西武ライオンズの応援
こんにちは、えりむすです。
この番組では、自分らしく幸せに生きるための 学びについて発信しています。
さてさて、私ですね、今年の4月から関東に引っ越してですね、現在、埼玉県所沢市に住んでいます。
で、この所沢市に住んでみて思うんですが、
所沢市はですね、西武ライオンズ推しなんですね。本拠地なのかな。
で、すごい街をあげて応援してるなっていう感じがあってですね、なんかいいなって思うんですよね。
で、こないだですね、先日散歩してる時に、西武球場の辺を歩いてたんですよ。
そしたら、ものすごい人がたくさんいて、ちょうど試合前だったのかな、だったんですね。
で、球場のけっこう離れたところからですね、人がたくさん歩いてるなっていうふうに思っていたんですけど、
球場の周りの空いてる土地には全部駐車場になっていて、
球場の周辺が全部駐車場激戦区になっていて、
おじさんおばさんたちがですね、ここに入ってみたいなのをすごいやってて、そこにどんどん車が入っていくっていう。
とにかく、詰めるだけ車を詰めたいみたいな感じでですね、
球場の周りは、とにかくその駐車場にね、うちに駐車してくださいバトルがすごい繰り広げられていて、
それでなんか盛り上がってる感じがあって、面白かったですね。
なんで、みなさんけっこう遠くにも止めて、そこから歩いて球場のほうに行くみたいで、
それで、たくさんね、球場の周りに人がいたんだなっていうのを、
あー、知りました。すみません、スマホを投げてしまった。
で、その日はですね、千葉ロッテ戦だったんですけど、ちょうど試合中だったんですよね。
すごい勝ってるみたいで、結局10対0でその日は勝ってたんですが、
それだけ勝ってたらですね、すごい大盛り上がりですよね。空盛り上がるよなっていうところで、
なんかすごい声援がワーッて聞こえてですね、なんか応援したいなというか、
なんか私もこっちにいる間、普段そんなにプロ野球を観戦したりっていうのも、
チケットもらったら見に行くぐらいで、チケットもらって見に行って応援するのとかすごい楽しいなって思うんですよね。
九州の方にずっと住んでたので、ソフトバンクのチケットもらうことがたびたびあって、
もらってですね、球場に見に行くと楽しいなっていうふうには思うし、
応援できるチームがあるって、推し勝つと一緒でいいですよね。
こっちに住んでる間に一度、推し勝つじゃないですけれども、
ライオンズ、西部ライオンズの応援に行ってみようかなっていうのを思ったりしました。
高校の部活の思い出
今日の本題なんですけど、
今日はですね、私の高校時代の部活の話をしたいなというふうに思います。
その野球の西部球場の周辺を歩いて、
ふとですね、思い出してスタイフも取ろうかなというか、そんな感じで話そうかなというふうに思ってます。
私は、私の高校は野球の、結構当時は競合校だったんですよね。
だから、野球をしに入ってくる生徒も多かったんじゃないかなっていうふうに思います。
そのぐらい、野球がすごい盛り上がっている学校だったんですね。
で、現に私が学生時代の時も、高校2年生の時ですね、
甲子園に行きました。
で、私は所属が公式野球部だったんですけど、
野球をしているわけでは全然なくて、
マネージャーをしているわけでもなく、
球場のですね、うぐいす場をしていたんですね。
で、自分の地元の市のですね、球場のうぐいす場をする部活があって、
ちょっと珍しいんじゃないかなというふうに思います。
所属は公式野球部になるんですけど、
ただそんな、じゃあ野球部の人たちと交流があるかって言ったらそんなになくて、
ただ毎週部活動が土日が活動日で、
平日は対価がないと特に部活はなくて、
ほんと週末だけだったんですけど、
週末練習試合が入った時は部活に出て、
学校のグラウンドで練習試合のアナウンスをするっていうのをやってました。
で、大会は平日も含む、
土日もあるのかな、土日もあるかどうかちょっと覚えてないんですけど、
大会は基本平日だったので、
大会がある時は授業が免除になって、
球場に行って、
球場で部活をするっていうのが慣例だったんですね。
大会の時の私たちの動きなんですけど、
