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2025-10-09 30:42

正直FPラジオ第190回 「無限の自由、個人主義が行き着く先の問題点」

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サマリー

このエピソードでは、自由と個人主義の違いについて議論しています。また、日本とヨーロッパにおける教育のアプローチの違いを探り、自由の行き過ぎがもたらす問題点や社会契約論についても触れ、個人の自由と社会との関係性を考察しています。さらに、個人主義の行き過ぎが現代社会にもたらす問題点についても議論されており、特に教育において子供たちに自由と責任のバランスをどう伝えるかが重要であることが強調されています。自由と個人主義がもたらす問題点についても掘り下げており、個人の意見を主張することの難しさや、それによる誤解が生じることについて考察しています。

自由と個人主義の違い
正直FPの本音しか言わないと!イエーイ!
どうもみなさん、こんにちは。または、こんばんは。
金融商品を売らず、顧問料だけで稼ぐトップ1パーのコンサルティングFP、
家事と経営コンサル、コーチングも手掛ける個人投資家、
テラの2人でお届けします。
このラジオは、金融商品を販売しないからと各業界や金融機関に
コンタクトなしの正直意見が言える、AKPがめちゃくちゃ投稿する、
暇つるしいコンテンツとなっております。
テラさん、今日もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、お前が今日のテーマはズバリ、
自由奔放と自由の違いがある…じゃない?みたいな話を。
自由奔放と自由ね。
そう。
これはカニさんが持ってきたテーマですもんね。
そう。で、なんでこんな話をしようかってなったかっていうと、
なんか私は結構ラジオを聞くのがすごい好きで、
よく朝は子供を送り出した後に、
だいたい一通りの家事を1時間ぐらいかな、やるんですけど、
その時にずっとラジオを聞いてるんですよ。
作業をする時によくラジオを聞いてるんですけど、
そのラジオの好きなパーソナリティの人が、
今オランダで、もともと日本の高校教師だったんだけど、
教育についていろいろ考えたいからっていうことで、
教育移住も兼ねてオランダに移住をして、
オランダで小学校の先生をやってるのかな、今。
で、その人がいろいろ自分のオランダでの教育と、
日本の教育についての話とかを、
ラジオで話してくれるっていう番組があるんですけど、
その人が言ってたのが、
今、日本でどっちかって言ったら、
軍隊教育というか、みんな並んでみんないいみたいなさ。
みんな並んでみんないいが軍隊教育だって。
そんなふわふわした感じでしたっけ?
違うの。横並び一列で、
なんていうのかな、要は整列して、
軍隊みたいな、みんな一心乱れず姿で。
軍隊みたいだけど、そこにはないってことか。
協調性こそ、素晴らしいみたいなさ。
でも一方で、自由に対する憧れみたいなのが、
日本人は個人の主張ができないとか、
右にならえとかさ、そういうのが課題になったりしてるじゃない。
教育と自由の考察
もっと個人の主張をすべきだみたいな。
もっと自由、拘束も厳しいし、もっと自由でいいんじゃないみたいなのがあるじゃない。
でも一方で、オランダとかヨーロッパの方では、
ちょっと自由すぎないみたいなのが逆に議論になってるんだよみたいな。
自由を履き違えて、このままじゃまずいよねみたいなのが、
先生たちの間で議論になったりするんだって。
だからそれが真逆なわけじゃん。
日本は自由に対する憧れがある。制約ばっかりだみたいな。
学校は拘束ばっかりでみたいな。全然自由がないみたいなのを懸念されている。
けど一方、自由が進んでいるはずのヨーロッパでは、
自由が進んでるね。
そう、日本から見たらね。
自由すぎてちょっとやばいんじゃねみたいな。
自由すぎてやばいっていう事例はどういう事例なのか。
そうそう。例えば、なんだろうな、
個人の意見を主張することは素晴らしいっていう考え方みたいなんだよね。
自分の思いとか気持ちを伝えることはOK、すごくいいことだ。
それ、あなたには権利がある、その権利があるみたいな教育をするみたいなんだよ。
でも、ちょっと待ってと。
でも自分の意見を言っていいんだけど、
その意見は今、あなたが心で思うのは自由だけど、
今この場で言う必要ある?みたいなのを理解できない子が多いって言ってた。
要は空気を読めと。
そういう事!
