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スピーカー 2
始まりました、evOrg。こちらは、進化型組織を探求する一般社団法人evOrgのナビゲートでお送りしています。
タイトルのevOrgというのは、物事を夢中で探求することということで、この番組はゲストの思わず気になっちゃうことを取り上げて、みんなで探求していく番組になります。
今日は、evOrgの方から私、サットがお送りしております。ということで、vol10になるのかな。
ゲストが、今度はたいせいさんに来ていただいてまいります。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。ありがとうございます。
スピーカー 2
いつもたいせいさんとお呼びしているので、たいせいさん、今日もよろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。たいせいと縁が深いみたいで、ありがとうございます。
スピーカー 2
私の息子たいせいなんで、たいせいって言うとね、いろんな感情が入ってくるから。
愛が先ですかね、愛が。
スピーカー 1
ありがとうございます。息子さん、ありがとう。
スピーカー 2
なぜたいせいさんが、今日もゲストなのかというと、もうね、とべを惹かれていらっしゃるということで。
スピーカー 1
そうですね、4日後ですね、もう。
スピーカー 2
4日後か。
スピーカー 1
大丈夫なのかという。
スピーカー 2
本当にこの、なんかね、いろんな人生の変化、今本当にいろんなことが、ご自身の中でターニングポイントというか、変化が起きている中で、
今日はお話しいただけるということでね、そこをちょっと私、うまく説明できるかわからないから、
ご自身に説明していただきたいなと思うんですけど、
今ね、フォーグッドのところで、ジョアンナ・メンシーにありがとうの手紙を届けたい、私並みを分かち合いたいというタイトルで、クラウドファンディングをされていると。
で、このジョアンナ・メンシーに会いに行きたいということで、アメリカに今回も一斉地代の決断をされて、
スピーカー 1
7年越しの決断をして。
スピーカー 2
7年越しかすごいすごい。
今日はそういう思いを聞きながらですね、クラウドファンディングのサイトに、足並みっていう言葉がすごい品質するんですよ。
で、私、ジョアンナ・メンシーさんはすごく知ってるというか、わけでもないんですけど、
彼女の言葉の、個人の癒しは社会の癒しと同時に起こるだっけ。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
そこのフレーズを聞いたときに、それこそすごく癒されて。
スピーカー 1
癒されたというか、なんていうんだろう、救われたというんでしょうか。
スピーカー 2
でね、別で斉藤由加さんの講義というか、セミナーを聞いて、その言葉に出会って、すごく癒されてですね。
スピーカー 1
そこで、ジョアンナ・メンシーのこのイメージが、私の中に叩きつけられたっていうのがあったり。
スピーカー 2
なので、今回、斉藤さんが、そこまでして会いに行きたいって思われたところに、なんとなく共感する部分がすごくあったんですけど、
でも、もっと知りたいなっていう。なんでそこまで決断されたのかっていうところは知っていきたいなっていうのと、
あと、なんでそんなたしなみっていうことを言ってるんだっていうのは、結構気になって。
今日はテーマが、たしなみとは何か。
スピーカー 1
そうですね。
これについて、ちょっと2人で探求していこうかなっていう会議にしていきたいなと思っております。
スピーカー 2
ということで、まだ何か多古紹介みたいな感じになってるんですけど、ちょっと軽く。
大西さん、お願いしていいですか。
スピーカー 1
はい。改めまして、本田大西と言います。よろしくお願いします。
自分の中にあるメインテーマの問いとしては、世の中がより健やかになっていくために、自分は何ができるのかっていうところがテーマとしてあって、
その中で、大学卒業した後は、一問であちこちいろんなコミュニティに回らせていただいたりとか、
あとはその後、Borderless Japanっていうソーシャルビジネスやってる会社、それこそフォーグッドもその一つなんですけど、その会社入って新規企業立ち上げだったりとか、
あとは祭りとか村作りしたいなっていう、そこで日本から元気にしていきたいなっていうのがあって、そこの力をつけたいなと思ってエンタカメ領域行ったりとか、