まずですね、
放送を担当する部員が、
私が入部した時は、
1年生が3人、2年生が3人、3年生が2人だったから、
7人か、ずっとそのくらい、7,8人くらいでやってたかなと思います。
部活は1年、2年、3年、最後までやってました。
その7,8人で回していくんですけど、
結構ですね、部活の内容が面白くて、
まず、大体1日4試合ぐらいするのかな、なんですよ。
ポジションが4つあって、
1個はアナウンスですよね、
試合中の役割とエピソード
もう1つは電光掲示板の操作、
もう1つはチケットの販売、
もう1つが電話番っていう、
この4つのポジションに分かれて、
試合を回していくっていう感じだったんですね。
電光掲示板の球場だったんですよね。
球場って、手でめくるやつもあるじゃないですか。
もし手でめくるやつだったら、
外の特典版のタブ近くにいて、
後ろからめくったりしないといけなかったと思うんですけど、
電光掲示板だったので、室内でパソコン使って操作してました。
まずチケットの販売なんですけど、
結構高校野球の大会って、
お客さん来るんですよね。
チケットいくらぐらいだったのかな、覚えてないんですけど、
とにかくチケット販売はそのままですよね。
窓口に座って、お客さん来たらこんにちはって言って、
いくらですとかって言って、
電話番をもらって返して、みたいな感じでしたね。
単調な作業ですよね。
電話番なんですけど、電話番はですね、
ひたすら事務所みたいなところに椅子が用意されてて、
椅子の前に本当にザ・クロ電話みたいな電話が置いてあってですね、
その椅子に座って、電話がかかってきたら対応するっていう、
そういうポジションなんですね。
これはもう本当に暇な、
暇なときはめちゃくちゃ暇なポジションで、
ちょいちょいかかってくるんですけど、
言うて、ラジオで中継が流れてたりとか、
日によってはテレビもやってたりとかしたので、
そういうの見ればですね、こと足りるんですけど、
それでも電話がかかってくるんですよ。
電話してくる人もいて、かけてきて、
今何点?っていう。
すごいですよね。急上に今何点ですか?って問い合わせる文化があるんだっていう。
なんか、かかってきて、今どうなっとる?っていうのに、
今何帯なんです?
あー、そんなんわかった、じゃあね、みたいな。
そんな電話応対の、ありました。
あきれさん、こんばんは。
ようこそ、お越しくださいました。
ライブを開催して、11分たって、ようやく1人リスナーさんが来てくださいました。
ありがとうございます。うれしい。
そうなんです。公式野球部所属だったんですが、
球場のうぐいすじょうをしてまして、
その球場のうぐいすじょうが今どんな動きを1日やってるのかっていう話を取っていました。
大会の日のことなんですけど、
ポジションがチケット販売、電話版、電光掲示板操作、アナウンスっていう4つがあって、
今、電話版のところを話していたんですけど、
電話版は、電話のところにはですね、情報が入ってこないんですよ。
なんでちょいちょいですね、席を立って、
試合のですね、得点版を覗きに行って、
今何体なんだなっていうのを確認して戻るっていうのをちょいちょいするみたいな感じですね。
でもあとは暇です。
ただ電話版はですね、
電話版だったかな、チケット販売担当だったか忘れましたが、
高校野球はですね、5回裏が終わるとグラウンド整備に入るんですね。
グラウンド整備に入っている間に審判にアクエリアスを出すっていう、
そういう役割に任命されてまして、
5回裏が近づいてきたら、
粉末のアクエリアスを水で溶いて、
冷やしたものをですね、コップに入れて、
それを4つですね、用意して、
グラウンドの方に向かってですね、
いいタイミングで審判さんたちが冷たい水分補給ができるようにということで、
用意して構えておくっていうのをやる。
それが一番大きな仕事かもしれないです。
その1試合の中で。
それが終わったらまた椅子に座ってですね、黒電話の前で、
特典を書いているメモにですね、落書きをしながら過ごすということをやっていました。
それが電話番のポジションですね。
ペットボトルダメなの?
