えりこのライフコーチとしての紹介
こんにちは、ライフコーチのえりこです。
私は小学校1年生の双子と、生後7ヶ月の赤ちゃんの3姉妹を育てながら、活動しているライフコーチです。
今日はですね、2回目のラジオというのもですね、
いやもうこれ、これだよなっていうふうに、
前回の放送を話した後に、
うーんって、こうぐるぐるぐるぐる考え、考えてというか、
ちょっと頭でこうぐるぐるなっていたところを、ちょっと
先ほど、こう、昼寝を3女として、
出してみた時に、した後に、ん?
昼寝をして、ちょっとすっきりした頭で、ぐるぐるしていたものを出してみた時に、ですね、はい。
出してみた時に、
ああ、そうじゃーんって思ったところがあったので、はい、これはもうあの、
昨日のマイコーチとのセッションで、
マイコーチが口にはしていないが、もしかして、そうだよね、こういうことずっと伝え続けてくれていたよね、そういえば私忘れていたよ、っていうような
こと、はい、なんかそういうメッセージがあったんじゃないか、
っていうところを、あのー、ちょっと自分なりに思ったところを、今日、今回はですね、はい、お話ししていきたいなと思います。
はい、ただいまもう夕方の巡入中でございますので、はい、なんかすごいやる気になってるよね、あなたね。
すごいやる気になって3女が飲んでおります。珍しい、はい。
というわけで、先に本題に入る前にお知らせをさせてください。
ただいまミニ体験セッション企画というのを実施しております。
で、直接全3回まで受けて、無料で受けていただけるセッションとなっております。
で、こちら、話したいなって迷われている方は多分、
そうですね、話したいなと思って、かなり勇気がいることだと思うんですよ、連絡することって。
私もマイコーチに一番最初連絡した1年半以上前か、
の時、本当に手震えましたもん。
でも、やっぱりあの時手震えながらでも、もう今しかないって思って連絡取って、本当に良かった。
そこで勇気出して後悔したことないんですよ。
本当に後悔したことないと思うんですよね。
なので、もし話してみたいって思ってるけど迷われている方は、
勇気を出したことは、勇気を出さなかったことは後悔するかもしれないけど、
勇気を出したことは後悔することってないんじゃないかなと思います。
本当に自分が、本当にやってみたい、ここで問い合わせしてみたいって思った時に勇気を出して問い合わせしたら、
そこで勇気を持ってやったところで後で後悔するっていうことは、後で後悔って日本語おかしいですね。
後悔することっていうのは、私はないと思っています。
なので、もし、ちょっとどうしよう、でもなっていうふうに思われる方は、
その勇気、私は受け止めさせていただくので、ぜひ連絡してください。
詳細については概要欄をご覧いただければなと思いますので、この放送の概要欄をご覧ください。
はい、それではですね、本題に戻っていきたいと思いますが、
素の自分を恐れる理由
わっ、寝ちゃいそう、寝ちゃいそう、寝ちゃいそう、あ、起きた、はい、どっち?
まあいいか、はい、母の声をBGMに寝るのか飲むのかどうぞお好きに、ということで三女にメッセージを送ったところで本題に戻っていきたいと思います。
で、私が午前中にその前回の放送を撮ったんですけれども、そこでお話をしていて、
自分がやっぱり過去に色々怖いなぁと思ってたことがあって、
で、やっぱり自分で今までやったことないとか、あとは過去を傷ついて、心の傷でちょっとトラウマみたいになっていて、
私自身が素に近い自分っていうのを家族以外に出すのを極度に恐れているから、この発信も本当の素に近い自分ってもっとズバズバ言うんですよ。
うん、はっきり物言うし、
なんかこう、そうですね、
なんかその人に必要と思ったらやっぱりはっきり言ってるんですよね、家族には。
で、やっぱりそういうところ、そういう素に近い自分を出し、そしてそこを勇気を持って出して、
やっぱりそれ、
その私を見て、
いいなぁと思ってくださる方と、やっぱり私は手をつなぎたいっていうふうに改めて思ったんですよね。
で、それって、そういえば私が一番最初に言ってることだったと思って思い出したんですよ。
そのお昼寝をちょっとだけ参上として、そのちょっとすっきりした頭でいろいろちょっと考えてみたときに、
本来のその自分、自分を抑えて自分を作った状態で、
コーチとして生きて手をつなぐんじゃなくて、なんか本当の本来の素に近い、
はい、いいよ。
出たいのかな?
