1. 緑のふるさと協力隊「OB・OG」インタビュー
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2025-05-14 16:52

18期隊員坂本みさきさん【岩手県遠野市派遣】教師を目指す道半ばで「生き方の原点」を見つけた1年

大学卒業の年、教員採用試験に不合格で、「どうしようか」と思っていた時。

ふらりと訪れた図書館で、目に留まった1冊の本。

『緑のふるさと協力隊: どこにもない学校』

教師になることしか頭になかったので、「どこにもない学校」というキーワードにも魅かれ、読んでみたら、魅き込まれた坂本実咲さん。

 

宮沢賢治の世界観に憧れていたこともあり、岩手県を希望して、遠野市で1年間暮らす。

 

時は、2011年4月。

震災直後の岩手は、大変な状況で、「農業がやりたかっただけどな」と思いつつ、災害ボランティア的な活動をして過ごした前半。

後半からは、本来の活動に戻って、何よりも、自然の奥深さに癒され、雪国の寒さに感動し、雪景色の美しさを感じながらの生活。

 

その1年は、人生の宝物になった。

 

今も地域で子育てをしながら、農業高校で教壇に立ちながら、未来を見据える。

 

将来は、自然豊かな田舎で、子どもたちの育ちを支えながら生きていきたい。

 

協力隊の1年があったからこその今であり、これから。

 

これからを悩む若者には、「興味があるならぜひ、飛び込んでほしいし、まずはOBやOGにも話を聞いてみてほしい」と語っていた。

 

扉を開けたり、新しい世界に飛び込むことが怖かったら、まずは、ドアをノックしてみよう!

 

坂本さんの話を伺いながら、感じた言葉。

 

ステキなお話をありがとうございました!

サマリー

坂本みさきさんが岩手県遠野市での1年間の経験や教員を目指す気持ちの変化について語ります。その1年間は、彼女にとって心の拠り所となり、自然の美しさを感じる貴重な時間となっています。坂本みさきさんは、教師としての1年間の経験を通じて、田舎で子どもたちとともに暮らすという夢を見つけています。自然豊かな環境での学びの重要性を強調し、協力隊への参加を奨励しています。

