1. 無題のなんちゃらキャスト
  2. 02x03 - 魚は痛みを感じるか?
2024-09-24 30:08

02x03 - 魚は痛みを感じるか?

spotify apple_podcasts

はいこんばんは。キョウヘイです。今回は風林火山リョーのコメントから拾った、魚は痛みを感じるのか?ってってネタを膨らませてずっと喋ったそんな回です。まあちょうどそういうタイトルの本があったので読んでみてその紹介をずっとしてるみたいなそんな回ですね。ちなみに俺は釣りはしませんし、魚はなんか怖いので触りたくないです。信越五岳の話全然しねえなあ?

**Tシャツのプリント依頼は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠のフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠へ**


話題に出した本

サマリー

今回のエピソードでは、キョウヘイさんが最近の出張やプレゼント企画について話し、東京の人気や外国文化の食事マナーについて考察しています。また、友人との交流やリスナーからのメッセージを紹介し、コミュニティの価値を強調しています。このエピソードでは、魚が痛みを感じることについて議論が展開されています。動物の福祉や意識の問題に触れながら、著者は魚に対する共感の仕組みや、魚がどのように痛みを認識するのかを考察しています。また、魚が意識を持ち、痛みを感じることについての科学的な理解が深められています。特に、魚が他の魚とのコミュニケーションや推論能力を持つことに触れ、魚の福祉についての考察が行われています。

出張とコミュニケーション
はい、みなさんこんにちは。無題のなんちゃらキャストのキョウヘイです。
このポッドキャストは、私、キョウヘイが、知ってることも知らないことも、あったこともなかったことも、すべて適当に30分話す、そんな感じの内容になっています。
ハッシュタグあります。ハッシュタグ南キャスです。南はひらがな、キャスはカタカナですね。よろしくお願いします。
今回は、シーズン2の3回目です。シーズン2っていうのは言いたいだけなんですけど、つまり53回目ですね。
近況としては、前回何話したんだっけ?前回はね、スカルアローはプレゼント企画の話をひたすらしたら30分終わっちゃった、みたいな回でしたね。
そしてプレゼント企画は、前回その場で抽選を行ったんですけど、そう、むなげもじゃさんにね、当たりましたと。
むなげもじゃさんは、ATGトレイルで会った時のこと印象的だった人なんで、何か覚えてる人に当たったの嬉しかったんですけど、早速アロハ送らせていただいて届いたようで、むなげもじゃさんからの喜びのコメントが届いていますので、紹介します。
素直にかっこいい。クタクタになるまで気ふるすつもりなのですが、この生地とプリントが劣化しづらいように感じており、気兼ねなく着ることができて、そこがまた最高です。
これから寒くなりますが、普段着のインナーに、中にロンティーなど着てるのをランニングと活用させていただきます。といったコメントをいただきました。
むなげもじゃさんありがとうございます。何しろ今回のプレゼントした分は、インナーファクトさんからのご提供ですので、インナーファクトさん本当にありがとうございます。
次グレーがまた近々出ると思うんですけど、10月頭ぐらいには出るのかな?そんな気がしますけど、その時は無題のなんちゃるキャストからの提供で、また1枚皆さんプレゼントしますので、同じような企画やりますので、その際は
短縮URL、頑張って聞いてください。よろしくお願いします。ちょっと違うやつに変えますよ。もっと短くしますね。今度はね。
あとは何があったかな?スカルアロープレゼント企画ね。良かったですね。前回の話なんてスカルアロープレゼント企画の話しかしないようなタイトルつけたんで、もう応募してない人は聞かないかなと思ったんですけど、意外にそんなことなくて、普通の回と一緒に
再生数が伸びているのを観測いたしましたので、つまりこれはあれだな。エピソードのタイトルがどうあれ、とりあえず新エピソードが配信されたら聞いてくださるそんなリスナーちゃんの方たちが一定数いらっしゃるということを私としても確認いたしましたので、これもまた非常に喜ばしいことですね。皆さんありがとうございます。