最近は4日前まで社長秘書してたんですけど、結局毎年この時期になると結構自分と向き合う機会が多いというか、毎年だいたい3.11の時に参りしたんですけど、大学時代から。
その時にやっぱりこの命をどう向けるか、使うかみたいな、使うかって言い方があれですけど、奉仕するかみたいなことを考えた時に、ここに立ち返ってくるんですよね。
ジョアンナのことだったりとか、村作りだったりとか、あちこちにある酒屋さんだったりとか、祭りとかそういう本当美しいものだけど、なかなかその感覚が今の世代とか次の世代にとってはちょっと古いなみたいな感じで、あんまり残らなさそうだなみたいなものをどうやって紡いでいくかみたいなところに結局気になっちゃうので、
そこの領域をどうやっていこうかなっていうので、今考えてはいて。
あとさっき言った話で言うと、個人的に宮沢賢治の感覚がすごい好きで、彼の言葉でも、個人の幸福が叶わない限りは、世界全体の幸福はありえないっていう、農業芸術論ってやつかなって言ってて、本当まさにそうだなっていう風に考えているので、
まず僕自身も楽しく生きていくし、世界も健やかに生きていけるようなところに命を使いたいなっていうので、今生きているっていう、そんな感じです。
スピーカー 2
なんかすごい。
僧侶のような空気感、感情するんだけど。
撮ってる?もしや。
スピーカー 1
いやいやいや、もちろんね、その中でね、いろんなことありましたし、でもそれでもやっぱり、この世の中は美しいんだっていうことを分かち合っていきたいし、僕はそう感じているので、そうですね、シンプルにそこかなって思ってますね。
スピーカー 2
どっから行こうかなっていう。
スピーカー 1
アーナベイシーとの出会いがなぜそこまで衝撃的だったかっていうところは、いかがですか。
世の中の課題みたいな、課題にするのはあれですけど、世界の痛みみたいなのをダイレクトに感じる機会ってあんまりないなと思って。
ニュースで、ブラジルが山火事になりましたとか、そんなこと言われたら別にピンとこないし、あとは、震災の時は特にそうで、僕中学1年生だったんですけど、
なんかね、あっちは津波にすごい流されてる映像が流れてるけど、僕埼玉県でそうだったので、もう埼玉は全然金魚鉢の水がちょっとこぼれたぐらいの感じで、
なんだこのパラレルワールド感みたいなのが、その時にすごいあって、
一応東京とかすごい渋滞してたけど、あんまり実感としてはわからなかった。
その時から、なんかそこの分断感を持ちたくないなみたいなのがずっとあって、
そこに身内がもしいたら、すごい悲しいだろうし、何ができるかなって考えててなんか動いてただろうし、
その時に僕は知り合いがいなかったし、テレビ知ることぐらいしかできなかったので、やっぱそこのなんかもやむやずがずっとあって、
ちょっと質問から脱線してるかもですけど。
スピーカー 2
それはなんか、例えばそれは撮りすぎることもできたわけじゃないですか、大切なのかね。
震災が起きて、なんかちょっと自分ごとになりにくいっていうか、遠くの海岸の火事のように見えてるっていう、
そういうふうに問えられることはできたけど、そこが悲しいって思った。
スピーカー 1
何だろう、寂しいとかそういう。
そうですね、その時は言葉にできなかったですよね。
そこでなんか変に悲しむことも、それは違うと思うし、中学生だったらそんなにあれだったと思うんですけど、
多分、言いようのない思いは前というか、なんか地震起きてる時に周り騒いでる人もいれば、なんかやばいって言ってる人もいて、
そこのなんか気持ち悪さもなんかあったし、
マジで死ぬぞみたいなタイミングでも、こういうふうになるんだみたいな感じの、なんか絶望感というかもあったし、
ショックでしたよね。
スピーカー 2
なんかそこに繋がりを感じたいというか、なんかそういうものがもしかしたらあったってことなんですかね。
スピーカー 1
そうですね、多分個人的な体験でいうとそこはあったかなと思ってますね。
なんかそこをなかったことにしたくないというか、誰にでも起こり得ることじゃないですか。
たまたまその遠くにいた人たちが被害を大きく受けただけで、別に僕たちも全然そういう可能性はゼロではないし、
そういう意味でやっぱ、なんだろうな、味わわないと同じことを繰り返すだけだなと思ったので。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
それであれですよ。
要はその世界に起きていることも自分に繋がっているんだっていう感覚が欲しい、取り戻したいとか、
