1. 深めるシネマ
  2. #11【エブリシング・エブリウ..

ダニエルズ監督、ミシェル・ヨー主演「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を深める回前編

感想、質問、この作品を取り扱ってほしい、などのお便りはこちらの他、

Twitterのハッシュタグ #深めるシネマ でお待ちしてます

[[[今回のトピック]]]

怒涛のエブエブ学苑 /人類共通のはずの悩み / 選べなかった時代 / インターネットとマルチバース / お医者さんとサッカー選手 / あの時アレを選んでいたら / 何にでもなれる弊害 / 人生サブスク虚無 / やっぱ辛いよね / ラ・ラ・ランド / 一方のメリット / 陰陽のシンボル / 虚無と可能性 / 確定申告をするだけの映画 / 目を覚ませ! / 結局家族かよ / 魅力を伝えたことにならない


次週へ続きます

火曜日19時更新


【深めるシネマオフィシャルグッズ販売開始】 深めるシネマSUZURIショップ

■コミュニティ【深めるシネマ倶楽部】■

深めるリスナーのためのコミュニティ、メンバー募集中です。

今回の課題作品の、毎日映画トリビアとTomohee2人によるオーディオコメンタリー、編集後記や作品に関する補足記事、会員限定エピソード、メンバー同士の交流や作品についての議論掲示板などなどをお楽しみ頂けます。番組継続のための支援にご協力いただける方も募集中。


Twitter

毎日映画トリビア(@eigatrivia)

Tomohee(@tomoheesa)


毎日映画トリビア公式サイト(お仕事のご依頼はこちらから)

YouTube

note


オープニングテーマ

Hizuru Saito (新音楽制作工房)

サマリー

平凡な中年女性エブリンが突如として宇宙存続の危機を救う存在であることを告げられ、マルチバースの舞台で謎の存在と戦うSFアクション映画『エブエブ』が、再評価され、さまざまな感想や評価について考察されています。コインランドリー経営者の主人公がマルチバース能力を使い、料理人やカンフーマスターの自分と戦う話。選択肢が増え、自由な時間が増える現代社会を背景に、人々が自分の選んだ道に対して挫折や後悔の思いを抱くことがあるという考えが描かれています。マルチバースに自由にアクセスできる能力を持つ悪役のジョイ・トゥパキが登場し、彼女の能力を通じて選択することの意味や生きることの価値を問いかけるようなエピソードである。映画『ラ・ラ・ランド』のような自由な選択が生み出す苦悩や向き合い方についても言及されています。人々のマルチバースへの憧れや現実逃避というテーマを取り上げつつ、映画『Everything, Every All at Once』はその内向的な視点から、うまくいかない確定申告や家族関係の問題を解決しようとする姿勢を描いています。時代遅れな感じで言われていること、言われているのを見たことがあります。はいはい。だからやっぱり、むしろそこに絶望しているんだろうなという気がします。そこに絶望とはどういうことでしょうか?家族的なものとか、どうつったらいいのかな。こう、逃れられない、しがらみの、あの、象徴じゃん、家族。