そうなんですよ。
とにかく氷を入れたですね、冷たいアクエリアスを持って行って、
もう審判さんが飲んでパンって置いてくるっていう。
飲みやすさですかね、わかんないですけど。
電光掲示板ですね。
電光掲示板は、
例えば選手交代があったときとかですね、
そういうときは放送が入るんですけど、
放送に合わせて選手交代がくるっときれいに変わるようにやったりとか、
あとピンチヒッター入りますっていうときにね、
ポジションのところをDHに変えて、
選手の名前を入力して、それを反映させるとかですね。
そういうことをやるのと、
あとはあれですね、
ストライクとボールとアウトの表示があるじゃないですか。
あれを点灯させないといけない。
これがめちゃくちゃ大変なんですよ。
何でかっていうと、ずっと審判を見とかないといけないんですね。
審判を見てて、
審判がね、ボールって判定をしたらボールだし、
ストライクって判定したらストライクなんですけど、
もうね、ずっと審判のちょうど、
ホームベースのちょうど後ろ側ぐらいに、
電光掲示板がある窓があるんですね。
そこに座ってるんですけど、
ずっとその審判の真後ろから審判をずっと見てるんですけど、
ずっとおじさんの後ろ姿を見てると、
もうほんと眠くなるんですよ。
ほんとに、
あ、今どっちだったっけ?ってなるんですよ。
うわーどうしよう、今どっち点灯する?みたいな。
ストライク押すか、ボール押すかみたいな時あるんですよ。
わかんないんですけど、ストライクが、
ストライクみたいな感じでめちゃくちゃ勢いよくストライクって言う時と、
言わない時あるんですよ。
で、ボールの時はだいたい審判の人、冷静なんですね。
ボールみたいな感じで言うので、
わかるんですけど、たまにボールぐらいのテンションのストライクの時があるんですよ。
勢いよくストライクって言ったら、私がちょっと打とうとしてても、
あー今のストライクだなってわかるんですけど、
なんかその、冷静にストライクって、
なんか、ボディジェスチャーだけでやってる時のストライクは、
もうほんと眠くて意識が一瞬飛んでると、わかんないんですよ。
だから、うわーどうしよう、みたいな。
で、もうその時は、もう、運にかけるしかないんですよ。
うわーもうちょっと今のボールかな?みたいな感じで、
で、ボール、点灯するとするじゃないですか。
で、それがもし間違ってたとしたら、
その審判さんがですね、くるっと私の方を向いてですね、
私にピースみたいな、ピーススリーピースみたいなのしてきたりとかしてですね、
あ、違ったんだなーみたいな感じで修正したりとかするんですよ。
で、間違ってもそうやって審判さんが結構強めにね、
1本とか2本とかね、こっちにねサインをくれるから、
あ、それではすいません、みたいな感じで修正してやるんですけど、
部活動の日常
そういうのが続くとですね、もうバレるんですよ。
野球部の部長にバレるんですよ、先生にね。
だからもうそういうのが続くと、
ダダダダダダって足音が聞こえてきて、
バーンって私の部屋のね扉が開いて、
部長がね入ってきて、
エリムス、顔洗ってこーい!みたいな感じで、
あの、怒鳴られて、すいません!みたいな感じでですね、
よく怒られてました。もう本当に眠くなるのですぐ。
あと、ヒットなのに、
いやいや今の撮れたでしょ!みたいな感じで、
勝手にエラーにしてですね、
これもめちゃくちゃ怒られてましたね。
そりゃそうなんですけど。
あの、今のはヒットやろ!みたいな感じで、
勝手に、いや今のは、ライトのエラーかな、みたいな。
押して、怒られるみたいになってました。
そうですね、本当それは一番しんどいポジションだったかもしれない。
そんな感じが、電光掲示板ですね。
で、それは怒られる。いやそうなんですよ。
で、多分その一時的にエラーの点灯してる時、
そろそろ観客席から多分大ブーイングきてると思うんで、
本当にすいません!みたいな感じでやってましたね。
で、放送はね、もちろん一番好きでした。
いいですね。野球放送の、高校のね、高校野球の放送って、
くんづけなんですよね。
