そして最後に、すべてを見ていたドットーレと、口のきけないオウムの話
作:Ene @ene_oeuf 様
BGM:魔王魂
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サマリー
このエピソードでは、ドットーレが自身の研究を通じて人間の心やロボット工学について考察する。彼は三体のアンドロイドを作り、心を持つことの意義や人間と機械の違いを探る過程で、悲劇や喜劇が絡み合った物語を描く。無邪気なオウムとアンドロイドたちの実験を通じて、心を持つことの幸福と苦しみについて考察が展開される。母上を持つことの幸福や恋の悲劇を語りながら、人間の感情やコミュニケーションの影響について深く掘り下げている。
ドットーレの自己紹介と研究への導入
そして最後に、すべてを見ていたドットーレと、口のきけないオウムの話、一つ懺悔をいたしましょう。
私はドットーレと申します。 いいえ、
いいえ、もちろんこれは本名ではありませんで、言ってみれば役柄の、 私が私に与えた役柄の名前のようなもの、
本当の私はここのしがなき研究員。 54歳。専門はロボット工学で、名前はマリオ・ロレンツニ。
出身はシチリアの片田か、そこの産南坊でございます。 しかし、私はドットーレと呼ばれてきました。
そうでなくてはならなかった。 私はドットーレと呼ばれたのです。
ああ、あの哀れな人形どもに、一つの研究をいたしました。 つまり、
さて、どこから始めたものでしょうか。 機械とは何であるかと鑑みますに、
いいえ、まず申し上げておきますに、我々は研究者でございますので、長話はさほど上手でないでしょうが、ご辛抱を願います。
詰まるところを申し上げたいのは、 人は神たり得るか、ということです。
ご存知の通り、それは非常に手垢まみれな議論です。 長年擦り切れるほど話し合われてきた題目です。
いわゆるに、神の領域というものが、 つまりは、神は我々の頭上に、今も真に存在するのか否か。
もし存在するとして、それは真に不可信であるのか。 あるいは我々は、この簡単なき努力と進化等をもって、もうすでにその縁に
英知のかぎ爪を引っ掛けておるのかと、 こういう疑問があるわけですな。
何せ天文時計の発明から700年、 ジェンナーが病気の牛の海を人間に移植してから300年、
最初のクローン羊が生まれてからさえ、もう20年以上経つのです。 我々の英知は今、どこまで神のすごろくの万丈に駒を進めたのか。
あるいはまだ我々人間などというものは、 神の手のひらの上を無意無能に走り回る猿に過ぎぬのか。
あるいは、あるいは、詰まるところ、 鍵となりし者は心なのです。
普段の医学、科学の進歩は人類に無限の可能性を与えました。 我々は獅子よりも遥かに脆弱な前足、
羽を生やすにあたわぬ鈍重な体、 鷹や鷲の半分ほどにも見えぬ眼、
もはや猫にすら勝てぬ牙、爪、 極めて弱々しい生き物として生まれながら、唯一、このちっぽけな脳という臓器一つであらゆる壁を乗り越えようとしてきました。
亡脚に抗い、寿命を延ばし、失われた獅子を補い、 内臓組織さえも作ることが可能となり、
死すらいずれ超越するやも知れぬこの英知を得てすらも、 我々は一つの命題の前に膝を織り続けてきたのです。
すなわち心、 心というもの、
これだけは、 こればかりはわからないのです。
今日、我々はロボットを生み出し、アンドロイドを生み出し、 人工知能を生み出してきました。
その目覚ましい発展ぶりはご存知の通りと言うべきです。 しかし、
しかし彼らは思考しません。 彼らが思考するとき、それは我々人間によって、
このように思考せよと命じられたプロセスをなぞるにすぎないのです。 彼らは思考しません。
感情を持ちません。 喜怒哀楽を持ちません。
彼らは、 心を持たぬのです。
ならば、ならばです。 私は神の目を持ちたいと望みました。
私は研究し、研究が実験を生みました。 私は3体のアンドロイドを作りました。
そして彼らに古典喜劇のキャラクターの名前を与えました。 私が常に彼らの神、デウスXマキナであるために、です。
彼らは、 良いですか、彼らはプログラムされています。
それも極めて最小限に、 自分が何者であるかだけを理解するようにプログラムされています。
