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2024-09-10 26:10

#21 CTOとしてのキャリアと新しい挑戦

今回からのゲストは『コードが動かないので帰れません!』の共著者で

株式会社nanabit代表の桜庭 洋之さんです。



<トークテーマ>

・今の仕事について

・元々のキャリアのスタート

・株式会社ベーシックに入社した際の話

・CTOになった理由

・CTOの経験を経て、独立・起業に至るまで


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サマリー

エピソードでは、株式会社ナナビットの桜庭ひろゆきさんが、CTOとしてのキャリアや新しい挑戦について自身の経験をもとに語っています。特にプログラミングやデザインへの興味、また、どのようにベーシックでの役職に辿り着いたかを詳しく紹介しています。また、CTOとしてのキャリアを経て独立を選んだザルさんが、自身の経営スタイルで新たな挑戦を行っている様子も紹介されています。さらに、家族とのコミュニケーションや支え合いの中で楽しい時間を過ごしていることについても語られています。

ザルさんの紹介とキャリア
日本最大級のエンジニアコミュニティ、Qiita プロダクトマネージャーの
Qiotaのトシフミです。この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストに向かい、
キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
今回からのゲストは、コードが動かないので変えれませんの協助者で、
株式会社ナナビット代表の桜庭ひろゆきさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ナナビットの桜庭です。インターネット上では、ザルというIDで活動しています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今日はザルさんとお呼びすればいいですかね。
お願いします。
わかりました。よろしくお願いします。
1回目は、ザルさんについていろいろ今までの過去だったり、今やっていることについてお伺いをしていきたいなと思っております。
ザルさんとお送りする1回目のテーマは、CTOとしてのキャリアと新しい挑戦です。
最初にお伺いしたいのが、まず今やっていることについてお伺いしたいなと思っていて、
簡単でもいいので、今やられているお仕事についてお伺いしてもよろしいですか。
はい。今はナナビットという会社を創業して約1年弱ぐらい経っているんですけれども、
僕1人で活動していて、主にWebアプリケーションの開発の支援だったりとか、
あとはコードレビューとか設計レビューとかの技術コモを通信として、いろんなところでお手伝いをさせていただいています。
そうなんですね。今は1人でやられている。
そうですね。
結構今までいろんなキャリアも経て、今のお仕事をやられていると思うので、
ちょっとそこら辺をいろいろ深掘りしてお伺いしていきたいなと思っています。
プログラミングの始まり
ザルさんっていわゆるプログラミングというかエンジニアリングというものにいつ頃初めて触れたんですか。
一番最初に触れたのは中学生のときで、
中学生。
その当時まだWindows95とか98でインターネットがまさに黎明期というかのときに、
今でいうウェブサイト、ホームページを作りたいと父親に聞いたらサーバーを立てろと言われまして、
そのサーバーを立てるために秋葉原に連れて行かれて、
自作PCを組んで、そこからGDACサーバーでプログラミングを始めたというのが最初のきっかけですね。
そうなんですね。じゃあお父様もいわゆるエンジニアリングみたいなところをやっていらっしゃったみたいな感じですか。
いや、父親はエンジニアではなかったんですけども、
そういうITの会社に勤めていたので身近にそういう方がいて、そういうのを教えてくれるっていう存在でしたね。
そうなんですね。なるほど。じゃあそこでまず自作PCから作るっていうところから始めたってことですね。
そうなんですね。だからめちゃくちゃ遠いんですよ。
サイトを立ち上げるまでにLinuxをインストールして、そこにちゃんとApacheを入れて、
