クリスの設計遍歴
サマリー
このエピソードでは、クリスは卒業前のプロジェクトとして作成したテンブラーマシンや、様々な制御プログラムの経験について語ります。また、日本とヨーロッパの製造プロセスの違いや、海外出張の経験から得た貴重な学びについても触れています。さらに、電磁波の強い環境での体験や設備設計における異なる考え方についても話します。ツインキャットという制御システムに関する印象や、国産と欧州製品に対する理解の変化についても触れています。設備設計に関する経験から、ラダー回路の理解とIPCの重要性について語ります。そして、様々な設備を通じて得た知識が自身の成長にどのように寄与しているかを述べます。
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明日のファクトリーオートメーションへようこそ、メインパーソナリティの高橋です。
クリスです。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、本日もお便りいただいております。
ラジオネーム、ささパンダさんよりいただいております。ありがとうございます。
ありがとうございます。
クリスさんが制御プログラムで関わられた設法値というのは、どんなものがありますか?
回転寿司のレーン、遊園地の遊具、剣器なんかにもPLCが使われているみたいですが、何か変わっているものの制御プログラムを書かれた経験があったら教えてください。
テンブラーマシンの作成
まず、皆さんに話すのは、私の卒業前のプロジェクトをしようかなと思っています。
高校、専門学校。
テンブラーマシンを作ったんですね。
すごく簡単なテンブラーのマシンを作っていて、
タング1個、すごく小さいな。
エビ1本しか入れられないくらいのやつ。
ビチビチのPLCを使って、
あそこでモーターで行って、タングを下ろして、
加熱して3分タイマーで取って戻して、
箸でテンブラーを取って食べるみたいな、
超ちっちゃいのマシンを作ったんですけど、
それが作りました。
それが結構おもろかった。
でも今考えたら本当にボロくそうだな、自分で作ったやつは。
と思ってた。
テンプラーマシン。
でもね、楽しかった。
あんなものを作れるんだと思ってて。
ホンマモンのエビを入れたんですか?
そう、1匹やりました。あんまり美味しくなかった。
あんまり美味しくて美味しくなかった。
やっぱりメーカーも違うな。
テンブラーメーカーでちゃんと、イオンとかで冷凍テンブラーとか、
ちゃんとさっき書いて使ってるんだなと思ったんですね、あれは。
色々計算してて。
多分色々時間とかもそうだし、
前準備とか、あと処理はちゃんとした。
すぐ冷やしたりとかもあるんだなと思ったんですね。
他には何かおもろいものあるんですか?
おもろいものはあんまりないんですけど、
普通の掃除でもだったらいくつはやったんですね。
普通の掃除だったら、
掃除だったら、1回やったのは、
自分のプステ用プログラムで直接やったのは、
メッキ掃除と海外出張
前に出たのがメッキ掃除ですね。
2、30mのやつとかね。
あれもなかなかおもしろくて、
私は人生初めてガチなステ用プログラムに関わった仕事ですね。
前の話を話すけど、
だいたいあの時はヨーロッパ式と日本式があって、
日本式のやつは、
すごい長い30m、2、30mの銅のメッキのタンクがあってて、
PCBの中でメッキするんですね。
私の時はメイン担当者はあっちなので、
だから行ったのもアジアの台湾とか中国とか、
韓国とかばっかり行ったんですね。
で、あと知らしたら、
このLINEの放送、
回答ソフトも全部日本のメーカーから買ってるみたいなことがしてたんですね。
だからPCが全部アムロンだし、
CJだね、あの時使ったのは。
CJのPC使ったんですね。
あの時は結構おもろかった。
その意味でおもろかった。
仕事をかけて中国とか、初めて海外、海外行きました、仕事をかけて。
そう、初めて台湾行きましたね。
1回行ったら1ヶ月行きました、私。
2ヶ月。
僕そんな長期出張行ったことないな。
ん?
長期出張はそんな行ったことないですね。
行かないですか?
