2025-06-26 22:51

#1-3 看護に“恋”した。訪問看護と起業がくれた、人生を変えるパラダイムシフト(株式会社ALLINUS代表 加藤瑞穂:ターニングポイント編)

▼今回のトーク内容「訪問看護に飛び込んだ20代の決断」/“誰も断らない”理念のステーション立ち上げ/家庭に踏み込む看護のリアル/制度では拾いきれない患者の“願い”/起業に込めた覚悟と福井の応援文化 ほか

📝 番組概要都会から福井へ——。
この番組は、移住者であり地域おこし協力隊の「つかちゃん」が、福井で出会った“ちょっと面白すぎる人たち”の人生に深く潜っていくポッドキャスト。
キーワードは「仕事立ち」「追い立ち」「ターニングポイント」。
人生の節目にあったあの瞬間を、ていねいにたどっていきます。

👤 出演
ゲスト|加藤瑞穂さん
株式会社AllINUS 代表/看護師・保健師・コミュニティナース
https://allinus.co.jp/

ナビゲーター|つかちゃん
福井県地域おこし協力隊/こみかるユース福井・おふざけ代表

✉️ 感想・メッセージはこちら
下記の方法で、感想やメッセージを送ってください!
・SNSで「#福井で転生」をつけて投稿・フォームから入力


▼カバーデザインイラスト:Linon(@linon__07kasya)
https://www.instagram.com/linon__07kasya

▼関連リンク✍️番組Note記事(文字起こし+構成)
https://note.com/fukuicoc/
📸Instagram
https://www.instagram.com/fukuicoc/
🎙番組を聴くSpotify ▶ https://open.spotify.com/show/33JAGOyhB36fDWyj7a7udCListen ▶ https://listen.style/p/fukuitensei?yzAbepLC


サマリー

加藤瑞穂さんは訪問看護の世界に飛び込み、そこでの経験が看護師としての成長に大きな影響を与えたことを語ります。訪問看護は病院とは異なる環境であり、自己判断が求められるため、看護師の専門性を活かす絶好の機会となります。さらに、彼女のパラダイムシフトが起業へとつながる過程も紹介されます。訪問看護の現場でのニーズが高まり、加藤さんは看護の本質を追求するために起業を決意します。彼女は看護の自立を目指し、地域の問題に応える新たな取り組みを行い、若い看護師たちの夢を後押しするプラットフォームを提供したいと考えています。訪問看護と起業を通じて、看護の魅力を再発見し、患者や仲間との出会いが人生の転機を生んだエピソードです。