そのApacheって何なのかっていうのを学んでからようやくコードを書いてサイトが見れるんですけど、
サイトを見るにも当然常時回線接続しなきゃいけないので、当時まだテレ放題とかがギリギリあったぐらいの時代だったので、
ウェブサイトを見るためにはお金をかけてずっと回線をつなぎっぱなしにしなきゃいけないっていうのが結構辛かったっていうのが思い出ですね。
そうなんですね。なんかその当時って今はもうそういうのやるならまずパソコンがあって、
そのパソコンで調べながら自作PCとか組み立てるとかやったりすると思うんですけど、
当時って最初、じゃあまず自作PCから作っていこうとなったとき、どういうことを勉強しながらとかどう調べながらやっていたんですか。
本屋に行って、それこそ秋葉原みたいな本屋じゃないと置いてなかったんですけど、Linuxでサーバーを始めようみたいな。
その当時はLinuxのOS自体も2、3000円ぐらいで売ってるみたいな時代だったので、そういうところから始めましたね。
じゃあ本当に本を読みながらやってたってことですね。
そうですね。
プログラミングも同じような感じですか。
同じですね。最初本格的に触れたプログラミングはJavaとかだったんですけど、本当にJavaのリファレンスものすごい分厚いやつを読みながら黒い画面でプロンプト作ってやってたっていう。
当時ってそういう同じようにプログラミングをして自分でウェブサイト立ち上げるみたいなことをやってる友人とかクラスメイトとかっていたりしたんですか。
いなかったですね。インターネットをそんなにやってる人もいなかったですし、
インターネット上でいわゆるパソコン通信っていうものがあったんですけど、当時僕知らなくて、インターネット上で人とコミュニケーションするってことも全然なく黙々と一人でやってました。
そうなんですね。じゃあ本当に自分のためのウェブサイト立ち上げて自分で見るみたいな。
だからまさに趣味って感じですね。
そうなんですね。それが中学で、そこからずっとプログラミングはやってらっしゃるって感じなんですか。
そうですね。そこからやってたんですけど、真面目にプログラミングをやってたというよりは、どちらかというとデザインのほうが好きだったので。
そうなんですね。
だからウェブデザインとかを中心に仕事をしていこうかなっていうふうにその時は思ってやってましたね。
確かにザルさんってエンジニアリングもそうですけど、結構UIとかも凝ってらっしゃるというか、結構いろいろいろなことやってらっしゃるなと思ってたので、そういうところも元々関心があったってことですか。
そうですね。ただデザイナーとして最初働き始めたんですけど、自分のセンスの無さにちょっと絶望してプログラミングのほうが向いてるんじゃないかと思って、途中からプログラミングに専業するっていうふうに。
そうなんですね。じゃあ最初はいわゆるウェブデザイナーみたいな形でキャリアを始まっているって感じですか。
そうですね。アルバイトでウェブサイトの制作のお手伝いしてくれる人いませんかって知り合いから言われて、そこでアルバイトで入ってウェブデザインをやり始めて、
コードも書けるのって言われて、一応書けますけどみたいな感じで書き始めて、両方やってたんですけど、その後シフトしたっていう感じですね。
そうなんですね。じゃあ元々大学生の頃にアルバイトやってらっしゃったって感じですか。
そうですね。大学は実は中退してて、卒業はしてないんですけど、年代的に言うとその時ですね。
そうなんですね。元々大学ではどういうこととか学んでらっしゃったんですか。
大学はこれを言うとあれなんですけど、もともと行く気はなくて、ただその親の手前というか行っといた方がいいだろうなぐらいの感じで行って、ちょうど1年で辞めました。
そうなんですね。じゃあなんか言っちゃあれですけど、正直そんなに大学ですごい何かを学んでいたみたいな感じではなかったですかね。
そうですね。どちらかというと早く働きたかったですね。プログラミングとかデザインとかを手に触をつけたかったので、それを早めにやりたいなと思って大学を中退したって感じですね。
そうなんですね。今のお話でデザインにも興味を持っていたお話だったと思うんですけど、そのデザインみたいなところに対して興味を持ったきっかけとかもあるんですか。
ベーシックとの縁
きっかけは、もともと絵を描くのが好きで、マンガの模写したりとか、友達同士で回すマンガとかを自分で描いたりとかしてたんですけど、絵も致命的に下手でその道はないなって思ってたんで。