あれは、若い時は楽しいよ。
そう、若い時楽しい。
あの、私の時ね、
外国の料理止まった、今考えたらあり得ないですけど、
外国料理契約入ったんですね、会社が。
でも安いから。
で、あっちで2ヶ月とかずっと住んでるみたい、泊まってるみたいな感じで。
なるほどね。
そうそう。
なので、部屋とか全部自分でやらなきゃいけないし、掃除とか。
ホテルじゃないかとかところで1ヶ月ぐらい泊まったんですね。
あとは、1ヶ月行って、1週間で香港戻って、1ヶ月ぐらい行ってという感じですね。
あの時は。
で、その後韓国も長い出張で1ヶ月とか行って。
まあ楽しかった気がするね、あれは。
まあちょっと西洋ポールも関係ないですけど、
あの時初めて、例えば、エンコーターとか分かったし、
エンコーターというものを保有制用で使えるようになったのが分かったし、
あとは、あの時たくさん整流器、直流に変換するやつが、
でかいやつがすごいたくさん並んでて、
あれをどうやって西洋ポールも書くかとかも、
先輩の方がポールを見て、そういう書き方あるんだと分かったんですね。
で、ちょっと初めてやっぱり、人のポールも見るのがすごい大事だなと思いつきましたね。
人の作ったポールも良いもの悪いものでもちゃんと見なさいと。
言い方悪いんですけど、コピーできるところがあると。
私はもっと分かってたんです、あれは。
良いもの悪いでも。
ああいう西洋のやり方があるんだと。
あれはためればためほど、
自分のものになるんだなとちょっと気づいたですね、あの時初めて。
そういうメッキの装置もやったし、
あと直接自分で書いてないんですけど、
修正ときやったのは、例えば被破壊偏差の装置、
X-Wayですね、X線の被破壊装置のドイツメーカーですね。
あれを、まあ直接西洋ポールも書いてないんですけど、
修正とか言ってたんですね、あの時は。
あれは、もう一例ですけど、
使ってるのはドイツメーカーで、
ワークのPSC使ったんですね。
懐かしくなぜかわからないですけど、
ワークのPSC使ったかわからないですね。
CODIS2、CODISを使っているソフトをすごく覚えてる。
あの時に人生初めて、
PLCでWebサーバーあるんだと気づいたんですよ。
2013、14年頃かな。
PLCサーバー、Webサーバーってその中に
PLCの状態見えるんだとわかってたんですね。
あの時はびっくりしてて、
あと初めてセーフティーというものをしてたんですね。
エクセルなので家電灯を上げちゃったら、
エクセル止まらなかったらまずいので、
周りは全部PLSの近接スイッチとか全部ついてる。
PLSのセーフティー、PLCもついてて、
当時はまだ経験がすごい浅いので、
セーフティー、PLCがそういう近接スイッチが
短絡して、ショートして有力調子に入れたら
エラーが何とかしてなかったんですね、設定よって。
それを初めて勉強しました。
こういったこともやってて、
その後は他に何か面白い掃除があるかな。
他にやったのは小さいエアタングの掃除とか、
皆さんよく多分工場の中に見えるフランス製の、
フランス製の小さいタングの掃除プログラムもやりましたね。
これも普通の小さいプラント制御で、
その後は何やったかな。
色々やったんですけど、
例えば実際な自動車メーカーのラインの一部だけもやってましたね。
名前は言わないですけど、
横浜の自動車メーカーの会社のラインを
ちょっとだけやらせたんですけど、
当時初めて標準プログラムとかもしてて、
自分の標準があって、
世界のどこでも工場でも同じプログラムを使ってますよというところから
初めて標準プログラムもしたりとか、
意外とそこまで皆さんほど経験がないんですね。
あとは他に色々小さい掃除もやってたんですけど、
例えば自動組み立て機とか、
あそこで初めてロボットを触ったりとか、
あとは試験機、
大きな試験機で初めて200ペイロ以上の空間のロボットを触ったりとか、
そういうところが多いかなと思って、
面白い掃除は意外とそこまでなかった。
ほんとに一般的な掃除で、
一番面白いのはほんとに、
たぶんまだ学生時のテンブラ機かな、
テンブラマシンかな、
その後ほんと普通の掃除しかやってなかったというイメージですね。
うーん、なるほど。
こんな感じです。
ちなみにさっきのやつはどれが一番思い出深いんですか?