今その意見、あなたの、前回のお気持ち表明じゃないけど、
今あなたのその主張をここですることによって誰がハッピーになるの?みたいな。
そういうのも分からなくって、
俺はこう思うみたいなことを声高らかに、
だって俺には自分の気持ちを表明する権利があるみたいなので言っちゃうみたいな。
でもさ、それは目指してた方向性なんじゃないの?と思うんだけど、
それぞれが自分の気持ち主張を言うのが良しってことじゃないですか。
そうそう。で、その授業をしていたのはアメリカ人の先生だったんだって。
で、アメリカ人の先生はそれを良しとしてたらしいのよ。
そういう考え方もあるよね、みたいな。
でもそのパーソナリティーの人は、
いやちょっと待ってよって、それってなんかどうなの?みたいな。
別に彼女はそれが間違ってると思ったわけじゃなくて、
すごくモヤっとしたので、そこに対して。
それは日本人的価値観からなのか。
そう、そういうこと。日本人的価値観って言ってた。
まあそうだよね。
じゃあそれは現地で問題になってる話じゃなくて、
その人が思う問題ってこと?
あ、そうだね、そうだね。
ごめんごめん、そうだね。
そういう話だったよね。
そうそうそうだね。
日本人的価値観からはそれはどうなんだろうって。
でもそれは今の具体的な事例に対して彼女が思った話だけど、
もうちょっと話を広げると、
行き過ぎた自由奔放さっていうのが問題になってるっていうのはあるみたいなことは言ってたよ。
それはちょっと具体例が欲しいね。
どのような形で問題になってるのかな、みたいなね。
だから聞き直されるから、ラジオをもう一回聞きたいって言ったのに。
それはわかんない、もう一回聞かないと。
じゃあ僕が想像する話でいいかな。
その自由ってものっていうのは結構深いテーマというか、
ずっと議論されてきてる話なんですよ、人類としてはね。
どこまで歴史をさかなごろうかが難しいけど、まあいいや。
じゃあもし僕が想像するにね、
その自由さが問題だってなってるのは、
これ日本でも最近だから出てきてると思ってるし、
前回のお気持ち表明にもつながる話なんだけど、
カジさんがさっき言ったとおりですよ。
みんな違ってみんないいっていう価値観自体が問題だっていうふうに、
たぶん今世界中でなってきてると思ってるんですよ。
これは多様性って言葉で言い換えてもいい。
個人主義ってものを強調しすぎる。
それが重要だと言いすぎるからこそ分断が生まれてるっていうのが、
自由の履き違いっていう話になると思ってて。
無限の自由の問題点
そういう話だったら現地で問題だとなってそうだなと思うんだけど。
個人個人が。
今の話ちょっと思い出したんだけど、
あなたの主張するその自由によって、
誰かが不自由を感じるっていうことも想像しないと、
そこに自由は成立しないんだってことを言ってた気がする。
それはまさに社会契約論の話なんですよ。
学んだの覚えてます?
