ジャズの入り口案内所、案内役のFrank Nappaです。
この番組は、様々な扉からジャズの入り口をご案内するラジオです。
今日、8月15日というのは、実は皆さんご存知の通り、終戦記念日ということになっております。
そして、この終戦記念日に合わせてお送りしたいのは、この方のお話。
ジャズピアニスト、秋吉敏子さん。
皆さんにですね、一番伝わるご紹介をするとすると、
マンデー・ミチルさんのお母さんですね。
ジャズピアニスト、秋吉敏子さん。
この秋吉さんが手がけた、平和への祈りのこもった楽曲について、今日はお話をしていきたいと思っております。
それでは、
HOPE 穐吉敏子 平和への祈りの扉、開けてみましょう。
では、はじめに、秋吉敏子さんについて、少し見ていきたいと思いますけれども。
秋吉敏子さんは、1929年生まれの、現在95歳。
生まれたのは、戦時中の満州。
終戦を迎えてからは、日本に帰ってきて、ピアノを弾くようになります。
当時からね、中国にいた時からピアノの練習はしていたそうなんですけれども、
当時はね、戦争の役に立つようにね、そういった将来を思い描いていたそうなんですが、
戦争に日本が負けたことによって、ジャズの道へ進むということになります。
1952年にはですね、あの渡辺貞夫さんと一緒に、ホージーカルテットというカルテットを組みまして活動をしています。
鍋沙田さんの方がちょっと年下ですかね。今鍋沙田さんが90、確か1歳か2歳ですのでね、少し秋吉さんの方が年上。
お、二人とも元気ですね。
そして1956年に単身渡米をして、渡米をした夜、これがまたちょっとこぼれ話ですごいんですけど、
その日の夜にね、ナイトクラブへ行って、そこで演奏をしていたバドパウェルというね、有名なピアニストがいるわけですけれども、
そのピアニストに代わってですね、ちょっと一曲弾いてみなよということで、代わって弾いてプレイをしたというようなね、ことが残っています。
バドパウェルってかなりの人気というか有名なピアニストですからね、映画にもなっちゃうぐらい。
そんな人に代わってプレイさずや緊張したとは思いますけれども、夢中で演奏したというようなことでしたね。
その後ですね、オスカー・ピーターソンにそのプレイを賞賛されてレコードデビュー。
また日本人初のバークリー音楽院、今でいうバークリー音楽大学の小学生として、その門を叩きそこで学びを得るということがあります。
ある意味ですね、日本のジャズプレイヤーのアメリカへの開拓者、ジャズ界のノモヒデオといったところですかね。
その後ですね、ナベサダさんもこの秋吉さんに呼ばれる形で渡米をしています。
その後、1959年にサックスプレイヤーのチャーリー・マリアーノと結婚をして、その間にマンデイ・ミチルさんが生まれます。
1963年のこと。夫のチャーリー・マリアーノとは1965年にこの6年間という結婚生活にピリオドを打ちます。
その間に1962年にはですね、チャーリー・ミンガスのバンドに参加するなど、彼女自身のキャリアというものは着実にステップアップをしていきます。
そして1967年に現在の伴侶であるルー・タバキンと出会い、1969年に結婚。
以降ですね、このルー・タバキンと一緒に音楽活動を続けていきます。
この方はサックスとフルートのプレイヤーになります。
このルー・タバキンと一緒に作ったアルバム、コグンというアルバムがあります。
この秋吉さんがアメリカに単身日本人として乗り込んで、乗り込んでというかね、渡って、
そこでやはり差別だったり、ジャズの世界、黒人ミュージックですからね。
逆にこの日本人という意味での差別というか反で、そういったものを抱えながらですね、歯を食いしばって一人頑張ってやってきた。
そういった部分を踏まえてコグンというタイトルが付いているわけですけれども、
こちらの曲ですね、和楽器が取り入れられていますね。
包みだとか、あとね、このルー・タバキンがフルートを吹いているんですけど、
いわゆる一般的なフルートとはちょっと違うタイプのフルートみたいで、
この音を揺らしてまるで日本の横笛のような音色で吹いています。
ですから、この秋吉さんのジャズを聴いていると、いわゆるアメリカの王道のジャズという楽曲もあるんですけれども、
随所にですね、この日本を感じる、和の旋律を感じる、そういう曲が結構あります。
このコグンというのはその最たるところでですね、かなり日本色の強いエッセンスを感じられる曲となっていて、
秋吉さんの代表曲ともなっています。
またですね、このルー・タバキンと一緒にロング・イエローロードというアルバムも出しています。