どれが一番思い出深いのか。
思い出深いのは、
テンブラで出ただけなんで、
ロボットとの出会い
思い出深いのは、
名前言えるかな、
石川でやってた掃除ですね。
あれは試験機ですけど、
あの時に初めてロボットを触ったんですけど、
200ペール以上のロボットの掃除ですけど、
試験機と聞いたんですね。
あの時にすごく仲良かったの。
友達と会社の人と一緒にいたんですね。
で、私のツイッターの名前はフリーズって言ったんですけど、
まさにあの友達と一緒に将来会社を作ろうと思って。
うん。
で、その会社に行ったんですけど、
その会社に行ったんですけど、
まさにあの友達と一緒に将来会社を作ろうと思って。
うん。
の仲間ですね。
あの人を、
あの人は今もたぶん週、
毎月1回くらい連絡通るんですけど、
LINEとか。
あと先週、
まだ広島の時も一緒にお好み焼き食べたりとかしてた友達ですね。
うん。
あの時に一緒に働いてて、
めっちゃ楽しかったね、やっぱり。
恥ずかし、
いろいろ、
あの時に西洋の話もたくさんしてたんですけど、
なんて言うかな、
触ってないものをいかにも触れる、
どうやって触れるようになるのかのプロセスがあったんですよ、私。
今まで、
あの時も自分または触ってないものを結構怖かったんですね。
いや、これはちょっと無理だなと思ってたんですね。
でもあの時に初めて、
彼の影響もあったので、
メーカーに言わせればいいよ、しつこく、とか。
壊れるものないから試していいんですよって何回も励ましてくれて。
で、あの時に今の心構えになったんですね。
とりあえず試す。
ぶつからなければいいんです。
壊さなければいいんですという心のスタンスでやってたんですね。
あの当時も結構面白くて、
いわゆるアルミの粉砕を吸ったりとか、
あとアルミ切ったりとかロボットを使ってお掃除ですけど、
電磁波と苦痛の体験
確かにすごい電磁波が、もともとサイクルに浪費するところはすごい電磁波が強いところで、
1日4時間しか入らない場所ですね。
あそこまで入らなかったんですよ、あそこまで。
途中で辞めたんですよ仕事、別の転職したんですけど、
あの場所にいたの友達がサイクルに陰地にいたんですね。
本当になんか苦痛がもう口腸の中にくっついちゃったんですよ。
へー。
そうそう。
リマールですね。
そういうくらいの危ないゲーム。
1日4時間しか入らないというゲーマーですね。
で、でもみなさんのSiemensがロングウェアのリモートアイフォー普通に動いてるんですけどね、それでも。
電磁波というのに全然普通に動いてるみたいですね。
でもロボットはちゃんとメーカーじゃないと経営から始めるロボットじゃないとそこで耐えられないって言ったんですけど、
でも普通のSiemensにリマール入ってるから大丈夫じゃないと言ってたんですね。
まあまあそうっすね。
でもなんで電磁波がそんなに強かったのかわからなかったんですけど、最適用は。
パソコンに中に持ち込んだら、出張終わったらもうパソコン壊れちゃったりとか、もう動けなかったりとか。
そういうゲームパー、まあ成績はなかったですけど、そういうゲームパーが最後のゲームパーだったという話聞いたんですね。
なるほどね。
それが思い出深い仕事ですか。
思い出深い、思い出深い、すごい一番思い出深い。
長期の仕事から得た気づき
あそこで一番楽しかったですね、としか言うと。
楽しかったな。
会社を一緒にやろうとしてる友達と1ヶ月以上ずっと一緒にやってたんですね、べったり。
すごい楽しかったあれは。
長いじゃないですか。
うん。
長い良い人とずっと1ヶ月以上同じ現場で仕事する。
そうですね。
まあなんかあれですよね、長くいて初めて分かることってあるじゃないですか。
普段仲良い人と10分とか20分しか喋らなくて出てくることと、6時間ぐらい喋ってようやく出てくることっていっぱいあるじゃないですか。
そう、その通りですね。やっぱり違うんですよ、ここ。
だからそのね、だらだら長く話すっていうことからの気づきってありますよね。
喋ることなくなってようやく出てくることが結構大事だったりするみたいな。
本音喋り始めてもね。
あと色々結構私の癖もちゃんと言ってくれて、あるときも、
なんでかな、
あるとき私たちがね、1ラインは、1分は彼らに任せて、私が別のとこやるって予定だったんですけど、
途中で気づいたら私も彼らの分野で手をつけようとしてて、
その日の夜一緒にラーメンを食べたときに、「いや、そんなことよくないよ。」って言われて、
最初に分けるって言ったじゃないですか。この分、私試させるって言ったじゃないですか。
クリスさんやったら、じゃあ私チャレンジするチャンスなくなるんじゃないですか、と言って。
それ、私前に言ってたんですよね。
あっ、そうだったんだ、全然聞いてなかったとかね。
そういう特性で言ってくれる人なので、楽しかったなとか、と思ってたとかあったんですね、そういうときは。
やっぱりそういうとき、やっぱりほんとにずっと仲良きでも1日10分喋らない人と、
1日ほんとに6、8時間以上とか会ってる人だったら、
なんか喋る関係変わるかなと思ったんですね、ほんとに。
思ったりしてます。面白いキャラじゃないですけど。
ツインキャットと国産製品の比較
いやいや、クリスさんのね、今までに。
今のクリスの形作った何かがそこにあったということが知れてよかったかなとは思いますね。
はい、はい。こういう感じかなと思ったんですね。
変なものは、変わってるものは作ってないですけど、
いろいろ掃除はちょっと作ってては、ちょっとは触ってるんですね、はい。
こういう感じかな。高橋さんはどうですか?変なものないですか?
