ああ、2016年って俺そういえば結構転機な年中かな。
ああ、だからか。
ああ、そうだ。
だからなんかその、乗れてないの。
ああ、離婚はその1年後だけどね。
うん。
すごく。
離婚、ああ、そっか。
大好きな仕事を辞めたよね。あれ誰でも何でもなれるんじゃなかったっけみたいな。
あったね。
そうか、そういうことか。
あ、でもちなみに俺は当時は見てないし、今回トピアさんからズートピアが、まあこれ2がね、12月の5日かな、金曜日に公開されるということで、
まあそれに合わせて、ぜひやりたいと。
ルーでやりたいと。深めたいと。
あの、まだまだ喋りたいことがいっぱいあるみたいな感じで言われて、俺はその2025年に初めて見たっていう感じやね。
何してたの?
え?
今まで何してたのって。
必死で生きてたわ本当に。
ズートピアじゃないここで、こここの世界で本当に。
いや、ここはズートピアだよ。
えー。
こんなに説得力持って描かれてるわけじゃん、動物たちによって。
まあまあね、確かに。
どうやったら、そのユートピアね、まあズートピアだけど、実現できるか。
うん。
こんだけ簡潔に、その誰が見てもわかる。
そしてそうだなって思える。
うん。
こんなにこうストレートなメッセージを、動物たちは教えてくれてたんだよ。
何やってたの?
えーと、なんかジョージみたいなんだよ。
いや、ジョージ伝わらない人がいるから。
もう2026は始まってるよ。
って言ってるらしいんですよね。
あのテストストランの塊みたいなTikTokerがね。
そうね、だから2025年、えー、2025年はまあ始まってるだろうって話ですけども。
ね、ちょっと、なんかまあ、はっきり言ってしまった方がいいんでしょうね。
うん。
いやいや、いいよ、言わなくて。
え、なんで?
あれ?対話型番組?
聞きたくないわ、なんか。
なんか俺のズートピアを怪我されるようで、あんま聞きたくないんだけどな。
いやいや、ズートピアなんて怪我されないわけでしょ?だって。
怪我するやつとかいなかったじゃん。
怖いやつがいます、皆さん。
そういう街なんでしょ?だって。
おー、怖。
じゃあ、どう思ってんの?ズートピアのことどう思ってんの?
まあ、端的に言うと、乗り切れないよね、この。
えー。
この映画は乗り切れないね、どうしてもね。
そんなやつおる?
いやー、なんか。
結構俺、ズートピアの話をさ、いろんな人にしたらさ、やっぱみんな好きだよ。
うーん、うん。
よくできてるなーって。
あー、言ってる?やっぱみんな。
みんな言ってる。
みんな言ってんだね。
そうか。
すごい感性度と説得力と。
なんか、2016年だなーって思うよね、なんか。
リベラル。
リベラルね。
まあでも、リベラル的価値観、その多様性を受け入れて、みんなで共に助け合って。
失敗もするかもしれないけど。
手を取り合って、夢の国を作ろうっていう、このリベラルの最高到達戦です。
なるほど。
この映画が。
そうか。
えー、2016年でしょ?
うん。
まあ、2016年の年末、今ぐらいの時期に、トランプ当選してんだよね。
だから。
いや、そんなことないよ。
ズートピアではそんな。
ズートピアでは、そうか、ライオンハート市長、あれ?市長不在になってるのかな?