坂本みさきの自己紹介
緑のふるさと協力隊OB・OGインタビューということで、本日は坂本みさきさんのお話を伺っていきます。
坂本さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ではまずは坂本さん、簡単に自己紹介をお願いできますか。
坂本みさきと申します。
旧姓は松永なので、参加した時は松永みさきで参加をしました。
私は愛知県で農業高校の教員をしています。
あと子育て、5歳と3歳の娘がいまして、結構子育てにも結構興味があるというか力を入れていて、
社会で子育てをしたいってずっと思っていて、それは自分自身もそうですし、なんか周りの人と見てて。
それで今はボランティアとかもそっち方向でやったりしています。よろしくお願いします。
ありがとうございます。5歳と3歳の娘さんがいらっしゃるんですね。
我が家も中1と小4とあとは5歳児か、年長の男の子がいるというそんな3人育っているので、
なんか様子が賑やかな女の子たちが一生懸命話している様子が目に浮かびますが、
そんな坂本さんは18期ということなので、2011年から緑のふるさと協力隊で岩手県遠野市に行かれたということなんですが、
そのきっかけ、どんなことがあったのか、どんな思いで参加されたのか、当時のことを聞かせていただけますか。
はい、わかりました。当時は私は大学卒業した時だったんですけど、
大学4年生の時に進路を考えた時に、もともとやっぱり教員志望だったので、ずっと教員を目指していたんですけど、
ちょうどその時に採用試験に合格できずに、その現実を突きつけられた時に、それまでずっと教員しか目指していなかったので、
1回本当に自分が何をやりたいんだろうかっていう風に向き合いたいなって思った時に、
私はそういう時に大体図書館に行って、本を結構読むのが好きなので、本を読もうかなって思った時に、
その時にこちら、あれしちゃうかな、モザイクかかっちゃったんですけど、
この本ですね、たまたま手に取って、それでこの本を本当にどうしようかって悩んでる時にパラパラって見たら、
もう引き込まれるように、これだ!みたいな感じですね、に思い出あったっていうか、もうこれ読んでこれに行くしかないと思って、
ちょうどこれ2冊なんですけど、こっちはどこにもない学校っていう単語が出てくるんですよね、この本の中に。
それで私、やっぱり教育関係にずっと興味があったので、手に取ったんですけど、これを本当に読んで先輩方ですかね、
ちょうどそれこそ16期の方とかも多分書かれているんですけど、行った時の感想文だったりとかを読ませてもらって、
本当にもう直感で、行ってみよう、やってみようって思ってトライしたっていう感じになります。
ありがとうございます。先日、今僕も隊員の研修とかにも関わらせていただいているので、たまたまその場所に16期僕らが書いたその本、若者白書みたいなものが置いてあって、
あれ?もしかしてってパラパラ見たら自分が書いた記事なんかもあって、すごく懐かしく思い返したところではありますけれども、
その若者白書、響き合う集落と若者2011を読んで引き込まれて、どこにもない学校なんだろう、直感で行こうと決意して応募されて、
すみません、これは2冊目でもう1個前だ、これの2010のタイトルが響き合うなんですけど、
どこにもない学校、緑のふるさと協力隊っていうタイトルだったんですよね。それで私は教員目指しているので、この学校っていう文字に引かれて読んだですね。
なのでこれは続編です。続編というか2年目に出た。これではないんですけど、これの1個前のやつを読んだ。
それがそうですね、16期の方がたくさん書いてたやつになりますね。
なるほど、ありがとうございます。そんな思いで応募をして、実際に行くことになったのが、そっか、その直前にいろいろあって図書館行ったりしながら読んで、
で応募されて、面接を経て、東農に希望を書かれたんですか?
はい、そうですね。東農に第一希望を書いて、東農に行けたっていうのがあります。東農を書いた理由も宮沢賢治の影響で、
もともと農業が好きで、宮沢賢治の本とかも結構読んでたんですけど、宮沢賢治がいた世界観というか、すごい言葉、宮沢賢治の本を読むと、それこそ言葉が胸にズーンってくるものが多かったんですけど、私は。
そんな宮沢賢治が育った岩手県に行きたいと強く思って、東農市を選びました。
実際に行ってみて、どんな1年を過ごされたんですか?印象に残っていることとか。
東農での経験と変化
そうですね。たまたまなんですけど、それこそ私は3.11の直後だったんですよね。
いろいろあって、最初東農で、それこそ沿岸部と隣接している地域で岩手っていうこともあって、もしかしたらいけないかもしれないとも思ったし、
だけど強く行きたいって思っていて、最初は本当に震災にあった地域っていうような感じで、最初はイメージと正直違うっていうか、なんだろう。
それこそ1ヶ月間は予定も全然汲めずに、震災のボランティアをさせていただいたっていうのもあって、農業がしたくて岩手で農業ができると思って行ったので、最初は本当にちょっとショックも結構大きかったし、こんなはずじゃなかったとは思いながらも、でも最終的には本当に東農に行ってよかったなと思ったし、何よりも本当に自然がもう
たまらなかったですね。言葉で表すのはすごく難しいんですけど、やっぱり私は愛知県でずっと生まれ育ってきたので、愛知県とはまた全然違った自然の豊かさとか寒さの厳しさとかもそうですし、そういったところに本当に私は心を洗われた1年だったなと思います。
自然の豊かさはそうですけど、寒さの厳しさにも心を洗われるっていうのがすごい素敵ですよね。
そうですね、やっぱり冬い寒を乗り越えたからこその春の喜びというか、それがもうすごい感じましたね。だから寒さがあったからこそ、それは多分東農の人たち皆さん感じて、雪国の人たち皆さん感じていることだと思うんですけど、
私はそんな雪国とかはそれまで過ごしたことがなかったので、やっぱり冬の雪も本当に美しかったですし、すがすがしさっていうんですかね、寒さとかも本当に私にとってはとても心を洗われました。
