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今週のおまけ音源は、前々回配信の「Netflix映画オクジャと食肉加工」の話しそびれ案件を話しております。
経済動物はと畜を理解しているのか?共感の範囲にある動物を食べるのはどうなのか?とかそんな問題について、農家のおじさんと考える回となっております。人によっては不愉快な内容になるかとも思いますが、ご興味のある方、聞いてみてください。
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皆さんこんにちは。この番組を配信しております北海道在住30代米農家をしておりますジョンと申します。よろしくお願いします。
本日は2020年11月1日日曜日となっております。
時刻お昼ぐらいなんですけどね。私今日お米の配達日でございまして、その合間を縫って今現在こちらのおまけ音源を収録しているような状況となっております。
おまけ音源の方はですね営農とサブカル本アカウントでのみ配信されているものとなっております。
今回扱いますのは2020年10月21日配信。
ネットフリックス映画奥者と食肉加工に関するおまけ音源となっております。
もしよかったらこのおまけ音源を聞く前にですねこの本編の方を聞いていただけると間違いはないかなというふうに思っております。
映画の解説とかそういうふうな部分はね全部そっちの方でやっておりますのでおまけ音源の方では特にしませんのでよかったらちょっとこちらを前提に聞いていただけると嬉しいかなというふうに思っております。
この奥者回ですね、ありがたいことにたくさん聞いていただけるようになりまして1時間配信があったんですけれどね。
平均的な聴取時間みたいなものっていうふうなのが一応アンカーの機能の方で出せるんですけども、
49分間というふうなことを考えるとですね皆さんちゃんと最後まで聞いていただいてるんだなというふうなことで本当にありがたいなというふうに思っております。
でねあんだけ長く話したのにまだ話したりないのっていうふうなのがねあるのが今回の話なんでございますけどまぁあるんでございます。
とてもじゃないけど本編にまとめたらまとまるもんもまとまらねーよっていうふうな話題がありましてねそれを今回ちょっとおまけ音源の方で話をさせてもらえればなというふうに思っておりますね。
具体的に何が問題なのかというとあのなんていうかな農業業者警察として一番でかい余剤がございましてねこの映画。
それがですね経済動物は塗札を理解しているかしてないか問題っていうふうなのがありましてこれについてねちょっと長々と話をしていこうかなというふうに思っておりますね。
あとこのねちょっと余談でペットを食べる食べない問題みたいなものを話をしたいなと思うんですけれどもこれが30分にまとまるといいなというふうに思いながら今現在お話をしております。
で最初にですねちょっとあの私のスタンスみたいなものを話してあと話している内容上ですね聞いて不愉快になられる方っていうふうなことが少なからずあるかなとは思うんですよね。
特にあのビーガンの皆さんとかあのそういうふうな形方に対してはちょっとあの聞き苦しいような内容になる可能性があるのでちょっと最初にあの私のスタンスとからちょっといろいろと話をさせてもらおうかなというふうに思っております。
でそのスタンスの段階でねちょっと聞くの嫌だなって思ったらちょっとやめていただいた方がいいかなというふうに思っておりますね。
そんな感じでちょっと順番に話をさせていただきますとでまず最初にですねちょっと今回あのこのなんていうかな経済動物はトサツを理解しているかしてないか問題あとペットを食べる食べない問題の話をする前にですね私が農業という仕事をどう捉えているかというふうな話をから最初にしておこうかなというふうに思っております。
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でこの農業という仕事人によってはですね命を育む仕事ですとか自然を愛し自然の中で生きることができる仕事ですとかっていうふうなことまあいろんな言い方をされる方がおりますとまああの単純にねビジネスとしてやってますとかいろんなやり方とかもあったりはするんですけどねこの辺のね定義付けみたいなものはそれぞれあのそれぞれが思っていることでふわっと言ってたりするんですけども私はどんな仕事かというふうに考えているかというとこの仕事はですね命を育てる仕事です。