はい、出たかった。
はい、じゃあ一回抱っこしよう。
本来のその素に近い自分も、その状態の自分で、
それが本当の自分らしさだなと私は思ってるんですね。
で、そういう自分らしさをそのまま生かして、
私は出会える人と出会って手をつないでいきたい。
コーチとして一緒に手をつないでいきたいっていうふうに思っていたんですよね、ずっと。
で、思っていたし、そう思っていたのに、
ああ、私そうやって作った自分じゃないとっていうのを無意識にずっと引きずっているっていうことに、
今回のことで、
前に一回そうだなと思ったことはあったが、
それってちょっと、なんていうんですかね、
作った自分、素に近い自分ではなく、素からちょっと遠い、
もちろん全く全然別人というわけではないんだけれども、
作った自分が素から遠い、本当に素の自分から遠い自分で、
そうやって自分の仕事を作っていったら、
かなりギア入れ替えなきゃいけないし、
辛いなっていうところがあって、
で、私今までそういう働き方をしてきたんですよね。
やっぱり保育士って求められることがあって、
私もともと保育士をしてたんですけど、
保育士って求められるところがあって、
やっぱりいつもニコニコ笑顔で、元気で、
あんまり強いことは言わないしとか、
もちろん先生もいらっしゃいますけど、
やっぱり求められてるのって、
そういうふうに、いつでも一定の自分でいるとか、
その素の自分、なんていうんですかね、
素に近いようなズバズバ言ってしまうようなとか、
例えば私が我が子に接してるようなことを保育士でやろうと思ったら、
それ結構無理なんですよ。
集団っていう構造上も難しいし、
集団じゃなくて1対1の関わりだったとしても、
そこまで深くはいけないところって、
やっぱりどうしてもあるなと思ったんですよね。
なぜならそれは、そこまで求めている親と手をつないでいるわけじゃないから、
ということですよね。
親が求めているもの、実際に通わせる親とか子どもが求めているものとか、
自分が所属している職場が求めているものに、
通わせていかなきゃいけないから、素の自分ではなかったんですよね。
素の自分ではないし、素に近い自分でもなかったっていうのはありますね。
かなりあるなと思います。
なので、それがやっぱり雇ってもらって働くって、
新たな生き方の決意
そうせざるを得ない部分ってすごい多いと思うんですけど、
そうなったときに、周りの求められていることに自分を寄せていくというか、
作っていく、求められている自分を作り上げて、
それを演じる、演じるのかな、
そういう演じるに近いような状態。
だから保育士をしていたときの私っていうのは、
本当に通勤途中でスイッチをちゃんとオンって入れるんですよ。
しかもスイッチが重いんですよね、本当に。
素の自分と遠いから、すごい重いんですよ。
すごい重いスイッチを無理やり押して、子どもたちの前に、
はい、おはようって言って、言ってた。
子どもたちのこと超大好きなんです。
私、だって子ども、自分の子ども3人産むぐらいですからね、
子どものこと本当大好きなんですけど、
大好きなんだけどやっぱり無理してるところがすごいあった。
やっぱり、全然、そうですね、
保育士の私っていうのをすごい作り上げて、
毎日そのスイッチをしっかり、すごい固いスイッチを
毎日なんとかよいしょって押して、
頑張って仕事してたから、辛かったんですよね。
しんどかったんですよ。しんどくなっちゃったんですよね、やっぱり。
その自分と遠い感じになっちゃったり、
求められることに寄せすぎちゃったりしてたので、
もうそういう生き方は終わりにしようって思ったんですよね。
そういう生き方をしてたら結局自分の大切な我が子を大切にできなくて、
家庭も大切にしたいのに、家庭を全然大切にできなくて、
そういう生き方じゃない生き方をされている方もいっぱいいると思うんですが、
私は素の自分っていうのを、素に近い自分ですね。
まるまる素っていうわけにはいかないと思うんですけど、
素に近いような自分っていうのを、
自己表現の重要性
雇ってもらっている環境の中でも発揮できればよかったんだけれども、
もうそれができなかった。できなかったし、
しかもそれを発揮して求められていることと一致していれば、
雇ってもらっていても十分成り立つと思うんですよね。
でも私の場合は求められていることもちょっと違かった。
っていうようなところで、一致しなかったんですよね。
一致しないし、自分自身も出せないって思ってたし、
っていうところがありましたね。
だから、何が言いたいかというと、