だから、ヨバン、キャッチャー、アキネくん、みたいな、
くんがつくんですよね。それは独特ですよね。
プロ野球多分呼び捨てですよね。
バランスはね、一番楽しかったですし、眠くなることもないですしね。
いい仕事でした。
で、大会の時は、朝すごい早くて、
でも、朝すごい早いからなのか、わかんないんですけど、
先生がですね、家まで迎えに来るっていう、なんか、
びっぷ待遇ですよね、今考えたら。
高校生がね、親の送迎でもなく、
先生が迎えに来てくれてました。
で、いつもですね、眠い目を擦りながら行くんですけど、
結構その電話番の時とか、ゆるゆるで、お菓子の持ち込みOKだったので、
必ず部員のみんなで球場近くのコンビニに行って、
今日は何するとかって言って、だいたいシュークリームとか買って、
行ってましたね。
で、試合が全部終わったら、
球場のゴミ箱のゴミみたいなのを集めて、
あと球場の中で落ちてるね、ゴミとか回収してみたいな、
そういう指名作業みたいなのをやって、
で、終わりみたいな、そんな1日でしたね。
面白かったし、何より良かったのがですね、
給料が出てたんですよ。大会の時だけですけどね。
大会の時は授業が免除になるかつ給料が出てたので、
高校生にとってはすごい嬉しいですね。
甲子園への旅
給料って言っても交通費っていう名目で、
それでも1日2000円くらい出てたのかな。
だから大会の時は本当1万円くらいもらえてたんじゃないかなと思います。
あいのれさん、こんばんは。ありがとうございます。
ようこそお越しくださいました。
あきねさん、ということで円マークじゃなくてドルマークの絵文字がついて。
そうなんですよ。ちょっとお小遣いになるっていいですよね。
大会の時に、夏の大会の時だったかな。
お守りを野球部の部員に作るっていうのがあって、
毎年なんですけど、これ多分恒例行事なんですけど、
私たちアナウンスチームがですね、部員にお守りを作るんですけど、
お守りもユニフォームの形で、中に手紙を入れて、手縫いで閉じるっていうお守りを作ってたんです。
高校野球漫画っぽい。そうでしょ。めっちゃ青春じゃないですか。
確かね、部員でも100人とかいたんですよね。
だからそれを7人、7,8人で手分けして、1人12個ずつぐらいかな、作るっていうので、
でも誰が誰のお守りを作るのかみたいな、めっちゃ会議してましたね。
っていうのが、それぞれやっぱ推しがいるわけですよ、推し部員が。
だから、私誰誰先輩の作りたいとかって言って、取り合いをしてましたね。
本当にね、甲子園を狙うような競合校だったので、それこそ甲子園の道みたいな、高校野球の雑誌があるんですけど、
そういうのに乗ったりとかもする先輩とかもいて、
そういう先輩はやっぱり人気なんで、誰誰先輩、私がやる、私がやる、みたいな、なってましたね。
思いを込めて手紙を書くじゃないですか、でも手紙を書いて、中に入れて、手縫いでね、閉じるんですけど、
やっぱね、手紙が入ってるって知ってるから、なんか開けちゃうんですよね、野球部の部員の人たちは。
意味ないですよね。
開けずにずっと大事にね、鞄につけてくれてるような方もいらっしゃいましたけど、
でもね、やっぱ気になるんでしょうね、何て書かれてるかとか、そもそも、
俺のお守りは誰が作ったのか、みたいな、まず気になったりもするんでしょうね。
そういう、すぐ開けられるっていう、お守りを作る意味あるのか、みたいなこともありましたけど、
まあでもいいですよね、なんか夜鍋してさ、お守り作るとか、青春ですよね。
で、私が高校2年生の時に甲子園に行くことになるんですね。
で、県大会をずっとやってて、忘れもしない、何かの学校行事がある、忘れてますね。
何かの学校行事があった時だったんですけど、ちょうど中庭にみんないて、学校のですね。
で、その時に出場が決定した、みたいな連絡が来て、みんなでめちゃくちゃ盛り上がったのを覚えてます。
私もすごい当時、ハイテンションな人間だったので、何か、甲子園!みたいな感じで叫んだ記憶がありますね。
あきねさん、もしかして好きですとか書いてないかなって思って開けるのかな?