まあいいや、中身に入っていくのはあれだけど。
なんだろうね、客観的に見れば、これは、鳥部さん今リベラルの最高到達戦と。
人類としてね。
人類としてね。
だとしたら、カエスガタナに言うのなら、これはもうリベラルの終着点だったんだね、きっとね。
ちょっと何言ってるかわかんないけど。
まあね、こういう動物もやっぱズートピアにいますから、皆さん。
なんすか、その漢字。
街の一角にはこういう人たちも住んでるけど、俺らは努力で、こういう人とも一緒に歩んでいけると信じているから。
そうか、今こいつグッてやったから、たぶんこいつ選挙出る気だな、たぶん。
乗り越えた先に、ズートピアの生活が待ってる。
圧倒的に楽しい。
圧倒的でしょ、これ。
構図2つのシーンってほぼ同じように撮られてる。
このズートピアという世界観は非常にジャバンなんだ。
あの杖は内田優弥が持ってた杖と一緒だし。
内田優弥の杖差別。
脚本が抜法的に変更されてるんですよ。
ディストピアじゃねえか。
ディストピアなんだよ、これ。
ガゼルさんはさ、すげえセキュリティシンプラスだった。
おい、やめてやれよ。ガゼルさんの悪口はよ。そんな言い方すんなよ。
はい、ドリビアです。
トモヒーです。
今回深める映画は、ズートピアです。
2016年のディズニーアニメーション映画。
簡単にあらすじを説明すると、
さまざまな動物たちが共に暮らし、誰もがなりたいものになれる街、ズートピア。
ウサギの新米警官ジュディが、ひょんなことから出会った狐の詐欺師ニックと組んで、街の失踪事件に挑む物語。
平和だったはずの街に偏見と分断が広がっていく中、2人は事件解決を目指していくが。
監督は、塔の上のラプンツェルのバイロン・ハワダとシュガー・ラッシュのリッチム・ワ。
脚本は、ジャレット・ブッシュとフィル・ジョンストン。
出演は、ジニファー・アグトインとジェイソン・ベイトマンとなっております。
いうことね。
これ僕らがやっている映画ファンのユートピアこと深めるシネマクラブの方で僕が詳細にまとめておりますので、こういった演出の妙。
誰でも何ができるんだっけっていう。
誰でも何かができる深めるシネマクラブ。
有料コミュニティの方でね、ちょっとまとめているので。
これ配信後1週間ぐらいちょっと無料会員でも見れるようにしようかなと思ってるから。
なるほど。
一気に商売臭くなったな。
まあまあまあ。
無料、会員登録だけすればね、見れるっていう状態にしてるんで。
概要欄から気になる方は見てもらいたいなと思うんだけど。
あとまあ照明もすごいんだけど。
なんかね、この映画でその主人公たちがその太陽に照らされてる時と、
人工的なちょっとまあ要するに感触、青白い光とかそのデジタルデバイスの光とか、
その照明、あのいわゆる電灯みたいなものに照らされてる時っていうので結構意味がちゃんと明確にあって。
太陽の光か電気かみたいなことね。
そう、あの要するに温かいオレンジ色の光なのか、月明かりとか、蛍光灯とか、懐中電灯とか、冷たい光みたいな。
はいはいはい、暖色寒色みたいな。
そう、まあ主人公たち結構その太陽の下にいることが多いんだけど、動物だし。
この映画のまあいわゆる大どんでん返しというか黒幕、そして出てくるあの羊いるじゃん。
うん、副市長ね。
ベルウェザー副市長ね。
彼女は一回もその暖かい光の中に出ることがないんだよ。
えー、気づかんなあ、でもそれは。
びっくりするぐらいその青白い光の中にいることが多い。
はあ。
あの終盤その実は黒幕は私でしたってことになるときも、ジュディとニックをその彼女が追い詰めようとするんだけど、
ジュディとニックは博物館かな、の中のオレンジ色の光の中にいて、彼女はその青い懐中電灯の光の中にいるとか多いし、
そのネタバラシの前の時点でも、例えばあの地下室でなんか自分のなんか狭いオフィスみたいな物置みたいなところでパソコンでナンバープレートを調べてくれるシーンがあんじゃん。
車の持ち主ね。
あの時もパソコンの青白い光が顔にバーって光ってて、青いんだよ。
で、その他にもその警察署内にいるときも、彼女がいるところだけ蛍光灯の光みたいな。
しかもそうか、だからあの人が黒幕でしたよっていうネタバラシがされる前からずっとそれやってんの?
そう。
つまり、太陽の温かい光の下にいるのが動物としては自然じゃん。
ナチュラルな状態であって。
彼女は不自然であるっていうことが案に示されてるっていう。
なるほど、なるほど。
見た印象で、見てすぐわかるようにってことじゃないけど、常に無意識的な印象としてこの人は不自然だっていうのが、あと冷たいっていうのがわかるようになってる。
一番面白い例が警察署の署長にジュディが呼び出されていったときに、その署長のオフィスの中は太陽光がめっちゃ入ってんだけど、
その部屋に来るわけ、そのベルウェザーが。
彼女が扉バンって開けた、外はすごい蛍光灯の光みたいな白い光のわけ。
