【ふてはなDM】とは、悩める若手ビジネスマンへ、経営者の島田徹が直球メッセージをお届けするコーナーです。
今回のテーマ「スタートアップ期、拡張期のオフィスはどうあるべきか?~その1」です。
ぜひ、お聴きください!
▼代表取締役社長:島田徹
------------------------------------------------------
▼お便りメール
メッセージをお待ちしております!
------------------------------------------------------
▼株式会社プラムザ のホームページ
システム開発などでお困りの事があればお問合せ下さい。
------------------------------------------------------
▼𝕏アカウント
『♯ふてはな 』で番組の感想、ご意見、質問など、ポストしてくれた投稿には返信することもあるのでぜひフォローお願いします!
------------------------------------------------------
サマリー
このエピソードでは、スタートアップ期や拡張期におけるオフィスの必要性や配置について議論されています。特に、プラムザの移転の経緯や、オフィスの規模と人員増加がもたらす影響に焦点が当てられています。
スタートアップ期のオフィス
ふてはなDM。この番組は全国の悩める若きビジネスマンに向けて、私、島田徹徹が本音で語る直球メッセージをお送りします。
今日からしばらく、たぶん2、3回の連続したテーマになるかと思うんですけども、スタートアップ期、拡張期のオフィスはどうあるべきかという話をしたいと思います。
プラムザは30年近く社歴がありまして、その都度各ステージごとにオフィスを変えてきていったので、これから会社を作っていこうかなという人とか、
もう作ってるんだけど、今後どうしていこうかなみたいな人に少しでも参考になればと思ってお話をしてみたいと、
この深夜の2時半に話そうかなと思ってます。
最近ちょっと開発をずっとやってて、夜中にならないと自由な時間がなかったりして、なかなかしんどい50半ばになりまして。
プラムザは何回引っ越したのかなっていう、途中いろいろと変遷があったので、全部合わせると9回ぐらい移転してるんですよね。
全部いちいち説明してると、単なる思い出話になってしまうので、あんまり皆さんの参考にならないところはさらさらと終わらせて、参考になりそうなところだけ詳しくお話したいなと、そんな風に思ってます。
まず会社作ってですね、一番初めは受託とか実家とかその辺でやってたんですよね。その辺の話は別にいいでしょ。
で、その後ですね、やっぱり会社作って、何のために会社作ったかっていうと、人を雇いたいなっていうのと、お客さんが来ても恥ずかしくないようにっていう風に思ってたんで、人が呼べるところ、人が集まれるところっていう意味でオフィスを持たなきゃなっていう感じですね。
で、小田急線のゆえゆえ部屋っていうところにオフィスを構えたんですよね。それは広さ的には10坪で、窓を開けると小田急線の高架のコンクリートが見えるっていうところですね。結構うるさいですね。
小田急線って静かな電車なんですけども、さすがに真横なんで電車が通るとかなりうるさいという感じですね。ただ窓閉めてればなんとか二人で話してると一緒に止まらないといけないっていう。
このゆえゆえ部屋の辺って線路が6本ぐらい走ってるんですよね。遠くのところを走ってる分には良いんですけど、すぐ横のところを電車が通るとめっちゃうるさいんですよね。そういうところにオフィスを構えまして、10坪で10万円です。これ結構安いじゃないですか。
後からだんだん上がっていって、欲も増えていって目も凍えていって、良いところ良いところってなってくると、だんだん坪段下って上がっていって、2万3万4万って上がってきますからね。私は4万とかって言ったことないですけども、そこのはじめのオフィスは坪段下1万円なんで、1万円弱か。めっちゃ安いですよね。
2階だったんですけど、階段しかなくてですね。細い階段上がっていって、鉄の重たい扉を開けると、本当に正方形のオフィスがあって、トイレはもちろん男女兼用の一つしかなくて。
ただまあ、自分で28かなの時に、そこでオフィスを構えて嬉しかったですね。やっぱり皆さん、会社やってみたら、一国一条の主だとかって言うじゃないですか。そういう感じですよね。確かうちの兄貴なんかも来てくれてですね、すごいねって言ってくれたと思うんだよね。
ただですね、机を3つ並べて、プリンターとか電子レンジとかそういうの置いたらもう一杯一杯なんですよね。お客さん来た時に打ち合わせするようなところもないし、手狭になりましたね。