エブエブとは
話題作だよね、これね。 いや、そりゃあだって、アカデミー賞、ねえ、2023の
壮な目みたいな。 ちょうど1年前か、じゃあ。
そうだね。日本で公開が去年の、たぶん今頃、2月とか3月ぐらいだったような気がするけど、その賞レースの時期に
壮な目したんだけど、たぶんエブエブって、なんか結構みんな、ああーって思うかもしれないけど、
なんか俺的には、またこれ、あの大変申し訳ないんですが、 あなゆきの時と同じように、俺はこの作品を
正当に評価されてないと思ってるんだけど。 なるほど。
いいですか?また切り散らかして。 確認するまでもなかったのに、あれ切れてます?つって、なんか
ちゃちゃ売れようかと思ったら。 今回は自白。 自白だね。 切れてる。
そうか。 騒がれたというか、なんか、まあアカデミー賞壮な目みたいなので、
騒がれたのに、日本ではそんなに、 あんまり当たってないような気がする。
そうね、正直、周りで見たっていう人、そんなにいなかったね。
そうね、上映中は確かにいなかったね。 だし、そんなに上映回数、まあ俺は地方にもともといるから、少ないっちゃ少ないだろうけど、
なんていうの。 あのー、君たちはどう生きるかみたいにさ、朝から晩までやってるみたいな。
コナンみたいに、これ休み時間いつですか?みたいなぐらい。 コナンくん大丈夫ですか?みたいな。息切れてないみたいな。
感じの上映本数とかでは全然なかったよね。 やっぱ、あのー、いわゆる中身がわかんない経営があったよね。
そうねー。 あらすじ読んでもちょっとピンとこない。 そうね、コインランドリーを営む中年女性が、マルチバースに旅立って謎の存在と戦う。
何を言ってんですか?っていう。 そんな映画ができるのかっていうのがあったし。
で、あとまあ見たって人にもいろいろ俺感想聞いたんだけど、なんか、やっぱわかんないっていう人が多くて。 まあそうか。
見たんだけどわかんなくてって、俺結構な人数に言われて。 あのー、
結構、まあわかんないっていうのはまあ、なんか理解はできるけど。 まあ、あの後でまあ喋る理由とかいろいろあると思うけど。
あのー、俺は、あのもうちょっと最初に断言しとくけど、人生ベスト級に好きな映画。
でかい、でかく出たよ。バーンってまた激集つって。 バーンって終わる。もうこれで、これでいいだろう。 あ、そう、もう。じゃあ、
ライフタイムベスト5とかに入っちゃうくらいってことか。 うん、多分、現状、今の感覚で俺は1位に入れちゃうかもしれない。 1位なの?お、すげえな。
だってやっぱ一番最近見てるシーン。 まあね、記憶に新しいし。 最近の中で一番あの撃たれたなっていう。
これは俺の映画だってなったタイプの映画。で、記憶がまだ新しいから。 なるほど。
あのー、で、この収録のため、まあ収録する前にすでに俺映画館で3回ぐらいは見に行ってて。 うんうんうん。
で、まあ収録のために何回も見るけど、やっぱね、めっちゃいい映画じゃない? どうですか?
何その苦笑い。 圧が、圧がヤバい。圧がヤバいな、なんか。この人、何バースから来たのかな。
アルファバース。 アルファバースの人って圧強いよね、なんかね、そういえば。 確かに。 アルファバースから来たのかもしれない。いやあの、ちょっと、あの、おふざけを置いといて、めっちゃ俺もいい映画だと思ってるよ。
だから許してくれないかな。 でもなんかね、その
公開当時のネットの評とか、あの感想とか。はいはい。 チラチラ俺も見てたんだけど、
まあアカデミー賞取ったってことを乗っかって、 なんかわかんないプラス、あのなんか評価されてるが重なり、はいはいはい。
あの、なんかケッっていう反応とかも出ちゃってたりとかして。 あー、ケーね。
ケッっていう。 ケッっていうね、なんかあの、まあそういうのが好きなんでしょ、みたいなのとか。 あー。
まあ特にその、いわゆるアジア人がこうやっぱりこう、主演キャストで。 うんうん。
でもまあ、映画としてもそのアジア人家族を描いてるから、 アメリカに住むのね。
中国系のね。 だからなんか、それがそうな目で、あーはいはいポリコレポリコレみたいな。
やばいぞこれは。 アカデミー賞終わったな、みたいな。 あーやばいぞ、ボルテージが。
このまんまだとトリビアさんのボルテージが。 なんかわかんない
ことに対して嫌悪感とか持ちつつ、それがなんか一部の人にはあの 認められてるってことがわかんない、その魅力がわかんないってこともまあ
複雑な心境でこう過剰にこう、拒否反応が出てる人とかもいるのかなっていう。 だけどなんか、俺も含めてあの
結構いろんな人から聞いた感想、あのやっぱりすごい良かったっていう人もたくさんいて。 その人たちにも共通しているのがやっぱり
わかんないけど、なんかすごい感動したっていう人もやっぱ多いわけ。 あーはい。
はい。 手を挙げております。よろしいですか、トリビア先生。
はい、喋っていいですか。 ありがとうございます、つって。いやーあのね、俺がまさにそれで、あの
俺、劇場公開の時に、確かトリビアさんに勧められて見に行って。 そうそう、すぐ行けって言ってた。
まず行けと。すぐ行けと。まず行けと。 仕事帰りにすぐ行けという感じで、ですぐ行ったの。すごい熱量だなと思って、行って
で、1回目見た時に、もう
ありえないぐらい泣いて。
もう本当に、なんか目薬刺されてるのかな、内側からみたいな感じで。 怖いこと言うな。
涙と鼻水が止まりませんっていうぐらい、 結構ね、本当にあの感動して泣いたのね。
で、なんだけど、 あんまり、そのなんちゅうか、何が起きてるのかはあの
ぐっちゃぎよくわかってなかったのよ。 だから、でも本当にすごい良い映画だと思って
作品の魅力と評価
それで、でも謎すぎると思って、もう1回見に行ったの。 確か俺も翌日に見に行ったと思う。
でも本当に良いのかと思って。 なんか。 わかんないもんね。 そうそうそう、何起きてるのかよくわからない。 内側から刺されてる。
なんかだからね、テパキにやられてるのかなみたいな。 悪いことしてくんじゃん、なんか気づかぬうちに。
だからその、どうなんだろうと思って、もう1回見に行って
劇場で、やっぱりよくわかんないまんま、後半爆泣するっていう。
本当に良い映画だ、よくわかんないけどっていう。 わかんないけどっていうね。
そうなんだよな。 力があんだよね、すごい。 ものすごいエネルギーが詰まった作品だっていうのは、多分見た人はなんとなく感じてる人多いんじゃないかなって思ってるんだけど。
でもその理由がわかんないから、なんか、よくわかんないってもやもやしてる人もいると思って。 そうね。
で、まぁ今回ちゃんと、このエブエブ、何が良いのか俺なりにこの1年ぐらいずっと考えたり。 1年ぐらい考えた。
何なんだろうなっていうのを、公開当初から、なんかいろいろ関係者のインタビューとか読んだり、いったい何が起きてたのかをいろいろ俺なりに考えて、でも、なんかそういうけっていう人が多いから、あんまり口にはしないようにしてたんだけど。