ロボットコンセプトのものはだいぶ変じゃないですか?変というか、もう独特じゃないですか?ロボットコンセプトの。
ただこれPRCの話なんで、そこまでやっとうか。
あと僕もメカ設計ですからね、もともと。ロボットでは。
制御してないんで。変なものどうなんですかね。
今はもう変じゃないですけど、当時はIPCですよね。一番触って変なものだったので。
みんな当時IPCまだ復旧してないというのは、まだ誰もそこまで使われてない時代ですよね。
まあそんなことないですよ。日本で見たら結構いたと思いますけど、
まあその、2019年ぐらいかな、18年、19年ぐらいにベンコフのIPCを
まあリニアの制御で使った時が結構印象には残ってますね。
あなたとこんなに考え方が違うのかっていう。
ああ、あれは将来性がいけるかもと思ったりとか。
いやいや、初手はもうクソやなって思いましたよ。
そうですか。
そう?
やっぱ考え方が何もかも違いますからね。
ああ、なるほど、なるほど。
あなたは触った国産のメーカーのIPCは全然?
IPCはもう名前出してますけど、ベンコフです。
ベンコフ、はい。
ベンコフのツインキャットを初めて触った時に、なんじゃこれはと思いましたよ、でもやっぱり。
ああ、やっぱりちょっと感覚が違いすぎて。
そうですね、感覚というか、やっぱり背景を理解しなかったんで、
なんでそうなってるかが全く理解できなかったんですね。
で、そのまま触り始めた?
うん。
ああ、なるほど、なるほど。
それちょっと変わったと、変わったもんだなと思ってた。
そうですね、変わったというか、ビルドが必要っていうのが本当に意味わかんないなっていうのはずっと思ってました、当時。
確かに、ビルドが必要。
でも、ああ、そうか。
国産ってのはもうコンパイルとかチェックとかです。
これはどういう意味?
一応コンパイル自体はありますけど、そんななんていうか、ユーザーに意識させないじゃないですか、国産PLCって。
させないね、させないね、そこまで。
ただこれさ、ツインキャットのものすごいコンパイルを意識するじゃないですか。
だからコンパイルミスるんですよね、めちゃめちゃ。
ミスする?
