訪問看護は、結構看護師さんたちはよくわかると思うんだけども、
病院でだいたいほとんど9割ぐらいの看護師は、今、病院で働いている中で、
この地域医療、地域看護って言われる枠組みで、
おうちに訪問看護ステーションっていうところから、利用者さんのおうちに1人で行って、
1人でケアをして帰ってくる、みたいなのを1日3から5件。
結構行くんですね。
おうちを回るのよ、車でね、自分で回るんだけども、
全く病院と訪問看護って、やっぱり環境が違うから、
全く不明の未知の世界に飛び込んだのが、だいたい7、8年前の訪問看護で、
もう本当に仕組みから、まず全くわかんない。
確かに。
もっともっとハードルが高かったのが、
よく今でも訪問看護やってみたいけど、ちょっと怖いですっていう人がすごく多くて、
なかなか来てくれない人が多くて、っていうのもやっぱり自分で現場判断がいる。
今まで上司とか医者なのか、判断を仰いでたものが、自分で全部決めなきゃいけない。
そう、患者さんのところを伺って、やっぱりちょっと調子悪そうだなとか、
高熱が出始めたとか、そういう時に自分の持っている知識とか経験の中で、
いろいろ分析しながら、これは先生をすぐ呼ぼうとか、
逆にこれはちょっとすぐに採血して検査した方がいいなとか、
そういう判断を自分でしないといけないっていうのが、まず一つ大きなハードルになっているのと、
もう一つは、やっぱり家に入り込むから、やっぱり家族との関わりとか、
病院では看護師さんとして取り扱ってくれるから、家族もある意味遠慮する。
看護師さん忙しそうだしな、みたいな。
それが今度は全然違う立ち位置として、こちらが伺わせていただく。
うちに入るからじゃないですか。
家に上がっちゃう。で、ケアをさせていただく。
しかもおうちのものを使わせてもらうから、全く環境が違う中に、
もうほんと丸裸で飛び込むぐらい。
でね、実は一緒に立ち上げた佐藤さんっていう社長と一緒に、
コパンダ訪問看護ステーションっていうのを立ち上げたのが、大体8年前ぐらいで、
実は彼、ちょっと2年前に他界して、
まだ若かったんだけども、40年半ばで、まだまだの時にちょっと突然死して、
今お別れが来てしまったんだけども、
その彼と始めた中で、ほんとにお互いベテラン同士が始めたわけじゃないから、
私なんて特にもう全く訪問看護は未経験で始めたから、もう冒険だよね。
もう冒険だし、
佐藤さんがね、本当に理念として、誰も断らないっていうのを理念に掲げてたから、
本当にがんの患者さんで、もうあと嫁もいくばく、あと1週間とかしか持たないかもみたいな方ですら、
お家に帰りたいというなら、もう受け止めようと私たちは。
っていうことで受けてたから、
まあもう毎日がちゃがちゃが。
そうですね。すべての人が来るみたいな状態ですね。
全てが来る。ほんとそれこそゼロから100歳。
当時だと明治の時代を生きた人たち。
もうね、100何歳のから、もうほんとに500gで生まれた子。
もうベットボトル1本で、いわゆる未熟児みたいな感じで、今はね500gでも助かる時代になってるから、
その分お花から呼吸器つけてたりとか、
お花から栄養の管入れてたりとか、そういう子たちまで受け入れてたから、
ってなるとやっぱ看護師としては病院にいるとどうしてもカテゴリーされた病棟にいる。
小垣外科とか小児科とか産婦人科とか、
だから急にもう全部を見ろみたいな状況に放り投げられたから、
もうほんとにもう新人だよね。
だから勉強することがもうあふれまくってた。
けどそれが苦じゃなくて、やっぱりその人がちょっと笑顔になってもらうためには、
自分に何が専門職としても人としても何ができるかっていうのがやっぱ楽しかった。
のがもうすごいメキメキと地域看護がもうズブズブに大好きになってしまったターニングポイントがもうそこかなと。
そうですよね。だって自分の判断でほんとに命に直結してくるから、
それでちょっとでも自分が知識をつけてれば笑顔になる可能性が上がるってなると、
確かにやる気が上がるというか、モチベーション上がりそうですね。
どうしてもやっぱね、なんかもったいないなと思ってて、
日本の看護師さんって、前なんか海外協力隊かな、海外で活動されてる女医さんがいらっしゃって、
その人の講演を聞いたときに、ちょっと話せるきっかけを、機会をいただいたときに、
日本の看護師はもったいないよと、みんなすごく高度な教育を受けてるのに、
医師の指示のもとでしかやっぱり展開しないって、看護性ってどこにあるのみたいな、
それは医療、医療、要はキュアの世界観であって、
私たちは看護というあくまでも専門性があって、ケアしていく存在なはずなのに、
どうしてもキュアの補助職、医療の補助職みたいになってしまってて、
あなたたちはもっと自立できる力を持ってるんだよって言われたときに結構目が覚めて、