はいはいはいはい。 だからちゃんと、この映画が何を描こうとしているのかとかを、なんか補助線を引くじゃないけど、
よくわかんなかったなーっていう人に向けて、やってみようかなと思って、今回選んだって感じ。 なるほど。じゃあこれはあれだね。
トリビアさんの、トリビア先生の、怒涛の解説が聞けるわけね、これは。 笑 怒涛の、山手線とかに貼ってある、怒涛の英語なんちゃら塾みたいな。
聖徳太子みたいな。 西尾城かどっかにあるあの塾のやつ。 そう、怒涛の解説トリビア学園がどうやら開講されるようだと。
いうことだな。 だから、わかんないけど号泣したって人はもうなんか、むしろ俺が今から話す、俺らが話すようなことはもう聞かなくていいかもしれない。
あーなるほど。 だってそんなに素晴らしいことなくない?
確かにね。 そりゃそうだね。 わかんないままでいいかもしれないじゃん、それって。
なぜあんなに感動したのかわかんないけどっていうのは、その自分なりになんか見つけようと思えば見つけられると思うから。 そうねー。
だからもう聞かなくていい。 なんだ、どっちなんだこれは。
俺がちゃんとあの、喋ったほうがいいなって思うのは、その、なんか掴み、掴めそうで掴めないな、よくわかんないなって人。
に、あの分かるように、あの話してみようかなって思ったって感じ。 なるほど、じゃあもうゼロからは分かる
ウェブ講座、ウェブの魅力講座。 講師は、同等の解説でお馴染み、トリビア先生、トリビア学園のトリビア先生です。
どんなコスプレすればいいんだよ。
絶対悩んでると思うんだけどなぁ。
はい、トリビアです。 ポモヒーです。 今回深めていく映画は、「Everything, Everywhere, All at Once」です。
はい、「Everything, Everywhere, All at Once」ですね。 略してエブエブ日本では長いよね。 これは、いや長いでしょ、覚えらんないよ。
覚えられないからエブエブで通すとして。 簡単にあらすじと解説ですけど、2022年製作の映画。
コインランドリーを営む平凡な中年女性エブリンが、突如として宇宙存続の危機を救う存在であることを告げられ、
マルチバースの舞台に世界を終わらせようとする謎の存在、ジョブットパキと対峙するSFアクション映画。
監督脚本はダニエル・クワンとダニエル・シャイナートによる監督コンビダニエルズ。 主演はミシェル・ヨウ、キーホイ・クワン、ジェイミー・リー・カーディス、ステファニー・スーなどとなってまーす。
なんとかしてさ、俺らでさ、魅力を伝えようよ、なんとかして。 どんな方法があるのかは、ちょっと喋りながら探っていくんだけど。
少なくとも、わかんねーからもういいやってなってる人に、もう一回見てもらえるくらいの魅力を伝えたいんだよね。
成功法としては、5回見てください。バーン、終わり、みたいな感じで。 この映画を見たいんだったら5回見てくださいっていうのが、まぁあれなんだけど、そんなこと言ったって誰も見てくれないから。
結構これって、いろんな人が抱えている悩みについて描いてるはずなんだけど。 まずその悩みに共感できるかどうかで、結構足切りされるっていうか。
なるほどなるほど。 その悩みに共感できない人が見たら、なんか普通に家族の愛の話みたいな。
そう、なんかすげー単純な家族愛の話引いては、すごいなんか全近代的ですね、みたいな。
はいはい、家族家族っていう。 あれに見えちゃうし、
それと、なんか漢風とマルチバースみたいなのを 掛け合わせたんでしょう?みたいな。
感じで見えちゃって、あとよくわからないギャグいっぱい入れましたってことでしょ?って思われ ちゃいそうな気がするから、その悩みを明確に
あの 言語化した方がいいのかもしれないなと。
マルチバースとは
そうねー。 その悩みっていうのが、要は
あらゆる人生の
分岐点とか可能性が
あの多くなりすぎて
逆に辛いっていう。 そうねー。
っていうのが俺の、なんか分かるっていう。 分かりますよねってみんなに言いたいんだけど。
みんな分かるよね。これ辛いよねって言いたいっていう。 なんて言ったらいいのかな。だから俺の言葉で言えば、それはあの
選択肢が多くなりすぎて、逆に辛いだよね。 そうだよね。
逆に辛いんだよね。逆に辛い時代だっていうことだよね。
なんて言ったらいいのかな。 まあマルチバースっていうのは登場するじゃん、この映画の中に。
それが、あの要は主人公のエヴリンが、あり得たかもしれない自分っていうのがこういろんな世界に
いると。マルチバースといわれる。 いろんな平行世界って言ったらいいのかな。
だから今自分が生きてる世界じゃない
別の、平行して生きている自分が別の宇宙に、あの
同じ時に存在してるんだっていう世界観だね。 でそれにアクセスできるようになったっていうのがバースジャンプ。
マルチバースの悩み
で、それをやり始めたことによってお話が始まってくっていうね、コツだねこれは。
それもうちょっとわかりやすく言うと、要はなんか今日の晩御飯何にしようかなって言って、
唐揚げなのかカレーなのか。 悩むねー。 まあ悩む。
まあ悩むねー。 カレーを食べた
カレーにしよっと思ってカレー選んだ。 自分と
唐揚げにしよって思って唐揚げを食べた自分っていう2パターンできる。 分岐が。
カレー選んだら唐揚げ食べなかったことになるし、唐揚げ選んだらカレー食べなかったことになるっていうその分岐ができるね。
この場合あの唐揚げカレーはなしにした。 あーそうね。そんなあの欲張り食いしん坊メニューはないんですよ。
まあでも唐揚げカレー戦もあるからね。 あーそうだよな。
やっちゃえっていう。でも唐揚げカレー食ったらプレーンカレー食わなかったことになるね。
そう。だからプレーンカレー食う戦もあるから。 あーそうそうそうそう。
無限にできるわけ。 これで2時間ずっと何食べるか話して終わりにしようか。
これがこの作品の魅力です。 こういう悩みなんですよ。
唐揚げ食べたよねやっぱりとか言って終わるっていう。 戻るんだ。
だからそう選んだ瞬間に、カレーを選んだ瞬間に唐揚げを食べてる自分っていうのはあの
どっかに存在するっていう考え方がいわゆるマルチバース。
なかったことにならずに分岐したっていう。分岐するんだっていう考え方が、まああの最近出て、量子力学とかなんでしょ多分これは。
で出てきてる考え方である。
で日常的に選択するタイミングってめちゃめちゃいろんなのがあるし、何時に起きるかとか
起きて何を着るかとか歯を磨くか磨かないかお風呂入るか入らないかどっちを先にするか 家を何時に出るかとか
無限にあるじゃん。で人生を左右するような大きい決断もやっぱりいっぱいあって。 そうね。
ここに就職するのかしないのかとか、なんかこの人と結婚するのかしないのかとか