絵を描かずにすぐデザインって何かなと思ったときに、いわゆるポスターだったりとかグラフィックみたいなところがすごく興味があって、フォトショップを中央にねだって買ってもらって、そこから始まったって感じですね。
そうなんですね。そこから始まって、最初にデザインをキャリアとして始めたタイミングでは、いわゆるマークアップとかをやってたような感じなんですかね。
そうですね。そのASMLのマークアップとか、いわゆるデザイナーさんが起こしたものをコーディングしていくっていうのは中心でやってましたね。
あとはひたすらバナーを数千個ぐらいは作り続けてましたね。
そうなんですね。今のザルさんのイメージで言うと、すごいUIもできるし、プログラミングもできるしみたいなイメージがあるんですけど、当時はそのデザインのところは才能ないなって思ってたんですかね。
なかったですね。やっぱり作るデザインの引き出しが全然足りなくて、要は学ぶことができてなかったんですけど、それを持続するモチベーションが自分の中になくて、
自分のためのデザインだったら作れるんですけど、商業的な、きちんと誰かに届けるみたいなデザインっていうのが自分の中では向いてないなっていうのは感じましたね。
そうなんですね。じゃあそこからまたプログラミングの世界に戻るというか、ちょっとそっちの方に集中するっていうような感じでキャリアが変わってくるってことですね。
そうですね。デザインはある意味誰でも文句をつけやすいというか、文句を言われやすいポジションなんですけど、プログラミングって動いてればある種何も言われないし、ちょっとすごいと認められやすいポジションだったので、
そういう横縞な気持ちもありつつシフトしてましたね。
そうなんですね。そこでプログラミングにシフトしてってお話あったと思うんですけど、僕のザルさんのイメージで言うと株式会社ベーシックさんのCTをやってた時代も結構長かったかなと思うんで、そこの印象があるんですけど、
もともとベーシックさんに入社された経緯とかきっかけっていうのはどういうところだったりするんですか。
ベーシックの前職で働いていた会社が結構大きかった会社だったんですけど、事業がいろいろうまくいかなくて、最終的に僕と社長の2人だけでウェブサービスを作ったりとかしたんですけど、最終的に倒産に近い状態になって、これ以上働けないとなった時に、
当時その会社とベーシックが取引があったので、その会社に紹介してもらって拾ってくれないかということで入ったのがきっかけっていう。
そうなんですね。じゃあ本当にすごいベーシックさんに先行受けて入ったっていうよりも、流れで縁でベーシックさんのところに入社されたってことですか。
そうなんですよ。僕、今まで人生で面接とか採用活動、採用じゃない就職活動したことがなくて。
ないんですか。
全部知り合いからの紹介で入っているっていう。
そうなんですね。ちなみに今までご経験された会社の数ってどのくらいなんですか。
3社ですね。
そうなんですね。じゃあその3社目がベーシックさん。
ベーシックです。
ベーシックでの初期経験
そうなんですね。じゃあ全部そこら辺を紹介で移動しながらってことなんですね。
なのですごいたまたま運が良かったというか、人に恵まれたというか。
そこでベーシックさんに入社されたと思うんですけど、最初の頃ってどういうことされてたんですか。
その当時のベーシックは、いわゆる比較メディアと言われるような、無数にある引っ越し業者のどれに決めるかというのを一括見積もりするみたいな。
そういうサービスを中心にやってたんですけど、そういうのが50個ぐらいありまして。
50個。
50個ぐらいあって、それの新規開発とか保守だったりとかっていうのをいくつかサービスをまたぎながらやってましたね。
そうなんですね。50個。どんぐらいエンジニアさんっていたんですか、当時。
当時全体でエンジニア20人もいなかったですね。12人とかぐらい。なので1人5、6サイトぐらいは基本受け持つ形になってましたね。
そうですよね。なるほど。そこで1エンジニアとしていろいろやってらっしゃったってことですね。
そうですね。その時が本当に初めてチーム開発をするっていう経験で、それまではずっと1人でエンジニアやってたので、チーム開発のやり方も全然知らなかったですし、
人に行動を見てもらうとかそういう経験もなかったので、めちゃくちゃドキドキしたというか、自分の今までやってきたプログラミングとかの能力が通じるのかっていうのはすごく不安だったんですけど、