訪問看護の始まり
こんにちは、福井で転生、都会を離れた移住者が出会った、ちょっと面白すぎる人たちへようこそ。
この番組は、都会から福井に移住者地域おこし協力隊のつかちゃんが、福井で出会ったちょっと面白すぎる人たちの人生を探究していくポッドキャストになります。
キーワードは、仕事、老いたち、ターニングポイント、この3つの観点から、ゲストのこれまでとこれからを深掘っていきます。
今回のゲストは、前回から引き続きまして、看護所研師コミュニティナンス森野代表の加藤さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
今、3回目になりまして、加藤さんのオリナスの仕事と老いたち、学生時代めっちゃ寝てた話を。
聞いてくれたかな。
ぜひ、意外と仕事を今、すごい楽しそうにしている加藤さんでも、学生時代はそこまでやりたいものも見つかってなくて、
たまたま看護というものが近くにあったから、看護に手を出してみたら、今、こんなにフィットしてるという。
そんな話をしてもらったんですけど、今日はターニングポイントを聞いていきたいなと思っていて、
何か浮かんでくるものありますか、ターニングポイントって言葉で。
ターニングポイント、多分、今、パッと思うのが2つあると思うので、
1つが、やっぱり第2回目でも話したように、訪問看護に飛び込んだ時。
加藤さんが人生で一番勉強楽しかった。
8年前ぐらいになるのかな、飛び込んだ時と、
やっぱりもう1つが、ほんと最近だけど、本当に起業した時。
会社を立ち上げた時。
この2つが、結構私の人生の中でも、めちゃくちゃ大きなターニングポイントの2つなのかなと思ってて。
じゃあ、訪問看護のところから聞きたいんですけど、前後で何が変わったかな、みたいな感覚は。
看護師としての成長
訪問看護は、結構看護師さんたちはよくわかると思うんだけども、
病院でだいたいほとんど9割ぐらいの看護師は、今、病院で働いている中で、
この地域医療、地域看護って言われる枠組みで、
おうちに訪問看護ステーションっていうところから、利用者さんのおうちに1人で行って、
1人でケアをして帰ってくる、みたいなのを1日3から5件。
結構行くんですね。
おうちを回るのよ、車でね、自分で回るんだけども、
全く病院と訪問看護って、やっぱり環境が違うから、
全く不明の未知の世界に飛び込んだのが、だいたい7、8年前の訪問看護で、
もう本当に仕組みから、まず全くわかんない。
確かに。
もっともっとハードルが高かったのが、
よく今でも訪問看護やってみたいけど、ちょっと怖いですっていう人がすごく多くて、
なかなか来てくれない人が多くて、っていうのもやっぱり自分で現場判断がいる。
今まで上司とか医者なのか、判断を仰いでたものが、自分で全部決めなきゃいけない。
そう、患者さんのところを伺って、やっぱりちょっと調子悪そうだなとか、
高熱が出始めたとか、そういう時に自分の持っている知識とか経験の中で、
いろいろ分析しながら、これは先生をすぐ呼ぼうとか、
逆にこれはちょっとすぐに採血して検査した方がいいなとか、
そういう判断を自分でしないといけないっていうのが、まず一つ大きなハードルになっているのと、
もう一つは、やっぱり家に入り込むから、やっぱり家族との関わりとか、
病院では看護師さんとして取り扱ってくれるから、家族もある意味遠慮する。
看護師さん忙しそうだしな、みたいな。
それが今度は全然違う立ち位置として、こちらが伺わせていただく。
うちに入るからじゃないですか。
家に上がっちゃう。で、ケアをさせていただく。
しかもおうちのものを使わせてもらうから、全く環境が違う中に、
もうほんと丸裸で飛び込むぐらい。
でね、実は一緒に立ち上げた佐藤さんっていう社長と一緒に、
コパンダ訪問看護ステーションっていうのを立ち上げたのが、大体8年前ぐらいで、
実は彼、ちょっと2年前に他界して、
まだ若かったんだけども、40年半ばで、まだまだの時にちょっと突然死して、
今お別れが来てしまったんだけども、
その彼と始めた中で、ほんとにお互いベテラン同士が始めたわけじゃないから、