開けたらいるときはね。
そうそう。
その廊下側は白っぽい、もしくは緑っぽかったりもするんだけど。
とにかくなんか不自然に青白いというか。
はいはいはいはい。
っていうのもあって。
太陽のもとにいるっていうこととの対比になってる。
やっぱり自然なものじゃん。
動物っていうのは外にいるものっていうので。
うんうんうんうん。
この辺の対比がすごい効いてるっていう。
なるほど。
これはベルウェザーの副署長だけじゃなくて、物語上、例えば動物が凶暴になる瞬間とか、月明かりのもとだったり。
あーそうね。
家訪ねてたときの運転手の人とかも、人じゃねえよ。
もうそうだしね。
これ何回やるんだよ、人じゃないんだけどね。
確かにな。
だしイタチがリムジーの中で凶暴化するときも月明かりのもとなんだよ。
カワウソかなあれは確か。
カワウソか、カワウソか。
あとは動物たちが捉えられていた研究施設みたいなところも人工的な光で照らされてて、
ジュディとかもスマホのフラッシュとか、懐中電灯とかでその中を探検していくっていう。
なるほど、どっちもやっぱり白い青白い方の光なわけや。
そう。
光でやっぱり印象が全然変わるっていうことよね。
そう、これはもう子供が見てもわかるっていう風になってる。
確かにそれで言うと所長は超差別主義者っていうか嫌なやつとして最初から出てきたけど、
あんまり嫌な印象はそんなにないんだよな。
なんかよくわかんないけど。
もちろん光だけじゃないんだろうけど。
なんかスマホアプリで遊んでるシーンもあるしな。
それはもう脚本とかの妙になってくるわけね。
で、もう一個最後に言いたいのは、顔に光が当たってるかどうかっていうのがすごい重要なわけ、キャラクターにとって。
ジュディとニックが完全にヒントがなくなって、ゴンドラに乗って街に帰るシーンがあるじゃん。
あるね。
あれもものすごく落ち込んだ状態からヒントを見出すっていうね。
監視カメラがあるぞみたいな。
ゴンドラの上で。
二人がニックの過去とかも語られて、まだやれるかもって思うときは暗闇から朝日に向かって進んでいくし。
顔に光が当たってない状態から真正面から太陽の光がサンサンと降り注ぎ始める。
もっと細かいあれで言うと、序盤の方で中勤取ってるジュディが全然仕事が楽しくなくなってきて。
もう訴えるんだったら交通裁判室ってうっさいみたいな。
あの時とかはもう完全に光が逆光から降り注いできてて、ジュディの顔に光が当たってない。
そうだったっけ。
で、その後にその強盗事件みたいなのに遭遇して、まだやれる、私まだ警察なんですって言って走り出すじゃん。
うんうん。
あそこから顔に光が当たり始めるっていう。
あーそうだったっけ、なるほど。
で、最後のそのニックと和解するシーン。
うんうん。
あの、一回こう決裂したけど、ジュディが迎えに行って。
うんうん。
あそこが一番わかりやすいんだけど、なんか橋の下でなんか話し始めて。
うん。
だから橋の下だから光が当たってないわけ。
うん、ちょっと暗いんだよな。
そう、ジュディがもう完全にもうほんとごめんなさいっつって。
うん。
あの、許してもらえるかはわかんないけど、私が悪かったっていう話をしに行くっていう。
あの、人間としてできてるやつの謝り方するところね。
歓声してるからね。
そうね。
うん。で、それをニックがちゃんと受け止めるっていうね。
人間としてできてるやつの受け止めさせるやつね。
そうね。
まあ、ウサギとキツネなんだけどね。
そう。
うん。
それも2人がそのすごいこう落ちてる時は、その影の中にいるんだけど、カットがパッて切り替わったら何故かニックだけ太陽の外にいるんだよ。
うんうん。
橋の影の外に立ってて。
そう、なんか橋の下をもう抜けてんだよね、ニックを。
そう。で、そこに向けてジュディが出ていくっていう演出にもなってるっていう。
うん。
これよく見たらおかしいんだよ、そのニックの立ち位置変わってないのに、なんか次のカット見たら太陽の位置が変わってて、めっちゃ太陽が光ってるっていう。
なるほど。
エラーみたいな、ミスみたいになってんだけど、でもそれは意図的にやってるっていうことなんだよ。
なるほど、だからあれか、アニメでいわばそのゼロから何でも作れちゃうからこそ非常にその効果的に使えるんだと、使うんだと。
そう。
そして効果的に使えているということか。
分かりやすいね、アニメでこういうふうに解説されると。
まあもうちょっと詳しい内容はね、映画。
えっと、なんだっけ?
なんだっけ?
映画を見る人たちのが、何でもできる。
自分になれる場所。
あやふやな。
カムリシナマクラブと。
そこに全部ちょっと解説してますが。
だからね、本当にやっぱね、作ってる人たちも努力。
描かれてる人たちも努力。
まあ人じゃないんだけど。
これをどう否定できるんですかっていう。
なんか疲れてます?