彼らは同家です。 プルチネッタ、コロンビーナ、アルレッキーノ、
皆同家者の名前です。 その他に何人かのエキストラを置きました。
彼らは大まかな性格と性別と職業のほか、何もプログラムされていない、 実体を持たないホログラム映像の人々ですが、あたかもそこに実像があるかのように動作します。
3名の実験体が彼らにどう働きかけるか、あるいは彼らが実験体にどう作用するか、 その時点では何も予測できていませんでした。
私は、私はこの実験がどのような終わりを迎えるか想像できませんでした。 しかし悲劇で終わらせたくはなかった。
すべてはコメディアであるべきだと考えました。 ですから我が国が誇る古典喜劇のそれぞれの同家者の名前を与えたのです。
愚かながら心優しいプルチネッタ 愛にさまよう美女コロンビーナ
愛に苦しむアルレッキーノ そして私は彼らの取りまとめ役としてドットオレを名乗りました。
私は彼らに体と衣装と人工知能を与えました。 そしてこの世に書かれたあらゆる物語、
有史以来この世で交わされてきたあらゆる会話を学習し、 自分が何者であるか思考するようプログラムしました。
もちろんそれは先ほども申し上げた通りプログラムです。 私が組んだ命令にすぎません。
彼らの自由意志ではありません。 しかし私はこのように思考せよ、ではなく
思考し己で決めよと命じることで不足の結果が生まれることを期待したのです。
欲していたのはほころびです。それだけです。 ですから他は何も命じなかったのです。
ただ生まれたてのピカピカの真っさらな命のレプリカを抱えた3体の同家物がシチリアの仮想空間に放り出された時、
何を話し、何を考え、何をするか、 まるで予想はつきませんでした。
あたかも神が天地を創造し、ありとあらゆる生き物を世に放った日のように。 土台は作ってやったのだから、あとはなるようになるがよい。
神もそう思ったことでしょう。 ですから私もそうしました。
それが何を生み出すか、私は何を知りたかったのか。 一言で申しまして、私は心というものの生まれる瞬間をこの目で見てみたかったのです。
心、なるものの存在意義を、意味を、今一度問うてみたかったのです。 日々ロボットの部品を相手に研究ばかりしていると、わからなくなる瞬間があるのです。
人間とそうでないものの区別が、あやふやになる時が来るのです。 自分の行く末の道が、ふと見えなくなることがあるのです。
今や彼らの外見は人間そっくりに作ることができ、 手触りも人工皮膚とシリコンがあれば、みずみずしい若い女のそれそのもの。
いくつかの技術的な工芸を施すことにより、老化さえも再現でき、 もし必要であれば、
望むならば、成功すら可能なのです。 ですが、ああ、ですが、あなたもおわかりでしょう。
どれほど成功な機械も人間にはなれません。 人間ではありえません。
誤解をされぬよう申し上げておきます。 それは彼らの体に生命の雫と生命のゆりかごが備わっていないがためではありません。
心です。心を持たぬがゆえに、彼らは人間ではないのです。 心というもの。心というものは人類の幸福にいかに寄与するものなのか。
多くの人間たちが、それがあるがために苦しみ、嘆き、 命の儚さとやるせなさに泣く一方で、それがあるがために喜び、
幸福を感じることもできるのです。 心というもの。
心というものは我々に何をもたらすのか、 我々を幸福にするものなのか、それとも否か。
それを証明せねばなりませんでした。 もはや私の個人的な知的好奇心だったかもしれません。
神の領域をこの目に見たいという欲求だったかもしれません。 しかしそれは必要でした。
ともあれ私は実験をしたのです。 これがプルチネッタです。
ご覧なさい。彼はもはや舞台の上でおどけることができません。 おそらくはもう二度と。
恋をすることもないでしょう。 この表情をよく見てください。
人間でさえこんなにも悲しい目をすることがあるでしょうか。 彼が作り物であることを忘れるほどの成功さです。
彼は悲しんでいるのです。私たちがそうしろと命じていないのに。 彼は自分を同型一座のプルチネッタであると理解し、同型者を演じました。
