まさにその話です。
これもう始まってるけど。
もう始まっていいの?
なんかあの、ゆるコンピューター科学ラジオって聞いてます?
ゆる言語学ラジオの。
堀本さんのスピンオフみたいな。
そうそう、スピンオフっていうか、登場人物と同じなの。
あ、そうか。
逆サイドみたいな。
そうそう、言語学に詳しい、あっちのあの眼鏡のさ。
水野さん。
そうそう、水野さんじゃない方の、堀本さんの、
彼はコンピューターサイエンスをもともと大学で専攻されてたはず。
で、彼がコンピューターとか、コンピューターにまつわる知識をもとに水野さんを教育するっていうのが、ゆるコンピューター科学ラジオだったかな。
で、僕そっちの方よく聞くんですよ。
ゆる言語学ラジオはたまにしか聞かないんだけど、コンピューターの方は結構聞いてて。
で、それで取り上げられてたのに、172回巨大IT企業はなぜ邪悪にないのかっていう回があって。
これその番組なんだ。
そう、それがね、めっちゃ面白かった。
てか、ヒカルさんも絶対好きな内容だったから、もし時間あったら聞いてほしいんですけど。
なんかそこで取り上げてた本があって、本のタイトルがですね、何なんだろう。
何個か出てるわ。何個かあるんだけど、僕が読んだのはリバタニアンが社会実験してみた街の話っていう。
これ買ってみたんですよ。で、ちょっと読んでる最中で。
ただ取り上げられてるメインの方はそうじゃなくて、どっちかというとIT企業。
例えば名前で言うとAmazonとかEbayとか、こういう会社が、特にEbayかな。
Ebayがいわゆるリバタリアンな思想で始まった事業とか会社なのに、どんどんどんどんスケールすればすればするほどリバタリアンじゃなくなっていって、
最終的に創業者はもうこんなの俺の会社じゃないって言ってやめてくっていう。
ほとんどあらゆるいわゆるリバタリアン的な思想で始まったサービスとか、
コミュニティみたいなものがスケールに伴って同じ結末をたどるってことについて語られてるやつなんですよ。
これ我々多分身に覚えがある話に近いと思ってて。
ちょっとそのEbayの話。
全然この話好きじゃないけど続けてくれ。
好きじゃないの?
全然好きじゃないけど、もっと詳しく。
何ですかね、例えばEbayって中古品を出品して、セラーがいて、バイヤーがいて、
それをセッて買って届けるみたいな、そういうサービスなんで、
今の日本でいうとメルカリみたいなサービスの類だっていう風にできるんですよね。
そうなんですけど、初めの方は出品者も自分の中古のこんなものに値段がつくんだって楽しくて出品するし、
買う側もこんなお買い得に買えるんだってやっていてすごく平和でしたと。
なんですけどスケールしていくと、例えば元品が紛れてたりとか、
あるいは振り込みを先にさせてるのに物が届かないとか、そういうトラブルが起きてくるんですよ。
そうすると何をするかというと、ルールとか機能が増えてくるんですよね。
例えば必ず入金確認が終わってからじゃないと発送しないとか、あるいは評価をするみたいな。
この人はいいセラーでした、いいバイヤーでしたみたいな、両側の評価をすると。
ただこれもスケールしていくと、例えば評価を集めるっていうことをハックし出すやつが出て、
必ずいい評価を集めてるんだけど、裏ではさっきみたいな法の抜け道を縫って悪いことするみたいなことがどうしても起きてって、
簡単に言うとイタチごっこになってしまうっていう。
これってどこでもある話やなっていうふうに思ってて、特にメルカリとかも、
例えばの原品の出品みたいなものが問題になって、それを禁止したと思ったら、
今度はそれを折り鶴にして、これを鶴ですみたいな出品があったりとか、
ずっとイタチごっこをしてせざるを得ない状況になったりするじゃないですか。
でも多分元々の創業者とかサービスが成り立つ初めの頃って、もっとピュアな形で始まってて、
そのピュアな時っていうのは基本的にはルールなんてそんなに多くない方がいいし、
ルールが多ければ多いほど複雑になっていくしユーザー体験も落ちていくから、
ユーザー体験市場主義的に始まったサービスって基本的にはリバタリアン的というか、
基本的には市場の原理に任せればうまくいくって発想でやるんだけど、
どんなサービスもUberとかも全てがスケールしていくと、それじゃ回らなくなって、
非常に中央集権的なルールと法の運用みたいな形でサービスとかマッチとか運用されていくっていう、
ここから人は逃れないのか、逃れられないのかって、なんかそういう話なんですけど。
全然好きじゃないけど、もどかしく。
好きじゃなかった?