実際入ってみるとそんなに違いはないなというか、そこはすごくほっとした記憶がありますね、当時。
そうなんですね。じゃあ割り返しすんなり1エンジニアとして上院して、1エンジニアとしていろんな50個あるサービスのところをいろいろ投げながらやってらっしゃったってことですね。
そうですね。
CTOとしての役割
CTOはいつからされてるんでしたっけ。
10年間なので2014年からCTOになってますね。ただそのCTOもその時代によって僕の役割いろいろ変わってきていて。
そうなんですね。
CTOになった当時は本当僕自身もCTOになるってこと知らない状態で。
知らない状態だったんですか。
知らない状態で全社会議でいきなり発表されたんですよ。桜場がCTOだみたいな。そんなことあるかどうか。
みんなのところでそうなんですか。
なので単純にその役職とかじゃなくて単なるラベル的な意味でのCTOっていう役割だったので部下がいたわけでもないですし役員でも当然ないっていう状態からスタートして。
徐々にいわゆる開発部の部門長になったりとか執行役員になったりとかっていう感じですね。
そうだったんですね。最初にその抜擢をされたのは入社されてからどれぐらいの時だったんですか。
14年働いたので4年後ぐらいですかね。
4年後ぐらいに。当時ってどういうミッションというか何を求められてCTOっていう役割を与えられたんですか。
当時のベーシックはさっき50個ぐらいサービスあるって言ってましたけど本当に新規サービスを作っていくのが好きな会社だったので
いわゆる01で素早く何かを立ち上げるみたいな機会がすごく多かったんですね。
なのでそこのまさに現場でそれを実現する能力だったりとかチームを束ねてどういう技術アセットで組んでいくのかみたいな方針を決めていくっていう役割が強かったですね。
なるほど。じゃあ本当に全体的な旗振りとしてのCTOみたいなところが最初求められていたんですか。
そうですね。ただ当時僕のその性格がCTOになる前から自分の仕事以外の他の人がやっているプロジェクトを勝手に顔出しして
何かトラブルとかがあったらそこを一番最初に解決しに行ったりとか何か開発プロセスこういうふうにした方がいいんじゃないのみたいな余計なおせっかいとかを割とするタイプだったんで
多分そういうスタンスが結果的にその当時の経営チームに評価されてCTOっていう役割をいただいたっていうふうに認識してますね。
そうなんですね。だから実際そこでCTOっていう肩書きがつく前と後で何か動きの役割とか実際の仕事の内容とかは何か変化はあったんですか。
最初はそんなになかったんですけどいわゆるその開発部というものを強く意識し始めたときには当時そのベーシックってその開発チームってそんなに強くなかったんですね。
いわゆる営業が強い会社。ないがするにはされてないんですけどもう少しその開発環境がいい状態を作っていけたらいいなって一エンジニアとしてすごく思っていたので
みんなが楽しんで働けるような環境っていうのを作っていきたいなっていうふうには強く思ってましたね。
なるほど。じゃあそこの気持ちっていうところの変化っていうお話あったと思うんですけど一言でCTOといってもやることとかって本当にいろんな会社の状況だったりそもそも会社ごとにもだいぶ多岐に渡るかなと思うんですけど
実際そういう動き自体ももともと一エンジニアとして入社されてたと思うんですけどそこからどういう変化をしていったというか何が変わっていきましたか。
僕のスタンスとしては多分何も変わってなかったかなと思っていていわゆるそのCTOって当時からも言われてましたけどその技術的なCTOもいれば経営的なCTOもいれば組織的なCTOもいるみたいな
いろんなバリエーションがあるよねって中で僕はすごく技術的で現場的なCTOだったんですね。
当時のそのベーシックの組織もそんなに大きくはなかったのでそういう役割ですごくフィットしてたんですけど
だんだん組織が大きくなっていったりとか事業が大きくなっていくとそのCTOとして求められるそのロールが変わってきていて
そこになんか結構ギャップを感じたりした瞬間は後半ぐらいには結構感じてましたね。
そうなんですね。じゃあザルさん自体のモチベーションとかやっていきたいこと自体は変化していないけど周りの環境自体はいろいろ変わっていった時期があったってことですね。