すげー、そうですよ。今の流れでいくと、
法官やりながら自分の世界がバラダイムシフトしてどんどん広がっていったら、
病院にいる時よりは看護の本質に近づいた感覚はあったんだけど、
まだまだ願いを叶えるってところには行き着いてないというものが見えてきて、
じゃあそれは今の制度ではなかなか難しいから、自分で会社を起こそうと。
そう。で、あえて株式会社でした。
株式会社の思いとかも聞いていきたいんですけど。
そう、なんかよく医療系って、どうしてもNPOとか、事前っていうイメージがめちゃくちゃつきまとう中で、
なんか私、最初実は野良コミナス、野良看護師でフリーランスで看護師やってればいいじゃんって思って、
実は起業する手前はちょっと個人事業なんですし、フリーランスの時期もあったけども、
なんかやっぱり失礼だなと思うようになってきて、
今オリナスでやってることにすごく賛同してくださった福井県の起業さんたちに対して、
やっぱ私も思いを持ってやってるから、やっぱそれをきちんと相手方にも語っていただける社会になれば、
この取り組みって広がるよねっていう。
なんか私だけがやってて、私の手が届くとこの人だけが解決すればいいっていうよりも、
これって本当日本全体の問題になってくるからこそ、私だけがやればいいんじゃなくて、
やっぱ仕組みとして広がっていかないと何の意味もないのかなって思ったのと、
あとはね、ちーちゃんとかその他含め本当に看護の後輩の子たちのすごい面白い子たちに出会ってしまって、
なんか最近すごい嬉しいんだけど、幻かと思うんだけど、
その子たちが加藤さんみたいな仕事がしたいと聞き間違いかなって思うくらい嬉しいことを言ってくれるようになった時に、
この子たちのやりたいが将来フィールドとして展開できるように、
せめて私の世代でゼロイチは作っておいて、土壌だけでも耕しておけば、
あのすごい種の子たちがいろんな芽を吹かせて花を咲かせるだろうなと思っていて、
それもあってもあえてちょっと本当むちゃくちゃだけど経営経験も何の知識もない人間がよく。
株式会社何かを知らない人が。
そうそう、よく株式会社やったなっていうのが2つ目のターニングポイントかなと。
めちゃくちゃおもしろいですね。
なんか多分やったからこそ見えてるものが今いろいろあると思うんですけど、
株式会社やってみてどうですか?なんか感覚の変化とか。
もうね、8年前のデジャヴで。
また戻ってきてるね。
また戻ってきた。
あの感覚が。
あの本当に学びと、でもなんか福井ってやっぱすごいいろんな人に自慢してるけども、なんだろうな、否定しないんだよね。
なんかこう普通だったらこんな人を信用していいのかとか、
大きい企業ほど信用されるみたいな土壌があったり、やっぱあるのが、
なんかすごく強い思いを持って社会課題としてもこんなことをやりたいんですと、
なんか自分自身も頑張りながらつながろうとすると、やっぱいろんな人がつながってくれるって、
なんかものすごい価値だと思ってて、もちろんだからオリナスっていう会社はあるけども、
つかちゃんも仲間じゃん。
たしかにね。
だからあんまり箱にこだわってない部分もあるけども、
まあなんかやってみて学び深いし、なんだろうな、学んでいこうと思えるようなそういう仲間たちがやっぱつながってくれているっていうのが、
なんか福井らしい価値なのかなと思ってて、
普通これがね、違う県外で株式会社やりますって言って同じようにうまくいくかっていうと、
これはなんかある意味福井さん。
たしかに福井の話で言うと、なんかその肩書よりも人を見てる感覚が結構あって、
なんか僕なんかよくわからないピンク頭が、
普通に会社に乗り込んでいろいろ話をしてるのに、コミカルやるときとかあのショッピングモールの人たちすごい信心になってくれるし、
いや本当に本当に。
なんかこう雰囲気とか肩書とかじゃなくて、中身で結構判断してくれた人が多いなと思っていて、
だからこそちゃんとしたことをしてれば否定はされずに応援してくれるんだろうなとは思っていて、
その人たちがどんどん集まってきてるのが今、何か可視化されてきたなみたいな感覚ですね。
確かに確かに。
だから本当にありがたいし、
あえてそういう子たちの仕事に将来なっていってほしくて、株式会社を選んだっていうのもあって、
全く知らないくせに。
確かに誰かがやったことがあるんだったら、私もできるかも。
より広がりますよね。
今まで病院だけにいる人は訪問看護というものを知ったら、そういうのができるようになるし、
訪問看護やってる人たちがオリナス見たら、あれ、なんかもっとそんなことできるんだみたいな。
その先を開いていく人がいるからこそ、次がつながるというかありそうですね。
だから本当に今、立ち止まることを知らず、今2年目になって、
