発明王・豊田佐吉のヤバすぎる執念に迫るポッドキャストシリーズ、感動の最終章! 「世界のトヨタ」の礎を築いた男、豊田佐吉の生涯とその遺産を紐解く第4回。
今回は、佐吉が人生をかけて追い求めた哲学の集大成と、日本のモノづくり、ひいては世界の製造業に革命をもたらした「自働化 (Jidoka)」思想の誕生秘話に迫ります。
サマリー
このエピソードでは、豊田佐吉の生涯や彼の革新的な発明、自働化の誕生について深く探求しています。特に、G型自動車機の特許売却が未来の産業に与えた影響を考察し、彼の独自の哲学とその遺志がトヨタ自動車の設立につながる道筋を辿ります。トヨタ・サキチの自動化に対する考え方が、品質と効率を重視しつつ人間性を尊重する革新的な思想であったことが語られています。彼の遺産はトヨタ自動車の成長を支え、世界の製造業にも大きな影響を与え続けています。
豊田佐吉の生涯と哲学
明日のファクトリーオートメーションへようこそ、メインパーソナリティの高橋です。
はい、ここまで、この執念ヤバすぎる。
発明王豊田佐吉と世界の豊田誕生秘話、全4回のシリーズ、今回がいよいよ最終回となります。
いや、皆さん本当にあっという間でしたね。
佐吉さんのあの熱量と執念と、そして人間味溢れる人生にどっぷり使ってきました。
前回第3回では、佐吉さんの発明家人生の頂点である伝説のG型自動食器が誕生して、
世界を驚愕させ、そしてその成功を支えた豊田功良という熱い哲学についても迫りました。
そして最後に大きな問いを残しましたよね。
なぜ豊田佐吉は、あの最高傑作ともいえるG型自動食器の特許権を海外に売却したのか。
その100万円という莫大な資金は何を意味したのか。
今回の最終回第4回のテーマは、未来へのバトン、佐吉の修練と自動化の誕生と題しまして、
G型特許の売却の決断が未来にどう繋がったのか。
この点にも触れつつ、今回は特に豊田佐吉という人間が生涯を改めて振り返って、
その功績と哲学、そして彼が生み出した単なるオートメーション、自動化ではない人弁付きの自動化という画期的な思想の真髄に深く迫っていきたいと思います。
豊田の、いや、日本のものづくりの原点ともいえるこの重要な概念、佐吉さんの人生とともにじっくりと味わっていきましょう。
それでは皆さん最後までしっかりとついてきてくださいね。
それでは最終章スタートします。
まず最終回として、豊田佐吉という人生の生涯について改めて俯瞰してみてみたいと思います。
彼の人生を貫いてみたものは、それは一体何だったのか。
やはり彼の行動原理の根幹には、前回にも触れた豊田功夫に集約される哲学があったと思います。
ただ、それは決して気上の空論じゃなかったと、彼のすべての行動にその精神は色濃く反映されていたものです。
まず初めに第一条として、研究と創造に心を致し、常に自流を先んずべし、これはもう説明不要かもしれません。
彼は生涯を通じて文字通り発明に取り憑かれた男でした。
現状維持を嫌い、常にもっと良く、もっと新しくを追求し続けた仮説の小屋で、新職も忘れて実験、国内外へ飽きなき視察。
そして失敗をしてしまった者の感情初期のような常識破りの挑戦と、そこからへの学び。
これを場にして、次の革命を起こして、最終的にはG型自動書記という傑作記を作り上げた。
この異常穴までの探求心と、何度打ち目されても立ち上がる執念。
これこそが豊田崎町、豊田滝市でたらしめた核の部分だと思います。
そしてここから、それの使い道みたいなところに、彼の考え方が移っていくわけです。
代表的なのが、豊田工業にもある産業報告というものですね。
彼の発明は、決して個人の名誉や利益のためだけではなかったと。
常にその先に社会のため、国のためという視点がありました。
だからこそ、豊田崎市は一部の人間だけではなく、多くの人々が恩恵を受けられるような実用的で、手の叩きやすい技術を目指したことになります。
彼の発明が、日本の繊維産業レベルを全体的に底上げし、国際競争力を高めたいという本当に強い思いがあったと思います。
そして彼は、彼の発明が単なる技術革新にはとどまらず、社会的なインパクトを用いたのは、この功の意識が常にあったからだと思います。
そして、最終的には報恩感謝と、成功してもおごることなく、常に謙虚さを忘れなかった。
自分を生かしてくれている社会や自然、そして先人たちへの感謝の念、この精神があったからこそ、彼は時代の変化に対応して学び続けて、そして多くの人々の協力を得ることができたのかもしれません。