いや、それはあると思いますよね。
まさかね、愛の告白をされてないかみたいな、あるのかな。
忘れもしない、何かの学校行事、ちゃんと突っ込んでくださってありがとうございます。
それで、甲子園に行くっていうことが決まって、夜行バスが出てですね、専用の。
生徒たちは夜行バスに乗って甲子園を見に行くっていう。
すごいですよね。夜出発して着いて試合完成するって、結構ハードじゃないですか。
倒れる人とか寝てきそうな感じですけど、それしかやっぱり方法がないというか。
それぞれね、おのおの新幹線とか使って行くってなると、なかなかそれも厳しいでしょうし。
バスを用意してくださるのだけでも嬉しいですよね。
私たちは野球部員と一緒に、野球部員と私たちだけ別のバスだったので、バスに乗って揺られましたね。
なんか一番後ろに座ってたのかな?ちょっと覚えてないな。
覚えてないけど、バスに揺られてた記憶はめっちゃある。
今から甲子園に向かってるんだな、みたいなワクワクドキドキソワソワ感をすごく覚えてます。
甲子園に出場ってなると、ペナントが発売されるんですよ。
学校のペナントってわかります?ネパールの国旗みたいなやつ。
それを買いましたよ。
自分たちの高校の名前が入ってる布みたいなやつ。
実際、本番というか、甲子園全国大会の結果は、初戦敗退だったんですね。
初戦から大阪の名門の競合校と当たりまして、
始まる前からこれはちょっと厳しい。優勝候補だったので、これはちょっと厳しいんじゃないか、みたいな感じだったんですけど、
初戦敗退でみんなで泣きじゃくったのも覚えてます。
私たちアナウンス担当の部員たちは、もちろん甲子園は甲子園の担当のウイスジョーの方がいらっしゃるので、
私たちがアナウンスに入ることはないんですが、いろいろやってましたね。
水分補給みたいな、みんなに配ったり。
うちは配ったりとか、とにかく球場内なんかウロウロしてた記憶がありますね。
何やってたかな?覚えてないけど、とにかくウロウロして、何かサポートをしてた気がします。
それも高校野球漫画っぽい。買ったら漫画だな。
そうなんですよね。実際、漫画って勝っていく側がだいたい漫画になっていきますけど、
勝つ学校があるということは、負ける学校もあって、負ける学校の中にもそれぞれ青春があって、
飽きましたね。泣いたけど、本当にいい思い出でしたし、
初戦で負けたといえ、シェインに連れてってくれてありがとう、みたいな気持ちがありましたね。
社会経験と未来
そういう懐かしさがありました。
あと思い出したんですけど、一試合目の試合中に、もうちょっと応援の熱が高まりすぎて、
めちゃくちゃ多分大声で応援してて、横にいた人にうるさいよ、みたいなのを怒られて、シュンってなったのを思い出しましたね。
相当叫びましたね。いい思い出です。そんなところかな、甲子園の話は。
大会の時はそんな感じで、甲子園の話はそんな感じ。
練習試合の時は、練習試合の放送もするんですけど、それ以外に、練習試合は大体、どこかからやってくる時に対応してたんですね。
強い学校だったので、結構遠方とかいろんなところから、うちの高校に試合をしにいらっしゃるんですけど、
お昼に監督同士で、なごやかにお弁当を食べるわけですよ。
接待室みたいなところで。
私たちの仕事の中に、弁当を用意するっていうのと、監督たちが弁当をちょうど食べ終わるぐらいのいい感じのタイミングで、
ベストなタイミングの時に温かいコーヒーを提供するみたいな、そういう役割も担ってましたね。