いや、ちょっと延々話しててもいいよ。好きじゃないけど。
好きじゃなかった?
好物かもしれない。
僕はここまでなんですけど、ネタとして持ってきたのは。
終わった?はい。
ネタとして持ってきたのはここまでで、むしろなんなら事前に、
これヒカルさんも好きだから聞いといてほしいなぐらいの気持ちでスラックに書いといて、
ヒカルさんは予習ゼロで今来てる。
予習ゼロ。
感想発表会してよ。
やば。
それは本当その通りじゃないですか。
やっぱその通り?
メルカリの話みたいな話をしたけど、
俺はサービスもそうだけど、組織としても結構そう思ってるから、
むしろヤモトが組織について悪口言ってるなみたいな。
そんなこと言ってないよ。
メルカリも組織的にすごいリバタリアンというか、
自由でノールールみたいなところから始まったんだけど、
やれ自販機はタダでジュースはいかでも飲めるけど、
そういうのをやっぱり人が増えると好きなだけ買うというか、
ボタン押して全部持って帰るとか、お家にあげるみたいなやつがたくさん増えてくると、
じゃあ自販機ってタダじゃない方がいいんじゃないかみたいな話ができたりとか、
ルールが厳しくなったりとかしていくわけじゃない?
そういうのってやっぱり避けられないよね、とは思うんだよね。
結局、構成員の選択みたいなものをどれくらい行うかっていう気がしてて、
構成員が増えてそこに多様性みたいなものっていうのがすごく増してくると、
そこで起きてくる不祥事というか、
予期せぬ、あまり具合がよろしくないことみたいなものを、
それを見過ごせなくなってくるっていうところにあるんだよね、規模がでかいと。
だから多分人数が少なかった頃のメルカリとかも、
そういう不正みたいなものとかっていうのは全然増してると思うんだよね。
サービスの意味もそうだし、組織もそうだし。
規模が大きくなってくると0.1%しか起きてない、そういったものっていうのを、
いろんな意味で放置できなくなる。
それっていうのは0.1%でも十分な件数になってくるっていうのと、
あいつらがそれしてる意味だったら、俺たちなんでこのルールに従うみたいなことを言わせると、
結構厳しくなってくる。
本質的には規模が増えてくると、
あと構成員みたいなものっていうのを自分たち好きに選ぶ権利みたいなものっていうのが
増えるように失われてくると、開けられない問題なのかなみたいな気がします。
なんかもうもはや構成員の品質に問わず、
例えばすごく誠実で真面目な人でも、
1700人とか2000人とかの一定の規模を超えたら、
とりあえず不正は絶対に起きるし、
構成員の品質を問わずに、
もはや強いルールみたいなのが必要になるっていう感覚があるんですよね。
もっとオルタナティブというか別の方向のコミュニタリアンみたいな感じに回帰しなきゃいけないみたいな形で
社会の回復を目指すっていう層に対して、
いやそんなもう進んでる車を無理やり逆走させるって無理だから、
行くとこまで行ってぶっ壊れるとか、光の速度を超えた形で脱出するくらいに、
どんどんどんどんテクノロジーとか加速してって、別の地平に向かうか、
クラッシュしたところで革命的に何か変革することにしか資本主義は良くならない。
だからガンガン加速しようっていうのは加速主義。
なるほど。今勝手に言葉を生み出したつもりだったんですけど、あるんですね。
ある。
なるほど。何言いたかったかっていうと、
だからその資本主義的なもの、成長とかそういうものと、まさに加速してってるものを止めらんないとか、
あるいは成長を求められる環境みたいなものと、基本的に相性悪いってことだと思って、
それに対して自覚的である必要がある。
山本は自分がリバタリアン的な思想でやっていこうと思ったのを、
そうするに諦めたっていうのはどういう文脈?
でも一番初めはめっちゃ具体例があって、
うちの会社評価制度なかったんですよ。
で、全員同じ給与だったんですよ。
でも12、3人目ぐらいに来た人に、
なんで評価制度ないの?みたいな。
なんでみんな同じ給与なの?