私なんて特にもう全く訪問看護は未経験で始めたから、もう冒険だよね。
もう冒険だし、
佐藤さんがね、本当に理念として、誰も断らないっていうのを理念に掲げてたから、
本当にがんの患者さんで、もうあと嫁もいくばく、あと1週間とかしか持たないかもみたいな方ですら、
お家に帰りたいというなら、もう受け止めようと私たちは。
っていうことで受けてたから、
まあもう毎日がちゃがちゃが。
そうですね。すべての人が来るみたいな状態ですね。
全てが来る。ほんとそれこそゼロから100歳。
当時だと明治の時代を生きた人たち。
もうね、100何歳のから、もうほんとに500gで生まれた子。
もうベットボトル1本で、いわゆる未熟児みたいな感じで、今はね500gでも助かる時代になってるから、
その分お花から呼吸器つけてたりとか、
お花から栄養の管入れてたりとか、そういう子たちまで受け入れてたから、
ってなるとやっぱ看護師としては病院にいるとどうしてもカテゴリーされた病棟にいる。
小垣外科とか小児科とか産婦人科とか、
だから急にもう全部を見ろみたいな状況に放り投げられたから、
もうほんとにもう新人だよね。
だから勉強することがもうあふれまくってた。
けどそれが苦じゃなくて、やっぱりその人がちょっと笑顔になってもらうためには、
自分に何が専門職としても人としても何ができるかっていうのがやっぱ楽しかった。
のがもうすごいメキメキと地域看護がもうズブズブに大好きになってしまったターニングポイントがもうそこかなと。
そうですよね。だって自分の判断でほんとに命に直結してくるから、
それでちょっとでも自分が知識をつけてれば笑顔になる可能性が上がるってなると、
確かにやる気が上がるというか、モチベーション上がりそうですね。
どうしてもやっぱね、なんかもったいないなと思ってて、
日本の看護師さんって、前なんか海外協力隊かな、海外で活動されてる女医さんがいらっしゃって、
その人の講演を聞いたときに、ちょっと話せるきっかけを、機会をいただいたときに、
日本の看護師はもったいないよと、みんなすごく高度な教育を受けてるのに、
医師の指示のもとでしかやっぱり展開しないって、看護性ってどこにあるのみたいな、
それは医療、医療、要はキュアの世界観であって、
私たちは看護というあくまでも専門性があって、ケアしていく存在なはずなのに、
どうしてもキュアの補助職、医療の補助職みたいになってしまってて、
あなたたちはもっと自立できる力を持ってるんだよって言われたときに結構目が覚めて、
起業への道
やっぱりどうしても病院9割とかで働いてるから、
病院の枠組みだとドクターの指示書っていうのがあって、
その指示のもとでやっぱりしっかり動いていかないと命に関わったりとか、
治療する現場でもあるからめちゃくちゃ大事、
だけどもやっぱ地域に放り投げられたときに、
誰も道しるべはしてくれない、誰も助けてくれない、
けども逆を言えば、そここそ看護性を大いに展開できる場所が待っていて。
面白いですね。
今まで病院にいると、医療としての指示を受ける側の看護師だったものが、
地域に飛び入れると、自分たちで開拓する看護が、
本来学んでたはずの看護がそこだったら発揮できる。
本当に看護の本質っていうか、看護の土直球をやっていける現場で、
怖いっていうのは、誰かの指示の下で動き続けてると怖いかもしれないけども、
そこをひとかは、よく佐藤さんには、
加藤さんまだまだパラダイムシフトしてないっていつも言われて怒られてたんだけど、
何それって言ってたんだけども、今なってようやくそこの殻を破るというか、
パラダイムシフトすると、こんな世界が見えてくるんだっていうのを知ってしまって、
その伸びしろがもうひたすら楽しくて楽しくて。
パラダイムシフトが、一回やったからこそその楽しさが分かって、
もっとそのパラダイムシフトしたいみたいなものがあって、
それが企業とかに移ってるんですか?
どんどん看護が広がっていくと、もっともっとできることってあるんだっていう実感が湧いてきて、
特に訪問看護って枠組みって、
