今日のテーマトークは、『ロボット・ドリームズ』です。はい、ではマリオさん、解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムから解説読ませていただきます。ブランカニエベスで知られるスペインのパブロ・ベルヘル監督が初めて出かけた長編アニメーション映画
アメリカの作家サラバロンによる同名グラフィックノベルを原作に、擬人化された動物たちが暮らす1980年代ニューヨークで犬とロボットが織りなす友情をセリフやナレーションなしで描く
ニューヨーク・マンハッタン。深い孤独を抱えるドッグは、自分の友人にするためにロボットを作り友情を深めていく。
夏になるとドッグとロボットは海水浴で出かけるが、ロボットが錆びついて動けなくなってしまう。どうにかロボットを修理しようとするドッグだったが、海水浴場はロボットを置いたままシーズンオフで閉鎖され、二人は離れ離れになってしまう。
2024年第96回アカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネート。
では内容に触れる話を入っていきたいと思いますので、データバーで記念される方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では沢井の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね。一回オープニングトークでも話したので、僕のテンションとかはなんとなくわかるかなと思うんですけども、最高でした。涙が止まりませんでした。
できればもう記憶を消してもう一回見たいなっていう、それぐらい好きですね。
出会いと別れの積み重ね、それが人生っていう映画だったなっていうふうにすごい思いました。
またそのドッグとロボットの二人の関係性っていうのがいろんなものに当てはまるように作られてるっていうのがやっぱりこの映画の懐の深さだなと思いました。
恋人であったりとか、友情であったりとか、家族、ペット、もうその他諸々。
いろいろなものとの関係性、絆みたいなもの、感じられる何かみたいなものに当てはまる。
そういったものに全てに当てはまるような、射程の広い物語だったなっていうこともすごく自分の中でより心に残ってるし。
あとやっぱりアニメーション表現というか、あの可愛らしいデザインと作り込まれた80年代ニューヨークがアニメーションだけですごくリアルに思えるみたいな。
その目の前に広がってる世界がっていうふうに思える。
ってことは、よりそれが自分の人生と地続きなものに感じられるみたいな。
そういうふうな作りだったなっていうふうに思いました。
あとドックの孤独な感じとかもめっちゃわかるなーと思いながら見て、もう本当にちょっと忘れられない一本になってしまいました、僕の中で。
大井さんいかがでしょうか。
僕この映画2回劇場で見ているんですけど、僕その前さっき記憶を消してっておっしゃってましたけど、僕の場合たぶん2回目のほうがより泣いたというか。
ズートピアもすごい近未来都市みたいなね、先進的な感じですけど。
いやいやいや違うんですよみたいな。
ニューヨークのその汚さプラス本当の意味での人種のるつぼみたいなところをめっちゃ描くみたいなところがやっぱいいですよね。
しかもその描き込みもまたいちいちこうね、本当にあのセントラルパークって言うんでしたっけ?
ニューヨークの真ん中のところとかでね、セプテンバーが流れる良いところのシーンですけどね。
あそこもなんか周りにいる人たちのなんか感じとか、
ボート乗ってる時なんか後ろで象とネズミがなんか乗ってるボートがあって、
明らかに象が乗ったってこう船沈んでて、それでもなんか宙に浮いてるネズミがなんかこごうとしてるみたいな。
オールオーみたいなとか、そういうところに目が行ったりとか。
あとね、ドックがまたティンっていうねロボットをね、買おうとする時とかに、
なんかしれっと万引きしてるおばさんがいるとか、いったん気になるところがたくさんあったりとかするとか、
なんかみんな生きてるなーってやっぱ思いますよね、あの街でちゃんと。
なんかしら生きてるなっていうのが感じられるっていうのがいいなって思いました。
ボートいきなりあたりのポンで遊んでるんですよね。
いやなんかそう、いちいち出てくるもんが、あ、映画で見たことある!の連続じゃないですか。
