江戸時代の健康観
はい、どうもゆうとです。今回はですね、日本人の健康観の変遷という話をしてみようかなと思いますが、
前回ですね、食養生という考え方を紹介したんですけど、これは結構日本人古来の考え方というか、
古くからある考え方で、健康に過ごすための方法みたいなことがまとめられたものなんですけど、
そこからですね、どんどん時代が変わることで、健康観みたいなことは変わっていきますし、特に近代みたいな話を今回はちょっと
してみようかなと思うんですが、やっぱり個人単位だけじゃなくて、国の状況とか、社会環境とか、世界の情勢というか、
こういうところからも影響してくるところかなと思うんで、全部ちょっと網羅的に話すのはちょっと難しいですけど、できる限り
話してみようかなというところで、前回食養生という言葉があったんですけど、江戸時代ぐらいだと、やっぱりこの養生という言葉が、
やっぱり元々健康という言葉がなくて、この養生というのが広く知られたみたいですね。
茅原益健という江戸時代の学者というか、医学系の学者が養生訓という本を出しているみたいで、当時は結構ベストセラーになっているぐらいのものらしいんですけど、そこで養生という言葉で健康に過ごすための方法みたいなことが説かれているみたいですね。
この頃だと、これが東洋的な思想なのか、日本人的なところはまだちょっと考えないといけないんですけど、体とか身体みたいなところっていうのは、親から受け継がれたものというか、親に与えられたもの。
だから道徳的な感じで自分の体を気をつけないといけないというか、だから過去からの引き継ぎというかですかね。
だから自分がどうしたいからとかっていうよりは、そういう先祖とか過去を思い返して道徳的にちゃんと大事にしましょうよみたいなことが結構言われてたみたいですかね。
これが結構現代になると未来視点になってくるかなと思うんですけど、そういう感じだったと。
やっぱり鎖国みたいな時代が終わったりとか明治になってくると、結構海外からの言葉っていうのがどんどん入ってくるっていうので、今で言うと健康っていうとヘルスっていう言葉がよく知られてるかなと思うんですけど、このぐらいの時期にヘルスっていう言葉が入ってきたとされてますね。
で、このヘルスっていう言葉をどう訳すかみたいなところでも、最初は健康じゃなくてさっき言った養生みたいな言葉で訳されてたところから徐々に健康っていう言葉に変わっていったっていうのが本の中だと示されたりしてますね。
まあ遅くなったんですけど、今回はカノマサナオさんっていうのを健康感に見る近代っていう本の内容を参考にしてるんですけど、なので明治ぐらいから健康っていうのを結構意識され始めたかなっていうのが歴史的に見たところですかね。
で、この頃っていうのはやっぱ感染症とかですね、コレラとかそういうのが流行してたりとかもありますし、まだ医学っていうのが現代みたいな最近で感染するとかですね、こういう衛生官とか公衆衛生みたいな言葉もありますけど、こういうところがまだまだ甘かった部分があるんで、
やっぱり健康に過ごそうっていうと、衛生的に過ごそうとか、感染症を減らそうとか、こういうところがあったみたいですかね。
あとは、鎖国の際にペリーが来航したみたいなところがあったりしますけど、やっぱり海外から来た人っていうのは体格が大きかったみたいで、体格コンプレックスみたいなのが結構この時に生まれたみたいな話もあったりしますね。
なんで、船に荷物を積む時とかに日本人はあえて力士っていうか相撲取りに運ばせるようにして、日本人にもこんだけでかくて体格強い人いるんだぞみたいなことをアピールしようとしたみたいなことがちょっと話で出てきてますね。
ちょっとまあ脱線しましたけど、こんな感じでやっぱり健康という言葉が使われ始めた明治ぐらいってなると、こうやってコレラとか血核とかもありますね。
近代の影響と健康意識
こういう感染症をまず減らそうみたいなところが健康に過ごす第一の目的だったりするかなと思いますね。
そこからですね、やっぱり第一次世界大戦とか、日本であれば日清日露戦争とか、いろいろ戦争が20世紀前半とかではあったかなと思うんですけど、こうなるとやっぱり戦える人っていうかですかね、国力を高めるみたいな重要性が結構高まってきたっていうのもあって、体力とかですね。
なんでその1920何年とかにラジオ体操ができたみたいな歴史も確かあったかなと思うんですけど、こういう1900年前半ぐらいっていうのは、やっぱり国としての強さを高めていこうっていう、さっきの公衆衛生とかっていうのは少しずつ医学が進歩して衛生官とかも身についてきて、病気みたいなことは少しずつ減りつつあるものの、国力を高めていこうっていうので