この仕事はですね命を刈り取る仕事だと私は考えておりません。
でそれでね労悪趣味のように取られるのは大変心外なので一応はっきりと今回ちょっと申し上げておきますけれどもこれはねあの命がどういうふうに存続していくかどうやって生きていけるかというふうな話をし始めるとちょっと話が大きくなるんですけども私はあのなんていうかな我々がこうやって生存して生きていられるのは常に何かの命を摂取しているからだというふうに考えております。
でねこの辺の話をし始めると仕事感とかよりもですね宗教感とかそういうふうな部分もね含まれてくるようになってきてなかなかね話しづらい話題だったりするんです。
でそれもあって本編の方ではまとめらんねーなと思ってこっちの方にやってるんですけどね。
でそうやってですねとりあえずあの何かしらの命を救ってあのまあそれを刈り取ってそれを出荷して販売するっていうふうなのが私がやってる農業というふうな仕事となっております。
これねどんな農家も全部同じだなというふうに思っておりますので愛情を込めて育てましたっていうふうなところを見るとねサイコパスかなというふうにいつも思ってたりするんですよね。
愛情を込めて刈り取るんだからねっていう。で私はこの話をする際にですねちょっとあの皆さんあのここ最近のアンパンマンを見てらっしゃる方ってどれだけいらっしゃいますかね。
まあお子さんがいる方だったらもしかしたらあのアンパンマン一緒に見るとかってことはあるかなというふうに思うんですけどここ最近のアンパンマンにはですねオクラちゃんというあのオクラの頭の形をしている顔をしているキャラクターがいるんですけどそのオクラちゃんはですね自分で野菜を育てたりなんだりしているんですけれども
その野菜を育てたものをですね出荷する際にはその出荷される人の目の前で育ててきた野菜に対してお別れの挨拶をするんですよね。
でトマトさん大事に育ってきてくれて本当にありがとう美味しく食べられてねっていうふうな感じで泣きながら渡されるんですけども食べづらいわっていうふうに思ったりはするんです。
正直なところそうやってですね野菜とか植物に関しても命はあるよなっていうふうに私は考えてたりするんですよ。
そういうふうな形でですねとにかくこれ我々のやってる仕事っていうふうなのは命を育むのもやるんですけれども当然のことながら最終的には借り取って出荷をして販売をするそこまでが我々の仕事というふうになっております。
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だからね時々ビーガンの皆さんが我々は誰も傷つけない何も命を奪わない食生活を送ってらっしゃるんだっていうふうに言われる方とかもいらっしゃるのは分かるんですけれどもペテンだなというふうに私は考えております。
中にはですねその痛みを伴ったり命を奪うような植物に命があるっていうふうなことを考えて果実しか食べないというふうな方もいらっしゃるんですけどね。
そういうふうなエクストリームな方もいらっしゃるんですけどそこは好きにしたらいいじゃんというふうに私は思ってたりするんですよね。
私が言いたいのはですね何かというと我々の命は何かしらの命を摂取する以外には伸ばすことはできないものなんだというふうなものなんです。
なんでね罪深い生き物なのには変わりないんですから遠慮なく好きなように食べたらいいんじゃないですかっていうふうなことをよく思ってたりするわけなんです。
この辺の考え方をたぶん私はノーコロという以前配信しましたポッドキャスト番組の方でですね畜産農家さんをゲストに招いた時に話した感じでですね派手に激烈な反応をされるリスナーの方とかもいらっしゃいましてね。
この辺の話をするとあんまり良くないことが起こるようなというふうに思いつつこれからちょっと話をしておくんですけれども。
そんなスタンスを持っていたりするとですね特にこのオクジャというふうな映画の中に出てくるスーパーピックたちの賢さというふうな部分がですねなんていうかなすごくグロテスクに見えてくる作り手の意図は分かるんだけれどもそれを出してくるのずるくない卑怯じゃないというふうに思ってたりする部分だったりするんですよね。
特にこの映画の中のオクジャを始めたスーパーピックはですねものすごく賢い動物として描かれてたりはするんですよね。