なんでしたっけ、ボールみたいなんでこう返して運勢見るみたいな。
あーあのカシャカシャカシャって振って。
そうそう。あ、見たことある!とか思うじゃないですか。もうそこがもういちいちいいっていう。
あとなんだろうな、ニューヨーク描写。
でもあれなんですよね、原作ってニューヨークじゃないっていうか、あんまり別にどこかの都市って話でもなかったらしいんですよね。
僕も原作読めてないんで聞いた話なんですけど。
まあ読んではなくて聞いただけですけど。
で、監督自身が80年代にニューヨークに住まれてた時代があって、でも原作読んだ時にそれを舞台をニューヨークにしようと。
へー。
それであの描写になってるっていうのは、なんかだから、あ、へーって思って。
なるほど。
やっぱその、街が主役っていう感じの映画はやっぱ好きになっちゃうよなっていうのはやっぱありますわね。
やっぱこれだけ、ニューヨークってやっぱり映画的な街というか何度も映画の中で取り上げられてる街じゃないですか。
まあそれこそパストライブスだってニューヨーク映画だと思いますし。
そうだよね。
あとスパイダーマンもニューヨーク映画だと思うんですよ、一概に。
もちろんもちろん。
マンハッタンの。
やっぱりニューヨークっていうのを、僕ら映画を通してすごく多層的に何度も見てるというか、
知ってるがゆえに、この顔もまだあったかっていう感じがするんですよね、ボトドリームス見てて。
それは友達でもあるしパートナーでもあるかもしれないんですけど、
2人組になれない孤独さというか、ひもてさみたいなものがすごい前面に出ているような気がして、
そこに至れない不能さというか、みたいなものがすごいあるなっていうのは思うし、そこは自分もわかる部分ではある気がするんですよね。
特に最近クリスマスシーズンになってくると、一人で歩いている、待ちわれている時にイルミネーションを恨めしく見てた時期あるなとか、
そういう気持ちなんだろうなっていうのはすごい想像ができるわけですよ。
で、一部他のポッドキャスターで言われてたのが、
ドック、お前はなんで一々の関係しか持てないんだっていうのは言われていて、
一体だったりとか、あるいはどっかのコミュニティに属するみたいなことはなぜお前はできない?
なぜ一々の関係しか求められないっていう風な意見みたいなのを聞いて、確かにそうだなと思う一方で、
なんとなくなんですけど、コロナ禍通じて、ちょっとそのぐらい深い中じゃなければ、
見放されちゃうというか離れちゃう関係性ってあるなっていうのを自分自身が感じてたのもあって。
例えばですけど、コロナ禍の段階、あの時期に何か自分の、すごい思ってるのが、自分の身に何かあって病院に行くってなった時に、
今見に来てくれる人って家族は遠く離れてるし、なんならしっかり自分の年齢が上なのでリスクがあるから、
誰が自分のこと見に来てくれるんだろうみたいなことを考えたことがあったんですよね。
なんかその時の孤独感はすごいドックに通じるところある気がしてて、
このままもし自分が死んだら一人で死ぬんだろうなみたいなことを結構真剣に考えたんですよ。
なんかそのぐらいの焦燥感はわかる気がするので、僕はなんかドックのどうしても一々を求めちゃうっていうところは、
なんかとはいえわかるよって言ってあげたい気がちょっとしちゃうというか。
健全じゃないのは全然わかるんですけど。
確かにその一対一の関係性ってある種の特別さもまとってるようにやっぱ思えるみたいな。
ここやっぱあるなと思ってて。
それは確かにある種の幻想ではあると思うんですけど、
それを追い求めちゃう気持ちもすげえわかる。
本当に自分って一人なんだっていうのが、とにかく身にしめてしまうみたいな。
ニューヨークという場所は別にそこにそのことを責めたりはしてこないんだけど、
だからこそ余計につらいみたいな気持ちになるみたいなのはすごくわかるんですよね、そこは。
あんま言語化できてないです。
それで言うと最後のラスト、結末というか、
2人が別れるっていうことをそれぞれ選択するというか、特にロボットが選択するって感じですよね。
そうですね。
だと思うんですけど、そこに至る流れみたいなのも結構僕は丁寧だよなーって思ってて、
やっぱりロボットって最初に出てきたら無邪気な感じであるから、
最初の頃だったら普通にわーって行っちゃうような気がしたんだけど、