時に人間がそうするように、彼は自分の役割を決め、その通りに演じたのです。 しかし彼の電子頭脳はこの世に数ある同型の物語の中でも、特に悲しい物語を選び、その敗役を自分に定めたようです。
ご存知でしょう。彼は恋をしたのですから。 彼の恋心は本物であったのか。
その残酷かつ現実的な問いかけは、この実験において非常に重要です。 あなた方は、彼と少女の物語の天末をご覧になったはずです。
悲劇の少女は、小狼から身を投げて亡くなり、 もちろんそんな少女はこの世のどこにもいなかったのですが、このプルチネッタは悲しみに暮れ、
程なく踊りを止めて、こうして動かなくなってしまいました。 現在、彼の感情プログラムは完全に壊れています。
奇妙なことに、どれほど修復しようとしても、元に戻らないのです。 行動を直すそばから壊れていくのです。
人間の心が時にそうであるように、 あらゆる適正な処置を施しても、彼は再び立ち上がろうとはしません。
今後、二度と動く見込みがないのならば、廃棄すべきだとスタッフは言いますが、 私としては、メイン電源を切って安全に処置した上で、我々の研究室に置いておくべきだと考えます。
何か大きなガラスケースのようなものがいるでしょう。 これほど成功に人間に近づいたロボットは、
これほど完成度の高いアンドロイドは、これまで見られなかったのですから。 自分の功績を誇りたい私の気持ちをご理解いただけると思います。
それに、我々の研究は常に先人に学ばなければならないのです。 では、コロンビーナはどうでしょう。
彼女はおそらく、3体の中で最も強く自分を人間だと思っていました。 女性特有というべきか、はっきりとした自我を持ち、
彼女が名乗っていた本名バリエッタとは、うちの研究室の女性スタッフの名前です。 バリエッタ・ミノーリという研究員の女性が、彼女の細かいメンテナンスを担当していたのです。
すると彼女は、バリエッタという一つの名前から自分の過去を作り上げてしまいました。 借金の方に、工業団に売られ、それ以来ずっと意に染まぬ同家の女を演じ続けてきたのだ、とね。
だが彼女は作られてまだ半年も経たないアンドロイドなのです。 その電脳は新品そのもの、彼女の体はどこもかしこも最新の部品でいっぱいです。
では、彼女に芽生えたそれは果たして心たり得たのか? 彼女がアルレッキーノに恋し、アウローラに嫉妬し、赤い髪の副職人にそれらを打ち分けたことは、もちろん我々のプログラムではありません。
彼女は自分でアルレッキーノに恋をし、恋がたきの少女の前で美しきコロンビーナを演じたのです。 それは彼女が人間に限りなく近い心を得たという証であったやもしれません。
特筆すべきことは、彼女は物語が進むにつれ、私を嫌いするようになり、感情や思考のプログラムが正常に働いていないことを示す意味不明なつぶやきを繰り返すようになり、
先日、あの少女が身を投げた小籠と同じ場所から身を投げました。 現在、大車輪で修復作業をしていますが、私の顔を見るたびに、
これこの通り、唾を吐くまでに回復しました。 彼女の航空には人間の唾液に限りなく近いものを分泌する機能があります。
改めて申し上げておきますが、私のアンドロイドは人間との類似性において非常に理想的で完璧です。
アルレッキーノを見てみましょう。 と言いたいところですが、実はアルレッキーノはここにいません。
彼は失踪してしまいました。 位置情報に全く反応がないところを見ると、どこかで破損し、機能を停止したものと思われます。
あるいはどこかの企業の広告と思われて放置されているのか、または誰か物好きに拾われてしまった可能性もあるでしょう。
ともあれ彼は失踪直前、自分がアンドロイドであることを知り、酷く動揺し、
信じられないというようなことを繰り返し申しました。 信じられるでしょうか。彼はアウローラ城を心から愛していると言いました。
心の存在意義と実験の結末
心から。心からです。 おわかりでしょうか。機械の心臓はついに愛の鼓動の何たるかを知っていたのです。
彼はアウローラを愛していると言い、彼女が死んだと聞いた時、自分はもはや人間として存在する意味を失ったと申しました。
いっそ植物になりたいと申しました。 であるから私は彼に彼の何たるかを教えました。