タイミングを見計らって、今、今よ、入れるのは今よ、みたいな感じで、コーヒーを入れて、食べ終わったら片付ける。
休事ですよね。休事って、高校の休事じゃなくてですね、給食の給に使えるの休事ですよ、本当に。
審判にサッとアクエリアスを出すとか、サッとコーヒーを出すとか。
何なんですかね、何屋さんなんですかね。すごいですよね、なんか。
でもすごいなんか、仕事っぽいですよね。いい社会経験になったんじゃないかなというふうに思います。
で、まあね、そんな感じで、監督さんにいろいろこう、お接待みたいなのしてると、
いろいろね、希作に話しかけてくださる方とかもいらっしゃって、そういうね、遠方の方と、
一期一会でね、いろいろお話しするのとかも楽しかったなというふうに思います。
ね、確かに社会経験、いやそうなんですよ。
そんな感じかな。で、そうそう、で、まあ大体その、高校時代のですね、部活の話って言ったらそんな感じなんですけど、
なんかですね、あの、球場でアナウンスをしてるときにですね、
ちょうど高校3年生のときだったかな、なんか、もう卒業するの?みたいな感じで声をかけてきてくださった方がいて、
で、なんか卒業したら、あの、何?アナウンスというか、うぐいす場で、高校野球以外のうぐいす場でお願いしたりもしたいから、
なんか連絡先聞いていいですか?みたいな感じで、連絡先交換させてもらって、
私卒業した後、高校卒業した後しばらくフリーターだったんですけど、そのときに仕事をもらってですね、
実際に卒業した後も、うぐいす場として何年かですね、あの、球場のアナウンスの放送をやってました。
大学の大会とか、小学校の大会とか、高校野球以外、高校野球はもちろんその部活の子たちがするので、
なんかそれ以外の大会のアナウンスというのをしてましたね。
あと1回、アナウンスじゃなくて、電光掲示板の操作なんですけど、プロ野球のですね、2軍の大会があるときに、
その操作で入りましたね。どんな、なかなかないですよね。
そういうことやってたから、電光掲示板操作できる人だから、そんな仕事ももらえていいですよね。
でもやっぱりプロ野球のね、仕事は、なんか給料がとても良かったっていう、その記憶はあります。
でも私、全然その野球に、プロ野球で詳しくなくて、その当時、
青春の硬式野球部
あの、フォークスの、なんかちょうど、ずっと1軍にいたけど、2軍に落ちたみたいな方がいらっしゃって、
言うたら、だから1軍にずっといた人だから、有名、人気なわけじゃないですか。
だからその人がいて、なんかこう、周りはね、私たちバックヤードにいるから、
あ、誰々さん、いるよ、みたいな感じで、めちゃくちゃテンション上がってたんですけど、
ちょっと私はわからなくてですね、あ、そうなんだ、みたいな。
それよりも、あの、ハリー・フォークがいて、ああ、みたいな感じで、写真をね、一緒に撮ってもらったりしました。
勝手にエラーつけたりしませんでしたか。大問題ですよね。それはなかったですよ。
特に集中してたんじゃないかなと思います。
あ、しかもどうだったかな、その、選手の、その選手交代とかの操作はしてたけど、
どうだったかな、なんか、ボールとか、ストライクとか、アウトとか、やってたかな、やってたかでも。
うん、まあ集中してたんでしょうね。
もうとにかく審判のお尻と、えー、後ろ姿をですね、見て。
あ、1000Qさん、こんばんは。どうもどうも。
1000Qさん、野球経験あります?