あと何したかな?そう、先週は出張に行ってまして、東京にですね、出張に行ってまして、出張って言っても東京駅なんですけど、我々の会社ではオフサイトとかって言って、各国に散らばったチームのメンバーを一箇所に集めて、2日ぐらいちょっとしたカンファレンスみたいなことをやるっていうのをよくやるんですね。
3月にデンバーに行ったのはグローバルオフサイトって言って、我々のチームから100人ぐらい世界中から集まってきて、みんなでいろんなことをやったんですけど、ディスカッションしたりワークショップをやったりとかそういうことをやるんですけど、普段リモートでズームとかメールとかスラックとかでやりとりしている人と実際会うことの大事さみたいなのとかあるし、いつもいないね、いつも働いているロケーションじゃないところで、新鮮な環境で。
ちょっとリフレッシュしようみたいな雰囲気もあるんでしょうが、今回アジアのやつやったんですよね。ちょっと前のAPACとか行ってたと思うんですよね、アジアパシフィックなので、日本、韓国、オーストラリア、シンガポールとかですかね、今うちのチームがあるのは。
今度インドネシアとかインドとかにも拡大されるようなので、インドネシア出張、インド出張を狙っているんですけどね。なぜ俺がアメリカの会社、グローバル企業でいつも働いているかというと、それは当たり前のことですけど、会社の金で外国に行きたいわけですよ。だいたい世の中に会社の金で外国に行きたくない人がいるのかって話です。
もちろん出張大変だとか言ってる人いますし、散々行ってたら飽きちゃうと思うんですけど、それでも日に日常じゃないですか、もちろん仕事で行くんですけど、俺の会社とかあると出張でどっか行くって言ったら、前とか後ろとか週末に繋げて、出張3日なのに全部で10日外国に行ってたりとかっていうことをさせてくれたりするんで、そのやっぱり現地で遊んでくる時間と組み合わせたりするのがいいんですよね。
そういうのを許してくれる環境なんで、まあそれだから会社の金でできる限り外国に行きたいと思ってるんですけど、何がいいかというと、今回それが東京だったわけですよ。
食文化とマナー
東京はね、俺たちからしたら別に東京じゃないですか、普通の東京じゃないですか、ただ人気あるんですよ。アジアの人たちが人気あるんですよ。アメリカの人が人気あるんですよ。
もうなんてアメイジングシリーズとかつって、東京ウォーカー読んでる人たちと同じくらい喜ぶわけですよ。東京ウォーカーって今もあるんですか?
ちなみに俺はほぼほぼ東京出身なんで、あんまり東京ウォーカーとか読んだことないんですけど、なんだか知らんけど今もあるのかな、それはいいとして。
東京人気なんですよ。みんなね、あそこ行くんですよ。なんだっけ、なんちゃらラボみたいなやつ忘れちゃった。なんかすごいやつ、外国人人気のお台場のほうにあるやつ、なんて言ったっけ、忘れちゃった。
とか行くらしいですよ。あと何行くんだろう、わかんないけど、六本木とか行くの?あと鎌倉とか行くの?知らんけど、まあいろいろ行くらしいですよ。東京嬉しいんだって。
で、俺もそれでちょっと朝8時半とか集合するの大変だから、俺も出張扱いしてよって言ったらいいよって言うんで、ちょっと都内のホテルに泊まって、毎朝空気はしったり、月日の場外で観光客向けの海鮮丼食ったりして遊んでたんですけどね。
そんなことをしておりましたと。なので前回、自分の事務所でいつもこれ収録してるんで、ホテルで3泊もしちゃったんで、これができなかったんですよね。なんで火曜日にやったっていうことでしたと。はいはい。
そんで、あと何があるかな。あとそうそう、それでね、出張とか仲間と会ってて思い出したんですけど、これツイッターにも書きましたけど、子供の頃に西洋ではナイフとフォークっていうのは、左でフォークを持って右でナイフを持ってこのように切るんだよって教わったじゃないですか。
だけど普段フォークでご飯食べる時って右利きの人が90%近くいるわけだから、ほとんどの我々は右手でフォーク使うわけじゃないですか。だから持ち替えますよね、あれね。あれほんと子供の頃から持ち替えの方がいいなと思って。だから俺ハンバーグとか最初に全部切ってっから、もうずっとフォークで食べるっていうのを好んでやってるんですけど。
