両親が共働きだということもありまして、男女関係なく働くのが当たり前だというふうに思いながら育ってきましたので、
そういった2人とも働いている家で育ったので、
まずはできるだけ長く仕事を続けられる環境にあるのは公務員かなというふうに自分なりに考えて選びました。
あとはもう一つは、民間企業と公務員というのを比べたときに、自分としては公共的な仕事っていうんでしょうかね。
そういった仕事の方が自分には合っているのではないかなと思って選びました。
【佐藤】最初に着任されたのがこれが財政課ということで、
さっき申し上げたご経歴の中でそうなってますけれども、最初のお仕事が財政課だったんでしょうか?
【上杉】そうですね、最初が財政課でした。
【佐藤】着任されて財政課、具体的にどういうお仕事に従事されたんでしょうか?
【上杉】そうですね、財政課というところで大きく言うと市の予算編成ですね。
【佐藤】最初のお仕事としてはいかがでしたか?
【上杉】財政課というのは、この予算を通して市役所の事業のいろんなことを知ることができますので、とても良かったと思います。
広く浅くなるんですけれども、予算の事業の名称を通して、市はこんなことをやってるんだなということを幅広く理解することができたなと思っています。
【佐藤】この財政課には何年ぐらいいらっしゃったんですか?
【上杉】財政課には4年間いました。
【佐藤】なるほど。その後、水道総務課、国民健康保険課ってずっと行かれましたけれども、このあたり、キャリアの編成の中で印象に残っているお仕事とか、この間では結構大変なお仕事が多かったな、みたいな思い出って何かあったりしますか?
【上杉】そうですね、それぞれの部署で移動してきた部署のそれぞれで、いろんな経験と思い出がありまして、
水道総務課では公益業会計の財務っていうんでしょうかね、それを中心に担当しました。
そういったものは全く初めての経験で、福祉武器っていうんでしょうかね、それを初めてそこで実践したんですけれども、
移動していった時は、そんな福祉武器なんて知らないし、仕分けっていうのも自分で考えたりとかできるんだろうかということで、非常に不安ではあったんですけれども、毎日毎日やってるうちにできるようになってきまして、
むしろこの6年経つ頃には、ずっとこの仕事したいなって思って楽しかったですね。
水道総務課の中では、官の名称としては水道総務ってついてますけど、実質的には結構会計的なお仕事が多かったっていうことですか。
そうですね。水道総務課の中に財務係というのがありまして、そこの所属配置だったので、本当に経理、財務処理ですね。それを本当にずっとやってました。
なるほど。私も今までディスクリーニングラジオのゲストの方のいろんなキャリアの変遷は伺ってきたんですけど、この移動が決まる時っていうのは、例えば今おっしゃった会計の仕事につくっていうのは、
そうですね、そちらの資格は特に取らなかったですね。
同期を取ってみようかなって思ったこともあったんですけど、なかなか時間も取れずに、資格を取るには至らなかったです。
毎日毎日、特に水道総務官のときは、最初の1年が水道局の収入支出の電費を全部私が作るっていう、そんな感じだったので、毎日毎日電費を作って、ピンパンチャーみたいにもやってたんですよね。
それをやっていたら、不思議な仕分けも自分で考えられるようになって、
国民健康研究会や介護サービス課でも、日々の業務をする中で、何かわからないことがあると自分で調べて、
資料も自分で、いろんな計算方法とかいろんなものも自分で解読しながら資料を作ったり、いろんなデータを自分で取ってガタグ作ったりとか、業務に迫られてやってたので、
それを夢中で毎日毎日やっていったら、身に着いたというか、できたというところかなと思います。
これってやっぱり最初に財政担当課になった経歴っていうのがすごい生きてきてるのかなと思ってて、
一般的に市役所って財政担当課ってすごいハードな部署だと思うんですよ。
それを最初の4年間で、当たり前みたいな形で身に染みて身に着けたものが、それが他の部署に行っても身に着けた体制があるから、自分で調べたりっていう習慣がついたのかなと思うんですけど、
財政課ってやっぱり大変だったんじゃないですか。
そうですね。とにかく残業が多い職場で有名ですから。
今は少しね、私がいたときよりは残業も全体的に減ったかもしれないんですけど、
自分がいた当時は、予算の要求書の金額の入力だとか、そういうのみんな財政課の職員がやっていて、とにかくアナログの作業がとっても多かったんですね、今と比べると。
はい、そうですね。
いろんな県とかからも調査もたくさん来ますし、