このように見ていると、豊田佐吉という人物は、卓越した技術者であったと同時に、非常に高い倫理感と人間的な魅力を持ったリーダーであったということがわかります。
彼の成功は、単なる才能や幸運だけでなく、その確固たる哲学と、それを裏打ちする行動、そして周りの人々の関係性によって築き上げられたものなんです。
特許売却の影響
さて、そんな佐吉さんの人生の集大成ともいえるのが、第3回で厚く語ったG型自動車機です。
そして、この特許権を1929年にイギリスのプラット車、当時の最大手の車機メーカーで、当時の金額で100万円という価格の価格で売却したという事実。
この決断と、この資金が未来にどう繋がったのかというのが、前回いくつかの説があるという話をしました。
佐吉さん自身が明確に自動車をやれと指示したのか、それとも息子の桐一郎さんがその信念を受け入れたのか、あるいはもっと漠然と未来を託したのか、真実は今のところはよくわかっていないのですが、
ここで重要なのが、この式の使い道そのものよりも、佐吉さんが生涯をかけて築き上げた基盤と、彼が残した精神が次の時代の扉を開く決定的な力になったということは間違いないのです。
結果として、G型自動車機の特許売却で得た莫大な資金をもとに、息子の桐一郎さんが国産の自動車開発という、当時の日本ではあまりにもブオーと言える、ただ日本の未来にとって極めて重要な挑戦へと注ぎ込まれることになります。
残念なことに、佐吉さん自身はその感性を見ることなく1930年に亡くなってしまいます。
ただ、彼が蒔いた種、彼が残した研究と創造、産業報告の精神は、確かに息子の桐一郎さんへと受け継がれ、数々の苦難の末にトヨタ自動車の設立、これが1937年ですね、という形で見事に花開くことになるのです。
佐吉さん、本当にG型初期が最高傑作だったというのも、G型初期の特許売却が1929年で、その翌年に残念ながら彼は亡くなってしまいます。彼は63歳だったと思います。
彼が本当に一代をかけて作り上げたG型初期とその最終的な売却ですね、ここまでに真血を沿いで彼が作り上げた一つの物語、これがこの第4回までに話しておきたかったところになります。
この佐吉さんが直接知事したかどうかわからないのですが、彼が人生をかけて成し遂げた初期事業の成功とそこから生まれた資金、何より彼の復出のチャレンジ精神がなければ、トヨタ自動車という現代でも非常に活躍している企業は生まれなかったと。
初期から自動車、一見全く異なる分野の調子に見えるのですが、このいろんな根底にはトヨタ佐吉という一人の人間が作り上げた社会を豊かにしたい、日本の産業を発展させたいという一貫した強靭な意志が太い幹のように通っていたと言えるのではないでしょうか。
さあ、そしてここからが今回のもう一つ重要なテーマです。
この佐吉が残した最も重要な発明の一つとも言えるかもしれないのですが、人面のついた自動車ですね。
この思想についてもう少しだけ語っていきたいと思います。
前回も触れたのですが、G型自動初期の本当に画期的な点の一つが、機械に異常があったときに機械が自分で自動で停止するという機能です。
初期で言うと縦糸が切れたり横糸がなくなったら、機械が自分でそれを検知してピタッと止まる。
これが今の電子制御に成り立ってセンサーが検知したらコンピューターが止めますとかではなくて、機械だけで動いているメカニカルな機構の中にその思想を取り入れた。
一見、どうやったらそのとこに考えつくんだというところも、
先日も生産設備全体、生産工程全体の効率性を考えたときに、こうなるべきだという強いビジョンのもとで、人面付いた自動化という考え方が発明されました。
これは一見、単純に見てみると単純な安全装置のように見えるかもしれないんですよ。
ただ、豊田佐吉という人物が込めた質はもっと深い、非常に深いものになっています。
単なる自動化、オートメーションですね。
人面が付いていないオートメーションではなくて、人の作業を機械に置き換えるというだけじゃないんです。
彼はここに人間の知恵や判断みたいなものを組み込んだ。
だから、人という意味を込めて人面の付く自動化。
自動化の動くが働くという字に書いた自動化なんですよね。
じゃあ、この自動化、何がそんなにすごかったのかというと、
これがなぜ後の豊田生産方式の重要な発信になるほどの革新的な考えだったのかというコメントで少しだけお話をします。
ポイントはいくつかあるんですが、まず第一に品質の作り込みという概念がここで誕生するわけですね。
機械が異常を検知して止まるということは、不良品が発生するということです。