そんでね、何回すればいいのよ、よく言ってますけど、この10年15年くらいそういう外国の会社とかで働いて、いろいろ外国人の同僚とか友人ができて、いろいろ観察してるとですね、一定数のアメリカ人とかヨーロッパの人とかもそうですけど、全然フォークなんか持ち替えないんですよ。
もうね、右手のフォーク持ったまま左手のナイフ使ってる奴ら結構いるんですよ。で別にそれを誰も咎めないと。なんでなんかもうこれいいんだなと思って。俺もそれからずっと、ここ10年くらいずっともう右手のフォーク使ってるんですけど、日本のみんなと例えば、どこ行ったらそういうフォークとナイフで食うかな、いきなりステーキとか行った時に、俺が右手のフォークぶっ刺して左手のナイフ使ってるとウッて顔されるんですけど、なんかそういうの別に全然平気みたいで。
いやまあ俺もね、もちろんフランスとかに行ってすごい高級な料理とか、オーセンティックなところに行ったことがないので、そういうところで実際みんながどう一緒させるかっていうのは知らないんですけど、日常的には全然それアリなんだなっていうのを学習してきちゃったんですよね。だから俺もう全然フォークとナイフ持ち替えないで、左手でいつもナイフ使ってるんですけど、めちゃ快適。誰にも咎められたことない。
本当なのかなと思いますね、日本で小さい頃教わったあれってね。よく考えるとあれ、俺は別にマナーの学校に行ってたわけじゃないし、そういうマナーを教わるような学校に行ってたわけではないし、2回言ったこれ?違うんですよ、言いたいのは。マナーの学校に行ってたっていう、マナー学校に行ってたわけでもないし、マナーを教えてくれるような学校にね、高校とかそういうところに行ってたわけじゃないので、俺知らないんですけど、あれって本当だったのかな。
ご飯をフォークの背中に乗せて食ってるでしょ。あんな俺見たことないんだけどな。いるのかな。俺の友人が偏りすぎてんのかな。アメリカ人がほとんどだし、ヨーロッパの人ほんと少ないから。でもフランス人の友達も何人かいるな。でも見たことないんだよな。
あれ本当なの?あれ日本人が独自に開発した文化なの?こんなの検索すればわかることなんですけど、だからそういういろんな固定関連あるなって思いますよね。
リスナーとの交流
同じように、たとえば、たとえらんねんけど、まぁいいや。あと俺は寿司屋の老いっ子なんで、子供頃から素手で寿司食ってたんですよね。だから結構大人になっても素手で寿司食ってるんですけど、そういうのもなんかいろいろありますよね。
なんだかわかんないですけど、一回やってみてください。ナイフとフォーク持ち替えないで、右手でそのままフォーク、左手でナイフ使ってみてください。最初なんとなくちょっと違和感覚えるかもしれないですけど、ぶっちゃけ全然楽ですよ。持ち替えめちゃめんどくさいじゃないですか。そんな話をちょっと思い出したんですよね。
あとは、ツイッターなんか見てみますかね。ツイッターは、そう水シャワーね。水シャワーの話前回しましたけど、なんか昨日ぐらいからね、今は9月の24日なんですけど、昨日ぐらいから急に本当に涼しくなっちゃって水シャワー浴びられなくなりましたけど、先週なんてね、また37度とかになって毎日水シャワー浴びてましたけど、
サトリッチさん、また水シャワー記事終わりと一緒だって言ってますね。そうなんですよ。
そして、あとはトミオさんが、闇夜にジョージでジョーラランしたら快適でした。布一枚ないだけで全然違うって言ってますね。
いやーまた一人、闇に落ちてしまったか。全然闇じゃないんですけど、快適なんですよね。でももしかしたら今年はもう終わりかもね。今朝俺トラック行ったけど全然脱がなくていいなって思ったもんね。普通のTシャツで走ってるちょうど良かったしね。
あとは、コウジさん。新越で京平さんにナンキャス聞いてますと伝えられて、今新越会聞いてるのなんか嬉しい笑い。ありがとうございます。もういろんな人にね、ナンキャス聞いてるよって言ってもらったのはめちゃくちゃ面白かったんで、新越語学の話しなきゃなーって思っているんですが、