そういうのが一番腹立つ。
エラー、意味わかんないエラーがたくさん出るたまに。
あれは一個一個解消するのが大変なんだよね。
だからあれは思想上そうだっていうのは理解してるんですけど、今でこそ。
触った当時はもうなんじゃこりゃって思ってました。
なんでそんなエラー出るの、そもそもなんで私にこれを解除させるのみたいな。
そう、こんな出来悪いもんユーザーに触らせんないぐらい思ってました、当時は。
そこまで、そこまで言いそうだったんですか、ある時は。
だってエラーメッセージがもうほんと適当じゃないですか。
いや、エラーコード押さえること忘れてないからね。
そうそう、だからユーザーのプログラムの不備を指摘してくれるんじゃなくて、コンパイルのエラーがそこまで出るだけなんで。
これどう解除しようか、解除しようがない。
ユーザーが何が悪かったのかっていうのを説明してくれないんですよね、コンパイラーが。
今だいぶ直ったんですけど、それでもまだひどい時あるんですよ、こいつとか。
まだそれないひどい時。
ひどいというかまだ。
まだひどい時。
多分ずっとひどいんだと思いますけど。
少しまともな英語とか、まともな英語だったんですけどたまに。
やっぱりひどいひどいひどい、ライブエラーだけで終わらせようとしてるとか。
別に否定するわけじゃなくて、当時はあまりのギャップでそう思ってしまった。
極端的にコンパイルエラーってだいたい7日解決できるんですよね。
要は何行目に何かが足りませんとか、これはできませんとか、そういうふうにきちんと優しいエラーが返ってきますよね、基本的に。
そうそう。
使っているSiemens当時もまだライブエラーなんかサポートセンターで連絡してくださいって書いてないから。
Zoom。
Zoomであった時あったんですね、結構。
そうそう。
あと、何時か、なぜか押せないアクティベートボタンとか。
ありますよね。
取説見たらこれを押せって書いてるけどそのボタンが一生押せないとか。
このボタンちょっと灰色だけど。
いつ押せるの?
プログラムを書くまでが長すぎて挫折しかけました。
でもこれなんかね、やっぱり日本の国産のメーカーの取説すごいよね。
すごいと思いますよ、結構丁寧に書いてるんですよ、いろいろ。
そうですね、図付きでちゃんと丁寧に書いてますよね。
でも丁寧すぎてたまに読む気がなくなるんですけど、日本のやつは。
なるほど。
当時はそう思ったって。
僕は今はすごく、
今はだいぶ?
うん。ベックフォン、ツインカットも別にすごく評価してますけど。
当時は自分がちょっと。
当時はやっぱり、なんていうか、世界観の違いに全く気づけなかった。
使ってみて初めて世界観の違いっていうことに気づいたってところですね。
なるほど、なるほど。
今では、あと前は多分基本は、
国産のほうのほうが触ってよかったんですよね、多分国産のもの。
どういうことですか?
ツインカットを触る前に。
ツインカット当時2014年。
よかったっていうか、それしか知らなかったっていうのは正しいですね。
なるほど、なるほど。
それで、それちょっと当時はこれはひどいと思っちゃったんですね。
ひどいっていうよりは、
なぜこれが欧州で成立してるのかが全くわからなかったっていうほうが正しいですかね。
どういう使い方したらこれが成立するんだみたいな。
よくこれを許すんだ、許すっていう。
要はこれを許しててどうやって生産してるんだっていうのを当時はすごく思ってました。
でも今だから、まあまあまあそういうことかということですか?
今はその理解が済んだんで、
これはこういう前提であればこういうのはカバーできるなみたいなのは当然今はわかってきましたけどね。
なるほど、予備実施機はやっぱりちゃんとつけるべきですよね、我々も。
予備実施機もそうだし、
設備設計の重要性
少し広めに見ておくっていうのはやっぱり大事かもしれませんね。
どういうことですか?
広めっていうか、いろんなパターンというか国産、PRC、IPC、
考え方をいろいろ知っておくっていうのは多分大事なことだと思いますね。
なるほど、確かにね。
いろいろ触れないとわからないですよね、こういうの。
そうですね。
だから結局、今僕らの持ってる視点でかなり大事なところっていうのはラダーの視点だと思うんですよね。
ラダー回路を使う人はどういう考え方を持っていて、
何がいいのか、何がいいとこ、何を重視してるのか、
それはどういう歴史をラダーが辿ってきたのかっていうことを
ある程度理解してるっていうのが自分たちの強みであるっていうのは多分あると思うんですよ。
なるほど。
今まで自分使ったツールでは使ったものたちを理解して、
これだから今我々のそういう考え方してるんですよね、ずっと。
そうですね。で、それをラダーを通して設備を理解してるっていうのも多分あると思うんですよね。
なるほど。
確かにそうだね。
自分で触ってもラダー見たらだいたいこういう動きなんだねという。
僕はそのラダーを通して設備を理解するっていうことを
IPCを触った経験がすごい生きたなとは思ってます。
もう一回言われるんですか?ちょっとわからないですけど。
要はラダーで設備を書くっていうのはそれしかやってなかったら当たり前すぎて何がいいかわかんないですよ。
ああ、でも当時はこの集団しかない?この集団しかない?