とにかく、何も分からない1年目からそういうとこだったんですけど、
自分はすごい恵まれていたなと思うのが、前の先輩や上司がすごいできる人たちばっかりですね。
とても人の成長っていうのを後押ししてくれる人たちばっかりだったんですね。
だからそういういろんな経験を積むっていう機会をたくさんくれました。
そういうのもとても大きくて、いろんな経験がそこで詰めたり、
私がいた当時は、まだまだ女性職員の仕事っていうのを限られていたんですけど、
今では考えられないような感じですが、一人で執著に行くってこともなかったんですよ。
私の場合は、もうこういう予算編成とかにも関わるんだから、どんどん行きなさいっていうふうに上司も言ってくれましたし、
先輩たちもどんどん行って行ってっていう、そういう雰囲気だったんで、
すごい先輩たちの背中を見ながら、普段の行動の、他の部署とのやり取りの様子なんかを近くで学ばせてもらいながら、
行政センターの方でも、どっちかと言えば障害学習授業っていうんでしょうかね。講座を組んだりとか、そういうことを主にやってました。
この辺りから今に繋がるようなお仕事になってきていると思うんですけど、さっきおっしゃった働き方に関わりたいみたいなことっていう思いは、どういうきっかけで膨らんできたんでしょうか。
これは先ほどお話をしたように、両親が共働きだったので、働くっていうことの意味っていうのを、中学生、高校生ぐらいからそこでなんとなく考えていって、市役所に入って、
一番今の仕事に深く関わっているのは、国民健康研会での9年間なんですけど、この中で窓口対応などしながら、いろんな背景を持った方々の対応をしました。
生活が苦しいとかに始まり、自分の体調が悪くなって仕事を辞めざるを得なかったとか、出産を機に仕事を辞めたとか、育休の制度はあるんだけれども、今までの仕事の仕方だと育児と両立ができないから転職を考えてますとか、
転職しましたとか、とにかくいろんな事情のある方々の対応を窓口で受けまして、この中で、例えば育休の制度があったとしても、会社を辞めてしまってということは残念だなっていう、私は話を聞くとそう思うんですけれども、
何かですね、その人が仕事を辞め、会社を辞めずに住む方法ってなかったのかなっていうのを漠然と考えるようになってきたんですね。
そういうところで、働き方であったりとか、今コロナの影響でだいぶ広がったテレワークだとか、そういった今までとは違う働き方ができていたら、その人はもしかしたら仕事を辞めずに住んだのではないかなっていうふうに、
何とこの窓口業務を通して考えるようになりましたね。
国保の後の介護サービス課でも窓口対応していると、親御さんの介護の手続きのために会社を休んで手続きにいらっしゃる方々がいるんですね。
親御さんの体の状態などを聞くと、日々のいろんな悩み事とかも合わせてお話をされていくので、これはもう親の介護となったら仕事との両立っていうのもなかなか厳しいものがあるなっていうふうに思うようになって、
ますます働き方や雇用環境っていうのは大事なんだなっていうのをだんだんと意識するようになりました。
大橋さんのお仕事の範囲で変えられるようなことと、やっぱりどうしてももっと国レベルとかの支援が必要なところってすごく難しい問題だと思うんですけれども、
やっぱり大橋さんのお仕事の中で変えられるところっていうのはたくさんあるなっていうふうに思われますか。そういう実感って今お仕事されてて終わりですかね。
そうですね、まだ新しく立ち上げた事業なので、まだ手探りでやっているような感じではあるんですけれども、昨年度は市内の企業さんに向けた啓発セミナーを2回開催しました。
オンラインなんですけれども開催しまして、その中でやっぱり参加してくださった企業さんからはアンケートの結果の中から見ると、免許になりましたとか、障害者雇用に対して意識が変わったとか、そういった意見もいただいていますし、
もともと県ですとかハードワークとか障害者雇用に関する事業って当然やってはいるんですけれども、雇用側の企業さんって悩みがとっても多いんですよね。
昨年度のさらに一つ前の年、最初の年に市内の企業に対象にしたアンケート調査を行いました。とにかくいろんな意見を吸い上げたいなと思ったので、たくさん質問項目を作ったんですけれども、その中でもとにかくいろんな悩みが挙がってきますね。
まずは、障害者雇用を全く考えていないわけじゃないんだけれども、何から始めていいのかわからないとか、交談も独自さえもどこに行ったらいいかわからないとか、そういうところからも悩みがありますし、
