性格診断で自分が分からなくなる仕組み
ゴールの錯覚。 それは本当に現実なのか? それとも今のあなたにはそう見えているのか?
今日も一つ、自分の認知を紐解いていきましょう。 おはようございます。フユコです。
さあ前回は、他人の言葉を自分の考えだと思っていない? という話をしました。
本で読んだ言葉、講座で教わった考え方、
誰かの発信で知った知識、 それらを知っているということと、自分で理解していることは同じではない。
そんなお話でした。 では今日はその続きです。
皆さんは、自分のことをもっと知りたいと思って何かを学んだ経験はありませんか?
自己理解の本を読んだり、性格診断を受けたり、 心理学やコーチングを学んだり。
最初は、ああ、そういうことだったんだ。 新しい発見があって面白い。
ところが、学べば学ぶほど、 私って結局どんな人間なんだろう。
どれが本当の自分なんだろう。 かえってわからなくなってしまう。
今日はそんなお話です。 例えばね、ある人が自分のことをもっと知りたいなぁ。
そう思って、性格診断を受けたとします。 診断結果には、
あなたは周囲との調和。 調和を大切にするタイプです。そう書かれていました。
それを知って、ああ、確かにそうかもしれない。 そう思った。
ところが、別の診断を受けてみると、今度は、
あなたは独立心が強く、 自分の意思を大切にするタイプです。
そう書かれていました。 そうすると、
え?どっちが本当の私なんだろう。 わからなくなってきました。
さて、ここで何が起きているのでしょうか。 少し考えてみてください。
診断を受ける前、 その人にはすでに日常生活がありました。
誰かと意見が違っても、 相手に合わせることがあった。
一方で、 自分が大切にしたいことについては、譲らないこともあった。
どちらもその人が実際にしてきたことです。
ところが診断結果を知ったことで、 私はどちらのタイプなのか、という問いが生まれた。
そして、自分の経験を振り返るよりも、 どちらの説明が自分に当てはまるのかを考え始めた。
ここが今日のポイントです。
自分を理解するために手に入れた知識が、 いつの間にか自分を分類するための基準になっているということです。
もちろん、尖閣診断が良いとか悪いとか、 そういう話ではないです。
自分では気づかなかった特徴に気づくきっかけになることもあります。
ただ、診断結果は自分を理解するための一つの情報です。
その結果に自分自身を合わせなければいけないわけではありません。
例えば、私は人に合わせるタイプなんだ、 そう思った人がいたとします。
だけどある日、友人からの誘いを断った。
そうすると、「あれ?私は人に合わせるタイプのはずなのに、 本当の私はどっちなんだよ?」
そう悩んでしまう。
知識に自分を当てはめる危険
でもそもそも、人に合わせることもあれば、断ることもある。
それだけのことかもしれませんよね。
ところが、「私はこういうタイプであるはずだ。」 という知識を先に置くと、
実際の自分の行動、これがその説明と一致しているかどうかを確認し始めます。
つまり、自分を観察するのではなくて、 知識に自分を当てはめようとしているということです。
これはね、自己理解の勉強でも起こります。
例えば、「人の評価を気にするのは他人軸。」 という考え方を学んだとします。
そうすると、誰かに褒められて嬉しかった時に、
「ああ、私まだ他者評価で他人軸なんだな。」 そんな風に思う。
誰かに否定されて落ち込んだ時も、
「ああ、また他人軸になってるな。」 そんな風に思う。
でもここで見たいのは、褒められた時に何が嬉しかったのか、
否定された時に何を受け取ったのか、
その出来事の中で自分は何を考え、 何を判断したのかということですよね。
ところが、他人軸か自分軸かという分類に意識が向いてしまうと、
自分に起きている具体的なことが 見えなくなってしまう場合があります。
そして、「まだ私は他人軸なんだ。 もっと学ばなきゃ。もっと自分を理解しなきゃ。」
と次の知識を探し始める。
そして新しい知識を得る。
その知識で自分を判定する。
当てはまらないところが出てくる。
また新しい知識を探す。
こうして知識は増えていくのに、
当の自分が何を考え、どのように判断しているのか、
これは分からないまま、そんなことが起きるんです。
知識を使って具体的な出来事を読み解く
ここで一つ整理してみますね。
知識を増やすことと自分を理解することは同じではありません。
知識は物事を見るための道具になります。
でもその道具を使って実際に何を見たのか、そこが大切なんですね。
例えば、事実と解釈が違うという知識を学んだ。
では昨日、友人から返信が来なかった時、
自分は何を事実として受け取っていたのか、
そこにどんな解釈を加えていたのか、
そしてその解釈によってどのような行動を選んだのか。
こうして具体的な出来事を見ていくことで、
知識が自分を理解するために使われます。
でも、私は事実と解釈を分けられる人間なのかという問いに変わってしまったら、
また自分を判定する話になりますよね。
この違い伝わるでしょうか。
ゴールの概念を新しい正解にしない
そしてこれは、この先ゴールを学ぶ時にも関係してきます。
ゴールとは何か。
Want to とは何か。
Comfort zone とは何か。
こうした概念を学ぶことは大切です。
でも、知識が増えたことで、
私のゴールはこれ合っているのかな、
これは私のWant to に当てはまるのかな、
私はまだコンフォートゾーンから出られていないのかな、
って自分を判定することばかりに意識が抜いてしまったら、
学んだ知識によって自分の認知を理解するどころか、
新しい正解を探し始めているのかもしれません。
知識から自分を決めず、現実を観察する
だから今日も、もっと勉強しましょうっていう話ではありません。
反対に、勉強するのはやめましょうっていう話でもありません。
今日見てほしいのは、
自分はこの知識を使って何を見ようとしているんだろうということです。
自分に実際に起きていることを理解しようとしているのか、
それとも、その知識に自分が当てはまっているかを確認しようとしているのか。
例えば、何か新しいことを学んだ時、
私はどのタイプなんだろう、
そう考える前に、
自分の日常ではどのような時にこの現象が起きているだろう、
そう考えてみます。
知識から自分を決めるのではなく、
自分に起きた出来事を知識を使って読み解いてみる。
今日持って帰ってほしいのは、
知識が増えることと自己理解が深まることは別ですということです。
自分を理解するというのは、
自分にぴったり当てはまる説明を見つけることだけではありません。
自分が何を見て、何を考え、何を基準に判断しているのか、
それを具体的に知っていくということでもあります。
ここまで第2章では、
どうしたい?に答えられない理由、
正解を教えてもらいたくなる理由、
他人の評価を自分自身の事実として受け取ってしまうこと、
そして誰かから受け取った基準や知識を使って自分を判断していること、
そんなお話をしてきました。
最後に一つ、
自分を理解しようとすること自体が正解探しになっているとしたら、
次回第16話は、
自己理解まで正解探しになっていませんか?です。
第2章の最終話です。
自分を知ろうとしているのに、
なぜ自分で決められなくなるんでしょうか?
ここまでのお話をつなげながら読み解いていきます。
それでは。