実際どうなんだろう。幼少期から聞いていきたいんだけど、幼少期はどんな少年だったの?
どんな少年だったかな。小学校の時は割と、
学校の授業だけ聞いてれば、結構テスト100点バンバン取れるような、
ちょい天才人。自分でもそう思ってて、天才やなって。
若干自信があったんですけど、
中学校に上がって、やっぱそれだけじゃ足りなくなるわけですよ。
ある程度は取れたんだけど、
最初は全校の上位だけど、だんだん真ん中ぐらいになってみたいな。
自信が折られだすと、僕みたいなものは脆くてですね。
すぐもう拗ねて。
そうなんだ。今では鋼みたいな。
12ぐらいかな本当に。そこだったりで本当に卑屈なネクラ少年になりまして、
本当にもう地味な、いわゆる陰キャンになりまして。
っていうのが一応中学校2年3年と続きましてですね。
そんな感じの少年というかみたいなのはあったんですけど、
今の仕事につながる話で言うと、
小学校5年生ぐらいから卓球をずっと習ってて、
実力的に言うと、小学校から習うにしてはちょっと遅めだったんですよスタートが。
結構小3小4とか、早いと小1小2から始めてるのが、
ここの方が強いっていうのが卓球界結構あって。
プロ選手は3歳とか5歳とか言うもんね。
だいたいそういうもんで。
しかも入ったクラブチームが県で1番目とか2番目とかのめちゃくちゃ強豪なところに入っちゃって。
入った瞬間、俺初心者の小学校5年生みたいな状態だったんだけど、
なんとかその中で全国大会に出るような団体戦の補欠に入るか入らんかぐらいまでは、
卓球の終わりぐらいになってたんですけど。
すごいね、2年間で。
そのまま中学上がって、中学上がると中学スタート組がいっぱい現れるんですよ。
確かに。
そうなるとそこに対しては無双できるわけですよ。
すごい中1からずっと地区で優勝こそできないものの地区で2位とか3位とかはずっと取って、
県大会にはポンと出れて、県大会の1,2回戦でポロッと負けちゃうぐらいの実力だったんですよ。
ずっとそうやって県大会には出続けて、地区の上位取ってっていうのでちょっとやっかん調子に乗ってた部分もあったんですけど、
中3の時に体育の授業で腕の骨を骨折してしまって、左腕を。
すごいよ。
右高飛びでピョンって飛んだら、足にバーがきっかかって、着地した時にそのバーが腕の前腕の真ん中あたりにポールが挟まった状態で体が乗っかって、
てこの原理でポキッて折れたんですよ。
手羽先とか想像してもらうとわかるんだけど、2本に分かれてるのが、あれが真ん中あたりでポキッて折った感じに、
腕の骨って2本あるんだけど、それが綺麗に2本とも真ん中で折れるっていう。
結構重くない?それ。
結構重めの、なかなかそんな折れ方しないよねっていう折れ方をしちゃって。
それが中3の春ぐらいだったんですよ。
中3の夏って引退試合じゃないですか。
確かに。
夏の最後の大会を控えてた時に骨折しちゃって、病院にピーポーピーポー運ばれて、
で、お医者さんから言われた一言が、もう最後の大会出れないよって言われて、
それで、僕の中で結構小学校5年生から始めた割には頑張ったし、
ここら辺で卓球もう終わってもいいかなって思って、中3の最後、夏の大会頑張って、
これで卓球は引退しようっていう心の中で思ってたので、
最後の大会出れないってなって、僕の中で結構うわーってなって、
本当にそれきっかけで学校もちょっと不登校気味になったりとか、
あと単純に腕の骨折の手術で、金属を腕の中に固定するために入れたんですけど、
そういうのがちょっと体に合わなかったのもあって、単純に体調不良にもなったりして、
結構学校休みがちなんだら不登校気味になっちゃって、
すごいそれぐらい落ちてたんですけど、
リハビリが始まって、その時にそのリハビリの担当になってくれた先生が、