1000Qさん、野球経験ないって言ってた気がする。
なんか、何かのコラボライブした時に、何だったっけな。
僕も野球経験はないみたいな話を、何かのくだりでされてた気がする。
はい、ちょうど、あの、終わりかけの時でしたけれども。
来ていただいてありがとうございます。
あ、あとね、なぞに、なぜか交代部を、あの、兼務させられてましたね。
なんか自動的に交代部に所属になるっていう、えー、なんかあってですね。
で、毎年1回棚卸し、なんか交代部の棚卸しがあって、それがめっちゃ大変でした。
なんで私たちこれやんなきゃいけないんだろう、みたいな思いながら、
えー、交代部の棚卸しをめちゃくちゃやってましたけど。
まあ、でもいい社会経験ですよね、それも。
何なんだろう、でも給料出てたからなのかな、やっぱり。
給料出てたからこそ、ちょっとそんぐらい、ちょっとやれよ、みたいな感じだったのかもしれない。
1000Qさん、草野球ですね、遊びてーと。
えー、ポジションはどこだったんですか?
やっぱでも、なんか、ガイア、ガイアか。
まあでも1000Qさんはやっぱりセンターな感じがしますね。
センターにいるのが似合うかな。
あのー、私はですね、そうそう、だから、当時は、とにかく自分の高校を激推ししてたので、
やっぱでも応援するチームがあるって楽しいですよね。
うん。
だからなんか、最初の話に戻るんですけど、
まあ今ね、やっぱここに所沢に住んでる間は、
えー、ちょっとライオンズのこと知っていきたいなーっていう風にちょっと思ってます。
今日もね、ちょうど試合してるみたいで、今調べたら、ちょうど今試合してると思って見に行けばよかったかなとかも思いましたけど。
1000Qさん、あ、キネさんですね。
1000Qさん、貧乏よりの器用そうだから、貧乏よりの器用だそうだから、なんだかんだ凝らせそう。
確かに、どこでも行けちゃう?
どこでも行けちゃうかもです。
私もう本当に、球技とか、もう空きしダメですからね。
もう野球とか、全くバッティングセンターで打てるとか想像もできないですもん。
すごいですよね。なんであんな細い棒に、あのー、あんな小さい球をぶつけれるのかわかりません。
し、そんな遠くから飛んできたボールをキャッチして、キャッチしただけでなく、キャッチしてどこに投げるみたいなのも考えて、しかも考えるだけじゃなくて、それを飛ばせる力があってみたいな。
すごいですよね。
私も球技、ていうかスポーツダメダメ。
ね、あ、あきなさんも?
嬉しいですね、仲間がいる。
空きしダメです。
1000Qさん、経験者に混ざって割とテニスできるようになってきました。
えー、すごい。テニスか。いいですね。
なんか、あのー、スタイフのお友達のニッシーさんもね、テニスをよくされるっていう風に言われてますけど、
なんか大人になって、そういうなんかスポーツできる機会があるのってすごいいいなっていう風に思うんですよね。
えー、なんですけど、子供の時からなんですけど、自分がやっぱ下手くそすぎるので、
なんかこう、チームでやったりとか、誰かとやるのだと、自分がいることでね、すごいなんか試合が進んでいかなくなっちゃったりするので、
なんかね、すごい誰かと一緒にやるスポーツはなかなかできないなって思います。
大人になって、それこそ去年か一昨年もバトミントンがすごい好きで、バトミントン上手くなりたいなと思って、
なんか知り合いがやってたので、体育館でね、毎週何曜日やってますよみたいな言われてはやりたいなと思って行ったんですけど、
結局なんかもう全然打ち返せないし、どんどんどんどん申し訳なくなってきて、ちょっとこれは無理だなと思いましたね。
あきねさん、バトミントンの絵文字初めて見ました。そんなのあるんだ。
というわけで、私の青春時代のお話でした。
社会経験と仲間
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今現在もですね、ウグイス城としてお仕事を受けること可能ですので、
社会人の草野球であったり、小学生・中学生の大会であったり、どんな試合でも全国どこでも駆けつけますので、
もしご要命ありましたら、レターでお知らせいただけたらなというふうに思います。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
エリムスでした。