選択肢の増加
子供作るのか作らないのかとか、なんか何でもいいよね。とにかく、でもそれも唐揚げとカレーと同じことで選択なわけだね。
そう。 それって
はるか昔は、割ともっと選択肢が少なかったはずなの。
唐揚げもカレーも選べない時代があったわけじゃん。
もうあの白米、玄米一択だという時代も。 一択あったよね。 あったよね。
食べ物といえば、晩御飯といえばご飯と味噌汁しかもう食べる機会がないっていう場合もあったし。
庶民はみたいな。
もっといえばその職業とかに関しても、実家が農家だったらずっと農家をやり続けるしかない。
選ぶ余地がないと。 っていう時代があったんだけど、それが現代になって、明らかにその社会構造が変わったっていうのもあるけど、
それ以前にインターネットができた。 何でもスピーディーに連絡取ったりとか。
そうね。 あらゆることが瞬時にその場でいろいろできるようになったから、
その選択肢がどんどんどんどん増えていく。
決断することが…これ具体的になんだろう?何のアレになるんだろう? アプリ立ち上げて、まあYouTube
見るにしても、何でも見れるよね。 そうだな。
何の動画を?ヒカキンを見るのか、はじめしゃちょーを見るのか。 悩むよね、これ。
悩むよね、これもね。 またこれで二次会じゃん。いろんなYouTuberの名前を出して。
いや、でも東海オンエア。 水溜りボンドなのか、みたいな。東海オンエアが。
いいんだけど。 昔はやっぱテレビしかなくて、なんかチャンネル選ぶぐらいしかなかった。
そうね。 今はや、もうエンターテインメントですらいろんなことを選べるっていうようになっていく。
で、職業に関しても、今まで普通に、例えばインターネットがない、もう遥か昔だったら、まあさっき言ったように農家とか料理屋とか、
自分の手の届く範囲のもの。社会口座変わって就職活動ができたとしても、地元の
新聞社なのか、なんか蕎麦屋なのか、みたいな。手が届くとこしかなかった選択肢が、今は別に海外の企業だって受けようと思えば受けれるし。
そうね。 あの、引っ越そうかとか。もう簡単にそういうことが誰でもできるようになっていく。
できたおかげで、本当にその選択肢が無限に増えてるから、 マルチバースがどんどんどんどん増えてるっていう。
これつまりそのさ、あれでしょ?マルチバースがどんどん増えてるっていうのを、なんかあの、
すごい分かりやすい言葉に翻訳すると、 こうだったかもしれないっていうのが、無限に増えていくっていうことじゃん。
自分の人生への挫折
で、その、なんちゃうかな。 カレー食った時に、
あーでも、今日カレーじゃなかったら唐揚げ食えばよかったなーっていう風になったりするじゃない。 そんくらいだったら別に美味しくない。
あんま美味しくなかったんだろうね、きっとね。 そんくらいだったらいいんだけど、次の日それ食えばいいんだからみたいな感じで、その、
なるんだけど、 職業がやっぱ分かりやすいと思う。エヴリンもそうだし。
あの主人公ね、この映画の主人公の。 だからその、
今はコインランドリーの経営者としてやっているけども、
いろんな夢を見てたわけよね。 なんかあの、
歌手だとか、 教師だとか、
よくわかんない生態の先生だとかっていう、その、なんかあの観察官と話してる時に、
あなたいろんな職業登録してっけどこれ何?みたいな感じになった場面で、いっぱいいろんな選択肢があって、それを選択しようとしたんだけど、全部に挫折してる人っていう
ことじゃん。 今までの人生でいろんなことに挫折してる人。
だからこうだったかもしれないのになっていうことでもあるわけ。 歌手だったかもしれないし。実際歌うまいんでしょおそらく。
新年でカラオケ大会とかもやってるぐらいだから。 家にカラオケマシーンあるからね。
なんだけど、なんだけど今はこれ。 コインランドリー。
で、これが、 俺らにもあるよねっていうことだと思うの。
それを、その悩みを表現するためにマルチバースっていうのが登場してるんだと俺は思ってるんだけど。 主人公の
エヴリンがいろんなマルチバースのその自分、 料理人だったかもしれない自分から料理のスキルみたいな、をバースジャンプっていう謎の能力を使って、
引き出して、それを武器に敵と戦ったりとか。 カンフーマスターの自分がいたら、その能力を自分が引っ張ってきて戦う。
っていう、その構造自体がそもそもその 悩みに基づいてるなって俺は思う。
なんて言ったらいいのかなぁ。 みんな抱えるもんだと思うんだよね。
今の時代、あのー、なんて言ったらいいのかなぁ。 何でもできる、何でもしていいわけじゃん、今の時代って。
基本的に。 だからその、
家業を継がなきゃいけないとかいうわけでもないし、そもそも家業を持ってる人も少ないし、 家がなんか自営業やってるっていうよりも多分サーリーマンとかの方が多いでしょ、おそらく。
もうずっとちっちゃい頃から、なりたいものは何ですかって聞かれるわけじゃん。 学校の授業とかでも。
聞かれるっていう中でその、 何になるかみたいな。
どういう自分になるかみたいなのをもう自由に選択していいんだっつって。 っていう風になっているんだけど、
だいたいみんなそんなに夢の職業にはついてないわけじゃん。 そうなんだ。
俺はお医者さんにはなってないし。 お医者さんだったの? そう、多分小学校、幼稚園かな?ぐらいのとき、最初の将来のお医者さんだったっつって。
聞いたことあるよ、親から。 へぇー、真面目だなぁ。 真面目だよなぁ。
俺なんかサッカー選手とかだったよ。 なんか、ベタだなぁ。
ベタだよね。ベタだなぁ。 Jリーグ前世紀だったから。 あー、そうね。Jリーグチップスとか食ってたね、もう。
だからなんていうのかね、そういう風に、
何でもなっていいですよって言われても、 慣れないことの方が多い。
そうなんだ。 1個しか慣れないしね、そもそも。
結局、サッカー選手やりながらお医者さんできないじゃん、多分。 いるかもね。
可能性があんね。それすらも、要はインターネットがあったら、オンライン受診とかもできるし、
オンラインコースで医学部に入る勉強とかも効率化されて、
やろうというのは多分できると思う。 ってなるともう、頭がパンクしますよ。
サッカー選手かける医者もできるんだったら。 何でもできるじゃん。
だからやっぱ、何でもできるよね。 何でもできるんだけど、1個しか選べないし、それ選んだら、
できなかったことっていう、マルチバースが広がるわけよね。比喩的な話だけど。
だからもう、簡単な話だよね。 あの時、あれを選んでたら、
今こんな、しょぼくれた実家の部屋で、
ポッドキャスト撮ってねえよなーっていう。 お前もだから、医者やりながら、サッカー選手やってたかもしれない。
サッカー選手やって、で、まあそんなにすごい人なんだったら、YouTubeやるよね、きっとね。 YouTubeもやるよ。