すぐ手狭になったので、そこから移転して同じ駅の十五坪ぐらいのところを借りたと。そこは電車の真横とかって言うんじゃないんですけど、駅から近くてですね、ただマンションなんですよね。木造じゃないですけど、鉄筋工具じゃなくて軽量鉄骨みたいなやつですかね。
だから上の足音がビンビン伝わってくるみたいなね。そういう感じのところでしたけど、そんなのあんまり関係ないですからね。そこで十五坪ぐらい広くなってですね、そこに中古のオフィス家具屋さんで買ってきた机をガンガン並べてですね、どんどん人増やしていった感じですね。
あの頃はですね、非常にITバブルもあってですね、受託化やすも非常に景気良くてですね、人どんどん増えてきましたね。
そのうちですね、サーバーを預かるようになって、昔は今のようにAWSとかなかったので、コンプレでサーバーを建てるか、あるいはアウジングってやつですかね、サーバーを買ってですね、それをデータセンターに置かせてもらうとか、そういうことをやったりですね、自由にやろうと思うとそういうことをやるぐらいしかなくてですね。
その中でもですね、お客さんの中には高いと、ちゃんとしたデータセンター高いっていうことを言われまして、じゃあうちで預かりますよって感じで、郵政の改正を引いてですね、そこでサーバー建ててあげたんですよね。
そしたらたくさんですね、サーバー預かるようになって、どんどん手狭になっていったという感じですね。15坪だったんですけど、人が6人ぐらいか、それと会議スペースとサーバーを少し預かっていたんですけど、それ以上とても入らなくなったんで、
上の階をですね、借りて借り出して増床してですね、そっちをパーティションで区切ってサーバールームを作って、会議スペースを作って、あとはダーツを置いたりしてですね、その頃からだんだんですね、
エンジニアを楽しく過ごさせてあげようみたいな、そういう日本全体がですね、世界全体がお金をかけて、そういう福利構成というかゲームとかですね、そういうのにお金をかけてエンジニアを集めようみたいなね、そんな風潮がだんだん蔓延していきましてですね、人を囲いだせるようになってきちゃいましたからね。
増床して、マッサージシェアとかもやってですね、人を集めていったという感じですね。14、5になりましたかね。
ただその時にですね、Dマンショックっていうのが起きましてですね、ドカンと仕事が無くなったという状況だったんですよ。
それでですね、本当に胸が痛むんですけど、私も話をしながら、みんな社員の前で話しながらちょっと涙が出ましたけども、泣く泣くですね、何人か辞めていただいたりして、結構お金も借りてたんでね。
なので、それで人を減らして、増床してた一つのお室を解約して、一つの部屋を解約して、で、何とか持ちこたえていったという感じですね。
その後ね、そのオフィスでまたあれがあったんですよ、3.11の地震ですね。その後も景気悪くなっちゃって、大変でしたね。
困難と乗り越え方
そういう軽量鉄筋ですか、マンションっていうかアパートっていうかっていうのがあったんで、本当にあの地震の時は崩れるんじゃないかと思いましたけどね。
そういう感じで何とかでも乗り越えて、借金して借金して、何とか乗り越えてですね、人がどんどん増えていくとですね、人件費っていうのは本当に残酷なもんですね。
毎月毎月その時で5,600万飛んで行ってたんですよね。
で、リーマンショックとかね、震災とかあってお金借りるじゃないですか、いちいちお金借りるんですけど、そんなのですね、仕事が無くなると一瞬で無くなっちゃうんですよ、3ヶ月で無くなっちゃいますからね。
で、もう3ヶ月で無くなっちゃって、また金庫に頭下げに行って、また瑕疵方やって、えーみたいな、この間瑕疵たばっかりですよね、みたいなことがありましたけどね。
一方でやっぱりあの、受託開発はやってるんですけど、受託開発っていうのは仕事が回っていけばですね、非常に仕入れがないんでね、利幅が大きいんですよね。
まあ利幅っていうか洗いはデカいですよね、8割とか9割とか、そうですね。
うちはデザイナーだけ雇ってなかったんですけど、それ以外は全部内製してたんで、洗いはめちゃくちゃデカいんですよね。
だけど恐ろしいことに、仕事が無くなるとですね、その固定費がですね、ドガーッとこう降りかかってきますんで、何回かそれを繰り返して、人って怖いなって、一人雇って怖いなって思いましたね。
それとですね、それでなんと乗り越えてですね、次のステップどうしようかなというふうに考えたんですが、それはちょっと次のですね、お話として次回のお話にしたいと思います。
今日は以上になります。
はい、いかがでしたでしょうか。
ご意見ご感想ご質問等ありましたら、Xまで送りください。
それではまた来週の木曜日、このチャンネルでお会いしましょう。
10:22
コメント
スクロール