すると今度は彼は自分がここにいる意味はなくなったと言いました。 彼は自分が人工物であることを理解した時、
消え去ることを望んだのです。 それは愛する女性を失った人間の男性の表情に酷似していました。
それが心でなくて何でしょう。 彼は心を得たのです。
良いですか皆さん。 心です。
プルチネッタもコロンビーナも同様です。 その冷たい鋼の心臓に彼らはついに心たるもののもたらす輝きを見ていたのです。
私の功績は英語に称えられるでしょう。 なぜと言って、彼らが話した多くの言葉はそのうちの一文たりとて、我々の考えたテキストではありませんでした。
それらは彼らの電脳のうちに生まれたのです。 我らが我らの心のもたらす感情に揺らされ、ちっぽけな脳で思考し、言語屋に理性の鞭をくれ、舌の筋肉を懸命に引きつらせ、
物を話す。 そのプロセスを彼らも全く同様に行っていたのです。
心に基づいて行ったのです。思考するアンドロイド。 私はその実験に成功したと言えるのでしょう。
では、私の目的は果たされたでしょうか。 心なるものを切り開き、理解し、その誕生を見届け、神の視点にたどり着く、という私の大いなる目的は、
申し上げましょう。 結局のところ、わからないのです。
恋と幸福の探求
わからなかったと言うべきでしょうか。 つまり、この実験が我々にもたらしたものの真髄は何であったのか、我々は解明することができなかったのです。
彼らは不幸になりました。誰も幸せになりませんでした。 しかし彼らは恋をしたではありませんか。
人間の幸福の最も良き形が母上を持つことであるならば、 彼らは人間と同じように幸福であるべきだったのです。
恋をしている間、彼らは幸福だったでしょうか。 美しい囁きの旋律は、甘いときめきの羽は、
一体、彼らの胸にいかなる形を持って訪れたのでしょうか。 それらはいかにして彼らの電脳を愛護し、鋼の気候にその喜びを教えたのでしょうか。
恋に敗れ、恋を失ったとき、彼らは絶望しました。 プルチネッタは自らの動作を止め、コロンビーナは自らを破壊し、
アルレッキーノは姿を消し、 詰まるところ、絶望です。
彼らは絶望したのです。 私は彼らに酷なことをしました。
静かに眠っていた彼らのしとねに、赤々と燃える心臓を放り込み、叩き起こし、ざわつかせ、 傷口から血の流れることを教えてしまった。
心なるものを持たなければ、人形のままでありさえすれば、 彼らは現代技術の粋を凝らした完璧かつ成功なアンドロイド、ただそれ以上のものではありませんでした。
いずれ、どこかの万博のどこかの天幕の中で、人々に愛され、 称賛され、時に威風され、万来の拍手の中で誇り高く手を振っていられたものを、
甘い電気とリチウムを毎晩たらふく地層され、 そっと電源を切られる時にさえ、電脳シナプスの運ぶ幸福な夢を見ていられたものを、
彼らは目覚めてしまったのです。それがために無意であることの幸福を失いました。 彼らは知ってしまったのです。それがために無知であることの幸福を失いました。
彼らは、彼らはあたかも太陽に近づきすぎたイカロスが墜落せねばならなくなったように、
人に近づきすぎたがために人でないことの幸福を失いました。 しかるに、しかるに、心を持つことは幸福とは結びつかぬのではあるまいか。
私はそう考えずにいられるのです。 彼らは恋をしました。あたかも人間のように他者を想い、恋し、求め、それらが叶わずに打ち砕かれました。
オウムとコミュニケーション
私は考えます。 つまるところ、それは非常に魅力的に思われます。
多くのものが寄給します。 持ちたいと願い、欲し、どういうわけか自分の胸にぽっかりと空いている空白を埋めるのに、それよりもふさわしいものはないと信じます。
それゆえに誰もが欲しがります。 目に見えず、手に取ることもできないにもかかわらず、誰もがそれを温かく柔らかで美しく光り輝く何か尊いもののように、
そうしたものが現実に存在するかのように考えています。 しかしいざそれを手に入れると気づくのです。
それはそこに存在するだけでは自分に幸福をもたらさないのだと、 こんなものはない方がよほどましだったと、その方が幸福でいられたと。
おわかりか。 人の不幸は知ることより始まるのです。
アルレッキーノの小話をあなたは覚えているでしょうか。 迷いの国の姫君とやらを。