YouTubeやってる。 副業みたいな概念がやっぱあるから、
別に普通に会社員でやろうとも、まあポッドキャストもそうじゃん。
映画のポッドキャストやってますとか。 同じように、YouTubeとかで、他のことやりますとか。
でもそれも、箇所分時間増えてるからじゃん。
普通、そんなに自由な時間なかったのに、そのやっぱ、どんどんどんどんこう、インターネットとかテクノロジーの発達で、
時間がこう、短く短くなって、何やるの。 効率的にできるようになってるから、
それによって空いた時間で何かやるっていう発想にもなるし。
農家だけやるんじゃなくて、みたいな。 ともできるようになってるし。
だからそれでまた増えるよね、選択肢。 だからその、それももうあれだよね。自由時間が増えてるっていう。
なんだけど、まあおそらくだけど、俺の偏見なのかもしれないけど、人類に対する偏見なのかもしれないけど、
みんなそんなにいろいろやってないでしょ。 多分。
で、
こっからも、やっぱりこれもインターネットの影響っていうか、せいなんだけど、
さっきのサッカー選手で、あの、医者やってたら、そりゃYouTuberやるわな、みたいな話出たと思うんだけど。
まあそういう、いわば、アクロバティックに成功してる成功者みたいな人たちが、
ずーっと目に入り続けるじゃん。 で、俺これも、いわば、
なんか慣れなかった自分みたいなものとして見る可能性があると思うのね。 全然関係ねえやつだったら別にいいんだけど。
アメリカ大統領とかだったら関係ないんだけど、国籍も違うしな、みたいな感じになるんだけど。
例えばなんだろうね。 あの。
だから、脱サラして蕎麦屋やりますとか。 ああ、そうね。
仕事を辞めて何かやります、みたいな。 で、今それで幸せに蕎麦売ってます、みたいな。
俺もあの時仕事辞めて好きなことやってれば、みたいな。 そう。
で、だからそれ他人の関係ねえことのはずなんだけど、他人の人生で。 なんだけど、自由がいくらでもあるしあったんだよ、過去に。
今もある。 ってことはその、なんか何かが成し遂げられてる人っていうのは、
俺もそうなれたかもしれないっていうことじゃん。 だから、なんかこう、
自由が増えたおかげで、選択肢が増えたおかげで、時間も増えたおかげで、
あの、全部が
自分のこう、
あったかもしれない今、みたいな、現在、みたいな風に見えちゃっている。
でも、自分は今、あの、何でもいいんだけど、実家のこの小っちゃい部屋で、 マイクに向かってペラペラ喋ってる、あの。
で、なんか何回収録しても上手くいかねえなとか言って言いながら、 一線にもなんねえんだけどな、つって。
でも、なんかスマホパッと開いたらさ、あの、去年多く稼いだ、つって言うデイトレーダーがさ、
全然これはもうノウハウさえ覚えれば、あとは君が本気になるかどうかですよ、みたいな感じで言ってくるわけ。
ああ、みたいな。学歴とか見たら、そんなに俺と変わんないとかなったらさ、
ああ、じゃあ、俺も送り人になってたかもしれないのかい? なるかもしれない。
俺たちから始めてればね。 そうそうそう。
ジョイ・トゥパキの能力を通じた選択の意味
もっと前にビットコイン買ってればね。 そうそうそう。
だからね、ビットコインとか全く関係ねえやっていう世界に生きてんだったらいいんだけど、全く関係ない子はいられないわけ、もう絶対に。
そうだね。 うん、そう。
ああ、買っとけば。だから聞いたことあったじゃん、ビットコインっていう感じになったり。 そうだね。
なんかもう、とにかくどんどん、その、エヴリンと同じで、そうだったかもしれない自分っていうのが、
ずーっと見えてるっていう感じの世界なんだと、今思うんだよね。
うん。それに加えて、そのやっぱ、今回のその映画に登場する悪役のジョブ・トゥパキっていうね。
エヴリンの娘、ジョイが、ジョブ・トゥパキだっていうことはわかんないけど、
それは悪役だよね。世界を終わらせようっていう。 そうだね。
で、彼女はその、あらゆる世界に自由にアクセスできるっていう。
マルチバースに、そのさっき言ったバースジャンプっていう、なんか変な、あの、
気候をすると、その能力を奪ってこれるみたいなのを、
介さず、あらゆる世界にフラットにアクセスできるっていう。 うん。いつでもどこでも行けると。
っていうやつが登場するんだけど。
それが、インターネットがこう、発達したおかげで、何人でもなれるっていう教育をされて、
あらゆる世界を見てきたっていう。 そうね。
英才教育みたいなのを受けさせられ、普通は精神がぶっ壊れるけど、
彼女は耐えたおかげで、
自由な選択の苦悩と生きることの意味
あの、もう、どうでもいいやっていう。
ナッシングマターズっていうね。 うん。
一個キーワードだな、この映画の。 うん。
どうでもいいわっていう気になっても、あの、なんか、
ベーグルに世界中のものを全部載せちゃおうみたいな。 本当にどうでもよくなっちゃってるね。
どうでもよくなっちゃう。お遊びに依靠して、あの世界終わってもいいしみたいな、
虚無主義に陥ってるやつが出てきて。
それもすごい俺は共感できるっていうか、
要はさっきずっと話してたみたいに、なりたい自分になれるけど、なりたい自分にはなれないっていう、
この矛盾を抱えた状況をあまりに目の当たりにしすぎて、もう完全に病んじゃってる。
すべてがどうでもよくなる。 言ってみれば何してもいいって言われたから、何してもいいし何でもできるけど、
じゃあ何かを選ぶ必要なんかあんのかっていう。
生きることの価値みたいなのがもう極限まで下がってるんだと思う。 ここだからなんかこう、一段上の絶望行っちゃったねっていう感じだと思うんだよな。
これも結構伝わらないと伝わりず、最初分かんなかった部分なんだよね、俺が多分ここに関しては。
なんつーんだろうな。 分かりやすく言うと、みんな割と経験があると思うのが、
サブスクでネットフリックスとか、スポーティファイとか、
何でも見れますみたいなサブスクサービスに入って、うわーやったーって言って、どんな映画も見れる。 いつでも見れるし。 どの音楽もいつでも見れるし、スマホでどこでもいつでもどれでも見れます。 どれでも選べます。
最新作から旧作まで全部もう追加料金なし。見れます。さあ、
じゃあ今日夜何見ようかなーっつって、こう言って、こんなのもある、ああこんなのもある、ああこんなのもある、ああ、今日は行くってなったことあるでしょ。
あるでしょ。いつでも見れるんだもんなって。 つまり、
これを今日見るという選択の重要性というか、今価値だな。
これを今日見て、これを夜見るんだっていう選択することの価値が、
どんどん下がっていくっていうことね。全部選んでいいよっつって言われたら。 別に今見なくてもいいし、明日もあるし、あさってもあるし。