この曲自体の初めての収録は、前のチャーリー・マリアーノとの合作のアルバムの中に収められてはいるんですけれども、
このロング・イエローロード、イエローロードですからね、この日本人の肌、汚職人種のイエローということで、
やはりこの曲についても秋吉さんのこのアメリカでの活動を綴ったというかね、
思いを込めた彼女の代表的なナンバーとなっています。
この曲はいろいろなバージョンが収録されていますのでね、
実際彼女のコンサートでもね、たびたび演奏される、ほぼ必ず演奏されるといっても過言ではないような代表曲なんですけれども、
いろんなバージョンがありますのでね、自分の気に入ったバージョンを探すっていうのもとても面白いかと思います。
独特のこの秋吉さんのピアノのこの跳ねる感じというか、伸ばさないんですね。
意外と伸ばさずに短いタッチで音を繋げていくっていうことを秋吉さん結構するんですけれども、
かなりエネルギッシュというか、何て言うんだろう、反骨心みたいなものがこのメロディーから伝わってくる。
そんな素敵な曲になっています。私もこの曲大好きです。
さてここから彼女の平和への願いについて少しお話をしていきたいと思いますけれども、
ことの発端はですね、とある一人のお坊さんのお話からスタートするわけですけれども、
広島県にある本願寺派の禅掌寺というお寺の中川住職、この方がね、キーマンになってきます。
この方ね、お坊さんなんですけれども、ジャズが好きなお坊さんでですね、
実はこの広島という場所から、この中川さんのご両親、ご家族皆さんですね、被爆をされて亡くなっているというような実は背景があります。
この広島の被爆50年を迎えた時、1995年になりますが、
ジャズピアニストのマル・ボルドロンさんを受け入れて、原爆資料館で出会った詩ですね、ポエムから曲を作って、
それをね、本堂での講演を行って、録音してCDに収めたということがありました。
これに触発されてですね、この中川さんは外国人にこの原爆についてメッセージを送るような音楽作品を残したいと、そういうふうに思うようになったわけです。
で、それを託したのが秋吉敏子さんということになるわけですけれども、
実は秋吉さんは過去にミナマタ病に対する曲を作ったり、そういう社会問題に対するメッセージを発信する。
前半でもお話ししましたけれども、日本人がアメリカで一人、ジャズをプレイしていくということ、そういった思い、そういったものをですね、曲に込めるという、
そういうことをずっとしてきましたので、この中川さんは日本人の心がわかり、世界的にも影響力がある、発信力がある彼女しかいないということで、秋吉さんにオファーをしたいとこなんですが、
中川さんはこの秋吉さんと面識は全くありませんでした。
で、どうしたかというと、ジャズ喫茶の仲間たちと相談をして、愛知県岡崎市に住むドクタージャズこと内田治さんの元を訪ね、彼の紹介でこの秋吉さんにオファーをすることになります。
そして98年の11月に秋吉さんをこの前掌事に招いて、その打ち上げの席で原爆についての作品を書いてほしいという依頼を正式にします。
初めはですね、この秋吉さんは私には無理だというふうにね、お断りをしていたそうなんですけれども、この中川さんが送った原爆資料館でね、集めた写真集、そういった資料を見る中で、
山畑陽輔さんという写真家が、被爆翌日の長崎で撮った少女のその笑顔に心が動かされて、悲惨さではなくて、どんなことがあっても希望につながる未来があるという観点でなら曲が書けそうだということで、1年後にこのオファーを秋吉さんが受け入れます。
この写真はね、後でリンクがもし貼れればですね、ネットに落ちてるんですけれども、本当に被爆翌日なんですけど、防空壕の中から一人の少女が笑顔で出てきている、そんな写真なんですね。
だからいつもこの被爆の写真とか資料を見るとですね、皆さんも小学校の頃からね、何度も見たことがあると思いますけども、悲惨で人々が舌をうつむいたりね、物が壊れていたり、そういう暗い写真ばかりをね、日本人見てきたと思うんです。
その頃がこの少女は笑顔なんです。ここに秋吉さんがこの未来への希望というものをテーマとして見つけることができたということなんですね。そして秋吉さんはですね、この曲作りの条件を出します。
21世紀最初の8月6日に広島でビッグバンドで演奏をすること。これが秋吉さんの出した条件でした。そこで秋吉さんは2001年8月6日、約束通り広島市で初演を行うわけです。タイトルは組曲、広島、そして終演。
この曲は実際CDにもなっているわけですけれども、サブスクではね、聴くことができません。もしお聴きになりたいという人は中古でCDを求めるとそこまで高くなく出てますのでね。ちょっと私も未だ聴いたことはないですけれども、聴くことはできます。