どうしてもこの1時間とか時間が決まってるし、ルールがあって、
例えば学校小児の子たちが、小児がんの子が学校に行きたいって言うと、
じゃあ学校に看護師行きますって行けるかって言って、
やっぱりそこはきちんとした制度とルールがあるから行けないけども、
学校としては看護師さん来てくれたら僕たちも安心です、先生たちも。
っていう地域とかダイレクトなニーズを聞き続けてしまって、
何で地域にただただ出会う看護師っていないんだろうっていう疑問にぶち当たって、
そうですよね。
訪問看護の課題
ニーズはすごくあるし、例えば本当にすごい嬉しかったのが、
やっぱり皆さん亡くなる前ってお墓参りに行きたいって方がすごい多い。
自分も入るし、ご先祖様も入ってるし、
じゃあその人をお墓参りに連れてきたくても、
訪問看護っていう枠組みだと1時間だったり、
お家にしか基本行っちゃいけないっていうルールももちろんたくさんあるから、
そのニーズ叶えてあげられないからボランティアになっちゃうのね。
お墓参り一緒に行くことも。
でもそれやりたいじゃん。
やりたいですね。
どっちかっていうと、家で体拭いたりとかもすごく大事な看護だけども、
やっぱり願いを叶えてあげる、私たちはステーションを大事にしてて、
その人の願いはどこにあるかをいつもチームで徹底追求していたから、
願いを叶えてあげる看護って、
どうしても今の既存の枠組みじゃ何一つ叶わないじゃんって法観やりながら、
2年目、3年目ぐらいにそこに苦しみ始めて、
ありがたいことにやっぱステーションも本当今20人規模とか人数上で、
今ももちろんコパンダあるんだけども、増えたし、
さらに制度の外の枠組みの看護展開っていうのを追求していかなきゃいけないなって思い始めたのと、
これから2025年から40年にこの15年間で段階の世代の人たちが一気に後期高齢者、
75歳以上になり亡くなっていくのね、この15年でダダダと。
その中でどう考えてもこの拾ったニーズはますます増えるじゃん。
絶対願い叶えたら墓参りに来ちゃうみたいなニーズがどんどん増えていくし。
お家帰ってくる人も、今厚労省が制度変えてどんどん在日数っていう病院にいる時間が短くなっていく中で、
やっぱ病気とか抱えたまま地域に帰ってくる人たちたくさんいるから、
それって誰が繋ぐのみたいな、こんなニーズあるからこうしてあげたいよねって言って、
繋ぎ手みたいな人たちが全然いないしっていうことで、
これはもう看護の自立と、本当に看護の本質の部分を追求していく集団としても、
何か一つ形にしなきゃなって思って起業したのが2個目のターニングというか。
株式会社設立の理由
すげー、そうですよ。今の流れでいくと、
法官やりながら自分の世界がバラダイムシフトしてどんどん広がっていったら、
病院にいる時よりは看護の本質に近づいた感覚はあったんだけど、
まだまだ願いを叶えるってところには行き着いてないというものが見えてきて、
じゃあそれは今の制度ではなかなか難しいから、自分で会社を起こそうと。
そう。で、あえて株式会社でした。
株式会社の思いとかも聞いていきたいんですけど。
そう、なんかよく医療系って、どうしてもNPOとか、事前っていうイメージがめちゃくちゃつきまとう中で、
なんか私、最初実は野良コミナス、野良看護師でフリーランスで看護師やってればいいじゃんって思って、
実は起業する手前はちょっと個人事業なんですし、フリーランスの時期もあったけども、
なんかやっぱり失礼だなと思うようになってきて、
今オリナスでやってることにすごく賛同してくださった福井県の起業さんたちに対して、
やっぱ私も思いを持ってやってるから、やっぱそれをきちんと相手方にも語っていただける社会になれば、
この取り組みって広がるよねっていう。
なんか私だけがやってて、私の手が届くとこの人だけが解決すればいいっていうよりも、
これって本当日本全体の問題になってくるからこそ、私だけがやればいいんじゃなくて、
やっぱ仕組みとして広がっていかないと何の意味もないのかなって思ったのと、