ここからちょっと劇中の話をしていきますけれども、劇中で特にオクジャはですね他の動物にはない推論をするというすごく高度な認知機能を持っているような描写というのがたびたびあるんですよね。
例えば劇中の冒頭で一緒に暮らしているミジャがですね崖から落ちそうになるというふうなシーンがあるんですよね。
そのシーンでオクジャはどうするかというとミジャが落ちそうになっているとミジャが持っている紐かカバンかなんかをですねまずオクジャは加えますと。
加えてどうするかというとあのミジャがそのままだと落ちてしまいそう。
でも自分の力では引き上げることはできない。
じゃあどうするかというとミジャのそのなんていうかが引っかかっているカバンの紐をですね他の木に引っ掛けて自分を代わりに下に下ろすことによってミジャを引き上げるというふうなことをやってのけるんですよね。
これはあのミジャに教えられたとか聴教されたとかそういうふうなことではなくてですねオクジャが咄嗟の判断で推論をこなしてやったっていうスーパーピックがこの未来やら将来やら予測できる能力があるんだっていうふうな描写だったりするかなって思うんですよね。
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でそういうようなことをするようなスーパーピックはですね実のところ劇中の中に他にちょこちょこ出てきてたりするんですよね。
でちょっとねたまにはなるんですけれども前回の話を聞いてたりするとねまあそれでも話してたことだったりするんですけれどもオクジャがいろいろあってこの食肉加工施設の方に送られることになった際にですね。
あのその土地区上の軽粒施設の中にですね親子のスーパーピックが出てくるんですよね。
体の大きいスーパーピック体の小さなスーパーピックと子供のスーパーピックがいてでそれがですねあのなんていうかな状況を察してなのか子供のスーパーピックだけ逃がそうとするというような描写があるんですよ。
映画見てるとねあの見てると泣けるシーンではあるんですけれどもあのそういうふうなことをするような形になっててそんなことをするような動物だったりはするわけなんですよ。
でこの子供スーパーピックがどうにかどうなるのかというふうなちょっと映画見てもらいたいなとは思うんですけれどもあのまあそうやってですねこの特にこのオクジャをはじめとしたスーパーピック本当は不必要なぐらいあのこの将来を推論するっていう能力を持ってたりするわけなんですよね。
で通常の動物とかっていうふうなのはですね基本的にあの不必要な認知能力ってリソースの無駄なので持ってなかったりすることが多いんですよね。
特にあのなんていうかな我々のように将来どうなるかあれをしたらこれがなってこうなるっていうふうなことがわかる動物っていうふうなのはですね世の中広く見直しても自然界にはほとんどいなかったりします。
あの霊長類の一部とかあと鳥例えばカラスとかはそういうふうなことをやるとかって話は聞くんですけれどもそういうふうなものしか持ってない能力だったりはするんですよね。
でもこれはあのなんていうのかな彼らが愚かだとかそういうふうなことじゃなくてね賢さの種類が違うっていうのが正しいかなというふうに思っております。
一応豚はね結構賢い動物だというふうに言われておりまして例えばね餌の場所を忘れないしあの隠した餌の場所をね取られないように隠すなんてこともできたりするそうなんですよね。
でもそれはあの豚は多分嗅覚が発達していてその嗅覚を元にした賢さっていうふうなのを持ってる動物だからそういうふうなことができるというふうなのがあって。
でそれはそれで賢いんだけれどもその代わりと言っちゃうんですけどわざわざ未来のことについて考えるまで認知能力を持ってないっていうふうなことが言えるんじゃないかなと思うんです。
で同じようにですね動物の近くというふうな本がありましてこれはのテンプルグランディンさんという方が書きになられている本でね一応これすいませんあの私実際の事実を言うと読んでおりません。
あのリスナーの方にこんな本の目者がありましたよというふうに教えられたものをそのまま言っていくんですけれどもその中でですね動物の近くの中で怖いより痛い方がマシっていうふうな描写があったりするそうなんです。
でこれどういうことかというと要はの将来を推論したり何かしたりするっていうふうなことはあの能力的にできないものだったりはするんですよね。