やっていこうっていうのがこのぐらいの時代ですかね。なんで健康に過ごすっていうのは、自分自身の不調を改善するというよりは国のためにっていうかですかね、こういうところが結構出てきたみたいですね。
なんでこの頃は子供も増やそうみたいな、ちょっと健康とはずれるところかもしれないですけど、こういう女性も子供を増やせるような健康的な女性みたいなことが良いとされたみたいな、ちょっと社会環境があるみたいですかね。
戦後とかになってくるとまた変わってくるというふうに言われてきますが、体力っていうのが出てきたところから、ちょっと体調を整えようというか、長生きするとか長寿みたいなことが結構重視されてきたのはあるかなと思いますね。
やっぱり感染症とかになると、以前ではですね、結構若い年齢とかでも亡くなってしまった人がいたかなと思うんですけど、そういう予防とか衛生観念みたいなのが出てくると、やっぱり長生きできる人が増えてきたりして、ただやっぱり過励とか高齢になることによって起きてくる病気とかガンとか心臓病とかですかね、こういうところが出てくるんで、やっぱり健康寿命を伸ばそうみたいなところがやっぱり戦後になると結構意識としては
戦ってきたみたいなことは言われたりしますね。
なので、ただ健康的にとか体力をつけていくとかってよりは、体調を良く長く生きるみたいなことが結構重視されてきたところはあるかなと思いますかね。
あとは、やっぱり過労死とかですね、ちょっと働く環境とかも変わってきたりして、公害とかこういうのもこの時期結構出てきたかなと思うんですけど、
やっぱり長く健康的に働ける意義というかですかね、労働環境みたいなことを改善しようみたいな動きが結構戦後とか高度経済成長みたいな時期とかでは結構重視されてきたみたいな話があったりとか、
そこからまた現代になってくるとですね、本当に医療技術も進歩してきて、いろいろ移植が行われるとか、新しい薬が出てくるとか、今までよりもより長く生きれるとか、治せない病気が治せてくるとかですね、そうなってくるとまた倫理観が結構大事になってきたりとか、
結構体調を良く過ごせる人も増えてきたりすると、やっぱり健康に過ごす意味みたいなものっていうのが未来のためにっていうかですかね、だから最近健康投資とか健康っていうのは資本というか健康資本みたいな言葉もあって、この辺も結構資本主義的だなっていうか西洋的な考え方だなっていう感じはするんですけど、
現代の健康観と未来への視点
未来のために若いうちから健康に気遣っておくとか、将来より楽しめるようにみたいなことっていうのが実際に取り組みやすくもなってきたし、その考える意識としてやっぱり西洋的な考え方も結構入ってくるから未来のためにみたいなことが結構現代では言われてきてるかなみたいなところが、大きく見た日本人の健康感の変遷かなと思ったりしますかね。
また、海外とか見ていくといろんな宗教における健康感みたいなことも違うかなと思いますし、国の経済状況とかによっても、他のちょっと発展途上みたいな国とかでは、日本で言うとこのぐらいの時期の健康感だなみたいなこともあるかもしれないので、特に日本は本当に高齢化が進んできてるので、この健康感において健康寿命を伸ばそうとか、
長く生きれるようにというか、より良く長く生きれるようにというので、未来のために投資的に考えていこうみたいなところは、より強く働きやすいところかなとは思ったりするので、もしかしたらですね、この日本における取り組みっていうのが海外でもより注目されることもあるかなとは個人的には感じてますし、
改めて今後ですね、日本人がどう健康意識して活動していくと、また医療費の削減とか、社会保障的にもなかなか今の財政は厳しいところもあるので、社会保障ではどうしようもできないところもあったりすると、個人単位でもあんまりできるだけお金かけずにとか、セルフケアできるような形にしつつ、
それでもまだ治せない病気とか、医学の進歩とかですね、先進的な医療によって治せる病気とかもあったりすると思うので、いかに国がどこまでを保障して責任を持つのかということと、どこまでは自己責任でやるのかみたいなバランス感というかですかね、この辺は本当にこれから大事になってくるかなと思うので、
多分健康感もまた変わってくるタイミングがあるんじゃないかなと思いますし、今回はちょっと歴史を振り返って健康感が変わってきたみたいなところをざっと喋ってみました。以上です。ありがとうございます。