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2022-05-12 09:23

ボート競技選手時代の思い出話


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今週末、自分が大学から関わっているボート競技の全日本選手権というのがあるんですが、それのトレーナーサポートで来ててですね。
思い出話というかですね、自分の昔のこともなんとなくこういう試合とかに来ると思い出すので、そのあたりも話してみようかなと思うんですけども。
自分大学からボート競技っていうのを一応始めたんですよね。
高校までは水泳やってたんで、ボート競技とか全然関わりなくてですね。
自分の高校とかもボート部なかったんで、1校への先輩がですね、ちょうどボート部入ってて。
高校3年生の時に自分が進む大学のボート部があるっていうのは知ってたんで。
実際に大学入った後もですね、なんか勧誘を受けて、体験して面白いなと思って入ったわけですけども。
自分は結構これまでも水泳とか、液伝とかですね、走るやつですね。
単純な動きを繰り返してスピードを競うみたいなところが結構得意だったりするんで、
多分ボートやっても楽しめるんじゃないかなと思って始めましたね。
高校までの水泳部は全然そんなにアスリートとしては大したことなくて、
県大会とか行けるかどうかギリギリぐらい。
自分一人の実力では行けないけど、チームのリレーとかだったらいけるかなみたいな感じでやってましたんでね。
大学がスポーツ取り組むならもう本当に最後なんだろうなと思ってたんで、結構頑張ろうかなと思ってましたね。
自分が大学入った前の年とかに全国で準優勝とかしてて、自分の母校のボート部がですね。
結構強かったんで厳しさはあると思いますけど、ちょっと頑張ってみようかなという感じでしたね。
実際ボート競技ってかなり体しんどいスポーツで、2000mという競技で競うんですけども、
だいたい6分とか7分とかですかね。船の種類とかでスピードも違うんで、
そのぐらい本当に本気でずっと漕ぎ続けるので、人間の心拍数って220引く年齢みたいなのが上限だって言われてるんですけど、
その20歳ぐらいですね、大学生だったら。200とかまで行ったらもう本当に疲労限界って感じですけど、
2000m漕いだ後ってそのぐらい行くぐらい本当に苦しいんですよね。
もう中には吐いたりとか、下呼吸になったりとかするぐらいなんでめちゃめちゃ苦しいんですけど、
持久力もパワーも必要という感じで、自分は高校まで水泳やってましたがめちゃめちゃガリガリだったんですよね。
体脂肪も10%切るぐらいとかで、体重も身長170cmぐらいですけど58kgとかなんでガリガリだったんですけど、
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大学ボート部入って1年目とかで70kgいったかなぐらいなんで、1年間で10kgぐらい増やして、
体脂肪も13%とか4%ぐらいまでいったと思いますけど、脂肪も月ずつ筋肉も増やしたって感じでだいぶ大きくなりましたね。
1年目に関しては全然元々ガリガリだったっていうのもあって、そんなに成績残せずにですね、
秋の大会では同じ学年の選手の中で8人乗りが一番花形で、次が4人乗りで、その下の8人みたいな、3番目の8人乗りみたいなやつに乗ってたりしてたんで、
本当に実力なかったんですけど、2年目にですね、自分は京都大学行ってたんですけど、京都大学と東京大学の対抗戦、
そこの2つの大学だけの試合みたいなのが毎年行われてて、それが結構2年目のメインイベントみたいな感じなんですよね。
そこで1番上の8人乗りにどうしても選ばれたいなぁみたいなのがあって、1年目の冬からかなり真剣にウェイトトレーニングとか、ボートコープトレーニングとかやってですね、
そこで学年の中では本当なんかどうでしょうね、上から8人に選ばれるぐらいにはなって、結構強くなってきたわけですね。
それでなんか上手いことですね、その2年目の学年の中でも上の方になってきたし、チーム全体の中でも結構上の方になってきてですね、
チーム全体としても1番上の8人乗りみたいなことを選ばれるのが花形、中国種目って感じですけど、ギリギリその8人選ばれる感じで、結構頑張りましたね。