あとはね、ちーちゃんとかその他含め本当に看護の後輩の子たちのすごい面白い子たちに出会ってしまって、
なんか最近すごい嬉しいんだけど、幻かと思うんだけど、
その子たちが加藤さんみたいな仕事がしたいと聞き間違いかなって思うくらい嬉しいことを言ってくれるようになった時に、
この子たちのやりたいが将来フィールドとして展開できるように、
せめて私の世代でゼロイチは作っておいて、土壌だけでも耕しておけば、
あのすごい種の子たちがいろんな芽を吹かせて花を咲かせるだろうなと思っていて、
それもあってもあえてちょっと本当むちゃくちゃだけど経営経験も何の知識もない人間がよく。
株式会社何かを知らない人が。
そうそう、よく株式会社やったなっていうのが2つ目のターニングポイントかなと。
めちゃくちゃおもしろいですね。
なんか多分やったからこそ見えてるものが今いろいろあると思うんですけど、
株式会社やってみてどうですか?なんか感覚の変化とか。
もうね、8年前のデジャヴで。
また戻ってきてるね。
また戻ってきた。
あの感覚が。
あの本当に学びと、でもなんか福井ってやっぱすごいいろんな人に自慢してるけども、なんだろうな、否定しないんだよね。
なんかこう普通だったらこんな人を信用していいのかとか、
大きい企業ほど信用されるみたいな土壌があったり、やっぱあるのが、
なんかすごく強い思いを持って社会課題としてもこんなことをやりたいんですと、
なんか自分自身も頑張りながらつながろうとすると、やっぱいろんな人がつながってくれるって、
なんかものすごい価値だと思ってて、もちろんだからオリナスっていう会社はあるけども、
つかちゃんも仲間じゃん。
たしかにね。
だからあんまり箱にこだわってない部分もあるけども、
まあなんかやってみて学び深いし、なんだろうな、学んでいこうと思えるようなそういう仲間たちがやっぱつながってくれているっていうのが、
なんか福井らしい価値なのかなと思ってて、
普通これがね、違う県外で株式会社やりますって言って同じようにうまくいくかっていうと、
これはなんかある意味福井さん。
たしかに福井の話で言うと、なんかその肩書よりも人を見てる感覚が結構あって、
なんか僕なんかよくわからないピンク頭が、
普通に会社に乗り込んでいろいろ話をしてるのに、コミカルやるときとかあのショッピングモールの人たちすごい信心になってくれるし、
いや本当に本当に。
なんかこう雰囲気とか肩書とかじゃなくて、中身で結構判断してくれた人が多いなと思っていて、
だからこそちゃんとしたことをしてれば否定はされずに応援してくれるんだろうなとは思っていて、
その人たちがどんどん集まってきてるのが今、何か可視化されてきたなみたいな感覚ですね。
確かに確かに。
だから本当にありがたいし、
あえてそういう子たちの仕事に将来なっていってほしくて、株式会社を選んだっていうのもあって、
全く知らないくせに。
確かに誰かがやったことがあるんだったら、私もできるかも。
より広がりますよね。
今まで病院だけにいる人は訪問看護というものを知ったら、そういうのができるようになるし、
訪問看護やってる人たちがオリナス見たら、あれ、なんかもっとそんなことできるんだみたいな。
その先を開いていく人がいるからこそ、次がつながるというかありそうですね。
だから本当に今、立ち止まることを知らず、今2年目になって、
もう1年目も振り返ると本当濃厚すぎたけども、2年目もめっちゃ濃厚で、
本当は3年後、起業して3年後が5年後の構想だったんだけども、
一緒にやってくれる仲間、もう要は雇用だよね。
株式会社としての雇用を増やすな、3年後、5年後とか思ってたのが、もう2年目に着手しだして。
ナースケットできちゃったし。
ナースケットもなんとありがたいことに8人の看護師が今ジョインしてくれてて、スタートは。
どうしても子育て育児とかで看護を離れちゃうと、2回目で言ってたみたいに、
看護イコール医療行為がちゃんとできるみたいなとことか、
結構付属品が引っかかっちゃって看護に戻ってこれない子たちが多くて、
そもそもまず看護の本質みたいなのを追求する場に戻ってきてもらって、