これをその場で食い止めるということになるんですよね。
もし糸が切れたまま機械が動き続けたら、どんどん折っていったときに傷のある、傷というか筋のある、折られてない糸がないところが出てきちゃうんですよね。
これを後から見つけて直したり廃棄するというのはすごい無駄だと。
いわゆる豊田佐吉が目指していたもの、1人の人間がものすごくたくさんの機械を見る、1人の人間がものすごくたくさんの製品を生産するということを元々彼は心がけていたわけです。
なのでその概念から非常にこの機械をオートメーション化していく、1人が例えば100台の機械を見ますということを考えたときに、
1つ機械異常があったときに、人がそれを気づいて止めるまでにものすごい数の不良品を出してしまうと。
これは効率性が上がれば上がるほどどんどん大きくなっちゃうよと。
こういう思想というか気づきがもともと懸念としてからの課題感としてあったはずなんですよ。
なのでこういうオートメーションを拡大させていくためには、不良品をそもそも1ミリタイトルも作ってはならないという彼の思想があるんです。
彼の任弁についてはどうかというのは、そもそも不良品を作らない、あるいは作ってしまったとしてもそれを後肯定に流さないということを仕組みとして保障すると。
こういう観点で作られている。品質は一番最後に検査する人が見つけてはじくものではなくて、
自分の作ったものはこれは確実に良品ですよということを確実に保障して次に送り出す。
それを工程の中で作り込んでいくものなんですよという思想。これが非常に画期的だったという部分です。
当時は非常に大量生産の時代でどんどんどんどん作っていって、数を作ることが正義で、
その中に最後で不要品を吐くという考え方だったのを、先ほどの人物は一心してしまったということになります。
第二に、精進化と生産性の向上ですね。異常があった時だけ機械が止まって知らせてくれるので、一人の作業員が同時にたくさんの機械を受け持つことが可能になります。
これは先ほど大地の時に言ったことと少し重なるんですけれども、工場が機械が不良品をガンガン作っちゃうようになったら当然損害になるので、
結局人がその機械の横に座っていて、何か異常があった時にパッと止めるみたいな。こういうシステムどうしてもなっちゃう。
それだと先ちが目指した、一人の人間がものすごくたくさんを見る、こういうところに行きつかないということですね。
これは人を機械の番人にしないという結構有名な言葉があるんですけど、そうじゃなくて、人は異常を監視するのが生産性の高いことじゃないんだよって。
人は製品を生産するためにやるべき仕事をやるべきであると、そういう考え方ですよね。
これが人不足っていうのが課題になりがちな製造現場において、やっぱり劇的な生産性向上につながっていきます。
これ現代も同じなんですよね。人をこの単なる機械の番人から解放して、もっと付加価値の高い仕事。
例えば、生産の改善活動とか、そういうことに集中させることを可能にしたとも言えます。
そして第三に、ここが非常に重要なんですが、問題の顕在化です。
機械が止まるっていうことは、それはすなわちどういうことですかという話になりますね。
それは、ここに問題がありますっていうことを明確に示してくれるということなんです。
機械が問題があって止まりました。見てみました。縦糸は切れてました。
じゃあなんで縦糸は切れたんですかっていうことなんですね。
自動化の思想
もしくは機械が壊れました。なんで機械が壊れたんですか。
この止まった原因っていうものを徹底的に付け詰めることで、
根本的な問題を解決して、これを改善する。きっかけを与えてくれる。
もし、機械が止まらずに動き続けたら、小さな問題は解放されます。
もし、機械が止まらずに動き続けたら、小さな問題は見過ごされちゃうんですよね。
これ、応急処置だけして後で直そうと。一生直りません。
これから量を作るっていう目的の前に、やっぱり無視されちゃうような、
ちっちゃなことでも、それを一個一個きちんとやることで、
どんどんどんどん副理を持たせていく。こういう考え方になります。
この自動化は、問題を隠さずにアプリ出してきちんと改善する仕組みっていうことでもあるんですよね。
どうでしょうか。単なる自動化とは、やっぱり二手ひねるものだっていうことがお分かりいただけたんじゃないでしょうか。
品質を保証して、生産性を高めて、さらに継続的な改善を促す。
この三つの効果を同時に実現する、非常にインテリジェントなシステムが、