なんかそういうところだったのかなっていうふうに聞こえてきたんですけど。
スピーカー 1
そうですね。
足の具っていうのはどう繋がってくるんだろう、それは。
スピーカー 2
降りてきたんでしょ、でもこの言葉が。
スピーカー 1
降りてきましたね。
これをただこの事象として分かっちゃうにはちょっと重すぎるなと思っていて。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
重すぎてるからか。
なんて言いたいんだろう。
スピーカー 2
なんだろうな。
スピーカー 1
より多くの人と分かち合いたいって時に、そこを入り口にしてしまうとすごい、
そこにピンポイントで価値観がある人はハマるけど、そうじゃない人はスルーすることだなと思っていて。
だからそこをいかに軽くはせずにポップに伝えるかみたいなところは、
たぶんなんか。
なるほど。
ただただ真面目に、バカ真面目に真面目なことを伝えても聞くわけないんですよね。
聞くわけないし別にみんな興味がないわけではないんだけど。
いきなりでも個人的な体験とかを言われても分かんないんだけど、
たしなむっていう共同感覚みたいなところを育むと、
そのあたりも自然と気づいてくるんじゃないかなと思っていて。
社会変革とかいきなり言わないでも、
例えば一緒に一杯のお茶を飲んだりとか、お酒を足し飲んだりとか、
そういう、戦闘行ったりとか何でもいいんですけど、
そういうところから入っていって、感じるっていうところに重きを置くと、
スピーカー 2
自分の内的体験とかから地球にも広がっていくのかなっていう感覚があって。
スピーカー 1
たしなみはその可能性はあるなっていうのは今、すごいピンときてるところですね。
スピーカー 2
いや、ちょっとようやくなんとなく分かってきたぞ。
スピーカー 1
今って何を消費するかにやっぱ、何だかんだで結局、
重きが置かれているビジネスモデルじゃないですか、金融資本主義というか。
そうじゃなくて、今あるものとかに対してどう工夫するかとか、
そこに対して何を感じているかっていうところ、
行為としてそこをやるっていう観点がなかなか持ちづらい。
いきなりマインドフルネスって言われてもピンとこないし。
ただ、だけど一杯お茶飲もうぜみたいな。ちょっと掃除しようぜみたいな感じだったら、
誰でもできるし、そこから開けていきそうだなっていう感じがあるので。
スピーカー 2
なんだろう、なんて言うんだろう。
世界にはいろいろな痛みを感じている人々がいて、
そこに対して寄り添えたい大勢さんがいて、
だけど、それは大勢さん自身が痛みを感じているっていう風にも捉えられて、
だけど、その痛みを他の人、全然違う人と置かれちゃうと思って、
その人にとっては何の関係もないやつだから、痛いんだよって言われても、そうみたいな。
だけど、何かを媒介物としてたしなんでいく、たしなみっていうものを通じて、
そこが重い形でダイレクトにつながって向こうに重いとか、
そういう風に捉えられるものじゃなくて、
そこのプロセス自体がすごく楽しくて豊かなプロセスなんだろうなっていう。
それはお茶なのかもしれないし。
たしなみって例えば何がメディアになることが多いんですよね。
スピーカー 1
何でもなるような、お茶はセナリティとかもいるし、
お茶とお酒は結構あるかなと思っていて、
あとは身近な例で言うと、知り合いが帰県の場でトモシンプロジェクトってやってるんですけど、
毎月11日に青いロウソクを灯すっていうのをやってて、
それも一つあるなと思っていて、ただロウソクを灯すっていうだけなんですけど、
2本灯して、あなたに1本、私に1本、亡くなった方に1本と、自分に1本みたいな形で灯してるんですよね。
青色っていうのは海だし、そういうものが意味が含まれている。
ただ祈るっていきなり言うよりも、ロウソク灯そうって言ってて、
ロウソク灯しながら見つめて話すみたいな。
行為から始められるっていうところはすごいいいなって個人的に思ってて、
とかも一つあるかなって思ってますね。
スピーカー 2
最近ヤバイヤさんって、
美風のリーダーの民間教会の理事とかされてる。
スピーカー 1
えー、マジっすか?
何?何?
スピーカー 2
リーダー好きですよ。
スピーカー 1
半年前に日大行ってめっちゃハマりました。
スピーカー 2
そうなんだ、そうなんだ。
スピーカー 1
そこでね、ヤバイヤっていうその、
スピーカー 2
高原点、日大高山にある高原点を営んでる方と話しする機会があったんですよ。
で、何を書くっすか?このエヴォグ?