そうですね。なので逆に言うとうまくその変化に適応できなかったともなんか言えるのかなっていう感じはしてますね。
なるほど。なんか具体的にどういう変化が起こるんですか。
IPを目指していわゆる非先経な成長をしていきたい会社なのでシンプルに良いものを作るっていうだけでは通用しない世界に足を突っ込んでいってるなっていう感覚があって
エンジニアとしては当然合理的な判断とかなぜそれをやるのかみたいなところを突き詰めて納得して作っていきたいなっていうふうに感じるところはあるんですけど
独立への道
そういう言葉で表現できないこれだみたいな感覚的なところをかけてそこにコミットしてやっていくみたいなところがやっぱ重要だなと思ってはいるんですけど
エンジニアとして考えたときにそこに対して二の足を踏むというか最悪自分はそれでコミットできるけど
それをメンバーに伝えるときにどういう言葉で伝えようかっていうところの変換とかはすごく悩みましたね。
なるほど。まさにそこのいわゆるエンジニアリングとしての正しさとかそこのエンジニアリングを使ったシステムとしての正しさというか良い在り方っていうのと
事業として実現したい在り方っていうのは結構違かったりするシーンが多いのかなって僕自身も。
僕もプロダクトマネジメントしつつエンジニアリングも元々はずっとやっていた人間ではあるので日々結構感じたりするので
今の話はなるほどなっていうふうに聞いていて感じました。
そうですよね。多分皆さん板挟み状態でいろいろ経験されるよくある話かなとは。
そうですね。やっぱりそこのバランスをうまく取っていくってところは結構どの会社さんもそうだと思いますし
一位個人のエンジニアとしても結構葛藤だったりバランスうまく取っていくところは悩ましいところはあるんじゃないかなって感じたりはしますね。
実際そこのCTOとしての経験を経て今独立されていると思うんですけど独立されて起業した経緯みたいなところもお伺いしてもいいですか。
そうですね。先ほどもお話ししたんですけれどもCTOとして求められる役割がより経営に近くなってきたときに
初めてその経営というものに関わってみて自分にはちょっとこれ成果を出すのは難しいなって感じたんですね。
実際にそのCTOを辞めるまで会社を辞めるまでの2年間の間当時の経営チームにCTOを変わりたいと
一位従業員として働いていくみたいな道を模索したいということでいろいろ探したんですけれども
結果代わりの人は見つからず2年間経ってこのままの状態で僕がCTOとして存在し続けることは会社にとっても僕にとってもいいことではないなと思ったので
代わりの人はいないけれど後進のメンバーがすごく育っていたのでそこを信頼してCTOを下りるという決断をまずしましたね。
その時はまだベーシックに残って一位従業員として働き続けるという話で当時ベーシックの代表と話をしてたんですけど
僕の希望でフルタイムじゃなくて50%以下ぐらいの稼働で働けないかということを相談していて
代表はそこを心よく受け入れてくれたんですけど
一緒に働いているメンバーと比べるとあまりにも不公平なその待遇だなと自分で感じてこれだとちょっと良くないなと思ったので
もうきっぱり辞めたほうがいいなと判断して辞めました。
そうなんですよね。なるほど。
いわゆる本当に合計で14年いらっしゃったってことですよね。
そうですね。14年働いてましたね。
14年ぐらいいるとなかなかそこから離れるっていうのにも勇気だったりとか離れてゼロからまた新しいものをいろいろ構築していくっていうのはなかなか心理的な壁みたいなのもあるんじゃないかなって感じたんですけど
それでもやっぱり新しい挑戦をしていくってところに対してやっていきたいなって気持ちがあったっていうのは感じますかね。
そうですね。最終的にはぶっちゃけ衝動辞めに近いんですけど、でもそれぐらいの衝動があった時に無視するのはちょっと自分にとって良くないなと思ったので
そこは向き合って、向き合ってというか衝動なので向き合う瞬間も数秒ぐらいだったんですけど、もう即座に代表にスラックで連絡してっていうふうに動きましたね。
そうなんですね。そこで一旦新しいキャリアとして独立していくっていうところに挑戦していくと思うんですけど、新しいキャリアを築くって言っても他の会社に入るとかいろいろ選択肢はあるんじゃないかなと思ったんですけど、そこであえて今一つ法人として起業されていらっしゃると思うんですけど、起業に至った理由って何なんですかね。
独立の理由と環境選び