実際に雇用したらしたで、なかなか本人との対応の仕方がどうしたらいいのかわからないとか、人事サイドはいいと思って配置したんだけれども、現場で一緒に働く社員さん、従業員さんたちがどうやって対応したらいいかわからないとか、そういう悩みもたくさんありますし、何ヶ月かしていくうちにうまくいかなくなって、来なくなってしまった、辞めてしまった、どうしようとか、
それがトラウマになって、障害者雇用に二の足を踏んでしまうなと、ためらっちゃうなというお声もいただきましたし、いろんな悩みが上がってきたので、そういう悩みに全部答えられるわけではないんですけれども、少しでもそういった悩みを解消できるように、
こういったところに相談したらいいんじゃないですかとか、こんな事例がありますよとかっていうのを紹介できるだけでもだいぶ違うかなっていうふうに思います。
私自身も初めてその事業を立ち上げたので、障害者雇用に関しての知識がそんなにあったわけじゃないんで、自分も研修を受けたんですよね。
なので、そういったところで自分自身も知識を少し得ながら、その学んだことを、医療訪問の時に補足的にお話をさせていただくと、そういう視点があるんだというふうに言っていただけたりして、
だんだんとなんですけれども、間に入ることによって少しでも障害者雇用が進んでいくといいなというふうに思って取り組んでいます。
なるほど。雇用環境整備士の資格はどのタイミングで取られたんでしょう。この産業政策課に移動されてからのことでしょうか。
なるほど。じゃあ公務外の、さっきご経歴ご紹介したときに、いろいろご紹介させていただいたんですけれども、たくさん肩書きというか、ご活動されている内容があると思うんですけれども、
ぜひかいつまんで、それぞれの団体とかご活動についてちょっとご紹介いただければと思うんですけれども、まずこの地域に飛び出す公務員を応援する市長連合事務局というのは具体的にどういう団体になるんでしょうか。
はい、これはですね、公務界の活動、いろんなのあると思うんですけれども、それをまとめて地域活動という言い方をしていまして、
公務員が仕事以外の時間を使って、社会貢献や地域貢献、いろんな特技を活かして何か活動するとか、そういったことを推奨しましょうと応援していきましょうという、
首長さん、県知事や市町村長さんですね、そういった方々の有志の集まり団体が地域に飛び出す公務員を応援する首長連合というんですけれども、
首長さんたちが事務を直接やるわけではないので、事務局が必要だということで事務局がありまして、その事務局っていうのが、これもまた公務員の有志で作ってるんですよね。
これも全く公務外の活動なので、どこかから選抜されてとかいうわけでもなく、自分の意思で入っているものなんですが、ちょっといろいろと話が長くなってしまうのであれですけれども、
首長連合事務局に入る前に地域に飛び出す公務員ネットワークっていうメーリングリストがあるんですね。そのメーリングリストがあるっていうのを知って、そこに登録をしましたら、いろんな全国各地から公務員有志のいろんな活動している方々から歓迎のメッセージをいただいてですね。
いろんな情報交換をするようになったんですね。そうやっていくうちに、地域に飛び出す公務員を応援する首長連合サミットっていうのがあるよというご案内をいただきまして、来てみないかいって言われたんですね。
どんなものか全くわからなかったんですけれども、公務員の地域活動を応援する首長さんたちが一堂に会して、いろいろ議論を進められるということで、ちょっと試しに来てみたらみたいに言われて、それたまたま行くのが千葉県での開催だったんですけど、同じ関東地方なので、ギリギリ日帰りもできるし、ちょっと行ってみようかなと思って行ったところですね。
ちょっと事務局のメンバーを募集してるから入らないかって言われてですね、いきなりその場でお誘いを受けまして、冗談で言ってるのかなって最初思ったんですけど、事務局のメンバーの方々が、もうこの人入らしいよみたいな感じでどんどん話が出来上がっていってですね。
なんか私が帰る頃にはもう事務局に入るのがほぼ確定みたいなぐらいの流れになっていて、なんでこんな話になったかなと思ったんですけれども、自分が所属する市役所の企業を超えて、他の自治体の方々と一緒に活動する機会って必要だなと思ったので、やってみようかなという気持ちになって、
じゃあせっかくそうやって誘っていただいたので、事務局じゃあ私も入りますって言ってですね。
本当に日本全国各地の自分の意思で事務局のスタッフやってる方々ばっかりなんですよ。
仕事でやってるっていうのはもうほとんどいなくてですね。
本当に仕事終わった時間土日とか、今だとオンラインでミーティングとかして、いろいろ打ち合わせしてるんですけどね。