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なんだけれどもそれに対して不安とか恐怖を感じるっていうふうなことがあってそれだったら痛い方がマシだよねっていうふうに思うんじゃないかっていうふうにこのテンプルグランディンさんという動物学者さんは考えられてたりするんですよね。
でこのテンプルグランディンさんあのなんかね調べるとあの自閉症を持って成功した人っていうふうなところでよく話題になってたりはするんですけれども。
自閉症のそういうふうな高機能の自閉症を持っているおかげでですね動物の気持ちがわかる人っていうふうに言われている人でもあったりするんですよね。
だから私はの他の動物学者さんよりこの人の感覚的な部分というふうなのが信頼できるんじゃないかなというふうに思っております。
なのでちょっとそのまま私も色々と例えば推論ができないとかそういうふうなことを考えるとそういうふうに今と過去しかないような世界で生きているのが彼らなんだなっていうふうに思うようにしてはいるんですよね。
そういうふうなことを考えると土地区上の方に行ったとしてもですね彼らはそれを理解してなくて感じるとしたら例えばいつも暮らしている場所じゃなくて不安だなとか嫌だなっていうふうなことは思うかもしれないんですよね。
なんですけれどもそこで殺されて自分がそこで生涯を終えるっていうふうなことは直前というかそういうふうな状況になるまで全くわからないというふうに思ってるんです。
そういうふうなことがあるから我々もある程度彼らを苦しめたり辛い思いをさせないように屠殺ができるっていうふうなことができてるっていうふうなことを考えてたりはするんです。
それができるからこそ人間は土地区とかそういうふうなことを今までしてきたしあとはこの共感が及ばない範囲の方に教えることができてるんだなっていうふうなのはちょっと思ってたりはするんですよね。
この共感とかそういうふうなものとかっていうふうなのはとっても大事な我々の能力だったりするかなというふうには思ってたりはするんです。
こういう相手を思いやるとかそういうふうな能力自体は他の動物とかもあるらしいんですけどね。
とりあえず我々人間の中で一番重要な能力がこれだなというふうに思っております。
正直なところこれが働く相手を意図的に殺したり、意図的に食べたりするっていうふうなことはですね、そもそも人道問題とかそういうふうなことに関わってきちゃうものなので、そもそもそれについて考えたりするのは愚問じゃないっていうふうなのはね、いつも思ったりするんです。
あれに近いです。どうして人を殺してはいけないのっていうふうな質問に近いほどの愚問だなというふうに思っております。
私、子供にこれを聞かれたらですね、張っ倒して終わりにしようかなというふうに思っております。
中二病だとね、これがすごく崇高な問題に見えたりするっていうのがあるんですけど、これは単純に崇高でもなんでもなくてですね、質問に前提条件が足りないっていうふうな状況でいろいろ話はできたりするかなというふうに思います。
これの話までし始めると長くなっちゃうので、基本的に共感の及ぶ範囲のものを食べたりするとか、そういうふうなことをそもそもしないようにできてるからこそ、我々は人道的に殺さずができてるんであって、それを崩すような賢さを劇中の中でつけちゃったっていうふうなのが、
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ちょっとこの奥者という映画の一番農業病者として問題がある部分だなというふうには思っておりますね。ただやっぱり私としてもですね、死ぬ直前にそうやって苦しい目に遭わさせる、辛い目に遭わさせるっていうふうなのは、確かに良心が咎める部分があるので、
アニマルウェルフェアネス的な部分を進めるっていうふうなことはやぶさがではないかなとは思うんですけどね。これはね、食肉処理場の方々とか畜産農家さんがどう思ってるかっていうのは私はちょっとわかんないんですけれども、でもそういうふうなことをやっていってほしいなっていうふうなのはちょっと見てて、今回いろいろ調べたりして思ってた部分ではあったりはするんですよね。
なんだけど、ちょっとこの奥者っていうふうな映画の中でですね、ちょっとその共感させるような作りにするっていうふうなことがあって、極端にそういうふうなことをしているので、それはちょっとひどいんじゃないかなっていうふうなのはね、ちょっと思ったりはしておりましたね。