トヨタ・サキチが生み出した、人弁のついた自動化という思想なんです。
これがコンピューターのないこの時代に、からくりだけで行われていた。
これが非常に革新的だったんだと思います。
では、サキチさんはなぜこんな革新的な考え方に至ったのか。
それは、やはり彼のものづくりに対する徹底的なこだわりと深い洞察力があったからだと言われています。
トヨタ・サキチさんは、ダリオも品質を重視した。
不良品を出すことは、材料の無駄であるっていうことだけではなく、
それを使う人への裏切りであると考えていたのかもしれません。
彼は無駄ということをとことん嫌う人でした。
不良品を作る無駄、それを手直しする無駄、人が機械に張り付いている無駄、
これらを徹底的に無くすことが、日本と非常に技術力が離れていたアメリカや欧米、
こういう各国に対して生産性を高めて、引いては社会豊かにすることにつながると信じていました。
さらに言えば、そこには人間性尊重の質もあったのかもしれません。
人を単なる機械の部品のように扱うのではなくて、機械ができることは機械に任せて、
人間はもっと創造的な知恵を使う仕事、ここで言うのはつまり改善に集中すべきだと。
人類のついた自動化という言葉自体が、機械に人間の働き、知恵を与えるという意味を持っていると思います。
このトヨタ・サキチが生み出した自動化の思想というのは、
この後息子・キイチローによってトヨタ自動車に受け継がれていきます。
サキチの遺産
そしてこれが、戦後ジャストインタイムとともにトヨタ生産方式の日本柱として体系化されて、
トヨタ自動車を世界一の自動車メーカーへ押し上げていく強力な原動力となっていきます。
そしてこの考え方は、今や自動産業だけではなくて、世界中のあらゆる製造業、
さらにはサービス業にまで影響を与えて、これはアメリカで非常に研究されて、
リーン生産方式という名前を付けられて、広く研究されて実践されています。
一人の発明家が生み出した独創的なこの思想が、100年の時を経て世界の産業の在り方を変えた。
そう考えると、この人弁付けの自動化というのは、G型自動食器というハードウェアの発明にも匹敵する、
もしくはそれ以上の重要なサキチさんのソフトウェアの発明だったというエリクトロニクスを持っています。
さあ、全4回にわたってお送りしてきたこの周年やばすぎる発明を、
トヨタ・サキチと世界のトヨタ誕生日は、本当に本当にこれで終幕です。
幕末の動乱期に生まれて、独学で初生命地域切り開き、日本の製品産業に革命を起こし、
そしてその先年、成功の先に全く新しい未来への扉を開いた男、トヨタ・サキチ。
彼の生涯はまさに、悪なき研究と創造の精神、社会に貢献しようとする産業を創造し、
悪なき研究と創造の精神、社会に貢献しようとする産業を創造し、
そしてどんな困難にも決しない、すさまじいまでの執念に貫かれていました。
そして、彼はG型指導書記というハードウェアの傑作だけではなくて、
人面のついた自動化という品質と効率、そして人間性の尊重も内包した、
画期的なソフトウェア思想、これを我々日本人に残してくれました。
その遺産を世代を越えて受け継がれ、トヨタ自動車という形で結実し、
今なお世界のものづくりに大きな影響を与え続けている、この歴史のダイナミズムが本当に感動的だと思います。
トヨタ・タキシの人気性から、我々が学べることは数え切れません。
挑戦を恐れない勇気や失敗から学び、改善を続ける力、
本質を見抜く目、社会のために働くという志、
そしてそれを未来へ託していく大きな視野、
この第4回のPodcastシリーズが皆さんの心にトヨタ・タキシという偉大な人物の熱量を届け、
明日へ何か少しきっかけでも灯すことができたなら、私としてはこれ以上の喜びはありません。
この歴史というのは決しても過去のものではありません。
そしてこれは現代を生きる私たちに大きな知恵と勇気を与えてくれた生きた物語だと言えると思います。
皆さん、この第4回の歴史のためにおく付き合いいただき、本当にありがとうございました。
また、今回は人間について自動化ということでトヨタ・タキシさんをご紹介いたしましたけれど、
もし反響が良ければ、次はJust in Time、
そしてトヨタ生産方式というものを体系化した大野太一さんについて次回は語っていきたいと思います。
それでは皆さん、第4回お付き合いいただきありがとうございました。
それでは皆さん、ご安心に。
21:20
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