ジャン・ジャック・ルソーという人が書いた社会契約論。
これは民主主義の生まれたときの話に、
こういう議論が当然されてるわけですよ。
すごいね、昔の人って。
哲学とか考えてる人がすごい考えてるから。
すごいよね。だから変人なんですよ、みんな。
最終的に発狂し死んじゃうみたいな。
そうだよね、発狂しちゃうよね、大体ね。
今の話を軽く、社会契約論で話してる議論みたいなものを、
簡単に非常に伝えるというか、話しておくと、
今のカジさんが言った通り、個人の自由を最大化すると、
他者の自由に干渉してくるわけですよ。
そうなの、そう言ってた。
これは自然状態の自由っていうふうに、ある種の言い方としては言っていて、
これはね、もう闘争状態って言われる状況なんですね。
万人による闘争っていう。
みんなが自分の自由を強調するがゆえに、
それは自分の自由を侵害されたら、
ある種、相手を殺してもいいっていう自由まで認めなきゃいけない状況になるわけですよね。
これはどうしたもんか楽しかった。
無限の自由は有害なわけ。個人の自由を認めすぎるとね。
人類はこの経験はしてきてるわけですよ。議論は終わってるわけですよ、ある種。
これじゃあどうやって社会契約の中で解決してやるかっていうと、
抽象度が高くなるから、できるだけ具体的に簡潔に言うから、厳密な話はできないんだけど。
個人の自由っていうものは基本尊重すべきなんですよ。
ここに、言葉としては市民的自由っていうことをルソーは言ってるんだけど、
社会としてのここまでは許容できるよね、
他者の自由を侵害するところは市民的自由ではNGになってくるんですよ。
つまり言い換えると、自分の無限の自由の一部を
社会というところに明け渡して、ある意味ね。
その代わりに自分のその他の自由の保障をしてもらうってことなんですよ、社会に。
要は殺されない安全を保障してもらう。
物を盗まれない安全を保障してもらう。
その代わり自分が誰かを殺す自由とかは制限されるわけですよね。
社会に属する市民的自由としてこういうふうに表現されている。
すごいね。その通りだね。
これは一般意識というふうにも言っていて、何が一般なんだって話したんだけど、ルソーが言うにはね。
要は自然状態の自由を基盤に人々は社会契約、それが社会契約って状態ですよ。
自分のある種自由を明け渡して、自分の安全を図るっていうことを、国家政治っていうもので保障してもらう。
まさに法律がそういうことだもんね。
だから法律は守らなきゃいけないし、ってことだよね。
その代わり法律に私たちも守られるってことです。
一般意識というものをそこで定義してるんだけど、それに従うことで、
自分のある種安全を保障してもらうみたいなことを言ってるわけですよ。
これはこの精神で言うと、一般意識に従うべきだっていう話だし、
一般意識は間違わないぐらいまで、絶対間違わないぐらいまでルソーは言ってるから、
それはちょっとどうなんだって僕は思うけど。
基本的にはそういうふうな話。
他者を殺すとか、そういう無限の自由は認められてないんだよ。
認められてないというか、それが社会契約ですよね。
契約を結んでるわけですよ。
じゃあ自分の人を殺すとか、いろんなこと迷惑をかけることを、
人間は自由であるからって言って、
主張しまくるっていうともう野蛮人ってある種ね。
万人による闘争状態になるわけで。
そういうのは社会以前の状況に戻ってくる話になる。
いわゆる爪弾き者とされるよね。そんなことをしてたら。
そうですね。
実は時代的にはこれと同時に、神が死んでるんですよ。
神?
神が死んでるんですよ。
神だって?