エヴォグの理事に小島ひさやきさんっていう、リョウボンリョウボン言われてる人が。
スピーカー 1
小島さんは民芸合宿一緒でした。
スピーカー 2
あ、そうなの?その話はめっちゃ思い出したんだよ。
民芸の話ね。
スピーカー 1
そうそう、民芸もめちゃめちゃ好きですね。
スピーカー 2
そうだから、そのたしなめってとき、民芸の世界観っていうのをすごく思い出して。
スピーカー 1
そうです、民芸です。
民芸って言っても使わないからたしなめになりました。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
人間にはその感性がみんなあるんで。
もうすでにあると思いますし。
そうなんですよね。忘れてるんだけど。
その中ですごい仕事の話とか、いろいろ一緒にやっていこうみたいな感じもいい感じに進んで。
結局ちゃんとそっちの生活を整えると、仕事のほうも進んでいくっていう。
それが目的として立ち並むっていうのがあるとちょっとあれですけど。
まずそこを楽しむ、味わい尽くすと、アウトプットもちゃんと出てくるみたいな。
土壌じゃないですか、暮らすとか、味わうとかって。
そこが抑えてるのにいいアウトプットなんて出るわけないじゃないですか。
スピーカー 2
涙出そう。
スピーカー 1
やったー。
スピーカー 2
創発とかイノベーションとか、私もすごく興味がある領域なんですけど。
ちょっと新しいことをやってやろうぜみたいなところを、
単純に新規性を追い求めても薄っぺらいし、
じゃあね、四角四面に、
例えば紙にフレームワーク使って戦略考えてみたいなので、
じゃあ出るのかって言うと出ないし。
スピーカー 1
そうですね。
それできるならみんなできてるわみたいなね。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
そこはね、机上の空論にイノベーションはそんなにつながらないというか。
でもストーリーを紐解いていったりだとか、
何かそこをずらすんじゃないですけど、そこのプロセス自体を楽しむみたいな余白とか、
そういうものって本当に想像に、
クリエイティビティの発揮ですごく大事だなって思う瞬間とかもあって。
でも作ろうとしてるこっちは必死なわけですよ。
みんなめっちゃ真面目に、これを何かいつまでやるのか。
スピーカー 1
会社として予算がみたいな。
そこはでも限界があるですよね。
それを良くするためにはマインドフェニスすごい流行ったけど、
マインドフェニスってそもそもグルって自分のメンターみたいな人がいない状況であると結構危険性もあるし、
っていうのも最近やっと出てきて、
バカないとどれだけ個人に向き合うっていうことをやっても壊れちゃうんですよね。
スピーカー 2
そこまでのちょっとインテンシブなところに私は出会ってないからなんだけど、そうなんだ。
スピーカー 1
だからタシナムで入り口だったら、行き過ぎたらデイスイとかアルチューみたいになるだけだと思うんですけど。
今もそれは変わらずですけど。
スピーカー 2
自立社会とかってサイニックリリオンとかで言われている中で、
最近ヒューマンポテンシャルラボの山下祐一さんの記事を見たときに、
私すごく共感した内容で、
頑張る人と頑張らない人に交代するか、
ウェルビングっていう新しい潮流があるわけじゃないですか。
今まで24時間頑張れますか、みたいに頑張ってた人たちというか、
それを大量消費社会の中で量産して、いかに生産効率を上げて、みたいなところで頑張っているのが今主流なわけです。
その中で、それで本当に私たち幸せに生きられるのかっていう、
何のために私たちは生きているのかみたいなことに問いを投げかけたところでウェルビングみたいな流れがあって、
それこそ毎日そこに入ってくると思うんだけど、
何を移しそうなわけ。
ウェルビングを突き見つめて、その軸だけで生きられるかというと生きられないわけですね。
さっき触れられたように精神崩壊するのかわかんないけど、
ドラッグチューブになったりだとか、
目の前の快楽とかっていうところで人は生きられるかというと生きられないから、
何かそこを統合するような代謝を飲むのが必要なんじゃないかっていうのが、
スピーカー 1
そのノートであって提案されてたんだけれども、
スピーカー 2
そこはわからないんですけど、
なんて言うんでしょう。
ジョアン・ダ・メイシーが言っていることとつながってくるのかわからないけど、
目の前の快楽というかプロセス自体を楽しむということはすごく大事なことだし、
なんだけどその先のところに思いを寄せるというか共感する。
それがもう体中の全神経が身の毛がよだつくらいに、
共感するとか、
私もその世界観に触れて何か心が動いたり体が動いてしまうみたいなところになると、
触れてそのつながりを取り戻すというか、
冒頭おっしゃってたような対岸の火事で乗り過ぎてしまう暮らし方ではなくて、
いろんなことに心が寄せられて、何かアクションにつながったりとか、
スピーカー 1
アクションにつながったことで少なくとも祈ることができたりだとか、
スピーカー 2
なんかそういうあり方になっていくのかなっていうのをちょっと今日聞いてて思ったんですけど。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
楽しむってそういうこと?