ありがとうございます。僕もつい数年前に新潟県大塩市に1年7ヶ月ほど住んでいたので、降雪地でね、本当にだからこその春の喜びもあるし、一方で大変な大変だ言うけどあの真っ白な世界の美しさとか、あとは除雪があってね、深夜2時ごろ早朝かな、その音で目が覚めて、ありがたいな今日も除雪してくださっているっていうそんな感謝を感じられたりっていうね、
なんかそういう式の喜びを感じられるのも雪国の良さかな、なんていうふうに思いますね。
そんな中で1年を過ごしてどんな変化があったかとか、あるいはその後どんな風に過ごされてきたかを聞かせていただいてもいいですか。
1年を通してどんな変化、その後どう過ごしてきたかは、もう本当にその後教員に、愛知県に戻って教員になったので、もしかしたら結果は変わらなかったかもしれないですよね、自分のそれこそ進路に対して、
まともに行かないは、もしかしたらずっと教員を目指して、その後も教員になってっていうことを知ってるので、もしかしたら結果は変わってないかもしれないんですけど、私にとって本当に1年は、なんだろう、とにかくその時を、その今、その瞬間を本当に大切に過ごせた1年だったなって思いますし、
本当に何て言ったらいいんだろう、なんかあったらその1年を思い出すというか、っていう風にそれくらい大切だし、あとその後に書いてた私の文章で、後から振り返って記録に残っているのは第二のふるさとができたって、よく皆さんおっしゃられる言葉だと思うんですけど、
本当にそんな感じで、地元ももちろん大好きですし、でもまたそれとは違ったふるさと、心の拠り所ではないですけど、ができたなって思う1年で、本当に緑のふるさと協力隊で東濃度で過ごしたたった1年ですけど、
私の中でとてもとても大きな財産にはなっているなっていうふうには感じています。
教師としての1年の経験
今やってる外側から見たステータスとしての学校の先生っていうのは変わらないけれども、本当に期間限定1年間だからこそ、今この瞬間を味わうみたいなところだったり、あるいは本当に四季折々のいろんな変化も感じながら周りの方とのコミュニケーションも含め、
本当に坂本さんの原点としての本当に何かがね、そこで育まれたんだなっていう、まさにどこにもない学校での学びが今につながっているのかななんて、そんなふうに感じますね。
ありがとうございます。
そんな坂本さんの今後の展望とか何かありますか。
今後の展望ですか、今後の展望っていうか、これはずっと私が思っていることなんですけど、この子どもたちと一緒に田舎暮らしをしたいっていうのを思っていて、それは自分の子どもたちだけではなくて、限定ではなくて、本当に子どもっていう対象と田舎暮らしをするっていうのがずっとずっと私の夢というか展望で、
本当にただただ子どもたちと周りに自然があってっていう暮らしをしていきたくて、その中に本当に大切なものがめちゃくちゃたくさんあると思うんですよね。
やっぱり今の便利さとか、あとは資本主義的な社会の中でほとんどの人が暮らしている。
もしかしたら子どもたちにとってもそれもいいのかもしれないけど、でも私は本当に子どもたちと本当に自然豊かな田舎で暮らしたいっていうのが、いつか叶えたい夢だし展望だし、きっとそのきっかけになっている、それを今でもしたいと思えている、いつかできると思っているのは緑のふるさと協力隊の1年があったからだと思っています。
素敵な夢ですね。
ちょうど僕の1個前の15期の小木田さんという方がね、鹿児島の宝島で塩風留学という子どもたちの留学生の受け入れの寮館さんをやっていて、ご夫婦でね、子どもも一緒にそこで育てながら子どもたちにも関わるという暮らしをしているので、
本当にいろんな形でね、そういう本当に便利じゃないけど、自然の中で本当にあるがままの子どもたちとね、共に暮らすからこそ、いろんな宝物に息づける生き方ってあるんだろうなというふうに思いますし、ちょうど今図書館から借りている本が子どもを野に放てというそんな本なので、
本当にね、子どもたちが自然の中で学んでいく姿を大人も一緒に体験するとかね、そういう豊かさ、もうお金じゃないものさしてありますよね。
本当素敵だなというふうに思います。ぜひね、それを実現していただけたらと思いますね。
はい、ありがとうございます。
じゃあ最後になりますが、協力隊の応募を検討している方々に何か一言ありますか。
もし少しでも迷っているのなら、ぜひぜひ参加してほしいなと思います。
本当にもうね、その1年終わった後のこととかも、もしかしたら不安もたくさんある人もいるかもしれないんですが、私自身は一定何一つ後悔はないし、
あとはもし少し迷っているのであれば、ぜひぜひ地球力化センターの人とかこうやってOGO-Bの人と対話をしてみてほしいなと思います。
そのきっかけが多分西田さんがしてくださるんじゃないのかなと勝手に思って、こういうのも企画してくださっていると思うので、
自分でもし迷っている、行きたいと思うけどちょっと不安とか、検討が少しでもしているのであれば、ぜひそういう人たちと対話をしてじっくり考えてほしいなと思っています。
そうですね、なんか今お話を伺いながら、本当ドアをノックするっていうところからね、まず始めてみてもらえたらなと思いますよね。
いきなりドアを開けて中に飛び込むのは勇気がいるけど、ノックするんだったらね、そこから開けてみて、どんな世界なのかなっていうのを探る意味でOGO-Bとか力化センターの方とかね、まずはコンタクトを取ってみていただけたらいいですよね。
はい、そう思います。
ありがとうございます。本当に今なんか今期特に大学生で休学してとか、あるいは教師になりたいけど教師になる前に1年間っていうふうに参加している方々が非常に増えている印象を持っているので、
坂本さんのこのお話がね、いろんな方に届くといいなと思っています。
本当に素敵なお話を伺わせていただいてありがとうございます。
はい、では動画はこれで閉じたいと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
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