これは現代の生きてる僕らにもつながる価値観で、
民主主義っていう時代に生きてますよね。
さらには今問題にしている個人主義ってものが出てきたのも、
神が死んだから生まれてきた価値観なんですよ。
要は自分のお気持ちを表明する。
自分の主張が他者に強制できるみたいに思ってる人。
これ前回の話につながるけど。
神様いたらそんなことないもん。
神様の声をいつも聞いてろって話になる。
神のおぼし飯がまず優先される話であって、
だから個人の意思とかどうでもいい。神のいる時代はね。
でも神が死んだ結果、個々人の意思が自由だよねっていう価値観が出てきて、
これをもとに国民国家って生まれてくるんだけど、
そこまで話すと長くなるから置いといて。
個人主義の考察
結局個人の気持ちを大事にする、重要視する、
個人主義ってものがどんどんどんどんそのときから生まれてきたわけですよ。
それが今だいぶ引き過ぎてきてて、
どうしようかねみたいな話になってきてるのが現代だと思うんで。
みんなこういうの勉強した上で、
改めてアップデートした議論をしないといけないよとは思うよ。
SNSとかの朝会話とか見てると。
そうなんだよ。話を戻すと結局そんなことを言っていた。
もっともっと具体的な話ではあったけど、
子どもの教育をするときに、
どうやってそれを伝えていかなきゃいけないかっていう。
それは大人の責任なわけじゃん。
子どもに自由は自由奔放とは違うんだ。
つまり、自分の行き過ぎた個人主義はダメなんだよっていうことを。
どこまでがOKでどこまでがダメなのかっていうのを、
なぜダメなのかの理由をきちんと大人が子どもに伝えていくべきだ、
みたいなことを言ってて。
基本的には法律で絶対ダメなこととかは否定されてるわけですよ。
でも法律もだいぶ曖昧に表現されてて当然。
解釈によって残されてるわけですね、そのような状況がね。
そこをどう解釈するかっていうのももちろんあるし、
究極は今みたいなことを学んだ上で、
自分はどう生きることが美しいかって自分で決めるものだと思ってるんだ、僕は。
だから自分の中の倫理観、軸みたいなものがあって、
これは自分としてはやったらダサいからやらないとか、
美学みたいなものがある方がいいよとは思ってる。
もちろんそれはそうだと思うし、
常々このラジオでも美学を持てみたいな話はしてるじゃない?
僕はね、してるね。
そうだよね。だからそれで全然いいと思うんだけど、
一方、子どもに対して、これは教育者の話だったんで。
僕は教育でそういうことをやるって言ってる。
自分の中でやっていいこと悪いことっていうのを、
今みたいにいろんなことを学んだ上で、
自分の中でそれは判断しなきゃいけない。
だから究極、前も言ってたと思うけど、
法律に遺憾しなければ何やってもいいみたいな話になっちゃうわけですよ。
ルールに則った上で何やってもいいっていう、
それはまたちょっと違う話になってくるんで。
最低限の他者への安全を保障するためには法律はあるんだけど、
じゃあ法に則ってたらいいのかって話はあるじゃないですか。
大人がもし子どもに教えるんだったら、
教育における責任
そういう判断軸じゃなくて、
自分の中でこれは美意識の話になっちゃうんだよ。
自分の中でかっこいい行いなのか、ダサい行いなのか、
そういうものを子どものうちはなかなか持てないと思うんですよ。
いろんな経験させたり、いろんなものを勉強させたり、
いろんな人を見たりとか、
その中でこれは自分の中でかっこいいと思うなみたいなものを見つけていく?
これはダサいなと思うなみたいなものを見つけていく?
そういうことが必要だと思う。
なんか違うんだよ。本当その通りなんだけど。
私が思ったのは、そのラジオを聞いてね。
じゃあ自分の美学がありますと。
で、ここと美学の中で私はこう思うと思ったとするよ。
でもそれを必ずしも主張する必要ないんじゃないって。
空気を読む話じゃないけど。
あなたはそう思ったかもしれないけど、
今その場であなたのその正義感というかその美学を振りかざすじゃないけど。
それは本当に前回の話でも繋がるんだけど。
それを言う必要はないよねっていう。
例えばうちの娘とかも友達と揉めたりしてね。
私はこう思ったからこうやって言ったんだみたいな。
誰々ちゃん間違ってるみたいなことを言ったんだっていう話をよくするんだけど。
それはね、あなたの考えは正しいし、あなたはそう思っただろうと。
でもそこでその発言をすることで、他の子はどう思うと思うみたいな話をよくするのよ。
うちの子は主張がすごく強いタイプなわけよ。
私に似てね。
だから主張を持つこととそれを口に出して相手に投げることはまた別。
この判断はどこでするか。
だから相手がどう思うかじゃない?