じゃあもっといいやつがあるかもしれない。いやーでもこれも別にまだ見なくてもいい。 じゃあ別に今これを見る意味って何なんだよ。
明日深めるシネマの収録があるからとかないと。 そうだからなんかこう、強制力働かないと。
ないと、まあいいやっていう。 やっぱなっちゃうと思う。それが人生の選択肢に置き換わってる。
何にでもなれるんだったら、どれかを選ぶ価値はなくなっていく。 サッカー選手に今すぐはいなれますって言われたら、サッカー選手にはならなくてもいいじゃんっていう。
なる価値は下がるし、医者になりたいっていうのも簡単になれますってなったら、あっという間にその価値は落ちる。
本当に自分が好きかどうかっていう別の問いが出てきて、簡単に答えが出なくなる。
なんだろうな、だから選ぶのってさ、大変じゃん結構。 大変だと思うんだよ。人生の選択だろうと、
明日の朝何食べるであろうと、 選択するのって
結構なんていうのかな。
なんか自分軸みたいなのが必要になるじゃない。 で、それを選び取っていくんだけど、でもその
なんていうのかな、やっぱそこが あんまりないと
ない状態で全部オッケーです。全部選んでいいです。 何でも聞いていいし聞かなくてもいいし
食ってもいいし食わなくてもいいし、これもあるあれもあるよっつって なった時に
なんて言ったらいいのかな、じゃあもうどうしろって言うんだよみたいな 感じになる
と思うんだよね。 そうなってくると生きることの意味自体を問い始めるっていうか。
どうせ死ぬし、いつか。 これどっちの職業を選んだとしても別に大して変わらないとか、
どっちを選んだとしても何にも変わらないのであれば、まあ 生きなくてもいいかもしれないなっていう
極論を言えば、結論になっていくのもすごいわかるっちゃわかる。
やっぱり そうねー
どんどん、どんどんなんか 何つうのかなー
辛くなっていく話をしてるけど。 やっぱ辛いよねこれって。
こうだったかもしれないって言うのが
増えてくるんだよ、生きてると。 だし今の時代はどんどん増えるようになってる。
自由だし。 選択していいってなってるから。
で、それによって行き着く先はナッシングマターズになってしまうっていう
ことを 描いてるんだよね。
みんな悩んでない?このことどう思う? 絶対悩んでると思うんだけどなぁ。
俺もうあれだ、今あの話しながら あれララランド思い出した。
ララランドってさ、俺あんまり好きな映画じゃないよね。 なんかちょっとこう主人公となんかヒロインの
ちょっと傲慢な感じがするなぁみたいな 感じの映画だったから、なんかちょっと
なんだっけ?みたいな感じで思っちゃう 部分があったんだけど、あれのさ、ラストもさ
まあ主人公とヒロインは、ネタバレになっちゃうけど、結婚しなかったわけね。
結婚しなくて別々の道を歩いたわけよね。 一人は
ジャズバーかな? ジャズバーの店長。
もう一人は売れっ子の女優っていう風になったんだけど、 その二人が偶然再会した時に
なんかミュージカルシーンみたいになって あの二人が結ばれてたらこんな生活をしてたんだろうか
みたいな感じの あの
劇みたいな、劇中劇みたいなやつが3分ぐらいあるのね、確か。
それが… 怒涛の3分ぐらい。
あそこだけでもほんと泣いちゃうんだよ。 なんか
あったかもしれない。それはもう全く口頭向けの話じゃない。 みんなにもないですか?なんか。
今回投げかけが多い。 そう。
俺もしかして広瀬良子と結婚できたかもとかそういう話じゃないよ。 ないよね。
でも… 広瀬良子とは。そうか。
まだ再婚みたいなね。最近再婚したんだ。 そうそうそう。確かね。なんか浮気吐いて再婚したんだっけ?なんかね。
まだ可能性はある。 でも広瀬にももしかしたら、
こんなことせずに、つまり浮気的なことをせずに、 なんかあの
なんだっけ?キャンドルジュンとうまくやれていたとしたら、みたいな。
なんかあると思うんだよね。 ある。あるんだよ。
ただその… とにかくそれに尽きるのはこうであったかもしれないけど、今自分はそうではない
いい。 この自分しかいない。
バースジャンプできればなーっていう。
この悩みに応えてるっていうか、向き合ってる映画だと思うんだよね。 そうね。
それこそ退治している。 ずっとそれと向き合ってるし。
で、それに対する答えも俺は描いてると思う。 うんうんうん。俺もそう思う。
インターネットの発達と映画制作の可能性
今ずっと暗い話をしてきたけど、この映画が俺、なんでこんなに俺すごい好きかっていうと、
一方、その要するにインターネットやその技術の発達で、その時間がね、すごい短縮されていろんなことができるようになった。
とはいえ、やっぱそれはつらいっていうのだけではなくて、それによって、
あのとんでもなくいろんなことが可能になったよねっていう部分が、 映画制作っていう中でもちゃんと描かれてる。
ほうほうほう。 例えばどういう…
あれになるかな。 これあの、映画見ただけじゃ多分わかんないんだけど、
この映画のVFX、そのCGとかを担当したのが、5、6人のチームかな。
なんかそれも普通に監督の知り合いとか友達で、なんかチームを結成して担当したメンバーが、
誰もその学校とかでVFXを学んでない人たち。 へぇー。
それぞれ映画、自分で映像監督だったりするんだけど、必要に駆られて自分でYouTubeで、
アドビのアフターエフェクトっていうソフト、そのCGとか作るっていうのを、チュートリアルとかYouTuberとかの解説動画をいっぱい見て、
自分たちで学んだ人たちだけでできる。 はぁー。
それで映画制作できちゃうんだっていうか。 できる。
へぇー。
で、これってさっき言った、インターネット発達して、いろんなことが瞬時にできるようになる。
自分の職業以外のことも、YouTubeとか、インターネット、Googleとか活用して、いろんなことが学べるっていうメリットの方じゃん。
確かに、そうだな。
その彼らは、別にちゃんと学術的なもので学校に通って、時間を数年かけて、基礎からやってきたとかじゃなく、
こういうのが作りたいっつって、ババーッて調べて、こうかこうかこうかってやってきた人たちなの。
これってインターネットがあるおかげじゃないと成り立たない。 そうだな、確かに。
プラス、今回カンフー映画だけど、これ。アクション、カンフーアクションがいっぱいあるじゃん。
それの、振り付けをしてる人たち。
あの2人。 あの2人。
お尻にトロフィーをぶっ刺す2人。 そうね。 見てない人は何のことかマジでわかんないと思うけど。
あのお尻にトロフィーをぶっ刺す2人ねっつって。 ぶっ刺す2人ですって言ったら、見た人はああーってわかる。
ちっちゃい方と大きい方みたいな。 最終的にバッと抜かれるあの2人ね。
あのお尻から抜かれる2人。見てください。 あれ、あの2人が振り付けしてるんだけど、あの2人も
YouTuberなの。 へえー。