目標ある?みたいなのどうなっていきたい?今後?みたいな聞いてくれた時に、
僕本当にもうどうでもいいですみたいな、もう夏の大会出れないって言われてるし、
もう何でもいいですみたいなやる気ないんでぐらいの感じで答えちゃったんですけど、
その先生がすごい親身になってくれて、最後の大会頑張って出ようよ、直してって言ってくれて、
リハビリモチベーション上げてくれたおかげもあって、
結構トントン拍子で治療が進んで、最終的に夏の大会出れたんですよ。
お医者さんもびっくりぐらいの脅威のスピードで回復して、
想像よりトントン拍子だった。
治って、その経験があって結構リハビリいい仕事だな、みたいなのが片隅にあったりして、
そうなんですよっていうのがあって、ちょっとリハビリに興味を持ったのが中短の時にありまして、
とはいえちょっと夏の最後の卓球の大会が骨折復帰したてだったので、
技術的とか体力的には元に戻ってないんですよ。
何ヶ月か空いたら、2、3ヶ月空いちゃって。
しかもそんなに動いてない状態からのそれって相当きついよね。
それで県大会出場を逃しちゃって、
それで結構悔しくて、やっぱり高校でももう一回卓球やろうと思って、
っていうのとあと単純にストーコー気味になったことで学力が大きく下がって、
やばいな、いける高校が、目標としてた高校いけねえやみたいなのも若干あって、
それで選んだ高校に進学したんですけど、
そこが普通科じゃない学校だったんですよ。
かつちょっと偏差値的にもそんなに高い学校ではなくて、
僕の勝手なイメージで病院職だしリハビリの先生なんて頭いいものだろうと思って、
勝手に排除してたんですよ、高1ぐらいの時は。
で、高校2年生の職業体験の時期になった時に、
たまたま僕がリハビリに通ってた病院が職業体験の場に選ばれて、
選択肢に。
これもちょっと面白いのが、
僕その当時結構オシャレとかに目覚めた時だったので、
美容室を第一希望に選択してたんですよ。
で、第二希望をその病院にしてたんですよ。
で、やったら、うちの学校美容室希望がめちゃくちゃ多くて、
僕漏れて第二希望の病院に当たったんですよ。
で、その病院に行ったら、その当時僕をリハビリしてくれた先生が担当で聞いてくれて、
なんで覚えてるよみたいな。
当時中学生でリハビリ来るって珍しかったんで、
覚えてる覚えてるって言ってくれて、
で、こういう学校福井にはあるよっていうのを教えてくれて、
漁業療法士の学校が福井県にあるってのを知って、
今の福井医療短期大学を目指すきっかけになったんですけど、
とはいえやっぱ普通科じゃない学校からはちょっと受かるの厳しいかなみたいな学校だったんですけど、
なんと僕の卒業というか、僕が進学するという都市から、
そういった普通科以外の商業高校とか工業高校を対象とした推薦枠っていうのができて、
すごい。そんな道作られることある。
そう。で、俺結構学校は好きだったんで、
勉強こそできなかったけど、学校みたいに毎日通ってたんで、
生徒会長とかやってたんで、内進典は良かったんですよ。
だからその推薦枠で行ったら見事通って、
やば。やっと届き。
すごいストーリーだね。
それでちょっとリハビリの学校に入れたっていうのがあって、
今の仕事につながってたりもするんですけど、
すげえな。
そう。そういった今につながるエピソードもあったりもします。
すごい。すごいしか言えないんだけど。
これはちょっと本当に流れというか運というかあるんだなと思って、
ただ勉強がいく分できないもんで、
大学1年の時は本当に先生らからも全員、
こいつはおそらく辞めるだろうと思われてたんですけど、
周りの友達にすごい恵まれて、
あんまり辞めんなよみたいに頑張れよって言ってくれたおかげもあって、
2年生から結構勉強に覚醒して、
なんとか授業を続いていけて、
あとストレートで卒業できて、