これは想像してるってこと?
そういうことだと思う。
メリットとデメリットがあって、この発言をすることで誰かが傷ついたり、
誰かのそれこそ自由が侵害されるんであれば、
別にその主張をすることによって得られる逆のメリットとしては、
自分が何か主張できたみたいなすっきり感だとしたら、
言わなくていいんじゃない?みたいに思っちゃう。私はね。
だから想像して、メリットデメリットを考えられるようになればいいっていう。
そういうこと、そういうこと。
主張の重要性と空気を読むこと
そうじゃないと、ただただ正論を振りかざしぶちまけるような人間には納得しくないんだよね、私は。
それがさっきのラジオの議題でもあったわけよ。
あまりにも主張をすることが、自分の意見を持つことが正しいという教育が行き過ぎて、
どこでもかしこでも空気を読まず、
みんなが自分の主張ばっかりするようになっちゃってる、みたいなことを言ってて。
それは別に言わない。あなたがそう思うのは自由だけれども、
今この場でそれを言う必要はないんじゃない?っていう。
どういう場だったら逆に言っても。
だからこの主張をすることによって、
誰の権利も侵害しなかったり、誰の気分も害さないとき。
でもね、基本的に主張ってものは誰かの気分を害するんですよ。
そこがね、今回私は今までそう思って振る舞ってきたけど、
だからすごく空気を読まないことが多かったのよ。
何も言えなくなってくる気がするんですね。それを突き詰めると。
誰にも気分を害さない、自由も軽減しない、
っていうものって、もう正論も多分誰かによってはイラッとしたって聞いてるし、
何も言えなくなるんじゃない?っていうのが僕の疑問だけど、それはどうか。
いや、だからそれは相手を選んで、相手と場所を、
自分の考えを提案する場所、提示する場所を、
やっぱりよく選ぶ必要があると思うよね。
例えばこの人に言っても、それこそ諦めだよ。
無駄だなって思ったらもう言わないし、
でもこの人とは議論をしてもきっと建設的な話ができそうだと思ったら自分の意見を主張するとか、
あとはここでははっきり言うべきだなってシーンは言うし、
ここはちょっと言わないほうがいいなって思ったらもう言わないみたいな。
だから判断むずいよねっていうのは。
むずいよ。むずいけど、そういうことはすごい重要だなって思うよね。
それが社会性の一つ、疎開性を形成するためにうまく立ち振る舞う、
私は一つの諸星術的なものだと思うけどね。
いつでもどこでも正論ぶちかましたら嫌われるよ、たぶん。
それはそうだと思うけど。
今、かんじさんに聞きたいのは、
それは判断軸がまず難しそうだなっていうのは今に話してた通り。
で、あと何を持って判断なのかっていうのは、
その想像力とメリット・デメリットの話をしてたと思うんだけど、
それだけでいいのかな。
分からない。分からない。
どこだろうね、それ以外何かあるかな。
空気?
本当に私はシックス性質で生きてるからな。
なるほどね。
なんか今言っちゃったみたいなことはあるよ。
空気はあるよね。
ぶち壊したなこれっていうのはよくあるからね、私は。
一方でさ、言わないと伝わらないこといっぱいあるわけじゃないですか。
いっぱいある。
これはどう思う?
伝わる形にして、どうしたらこの人にはどういうアプローチをしたら伝わるかなってことをよく考える。
これで自分なりにカスタマイズして伝えていこうとする関係を続けたい人には、
関係を続けたくない人にはもう諦める。
言わないっていう選択肢?
言わない。
今は2つ分かれたけど、言わないっていう選択とも、もうちょっと伝え方を変えるっていう。
その判断はどこでどうなんだ?