なんで僕の方が高くないの?みたいなのをコメントされたことがあって、
その瞬間にうわっ!ってなったんですよね。
うわっ!って思ったってことは、やっぱ僕は基本的にはない方がいいって思ってたっていう。
それで結構自覚的になった記憶がありますね。
TENXやってる経験の中で。
僕もない方がいいとは思うけどね。
いわゆる事に向かえとか、事業に向かうための組織だから事業に向かってる時間が増えた方がいい。
だから人生とか評価とかそういうものを気にしてる方が無駄だ、みたいな。
そういうちょっと原理的な考えに、今結構ポジションとしては近かったんですけど。
でもやっぱ人が増えていくと、どうしてもそこから避けられない引力がある。
なぜかっていうと、あんま綺麗に言語化できてないかもしれないですけど、
自分と他の人との相対的な比較っていうのを基本的には気にする生き物だと思うんですよね、人間が。
そのマグマみたいなものが、社員が2だったら2しかないけど、社員が100だったら100になるんで、
どうしても避けられないっていう感じでしょうね。
まあでも人類全体の。
でもこれすごい何か不都合な真実な気がしてて。
世の中何が重要かみたいな話をした時に、自由と平等みたいなのがあるじゃん。
でもこの2個って何か同時に語られるとめっちゃ相性悪いってなって。
めっちゃそう思う。
リバトリアンとか給料とか気にしないよとか、評価制度とかなくても、
俺は俺のやり方でやるし、周りのやつが給料もらってても気にしないってやつは、
多分結構自由なやつなんだよね。
でも平等を求めるやつは結構そうじゃないというか、
平等を求めるやつは多分あんま自由じゃないんだよね。
だからこの両方を結構実現すると結構難しくて、
あんまこれ言うと怒られるけど、やっぱ社会には自由を享受できるっていう、
強かったりとか思想的に割と成熟してる人間とそうじゃない人間っていうのが、
残念ながら存在していて、
その二層に対して同じ制度みたいなものを平等に等しく適用するっていうことに無理があるってことだと思うんだよね。
会社の中でも給料とかあんま気にしないけども、
ただ俺は自分が必要なことをやるんで、
自分のジョブディスクっていうのはここからここまでだからとか言わずに、
好きなだけ自由を無人に好きなボールを拾っていくみたいな、
一方この面で言うとすごく成熟した精神性を持ってる人と、
自分はその範囲の仕事しかしません。
でも給料は周りの人と比べて低い気がするので不満ですみたいな人って、
持っている前提とか精神性の成熟度が違うと思うんだよね。
その二人に対して同じ自由と同じ平等っていうのを適用するっていうのは相当無理があるし、
その二つの層に対して同じ人事制度を適用するっていうのも、
同じくらい無理がある。
でもどっちに合わせるかって言ったら、平等というか、
制度を導入する方に基本的には傾くわけじゃない。
なぜか知らないけどね。
そうすると自由層っていうのは、
なんでこんな毎日、市販機に一回顔並び買わなきゃいけないんですかとか、
なんであいつってセクショナリズムで自分の職務範囲しか仕事しないくせに、
SOがどうとかずっと文句一件使ってなっていってやめるっていう構造なんだよね。
すごい悩ましいから、
俺は自由もグレード制にしたい。
一定以上のグレードじゃないやつには自由とかないだろうみたいな。
でもそういう議論結構あります。
日本人って同調圧力強いみたいなのよく言うじゃないですか。
でも自由と平等で言うと平等を求める人の方が多いっていう議論かなと思うんですけど。
さっきの具体例で言うと、自由もグレードみたいな。
直近ある話だと、例えば今ってリモートワークどうするのみたいな話とかって、
もう2024年に2,3週してる話だと思うんですけど、
直近出てる議論とか、僕らの会社っていうよりは、
世の中的に出てる、それはアメリカとかで出てる議論としては、
基本的にある一定の能力があると認められた人だけの権利って形に今なってきてる。
それって自由のグレード制みたいな。
一定のバーを超えた人しかその自由を享受できないっていうオプショナルチケットになってる。
でも本当に平等もある種そういうふうに区切りができてくるし、
自由も区切りができてって、どんどん息苦しくなるんだろうなみたいな。
そうね。それは一定ある議論だよね確かに。
確かによくも言ったら裁量労働制とかもそういう。
あるグレード以上じゃないと裁量労働制の中に組み込まれないみたいな。
でも正しいっちゃ正しいですけどね。
だから実は区別してるんだよね、なるべく分かりづらいように。
とか管理職は給料高いけど残業つかないとかも、
その範囲の中でパフォーマンス出すように頑張るでしょっていう。
この前提があるから。
システムとか仕組みとかって慣らす行為じゃないですか。
基本的に平等にしていくっていう行為に近いと思ってて、
例えば不確実性を削る行為とか、再現性を高める行為が仕組みを作るとか、
システムにするってことだと思うんですけど、
そういうものにしてけばしてくほど、どんどん平等の方に会社とかコミュニティとか倒れていって、
そうなっていくと自由があるが家に出てたパフォーマンスっていうのが出づらくなっていくっていう、
これってめっちゃイノベーションのジレンマと同じ構造ですよね。
難しいよね。