まず会社、ベーシックを辞める理由の一つでもあったのが、成長する理由がわからない、成長しなければいけない理由がわからないっていうところがありまして、その成長っていうのは組織として人も増やすし、事業も今の2倍3倍の売り上げを目指す。
なぜっていうとこの納得感が自分の中ではあんまり作れてなくて、でもそれはベーシックに限らず法人であれば基本的に目指すべき姿だなと思っているので、その状態のまま他の組織に入ってやっていくのはあんまり健全じゃないなって思ったんですね。
であれば、僕自身が経営者として自分の法人で自分の思う経営スタイルでやっていく方がいいかなと思って独立の道を選んだっていう感じですね。
そうなんですね。ある意味で今挑戦をされているっていうような状態なんですかね。
ただ挑戦というよりは今僕の中でやりたいことをストレスなくやれる環境を選んでいるっていう感じなので、挑戦よりは安全に倒しているというか快適な方に倒しているという表現の方が近いかもしれないですね。
実際企業っていうところをやっていくとなると、最初のビジネスの取っ掛かりとしてのブートスラップ問題というか案件をまずは持ってきて売り上げをまずは出していくみたいなところが大事なんじゃないかなって僕は思ったりするんですけど、そこら辺の苦労とか心配というかあったりしますか。
心配はあったんですけど、実際動き始めるとすぐ稼働が埋まる程度には仕事が紹介されたので、すごく運が良かったかなと思うんですけど、なのでそれこそ辞めたら仕事なくなったら家族もいますしどうするんだろうなみたいなことは思ってたんですけど、結果的には器用だったというかうまく今のところはできているって感じですかね。
そうなんですね。今ご家族のお話も軽く出てきたかなと思うんですけど、そもそもやっぱりCTOみたいなところで仕事をされていたときは、やっぱり肩書きだけじゃなくていろいろ待遇だったりとかもいろいろある程度あったんじゃないかなと思うんですけど、そこを独立して挑戦していくとなったときってご家族からの反応はどういう感じだったんですか。
妻は反対はしましたよね。反対はしてたんですけど、僕への理解も持ってくれているので、僕が決めたことはそのままやるっていうのも感じてましたし、あとは僕がどんなことをやっても基本的に家族は養っていくっていう自信、根拠のない自信なんですけど、を見せながらコミュニケーションとって決めていったっていう感じですね。
ありがとうございます。じゃあご家族も今応援してくれているし、ザルさんとしても今やりたいことができているというような状態になっていると。
そうですね。
そうなんですね。
なので結果的には過去最高に今楽しい時間を過ごしています。
そうなんですね。
はい。
ザルさん今日はありがとうございました。
まだまだですねお話ししたりないので次回もザルさんとお送りします。
今回はですね、ザルさんのキャリアについていろいろお伺いしてきました。
特にCTO時代のところのお話とか、独立企業ってところについてお話いろいろ伺ったんですけど、やっぱり聞いてみた感想で言うと、自分がやりたいことを信じてやるっていうのはすごい大事なことなんだろうなっていうふうには感じました。
もちろん一つの会社でキャリアを築いていくという選択肢もあるかなと思いますし、そこを離れるというところも結構勇気は必要だったりはすると思うんですけど、やっぱりそれでもやっぱり得たいものがあるとか、得られるものがあるというふうに感じるときは、やっぱりアクションを取っていくというのはすごい大事なんだろうなというふうに感じました。
ありがとうございました。
さて、この番組では感想や次回決定の質問、リクエストなどお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
XではハッシュタグKiita FMをつけてポストしてください。表記は番組名と一緒でQFMが大文字、残りは小文字です。
そしてApple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできますので、こちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
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26:10

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