この前、ほら、車の中でランブラーさんと話したやつで結構新越語学の話しちゃったし、あとですね、来週くらいに秀木とマサシとカヨードリの方でも新越語学会をやるので、なんか俺このナンキャスで新越の話一人でしなきゃいいんじゃないかなーみたいな気持ちになってもいるんですけれども、いかがでしょうか。重要あるんですかね。
ランブラーさんの会でだいぶ話した気がするんですけどね、あそこで言ってないことって何だろう。前後のロジスティックスが新越すごく難しいんで、そのあたりの話とかはしてないですけどね。移動がどうだったとかね。
あとは、のちぼうさん。のちぼうさんは最近すごいハッシュタグつけてくれてすごく嬉しいんですし、直接ツイッターでやり取りもしてますけど、のちぼうさんの見どころあるところは、今ね、高校時編をずっと読んでくれてるところだよね。
高校時編は、今日家に22巻が届いてるんで、またこの松岡先生が毎月一冊出すんですよ、文庫本をね。神なんですけど、もちろん22巻になっても全然失速してないですね。中田有美すっかなって思うじゃないですか。
もしくは、ドラゴンボールみたいに強さのインフレが起きてしまって、めちゃくちゃコート向けな話になってついていけなくなるかなって思うかもしれないんですけど、そこは環境の付け方がうまいんだよね。単純に強さとか大きさとかだけで勝負しないで、もっと他の種類とかね、横展開してうまく続けていくってところが面白いなと思いますけどね。
高校時編に関してはいつか高校時編の回を30分、ずっと高校時編の話だけをする回を作らなきゃいけないなと思うんですけど、つまり高校時編ってなんだっていうのは、松岡圭介っていう作家の小説ですね。
女子高生が主人公で、親父がテロリストで、すごく有名なテロリストに育てられた子供がテロに巻き込まれた時に自分で対処していくっていうような話なんですけど、なんだかんだ最初のうちはマスター・キートン的な、って今始めちゃってんじゃん話を。
マスター・キートン的なありもので戦うみたいなところから始まったりして面白くて、とにかく結構面白いんですよ。皆さんに読んでほしい。ラノベではないんですけど、エンタメ小説なんですけど、ラノベぐらいのライトな感じでパッて読めるかなと思いますけどね。本当に松岡圭介はエンターテイメント伝説だなと思いますね。
何の話か知らんが、後坊さんね、後半分ぐらいあるんで追いついたらぜひ語りましょう。そしてくだり番長さん。普段聞いている自分の声と録音した自分の声全然違いよね。本当にそうなんです。これを53回もやってるんで狂気の沙汰なんですが、でも他者が聞いているのはこうじゃろと思うとマジで地球破壊爆弾のスイッチをしたくなるね。
いや本当そうなんだよね。みんなこの声聞いて俺と仲良くしてくれてると思うと神ですよね。俺が嫌だなって思ってる声の奴と仲良くしてる奴らって何かもう仏?慈愛の心に満ちてんの?まあそういう感じですよね。Twitterの反応はそんな感じでした。皆さんいつもありがとうございます。
魚の痛みの定義
今日は神絵図語学の話ししないんで君は一体何の話をしたいわけ?っていうご質問が疑問があるかと思うんですが、本面白い本読んだんですよね。前回の神絵図語学のコメントのところで風鈴火山のりょうくんが変な小ネタで俺は一体何の話をしてるんだって言ってくれてたんですけど、その時に書いてあった魚って痛み感じるんですかねっていうのがあって、
そしたらそのことをツイッターで書いてたら、またさっきののちぼさんがこんな本あるよって教えてくれたのが魚は痛みを感じるかっていう本があって、これ2012年ぐらいの本なんですけど、これはなかなか面白かったんでちょっと紹介したいなと思います。
何しろね、ランキャスは教養番組なんですよね。さいたまけんたろうさんも言ってましたけど、なんだかんだで教養番組であることを書くしかない感じが好きなんですね。ありがとうございます。そうなんですよ。実は教養番組なんですね。
というわけで、今朝ブクログっていうサービスに読んだ本の簡単なコメントをね、感想文にまで行かないんですけどコメント書いてるんで、それ見ながらこの魚は痛みを感じるかっていう本についてちょっと紹介したいんですけど、