あと、ペットを食べる問題っていうふうなのがね、特にこの共感が及ぶ範囲の動物を食べる食べない問題っていうふうなのがありまして、これはね、特に奥者っていうふうな名前をね、ミジャがつけちゃったっていうふうな段階で、そもそも食べられるべきではないものなんだっていうふうなのはちょっと思ったりはするわけなんです。
それなんで食べちゃいけないのかっていうふうなのは、くどくどと話しておりました通り、やっぱりその自分たちの共感が及んでしまうようなものになっちゃったものはですね、やっぱりそうやって最後まで我々の仲間として扱わざるを得ないんですよね。
我々は一応仲間は食べないじゃないですか。まあなんかそういうふうなことをされる異常性兵器の方とかも確かにいらっしゃったりするっていうふうなのはわかるんですけれどね。
なんですけれども、基本的にはそういうふうなことをしないっていうふうなのが、我々の人間性を担保する部分でもあったりするかなっていうふうに思うので、そもそもこういうふうなことを試したりなんだりするっていうふうなことをやるのが間違いだなっていうふうに思っております。
なので、昔、豚がいた教室っていうふうな映画化もされました。どっかのテレビ局が入って、小学校の先生が小学校のクラスで豚を5年間飼って、それで最後に子どもたちにその精札の余脱の剣を握らせるというね、水柱の人に怒られるようなことをしてたりしてたんですけれども。
それで実際にその実際の起きた方はですね、先生の判断で食べるっていうふうなことをやるんですけど、食べる際にですね、子どもたち泣きながら食べるっていうふうなことをやってて、子どもたちの中に人によってはですね、食べないっていうふうなこともいたりはしてたんですよね。
正直なところ、私、もし自分の子どもが飼うような学校でこれをやろうとする教員がいたらですね、PTAの力を使ってめちゃめちゃに反対するかなというふうに思っております。
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なんで反対するかっていうふうなのは、くどくど申し上げました通り、本当に教官が及ぶ範囲のものをそうやって扱うのがそもそも間違いなんだっていうふうなのがあるんですよね。
馬農家の話をちょっと挟み込もうかな。
一応皆さんね、JRAとかの競争場、こういう競馬場とかで走ってる競争場いるわけじゃないですか。
あの子たちもですね、基本的には馬農家のところで生まれたりなんだりして、牧場で育てられたりするわけなんですよ。
一応本来の目的としては競争場として活躍するための馬を作っている農場なんですけれども、
故障しちゃったりとか、あとは売り手がなかったり、走るのがあんまり早くなかったりする子たちはですね、桜肉っていうふうな感じでですね、お肉になったりするわけなんですね。
やっぱり競争場を作っている馬農家さんはですね、桜肉一切食べないというふうな話を聞いたりしております。
これね、人によってちょっと食べる人もいるので、一概には言えないんですけど、大体の人は食べなかったりしますね。
何でかっていうと、自分たちが走るためとか違う目的のために愛情を持って育てたものをですね、やっぱり食べるようなものに加工されると、やっぱり食べたくないなって思うらしいんですよね。
それは、肉にするっていうふうなのが自分たちの仕事の失敗だっていうふうに言われているような感じもなっちゃうらしいのでね。
そういうふうなのがあって食べなかったりするんですけども、それ以上にやっぱりあの共感、名前がついて共感が及ぶような範囲になってしまったものを食べるっていうふうなことに対するのがそもそも問題なっていうふうなのがあるので、
やっぱりその辺のことを考えるとですね、劇中の描写であのジジイの罪は結構重いよなって思うんですよね。
ちなみにどのジジイの話をしているかというと、あのあれです。ミジャーのおじいちゃんのあのジジイでございますね。
で、やっぱりあのおじいちゃんはですね、落農家してないんじゃないかなって思うんですよ。
なんかね、オオクジャーをペットみたいに引退した後で育ててたんだろうなっていうふうに。
そうやっていう中で、もしかしたらちょっとあの昔の農家の倫理観というふうなのがね、ちょっと私はよくわからなかったりするわけなんですよ。
特にあの、日本はもともと仏教国になった後はですね、その節育がいけないということで、
牛は農耕用に使われててそもそも食べないというふうな文化があったので、
なんかしたりつぶれるようなことがあったとしてもですね、つぶして食べるということはあんまりしなかったような話は聞くんですけれども、