そうですね。だからラダーの一覧性がいいなんて言ったのも気づいてないですね。
なるほど。
でもそれをIPCをやることによってそれがわかるようになった。
これだけじゃない?密約これだけじゃない?ラダーだけじゃない?
要はIPCはこれはこんなにやりにくいんだって自分感じたってことは
それ今まで当たり前に良かったと思ってることなんですよね。
それはたまたまそうなんじゃなくて、そういうふうになるように合理的に進んできた結果がそうだっていうことですね。
ラダーの方ですね。ラダーの方もそうですしね。
なるほど。
だから自慢じゃないですけど、僕は他の人より生産設備の理解っていうのを結構してると思ってるんですよね、自分の制御構造も。
生産設備っていうのはこういうふうな構造でできてるっていうのを一人は理解してるような気がしていて、
それは多分IPCをやったからっていうのは多分大きくあるんだろうなっていうのは思ってますね。
生産設備の構造をちゃんと。
生産設備っていうのはこういうプログラムを作っていくっていうのが大きくあるんだろうなっていうふうに思ってますね。
なるほど。
そういう機能があって、その機能はなんでそうなってるのかっていう理解をおそらく人よりはしてると思うんですよ。
ああ、なるほど。
うん。
うん。
この操縦説のどうやって構造を決めるか、するべきかを、
自分の製品の構造を生産設備の構造っていうのをやっていけば、
なるほど、この操縦説をどうやって構想を決めるか、するべきかを、このIPC時と同じでこのIPCを使った頃あるかで、この考え方?
多分変わるだろうなっていう。
見つけた、見つけたですね、この考え方が。
だからやっぱりその、一個しかやってないんですけど、それを多分理解し尽くすのって結構難しいなっていうのを、
なんかその、PLC、IPCを触っていく中でやっぱり思いましたね。
クリスの経験
ああ、いろいろなものを触ってみないと。別に別のものを触ってみて、わからないものが多いんですよね。だからさ、言うと。
そうですね。触ったっていうよりは、ある程度、それで、ある程度本気でやったっていう経験が多分大事なのかなっていう。触るだけだとわかんないですね。
そうだね、だいたい取り終わっちゃうかもしれないですね。
ああ。
ある程度の設備も組んで、見たらこれのいいところを積むところもわかるんですよね、ここ。
そうですね。考え方ですよね。
うんうんうんうん。
なるほど。高橋さん、IPCも触ったんですね、ちゃんと。
でもあの経験はすごい良かったなと思って。
あ、2019年ですか?19年でしたね、さっき。
19年、18年。
そう、あとはポランド行っちゃった、我々高橋さんから。
ポランドなんか面白い?
ポランド、ないない。
ないの?
ないですよ、ずっとコロナでしょ。
ずっとコロナでしょ。
オルトソウジないですか?
というか、会ったとしても喋れないっすね、その個別の癖というか。
そうか、そうか、すごいピンポンでも喋れないっすよね。
しょうがないね、とかないっすね、じゃあ。
聞きたかったら僕とリアルに会ったときに聞いてください、皆さん。
とにかくリアル会ですよ、だからリアル会大事です。
僕たちで喋れないことはたくさん喋れる。
そうですね、7月19日名古屋に来ていただければ、FSB通訳研究会の、
名古屋がありますので。
高橋さん、高橋さんのサインをもらえる。
私はクリスです、あいつじゃないです。
そう、高橋さん前はクリスです、あいつじゃないです。
あいつだね、あいつ。
ちなみに今ね、名刺作り直してます。
あ、ほんまですか。
うちの社長が高橋さんの社長に聞いたら、もうクリスの名刺作り直しますって。
まあでも、僕はクリスさんの名刺は作り直したほうがいいと思う。
そうそう、ですよね、やっぱりそうですよね。
作り直ししてます、なのでちょっと。
今回ったらもうあいつじゃなくて、ちゃんと覚えるように頑張ってます、今。
クリスさんの名前が売れるということ、このラジオの名前が売れるということなんで。
そうですね。
非常に期待しております。
というわけで、この回は終了したいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
29:06
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