スピーカー 1
そういうこともあるんじゃないですかね。
何かが起きたときにさっと動けるっていう感じはすごい大事だなと思っていて、
僕は農業生態やってるんですけど、
実践もそうなんですけど考えがすごく面白くて、
スピーカー 2
風すらも生態であるっていうふうに考えたりとか、
スピーカー 1
背骨に息通して大丈夫って言ってれば大丈夫っていう気合的なところもあるし、
でもそれがすごい野生というか、
いろんなねこねくり回しはあるけど、
シンプル、人間って動物だし、
そこにちゃんとまず立ち返って勢い持っているんだから、
そこの勢い、頭の中で閉じないでやっていこうぜみたいなスタンスが僕はすごい好きで。
だからおばあちゃんが困ってたら助けるし、
何か事故急がったり起きるしみたいな、
そういう、何だろう、最適に自然なんじゃないかっていう、
誰かが困ってたら助けるみたいな、
状況安定できないかもしれないけど、
でも思考がなかったらみんな何かすると思うんですよね、
感じてたらちゃんと。
その感性を育むっていう意味では、
たしなむとかっていうのはすごい、
たしなむって技術じゃないですか、
頭にあるブロックを取り去るかっていう、
取り去るとこをワークやりすぎるときついんですけど、
それよりはちゃんと感じるところに意識を合わせていく、
今感じていることに意識を落とし込んでいくっていうのも、
そういう場をどんどん育んでいくと、
普段から結局そうやってなんか世界がより健やかになるよねっていう風に思うので。
今って仕事で成果を出すってもちろん生きていく上で大切だけど、
その前に誰か困ってる人がいたらそもそも助けねっていう、
そこのなんかもっと全体的なところがあった上でのビジネスじゃないですか。
だってそれがやっぱないと、
人にちょっと嘘ついたりとか騙したりとかして、
売り上げあげなきゃいけないみたいなフェーズになるわけで、
もっと平和になるんじゃないかなみたいな。
どうですかね。
スピーカー 2
なんかね、この授業も続けなきゃいけないからとか、
そういうところじゃなくて、
もうじゃあ違うんだと思ったらサッと辞めれるとか。
スピーカー 1
うんうん、そうっすね。そうそうそうそう。
スピーカー 2
ちょっと違うと思ったら、
これまで大事にしたと思う、
曲げることも問わないというかだから。
スピーカー 1
うんうんうんうん。
スピーカー 2
なんかそんな自然さっていう感じもしたけどね、今。
スピーカー 1
そうですね。
なんかすべて生きてる間ずっと発散し続けるので、動物は。
だからこれはあくまで僕の考え方なんですけど、
何かを手放せなかったりとか、ずっと違和感があるのに、
その時に解消できなかったりすると、
それがいろんな病気となって発散するようとするんだなっていうふうに思っていて。
病気さらも発散だし、それに気づくためのものだと思うので。
なんかそういうふうにできてるんだろうなみたいな。
話が飛びましたけど。
スピーカー 2
なるほど。
いやー、ちょっとなんか、
タイセイさんはなんかその、タパ妻って言うんですか?
はい。
スピーカー 1
なんかね、このタパ妻はどこまで起きてるんだろう?
スピーカー 2
雰囲気を持ってるんですよ、その。
なんか今日話聞いてて、
ああ、そういうことをちょっと経験してきたりだとか、大事にしようと思って、
こう、ストラグルっていうかね、奮闘してきたっていう歴史があるから、
スピーカー 1
今ここにどんなふうな形であるんだなっていうところが。
はい。
スピーカー 2
あと写真とかも結構撮ってますよね、タイセイさん。
スピーカー 1
そうですね。
やっぱなんか僕はすごい、頭がすごい働いちゃうと大変なんですね。
すごい、なんだろうな。
最近もめっちゃ玉ちゃん詰めちゃったし。
え?そうなの?
ちょっとまた話すんですけど。
すぐ長話しちゃうんですけど、
これが正しいっていうふうにスイッチ入っちゃうとバンってなっちゃうんですよ。
スピーカー 2
ああ、なるほど。
スピーカー 1
そういう性がどうしてもあって。
だから包丁みたいなもんで、よく切ることもできれば、
相手に刺すこともできるわけで。
やっぱなんかあったときに、僕は親子関係とかもあって、
言葉で刺してきたんですよね、何かあったときに。
徹底的に相手を詰めるみたいな。
そうしたくないけど、生存本能としてそれをやってきたから、