これ3部の楽章で成り立っておりまして、無益な悲劇、生存者の語り、希望、ホープという3つの楽章からなる40分を越す対策ということです。
この曲の特筆すべきところは、実はこの演奏をする人に韓国人のウォン・ジャイヒョンという方。この方フルート奏者なんですけれども、この韓国人を招いています。その意図はと言いますと、この原爆による被害というのは何も日本人だけではないんですね。
実は語られることはあまりないかもしれないんですけれども、この広島には当時徴用工として日本に在留していた韓国人の人たち。この人たちの被爆を異例する日もあるそうなんですね。
秋吉さんに言わせるとですね、この原爆による被害っていうのは日本人だけではなくて、韓国人やアメリカ人も実は犠牲になっているんだということを言っています。だからこそこの演奏のメンバーに韓国人のウォン・ジャイヒョンさんを迎えるということなんですね。
無事この講演を終わりましてですね、秋吉さんは約束も果たしてアメリカに戻っていきます。そして広島での初演会はわずか1ヶ月後、記憶にも新しい2001年9.11同時多発テロが起こります。
秋吉さんは月曜の夜にクラブで演奏をして、やっと寝ついた、そんな朝だったそうですけれども、このアメリカの同時多発テロを受けて、こういった痛ましい事件が起きた後、秋吉さんは改めて自分で書いたこの広島、そして終演の中から、
で、見たい方はね、実はNHKオンデマンドで200円、220円だったかな。払うと見ることができますから、もしね、興味があった方、これね、前回から映像作品の紹介が多いんですけど、
本当は日本人のジャズの海外への挑戦というか、その足取り、道のり、これを開拓していったこの秋吉さんの人生と、それからこの平和への願いという点でね、ぜひ一度皆さんにも見ていただきたいなと思うような映像作品になってますのでね。
もし時間に、それからお小遣いに余裕がある方はですね、一度見ていただいて絶対損はない作品ですのでね、良かったら見てください。
ということでね、今日この終戦記念日にこの配信ができるっていうことに気づいた時にも、私はこの秋吉さんのテーマを今日配信するって決めたんですけど。
だんだんね、この戦争に対しての記憶みたいなものが薄れてきている中で、だんだん世の中が戦争に向かっているような気配も感じ取られるこの頃ですけれどもね。
そんな中、改めて日本人だからこそ感じることができる、日本人だからこそ伝えることができる平和への思いというものをね、皆さんも感じていただけたらというふうに思って今日この会をしましたけれども、いかがでしたでしょうか。
ということでね、改めてこの秋吉さんの楽曲について、プレイリストの方にも入れたいと思いますから、紹介していきたいと思うわけですけれども。
私、秋吉さんのこの曲を聴いた時にですね、まるで手をつかまれてグッと引っ張られたように、自分の心がね、この曲にグッと引き付けられたのを覚えています。
トシコズピアノというね、秋吉さんが1958年にリリースしたアルバムになるんですけれども、この中の2曲目、Gone With The Windという曲。
この曲はね、秋吉さんの作曲ではないんですけれども、この秋吉さんのプレイが何とも言えない、わからないですよ、皆さんの心はわかんないですけど、私の心をね、わしづかみにしたっていう意味で、
このちょうど初期のね、頃の曲にもなりますし、秋吉さんのね、この若い頃のプレイというのもぜひね、聴いていただきたいということで、まず1曲目、こちらの曲をプレイリストに入れたいと思います。
若い時のね、秋吉さんといえば、昨年Xで結構バズっていたというか、繰り返し投稿されてたんですけれど、着物姿でね、ジャズを演奏する秋吉さんの画像なんかも出てましたね。
もし見つかったらですね、リンク貼っておきますけれども、かなりなんていうか、当時の時代を感じさせる、着物でジャズを弾いているっていうそのアバンギャルドさというかね、この秋吉さんの演奏って私が感じるのは、とってもなんていうか、アバンギャルドというかね、とっても尖った感じというか、ものすごく強い意志を感じるような演奏を私は感じますね。
その中で、ニューヨークのど真ん中で鍛えられてきたニューヨーク式のジャズと、それから日本の音楽、日本の心を取り入れたジャズっていうものを演奏しているところが本当に素晴らしいなと思います。
何かのインタビューか番組の中で、このバークリーで学ぶ人たちのお話が流れていた時に、自分の国のルーツの音楽というものを、やはりこのジャズに移していく、表現していく。