2年目にインカレっていうですね、高校だとインターハイとかっていうのがありますけど、大学の全国大会みたいなやつがあって、そこで全国5位とかに入れてですね、
自分的には結構嬉しかったですね。それまで全国9位みたいな順位とかつけたことなかったんで、結構頑張ったなという感じで。
2年目は結構満足でしたかね。3年目とかになると実力もある程度チームの中ではトップの方で安定してきてましたし、
3年目とかもチーム全体の中での上の8人ですね、エイトっていう種目なんですけどそのエイトに選ばれて、3年目もですね結構いいんじゃないかなと思いましたけど、それも5位で終わりましたね。
インカレですね、ただこう全日本選手権というですね、社会人も交えた試合の中でも5位とかなったりして、本当なんか5位が多いんですけど、
だから社会人としても戦えるぐらいのレベルになってきたんで、3年目になったら本当に実力ついてきたなというのが自分でも感じましたね。
自分理学療法士っていう資格を取るのを目標にというか、そういう学科に進んでたんですけどね。
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これがですね3年目の冬からその4年目の春とかにかけてだいたい半年ぐらいかけて、いろんな病院に訪問して実習っていうのがあってですね、本当それに行くと半年ぐらいもうトレーニングとかできないですし、
ボート競技離れるしかないなみたいな感じになっちゃうんですけど、2年目3年目で全国5位とかなったっていうのもあって、結構同学年が結構強い選手が多くてですね。
まあアンダー23、23歳以下の日本代表とかに選ばれる選手が2人とかもいたりして、これはなんか4年目じゃちょっと本気でしっかりやりたいなーみたいなのもあって、1年留年したんですよね。
自主的留年みたいな感じで、単位は取ってたんですけど、そのここまでの単位だけ取って、1年休学とかそういう扱いですかね、1年留年して実習ちょっと行くの先延ばししますみたいな感じで、
学校の方でもなんかちょっといろいろ言われましたけどね、ボート1年やりたいなと思ってたんで、留年してボートやりましたねという感じですが、なかなか4年目が結構苦労して、
そのチームの中のチーム作りというか、後輩の育成からチーム作りみたいなところが結構難しくて、それまではなんか自分のトレーニングさえしておけば結構良かったみたいな感じですけど、
それがなかなかうまくいかずに、大学4年留年したんですけど、インカレっていうやつでは7位とかでしたかね、順位下げる結果で終わってしまって、なかなかちょっと不甲斐ないなという感じでしたけど、一応やり切ったかなという感じでしたかね。
一応だから大学学部は5年行って、理学療法士の資格も取って、ただもうちょっとなんかボート漕ぎたいなみたいなのもあったんで、大学院とかまでも進学して、そこでは一人でやってたって感じですね。
大学の学部の時は、そういう4人乗りとか8人乗りとか、いろいろチームでやってきたわけですけど、大学院の時は一人で、一人乗りのボートもあるので、自分の実力試す意味で続けてましたが、
なかなか一人乗りで勝つっていうのも結構難しくてですね。大学院の時にちょっと海外に学会発表とかっていうのがあるときに、オランダで1回海外のレースとかも経験してみたいなと思って行ってみたら、
海外の選手は日本の選手と比べ物にならないぐらいめちゃめちゃ強くてですね、ボロ負けするような感じになって、世界やっぱ厳しいんだなっていうのも感じて、これ以上自分の選手としての実力はなかなか伸びないなというところで、
大学院の終始2年までやって引退することにしましたね。自分の過去のボート競技の選手としての返力はこんな感じで、7年続けた感じではありますが、そこから理学療法士という資格も取って、アスレティックトレーナーという資格も取って、今ではトレーナーという活動に繋がっているわけですし、
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選手の活動としては自分の過去の思い出話という感じで話してみました。以上です。ありがとうございます。
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