なんかだんだんそれが変わっていくっていうのは、別れてる間にロボットは夢を見ながらいろいろ考えたと思うんですよね。
ずっと来てくれないドッグのことを思い、ただひたすら待ってたのかもしれないし、ものすごい怒ってたのかもしれないしみたいなのとかは、
ちょっと描かれてないところもあるかもしれないですけども、
個人的に結構印象的なのが、鳥の家族のエピソードかなーってこの時期に思ってて。
あれ大事な、僕も思いました。
あそこでロボットは別れるということが、決して悲しくてすごく嫌なものなところもあるとは思うんですけど、
それだけじゃないっていうことをあそこで学ぶんじゃないかなって思ったんですよね。
いつか別れるものなんだっていうことをあそこで学んで、あそこの場でドッグが新しいパートナーを見つけて、
彼はまた人生を歩んでいて、自分自身も新しいパートナーを見つけて、新しい生活をしてるみたいなところを踏まえた時に、
じゃあどうするのってなった時に、別れる選択をする。
でも決して君のこと何もなかったとは言わないみたいな。
君と過ごしたあのセプテンバーのビートは残ってるよみたいな。
終わりになってるのがすごいいいなって思って、余計においおい泣くっていう。
そうなんですよ、ロボットの体がラスカに入れて修理されて、ラジカセになっていて、だからもう体も変わってるわけですよね。
そこに入ってるカセットが、ロボットが走って行こうと無双するところでふと立ち止まる時に、
胸を見るとラスカルのカセットが自分の中に入ってるわけですよ。
そっか、もうこっちの生活もあるんだっていうのをそう表現するかってちょっと思ってしまって。
あのラジカセが上手いなっていう。
2個あることで今までの人生と今の人生を重ねるみたいな感じも出るなって思って。
ミックスするみたいな、ハーモニーを重ねるみたいなニュアンスもちょっと乗るなって思って。
まあそうですね、素敵な大人って言える方でいいのかな。
なんか僕も完全にラスカルのことをどっかでところ上司だと思ってるんで。
あーなるほどね。
ぽいなーって思いながら見てたんで、DIYってのもあると思うんですけど。
あれ世田谷ベースだと。
そうそうそうそう。
あの部屋の感覚なんですよね、自分にとってラスカルは。
めちゃめちゃいいとこ住んでますからね。屋上からツインタワービル見えるっていう。
でも多分あそこも家賃安いんじゃないかなって気がなんとなくしてるんですよね。
安い。
安いけど景色がいい。
なんかまあ住み込みですよね、あれDIYとか。
そうそうそうそう。
そこら辺がなんかいい感じの大人なんですよね、ほんと。
そう、なんか派手な感じじゃなくて、地に足ついたニューヨーカーだなって思うんですよね。
だからある意味そのダック的なこう自立した大人、自立した人としてのニューヨーカーっていうのはもちろんあるし、
あるいは他の街のみんなみたいに誰かとつるむっていうニューヨーカーって姿もあるんだけど、
本当に地に足ついて楽しめるところで楽しむ、まさに前回のドリームシナリオの話じゃないですけど、
置かれた場所で咲くことをもう覚えた人って感じがめっちゃいいっちゃめっちゃいいなと思って。
そうですね。
あとちょっとちらっと出たんですけど、ツインタワーエモいなっていう。
そうなんだよな。
もう二人のことじゃんっていう。思わざるを得ないかっていう。あれは泣くよなって思いましたよ。
そうですよね。
もう戻らないけど、かつて会った二人の何かみたいなのも象徴じゃないですかみたいな。
あれはちょっと憎いなって思いましたよ。
だから街も変わっていくし、人間も変わっていくしっていう。
その変化も含めてでも、やっぱその本作の結論すごい大人だなって思ってるのは、
別れの切なさはあるんだけど、とはいえやっぱりそれがあったから人生だよねって言ってる映画な気がするんですよ。
そうね。
結局別れがあるから人生って楽しいんじゃんって言ってるぐらいの映画な気がして。
人生とは別れであるぐらいだね。
そう。それを肯定してくれるのがこの映画すごい良いなって思うんですよね。
その切なさに端的するとか、あるいはその切なさに引きずられてしまうとか、それがある種の呪いになってしまうっていうのも、
全然人間としてある話なんだけど、とはいえやっぱりそういう形で歩んできた履歴の先に人生があってっていうのを、
本当に見事に描いてるなと思って。