疲れた。
ポジティブな話をこんなにしたのになんで疲れる必要があるんですかっていう。
これだよね。
上がっていくはず。上がっていくはずでしょっていう。
そうね。で、実際にみんな上がっていくわけよね。
これね、だからもうまさに大統領選挙のリベラル側の演説会みたいな。
すっげえなんかドームみたいなところで、スタジアムみたいなところでやってるんですよ。
で、もうみんな上がっていって、で、最後やっぱポップシンガーが出てくるっていう。
USA。
Yes, we canでもあるし。
そうだよ。
そうか、じゃあ俺はあの会場に行くと疲れるのか。
お前はどこ行っても疲れてるだろって。
まあね、じゃあ帰るかな、もう。
家でも疲れるって言ったから。
ここ家だし、俺その窓なりにもう布団があるからもう。
すぐかな、もう。
正しかったですね、良かったですねとか言いながら。
そうですよね。
ということで、今回はずっとての素晴らしい点を語っていきましたが、皆さんいかがでしたでしょうか。
感想は?
ツイッターのハッシュタグ。
お前が言うんじゃねえよ。
あといいのかお前、これ尺すげえ。
深めるのかにしてはお前、総集みたいになっちゃったぞお前。
0.5倍速で皆さん聞いてくださいね。
なんでだよっていう。
皆さんも努力してくださいねっていう。
なるほどね、我々の番外家でそんな、何の努力なのか分かんないし誰が得するのかも分かんないからこれ。
分かった。
いいところは非常によく分かったよ。
メッセージも。
喋りづらいな。
分かったと思うよね。
人はすっごい単純化して言えば良くない部分っていうのはあるし、持ってるとかみんな持ってるけども、それを乗り越えていけばユートピアにこの街をすることができるというふうに言ってるわけよね。
だからジュリーも最後の演説みたいなところで、吹き返す字幕および英語で若干内容は変わるけどさ、とにかく基本的には困難はあるけども、強く言ってるのは一人一人が、あなたたち一人一人が自分の心を見つめて変わっていくんです。
ユートピアの絵の道は一歩ずつなのだと。
そしてその一歩とは、一人一人が自分の心の中にあるそれこそを客観視して、あなたの心の弱い部分みたいな。
そして乗り越えていこう、みんなでみたいな。
そしたら違いを認め合う街になるわというふうに言ってるわけよね。
悲しい。
これはね、このズートピアという映画、このメッセージを内包するために作られた、このズートピアという映画ね。
つまり何をこの映画は言ってるのか。
野蛮を乗り越えようって言ってるわけでしょ。
本能ね。
そしてそのために作られたわけだ。
おそらくそのメッセージの中核はそこにあって。
で、その乗り越えるためには何?努力。
これも中核としてあるわけ。
そのメッセージを伝えるために、このズートピアという映画は作られたわけだけど、
俺はこのズートピアという映画の世界観は非常に野蛮だと思う。
え?
大変野蛮な世界観をもとに作られた作品であり、
ズートピア、中で描かれているズートピア、それ自体は綺麗だよね。
でもそこに至るというか、そうするために捨てられたものがあるいは無視されたものがたくさんある。
その上で語られるユートピアなんて疑問だね。
ジョーカーじゃん。
やっぱジョーカーじゃん。
どうも。
皆さん危ないです。
ズートピアにやられた唯一の人類はジョーカーでした。
あなた119番してください。
離れてっていう、AED使う時。
先にAEDを持ってきておいてくださいっていう。
それでAED使われるのは俺にならないように気を付けようと思うんですけど。
どういうこと?
思うのですよ。
この映画の世界観は野蛮である。
本当に。
野蛮さなんてかけらもなかったよ。
動物だったけどね。
そういうこと言っても。
野蛮な動物は出てこないよね。
動物嫌い。
動物見てるとすごい嫌な気分がして、野蛮な印象があって。
それでお前の1時間ぐらいの説に対抗していくのは無理があるだろうっていう話なんですけどね。
素直な俺の印象で話していこうかなっていうふうに思うんだけどね。
最初は大冗談に構いましたけど、だってすごい勢いで正しさが来てたから。
怒涛の正しさだった。
一発印象的な言葉でカウンターパンチしてやろうかなみたいな。
こういうのも良くないんだろうけどね、多分ね。
ズートピアノ12の皆さんは心優しいからね。
そうだよね。
だから僕みたいなジョーカーの話も聞いてくれよね。
ジョーカー、アーサー・フリックは誰の話も聞いてもらえずに、ああなったわけだから皆さん聞かないとどうなるか分かるよねっていうことになるんだけど。
なんだい、なんだい、なんだい。
かけ出るものがあるって言ってたでしょ、この映画では。
言い方は難しいんだけど、意図的なのか意図的じゃないのか分からないんだけど、明らかにオミットされてるものが。
オミットっていうのは英語だとよく分からない。
簡単に言えば都合よく消されてるものがあるわけ。
これなんかたくさんあるような気がするんだけど、俺がとりあえず気づいたものとしては、これは象徴的な意味で言葉その通りの意味じゃないんだけど、それは経済と障害なんだ。
後編へ続きます。