これ結構面白くて、魚が痛みを感じるかっていうことを考えるためにはね、まず痛みっていうのは一体何なのかっていうのを定義しないといけないと思うんですよね。痛み何かっていうのを定義しようと思うと、そこには多分意識っていうものが深くかかってくると思って、
この本にも当然意識の話出てくるんですけど、読んでるうちに一体意識っていうのは何なのかなっていう結構大きなテーマに引き込まれていくようなそんな内容でした。ただ、まずこの魚の痛みを語るにあたって、大きなテーマとしてあるのが、動物の福祉っていうテーマですよね。
例えば落脳とか畜産とか、乳牛とかを過酷な自由環境にしない形にしましょうとか、ブロイラーとかも牛乳詰めにしないで育てましょうとか、動物の福祉ってやつね。
動物の福祉にはもともと全然興味がいなかったんですよね。だって殺して食べるために生んで育てるっていう、この世で考えられる最も残酷な行為をしているのにもかかわらず、そこでなるべく苦しみを少ない形で飼育しようっていうのってものすごいおこがましいっていうか、
この表現はちょっと簡潔すぎるんだけど、綺麗事っていうか、何なのそれっていうのがあって、どうせ殺して食うのに、そんな動物の福祉なんてちゃんちゃらおかしいよっていうのが、俺の基本的なスタンスだったんですよね。
ただ、そこでよく考えていくと、日本人だったら死刑の問題があるじゃないですか。死刑囚だったら劣悪な環境に置いていいのかって問われると、そんなことねえよなって思いますよね。
なので、もしかすると動物の福祉っていうのは思ったより単純な話じゃないんだなっていうところにも気づかされましたね、この本を読みながらね。さらに考えていくと、例えば自分の飼っているペットには、もちろん痛みは感じてほしくないじゃないですか、そういう感情がありますよね。
なのにもかかわらず、さっき言ったように、食用にしているような動物に対しては同じ感情が働かない。それって要するに共感、自分の共感を選択的に働かせているっていうことなんだろうなって思うわけですよね。
その共感を選択的にっていうのは、共感できるからできないからじゃなくて、もしかすると殺して食べるんだっていうことで共感するとつらいじゃないですか。なので殺して食べるものに関しては、なるべく共感を働かせないっていうような形で選択的に共感しているのかもしれないですし、もちろん想像力が及んでないっていうこともあると思うんですけど。
動物の福祉っていうのは俺、ちゃんちゃらおかしいなって思ってたんですけど、それって結局本質的には、動物が俺たち苦しいからやめてくれよとか、俺たちもうこんなきつい生活したくないし、どうせ食うにしてもこんなやり方やめてくれよって言ってきてるわけじゃないわけですよ。
つまりあくまで人間が考えてることなんですよね。なのでおこがましさは相変わらずおこがましいんですよ。つまり人間が勝手に共感して、人間がなるべく規模を外したくないっていうのが、結局嫌な言い方なんですけど、動物の福祉の裏側にあるんだなっていうところがありますよね。
だって、さっきの死刑囚の例えだと、同じ人っていう種類だし、想像力がすごく働きやすいですよね。だからといって、切り離して考えて、いいんだいいんだ、あの人は悪いことして死ぬ人なんだから、別に糞尿まみれの独房にいるときはいいんだよ、なんてことを言える人っていうのは多分ものすごく少ないと思うんですよね。
そこが段階的につながっていて、そこの想像力が及ぶ人たちっていうのは、やっぱり動物の福祉っていう話にもなってくると思うし、これは要するに心の余裕の産物なんだなっていうところにも行き渡りますよね。
規制中で言ってたじゃないですか、人間っていうのは心に余裕のある生き物で素晴らしいってミギーが言ってましたよね。地球のこととか考えるなんて、人間は心に余裕あるからだって。あれはもう30年ぐらい経ちますけど、心理ですよね。相変わらず心理だなって思いますね。
だからこの話はどこに行くのか分からなくなってきたんですが、動物が実際そうやめてよって言ってなくても考えるっていうのは、これ哺乳類とか鳥類の話じゃん。牛とかって痛がる感じするじゃないですか。鳥とかも苦しむ感じするじゃないですか。