看護ってやっぱめっちゃ楽しいよねって言って、そこで私みたいに人生第二の勉強スタートみたいな感じで、
やっぱもうちょっとやってみようとか思う子たちがどんどん増えて、
そのプラットフォームに看護のウェルビングじゃないけども、居場所と舞台じゃん。
ウェルビングはね、高野さんがおっしゃってるように。
その舞台になってほしいなっていう。
看護の未来と展望
だから株式会社所属のまとめ上げられたチームっていうよりも、
ほんと一人一人が自立して、一人一人が看護ベンチャーじゃないけども、
作り続けていく、好きが広がり続けていくみたいなのが、今回のアスケットになっていけばいいなっていう願いがあって。
めちゃくちゃ素敵ですね。
ちなみに最後聞いてみたいのが、加藤さん今後何していきたいとかって。
せっかくオリナス開いて、いろいろ見えてきて。
今後はほんと、だからナースケットのチームが、いかに楽しく一人でも多く看護という舞台にまた戻ってきてくれて、
それの一人一人のちょっとずつの力が集まれば、
大きくこれからの15年先、2040年までの本当に超超高齢多死社会の一人でも届いてほしいっていうところと、
普通につかちゃんとかてらいさんとか周りにいる人たちはみんなそうだけども、
誰かの幸せや健康を願う気持ちが、ほんと広がってくれればいいっていう、ただそれだけ。
素敵ですね。
僕とかてらいさんでいうと、それが誰かの幸せを願う心っていうのが、たぶんチャレンジ応援っていう言葉になってますよね。
いいですね。
まずはオリナスというものをやりて、ナースケットをやっていく仲間、
ナース看護をやったことがある人たちが看護に戻ってくる道を作りつつ、
今いる素敵な看護学生たちが未来の道を作っていくみたいな。
あとは任せたと思ってた。
すごいですね。たしかにちょうど15年後ぐらいになってくると、超強いチームで2040年を迎えられそうですね。
だから私はもう45ぐらいには、どっか世界旅行に行きたいから。
それもあるね。
5年後ぐらいにはちょっとみんなよろしくと思ってるんだけど。
世界でなんかいろいろやってそうですね、逆に。
そうなんかやっぱり、どうしてもね、亡くなる人とかとの関わりが多かったから、
明日の保障って病気になってる、なってない、関係なくて誰にもなくて、
やっぱ今日1日1日をどれだけしっかり楽しく過ごしていけるかかなって思ってるから。
すげー素敵なこと言う。
いやほんとでもそうなんだよね。
明日を生きたかった人たちの今を生かされてるっていう部分はすごく大きいから、
それも身近で訪問看護の時代はずっと感じ続けていたし、
だからこんだけ今全力で走ってても、あんまりストレスがないのかもしれない。
すごいなんか素敵な話ですね。
なんかやっぱり看護師やってた友崎君とかも同じようなこと言って、
おじいちゃんおばあちゃんにやり残したことありますか、後悔したことがありますかって聞くと、
何々ができなかったとか言うから、じゃあできないこと今やんなきゃって言って今彼はやってるし。
そうなのそうなの。
なので今日ターニングポイントって話を聞かせてもらったんですけど、
誰かとの出会いがターニングポイントによることも当然あると思うし、
なんか自分の色々話してみたいなっていうことがあれば是非コミカルに来てもらって。
いやもう是非ナースケットも興味のある方がいたらインスタフォローしてください。
加藤さんのインスタは概要欄に載せておくので、コミカルの概要欄に載せていくので、
インスタ見てもらって、この日今アースが出てるので話したいなと思ったら是非来てください。
あとこのホットキャストの福井訂正の話なんですけど、
この人面白かったなとか福井でそんな人いるんやと思ったら、
是非番組のフォローと感想とか送ってもらえると僕らも嬉しいですし、
嬉しい是非是非。
是非これ聞いてコミカル来ましたって言ってくれたら僕はめちゃくちゃ喜ぶので。
嬉しい。
是非よろしくお願いします。
じゃあここまでにしたいなと思います。ありがとうございます。
ありがとうございました。
22:51

コメント

スクロール