海外とかそういうふうなところに目を向けるとですね、まあ役に立たなくなっちゃったり、
死んじゃった牛豚はですね、つぶしてお肉にして食べるというふうなことはだらに行われてたそうなんですよね。
食べることが供養になるとかそういうふうなことはあったりするそうなんですけれども、
あのもうなんていうかな、やっぱりそのそういうふうな機能があって、
最終的にそうなってしまっても仕方ないよねっていうふうな世界で生きてきている人方にとっては、
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それで通っちゃうような倫理観でもOKなんだろうなって思うんですけどね。
この辺はどういうふうに彼らの中で切り分けができているのかというのはちょっと私もわからない部分かなというふうに思っておりますね。
あのなんていうかな、この辺に関してはあれかな、おとひお、おとよめがあったり、
特にあのなんていうか馬をつぶして食べるとか羊を食べるとかその辺の描写とかもちょこちょこ書いてたりするものなので、
その辺を見ててもいいかなというふうに思っておりますね。
ちなみにこの映画のオクジャの中で話漏れてたことなんですけれども、
このミジャとオクジャ、あのとりあえず鳥は食べるんですよね。
あ、オクジャは食べないや。
ミジャとおじいさん、鳥は名前がついてないから平気で食べられたりするんですよ。
何だったら好物みたいなことをね、劇中の中で言われてたりするわけなんです。
もし食べるとしたらそういうふうに名前がついてない、
まあでもね、名前ついてない人にも愛情をかけるとか可愛がるとかっていうふうなことは当然できたりはするんですけれども、
でも食べる食べないの問題の話をし始めるとですね、そういうふうにやるのが一番いいかなというふうに思っております。
だからまとめるとですね、野菜を愛情を持って一つ一つ大事に育ててますというふうなのはちょっとしたサイコパスだぜというふうに思ったりするというふうなところで話をまとめておこうかな。
じゃないと今回はろくにまとまらないかなというふうには思っておりますね。
で、ちょっと今回こんなふうにおまけで話させていただいてたりしますけれど、これは成立してるかな。
ちょっと聞き直してOKだったら配信しようかなというふうには思っております。
で、ちょっと今回は話しづらいことをこうやっておまけ音源の話をさせていただきましたけれども、
これについて違うんじゃないとか私こう思うとかそういうふうなのがあって何かぶつけたいなというふうに思いましたら、
Aノートサブカル略してASUBというハッシュタグ宛にコメント寄せていただけるといいかなというふうに思っておりますね。
私は長らくポッドキャスターをやってるつもりであるんですけど、この辺の善悪とかその辺の人ごとによって
引っかかりとか倫理のバランスが整ってないような部分の話をどうしたらいいかというふうなのが
ちょっといまだに学べてない部分があってちょっと聞き苦しいような、聞いててつらいような回を話してしまったかなとは思うんですけれども、
ちょっとそういうふうなのがありまして何かご意見等ございましたらハッシュタグASUB宛にいただいたり
メールアドレスの方にいただいても嬉しいかなというふうに思っておりますので、何かあったらコメントいただけるようお願いいたします。
あと次回予告だけしておきましょうか。
今週デストランディングというPS4のゲームについて話そうかなというふうに思っております。
難航しております。
何が難航しているかというと、この描写はゲームの納期に間に合わせるために省略をしている描写なのか、
それとも何かしらの意図があるものなのかというふうなことを判別するのが大変というのと、
あとはやっぱりどこまでネタバレしていいかというふうなことがやっぱり悩みつつ話をするような感じになるかなというふうに思っております。
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もしかしたら間に合わずに配信が延びるかもしれませんけど、そういうふうなものなんだと思いつつ聞いていただければいいかなというふうに思っておりますね。
というわけで長々とお付き合いいただきましてありがとうございます。では次回もお楽しみに。
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