でも魚はそれがないわけだよね。なのでこの議論は魚が痛みを感じるかどうかの議論に関しては痛みを感じるか感じないか置いておいて、魚が実際に鳥とか牛とか犬とか猫みたいに苦しむ表情を見せたり叫び声を上げたら全然違う議論になるだろうなって思いますよね。
つまり意識や感情が本当に伝わってるのかどうかとか、その反応を見られるかどうかっていうのが我々の行動や共感にすごく影響を与えてるんだなっていうことを思いましたね。
この考え方をちょっともっと延長して考察していくと、例えば自分の大好きなものですよ。無機物に家具とか愛着ある家具とかは傷つけたくないじゃないですか。壊したくないじゃないですか。
っていうところまで考えていくと、我々の感じているこの生き物に対する愛着っていうものだったり愛情だったり感情だと思っているものっていうのは一体どこで線を引けるものなのかなとか、かなりこれは複雑なテーマになっていくなって思いながら読んでたんですけど。
なので愛着の有無だったり、そういうところで共感っていうのも変わってくると思うし、牛とかだったらすごく想像つきやすいじゃないですか。ペットなんか絶対愛着あるし、犬っていうのは人間にとって最も愛着のある動物かも哺乳類かもしれませんよね。
実験と結論
愛着の有無で共感性とかの話が変わってくるんだなって思いますし、そういうふうなことを思いましたね。これ結構収集つかない話になってきたんだが、そんなことを思いながら読んでたんですけど、結果から言いますと、まず魚は自分の肉体、組織が侵害を受けたときにそれを感知する侵害受容体っていうものをちゃんと備えていますと。
人間もそうなんですけど、例えば火傷したりしたときにそれをまず最初に感じる部分ですけど、なのでその侵害受容体があって、それが刺激されてノーマルに信号を送られるっていうところは間違いなく魚にもあると。
これっていわゆる知覚なんですけど、ここまでだとセンサーとプログラム、アルゴリズムでも同じことできるじゃんって思いますよね。ルンバだって何かにぶつかったときにこれ障害物にぶつかったって引っ込むじゃないですか。そこと何が違うのかって話ですよね。
なので、そこまではみんなもいいと思うんですよ。だから別に魚はそれだけじゃ痛みを感じていると思わないですよね。その刺激が脳に伝わっている、すなわち痛みを感じている。さらにもう一段階いくと苦しんでいるかどうかなんですよね。本来一番大事な、我々が知りたいことって。
なのでこの本のタイトルは魚は痛みを感じるかなんですけど、本当にたぶん釣り人とかが知りたいことって魚は苦しんでいるのかなと思うんですよね。痛み自体を感じるかっていう話がこの本のテーマなんですけど、それでいくと魚はもちろん知覚していると。
それによると魚は痛みを感じているってことになるんですよね。この本でやった実験では、魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。魚は痛みを感じていない。
この本でやった実験では、マスを使って、マスっていうのは新しいものとかにすごく拒絶反応を示すんですけど、そのマスがいる水槽の中にレゴブロックの塔を置いたときに、何もしていない状態のマスはかなりそれを回避する行動をとるらしいんですね。ちゃんと集中している状態では。
そして、魚にちょっとある方法で痛みを与えて、その状態のときですと魚の集中力が損害されちゃって、普段よりもそのマスはレゴブロックの塔に近づくらしいんですよね。これをして魚は痛みを感じるとこの本は言っていると。だから結論としてはですね、リョー君、魚は痛みを感じるんだよ。魚は痛みを感じるらしい。
でも俺としてはこれをね、ここもちょっと疑問が残った。だってさ、機械だって故障すればさ、センサーの働きに鈍くなったりするし、動作がうまくいかなくなることってあるでしょ。でもそれって機械が痛みを感じているかっていうとまる別問題だと思うんだけど。なんでシステム障害と痛みをどう区別するのかっていう部分に関しては、俺としてはまる若干引っかかりがあった。
あとさ、ここで俺たちがよく言うのは、本能の話。魚に本能があるっていうのは誰も文句はないと思うんですよ。本能で何か攻撃を受けた時に逃げたりするっていうのは、それ必ずしても痛みを感じているかどうかっていうのはまる別問題だと俺たちの中では切り分けていると思いますよね。なので本能的な反応じゃないの?っていうふうにも思ったりするんですけど、結果としては魚は痛みを感じるということ。