そういうもの。
そのサミットに初めて行った時にですね、関東地方ではあったんですけど、群馬県から参加してるの私だけだったんですよ。
意外とですね、私だけでですね、誰かいるかなと思ったらいなかったんですね。
そこにいらっしゃった、某市の市長さんとお話を直接させてもらった時に、ここに来たら群馬県の人がいるかと思ったんですけど、私一人だけでした。
そんな話をしたら、その方がそんなこと言ったらもったいないよって言われてですね。
せっかくこうやってね、わざと休みの日に全国からこんだけ人が公務員に集まってるんだから、寂しいとかっていうよりも、
あなたが群馬県の代表だっていうつもりでここに来たというふうに考えて、そんな人とつながりを持った方がいいんじゃないのって言ってくれたんですね。
自分のところの市長から言われたわけじゃない話なんですけど、
自分の任命権者からではない首長さんが、全然えもゆかりもなかった市公務員に、そんな言葉をかけてくれると感激しまして、
こういう場ってすごいなって思った。それでそれ以来事務局の方が続けています。
時系列的に言うと、どのかにおられたときに。
そうですね、ただ介護サービス課に移動してから、公務外の活動を始めているので、
その移り変わりというか、本当に仕事だけだった時期から、そうではなくなったときの、その間の時期なんですね。
この辺りで、日本女性学習財団のキャリア支援デザイナーとか、そういう活動も始められたっていうことなんですね。
そうですね、仕事をずっと、仕事に本当に専念してやってきたんですけれども、
この介護サービス課に移動したちょうどそのタイミングぐらいで、ずっと自分の自治体の中だけで仕事をしていて、
なんだか自分が視野が狭くなっているんじゃないかなって、なんとなく思った時期がありまして、
他のところの人と話がしたいなとか、そんなことをなんとなく思い始めていたんですね。
それでそのサミットに行ってみたら、そんなお誘いも受けましたし、
ちょうどその介護サービス課に移動したタイミングぐらいが、市役所に入って20年目を経過した時だったんですよ。
それで20年経ったんだなっていう、ひとつ節目を迎えたっていう、自分で思って、
何かこの20年間のこの足跡を何か記録に残せるといいなと思って、
いろいろこのネットで探していたら、日本女性学習財団っていうところで、
レポートを募集していると。そのレポートっていうのは、何かの研究論文とかそういうことじゃなくて、
自分の今までの歩みだとかを書いて、これからどんなふうにしていきたいかとか、
そういったところを書けばいいというものだったんですね。ちょうど20年経ったところだったので、
じゃあこの20年を振り返って、何か書いてみようかなと思ったんですよ。
だからその書いた内容のほとんどは、国民健康保険課までの約20年間のほとんどの仕事をメインにやってきた部分ではあるんですけれども、
いろんな部署の中で、悩みもありながらいろいろ乗り越えてきたこととか、こんなことをやってきたよっていうものを書いてみたんですね。
そうしたところ、それが先行委員特別賞というのをいただけることになって、びっくりしましたね。
自分はレポートを提出したところでも満足してしまって、出したことも、その後の結果はあまり考えなかったんですけど、
特別賞を送ることになりましたって連絡が来まして、大変驚きとともにありがたい話だなと思ってですね。
それで表彰式に出席したんですね。東京の財団なんですが、その日本女性学習財団の雰囲気がとっても温かくて、
もう少しこの財団と関わってみたいなって思いました。その財団は男女共同参画だとか、
子ども事業の柱として持っている財団なので、キャリア支援とかっていうテーマで、
働くこととか仕事を続けるっていうことに、自分自身が子どもの頃から意味があるんじゃないかなと思ってきたことと、
財団の事業内容っていうのがリンクするような感じもありましたので、もうちょっと関わってみたいなと思っていたところ、
キャリア支援デザイナーっていうのは、養成講座がありますよっていう案内がその直後ぐらいにありまして、
じゃあこれに参加してみると、もう少しいろんな女性のキャリア支援だとか、そういったところにも学ぶことができるのかなっていう風に思って、
その養成講座を受けて、それからキャリア支援デザイナーっていう、登録制なんですけど、そういった活動も始めました。
そろそろお時間なので、ぜひ最後に、そのレポートで書いた内容っていうのがすごく気になるんですけれども、
それからも受賞されてからもう9年ぐらい、8年9年ぐらい経っておられると思うんですが、