だからその人と今後も付き合って、付き合いを継続していきたいかいきたくないかっていうところになるよね。
個人と個人の話だったらね。
あとは、もし組織とかだったら、
うーん、そうだな、やっぱ頑張って諦めないでどうしたら伝わるかを考えるかな。
とか、寝回しをして違う人に言ってもらうとかね。
だからそれもその手段の一つだよね。
僕の中ではそれはさっきの美意識に全部集約されてて、
ここはかじさんの話でいうと、
なんとか伝えたほうがかっこいいと思うかっていうか、
人間としていい振る舞いだと思うからやる話だし、
これ以上ここで議論したところで多分何も起こらないし、
逆に相手が怒るだろうなっていうのは、
かけるっていうのは見にくいなと思うからやらない話になってくる感じなんですよ、僕の中ではね。
空気を読むっていうのはもちろんそれは言い換えとしてはあるんだけど、
そうだね。
良いかどうかっていうところかな。
なんだろう、なんかね、今の話はレイヤーの問題だとして、
のような気がしていて、
テラはもう多分他人に自分がそれをすることで、
どう思われても別にわかんねえ奴にはいいやっていう、
そんなことないよ。
そんなことないよ。
でも大抵の人って他人にどう思われたいか、
そのコミュニティでうまくみんなに好かれたいっていうのが普通だから、
そうするとまず最初は空気を読むというか、
あえて読まないも含めてちゃんと立ち振る舞っていくっていう能力はやっぱり社会性の動物だから。
僕が社会性がないと。
いや違うんだよ、そうじゃない。
だからそれがもっと上のレイヤーだから、
ちょっと一般の人には理解しづらいだろうなって思ったの。
いや別に全然好かれたいですよ、僕だって人間だもんね。
ダメなツボに入った。
別に伝えたいと思ってますよ。
そうなんだ。
もちろん。
だからこのラジオやってるわけじゃないですか。
伝えたいからこそこういう話してるわけですよ。
そうなんだ、知らなかった。長い付き合いだけど。
1ミリも伝えたいと思わなかったら別にこんな話しなくて、
自分の中で処理できる話だから。
そうなんだ、そうか。
難しいけど面白いねこの議論。
ちょっと私が勉強不足だよね。
だって今日のラジオで思ったんだもん。
今日朝ラジオを聞いて、
昨日かこの話を考えだしたから、
まだ全然自分の中で整理できてないまま話してるからね。
でもかじさんの今日の話を聞いてて、
やっぱ一番は空気を読めないといけないねって
すごく強く思ってるんだなって聞いた。
私ね、私空気読むのってそうかもしれない。
大事だと思ってるんだろうね、きっとね。
思ってるんだと思う。
僕ももちろん大事だと思ってますよ、空気を。
あ、そうなんだ。本当に思ってるの?
なんだろうな、言うべきことは言う必要があると思ってるし、
そうじゃないと伝わらないと思ってるし。
そうだよね。
っていうのは思うから、別にそこになんか…
異論はないというかね。
自由と個人の意見
うん。なんだろうね。
逆に言わない方が後で自分の中で
なんかモヤモヤが残るっていうことがあるから、
あるね。
場合によってはね。
それは僕の中では良しとしないわけですよ。
さっきのレイガーさんの話で言うと。
わかるわかる。
言わないように。
そうなんだよ。
だからテラとすごく話してると、
そうだなってすごい思うし、
あ、それで良かったんだなって思うんだけど、
ただなんか今回、
パーソナリティの人の話を聞いたときに、
あってちょっとなんか、
あ、私もしかして言い過ぎなのかなってちょっと思っちゃったんだよね。
あれでもちろんあれなんだよ。
ちょっと話はずれかもしれないけど、
僕の中でもそれこそ大人になってですよ。
30代超えてからとかで、
やっぱ余計なことは言わない方がいいなってすごく思うことがあったりするわけですよ。
そうだよね。
私はほんと余計なこと言っちゃう。
そう、余計なことを言わなくていいのは、