これができないと自分自身のアイデンティティを表現することにはならないんだっていうことを言っている人がいました。
そういう点で、この秋吉さんの演奏って、ものすごくベラボンテクニカルだとかっていうことよりも、なんかね、日本人の心をすごく感じる。
そして、この秋吉さん自身の意志の強さみたいなものをすごく感じることができるのでね、この秋吉さんの曲って私とても大好きなんですよ。
で、聴いていても意外と疲れないんですね。ずっと聴いていても。そこがまた魅力だなというふうに思っているんですけれども。
2曲目いきますね。先ほども紹介しましたけど、秋吉さんといえばこの曲という曲、ロングイエローロード。
こちらですね。で、こちらいろんなバージョンがあるんですけれども、その中で私が気に入ったバージョンを一つ選ばせていただきます。
この曲は先ほど紹介したNHKのドキュメンタリーの中で、またマンデーさん、娘のマンデー・ミチルさんがボーカルを当てているっていうような映像も流れてきますけれどもね、
かなり耳に残るんですよ。このメロディーがキャッチー。キャッチーなんですけど、全然ポップじゃないですね。
なんていうか、すごくかっこいい。秋吉さんらしいなっていうような曲なので、ぜひ皆さんも聴いていただきたいなと思います。
またこの旦那さんのルータバキンのフルート、それからサックス、これがまたかっこいいですね。
このルータバキンさんの一緒にリリースしたビッグバンドバージョンのロングイエローロードっていうのもすごくかっこいいんですけど、今回は少人数編成のバージョンを入れさせていただきたいと思います。
3曲目は最後に紹介しました。希望、ホープ。こちらのマンデー・ミチルさんが英語で歌うバージョンを収録したいと思います。
やっぱりこのプレイリストのコンセプトがスモーキンということですので、ちょっと大人の雰囲気、ジャズバーでお酒をたしなみながらタバコをくゆらせて聴く、ちょっと落ち着いた雰囲気で聴いてもらうには、
この英語バージョンでさらっと聴いていただくぐらいの方があんまり重くなりすぎずいいのかなというふうに思いますので、こちらのバージョンを収録したいと思います。
今回はこの3曲。よかったら聴いてみてください。
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ナンバーワンポッドキャストクリエーターは誰だ。
ということでお送りしてきましたジャズの入り口案内所いかがだったでしょうか。
改めて戦争のない世の中を願っているフランクナッパであります。
ということで今週はちゃんと絶対に金曜日午後8時にアップしているはずということでありますけれども、
この番組は各週金曜日大人の時間午後8時頃に配信予定となっております。
皆様からのご意見ご感想待っております。
ぜひ初めて聞いた人も遠慮せずに、ジャズだからといって敷居を高く感じるということは全くないです。
最近ねエックスでフォローいただいた方もねジャズって敷居が高いんだよねみたいなこと言ってましたけどね。
まあ高く感じますけどうちの番組はその高さをなくすということでねやっておりますので、
本当にあの些細なことから感想から疑問から全然関係ない日常の話から何でも結構ですのでねお便りを送っていただけたらと思います。
各種SNSのDMまたはハッシュタグジャズの入り口をつけて投稿していただけると私が読みに伺います。
また概要欄に貼ってあるリットリンクへのリンクからですねお便りフォームもありますのでそちらの方から送っていただいても構いません。
皆さんの送りやすい形でぜひお声を届けてください。
全て読ましていただいております。
そして来週はですね今度東京の原宿で行われますジャケ劇。
このジャケ劇というイベントのですね連動企画テーマでコラボという企画に私参加しておりましてですね。
この私の番組のアートワークについても少しお話をしていきたいと思います。
またこの企画内容でですね参加している他の番組さんのアートワークについてもお話をしたりそんなねちょっとオムニバスな回を予定しておりますのでね。
よかったらぜひ聞きに来ていただきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
番組聞いていただいて面白いなと思った方気に入ったよって思う方はぜひ番組のフォローそれから評価高評価の方をよろしくお願いします。
はいということでここまでお付き合いありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。
案内役はフランクナッパでした。