で、一切そういう学校とかにこうやったことはない。 アクションとか格闘とかの学校でなわけじゃないんだ。
ひたすらカンフー映画を自分たちで見て、それをYouTubeとかで動画で見て、それの真似をするっていうYouTubeを立ち上げて、ひたすらその
マルチバースへの憧れと内向的な姿勢
いろんな格闘シーンとかの振り付けの身を見真似で、1から振り付けを自分たちでやってみるっていう
ことをやってる2人組なわけ。 へえー、すげーな。
その2人が今回、この映画のカンフーアクションの振り付けとか。 本人たちも出てるしね。トロフィーをぶっ刺す。
そうね、そうね。学んだ結果がそれかっていう感じではあるんだが。
をやってるっていうので、これもやっぱ今だから可能。 大量にその例えばサブスクとかがあるからカンフー映画死ぬほど見れるし、
で何回も見て繰り返し見て 練習するっていうその
インターネットっていうもののメリットをもう がっつり利用した2人が格闘シーンを担当しているっていうので、制作の時点でそれの
反論になってるっていうか。 あーなるほど。
インターネットがあることでその辛いよねっていう部分と、いや便利だよねっていう部分を両方
合わせ持つ。 あーなるほど。だからあれでしょ?こうだったかもしれないけどそうなれなかったっていうのと同時に、いや
なれるよ結構っていう。そうそうそう。 フルに活用すれば。
なりたい自分になれるんだっていうこの攻めぎ合いが映画制作、このエブエブを作るっていうことの中だけで、
あのそれこそ劇中でも結構重要になるあの陰暗の影と
太陽みたいな。中国のあるじゃん。あるよね。 なんていうかこうマーク。陰と陽の。陰と陽のやつね。表してる。
要はあのベーグルがね、なんか世界を滅ぼしかけない黒いベーグルっていうのは真ん中が抜けてんだけど、
穴が開いてる。で最終的にエブリンが額につけるあのなんかギョロ目マーク。はいはいはいはいはい。
あれは逆に中が黒くて外が白いじゃん。白目が。そうだな確かに。 陰暗になってる。どっちも。普通になってるんだけど。
映画制作の中でその、要するに両者のバランスの話をしてる。
なるほど。そうなってんだ。 で、劇中でもそのエブリンがいわゆるそのいろんなマルチバースにアクセスして、バースジャンプっていう
のをするんだけど、途中で水亀が割れるぞとか言って。 あー言ってるな。
キーホイクワンが演じてるあのなんだっけ。ウェイモンドか。ウェイモンドに、あのちょっとそのエブリンが、あ、私にはあんな人生があった。あなたと会わない人生があった。
夫のね、ウェイモンドと。あなたと一緒に行かなければよかった。そんなひどいこと言うんじゃねーよって思ったけど。
あなたと一緒に、要はその中国なんだろうね、中国からアメリカを渡るって選択をしなければ、
実家に残って、カンフーマスターになったり、歌の歌手になったりっていう、自分がいたっていうのを目の当たりにするわけですよ、バースジャンプで。
で、それで成功して、一大ムービースターになってるみたいな。のを見たエブリンが、あなたと一緒に行かなきゃよかったんだよ。
そんなコインラントリーの生活で、挙句の果てにそのね、ウェイモンドから離婚届け突きつけられるっていうさ。
そんな人生じゃない方が良かったっていう時があったりして、あのあっちの自分の方が本当に良かったってなりかけてたら、ウェイモンドにしっかりしろっつって。
あのいいかつって、バースジャンプはその能力を取ってくる時のためだけに使うんだ。
向こうにその本当にその自分が生きたいって思ったり、そっちの人生を歩みたいと思ったら、頭が砕けて死んでしまう。
っていう精神を砕ける。 これってその要は能力を取ってくるためだけにバースジャンプを使いっていうのは、インターネットはそういう能力を得るためだけに使えば、
なるほど。 最強の自分になれるんだよって言ってるのと一緒じゃん。
なるほど。 つまりこのVFXのチームとか、カフチームが
そのスキルを自分に身に付けたように、インターネットっていうものをしっかり活用しつつ、バランスを取りながら、あらゆるスキルを自分の目標のために取ってくるっていうことにだけ使えば、
こんな素晴らしいことができるんだっていうことにもなってるっていう。 めちゃめちゃよくできてない?
なるほどなぁ。いやなんかそこまで全然わかってなかったし、
皆さんもうこれでわかりましたね!って言って、バーンって終わってもいいから、いやでもあれだよなぁ。
そうだよね。あのマルチバースで、だからバースジャンプで行って戻ってこなきゃいけないの。
オーイ!みたいなバーンとか言ってすっげーピンタした顔してるじゃん。あれはだからマジで危ねえんだって言ってるんだよね。
しかもそれは有効利用せよってことか。
つまり、なんだ? あの時ああしてればーって思い続けると精神がぶっ壊れるよ。
で、例えばもう実際のインターネット、例えばYouTubeでもいいよ。なんかを見てて、
なんか、それこそこういうふうにすれば、俺も農業でもなんでもいいけどノウハウが身につけられるんだなとか、こうやったら植物育てられるんだなっていうふうに
取ってくるのが健康的な使い方であって、 あーなんかあの時就職せずに農業に新規就農で何とか村とかに行ってればこの人みたいに
良きスローライフが送れたのだろうかって思ってたらウェイマンがバーン!ってピンタしに来るわけよね。
ウェイカーップ!みたいな。 近いでしょー!近いでしょー!つって。
なるほどな。だから虚無と可能性っていうか、本当表裏一体なんだね。
どっちも否定しないというか、それがすごい、 いわゆるインとヨーの概念と同じで、やっぱり何事もバランスが必要なんだっていう。
じゃあインターネットとか技術がない方がいいっていうことではない。 ってかもうそんな
マルチバースとは違った現実の物語
ないし、あるんだしってかもう、ない世界なんかないわけだから。 まあ映画の中ではそのいわゆるあったかもしれない自分、マルチバースの自分に思いを馳せすぎると
精神が砕けるっていう話をしてたけど、 それって要は現実世界で言えば、あの時ああしてればこんな自分があったかもって思いすぎて、
ああもうダメだって病むっていうのはやっぱ過去に視点が向いてるんじゃん。 そうね。
だけどバースジャンプ自体はどっかから能力を持ってきて、今のこのバースで使うために持ってくるわけ。
このピンチを切り抜けるために、戦うために使う、持ってくる。 そう。
つまり自分より先の未来に対して使ってるっていう。 視点がだから
過去ではなく、ちゃんと未来に向けさえすれば、この技術って本当にいろんなことに使えるよっていう、そのメリットの方もしっかり描いてるのが
あの、めちゃめちゃ上手いなって。 なるほどなぁ。
それをあんなあの、なんかしょうもないゲーム関西の描き方をしてるっていうところに、俺はもう親指が立つんだけど。 なるほど。
いいねっつって、グッとつなるわけだな。 素晴らしい。 そうかぁ。