私がこうやってコーチをやっている、
素に近い自分で、
やっぱりそれに魅力を感じてくれて、
人間として、一人の人間として、
純粋に手を取り合いたいって思う。
そんな人と出会うためには、
素に近い自分を出さない状態でずっと発信し続けていても、
私、出会いたい人と出会えないじゃんというふうに、
改めて思ったんですよね。
で、そのことをずっと、
マイコーチは言い続けてくれていたんだけれども、
やっぱりこう、なかなか、
頭ではわかってるけど心に落ちないとか、
そういうことがあったんだなってやっぱり思いますね。
改めて、それってずっとコーチが言い続けてくれてたことだよなとか、
作った自分に、
もちろん作った自分で、
そういうふうに仕事を作っていって、
仕事用のキャラみたいな感じで、
自分に近いものではなくて、
本当に全然程遠いけど、
仕事用のキャラとしてこれはこれだよねっていうふうに、
やる方もいらっしゃると思うんですけど、
私はそうではなく、
素に近い自分、丸々素の自分でいるっていうのはちょっと、
そこはまたちょっと違う感じになるのかなと思うんですけど、
でも限りなく素に近い自分っていうので、
仕事を作っていきたかったから、
それでそのままの自分が、
そうやって存在していることによって、
それ自体がもう価値になるし、
そうやって手を繋いだ人も価値に、
その手を繋いだ人自身も価値に、
自分が価値だよねって感じられてっていうような、
なんかそういう循環を作りたいんですよね。
と思います。
家族との日常
すごいかなり抽象的な話になったなとは思うんですが、
私が考えているところはそういうところでした。
なので、その素に近い自分出すのめっちゃ怖いですけどね。
怖いことは怖いです。過去の傷があるので、
結構深めな傷があるので、やっぱり怖いは怖いんですけど、
なんかここで、じゃあ出すの出さないのって言われたら、
怖いけど、もう出すしかないじゃん。
だって自分がやりたいの叶えるには出すしかないんだもんとか、
自分がそこ向き合うしかないんだもんやっぱりって、
逃げても逃げても結局同じところでつまずくんですよね。
だから逃げることもできるけど、
逃げて逃げて逃げて逃げて、
作った自分で頑張ってきた結果、
私心身壊してるので、
それじゃもうダメだなっていう風に思ったからこうやって、
ライフコーチとしてやってるんですよね。
だから、こうやってもういい意味で諦める。
作った自分で頑張るっていうのをいい意味でもう諦める。
諦めるしかないよね。
っていう風なところで腑に落ちたし、
そうだよなって、
怖いからやめよう逃げようっていう風にすることはできるんだけど、
怖いからやめよう逃げようで、
結局その行った先に、
結局また同じことで苦しんでいる自分の姿しか想像できないので、
やるしかないよねってやっぱり思いますね。
そこはもうやるしかないから、腹を決めるしかないなって思って、
今までの私だったら、
こんな言い方してどうなんだろうとか、
いろいろぐるぐる考えて、
多分停止ボタンを押して、
これってこんな風に言ったら取られるかなって思ってしまうんですけど、
止めないで言い切りたいというか、
自分の思っていることをもうボンボン出していきたいなと思っています。
というわけで、いろいろ喋りましたが、
サンジョがすごい、
なんか、
今日ちょっと真面目じゃない?
なんかすごい授乳真面目だね今日。
うんうん、イエイイエイ。
なんかすごい今日のサンジョは授乳いつも気に食わない。
自分の気分じゃないと大暴れをして、
舌で出したりとかして、
泣いて暴れたりして、
授乳拒否することも多々あるんですが、
なんか今日は飲む日なんだね。
今日は飲む気分の日だったようです。
というわけで、今夫と双子はですね、
今めちゃくちゃポケモンカードにハマってて、
もうこれ完全に余談ですね。
ポケモンカードにめちゃくちゃハマっててですね、
そのカードを買い足したいということで、
1時間という時間を設定し、
その1時間以内で何とか自分たちで吟味をして、
買ってきたいですということだったので、
夫がちょっとね、車で行かないといけない距離にお店あるので、
車で乗せて行って、
ポケモンカード何を買い足すかというのを吟味しに行きました。
はい、というわけで、
私はこの後、
サンジョが飲み切ったら、
一緒にご飯を作ろうかねと思っています。
それでは最後までお聞きいただきありがとうございました。
聞いていただいた方、いいねボタンお願いします。
ではまたまた引き続きお話ししていきたいと思いますので、
よろしくお願いします。