この話の中でもっと面白い例が出てきて、魚が別の種類の魚とコミュニケーションを取るっていう話があって、これは興味ある人読んでほしいんだけど、コミュニケーションっていうのはかなり高い次元の話で、意識には3つのカテゴリがあるって言うんですけど、意識の3つ目のカテゴリのなんちゃらかんちゃらみたいな意識を持っていないと、自己認識、自己意識みたいなのがないと他の魚に対して働きかけるみたいなことができないみたいなことがあって、
すごい面白かった。あとすごい面白かったのが、魚が推論ができるんですよ。魚が推論ができるって面白くて、魚っていうのは相手が自分より強いかっていうのを客観的に評価することができる魚がいるらしいんですね。
これも規制状の話で、後藤が言ってたじゃないですか、Aが言ってたじゃないですか、人間は怖がり屋だと。人間じゃねえや、動物は怖がり屋だと。人間は自分より強い動物がわかんないみたいなのを言ってたじゃないですか。あれの話に出るんですけど、魚は自分より強い魚がわかるらしいんですよね。
他の魚が戦っているのを見て、その魚がどっちが強いか、自分より強いかっていうのも判断できるらしいんですよ。AとBの魚が戦って、Bが負けて、BとCが戦って、Cが負けて、CとDが戦って、Dが負けたときに、AとDがどっちが強いかっていうのを魚がちゃんと論理的に推論ができるらしいんですよ。推測できるらしいんですよ。それが結構面白かった。
そういう意味だと、かなり賢いし、意識もあるんだなって思いましたよね。話長くなりましたけど、すごい面白い本だったのよ。みんな読んだし。
魚の痛みと福祉への考察
結局、魚が痛みを感じるかどうかっていうところに関しては、感じます感じます。苦しめるだけなんですね。感じます感じます。
ただ、俺個人としては、これによって何か行動に変化を起こそうとか、魚の福祉について何か活動を起こそうとかっていう気持ちは特にならなかったのかな。
別に痛み感じてるかどうかじゃないんだよ。だって本質としては、俺たちが魚に今やっている、俺たちが一番近いところで魚にやっているひどい振る舞いっていうのはやっぱり釣りだと思いますし、もちろん漁とかもそうだと思いますけど、スポーツフィッシングとかなんてね、痛みを感じてたりやりたくないって思う人がいるかもしれませんよね。
痛みは感じてるんだってさ。ただ痛い痛いとかギャーとか言わないし、表情変えないからね。結局、概念の上では痛みを感じてるってわかったとしても、表情を変えない時点で俺たちの行動、振る舞いっていうのは変わんないんじゃないかなって俺は思いましたけどね。
なので、結局この本を読んで、魚が痛みを感じるっていう科学的な理解はできたし客観的な理解もできましたが、結局みんなが何するかっていうのは自分の想像力と共感力で判断するしかないんだろうなっていう結論に至りましたって話ですね。
何時間かかけて読みましたけど、結論としては魚は痛みを感じるらしいよ。でね、意識って何かなって思っちゃったな。俺の父ちゃんが死んだ時って脳幹から出血しちゃって、もう意識は戻りませんってなって、このままだと自発呼吸が止まりますってなってたけど、まだ体温はあったし、心臓も動いてたんですけど、でも意識は戻らないってなった時に、俺たちは父は死んだって思ったんですよね。
意識とはそういうものだと思うんですよね。で、あとこの本で出てきたのは、胎児とか早熟児も痛みを与えると脳が反応するっていう話をしていて、つまりまだ彼らには意識というほどの意識がないわけじゃないですか、だけど痛みには反応するっていうところ。
だからそこは魚の方が痛みに反応するってところとお寺橋合わせ出てくるんですけど、なるんだよね。だから意識っていうのは一体何なのかって話もあるし、意識だけじゃなくて意識があろうがなかろうが、あとは知性みたいな話もあるじゃないですか。魚にも一定知性があるんですけど、痛みを訴えてくるような知性はなさそうですよね。
これを読んだり読んだり、またいろんな面白いことを知りたいなって思ったんですけど、魚は痛みを感じるらしいよ。そういうことなんで、そんじゃまた。
30:08

コメント

スクロール