彼女は知らねばよかったのです。 ただ永遠にさまよい続けておればよかったのです。
ところであなた方は気になっていたことでしょう。 私の肩に乗っているこのオウムについて、少し話すべき時が来たようです。
これは私が個人的に飼っている鳥にすぎません。 しかし私の実験に必要なものの一つでした。
これに名はありません。 彼は言葉を知りません。
私は彼に言葉を教えませんでした。 オウムがもちろん人間の言葉を理解しているわけではないのはご存知のことと思いますが、
しかし彼らは話す鳥です。 彼らは人間の言語を真似るのみならず、仲間内での方言のようなものを持ち、
鳥同士で会話を成立させることはよく知られています。 しかし私は知っています。
コミュニケーションは最も簡単に、そして最も容易く幸福を損ない、 心に傷をつけうる方法の一つです。
我々人間は互いに関わろうとする一種の厄介な引力のようなものを持ちます。 そのために長い歴史の中でいかに多くの悲しいすれ違いが生まれてきたことか、
それは生物としての宿命かもしれません。 ですから私は彼と外界との接触を絶ち、彼に話しかけるものも彼が話しかける相手も存在しない世界を彼にもたらしました。
プレゼントのつもりでした。 無傷の幸福、それを与えるべきだと思ったのです。
始めから傷つかぬ世界を与えようと思ったのです。 そしてそれは成功しました。
彼はコミュニケーションを取りません。 今ここにこうして私の肩に乗っていても、
彼は私を認識しておらず、興味も持ちません。 彼は自分が鳥だということを知りません。
他の鳥を見たことがないからです。 彼は自分が話せることを知りません。
話したことがないからです。 彼は生物です。ゆえに心を持ちますが、その心は機能しません。
彼の胸中は常に凪いだ海のようになだらかで、多くのことを思考せず、悩みも苦しみも持ちません。
幸福とは、しかるに幸福とは、そうしたものではありますまいか。
そう割り切ってしまえばどれほどに良いことか。 私の理性はそう思っていました。しかし私は人間です。
それだけでは割り切れぬ問題があまりにも多いことを私の魂が知っています。 生命は恋をします。心を持つがゆえにです。
実験の結果
心を持つすべての生き物は命の伴侶、傍れを求めねばいられないようにできているのです。
その頂点たる人間の、我々人間の心は、 それを丸裸にしてつぶさに観察をしたとき、一体いかなものであるのか。
ですから私は実験をしました。 その結果はこれまでに述べてきた通りのものです。
私は考えます。 しかるに人間の心などというものは、持っていれば持っていたとて、
ただ苦しむだけのものではないのか。 恋に敗れた三人は三人とも悲劇を迎えたではないか。
どっと俺は思考します。神はこの重石にいかな長年耐えてきたのか。 生命を作り、心を与え、思考を与え、
その結果として生き物どもは愚かになり、愚かな振る舞いのままに滅び、また起こり、
無限に繰り返す営みの中で、神は何を思い続けたのか。 どっと俺は思考したのです。
この名もなきオウムと三体のアンドロイドと、 どっと俺の実験は間もなく終了いたします。
先ほど全てが済みました。 私は今これを研究室のパソコンに向かって話していますが、
これも済んだら私はこの研究室を閉じてしまって、 誰も入れないようにするつもりです。
スタッフは一人また一人とここを去り、 先日最後の一人も辞めていきました。
バリエッタ・ミノーリは彼女の分身であったコロンビーナに対して涙を流して謝罪しました。
その時の音声データを私は持っていますが、今後二度とこれらを公表するつもりはありません。
全てのデータを私が保持し、いずれ消去するつもりです。
私はマリオ・ロレンチニです。 ここのスタッフで研究者です。
しかし神ではありません。 そのことを理解するために私は実験をいたしました。
そして今そのことを懺悔いたしました。 私はマリオ・ロレンチニです。
ドットオレではありません。 しかし私はドットオレと呼ばれねばなりませんでした。
ああ、あの哀れな人形どもに。
29:09
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