もう1年目も振り返ると本当濃厚すぎたけども、2年目もめっちゃ濃厚で、
本当は3年後、起業して3年後が5年後の構想だったんだけども、
一緒にやってくれる仲間、もう要は雇用だよね。
株式会社としての雇用を増やすな、3年後、5年後とか思ってたのが、もう2年目に着手しだして。
ナースケットできちゃったし。
ナースケットもなんとありがたいことに8人の看護師が今ジョインしてくれてて、スタートは。
どうしても子育て育児とかで看護を離れちゃうと、2回目で言ってたみたいに、
看護イコール医療行為がちゃんとできるみたいなとことか、
結構付属品が引っかかっちゃって看護に戻ってこれない子たちが多くて、
そもそもまず看護の本質みたいなのを追求する場に戻ってきてもらって、
看護ってやっぱめっちゃ楽しいよねって言って、そこで私みたいに人生第二の勉強スタートみたいな感じで、
やっぱもうちょっとやってみようとか思う子たちがどんどん増えて、
そのプラットフォームに看護のウェルビングじゃないけども、居場所と舞台じゃん。
ウェルビングはね、高野さんがおっしゃってるように。
その舞台になってほしいなっていう。
だから株式会社所属のまとめ上げられたチームっていうよりも、
ほんと一人一人が自立して、一人一人が看護ベンチャーじゃないけども、
作り続けていく、好きが広がり続けていくみたいなのが、今回のアスケットになっていけばいいなっていう願いがあって。
めちゃくちゃ素敵ですね。
ちなみに最後聞いてみたいのが、加藤さん今後何していきたいとかって。
せっかくオリナス開いて、いろいろ見えてきて。
今後はほんと、だからナースケットのチームが、いかに楽しく一人でも多く看護という舞台にまた戻ってきてくれて、
それの一人一人のちょっとずつの力が集まれば、
大きくこれからの15年先、2040年までの本当に超超高齢多死社会の一人でも届いてほしいっていうところと、
普通につかちゃんとかてらいさんとか周りにいる人たちはみんなそうだけども、
誰かの幸せや健康を願う気持ちが、ほんと広がってくれればいいっていう、ただそれだけ。
素敵ですね。
僕とかてらいさんでいうと、それが誰かの幸せを願う心っていうのが、たぶんチャレンジ応援っていう言葉になってますよね。
いいですね。
まずはオリナスというものをやりて、ナースケットをやっていく仲間、
ナース看護をやったことがある人たちが看護に戻ってくる道を作りつつ、
今いる素敵な看護学生たちが未来の道を作っていくみたいな。
あとは任せたと思ってた。
すごいですね。たしかにちょうど15年後ぐらいになってくると、超強いチームで2040年を迎えられそうですね。
だから私はもう45ぐらいには、どっか世界旅行に行きたいから。
それもあるね。
5年後ぐらいにはちょっとみんなよろしくと思ってるんだけど。
世界でなんかいろいろやってそうですね、逆に。
そうなんかやっぱり、どうしてもね、亡くなる人とかとの関わりが多かったから、
明日の保障って病気になってる、なってない、関係なくて誰にもなくて、
やっぱ今日1日1日をどれだけしっかり楽しく過ごしていけるかかなって思ってるから。
すげー素敵なこと言う。
いやほんとでもそうなんだよね。
明日を生きたかった人たちの今を生かされてるっていう部分はすごく大きいから、
それも身近で訪問看護の時代はずっと感じ続けていたし、
だからこんだけ今全力で走ってても、あんまりストレスがないのかもしれない。
すごいなんか素敵な話ですね。
なんかやっぱり看護師やってた友崎君とかも同じようなこと言って、
おじいちゃんおばあちゃんにやり残したことありますか、後悔したことがありますかって聞くと、
何々ができなかったとか言うから、じゃあできないこと今やんなきゃって言って今彼はやってるし。
そうなのそうなの。
なので今日ターニングポイントって話を聞かせてもらったんですけど、
誰かとの出会いがターニングポイントによることも当然あると思うし、
なんか自分の色々話してみたいなっていうことがあれば是非コミカルに来てもらって。
いやもう是非ナースケットも興味のある方がいたらインスタフォローしてください。
加藤さんのインスタは概要欄に載せておくので、コミカルの概要欄に載せていくので、
インスタ見てもらって、この日今アースが出てるので話したいなと思ったら是非来てください。
あとこのホットキャストの福井訂正の話なんですけど、
この人面白かったなとか福井でそんな人いるんやと思ったら、
是非番組のフォローと感想とか送ってもらえると僕らも嬉しいですし、
嬉しい是非是非。
是非これ聞いてコミカル来ましたって言ってくれたら僕はめちゃくちゃ喜ぶので。
嬉しい。
是非よろしくお願いします。
じゃあここまでにしたいなと思います。ありがとうございます。
ありがとうございました。