そういうことを描いてるんだと俺は思ってるんだけどな。
いや、やっぱりそうだね。 そうか、だから同時に描いて、同時にね、それこそね。
そう、everything every all at onceにね。 一遍に描いてみせちゃう。 そうか、虚無と可能性が
なんだ? 伝わってます?
ぜひ伝わってほしいなぁ。 そんなに不安なのか? 大丈夫、伝わってるよ。
伝わってた、伝わってる自分と伝わってない自分もね。 そうね、もうちょっとあの時俺がもう上手く合図を打てば、
より良い話が引き出せ、もっと伝わったかもしれないバースがね、 あったりするみたいな。
いやだから一個、答えは出てるっていうことなんだなぁ。 上手く使えって言う。
でもまあそれはまだ前提というかなっていう。 これは恐ろしいと思うけど。
それだけを描いてる映画じゃないから、情報量が多いんだけど。 まあ確かにな。
なんかこう、この映画の批判みたいなので結構、 なんかもっといろんな世界を
見たかったみたいな、なんとか目にしたことがあって。 あー指がソーセージになるよりも、よりももっと他の世界、なんか思いつけますっていう。
いやなんかその世界が見れるのはいいんだけど、なんか、そもそもマルチバースって、そのまあマーベルが先に映画とかでやり始めて。 あーなるほどね。
マルチバースオブマッドネスっていう、あのドクターストレンジの映画とかで、いろんな世界を旅するっていう、外向きな、なんかそのいわゆる舞台装置じゃないけど。
としていろいろ使われてたんだけど、 この映画ってなんか、
真逆じゃん。 まあそうだな、確かにな。
いろんな世界があるからそっちに行けますっていう話ではなくて、 あのいろんな世界があるけど、この世界を生きなきゃいけないんですっていう、すごい内向きな映画だから、
あの映画にそのファンタジー、マルチバースみたいな、その思い描いた自分になれるみたいな、 希望を見出そうと思って見た人にとっては、はーっていう風になるんじゃないかなって。
だってあれだもんな、この映画実はなんか、 マルチバースを支配する、
悪の、巨悪と戦うという風に見せかけて、実はあの、 うまくいかない確定申告をなんとかやり遂げようっていう、
多様性の時代と家族の重要性
話なんだよね。 それだけの話。 超現実的っていうね。
うまくいかない確定申告というか、家庭も含めてね。 うまくいかないこの世界。 そう、うまくいかない確定申告と、なんだかうまくいかない家族関係を、
うまくいかせましょうっていう。 全然外の世界ではないのよね、本当に描きたかったことはおそらく。
夢ねーわーってなるかな、やっぱな、そう考えると。 そうなると、やっぱ現実逃避したいと思って、
マルチバースっていうのを期待して見に行くと、自分の人生を生きろって言われてるような感じになるっていう。
いやでもあれなんじゃない? 現実逃避をするっていうのも、言うのがもうすでに、あの、 こうだったかもしれないっていう、
なんか選び取らなかった、選び取れなかったものが、映画で擬似体験できるんじゃないかっていうことで、期待していっちゃうわけよね、おそらくね。
すでに、でもそれはもう虚無への第一歩になっちゃってるっていう。 それ進んでいくと虚無だよ。
だって、あの、身も蓋もねーけど、ないから別に、マルチバースとか今んところ。
メタバース、メタバースが有力らしいけど。 あー、でもね。
あれでしょ?あの、仮想現実っていうか。 もう一個の、
なんだ、ネット中、あれなんつーの?ごめん、もうすげー。 仮想現実。 仮想現実か。
だからこう、今の現実じゃない、 ネット空間をすごくリアルに体感できるようになる。
的なのを期待していくと確かに、 ね、最後なんか家族が抱き合って終わるし、
コインランドリー、結局続けるし、 ってなっちゃうよなぁ。
結局この世界を生きないといけないっていう結論に至るから、 まあそれはなんだよって
思っちゃう人もいるかなぁと思ったりする。 いやでも、事実そうじゃんって。
またこう、俺は正論を言っちゃうんだけど。 またこれで人に嫌われちゃうかもしんないけど。
またそうなんだよな。 何を言ってんだよっていうさ、
目を覚ませ!っていう俺、ウェイモンドって感じで。 ウェイカー!ウェイカー!ウェイカー!ウェイカー!
オッケー!オッケー!オッケー!とか言ってこう。
こうなんだよなぁ。
いやでもなんか、やっぱそこのところの批判って、 もしかしたらでっかいのかもしれんよね。
なんて言ったらいいのかな。 だからそれこそ、マルチバースっていうでかい世界観が望めそうな、
見ることができそうな、 仮想の体験ができそうな、
ものを期待していったら、 俺これなんか、ツイッターかなんかでちょっと見かけたんだけど。
あの、要するに結局家族主義かよ。
って言う、 この多様性の時代にようやくなってきたのに、
結局家族が大事っていう、その前近代的な、 意欲圧的な、
そういう話に落ち着くのかよ。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 前編
なんて時代遅れな。みたいな感じで言われてること、 言われてるのを見たことがあって。
はいはい。 だからやっぱなんか、むしろそこに絶望してんだろうがよっていう。
そこに絶望ってどういうこと? 家族的なものとか、
なんつったらいいのかな。 こう、逃れられない、
しがらみの、 あの、一個、象徴じゃん、家族。
縁切ろうと思ってなかなか切れないとか。 で、別に選んで生まれてこれるわけじゃないから、
その、折り合い悪くって、
なんていうかな、上手いこと関係気づけなかったりするじゃない。 で、そういうのから逃げるってか、そういうのの外に出るっていう話じゃなかったのかよ。
っていう風に思ってる人たちがいるんだとしたら、
なんか、でもこれは、 古典的な家族を大事にしようね、みたいな。
そんななんか、正論の映画ではないと思う。
だからなんか、そこをもうちょっと魅力として解き明かすっていうか、説明するっていうか、
なんかしとかないと、 じゃないとやっぱ魅力伝わんないような気がするんだよね。
だってジョブツパキは最後さ、最後の最後で、 あれよく見ればなんだけど、
あいつの方からベーグルの中から手伸ばしてんだよね。 で、それをエヴリン母がガッと掴んで、
引っ張り出すっていうか、 いう形になってるじゃない。
ジョブツパキ、 まあアルファジョイでもあるわけなんだけど、
彼女がなんで手を伸ばしたのかっていうことを、 説明できないと、多分魅力説明できたことにならないんだよ、これ。
魅力の説明
家族愛とかじゃないと思うんだよ、多分。 そんななんかふんわりした、もしくはそれこそ縛りつけるような抑圧的なものではないはずだから。
いやなんか俺も、ツイッターで公開当時になんか見たのが。
では、後編へ続きます。
01:02:41

コメント

スクロール