それは後から振り返って、
やっぱ全悪の話なんですね、僕の中では。
あれ言ってるのはダサかったなと思うわけですよ。
あそこ別に言わなくてよかったなみたいな。
それ言って何なんだろうみたいなのがあるわけじゃないですか。
だからそういうことはアップデートされていくわけですよ。
最初から決まるわけじゃなくて、
アップデートされていって自分の中で、
これはこういうほうがかっこいいな、
これはダサいなと思うことが増えていくわけなんで。
ああ、ダメだろうとかいまだにあるやつはしょっちゅうだよ。
だからそこから学べばいい話だし、
それはかっこ悪かったから後悔するわけじゃないですか。
言って後悔してること。
っていうのが僕の今思ってる感覚。
だからもちろん学び続けてアップデートしてますよ、そこは僕だけ。
そうだね。
だから久しぶりに誰かの話を聞いていて、
あって、あって思ってたっていう話だったんだよね。
それがなんていうのかな、
自由、個人の意見をどこまで主張すべきかみたいな。
個人の意見を言うことがかっこいいとか、
それができて素敵とか言われるけど、
それはそんな簡単な話じゃないのかなとかね。
いろいろ考えましたっていう話でした。
簡単にさ、やっぱりゼロ百で考えなくていいと思うんだよね。
そうなんだよね。
出すべき百、ゼロ百じゃなくて。
そう。
そう。
でも最近なんかゼロ百思考になっちゃってたかもなーっていう、
だから私ハッとしたんだと思うんだよね、その話を聞いてね。
だからそんな簡単じゃないなーって、
もうちょっと頭使わねばいかんなーだという話でした。
でも難しいテーマではあると思うんで、
成長と停滞
みんなどう考える?みたいな話だし、
前回の話から言うと、
だからお気持ち証明しちゃうってことは、
僕からしたらダサい行為だし、かっこ悪いって思うわけですよ。
自分の気持ちみんな知ってよ、みたいな。
かわいそうでしょ?とか、
もっと周りがダメだと思うんだよ、とか言ってるのがダッサって思うから。
ダサい。
しかもそれを裏でばっか言うやつはもっとダサいよね。
ほんとそうなんだよ。
いるよね、でも失敗。
僕が前回の話を、
もし一言でまとめるなら、
ダサいからやらないって話でおしまいになっちゃうんだよ。
私はそれですごくすんなりくるけど、
なかなかそういう人ばっかじゃないと思うし、
それでそう思ってる私ですら、
なんかハッとしてしまって、
ちょっと行き過ぎているなって思ってしまったという、
ちょっとよくわかんないけど、そういうことでした。
ちょっとずつ成長していくのがいいんですよ。
日々成長ですということでした。
停滞してるのがダサいと思ってるからね、僕はちなみに。
そうだよね。
私すぐ停滞するからね、ほっとくと。
すぐ楽なほうに流れちゃう人間なので。
だから私はこのラジオをやってるっていうのは本当にあるんだよ。
ということで。
レベルアップ。
本当そうなんだ。
今日もすごい哲学の話が超面白かったし、
私は哲学書といえばソフィーの世界を、
20歳ぐらいの時にすんげー難しいこの話って思いながら、
頭をグルグルグルグルさせながら読んだ記憶があります。
そこで結構哲学者がいっぱい出てくるからさ、ソフィーの世界って。
それで知りました。
はい、以上です。
ということで、
今日のラジオはそろそろ終わりの時間とさせていただきます。
今日もここまで聞いてくれてありがとうございました。
このラジオは毎週木曜日に更新をしています。
あとコミュニティのほうですね、
にぎわってきておりますので、
ですいコミュニティのほうに、
特にお金がかかるものではありません。
参加をしていただければと思いますので、
お待ちしております。
それでは今週も正直に生きていきましょう。
バイバイ。
はい、それでは。
30:42

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